社
会系教
科教
育学会
『社会系教科教育学研究』第12
号 2000
(pp.
97-104)
自立的な価値観の形成を目指す社会科論争問題学習
−
「ア
メ
リカの社
会
的論
争問題
」
を事例
と
して
−
The Issues
一 Centered Approach in Social Studies Class to Develop
Children's Independent sense of Values:
In the Case of Curriculum Unit
“American Social Issues
”
I
は
じめ
に
一問題
の
所在
一
経済
的に
も豊か
にな
り
,
民主
的な
政治
体制
や
制
度
が
整
った
現代
に
お
いても
な
お
,私た
ち
は
日常の
生活の
中で様
々な社
会
問題
に
直
面
して
いる
。例
え
ば
,臓
器
移植
の
問
題が
あ
る
。医療
技
術の
発
達に
よ
り
,
以前
な
ら命
を救
う
ことが
で
きなか
った
深
刻な
状態の
人も
,臓
器
を移
植す
る
ことに
よ
って
生
きる
望み
を持
つ
ことが
で
きる
よ
うに
な
った
。臓器
移
植
法
が
成立
,施行
され(1997
年)
,人
々は臓器
提
供意
思表
示
カ
ー
ド等に
よ
って
提供
す
るか
どうか
を自
己
決
定で
きる(実
際の
提
供
に
あた
っ
ては
家族の
同意
の
他
条件が
い
くつか
ある)
。
しか
し,この
ことに
対
しては
脳の
機
能
を基準
に
した
死
を
受け入れ
られ
な
い人
々か
ら反対
や
批判
も起
こっ
て
いる
。法
的に
は
脳
死
段階の
臓
器
移植
は
認め
られ
た
とは
い
え
,
自
分
または
家族が
臓
器
提供
に
同意
す
るか
どうかは
一
人ひ
と
りの
自己決
定
に任
され
て
お
り
,我
々は
この
問
題に
つ
いて
無
関心
では
い
られ
な
い
とい
う状
況に
おかれ
て
いる
。臓
器
移植の
問題
だ
け
でな
く,
どの
よ
うに
行
動すべ
きか
に
つ
いて絶
対
的
な共
通の
規範
が
な
く
,各
自に
判断
が
委ね
られ
て
い
る社会
問題は
数
多
くある
。出版
物の
検
閲
とい
う言
論の
自由規制
に
関す
る
問題
か
ら
,大規
模
開発
に
つ
いての
環
境
を
保
護す
るか
経
済
的繁
栄
を求
め
るか
とい
う問題
ま
で
様
々で
あ
り
,それ
らは
論争
問題
と呼
ばれ
る1)
。
とこ
ろで
,学校
教
育
,特
に社
会
科教
育
は
子
ども
た
ち
に
,
これ
らの
問題
に
有効
に対
処
し得
る
力を育
成
し得
てい
るだ
ろうか
。結
論か
ら言
えば
,現実
に
は
不
十分
で
ある
と言わ
ざる
を得
な
い
。基礎
・基
本
と呼
ばれ
る
事項の
説明
に
時間
を費
や
し
,現
実の
論
争
問題
ま
で
扱
い
きれ
な
い
と
い
うの
が
現
状
で
あ
ろ
う
。
それ
を打破
す
るね
らいも
あ
って
平成10
年度の
学習
−
典
剄
敏
大
原
山
藥
屓
指導要領の改訂では
,匚
総合的な学習の時間」が
導入された
。確かに匚
総合的な学習の
時間」にお
いては
,子どもの
自主的自発的な活動が重ん
じら
れ
るため
,論争問題について子どもは
自由に活発
に意見を述べ
ることができる
。しか
し,それは
,
子
どもが浅い社会認識と自分の持っている価値観
に基
づいて決断
しているに過ぎない
。
したが
って,
自ら意見
を表明する態度の
形成や議論の方法に
つ
いては習得
し得ても
,その
問題に
ついてよ
り高度
な思考
・判断ができるようになったとは言い難
い
‰論争問題
を取
り上げて学習することの
目的
は
,意見
を表明
した
り話合いをした
りする場
を提
供することだけではない
。学問的探求や徹底的な
科学的研究に基づいて
,その
問題に対
してできる
限
り合理的な解答
を導き出せる
力をつけてやる必
要が
あるの
ではないか3
)
。問題に対処する
力は,
問題について徹底的に探求
してい
くことによって
しか
育成され
得ない
。論争問題学習は
,その
よう
な探求を体
系的
・計画
的に行な
うことの
できる社
会科の中で取
り扱われ
るべきである
。問題
となる
の
は
,社
会科における論争問題学習では
,どの
よう
な
問題
を取
り上げ
,それ
らをどの
よ
うに構
成
し,
ど
の
ように教授
していけばよいか
