第 3 章 研究課題・研究方法
3.3 発音タスク調査
3.3.1 中国語母語話者の日本語音声習得に関する先行研究
3.3.1.1 有声・無声破裂音
中国語を母語とする日本語学習者(以下、CLとする)を対象とした日本語破裂音の習得 研究では、主に日本語の「有声音」と「無声音」の対立、中国語の「有気音」と「無気音」
の対立に焦点が置かれている。日本語は声帯が振動する「有声音」と振動しない「無声音」
に分けられるが、中国語では声帯の振動ではなく、気息の有無で区別される。呼気が多く出 るものを「有気音(帯気音)」と言い、呼気がほとんど出ず、気息の音が聞こえないものを
「無気音(非帯気音)」と言う(朱, 2010)。以下の表2に、日本語と中国語の破裂音の詳 細を示す。なお、ここでいう中国語とは「普通话」、いわゆる「標準中国語」を指す。有気
音は[h]で表す。
19 「ある言語特性がどれくらい一般的なのか、どれくらい典型的なのかに関する言語学上の概念」で、「一般的でな く、普通の特性でないものは、有標、または有標性が高いとされる」(VanPatten, B., & Benati, A., 2017: 180, 白畑・鈴木 監訳, 川崎・近藤・須田・藤森訳)
表 2 日本語と中国語の破裂音の比較
日本語 中国語
有声破裂音 両唇音 歯茎音 軟口蓋音 両唇音 歯茎音 軟口蓋音
b d g
無声 破裂音
有気 p t k ph th kh
無気 p t k
日本語の有声破裂音について、以下に例を挙げる。
[b]:「バ行」にあたる。例)ばあい(場合)、ボトル(劉, 2008: 162)
[d]:「ダ、ディ、ドゥ、デ、ド」にあたる。例)だらだら(吉廣, 2004: 3)
[g]:「ガ行」にあたる。例)ガス(吉廣, 2004: 3)、ごかい(誤解)(劉, 2008: 162)
日本語の無声破裂音について、以下に例を挙げる。
[p]:「パ行」にあたる。例)パリ(吉廣, 2004: 3)、ショパン(胡, 2016: 55)
[t]:「タ、ティ、トゥ、テ、ト」にあたる。例)ただ(吉廣, 2004: 3)、あたい(値)(劉, 2008: 162)
[k]:「カ行」にあたる。例)くすり(薬)(劉, 2008: 162)
中国語の無声有気音について、以下に例を挙げる。
[ph]:母音[a]を加えた例) [pha]「趴(うつ伏せになる)」(吉廣, 2004: 3)
[th]:母音[a]を加えた例) [tha] 「他(彼、彼女)」(吉廣, 2004: 3)
[kh]:母音[a]を加えた例) [kha]「卡(カード)」(吉廣, 2004: 3)
中国語の無声無気音について、以下に例を挙げる。
[p]:母音[a]を加えた例)[pa]「八(数字の8)」(松崎・河野, 2018)
[t]:母音[a]を加えた例)[ta]「搭(車、船などに乗る)」(吉廣, 2004: 3)
[k]:母音[a]を加えた例)[ka]「嘎(短く響く声、鴨などの鳴き声)」(吉廣, 2004: 3)
このように、中国語には日本語の有声破裂音にあたる音がなく、日本語の破裂音の知覚と 生成(産出)において問題点を抱えているのは、それが原因だと考えられている。しかし、
中国語の方言の中には有声破裂音を持つ方言もあり、母方言の影響により、日本語の有声・
無声破裂音の習得に差が出るという実践研究の結果もある。日本語の有声・無声破裂音の習 得がうまくいかない原因として、中国語の影響の他に、胡(2016)は中国語の発音記号であ る「拼音(ピンイン)」の表記を挙げている。中国語の無声無気音は、[p]は拼音では「b」、
[t]は拼音では「d」、[k]は拼音では「g」でそれぞれ表記され、国際音声記号(IPA)の有声 音と同じ表記になってしまう。無声有気音の[ph]は拼音では「p」、[th]は拼音では「t」、[kh] は拼音では「k」となり、無声音と同じ表記である。上述した「八(8)」を例に挙げると、
IPA 表記は[pa]だが、拼音で表記すると「ba」となる。「趴(うつ伏せになる)」は、IPA表
