第 4 章 統合生産システムにおける「支援的保護システム」を適用した実証
4.5 実証実験 4:支援的保護システムの妥当性実証実験
近年,Connected Industries や Safety2.0など,IoTや情報通信技術(Information and Communication Technology: ICT)を産業現場に活用することで,あらたな価値を生み出そ うとする流れが世界中に広まりつつある。一方で,昨今,多くの産業現場は IMS で構築され ている現状がある。IMS は,単体の機械を複合的に組み合わせた生産システムであるために,
ここで働く作業者には,機械の複合環境を熟知した上で個別の機械で作業をすることが強 いられる。これゆえに,IMS 現場では清掃等の非定常作業中において経験の少ない作業者に よる労働災害が発生している。機械安全国際規格ISO 12100(JIS B 9700)による安全確保 のためのリスク低減方策は,「本質的安全設計方策」,「安全防護及び付加保護方策」,「使用 上の情報提供」から成る3ステップメソッドを原則としている。しかしながら先の清掃作業 や調整作業のように,現場には機械を停止させずに行う危険点近接作業(保守・点検,修理,
清掃など)があるために,この原則のみではリスクを十分に低減できないことがある。加え て,ISO11161「統合生産システム(IMS)における安全性」でも危険点近接作業における有 効な安全確保手段は提供されていない。このように IMS での労働災害防止は人の能力や注 意力に依存する安全管理に頼らざるを得ないが,人の能力や注意力は災害防止対策として は不確定性が高いため,いったんヒューマン・エラーが生じると重篤な労働災害に繋がる可 能性がある。以上の状況から,今日の生産現場の実情に合わせた具体的なリスク低減戦略を 検討する必要があり,特に意図的な不安全行動やヒューマン・エラーの低減はリスク低減方 策の確実性を向上させるための非常に重要な使命といえる。
本章では,不安全行動の抑制に関して,平成 17から20年度にかけて厚生労働省,独立行 政法人労働安全衛生総合研究所(当時の名称。以下,安衛研)および社団法人日本鉄鋼連盟 との連携で開発した「ITを活用した新しい安全管理手法(以下,IT 活用安全管理)」を振り 返り,人の行動制御という心理学的観点から再考した。
次に,ICT を活用した新しい安全管理手法の一つとして開発した「支援的保護システム
(Safeguarding Supportive System: SSS)」を提案する。支援的保護システムは適切な ICT 機器の組み合わせでヒューマン・エラーの監視を自動的に行うものであるが,現場で有効に 機能するには,作業効率を阻害しないことが条件となる(これまでの経験上,作業効率を阻 害する安全対策は無効化されやすい)。そこで本章では,実験用作業現場に支援的保護シス テムを導入したモデルラインにおける有効性検証実験の結果と行動分析学的介入が作業効 率に及ぼす影響の結果を考察する。
4.5.2 IT 安全管理開発プロジェクトに関する行動分析学的視点の必要性
開発当時には明言していなかったものの,安全管理に ICTを活用する IT 活用安全管理手 法には,「作業者の行動を制御する」という目的があった。プロジェクトの目標として「不
ことがその理由である。暗黙的であれ人の行動制御に狙いが定められた背景には,2007 年 問題に代表される,当時の社会状況の変化に端を発する安全管理水準低下への強い危機感 があった。このため IT安全管理開発プロジェクトでは,ベテランの持つ状況認識やコミュ ニケーションの力を ICTで代替または補完することが念頭におかれた。さらに,鉄鋼業にお ける労働災害分析の結果,死亡労働災害全体の約60%が,設備対策が困難で人の注意力に依 存せざるを得ない(すなわち不安全行動による労働災害が発生しやすい)状況で発生してお り,その中でも死亡労働災害全体の約40%分は ITシステムによる支援が活用安全管理手法 の適用が見込めると推定されたことを根拠に,当該手法は不安全行動の抑制が可能である とみなされていた。
4.5.3 行動分析学的視点の必要性
支援的保護システムを生産現場に適用する場合,心理学上の問題点が明らかとなった。具 体的には,当初の支援的保護システム開発チームには心理学者が参画しておらず,IT 活用 安全管理手法の目的である人の行動制御,そして目標である不安全行動の抑制の実現のた めに人の行動の原理に則った手法検討と実際の行動測定に基づく評価は実施されなかっ た。
