東北大学埋蔵文化財調査年報6
著者
東北大学埋蔵文化財調査委員会
雑誌名
東北大学埋蔵文化財調査年報
巻
6
発行年
1993-03-25
URL
http://hdl.handle.net/10097/45607
東北大学埋蔵文化財調査年報
6
東北大学埋蔵文化財調査委員会
1993
東北大学埋蔵文化財調査年報
6
東北大学埋蔵文化財調査委員会
1993
遠見塚 の道路脇 に石棺 が放置 され、子供 が蓋 の石材 で シー ソー遊 び を
していたのが極 く最近 の こととして思 い出 され る。 当時、損逸 した文化
財 は大変 な数 にな るだ ろ う と考 える。測定装置 の進歩 が大変画期 的 な も
ので、バ イオ な どと共 に考古学 も最 も目覚 し く進歩 しつつ あ る学 問分野
で あ る。
その結果 か否 か は別 として、本学名誉教授 で あ られ る芹沢長介先生 の
長年 に亘 る御 努力 と、従来 の学術 に掏 らない観察 が、効 を奏 して、東北
大学近辺 に最 も大 きい と云 って差 し支 えのない大変革 を喚 び起 こしつつ
あ る。高森遺跡 が50万 年前 とか、是川遺跡 が トップ級 の縄文文化 を示 す
とか、東北人 の心 を振 い立 たせ るよ うな学 問的発見 が相 次 いでい るの は
本 当 に喜 しい ことで あ る。
本学 の位置 す る所 に も多 くの発見 が あ り、遠 く数十万 年昔 か ら、数百
年前、百年足 らず の ところ まで、歴史 は散逸 して しまっていて、発掘 が
すべて発見 につ なが るので はないか とさえ思 わせ る。
ほんの数十 年前 の こ とす ら散逸 して分 か らな くなってい る ことを考 え
る と、何 か矛盾 をさえ感 ず る昨今 で あ るが、 出来 れ ば、我 々が 日々経過
してい る社会 自体 を、歴史 として記述 し一部 を保存 す る ことを併 用 しな
が ら考古学 を発展 させ る こ とが、歴史 を よ り効果 的 に記述 す る こ とにな
るので はないだ ろ うか。
云 い換 える と、考古学 の方か ら逆 に歴史 の意味 を教 え られ てい る こと
にな るし、顧 る こ とに よって これか らを予測 す る、見通 す とい うこ とに
な るのが歴史学 の根底 だ と考 えてい る。
兎 に角、近年 の東北大学 の考古学研究室 を中心 とした埋蔵文化財 の発
掘 が東北人 の心 を揺 るがせ、勇気 を振 い立 たせた こ とは、東北地 方 の人
達 に も極 めて大 きな効果 を与 えた もの と大 い に自慢 し、喜 び としてい る
ところで あ る。
東北大学埋蔵文化財調査委員会委員長
東ゴ
ヒ
大学長れ 浄 濶 一
例
H1.本
年報 は、東北大学構 内において、東北大学埋蔵文化財調査委員会が1988年度 に本調査 を 実施 した仙台城二の丸跡第5次
調査地点の調査成果 をまとめた ものである。第5次
調査地点 については、1985年度お よび1987年度 に実施 した、試掘調査の成果 もあわせて掲載 した。本 年報では、検 出遺構・ 出土遺物の報告 を旨 とし、 それ らに関す る考察 は、翌1989年度 に実施 した付帯施設 (,F水管)区域 の調査 までの全ての報告が終了 した段階で、1989年度の年報(年 報7)に
おいて、 これ らをまとめて検討 して報告す る予定である。2.報
告 され る遺跡 と略号、発掘調査期間 は以下の通 りである。 仙台城二の丸跡第5次
調査地点(NM5)
`1次
調査 (試掘調査) 1985年
4月11日∼ 5月30日2次
調査 (試掘調査) 1987年
9月18日∼11月 24日3次
調査 (本調査) 1988年
3月14日∼1989年 2月14日3.調
査・ 整理作業 は、東北大学埋蔵文化財調査委員会の委嘱 を受 け、埋蔵文化財調査室が行 った。4.本
年報の編集 は、須藤隆の指導の もとに、 山田しよう (∼ '92)・ 藤沢敦・ 関根達人 ('92∼) が担当 した。5.本
文 は、藤沢敦・ 関根達人が分担執筆 した。執筆分担 はI章とH章
1・ 2は藤沢、H章
3 の検 出遺構 については、藤沢 と関根が協議 して共同で執筆 した。H章
4の出土遺物 について は、(1)【陶磁器】、似)瓦、(3)【箸状木製品】【漆塗製品】、は)【煙管】の項 目については関根が 執筆 し、それ以外 については藤沢が執筆 した。英文要 旨は関根が原稿 を作成 し、阿子島香氏 (東北大学文学部考古学研究室)の
補筆 を受 けた。6.次
の方々 に各種 の遺物 について御教示 をいただいた。 陶磁器 :本 田泰貴 (東北陶磁文化館) 木簡・ 墨書陶磁器 :田 中秀和 。中川学 (東北大学文学部国史研究室) 石器・ 石製品 :蟹 沢聡史 (東北大学教養部)7.さ
らに以下の方々か ら御指導・御協力 を賜 った。記 して感謝申 し上 げる。 宮城県教育委員会、東北歴史資料館、仙台市教育委員会、東北大学考古学研究室8.出
土遺物 は、東北大学埋蔵文化財調査委員会が保管・ 管理 している。凡
1.遺
物 の実測図および写真の縮尺 は、各々明記 した。2.方
位 は真北 に統一 してある。国土座標 は第X座
標 系である。3.川
内地 区の仙台城二の丸跡にあた る地域 の地形測量図は、仙台市教育委員会の作成 による 「仙台城跡地形図」(縮尺500分 の1)を
使用 した。4.引
用 。参考文献 は、巻末 に一括 した。本文中で、東北大学埋蔵文化財調査年報 を引用す る 場合 は、年報 1と い う形で略記 した。5.挿