ということである
。
本稿では
,上記の
ような問題意識に基づいて,
論争問題
を中心に構成され
る社会科カリキ
ュラム
の原理を考察
していく
。その方法
としては,まず
次章において
,これまでの
問題中心の社会科教育
論に関する研究
を検討
し
,現代の論争問題に適
し
たカ
リキュラム
理論
・方法は何か
を解明する。そ
して
,第Ⅲ章以下においては
,そのような考え方
を比較的明瞭に反映
していると考
えられる具体的
な事例を分析
しながら論
を展開
していくことにす
97−
る
。最終的には,その
ようなカリキ
ュラム
の内容
構成原理や授
業構成原理
を示
し
,それ
らが持つ教
育的意義について考察
していきたい
。
n
子
どもの信念の成長を促す論争問題学習
1.論争問題学習の諸理論
現代の
論争問題を扱うカ
リキュラムの原理は
,
学習を通
じて
,生徒の論争
を批判的に吟味する能
力を高めるもの
でなければならない
。また
,判断
の拠
り所となる価値観や信念を成長させ
るもの
で
なければならない
。なぜな
ら,現代の論争問題は
容易に合意が得られ
るものではな
く
,む
しろ個々
の価値観に基
づく合理的な判断に解決が委ね
られ
るも
のであるからである。
論争問題学習を社会科の原理
とす
る研究はアメ
リカ合衆国においては1960
年代後半か
らの
「新社
会科
」の中で積み重ね
られ
てきた几日本におけ
る研究は
,それ
らの
アメ
リカの研
究を紹介
,分析
・
検討する形で行なわれ
てきている5
)
。その代表的
な論者と
してはメ
トカ
ー
フ,オ
リバー
,
マシャラ
ス
,シ
ェー
バー等が挙げられ
よう。この
四者の
う
ち
,オ
リバー
,マシャラス
,シ
ェー
バーは論争問
題学習のね
らいを合理的な意思決定力や判断
力の
育成と捉えている。まず
この
三者に
ついて検討
し
よ
う。
論争問題の解決へ向けての意思決定過程は次の
よ
うな段階を経
ると言われ
ている
。
①
民主主義的な価値意識の
形成
。
②
問題状況の事実関係の正確な把握
。
③
問題解決のための可能な選択肢に
ついて
,その
結果の
予測と評価。
④
対立す
る価値よ
りもよ
り高次の価値に照
らし合
わせての決断6
)
。
マシャラスは
この
うち②③の段階に基づく意思
決定力の
育成を重視
し
,判断の根拠
としての
科学
的な事実認識を重視する
。それ
に対
してオ
リバー
とシ
ェ
ーバー
では
,オ
リバー
が論争
問題の内容自
体の認識を重視
し
,それ
に対
してシ
ェー
バーは意
思決定
力の育成にむ
しろ重きをおくという違いは
あるものの
,いずれ
も価値判断の段階を重視
して
いるという点で共通
している
。オ
リバー
は匚
法制
的フレ
ーム
ワー
ク」と呼ばれ
る社会的価値に照
ら
して,シ
ェーバー
では第三のよ
り高次の価値に訴
える
ことで判断することを求めている。
現代の価値が鋭く対立する論争問題を扱うなら
ば
,価値判断過程を重視したオリバーとシェーバー
の理論の方がより適していると言えるだろう
。し
かし
,両者とも最終的な判断は,対立を解消する
ため第
三の,社会的に見てより高次の価値に照ら
して選択肢を採用させようとしている点て限界が
ある
。現代的論争問題では,例えば臓器移植の問
題にしても
,そのような高次の価値を想定するこ
とは困難であるし
,これらの問題は対立を解消す
べく決断するというよりも
,対立を前提に個々人
が自分の価値観に照らして判断するものだからで
ある。
一方,対立を対立として受け止めさせ,そのよ
うな社会における意見の対立は
,個の内面におい
ても葛藤として生じ
,その葛藤が信念を揺るがせ,
変容させるというメ
トカ
ーフの考え方は注目に値
する
。彼の理論は以下のようにまとめられる。
すなわ
ち
,パー
ソナ
リテ
ィーの
形成を文化的文脈
の
中で捉
え
,真の問題をアメリカ文化のclosed area
における論争問題に
一致した信念に限定
し,それ
を
反省的に吟味させることによって,生徒の内面性の
育成
を達成せんとするとき
,そこには,
「 ̄
『何のため
に』
『何
を』
『どう教えるのか』
」という目標
・内容
・
方法が
一つの問題として追求されており,それ
を可
能
ならしめ
る論理が展開され
ている7
)
。
論争問題学習を意思決定力や判断力の育成とい
っ
た目標達成のための手段として捉え
,学習過程に
重点をおくのではなく
,子どもの内面性を育成す
る教育内容として論争問題の特性に着目し
,目標
と内容
,方法が一体化した論争問題学習の原理を
