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研究室年報

龍谷大学佛教学研究室年報 第1号(1985)

龍谷大学佛教学研究室年報 第1号(1985)

... 収録論文: 8 件 楠 淳証 著 良遍の「唯識観」 龍谷大学大学院仏教学研究年報 2-7 詳細 根無 一力 著 殺遅碁の喩について 龍谷大学大学院仏教学研究年報 8-9 詳細 伊藤 正順 著 『八巻本』と『六巻本』の比較研究 龍谷大学大学院仏教学研究年報 10-11 詳細 ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 005杉本 瑞帆「仏鉢礼賛の諸相」

龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 005杉本 瑞帆「仏鉢礼賛の諸相」

... 龍谷大学{弗教学研究室年報第 1 7 号 2013年 3月 最も簡潔な記述のものは AN であり、 「声聞優裟塞で最初に帰依した者の最上は商 人タパッスとパッリカである」としており四天王は一切登場しなし、 210 ほかの経典と 比較しても物語性はなく特徴的である。また、康孟詳訳出の『修行本起経j] 22 と『中 本起経j] 23 は提謂・波利二人の三帰五戒が説かれるもの[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 001表紙・目次等

龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 001表紙・目次等

... 『仏教学研究年報』第十九号をお届けします。 研究を志す大学院生や研究生にとって、研究の成果を発揮する場は大事 です。自分の研究を衆目に晒して検証してもらうことは、研究の深化に繋 がります。この『龍谷大学仏教学研究年報』は大学院生・研究生諸君の ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 005長崎 陽子「大正期における仏教社会事業論について」

... 8 6 飽谷大学悌教学研究室年報第 1 1 号 2001 年 3月 を行うことが、与えるだけの唯物的な慈善事業の問題を解決するものである ことを提言した。さらに、社会問題の発生を防ぐということにも努めなくては ならないことを述べ、大正中期以前の救貧を目的とする当時の慈善事業から 脱却し、防貧を目的とする社会事業へ移行する必要性を論じている。 渡辺は、社会事業の性格の一つ[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第3号 008青原 令知「『勝義空経』について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第3号 008青原 令知「『勝義空経』について」

... 知是広説。乃至純大苦緊温。 滅即名色滅。名色滅即六処滋。六処滋 則六入滋。六入櫨則更楽滅。更梁鼠則痛温。痛滋則 ~~馳滋。触瀧P受話。受温即愛滋。費 費泊。費温則受滅。受滋則有瀦.有誠 " I J 生温.生滅 滅即1Ti温。取滋即有誠。有温即生語。 則死滅。死滅則怒憂苦悩皆悉滋。 生温即老死憂悲苦悩活。如是即一大苦 殖滅。 尽隙値号之法。 耳縄舌身意法亦復如是。[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 002島 香苗「源信の浄土思想について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 002島 香苗「源信の浄土思想について」

... 闇梨が自分の代わりに妙空を結衆に入れてやったということ である。ちなみに、妙空は根本結縁衆の第五番目に名前が出 てきている。 ここで、先程の堀氏の論に対する疑問が出てくるのである。 妙空は、根本結縁衆の第五番目に名前が出てきていることか ら、寛和二年には二十五三味会に結縁していたものと思われ る。ぞれにもかかわらず、永砕元年(九八九)十一月十一日 の死 A 6 2 が近[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 005松島 央龍「*Gatharthasamgraha第4偈」

龍谷大学佛教学研究室年報 第13号(2007) 005松島 央龍「*Gatharthasamgraha第4偈」

... よって、 GAS における器世間の特徴は、今回比較に使用したリストの中では、 AS のみ に説かれている孤地獄を採用していること、および AKBh での五道説を捨て、 AS や『聡伽 論』に採用される六道説を取っていることである.したがってこのリストのみに関して は 、 GAS は AKBh よりも AS など 1 3 、唯識系の宇宙観の影響下にあるとみることが出来るで[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 002ウィックストローム, ダニエル「法界縁起と如来性起」

龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 002ウィックストローム, ダニエル「法界縁起と如来性起」

... このように、法蔵は性起を果位の起用に限定して強調している が、この点は性起が二乗や地獄までの諸位に通じて普賢行によっ て発起すると述べた智僚と異なる。殊に既述したように、智僚は ﹁性起品﹂の原文にある﹁二処不得生長﹂を解釈するにあたって、 地獄や声聞に性起があると解釈した。一方、法蔵は同じ記述に基 づいて、﹁如下文薬樹王生牙時一切樹同生等。若従此義、初発菩 提心己去皆性[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 004蜷川 祥美「蔵俊の浄土観について」

龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 004蜷川 祥美「蔵俊の浄土観について」

... 若化土者仏地論云、随菩薩所宜、或在色界浄居天上、或 在西方等処所不定、今取相而言西方有二土若登地菩薩各 見他受用土若地前生者便見化土。 ( S V とある。つまり、﹃仏地論﹄を引き、化土において、菩薩の 所宜に随って、登地の菩薩は他受用身を見、地前の菩薩は化 土と見るとするように、他土そのものが、実は他受用土と重 なり合うとしているのである。言い方を変えるならば、この [r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 004櫻井 良彦「瑜伽行派における衆同分」

龍谷大学佛教学研究室年報 第11号(2001) 004櫻井 良彦「瑜伽行派における衆同分」

... a 1 7 ・ a 2 5 ) かの種類(衆同分)は、六種類である。即ち、①界の種類(界の衆 同分)、②趣の種類(趣の衆同分)、③生の種類(生の衆同分)、④処 所の種類(処所の衆同分)、⑤自身の種類(多様な性質としての衆同 分)、⑥性の種類(種姓の衆同分)である。 ①界の種類(三界の衆同分)とは、〔例えば〕欲界の衆生にある、欲 界の衆生の種類(衆同分)である。色・無色界[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 004西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(1)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 004西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(1)」

