本章では、 ASEANのAFTA以前の域内経済協力措置の成立過程、実施状況や課題を考
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察した。 1976年以降、集団的輸入代替重化学工業化戦略の下で各国政府が主導して実施し た各種協力措置は、加盟各国の利害の衝突で、失敗に終わったこと、一方、 1987年にASEAN が集団的外資依存輸出指向型工業化戦略に転換して以降、域内協力措置の形成に巧みに外 資系企業の声を反映させたことで、民間企業自らが経営・生産効率を最大化する部品の集中 生産や相互補完を促したことを考察した。
もともと共産主義の脅威に対する連携した対抗、域内団結の強化を通じた大国による介 入の回避等、地域問題の連携した解決を目指し設置された ASEANが、日本との合成ゴム 問題で一定の成果をあげたことを機に、対域外集団交渉や域内経済協力の機能を備えるに 至ったロ設立 10年を機に発出した「ASEAN協和宣言」で、 ASEANは国連報告をベース に域内経済協力への取り組みを開始した口
ASEANは集団的に輸入代替工業化を目指し、域内貿易をインフラとして、大規模生産 と特化の利益獲得を目指した。特に、重化学分野の工業化は一国では達成が難しく、域内で の協力の必要性が認識されたロここで打ち出されたのは、 ASEAN共同工業フ。ロジェクト
(AIP、) ASEAN工業補完協定(AIC)、そしてそれらプロジェクトを域内貿易面で特恵関 税を付与し、域内流通を支援する ASEAN特恵貿易協定(PTA)である口
AIPは、概して経済水準や産業構造が似通っている加盟国間で、政府主導でプロジェク ト生成を図ったことから、担当産業を巡り各国の利害が対立、また他の加盟国の利益は自国 の不利益に繋がるとして、プロジェクト実施阻止に動く固まで出るなどにより、AIPは失敗 に終わった。
AICは、生産する部品が加盟国間の交渉で割り振られ、必ずしも民間企業の意向に沿っ たものにはならなかった。また自動車および同部品産業の担い手は主に外資系で、その合弁 相手も華人企業が中心で、あったため、AIC推進による地場企業から反発を警戒、その結果、
これら計画はほぼ履行されることなく頓挫の憂き目を見た口
PTAについても、加盟各国が特恵関税供与に慎重で、あったこと、自国において保護・育 成を図る品目や産業は無尽蔵に除外品目リストに組み入れた結果、実効性を持たない措置 になった口これらプロジェクトは期待された成果をあげることが出来ず、そのほとんどが頓 挫するなど、初期の域内経済協力は「挫折の 10年」で、あったロ
しかし 1980年代半ば、世界的不況と資源節約型イノベーションによる一次産品価格の 下落、プラザ、合意による円高ドル安の急激な進展など、 ASEANを取り巻く外部環境が大き く変化した。これを踏まえASEANは、 1987年の第3回ASEAN首脳会議において、域内
経済協力戦略をこれまでの集団的輸入代替重化学工業化戦略から集団的外資依存輸出指向 型工業化戦略に転換、外資系企業のイニシアチブを容認した。これを具現化したのが自社ブ ランド内での域内部品補完スキーム(BBCスキーム)である。 1988年にASEAN加盟3カ 国で開始されたBBCスキームは民間企業にイニシアチブを持たせた結果、企業自らが重複 投資を回避し、経営・生産効率を最大化する部品の集中生産や相互補完体制を構築、ASEAN の競争力強化を後押しするなど、自動車メーカーのコスト削減と競争力強化に高く寄与し た。こうしてBBCスキームはASEAN域内経済協力で初めて着実に実施されたスキームと なったロ