図中のスク リー ン・ トー ンの表現 は、特 に記 した以外 は下記の とお りである。 遺構平面図 柱痕跡 :饉藝覇翻 杭:鰯
遺構断面図 柱痕跡 :灘瑯鐵醜 礫 :臣44と
手 │ 遺物実測図 青磁釉 :│::華=:1
付着物:Ⅷ
(磁器)6.遺
物観察表の法量の単位 は、特に記載がないものは、clllである。1988年度調査遺跡
(本
報告収録
)の
概要
仙台城二の丸跡第5次
調査地点(NM5)
縄文時代?:石
器 江戸時代 遺構 前期 (17世紀):礎
石建物・ 掘立柱建物・ 塀・ 溝 。池か らなる庭園・ 井戸 元禄年間 (17世紀末∼18世紀):溝
。土坑・ 畑 中 。後期 (18・ 19世紀):掘
立柱建物 。塀・ 門・ 溝・ 土坑 遺物 :陶磁器・ 瓦 。木簡・ 木製品 。漆塗製品・ 金属製品・ 骨角製品・ 石製品 明治時代 :礎石建物・ 石組溝・ 暗渠・ 井戸 陶磁器・ 瓦・ 木製品・ 金属製品・ ガラス製品 。皮製品 整理作業参加者 岩井利佳 河Wil徳子 大橋育順 菊地芳朗 菊池佳子 工藤健吾 黒須靖之 佐藤剛 庄子一夫 高橋朋子 多辺育子 千田祐美恵 津島知弘 独古史恵 三浦千秋 成 田和歌子 発掘調査参加者 秋 山真紀子 阿部喜美 阿部志 う 田部友衛 荒井聡 池田洋祐 石垣光朗 石堂幸子 市村賢則 伊藤千穂 伊藤道子 今高義也 歌川喜恵子 梅沢みえ 遠藤秀樹 及川茂 太田君子 太田すゑ子 太田はるよ 太田洋平 小熊博 河西健二 加藤恵子 金子拓 鹿野尚文 菅野春枝 菅野竜一 菊地修一 菊地ス ミ子 菊地 とよゑ 菊池佳子 国安 まほ子 栗谷川佳子 桑月鮮 小関勝英 小林文夫 小 山さき子 小山八郎 佐伯晴子 桜井美枝 佐々木努 佐々木寅男 佐藤厚子 佐藤耀子 庄子一夫 申宗大 須貝啓一 菅井道彦 菅原伸明 菅原 よしの 高橋 い く子 高橋理 高橋和子 高橋健寿 高橋富勝 立身修 張玲 照井優一 東矢高明 富岡直人 中川光則 中村裕 新沼 よしえ 新野一浩 朴栄淑 長谷川チエ子 長谷川範明 菱沼孝二 本田泰貴 丸山伝 三浦幸子 宮崎敬士 三好秀樹 村 田章人 森嶋秀一 山岸清江 山田しょう 横 山東市 吉 田欲 李蓮 陸太進 劉毅 渡辺久子東北大学埋蔵文化財調査委員会規程
施行 昭和58年11月 15日 改正 昭和63年 1月19日 (設置) 第一条 東北大学 に、東北大学の施設の整備 にともな う埋蔵文化財 の発掘調査 に関す る重要事 項 を調査審議す るため、東北大学埋蔵文化財調査委員会 (以下「委員会」 とい う。)を
置 く。 (組織) 第二条 委員会 は、委員長及び次の各号 に掲 げる委員 をもって組織す る。 一 東北大学施設整備委員会地 区協議会委員長 二 発掘調査 に関連 のある専門分野の教授又 は助教授 若千人 三 発掘調査地 に関連 のある部局の長で、その都度委員長が指名す るもの 四 事務局長 (委員長) 第二条 委員長 は、学長 をもって充てる。 (調査室) 第四条 委員会 に、委員会が定 める基本方針 に基づ き、発掘調査 に関す る実施計画、実施 の細 目及び調査報告書 に係 る事項 を処理 させ るため、調査室 を置 く。2
調査室 に、室長及び調査員 を置 く。3
室長 は、調査室の業務 を掌理 し、調査員 は、調査室の業務 に従事す る。 (委嘱等) 第五条 第二条第二号 に掲 げる委員及び調査員 は、学長が委嘱す る。2
室長 は、委員の うちか ら委員長が指名す る。 (調査員の出席) 第六条 委員長 は、調査員 を委員会 に出席 させ、議案 について、必要な説明 をさせ、又 は意見 を述べ させ ることがで きる。 (幹事) 第七条 委員会 に幹事 を置 き、庶務部長、経理部長及び施設部長 をもって充てる。 (庶務) 第八条 委員会の庶務 は、事務局施設部 において行 う。 (雑則) 第九条 この規定 に定 めるもののほか、委員会 の運営 に関 し必要な事項 は、委員会が定 める。 附則 この規定 は、昭和六三年一月十九 日か ら施行す る。埋蔵文化財調査 室運営方針
東北大学埋蔵文化財調査室 (以下「調査室」 とい う)の
運営 は、東北大学埋蔵文化財調査委 員会規程 によるもののほか、次の運営方針 に基づ き行 うもの とする。1
調査室の運営及び発掘調査の実施方針等 に関 して審議するため、運営会議 を置 く。2
運営会議 は、次 に掲 げる委員 をもって組織す る。(1)調
査室長及び調査員 121 庶務課長、主計課長及び企画課長 は)発
掘調査地 を所管する部局の事務長 141 専門委員若干名3
調査室 は、東北大学構 内遺跡の調査及び保護 にあたる。4
調査室 は、発掘調査 による出土文化財の整理 と調査報告書の作成 にあた り、公開、活用 を はか る。5
調査室 は、出土文化財 。資料 (図面、写真等)の
保存、管理 にあたる。6
調査室 は、文化庁長官、教育委員会等への発掘調査 に関わる届 け出業務(発掘届 けを除 く) を担当す る。東北大学埋蔵文化財調査委員会
Q98眸
度
) 委員長 学長 委員
川内地 区協議会委員長 青葉山地区協議会委員長 星陵地 区協議会委員長 片平地区協議会委員長 文 学 部
教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 文 学 部
助教授 理 学 部 教 授 工 学 部 教 授 附 属 図 書 館 長 文 学 部 長 法 学 部 長 理 学 部 長 工 学 部 長 農 学 部 附 属 農 場 長 教 養 部 長 事 務 局 長 調査員 文 学 部