記では[pha]となるが、拼音では「pa」となる。そのため、胡(2016)は日本語の「バ」を中
国語の「八」のように発音すればよいという誤解が生じてしまう可能性を指摘している。学 習者の日本語の有声・無声破裂音の混同が、日本語の音声の知覚と生成に影響すると、意味 の伝達に問題が生じてしまうことがある。例えば、「大学(だいがく)」と「退学(たいが く)」などのような間違いである。しかし、破裂音などの「単音を誤聴しても文脈があった 場合、その誤聴による誤解はめったにないという見方」(胡, 2016: 50)もある。
CLの日本語の有声・無声破裂音に焦点を当てた研究は、生成と知覚の両面から多数行わ れており、破裂音習得プロセスについて考察を行ったものもある。これまでに行われた研究 について、日本語の有声・無声破裂音の特徴について中国語の有気音・無気音と比較しなが ら述べ、CLの日本語の有声・無声破裂音の生成(産出)についてまとめる。
破裂音は、声門から唇にかけてのどこか一部を閉じて(閉鎖)息をため、破裂させる(急 にその閉鎖を解放する)ことで発せられる音である。その破裂音が有声であるか無声である か区別するために、VOT(Voice Onset Time)の値を用いた研究が多くを占める。VOTとは、
「破裂音の閉鎖の開放から声帯振動の開始までの時間幅(江, 2010)」である。有声破裂音 は、口が開いて唇や舌から子音が発せられる前に声帯が振動し始めるのに対し、無声破裂音 は、閉鎖の開放から声帯振動の開始までにかなり遅れがある(劉, 2008)。有声破裂音は破 裂前に振動が始まるので、「−VOT値」で表記、無声音は破裂の直後に声帯振動が始まるの で「+VOT 値」で表記される。中国語は有気破裂音、無気破裂音のどちらも無声音なので
「+VOT値」で表記されるということである。日本語の有声・無声破裂音、中国語の有気・
無気破裂音のVOT値表(表3)を以下に示す。
表 3 日本語と北京語の破裂音の VOT 値の分布(単位:ms)
日本語 b d g p t k
-65〜-125 -40〜-135 -35〜-125 15〜65 15〜50 50〜100
北京語 p t k ph th kh
5〜10 10〜15 12〜25 80〜115 80〜120 90〜130
(山本, 2004: 68より引用)
「普通话」は北方方言を基礎に北京語音を標準語音としており、表3内にある「北京語」
は中国標準語を指す。日本語の有声破裂音[da]の場合は、母音よりも先に声帯振動が始まり、
表5のVOT値分布では[d]のVOTは-40〜-135msの「-VOT値」であることが分かる。無声
破裂音[ta]は、母音開始と同時に声帯振動が始まり、[t]のVOT値は「+VOT値」に分布して
いる。VOT 以外に有声と無声の対立を分析する方法は、子音の破裂時や破裂後の呼気流量
(気息量)、発音時の声門上圧・下圧を見るものなどがある。
日本語の有声・無声破裂音は声帯の振動によって弁別され、中国語の有気音と無気音のよ うな対立がないと上述したが、実際の発話ではそうではないケースもあることが分かって いる。朱(2010)は、日本語の有声・無声子音について、これまで行ってきた実験の結果を もとにそれぞれの生理的、音響的、知覚的特徴について中国語と比較しながら以下のように まとめている。
(1) 日本語の無声子音は、中国語の無気音の場合とは反対に、語頭で呼気が強く語中で弱い 傾向がある。このため、従来「語頭では中国語の有気音に相当し、語中では無気音に相 当する」と言われているが、今回の実験でそれほど明確なものではないことが分かった。
(2) 日本語の無声子音には、「中国語の無気音的なもの」と「有気音的なもの」とがある。
しかし、その区別は恣意的であり、話者が意識的に区別することは困難なようである。
(3) 語頭の有声子音の多くは破裂前に声帯振動を伴わない無気音と類似の子音である。こ の特徴は特に東京方言話者の場合に顕著であり、全体の 80%以上が破裂前に振動が伴 わないものである。一方、近畿方言話者の場合は全体の約15%である。
