第 6 章 NPG における「柔軟性」とイノベーション
1 イノベーションの意義と必要性
近年、地方自治体が主体として提供してきた行政サービスに、多様な主体、たとえば、
民間企業、NPO、地域団体、住民がサービス提供を担う「公共サービス1」の概念が台頭 してきている。このことは、2つの主要な要因があると察する。第 1に、地方自治体によ る行政サービスがサービス受益者である住民の期待に応えきれていないことである。第 2 に、長期化する財政逼迫により、行政サービスの拡大が困難になっていることである。つ まり、多様化・高度化する住民ニーズに対応して、限られた財源のなかで地方自治体が行 政サービスを提供していくためには、地方自治体が単体でサービスを提供することに限界 があるといえる2。多様な主体がそれぞれの立場から公共サービスの提供に関与することで、
有効性の高いサービスを創り出すことができると考える。公共サービスのすべてを地方自 治体に依存するのではなく、民間企業、住民、地域団体がそれぞれの役割を担い、サービ ス提供に関与することで、有効な公共サービスを創出することができると考える。
本章は、地方公共サービス3の有効性向上に資するため、ニュー・パブリック・ガバナン ス(New Public Governance:NPG)をもとに、イノベーション生成に向けた地方公共サ ービスのあり方について検討することを目的としている。つまり、公共サービス提供にお いて官民連携/官官連携といった協働関係を形成し、それぞれの主体が有する知見や経験 を活用することによって、公共サービスにイノベーションを生成させる方策を検討するこ とである。さまざまな主体が公共サービスの提供に関与することで、公共サービスそのも のの有効性向上に寄与し、わが国地方自治体における行政改革のさらなる推進を期待する ものである。
公共サービスにおけるイノベーションに言及する前提として、イノベーションの概念を 整理する。イノベーションという言葉が注目されるようになった背景には、1911年にヨー ゼフ・シュンペーターが『経済発展の理論』を発刊したことにある。シュンペーターによ ると、「新結合が非連続的にのみ現れることができ、またそのように現れる限り、発展に特 有な現象が成立する4」ことを経済発展の根本的現象と捉え、経済発展の形態と内容は新結
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合の遂行と定義されている。つまり、①消費者の間でまだ知られていない財貨、あるいは 新しい品質の財貨の生産、②新しい生産方法の導入、③新しい販路・市場の開拓、④原料 あるいは半製品の新しい供給源の獲得、⑤独占的地位の形成(新しい組織の実現)の5つ が新結合することで、非連続の変化を創出するときに経済発展がなされると言及している5。
1990年代において、イノベーションの普及に関する研究を代表するのがエベレット・ロ ジャーズである。ロジャーズは、イノベーションを「個人あるいは他の採用単位によって 新しいと知覚されたアイデア、習慣、あるいは対象物6」と定義している。また、クレイト ン・クリステンセンは、イノベーションを「持続的技術」と「破壊的技術」に区分してお り、製品の性能を高めるものを「持続的技術」、少なくとも短期的には製品の性能を引き下 げる効果をもつイノベーションを「破壊的技術」として示している7。研究者によって、イ ノベーションの定義は異なるが、共通することは、漸進的なものではなく、非連続から生 じる斬新的なものであるといえる。しかしながら、多くの場合、イノベーションは革新的 技術と理解されており、製品や技術へのR&Dからの斬新さが中心となっている8。
2000年代になると、製造分野だけでなく、サービス分野のイノベーションが注目される。
OECD は、斬新な、または著しく卓越した製品(商品・サービス)、プロセス、市場開拓 手法、体系的な事業実践方法、職場組織、対外関係をイノベーションと定義している9。ヘ ンリー・チェスブロウは、組織を越えた技術統合を企図したイノベーションとして、オー プン・イノベーションを提唱している10。
特に 2004 年には、プラハラードは、顧客との価値共創に向けたイノベーションの重要 性を主張している。プラハラードは「アウトソーシング、ビジネス・プロセス・リエンジ ニアリング(BPR)、従業員の削減などで、事業効率を高めることができるが、そこから 価値を生み出そうとしても、職員の士気や潜在能力といった点でおのずと限界が生じる11」 と言及し、価値共創に向けて積極的に顧客が関与する必要性を示している。つまり、企業 が中心となって顧客に価値を提供し、その価値を貨幣によって取り引きしていた時代から、
顧客と企業が一体となって価値を創造する時代に変遷しているため、企業が中心の価値創 造では、多様化する顧客のニーズを満たすことができないのである。そのため、顧客と企 業が経験を共有することを基礎とした、価値共創のイノベーションの必要性が示されてい る(図表6-1)。
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図表6-1 従来のイノベーションと価値創造のイノベーション
従来のイノベーション 価値創造のイノベーション イノベーションの対象 製品と業務プロセス 経験環境