助 手 文 学 部
助 手 幹事
庶
務
部
長 経 理 部 長 施 設 部 長 (法学部長) (薬学部長) (医学部長) (科研所長) (調査室長) 石 田 名香雄 太 田 知 行 南 原 利 夫 吉 永
馨 藤 村 忠 雄 渡 辺 信 夫 羽 下 徳 彦 須 藤
隆 今 泉 隆 雄 中 川 久 夫 坂 田
泉 塚 本 哲 人 桑 原 輝 男 太 田 知 行 黒 田
正 大 谷 茂 盛 庄 司 貞 雄 細 谷
昂 石 田 正一郎 梶 原
洋 佐久間 光 平 勝 村 光 彦 滝 本 良 雄 原 山 明 宗
東北大学埋蔵 文化財調査委員会 (1993年
2月
現在
) 委員長 学長 委員
川内地 区協議会委員長 青葉山地区協議会委員長 星陵地 区協議会委員長 片平地区協議会委員長 文 学 部
教 授 文 学 部 教 授 文 学 部 教 授 文 学 部
助教授 工 学 部
助教授 事 務 局 長 調査員 文 学 部
助 手 文 学 部
助 手 幹事
庶
務
部
長 経 理 部 長 施 設 部 長 (教養部長) (工学部長) (医学部長) (金研所長) (調査室長) 西 澤 潤 一 渡 部 治 雄 斉 藤 正三郎 平
則 夫 増 本
健 渡 辺 信 夫 羽 下 徳 彦 須 藤
隆 今 泉 隆 雄 飯 淵 康 一 廣 田 史 郎 藤 沢
敦 関 根 達 人 菊 地 洋 男 山 田
清 山 本
努
埋蔵文化財発掘調査及 び委員会審議の手順
保存処置 一――→ 整備工事 の実施5
整理作業 整理手l贋の決定 記録 の整 理6
報告書の作成・ 配布 写真 。図面の レイアウ ト 原稿作成 な ど↓
印刷(業
者への発注)↓
文化庁 な ど関係機関へ配布7
遺物・ 記録 (写真類、図面、調査 日誌 な ど)の
保管及び公開 (企画展示・ 資料貸出)8
委員会への調査終了報告 鬱) は) は) G) 俗) 洗浄・ 乾燥な どの準備作業 分類・ 観察・ 分析・ 計測 な ど資料化 図化 (実測図面の作成)・ 写真撮影 遺物保存処理 収納・ 登録作業次
序 例言・ 凡例 東北大学埋蔵文化財調査委員会規程 東北大学埋蔵文化財調査室運営方針 東北大学埋蔵文化財調査委員会組織 埋蔵文化財発掘調査及び委員会審議の手順 目次 図 目次 表 目次 図版 目次 第I章1988年
度調査の概要………11.は
じめに………12.発
掘調査 の概要………・…・…・………・…・…・………。…………。1(1)川
内地 区の調査………・………・1 鬱)青
葉 山地 区の調査………3(3)川
渡地 区の調査………33.そ
のほかの調査室の活動………3 第H章
二の丸跡第5次
調査地点(NM5)の
調査………・…・………Ⅲ………41.調
査経緯…………Ⅲ………Ⅲ………・4(1)川
内地区の立地 と歴史および1987年度 までの調査………4(2)調
査地点の位置………813)調
査方法 と経過…・…・…… ………Ⅲ………Ⅲ………Ⅲ………。92.層
序 と時期 区分………123.検
出遺構 …………Ⅲ………Ⅲ………・………Ⅲ………Ⅲ………Ⅲ…………・17(1)I期
(西屋敷)の
遺構① 耳
ヒ区
18・ 19列"…
…… … …… … … …… …… … … …… … … … …
17A.Ia期
(地山上面)… ………・17B.Ib期
(8層
上面)… ………・18②
】
ヒ区
20∼ 23列―・―・………Ⅲ
………Ⅲ
…Ⅲ
………・………・
25A.Ia期
(③層上面
)………… ………Ⅲ
………・……
25B.Ib期
(⑦層上面
)…………Ⅲ
26③
南区………Ⅲ
…Ⅲ
………Ⅲ
………
32A.Ia期
…… …… ……… …… …… ……… ……… ……… …… …… …… ………33B.Ib期
………43 鬱)H期
(西屋敷 廃 絶後・ 二 の丸以前)の
遺 構 ………・52①
Ha期
●ヒ区 Ⅵ層 上面
)…
……… ……Ⅲ
…Ⅲ
………Ⅲ
…Ⅲ
…・……・
52②
Hb期
(北区
V層
上面 。南区
3a層
上面
)…………Ⅲ
…・…・……・
56(3)Ⅲ 期
(二の丸中奥
)の
遺構………
63①
ma期
(北区 Ⅳ層 上面 。南区
2d層
上面
)…………・
63②
Hb期
(北区 Ⅲ層
上面 。南区
2C層
上面
)…………・………
75(4)Ⅳ
層 (第 二師団
)の
遺構
(2b層
・
2a層
上面
)…………・
864.出
土遺物………Ⅲ
…・―・………・…
98(1)陶
磁器・土器・土製品………
98(2)瓦
………・101 俗)木
製品 ………・106 は)金
属製品 ………・109G)石
器・ 石製品 ・………■06)骨
角製品 ・………111(7)ガ
ラス製品 ………・111 偲)そ
の他の遺物 ………・………中………Ⅲ……■1 引用・ 参考文献 英文要 旨 図版図
図1
東北大学 と周辺の遺跡………2 図2
仙台城 と二の丸の位置………4 図3
仙台城二の丸跡・ 武家屋敷跡 調査地点………5 図4
二の丸跡第5次
調査地点 調査 区の位置………10 図5
基本層序模式図………13 図6
調査 区外周壁断面図………15 図7 1a期
遺構配置図………19 図8 1b期
遺構配置図………21 図9 1期
18・ 19列検 出遺構 ………・…23 図10 1a期
20∼ 22列検出遺構 ………・27 図■Ib期
20∼ 22列検 出遺構 ………・29 図12 1期
20∼ 22列断面図………31 図13
南区池跡堆積状況模式図………32 図14
