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日本の対応

ドキュメント内 表紙 (ページ 37-41)

1.3  軽水炉の進展とグローバリゼーション時代

1.3.7  日本の対応

(1)1990年代の停滞

 米国ではBWRとPWRのプラント発注が1973年までに終了し建設運転が進められていたが、

1980年代に入る頃には、初期トラブルによるプラント稼働率の低迷、TMI事故と規制の改善のた め苦難の道を歩んでいた時期であった。日本では1980年代に入り、第3次改良標準化で新しい ABWRとAPWRの設計を行った。また、初期トラブルに対する対応も順次行なわれて1980年代

後半にはプラント稼働率を日本の規制における上限に近い80%にまで高めることが出来た。高 度科学技術時代になり、1985年の日航ジャンボ機墜落事故、1986年のチェルノブイリ事故とチャ レンジャー号事故等科学技術への警鐘も鳴らされたが、経済もいわゆるバブルの時代で、日本 全体が自信過剰になっていた時期でもあった。

 1990年代に入り日本のバブルが崩壊すると共に、科学技術の進展による情報化社会となり、さ らに91年のソ連の崩壊によりグローバリゼーション時代となった。ABWRの柏崎刈羽6,7号機が 1996年と1997年に運転を開始したが、この時期には大きな事故トラブルが続発した。1989年の 東電福島第二3号機再循環ポンプ破損事故、1992年の関西電力美浜発電所2号機SG細管破断 事故、1995年の動燃もんじゅ2次系ナトリウム漏洩事故、1997年の動燃アスファルト固化処理施 設火災爆発事故、1999年のJCO事故等である。東電福島第二3号機事故や関電美浜発電所2号 機事故までは、原子炉開発初期からの学識経験者が適切な対応をしたが、それ以降は情報化 社会の進展もあり、社会的な問題となって適切な対応が出来ずに対応に手間取った。JCO事故 後に失われた10年を取り返すべく規制制度を含む改革を行おうとして21世紀に入ったが、2002 年に東電問題が発生して頓挫する等、その時々の問題への対応にとらわれてシビアアクシデント 対応を含む基本的課題において世界の潮流から次第に遅れることとなった。

(2)自然災害に対する備え

 日本では自然災害対策としては、地震対応が最重要と考えられ、当初から耐震設計に努力が 払われた。既述のように、詳細な耐震設計基準は日本電気協会で検討されてきたが、1978年に 原子力委員会の指針となり、原子力安全委員会の発足と共に1981年に大きな改訂がなされて耐 震設計審査指針となった。1995年の兵庫県南部地震を受けてその改訂の準備が進められ、

2001年に正式な審議が開始されて2006年9月に改訂された。また1990年位より計算機の能力向 上もあって津波に対する計算技術が進展しつつあったが、2004年のスマトラ沖地震によりインド のマドラス原子力発電所で津波によりポンプ室が浸水して冷却水取水ポンプが使用不能になっ たこともあって審議に反映され、地震随伴事象として施設周辺斜面の安定性評価と共に津波に 対する安全評価が加わった。指針改定から1年経たない2007年7月に新潟中越沖地震が発生 し、東電柏崎刈羽原子力発電所が被災した。変圧器からの火災も発生して火災対策・免震重要 棟の設置が教訓となると共に、地下の地震波の伝播挙動に対する知見も得られた。津波への関 心から産総研では2005年度より2009年度まで宮城県を重点に869年の貞観地震による津波堆 積物の調査を行ったが、この成果の国の評価が行われる直前に東日本大震災が発生した。

(3)2000年代の日本の停滞

 1999年のJCO事故後の規制改革として、2001年1月の中央省庁再編により経済産業省(経産 省)の中に原子力安全・保安院(NISA)が設置され、1990年代の失われた10年を取り返すべく

規制の合理化等の検討がなされた。しかし、2002年8月に東京電力の検査の不正、いわゆる東 電問題の発生があって進まず、独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)の設置が半年早 まって2003年10月となると共に、定期事業者検査と定期安全管理審査の導入がなされた。この 検査・審査は米国でなされた合理的な規制とは異なる方向であった。このように、諸外国に比べ てシビアクシデントの規制要件導入の遅れ、欧米に比べて合理的な規制導入の遅れ、プラント 稼働率の欧米並み対応への遅れ、原子力関連の規制が複数の行政庁に分かれていることや規 制行政庁のNISAが経産省の中にあることへのIAEA等国際的な批判への対応遅れ、等日本で は重要な課題があったが進まなかった。このようにして失われた20年となって2010年代を迎える こととなり、東日本大震災に伴う福島原子力事故となった。

1.4 まとめ

 以上、内田秀雄元原子力安全委員長の回想録等をベースに原子力の安全確保について米国 での軽水炉開発からの努力と日本の導入の状況を中心に記した。

 特筆すべきことは米国の立地基準では遠隔立地を基本としてきた。これに対して、国の面積が 小さい日本や欧州は遠隔立地とすることが難しく、事故対策を強化することにより放射性物質放 出の可能性を減らすことをベースに原子力発電所を立地しようとしてきたことである。従って欧州 では米国からの原子炉導入後、直ちに独自に改良を加えた技術開発を行うと共にシビアアクシ デント対応も早く、かつその基本は施設外防災対策を必要としないことを目標としていた。一方 日本では、米国と共に、あるいは米国に教わりながら進めるという方針が大きくは変わらず、独自 に事故対策を広く深く考えることが十分でなかった、特にシビアアクシデント対策では発生防止 に重点を置き、発生後の対応策が十分でなかったと考えられる。さらに防災対策においても、

TMI後そしてJCO事故後に整備を行ったが、実効性のある形まで進まないで来た。なおシビアア クシデント対応に関し、1990年に改訂された安全設計審査指針「第28条原子炉格納容器の機 能」で「原子炉格納容器設計用想定事象」を考慮することが定められた。この「想定事象」は炉 心損傷に至るシビアアクシデント事象への対策をすることを指して定められたものであるが明示 されていなかったこともあって十分伝承されず、産業界を含め積極的に対応を進めることになら なかったとも考えられる。

 またリスクに対する日本人の感情に関係するが、米国の安全目標では、リスク低減に効果が小 さいがお金がかかる対策は必要ない、というようなリスクベネフィットの考えに基づいた政策が 基本にある。しかし日本ではこのような考え方は国民に理解されがたいということで導入を避け てきたと考えられる。国民の間でのリスク概念の醸成とそれに基づいた対応策(リスクベース対 応)がいろいろな面でなされることが望まれる。

【参考文献】

(1)成合英樹:軽水炉の開発と冷却システム, 伝熱, Vol.52, No. 219, pp15-23(2013)

(2)内田秀雄「機械工学者の回想」、原子力安全研究協会(1997)

(3) Forging a New Nuclear Safety Construct,  The ASME Presidential Task Force on Response to Japan      Nuclear Power Plant Events, ASME (2012).

(4)「原子力とそのリスク」、NSA/COMENTARIES:NO.12、原子力システム研究懇話会(2004)

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