ASEANは1980年代後半から 1990年代半ばにかけて、持続的に高い経済成長を実現、
世界の成長センターとも称されるようになった。また 1993年には「東アジアの奇跡」 37と も呼ばれ、特に独裁政権下で政治的混乱や経済停滞が続いたフィリピンを除く ASEAN原 加盟4カ国は、「高度な実績をあげているアジア経済群」(HPAEs)として称賛された。
しかし、 AFTA実施から 5年目を迎えた 1997年、米ドルとのベッグ制を採っていたタイ の経済変調に目を付けたヘッジファンドが、通貨パーツの空売り攻勢を仕掛けた。これに対
しタイ金融当局はパーツ買いドル売り介入で対抗したロタイ政府はパーツ防衛に外貨準備 のうち約400億ドルを費やし買い支えたものの、間もなく限界を迎え、同年7月2日に管 理変動相場制への移行を宣言した口タイ政府は 1984年 11月以降、為替政策として主要通 貨のバスケット方式を採っていたが、バスケットの比重が米ドルに偏っており、実質的なド ルベッグ制で、あったロこの制度は、貿易や投資など米ドルを中心に経済活動を行う企業にと
っては、為替変動の影響が最小化出来るなど、タイに直接投資を惹きつける一因でもあったロ 通貨パーツの大幅な下落の影響を受け、タイ経済は 1997年で企2.8%、1998年には企 7.7%縮小したロまた、タイから発生した金融不安は、インドネシア、韓国、マレーシア、
フィリピン、香港等のアジア、さらにはロシアや中南米、東欧諸国へと次々と伝播した。そ の結果、 ASEAN全体の成長率も企7.3%に落ち込むなど、同地域にとって戦後最も深刻な 経済危機となったロ
清水(2011a、2018)は、アジア経済危機について、一面では後述する通り、各国で対処 できない経済問題に対しての ASEANとしての集団的な対処を促し、 ASEAN協力を強化 させた一方で、タイでは鉄鋼や自動車、マレーシアで完成車、フィリピンでは自動車部品の、
それぞれ関税が引き上げられ、またタイで予定されていた自動車部品の国産化規定の撤廃 の延期を招くなど、各国の自国産業保護を導く要因になったと指摘しているロ
有望投資先からの陥落に強い危機感を持ったASEANは、 1998年 12月にベトナム・ハ ノイで聞かれた第 6回ASEAN首脳会議で、首脳はアジア通貨危機に対し、 ASEANに投 資を呼び戻すべく、幾つかの措置実施を決めた 380この一つが、 AFTAの関税削減・撤廃の
37 World Bank (1993).
38 Severino (2006), p. 225.
加速化・深化である。
アジア通貨危機発生から 3カ月後の 1997年 10月に開催された第 11回AFTA評議会で は、経済危機について「幾つかの国が経験した一過性の経済や為替レートの変動は地域経済 の基礎的経済諸条件(ファンダメンタルズ)に影響を与えないj、その中でAFTAの実施は、
「外部不安定に対する ASEANの回復力の強化に向け、経済の長期的な調整を促す」との メッセージを発したのみで、あったが 39、翌 1998年以降、 ASEANは積極的な行動に出たロ 具体的には、同年10月の第 12回AFTA評議会でAFTAの加速化を決断した。その理由と してAFTAは、「競争力の改善と輸出主導による回復を果たすため、内在する脆弱性を除去 し、強園、再調整、そして経済のファンダメンタルズを強化し、経済に適した推進力をもた らす」こと、また、「長期的海外直接投資の有利な投資環境を形成するJこと等を挙げた400
ASEANはAFTA‑CEPT修正議定書で、先発加盟国は2003年(ベトナムは2006年、ラ オス・ミャンマーは 2008年)までに関税率 O〜5%の実現を目指していたが、これを加盟 国は次の要素を踏まえた個々の実質的な加速計画を持つことにした。その要素とは、①これ まで、 1999年まで一時的に関税削減から除外されていた品目(TEL)について、前倒しで 関税削減品目を特定すること、②これまで、関税削減から恒久的に除外されていた品目を 1999年に特定すること、③関税削減加速化のためセンシティブ(SensitiveList : SL)・高 度センシティブ(HighlySensitive List、以下、 HSL)な加工農産品を特定すること、④関 税率 O〜5%の品目数に対し、関税率0%品目数を2003年(ベトナムは2006年、ラオス・
ミャンマーは2008年)に最大化すること、⑤2000年までに関税率0〜5%化が予定されて いる特定品目の関税削減を加速化すること、である。
閣僚レベルの会議に続いて、 1998年 12月に開催された第6回ASEAN首脳会議では、
AFTA評議会決定の更なる前倒しを決断したD ここでは「大胆な措置(Boldmeasures) J と銘打ち、先発加盟国はAFTAの実現目標を2003年から 1年前倒しし2002年にするとと もに、品目数および域内貿易額で90%にあたる品目を2000年までに0〜5%化することを 決めた。また、加盟国個々にはAFTA特恵関税0〜5%のILに占める割合について、柔軟 性を付与しながらも、 2000年までには少なくとも 85%、2001年までに同 90%、2002年 までに 100%、にすることで合意した410