南区Ia期
検 出遺構(1)………37 図15
南 区Ia期
検 出遺e121………39 図16
南区Ia期
検 出遺構(3)………41 図17
南 区Ib期
検 出遺構(1)………45 図18
南 区Ib期
検 出遺構(2)………47 図19
南 区Ib期
検 出遺構(3)………49 図20
南 区I期断面図………51 図21 Ha期
遺構配置図………53 図22 Ha期
検 出遺構 ………・55 図23 Hb期
遺構配置図………57 図24 Hb期
検出遺構(1)…………・…………・59 図25 Hb期
検 出遺構(2)。………・…………・61 図26 Hb期
検 出遺e131・………Ⅲ…………。62 図27 ma期
遺構配置図………65 図28
Ⅲa期
検 出遺構(1)………68次
図29 ma期
検 出遺構(2)………69 図30 ma期
検 出遺構(31………,71 図31 ma期
検 出遺構(4)………・73 図32 ma期
検 出遺構断面図………74 図33 mb期
遺構配置図………77 図34
Ⅲb期
検 出遺構(1)………・80 図35 mb期
検 出遺構(2)…………Ⅲ…………・81 図36
Ⅲb期
検 出遺構0…
………… ………・83 図37 mb期
検 出遺構(4)……… ………。85 図38
Ⅳ期遺構配置図………89 図39
Ⅳ期検出遺構(1)………91 図40
Ⅳ期検出遺構(2)………93 図41
Ⅳ期検出遺構(3)………95 図42
第5地
点出土磁器(1)………・112 図43
第5地
点出土磁器121………… ……113 図44
第5地
点出土磁器131………・114 図45
第5地
点出土磁器は)………… ……115 図46
第5地
点出土磁器(5)………■16 図47
第5地
点出土磁器(6)………・117 図48
第5地
点出土磁器(7)………。118 図49
第5地
点出土磁器(8)………。119 図50
第5地
点出土磁器191………・120 図51
第5地
点出土陶器(1)………。121 図52
第5地
点出土陶器(2)中………・122 図53
第5地
点出土陶器(31………・123 図54
第5地
点出土陶器(4)………・124 図55
第5地
点出土陶器(0………。125 図56
第5地
点出土陶器(6)………・126 図57
第5地
点出土陶器(7)………・127 図58
第5地
点出土陶器(8)………・128図
59
第5地
点出土陶器(9)………・129 図60
第5地
点出土陶器QO… ………・130 図61
第5地
点出土陶器QD… ………。131 図62
第5地
点出土土器(1)………・132 図63
第5地
点出土土器(2)………・133 図64
第5地
点出土土器(3)………・134 図65
第5地
点出土土器(4)………■35 図66
第5地
点出土土器(5)………Ⅲ136 図67
第5地
点出土軒丸瓦(1)………。137 図68
第5地
点出土軒丸瓦(2)………・138 図69
第5地
点出土軒丸瓦(3)¨…………・139 図70
第5地
点出土軒丸瓦(4)・ 軒平瓦(1)………・140 図71
第5地
点出土軒平瓦(2)………。141 図72
第5地
点出土軒桟瓦 ………。142 図73
第5地
点出土平瓦(1)………・143 図74
第5地
点出土平瓦(2)。 丸瓦(1)………・144 図75
第5地
点出土丸瓦(2)………・145 図76
第5地
点出土丸瓦(3)………。146 図77
第5地
点出土丸瓦(4)………Ⅲ147 図78
第5地
点出土板塀瓦(1)………。148 図79
第5地
点出土板塀瓦(劾 ………・149 図80
第5地
点出土焚斗瓦・ 桟瓦(1)……・150 図81
第5地
点出土桟瓦(2)………・151 図82
第5地
点出土輪違い ………■52 図83
第5地
点出土面戸瓦(1)………・153 図84
第5地
点出土面戸瓦(2)………■54 図85
第5地
点出土棟瓦・ 板塀瓦 ………。155 第5地
点出土 その他 の瓦(1)………・156 第5地
点出土 その他の瓦鬱)。………157 第5地
点出土 その他の瓦(3)。 刻印瓦(1)・・………・158 第5地
点出土刻印瓦(2)・ 瓦加工品 ………。159 第5地
点出土木簡(1)………。160 第5地
点出土木簡(2)………。161 第5地
点出土木簡(3)………・162 第5地
点出土木簡(4)………・163 第5地
点出土木簡(動・櫛 …………・164 第5地
点出土箸状木製品 …………・165 第5地
点出上下駄(1)………。166 第5地
点出上下駄(2)………・167 第5地
点出上下駄(働 ………・168 第5地
点出土 その他の木製品(1)………・169 第5地
点出土 その他の木製品12)・………170 第5地
点出土 その他の本製品は)………・171 第5地
点出土漆塗製品 ………・172 第5地
点出土漆塗製品 ………・173 第5地
点出土古銭 ………。174 第5地
点出土煙管 ………Ⅲ175 第5地
点出土 その他の金属製品 ¨。176 第5地
点出土石器・石製品・ 骨角製品 ………・177 図86 図87 優]88 優]89 優]90 優]91 優]92 優]93 優]94 優]95 図96 図97 優]98 優]99 区]100 優]101 優]102 優]103 優]104 区]105 優]106 区]107表8 表9 表 10 表11 表
1 1988年
度 調査概 要表 ……… …・… ……1 表2
第5地