提
示している点が,先の三者との大きな違いと言
えるだろう
。また,
closed area
についてはメ
トカーフは次のように述べている。
closed area
は
先入見やタ
ブ
ーで満たされ
てお
り。
そこでは
,信念や価値観の不一致や相互の
矛盾が行
動
を支配
している8
)
。
すなわち,
closed area
とは
,社会全体で意見が
対立するばかりでなく
,個々人においても信念が
対立するような問題領域であり
,さらにそこは偏
見やタブ
ーといった合理的な思考を阻害する要因
に支配されており,人々はそれらに従って情緒的
に行動するというのである
。
したがってこの
closed
a
r
e
aにおける信念
を反省的に吟味するこ
とは
,子
どもにとっては
内面の葛藤を克服
し,内
的成
長をとげる
ことであ
り
,
社会にとってはclosed
area
における問題を解消することにつながるの
である
。また
,その反省的思考の過程は
,
「 ̄
信念
(先入見)→疑い→意見
(洞察
,仮説)→吟味→
吟味された信念
」9
)
という展開を経る。最初に選
択され
る信念とは
,何
らかの論争問題に関連
し,
生徒の
多くが保持
しているもの
である
。この
よう
な信念に疑問を抱かせ
過程が反省的思考の過程なのである。
,それ
を吟味
し再構築する
この
ようなメ
トカ
ー
フの社
会科教
育論は,
closed
area
の設定をは
じめとして彼独自のアメリカ
社会の
分析に基づいたもの
であるということと
,
1960
年代とい
う時代的な問題を考慮すると
,現代
の
論争問題学習に適用するうえでは限界が
あると
いうことは否定できないが
,次の
ような点につい
ては
示唆を与えてくれる
と思われ
る。
①
子どもの内的葛藤
を促
し
,それ
によって信念の
変容
・成長
を促すという目標設定。
②
問題は価値や信念といったその社会の
文化の
中
核に関わるもの
であるという内容選択の原理
③
それ
らの価値や信念を反省的に吟味
していくと
いう学習原理
以上の議論
を踏ま
えると現代
的論争
問題学習と
しては
,論争問題の認識
を通
じて,子
どもの内的
葛藤
を生み
,信念の成長を促す
ようなものが求め
られ
ていると言
えるの
ではないだ
ろうか
。
2
.
『ア
メリカの社会的論争問題』の全体計画
次章か
らは
,前節で明らかになった論争問題学
習の原理
を比較的明瞭に反映
していると思われ
る
『アメリカの社会的論争問題(American Social
Issues)
』
(以下
『論争問題』と表記する)を取
り
上げ
,論
を展開す
る。まず
,本節
ではその全体的
な概要を説明する。
『論争
問題』は,
Ann Breil, John A.Santoro,
James A.Wasowski
という3人の熟練
した社会
科教師に
よって開発された後期中等教育用の教材
である
。目標や教授手順と生徒に配布する資料が
含まれ
る
一冊の
カリキ
ュラムユ
ニッ
トと
して出版
されている。そのね
らいについては序章において
次のように述べ
られ
ている。
ア
メ
リカの
生徒た
ちは
多元的
な国
家
共同体の
一員
であ
る
。文
化
,価
値観
の違
いや
社会
的
に重要
な
国家
的論争
に
対
して
関心
を持た
せ
る
ことが
できず
それ
ら
を
受け入れ
させ
る
ことが
で
きな
けれ
ば
,生徒
た
ちが
教
育か
ら得
られ
るもの
は
著
しく制
限
され
て
いる
こ
と
にな
る
。生徒た
ちは
証拠
を吟
味
し,対
立す
る見
方
を
踏
ま
えた
上で
責任
ある決
断
を
し
,自
由に考
え選
択
し
た
こ
と
を実行
す
る
こと
を学
ば
な
けれ
ば
な
らな
い10)
。
文化や価値観の違いから生
じる論争問題に関心
を持たせ
,認識
させることの重要性だけでなく,
それ
らを徹底的に吟味
し
,責任ある判断ができる
能力を育成することの必要性が説かれ
ている
。
『論争問題』は文化や価値観の
対立か
ら生
じる
社会的論争問題
を取
り上げ
,それ
についての唯一
の解決策を探求するのではなく
,問題に対する信
念を吟味
し
,対立
を踏ま
えた上で責任ある自分な
りの決断ができる
ことをね
らいと
したカリキュラ
ム
であり
,本研究の問題意識に答
えるための分析
対象としてふ
さわ
しいと言
える
。
Ⅲ
ア
メリカ文化の危機の克服
一内容編成原理
−
1.全体構成一ア
メリカ文化の諸領域が直面して
いる危機的状況−
『論争問題』の全体構成は