(4) 有声子音として発話された語頭の無気音的な子音は、破裂の弱い場合には有声子音と して知覚されるが、破裂が強い場合は無声子音として知覚される場合がある。
(5) 語中の有声子音も、先行母音が狭母音や促音の場合、声帯振動を伴わず、中国語「無気 音」のようなタイプになることが観察された。
(朱, 2010: 65)
杉藤・神田(1987)の音響的、知覚的実験の結果でも上記 (3)と共通した特徴が見られ、
日本語の有声音は必ずしも声帯振動を伴わないことが明らかになっている。また、呼気流量 から見ると、語中の場合には日本語の有声・無声子音の呼気流量は中国語の無気音と同じく らいか、やや低かった。朱はこの現象について、「中国語話者が日本語語中の無声子音を 時々有声子音として知覚する原因であるように思われる(朱, 2010: 37)」と述べている。日 本語の有声・無声破裂音の特徴は、音の位置が語頭であるか語中であるか、前後の母音や特 殊拍などの音声環境によって異なり、出身地域によっても異なるようである。上記のような 特徴は、学習者の有声・無声破裂音の知覚と生成にも影響を及ぼすだろう。本研究では、知 覚能力(聴取能力)を測ることはしないため、以下より学習者の有声・無声破裂音の生成に
ついてのこれまでの研究成果を、実験方法なども併せて述べる。
CLの日本語の有声・無声破裂音習得研究には、方言差に注目したものが多い。中国大陸 の方言は一般的に大きく以下の7つに分類されている(王・一木・苞山, 2006)。北方方言 区、呉方言区、粤えつ方言区、閩びん方言区、 湘しょう方言区、客家は っ か方言区、贛かん方言区と呼ばれ、さらに その下位区分もある。音声特徴が異なるため、「中国語母語話者」と一括りにすることがで きず、日本語の音声習得においても母方言の差を考慮して研究が行われることが多い。日本 語の有声・無声破裂音の習得研究においては、北方方言話者と呉方言の下位区分である上海 方言話者の比較研究が多い。なぜこの2つの方言話者なのかというと、北方方言は有気・無 気の対立を持ち、有声・無声の対立を持たないが、上海方言の破裂音は、表420のように有 気・無気の対立に加えて有声破裂音も持っているからである。
表 4 上海方言の破裂音
両唇 歯茎 軟口蓋
破裂音 無声 無気 p t k 有気 ph th kh 有声 無気 b d g
CLの日本語有声・無声破裂音の生成については、VOT値やスペクトログラムなどのデー タに関して中国語母語話者と日本語母語話者のデータを比較研究したもの、中国語母語話 者の母方言や日本語レベルに注目し、習得過程について分析を行ったものなどがある。
江(2010)は、破裂音に関わるさまざまな持続時間を正しく実現できなければ、発話は日 本語母語話者に正しく知覚されない可能性が高いと述べ、1) 破裂音のVOT、2) 閉鎖区間21 の持続時間、3) 破裂音に先行する母音、4) 破裂音に後続する母音の4種類の時間的要因に ついて、語中破裂音/t/と/d/を対象に調査を行った。調査対象者は中国の東北地方出身者(北 方方言話者)で、日本国内に在住している10名である。平均日本語学習歴は3年(最短半 年、最長6年、標準偏差1.9年)で、平均日本滞在歴は1年(最短半年、最長3年、標準偏 差0.8年)である。学習者との比較対象として、日本語母語話者1名も調査に協力した。調 査語は、平板型アクセントで、CVCVCVCV構造を持つ無意味語 /kemeteke/と/kemedeke/(下 線部が語中破裂音)を用いた。実際の調査時には、「これは〜です」の〜の中に調査語を入 れて発話した。1)〜4) の時間的要因について音響分析を行った結果、以下のことが明らか
20 山本(2009: 20)を参考に筆者作成
21 破裂音を生成する際に声道が閉鎖している時間幅。閉鎖区間の持続時間は、無声音の方が有声音より 長いと言われている(江, 2010: 100)。