点 出土磁 器 集計 表(1)……・…178 表3
第5地
点 出土磁器 集計表(2)…… …■79 表4
第5地
点 出土 陶器 集計表(1)………・180 表5
第5地
点 出土 陶器集計表(劾 …… …・181 表6
第5地
点 出土 土器・ 土製 品集計表(1)………… …………・182 表7
第5地
点 出土土器・ 土製品集計表(2)次
表21
第5地
点出土その他の 上師質土器・ 瓦質土器観察表 ……・195 表22
第5地
点出土軒丸瓦類観察表 ……196 表23
第5地
点出土軒平瓦類観察表 ……Ⅲ196 表24
第5地
点出土軒桟瓦観察表 ………■97 表25
第5地
点出土平瓦観察表 …………・197 表26
第5地
点出土丸瓦観察表 …………。197 表27
第5地
点出土桟瓦観察表 …………・197 表28
第5地
点出土板塀瓦観察表 ………Ⅲ198 表29
第5地
点出土更斗瓦観察表 ………・198 表30
第5地
点出土輪違 い観察表 ………・198 表31
第5地
点出土面戸瓦観察表 ………198 表32
第5地
点出土 その他 の瓦観察表 ―・199 表33
第5地
点出上下駄観察表 …………・199 表34
第5地
点出土木簡観察表 …………・200 表35
第5地
点出土櫛観察表 ………・200 表36
第5地
点出土箸状木製品観察表 ―・200 表37
第5地
点出土 その他の木製品観察表 ………・201 表38
第5地
点出土漆塗製品観察表 ……。201 表39
第5地
点出土古銭観察表 …………。202 表40
第5地
点出土煙管吸 口観察表 ……・202 表41
第5地
点出土煙管雁首観察表 ……。203 表42
第5地
点出土 その他の金属製品観察表 …………・203 表43
第5地
点出土 その他の遺物観察表 ………… … …203 第5地
点出土瓦集計表(1) 第5地
点出土瓦集計表(2) 第5地
点出土木製品・ 漆塗製品集計表(1)………Ⅲ…186 第5地
点出土木製品・ 漆塗製品集計表(2)………。187 表12
第5地
点出土 その他の遺物集計表(1)……… … …188 表13
第5地
点出土 その他の遺物集計表(2)……… ………189 表14
第5地
点出土磁器観察表(1)・・……。190 表15
第5地
点出土磁器観察表(2)……Ⅲ…191 表16
第5地
点出土陶器観察表(1)………,192 表17
第5地
点出上陶器観察表(劾 ………・193 表18
第5地
点出土陶器観察表(3)………Ⅲ194 表19
第5地
点出土 土師質土器皿観察表(1)………,194 表20
第5地
点出土 土師質土器皿観察表(動 ………Ⅲ195図 版 図版
1
第5地
点全景(1)………・211 図版2
第5地
点全景(動 ………・…212 図版3
第5地
点断面 ………・213 図版4
第5地
点Ia期
の遺構(1)………・214 図版5
第5地
点Ia期
の遺構(2)…… …215 図版6
第5地
点Ia期
の遺構(0… … …216 図版7
第5地
点Ib期
の遺構(1)………・217 図版8
第5地
点Ib期
の遺構(動 ……Ⅲ…218 図版9
第5地
点Ib期
お よびH期
の遺構 … … … ……… ………219 図版10
第5地
点Ha期
・Hb期
の遺構 … ………220 図版11
第5地
点Ⅲ期・ Ⅲa期
の遺構 …。221 図版12
第5地
点Ⅲa期
の遺構 …… ………222 図版13
第5地
点Шb期
の遺構 …………。223 図版14
第5地
点Ⅳ期 の遺構(1)………Ⅲ…224 図版15
第5地
点Ⅳ期の遺構(2)…………。225 図版16
第5地
点Ⅳ期の遺構(3)…………Ⅲ226 図版17
第5地
点出土磁器(1)………。227 図版18
第5地
点出土磁器(2)………・228 図版19
第5地
点出土磁器(0い …………・229 図版20
第5地
点出土磁器は)………Ⅲ230 図版21
第5地
点出土磁器(0… ………。…231 図版22
第5地
点出土磁器(0… …………Ⅲ232 図版23
第5地
点出土陶器(1)―…………。233 図版24
第5地
点出土陶器② ………・234 図版25
第5地
点出土陶器(0… …………・235 図版26
第5地
点出土陶器(4)………・236 図版27
第5地
点出土陶器(0… …………。237 図版28
第5地
点出土陶器(0… …………・238目
次
図版29
第5地
点出土陶器(り ………Ⅲ239 図版30
第5地
点出土陶器(働 ………・240 図版31
第5地
点出土陶器(働 ………・241 図版32
第5地
点出土陶器00… …………・242 図版33
第5地
点出土陶器Qゆ ………243 図版34
第5地
点出土土器(1)………244 図版35
第5地
点出土土器(2)………・245 図版36
第5地
点出土土器(3)………・246 図版37
第5地
点出土土器(4)………Ⅲ247 図版38
第5地
点出土軒丸瓦類(1)………。248 図版39
第5地
点出土軒丸瓦類(2)………・249 図版40
第5地
点出土軒平瓦・ 軒桟瓦(1)…… … … ……250 図版41
第5地
点出土軒桟瓦(2)・ 平瓦(1)……Ⅲ…………Ⅲ………251 図版42
第5地
点出土平瓦(2)。 丸瓦(1)………。252 図版43
第5地
点出土丸瓦(2)………・253 図版44
第5地
点出土桟瓦類(1)…………Ⅲ254 図版45
第5地
点出土板塀瓦 …Ⅲ…………255 図版46
第5地
