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化学と生物 Vol. 55, No. 1, 2017
ボイジャー1号の見る景色
安枝 寿
味の素株式会社イノベーション研究所日本農芸化学会
● 化学 と 生物
巻頭言 Top Column
Top Column
1977年9月,宇宙探査機ボイジャー 1号 が太陽系外惑星および太陽系外探査のため に打ち上げられた.そして2015年1月時点 で太陽から約195億km離れ,それは光速 でも約18時間以上かかるところを飛行し,
現在も,地球から最も遠くにある人工構造 物となっている.すでに末端衝撃波面を通 過し太陽圏を脱出したフロンティアフライ ヤー・ボイジャーの眼前にはいったいどん な景色が広がっているのだろうか.
1982年,生命の神秘を解き明かすことを 夢見て,理学部の遺伝学教室にて私の研究 人生はスタートした.そこでは大腸菌が保 持する天然プラスミドの複製制御機構の解 明に向けて取り組んだ.まだ塩基配列決定 法としてはRI標識を用いたMaxam‒Gilbert 法しかない時代であり,それも日本で数カ 所しか実施できない先端技術であったが,
自律複製領域の約2.4 kbpのDNA断片を決 定するのに約1年かかった.しかし,週ご とに現像されたX線フィルム上に浮かび 上がるバンドから,数十塩基ないし運よく ば200塩基ほどを読み取り,それを方眼用 紙のマス目にG, A, T, Cと1文字ずつ転記 し,解読した塩基配列が伸長するだけでワ クワクした.充実した配列データベースは もちろんのこと配列解析用ソフトはなく,
肉眼でその配列上に出現する奇妙な繰り返 し構造や長い逆位反復配列を見つけ出して は,その意味するところを推論し検証し て,それらの特徴づけが少しわかるたび に,この解明しつつある「自然の仕組み
(理)」は自分が世界で初めて見ている景色 であり,大袈裟に言えば,この世の創造主 に近づいているような感覚にさえなった.
その後,理解した原理を応用したいとの 思いに駆られ民間企業へ就職し,そこで
「農芸化学」と出会った.当初は農芸化学 の混沌とした世界に戸惑ったが,生物の進 化系統樹のように主課題からどんどん派生 し変幻自在に展開する学問の面白さを知っ た.2000年頃,アミノ酸発酵菌の生産性 を高める研究にロシアの共同研究者らとと もに集中して取り組んだ.生産菌での各遺 伝子の発現調整と培養評価を繰り返し,多 忙を極めたが,同時にさまざまな議論を戦 わせつつも時間に縛られない大切な ゆと り もあった.そして,ある日,レシート
状の紙に印字された培養液中のアミノ酸濃 度の数字を見てようやく実験が成功したこ とを実感し,まさに農芸化学の醍醐味を味 わった.今でいう代謝工学である.異種微 生物の代謝経路をアミノ酸発酵菌へ 上手 に 移植することで生産性は飛躍的に向上 することがわかったが,この 上手に と いう点が農芸化学のもつ 妙 とも言えよ う.こうして限界と思われていた生産性の 壁を打破する革新的な製法の可能性をつか み,応用研究領域でも新たな景色が眼前に 広がった瞬間でもあった.
時代が移り,昨今では,大学においても 研究の競争的視点が強く浸透し,特に期限 付き雇用という重圧のなかで戦っている研 究者も多い.息つく暇もなく実験作業がさ まざまなキットを利用して盲目的になされ,
また,日々公開される膨大な量の論文や技 術情報の波に襲われながら,論文の量産が 急がされているとも聞く.企業でのバイオ 研究においても,欧米での先進ロボティク スを用いたHTPスクリーニングや評価技 術による物量攻撃にさらされながらも,成 果創出と仕事の時間生産性の向上が厳しく 問われ始められている.ワークライフバラ ンスが重要であることには間違いないが,
研究者のWorkの中に余裕がなくなってお り,脇目も振らずに手元だけを見るのに精 一杯というようになってはいないだろうか.
新たな真の価値の創造には ゆとり や 遊び心 も必要である.そうでなければ,
パラダイムシフトを起こすような研究はも とより,深みある成果ではなく,予定調和 的な作業結果だけが山積されることになり はしないだろうか.
真理の探究から応用科学の世界へと私の 研究遍歴の旅も相当の距離を飛行してきた が,未踏の世界へのフロンティアを果敢に いく学生さんや若手研究者に,「どんな景 色が見えていますか?」と.ちょっと一息 ついて顔を上げて素直に眺めてみてほし い.そして,彼ら・彼女らを大いに応援し たい.そこには最前線に立つ者しか見るこ とができない景色があるはずである.
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会 DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.1
プロフィール
安 枝 寿(Hisashi YASUEDA)
<略歴>1983年大阪大学理学部生物学科 卒業/1986年同大学大学院理学研究科生 理学(分子遺伝学)専攻博士課程中退/同 年味の素株式会社入社,中央研究所/1993 年理学博士取得(大阪大学)/2005年同社 食品総合研究所,発酵技術研究所を経て,
ライフサイエンス研究所部長・主席研究 員/2013年イノベーション研究所上席研 究員,現在に至る<研究テーマと抱負>よ り豊かな食資源の拡充に貢献できる微生物 工学とバイオナノテクノロジー<趣味>
オーディオ,音楽鑑賞と美味しいお酒,信 号機と渋滞のない道でのドライブ
日本農芸化学会