例えばIT安全管理開発の開発では,シャノンとウィーバーによるコミュニケーションモ デルを想定し(図4-29 参照),「作業者の行動は情報に基づくため,行動の誤りを防ぐため には,情報が確実に作業者に届くこと,作業者が情報を理解できること,の2点が重要」と 考えていた。したがって人に与えるべき情報の内容や,伝達手段を ICTで実装する方法を示 すことに焦点が当てられた。結果,IT システムを導入する使用者(ユーザ)に,要求機能 の検討を進める際の基本的な考え方と必要となる機能仕様の定め方と留意事項を示したも のとなり,システム共通基本仕様書または導入時の要求仕様作成ガイドの性格をもつこと となった。
図4-39 Shannon とWeaver によるコミュニケーションモデルの模式図
情報発信者 情報受信者
メッセージ 発信機 意図
受信機 解読内容 ノイズ 解釈
まり,ICT機器で情報を作業者に与えたとしても,安全行動が増えるとは限らないことがわ かる。作業に関する情報を必要な時に必要な場所で作業者に与えることは大切だが,不安全 行動を抑制するという目標を達成するには,行動の結果を ICT 機器で支援する検討も必要 であった。今後は「人の行動の原理に則り,行動を制御するための ICT機器を活用した安全 管理システムのあり方」の視点も付与する必要があると思われる。
4.5.4 検証方法についての考察
IT 活用安全管理システムの実用性や有効性の評価は実証試験方式で実施した。実際に鉄 鋼事業場にシステムを構築し,現場作業者に従来作業(IT 活用無し)と IT 活用有りを実演 し比較評価してもらったのだが,この方法にも問題が潜在していた。評価に関して,行動分 析学では,主観に基づく評価と実際の行動との間の乖離(一致しない)がしばしば指摘され ている。つまり,作業者へのヒアリング調査では実験者の態度が結果に影響した可能性があ り,また,結果そのものが作業者の主観に基づく点であったことが挙げられる。人の行動を 扱うシステムの評価では,主観に基づく回答のみではなく,行動測定等の客観的かつ定量的 な評価が必要と思われる。
4.5.5 システムモデルの必要性
今後は,行動を制御する観点から ICT 機器を活用したシステムのあり方等を描いたモデ ルづくりが必要と考える。こうしたモデルがあれば,IT 活用安全管理手法のように,ICTを 使って人の行動を制御しようとする場合には,工学と心理学の両分野の知見が必要となる こと,特に,人に関する部分は工学的視点のみで検討してはならず,行動分析学からのアプ ローチが必須となることを示すことができる。設計・開発者は,工学分野におけるモノの制 御方法と心理学分野でのヒトの制御方法は,異なることに留意しなければならない。特に Connected Industries や Safety2.0 等,従来は機械のみから構成されていた生産システム に IoT を用いて人を取り込もうとする分野では,このモデルが果たす役割は大きいと予想 される。
4.5.6 支援的保護システム下での行動分析学的介入例
IT 活用安全管理手法の類似システムとして,前述の問題点を考慮に入れ,IMS を対象とし た新たなリスク低減戦略である「支援的保護システム」を構築した。支援的保護システムは,
設計・製造者が ISO 12100/JIS B 9700の3ステップメソッドで低減した後の残留リスクを 対象に,適切な ICT 機器を組合せることにより人の注意力に依存することなく確実性の高 いリスク低減効果を得ることを目的とする。
これにより,いつ,どんな資格(ライセンス)と権限(能力,スキル)を持った人が,ど の機械を対象にどんな作業を行うのかが明確になり,作業者 IDと作業内容(対象機械)が
対する危険側エラーを防止することができる。但し,支援的保護システムは,すでに実施し ている教育・訓練・管理等の「保護方策」の存在が前提であり,これらの代替手段ではない。
今回,TOF3D(Time of Fright-3D)カメラとRFID(Radio Frequency Identification)タ グシステムを組み合わせた支援的保護システムを開発,実験用作業現場に導入し有効性検 証を行った。本論文では,作業者に対し行動分析学的な介入を行った実験結果と支援的保 護システム導入に関する有効性検証を行った。
4.5.7 実験の方法
社会人大学院生 10名(男性9名,女性 1名)を被験者とし,安全衛生総合研究所内に製 造現場の模擬ラインを構築した。実証実験用作業現場の模擬ラインの構成を図4-30に,全 景を写真4-69に示す。
図4-30 開発した実証実験用作業現場の模擬ライン模式図