点出土桟瓦類(2)・ 興斗瓦・ 棟瓦 ………Ⅲ256 図版47
第5地
点出土輪違い 。 面戸瓦(1)………・…………257 図版48
第5地
点出土面戸瓦(2)…………・258 図版49
第5地
点出土その他の瓦(1)……・259 図版50
第5地
点出土 その他の瓦(2)……Ⅲ260 図版51
第5地
点出土刻印瓦・ 瓦カロエ品 ………・261 図版52
第5地
点出土木簡(1)・………・―・262図版
53
第5地
点出土木簡121………263 図版54
第5地
点出土木簡(3)………。264 図版55
第5地
点出土箸状木製品 ………Ⅲ265 図版56
第5地
点出土櫛・ 下駄(1)…… …266 図版57
第5地
点出上下駄(動 ………・267 図版58
第5地
点出土その他の 木製品(1)………・268 図版59
第5地
点出土 その他の 木製品(2)………・269 図版60
第5地
点出土 その他の 木製品(3)・ 漆塗製品(1)…………・270 図版61
第5地
点出土漆塗製品(2)………。271 図版62
第5地
点出土古銭 ………・272 図版63
第5地
点出土煙管 ………Ⅲ273 図版64
第5地
点出土 その他の金属製品 ………。274 図版65
第5地
点出土 その他の遺物 ……・275第
I章
1988年
度調査 の概要
1.は
じめ に 東北大学 には、川内・ 青葉山・ 片平・ 星陵・ 雨宮の各地区のキャンパス と、ほかに多 くの附 属施設があ り、その敷地 は広大である。これ らの各地 区の構内には、多 くの埋蔵文化財があ り、 特 に文系4学
部・教養部・ 記念講堂 のおかれている川内地 区は、近世 の仙台城二の丸跡 と武家 屋敷 にあた り、理・薬・ 工学部 のおかれている青葉山地区には、主 として旧石器時代∼弥生時 代の遺跡が残 されている (図1)。 これ らの大学構 内の埋蔵文化財の調査・保護 を組織的に行 うために、1983年に東北大学埋蔵 文化財調査委員会が設置 され、 その実務機関 として埋蔵文化財調査班 (1988年か ら調査室)が
置かれた。以来、1988年度 までに、合計41地点の調査が行われて きた。これ らの調査 を通 じて、 川内地 区では仙台城二の丸跡 の様相が明 らかにな りつつあ り、青葉山地区では10数万年前 と2 万年前の旧石器群が発見 され るな ど、構 内遺跡の重要性があ らためて認識 されてきた。 これ ら の調査成果 については、F東北大学埋蔵文化財調査年報』1∼5で
、学界のみな らず一般 にも広 く公開 されてきた。 1988年度 において も、仙台城二の丸跡 を中心 に調査が行われ、新たな資料 を提供することに なった。本報告書 は、 これ らの調査成果 について とりまとめた ものである。2.発
掘 調 査 の 概 要 1988年度 は、本調査1件
、試掘調査1件
、立会調査2件
の、計4件
の調査 を実施 した。 これ らの調査 の内訳 は、川内地 区 (仙台城二の丸跡)に
おいては本調査1件
、青葉山地区では立会 調査2件
、川渡地 区で は試掘調査1件
である (表 1)。(1)川
内地区 (仙台城二の丸跡)の
調査 川内地区では、附属図書館本館増築 に伴 う本調査(仙台城二の丸跡第5次
調査地点、NM5)
を実施 した。 これは、1985年度の1次
調査、1987年度の2次
調査 に続 く、3次
調査 にあた る。 これ まで東北大学埋蔵文化財調査委員会で実施 した調査では、最大面積 となるものであ り、ほ 表1 1988年度調査概要表Tab l Excavations on the campus in the fiscal year 1988
調査 の種類 調 査 地 点 原 因 調 査 期 間 面 積 時期 本 調 査 仙台城二の丸跡第 5地 点 (NM5) 附属図書館本館増築 3/14∼2/13 1520 m2 近 世 試 掘 調 査 川渡農場第 1地点 (KWl) 宿泊施設新営 6/17・ 18 8∬ 弥生 立 会 調 査 工学部情報工学科テニスコート地点 テニスコー ト擁壁新設 10 ∬
1イ山 台 城 址 2 青葉山遺跡A地点 3 B地点 4 C地点 5 D地点 6 E地点 7 F地点 8北 前 遺 跡 9 山 田上 の 台 遺跡 10 声 ノ ロ遺 跡 11 三 神 塞 遺跡 12 富 沢 遺 跡 13上 野 遺 跡 14 原 子核 理学 研 究 施 設地 点
Ruin of Sendai Cadle
Aobayama She Loc A
″ ″ B ″ ″ C ″ ″ D ″ ″ E ″ ″ F K■amae Site Yamada‐ Uenodai Site
Asinokuchi site 、rikamine site Tomizawa Slte Uwano Site LabばNuclearSclen∝ 図
1
東北大学 と周辺 の遺跡Fig。l Archaeological sites and Tchoku University
♀
i l∞ 1 _解
i■ヤ、薄
澪
﹂ ・ ↓ ・一一一 (Tohoku Univ) Miyagi Prefぼ
1年
間 に渡 る長期の調査 となった。 この地点 は、二の丸中奥の置かれていた区域 にあた り、 上層か ら中奥 に関連す る掘立柱 の塀跡 。門跡や溝跡 な どが検 出された。 また、大規模 な整地層 をはさんで、下層か らは、二の丸が元禄期 に拡張 され る以前 に置かれていた、西屋敷 に関連す る礎石建物跡・ 溝跡・池か らなる庭園などが検 出されたほか、 この西屋敷が廃絶 された後 に造 られた畑の跡が検 出されている。 また、江戸時代初頭以降の各時期 の遺物が大量 に出上 した。 本年報では、1987年度の2次