39 ASEAN Secretariat (1997).
40 ASEAN Secretariat (1998a).
41 ASEAN Secretariat (1998b).
後発加盟国については、 AFTA特恵関税 0
〜
5%の対象品目数を最大化する目標年次を、ベトナムは2003年、ラオスとミャンマーは2005年に、更にAFTA特恵関税0%品目数の 最大化について、ベトナムは2006年、ラオスとミャンマーは2008年に、それぞれ前倒し て設定した。
翌 1999年の第13回AFTA評議会では、 AFTAの最終目標を「O〜5%以下Jから「関税 撤廃」に変更し、 ILについて先発加盟国は2015年までに、また、後発加盟国は2018年ま でに、それぞれ AFTA特恵関税を撤廃することで合意した。また中間目標として、先発加 盟国は2003年までに品目数の60%で関税を撤廃することにした口
しかし、 2カ月後の 1999年 11月にフィリピンで開催された第3回非公式ASEAN首脳 会議で、自由化に向かつて更にアクセルを踏み込んだ。先発加盟国、後発加盟国の関税撤廃 時期を、それぞれ5年、 3年前倒し、 2010年、 2015年に設定することを決めた(表2‑4ロ)
関税撤廃措置の加速化は、特定分野を対象に、更に推し進められた。前述の通り、 ASEAN 各国は、 2004年 11月に開催された首脳会議で「ASEAN優先統合分野枠組み協定Jに調印
したロ対象となる自動車、木製品、ゴム製品、繊維、農産物加工、漁業、電子、 e‑ASEAN、 ヘルスケアの分野の品目について、関税撤廃を目標年次から 3年前倒しし、先発加盟 6カ 国は2007年 1月 1日までに、後発加盟4カ国は2012年 1月 1日までに、それぞれ撤廃す
ることにしたD
表2‑4 アジア通貨危機を経たAFTAの適用品目
υ I (
の関税撤廃スケジュール2002
"
"
'
... ~ l全品目を0‑
ASEAN先発i" M川 15%/品目
I C一部例外l
加盟国 I |数の60%を
I 容認) I
I 0%に ベトナム
ラオス ミャンマー カンボジア
全品目を 0‑5%
出所) ASEAN事務局資料をもとに筆者作成。
注1)各年の時点は、 1月1日。
2008年 I2010
全品目を 0‑5%
完全撤廃
全品目を 0‑5%
2012年 I2015年 I201s年
09‑色
優先統合IC全品目の
分野を0%17%は201s
I
完全撤廃(注2) |年まで猶 予)
注2)優先統合分野は木製品、自動車、ゴム製品、繊維、農産物加工、漁業、エレクトロニクス、 IT、ヘノレスケアの9 分野。
アジア通貨危機により、「多くのメディア解説者や学者からは、 ASEAN諸国は金融危機
によって自らの『貝』に引き篭もり、 AFTAは頓挫する、 AFTAは事実上死んだ」 42と見ら れてきた中で、逆に自由化の加速化を打ち出したことは、国際社会から驚きと称賛の声をも って迎えられた。これら加速化は「海外投資のASEAN離れ」を懸念する ASEANの強い 危機感の裏返しで、あったロ