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龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 006西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(3)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 006西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(3)」

... 利他を特徴とする果報は「最勝の乗りものをもって,人々に対して,生まれ, 年齢, (四〕姓,場所,時を逸脱せず,異教の創始者,声聞,独覚のすべてと共 有しえない縁起という最高の宝石を,世俗と勝義の諦に依って,生・不生などの 表現をもってお説きになられたのである」という〔文言〕によって述べられてい る.以上が意味のつながりである.. 3 意味のつながりの結びつき そこで,意[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 003西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(2)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 003西山 亮「Prajnapradipa-tika第一章和訳(2)」

... 悪見の網を鎮める(性質を)もつ 24< 智恵の完成の教理〉を,師である御前 さま (Nagarjuna) は偏頒のみによってお説きになられた.しかし,同門の ある者たちは(師 Nagarjuna がお示しになったことを〕理解していない.. この PP の文言に対してなされた諸研究者の翻訳は以下の通りである(どの括部もすべて原著 のまま).特に,拙訳の「推論と論破の[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 005吉田 哲「Pramanasamuccayatika 第一章 Vadavidhi 批判試訳」

龍谷大学佛教学研究室年報 第15号(2010) 005吉田 哲「Pramanasamuccayatika 第一章 Vadavidhi 批判試訳」

... 104-146 "KamalaSila'sInterpretationof`non -erroneous'inthedefinitionof directperceptionandrelatedproblems",ToruFunayama (Dharmakiri'sThoughtandItsImpactonIndianandTibetan Philoso[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 004早島 慧「複合語解釈からみた「勝義(paramartha)」」

龍谷大学佛教学研究室年報 第17号(2013) 004早島 慧「複合語解釈からみた「勝義(paramartha)」」

... なお,本稿において示す「勝義 J の複合語解釈は管見の限りのものであり,当然筆者が見落と したものも多々あると思われる.本稿において示すことができなかったものについては,識者 のご指摘を賜りたい.. 料園測造『解深密経疏』には多数の「勝義」の複合語解釈が確認されるが,そのうち以下の箇 所は,この MAVBhの解釈と一致する.. ) まさに,その可得が智慧によって仮設され[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 007E.Steinkellner・乗山 悟 「Dharmakirtiにおける刹那滅論証の発展」

龍谷大学佛教学研究室年報 第7号(1994) 007E.Steinkellner・乗山 悟 「Dharmakirtiにおける刹那滅論証の発展」

... 最後の文章はチベット訳には対応がないので、あるいは漢訳段階で挿入された語句の注 解かもしれない。 S 論証法が帰謬的形式をとる必然性は Dharmakirti の新しい論理学以前では直接論証が能力的に限界づ けられることにより説明されよう。類推に基づく旧来の論証形式が、類似した事例なくしては成り立た ない様に、 Dignaga の形式論理学に従った直接論証も主張と根拠の[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第14号(2008) 003濱野 弘胤「『倶舎論』にみられる「思」の解釈」

龍谷大学佛教学研究室年報 第14号(2008) 003濱野 弘胤「『倶舎論』にみられる「思」の解釈」

... sa'pi ca vijfiaptir bhavadiya sati vidyamana avijfiapter aksepe utpidana-cetanaya balarn samarthyarn nibhalayate apeksate. kasmat jadatvad apatuvac cetana-balam antaren[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 003桑月 一仁「『転有経』第2偈の引用文献」

龍谷大学佛教学研究室年報 第19号(2016) 003桑月 一仁「『転有経』第2偈の引用文献」

... 名字名字空 名字離名字 諸法無名字 以名字而説(菩提流支訳: T14.949a6-7) 彼不在於彼 法眼見無色 所言見色者 世間執著故(佛陀扇多訳: T14.949c5-6) 由名名性空 於名名不有 諸法名本無 妄以名詮名(義淨訳: T14.950b10-11) このうち BhSS k.2 が諸文献にどのような意図で引用されているのかが問題と なる.瑜伽行派においては,[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 004西山, 良慶「良遍撰『転換穂本質事』「二乗転換本質事」翻刻読解研究」

龍谷大学佛教学研究室年報 第22号(2018) 004西山, 良慶「良遍撰『転換穂本質事』「二乗転換本質事」翻刻読解研究」

... 良遍撰﹃転換本質事﹄﹁二乗転換本質事﹂翻刻読解研究(西山) 心自在を理由とするならば、これらの﹁種生現﹂の論理を飛び越えて土石を金銀に変じたとしても一見、良いようにも思われる。しかし、 種生現の論理や法相について了達しているからこそ、菩薩はその論理を離れることなく不思議の境界を示すのである。このように不思議の 境界を論理的に理解しようとする点はすこぶる唯識的であり、また[r] ...

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龍谷大学佛教学研究室年報 第9号(1996) 003Frauwallner.Erich・那須 円照訳 「アビダルマ研究(Abhidharma-studien) : V.Der Sarvastivadah(説一切有部)(1)」

龍谷大学佛教学研究室年報 第9号(1996) 003Frauwallner.Erich・那須 円照訳 「アビダルマ研究(Abhidharma-studien) : V.Der Sarvastivadah(説一切有部)(1)」

... (もし、過去が実体として存在し、 未来も[実体として存在する]ならば、どうしてそれが過去と呼ばれ、或いは未来と [呼ばれる]のか。) ( 13 ).[r] ...

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