調査 と1988年度の3次
調査、および1985年度の1次
調査 の成果の 一部 も併せて報告す る。1985年度の1次
調査の残 る部分 は、1988年度か ら翌年度 にか けて行 っ た排水管区域 の調査(4次
調査)と
併せて、1989年度の年報 (年報7)で
報告す る予定である。 また、 この第5地
点の遺構・ 遺物 に関す る考察 は、4次
調査 までの全ての報告が終了 した段階 で、 これ らをまとめて検討 して報告す る予定である。 修)青
葉 山地 区の調査 青葉山地 区で は立会調査 を2件
実施 した。工学部情報工学科テエスコー ト地点 はテニスコー ト擁壁工事 に伴 うものである。当地点 は、北東側 に傾斜する斜面地で盛上がなされてお り、地 層の堆積状況 も良 くな く、 また工事 に伴 う掘削面積 も小 さい ことか ら立会調査 を行 った。理学 部生物学科学生実験室建設 に伴 う調査では、建物がプレハ ブ建築であ り、工事 に伴 う掘削 も狭 くて浅いため立会調査 とした。いずれにおいて も、遺構・遺物 は発見 されなかったため、 これ 以上の調査 は行 っていない。(3)川
渡地区の調査 川渡地区では、川渡農場第一地点(KWl)の
試掘調査 を実施 した。当地点 は農学部附属農 場 の宿泊施設新営 に伴 う調査で、町A遺
跡 な どの遺跡 に隣接す る地点であったため、遺構・ 遺 物 の有無 を確認す る目的で試掘調査 を実施 した。調査の結果、弥生時代 の天王山式 と見 られ る 土器が出上 したため、翌年 に本調査 を行 うこととした。 この調査 については、1989年度の本調 査の報告 にまとめて行 う予定である。3.そ
の ほ か の 調 査 室 の 活 動 1988年度 は、前述 した二の丸跡第5次
調査地点の調査がほば1年
間 を通 して行われたため、 調査成果の公開・ 活用 も、 この第5地
点の成果 に関す るものが中心 となった。第5地
点の調査 中の12月 3日には現地説明会 を開催 し、初 めて西屋敷の実態が明 らかになった こともあ り、多 くの参加者があった。学会での発表 としては、12月H日
に開催 された宮城県遺跡調査発表会で は第5地
点の調査成果 について発表 した。 また『考古学 ジャーナル』312に、調査成果の速報 と して「仙台城二の丸跡第5地
点の調査」 を投稿 した。第
H章
二の九跡第
5次
調査地点
(NM5)の
調査
1.調
査経緯
(1)川 内地区の立地 と歴史および
1987年度までの調査
東北大学の附属図書館、および文系4学
部、記念講堂、教養部 な どが置かれている現在の川 内地区は、江戸時代 の仙台城二の丸跡、周辺の武家屋敷跡 な どに相 当す る。 仙台城 は、仙台市街地の西方、広瀬川 を渡 った、通称青葉 山の東端 に位置 している (図 1)。 本丸 は、三方 (北・ 東・ 南)を
広瀬川 と竜 の口渓谷 に囲 まれた海抜115∼140mの
急崖上 に立地 :/1イ 0 1 図2
仙台城 と二 の丸 の位 置 Fig,2 Distribution of Sendai Casde´ → ││ │1内 他 肘)W丁 票 山 トン ネ ル i Secondary Citadel bピ
於
ミ 蹴と浄
2扉ヽVI'WIて Third Citadel
北 大学 者 素 山拒 物 園
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図
3
仙台城 二の丸跡 。武家屋敷跡調査地 点Fig。3 Location of excavations until 1988 atハIttο夕ηαη〃(NA/1i.e,Secondary Citadel)
and M%夕紹ゲresidence(BK)
してお り、 また北側の二 の丸、北東の三の丸 も、それぞれ海抜61∼ 78m、
40mの
階段状の河岸 段丘面上 にあ り、 自然地形 を巧みに利用 した配置 となっている(奥津春生1967)。 この中で東北 大学構内の二の丸 は、東方 を蛇行す る広瀬川 に向かって緩やかに傾斜する上町段丘上 (武蔵野 面相当)に
位置す る (図2)。 仙台城 は、慶長5年
(1600年)伊
達政宗 によって本丸の築城が開始 され る。 しか し幕藩体制 の安定 とともにその山城的な立地 は不便 とな り、二代藩主忠宗は、寛永15年 (1638年)、 その麓 において二の丸の造営 を始 める。 これ以前、当地には政宗の四男宗泰 (岩出山領主)の
屋敷が 置かれていた。二の丸の北隣 には、政宗の長女五郎八姫の居住する西屋敷が元和6年
(1620年) 以降存続 している。 二の丸が完成 して後、仙台藩の政治・ 諸儀式の中心はここに移 され、二代藩主以降はその居 館 ともなる。 さらに元禄年間には、四代藩主綱村 によって二の丸 は大改造 され、 もとの西屋敷 の敷地 を取 り込んで拡大 され る。その後い くたびかの災害や火災 を被 るが、その度 に再建 され、 二の丸 は幕末 まで、事実上仙台城の中枢 として機能 してい く (仙台市教育委員会1967)。 版籍奉還の明治2年
(1869年)に
は、二の丸 に勤政庁が置かれ、明治4年
(1871年)の