,子どもが,現代の
アメリカ社会において広く抱かれ
ている様
々な信
念
を批判的に認識
できるよう
,アメリカ社会の文
化の諸領域が直面
している危機的状況か
ら組織
さ
れ
ている。
『論争問題』の全体計画は表川
こ
示
した通
りで
ある
。表扣
こ
は各パー
トを大単
元の表題と
して,
大単
元を構成
している各課
を小単元と
してその表
題
を示
している
。大単元の表題はそれぞれ「
 ̄
アメ
リカ人の生活における家族の問題」
,匚
アメ
リカ人
の生活に対する宗教の影響」
,厂
テクノロジーの衝
撃」
,「
ア
メリカ大の
生活に対するスポー
ツの衝
撃」
,
「アメリカ人の
生活における暴力」
,匚
私たち人民」
となっている。各大単元には5∼7の小単元が配
置
され
ている。
この全体構成
を分析
し整理
したものが表
2であ
る
。表2には,各大単元が対象と
している文化の
諸領域
,その文化の中核
を構成する信念
,直面
し
ている危機的状況とそれ
によって生起
した問題
,
−99−
表 1 『 ア メ リ カ の 社 会 問 題 』 の全 体 計 画
大 単 元 1: アメ リカ 人 の生 活 に お け る 家 族 の 問 題 小 単 元 1 困 難 と変 化 :家 族 の 問 題 の100 年 間 小 単 元 2 小 単 元 3 小 単 元 4 小 単 元 5 小 単 元 6 小 単 元 7 植 民 地 ア メ リ カ に お け る 家 庭 生 活 そ れ は 子 供 た ち に ど の よ う に 影 響 を あ た え る か ? 青 年 期: 「 私 は 自 分 の 子 ど もを コント ロ ールで きな い」 父 親 の資 格 :進 化 す る 概 念 アメ リカ の家 族 : 過 去, 現 在, 未 来 育 児 につ い て の ジェネラル・ミルズ・ レポート: 最 新 情 報 大 単 元 2 : アメ リ カ 人 の生 活 に対 する 宗 教 の 影 響 小 単 元 8 フ レ ンド 派 , ピ ル グ リ ム フ ァ ーザ ー ズ, 伝 道 師小単元 9
小単元10
小単元11
小単元12
アメ リカ の 地名 に対 す る 宗 教 的 影 響 60 年 代 の 霊 歌 非 暴 力 運 動 の 宗 教 的 基 盤 信 教 の 自 由: 修 正 第 1 条 と 教 育 大 単 元 3 : テ ク ノ[] ジ ー の 衝 撃 小 単 元13 テ ク ノ ロ ジ ー と 人 間 の 精 神 : 芸 術 的 見方 小 単 元14 テ ク ノ ロIジ ー: や っ て く る も のに つ い て の予 言 小 単 元15 テ ク ノ ロ ジ ー: 爆 弾小単元16
小単元17
テ ク ノロ ジ ー: 臓 器 移 植 テ レ ビ の 衝撃 大 単 元 4: アメ リカ 人 の生 活 に 対 す る スポ ーツ の衝 撃 小 単 元18 見 る ス ポ ー ツ の 人 気 小 単 元19 人 生 の 隠 喩 と し て の ス ポ ーツ の危 険 性 小 単 元20 い単 元21 卜 単 元22 ア メ リ カ の ス ポ ーツ に お け る 人 種 差 別 主 義 リト ル リ ー グ・ シ ンド ロ ー ム ア メ リ カ の ス ポ ーツ に お け る 暴 力 大 単元 旦 こ アメ_リ カ 人 の生 活 に お ける 暴 力 小 単 元23 銃 , 暴 力 と 修正 第 2 条一 犯 罪 の パ ート ナ ー 小 単 元24 暴 力 犯罪 の 犠 牲 者 小 単 元25 私 た ち の社 会 の 犯 罪 : あ ま り に 多 い 権 利 ? 小 単 元26 罰 : 目 に は 目を ? 小 単 元27 暴 力 が 答え か ? 大 単 元 6: 私 た ち 人 民 小 単 元28 ネイ テ ィブ アメ リ カ ン:忘 れら れた ア メ リカ人 を 見 る 小 単 元29 私 た ち の社 会 に お け る女 性 小 単 元30 ア フ リ カ ン ア メ リ カ ン: 奴 隷 か ら平 等 へ ?小単元31
小単元32
小単元33
人 種 差 別主 義 200 年 以 上 の 差 別 ア メ リ カ の るつ ぼ 一 神 話 か 現 実 か ?Ann Breil, John A .Santoro,
and James A.Wasowski,
Ame パcan Social Issues, The Center for Learning,
1997, pp.iii
− i
v,
よ り筆者作成o Part を大 単元とし, Lesson を小 単元 と表 記し た。
表 2