価値の基盤 製品・サービス 共創経験
価値創造の発想 価値を創造するのは企業 価値とは共創するもの、個々の顧客を 中心に据えた価値の共創
開発の主眼 コスト、品質、スピード、モジュール 化
きめ細かさ、伸展性、連携性、進化す る力
テクノロジー観 機能、技術とシステムの統合 経験促進要因、経験の統合
インフラのねらい 製品やサービスの完成を後押し 経験のパーソナル化と共創を後押し
(出所)Prahalad, C. K. and V. Ramaswamy, The Future of Competition, Harvard Business
Review Press, 2004. 有賀裕子訳『コ・イノベーション経営-価値共創の未来に向けて』東
洋経済新報社、2013年、143頁。
わが国地方自治体では、まだイノベーションという概念は浸透していない。イノベーシ ョン生成を企図し、新たな取り組みに挑戦するため、予想しない事象が生じるおそれ、言 い換えるとリスクが生じるおそれがある。そのため、組織はリスクを管理することが求め られる。民間企業では、事業リスクを管理することは一般的な事柄になっているが、地方 自治体ではリスクを管理するといった概念が浸透していないため、イノベーションの概念 は十分に認識されていないといえる。
つぎに、業務改善とイノベーションの関係を整理することで、公共サービスのイノベー ションについて言及する。
2007年に英国地方自治体監査委員会(Audit Commission:AC)によって公表された『輝 く未来(Seeing the Light)』では、ますます高度化する住民ニーズに英国地方自治体が対 応していくためには、これまでの漸進的な改善手法(Incremental Improvement)では不 十分であり、革新的な手法(Innovative Approach)が必要であることが示されている12。 この報告書には、英国地方自治体の調査からイノベーションが行政サービスの VFM
(Value for Money:最少の経費で最大の効果)を向上させ、地域社会との関わりを強化 させる効果があると示されている。つまり、英国地方自治体では、住民の期待や財政逼迫 に対応していくためには、漸進的な業務改善よりも、斬新的なイノベーションが求められ ているのである。
ハートリーは、地方自治体における業務改善とイノベーションの生成パターンを図表 6
-2のように整理し、漸進的なアプローチと斬新的なアプローチの必要性を示している13。
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図表6-2によると、ブロックAは、業務改善もイノベーションも生成していない状態 を示している。この状態は、住民ニーズと行政活動が適合している状態、あるいは、改善 への無力感が組織に蔓延している状態である。ブロックBは、行動的管理会計手法14を適 用し、日常作業で改善活動に取り組んでいるが、劇的な変化や改革が生成していない状態 である。ブロックCは、イノベーションが生成されるが、改善活動に取り組んでいない状 態である。イノベーション生成が必ずしも組織内部ではなく、組織外部の要因によっても たらされる状態を示している。そのため、生成されるイノベーションには、期待に反して 失敗となる場合がある。ブロックDは、継続的に業務改善が取り組まれ、イノベーション が効果的に生成される状態である。この状態は、組織外部からの要因でイノベーションが 生成され、組織がその変化に順応していく状態にあることが示されている。
図表6-2 地方自治体における業務改善とイノベーション生成のパターン
業務改善(B)
・行動的管理会計手法を適用し、改善活動 に取り組んでいる。
業務改善+イノベーション(D)
・改善活動に取り組むとともに、挑戦的に イノベーションを生成していく。
業 務 改 善 も イ ノ ベ ー シ ョ ン も な い 状 態
(A)
・安定した組織環境を形成している。
・組織に無力感や閉塞感が蔓延している。
イノベーション(C)
・利用者にとって望まれていないが、選択 肢は拡大する。
・イノベーションは生成されるが、思わぬ 誤りや欠陥により業績が低迷する。
・利用者は、イノベーションとして評価し ない。
(出所)Hartley, J., “Innovation in Governance and Public Services: Past and Present,”
Public Money and Management, No.25, Vol.1, 2005, p.31.をもとに一部修正。
ハートリーによると、イノベーションを効果的に生成するためには、組織における業務 改善の活動状況を十分に考慮することが求められる一方で、業務改善が必ずしもイノベー ション生成に不可欠な要素ではないことが指摘されている15。この指摘は、シュンペータ ーが示すイノベーションの定義と適合している。つまり、非連続の変化を創出するときに イノベーションが生成されるのである。
業務改善を組織内部における改善活動と捉えると、継続的な改善活動から漸進的に変化 を導くものであり、業務改善が「非連続の変化」として位置づけることは困難である。そ 高い 高い
低い イノベーション
業務改善