廃藩 置県後 は、仙台城が明治政府・兵部省の管轄下 に移 るとともに東北鎮台 (後に仙台鎮台 と改む) が置かれる。この頃に本丸の建物群 は取 り壊 されるが、二の丸建物群 は依然 として残っている。 しか し、 この二の丸建物群 も、明治15年 (1882年)の
火災 によって、 ほとん どが焼失 して しま う。 その後、当地 には陸軍第二師団が置かれ、敗戦 まで続 くこととなる。敗戦間近の昭和20年 (1945年)7月
、仙台空襲 の際、大手門な どわずかに残 った建物 も焼失 し、仙台城の建物 は全 て失われて しまう。戦後 は米軍の駐留地 とな り、昭和32年 (1957年)、 米軍 よ り返還 されてのち 東北大学が この川内地区に移転 し、現在 に至 るのである。 仙台城二の丸・ 武家屋敷である川内地区の発掘調査 は、仙台市教育委員会、東北大学者古学 研究室 によって小規模 な調査が行われた ことがあるが、組織的・継続的に行われるのは、東北 大学 に埋蔵文化財調査委員会が置かれる1983年度以降の ことである。委員会 による川内地区の 発掘調査 は、 これ までに8地
点 を数 える。 この中で特 に、二の丸の中心である小広間の付近 を 調査 した第2地
点では、礎石建物跡が発見 され、良好 な保存状態 と遺構の重要性か ら、調査後 は保存 され ることとなった。第3地
点・第4地
点 。第6地
点では、 それぞれ二の丸の南・北東・ 西の外郭 にかかわ る遺構が発見 されてお り、現在の地形上で二の丸の範囲がほぼ推定できるよ うになった。第7地
点では二の丸東方の蔵 にかかわる遺構が発見 されてお り、第8地
点では二 の丸北側の堀 (池)が
発見 されている。 また、第4地
点の調査では、二の丸造成時の大規模 な 整地層の下層か ら、宗泰 の屋敷 に関連す ると考 えられ る遺構 も検出されている (年報1、 3、 4・ 5)。¢
)調
査地点の位置 第5地
点 は、附属図書館 の西側 にあた り、グランドとして使用 されていた場所である。当地 点 は、江戸時代初頭 には伊達政宗の娘である五郎八姫の居館である「西屋敷」が置かれていた 場所 にあた る。 五郎八姫 は文禄3年
(1594年)、 伊達政宗 と正室愛姫の長女 として生 を受 ける。五郎八姫 は慶 長4年
(1599年)6才
の時、徳川家康の七男松平忠輝 と婚約 し、慶長11年 (1606年)松
平家に 嫁 いだ。 しか し忠輝 は、元和元年 (1615年)の
大阪夏の陣の際の遅参・ 怠戦 と、家臣による旗 本殺害の不謝罪 とによって改易処分 とされ、越後および信濃の領地 を没収 され、元和2年
には 伊勢朝熊 に配流 される。五郎八姫 はこの時、越後高田城か ら江戸の伊達家下屋敷 に帰 される。 さらに元和6年
(1620年)、 五郎八姫27才の時、仙台に帰 ることとなった。 この元和6年
に帰仙 した五郎八姫 のために造営 されたのが、西屋敷である。西屋敷 を記 した 絵図面 は、正保2・3年
(1645・ 46年)の
「奥州仙台城絵図」が唯―の ものである (阿刀田令 造1936)。 これは城下全体 を記 した絵図であ り、屋敷内の建物などの配置 は描かれていない。こ れによると西屋敷 は、二の丸 の北側 に位置 し、東西百二間、南北六十間 とされている。 この絵 図で二の丸 とされている区域 には、二の丸造営以前には、伊達政宗の四男である宗泰 (後の岩 出山領主)の
屋敷が置かれていた。宗泰の屋敷 と西屋敷 を区画す ると考 えられる溝跡が、第4 次調査地点の調査 において検 出されてお り、 この両者の屋敷の境が、現在の文系4学
部 と附属 図書館の間の道 にほぼ対応す ると考 えられ る (年報5)。 西屋敷が造営 され る以前 については、 「御西様被成御座候二付。竹被切払御作事御座候」(東奥老士夜話)との記録があ り、竹林であ つた ことが伺 える (土生慶子1987)。 寛永13年 (1636年)│こ伊達政宗が死去すると、 その報 に接 した もとの伊達藩奉行茂庭綱元(了 庵)が、それ まで住んでいた愛子村栗生の屋敷 を五郎八姫 に差 し上 げ、自分 は栗原郡文字村(現、 栗駒町文字)に
引 き篭 った。 この ことは F綱元君記録』の寛永八年条、同 じ く寛永十二年条、 また安永二年 (1774年)の
「下愛子村風土記書出」の記述 によって知 られる。 この愛子村栗生 の屋敷 (西館)と
は、現在 の仙台市青棄区下愛子栗生 にある西館跡 と考 えられる。 この寛永13 年 に愛子栗生の もとの茂庭綱元の屋敷 を五郎八姫が譲 り受 けて以降、川内の西屋敷が どのよう に使われたかについては、明確な記述に欠けるが、伊達治家記録の寛文元年 (1661年)5月
12 日に、五郎八姫の死去 について「天麟院殿去ル八 日仙墓城西館二於テ卒去セラル」とあるか ら、 姫 の死去 まで存続 してお り、愛子栗生の西館 は仮御殿 として別荘的な性格 をもっていた もの と 考 えられている (佐藤宏-1987)。 天麟院 とは五郎八姫 の法号である。 一方、西屋敷の南隣にあった伊達宗泰の屋敷の跡には、寛永15年 (1638年)に
、二代藩主伊 達忠宗 によって、二の丸が造営 されている。五郎八姫が死去 して後の西屋敷 については、宮城県立図書館所蔵の「仙台藩封 内神社仏閣等作事方役所修繕二属スル場所調寛文延宝貞享定書共 天麟院様元御屋舗御屏風蔵々也候」 にその様子 を伺 うことがで きる。 これによると、屏風蔵や 道具蔵 な どが見 え、二の丸 に付随す る蔵 として利用 された ようである。 これ らの建物が、西屋 敷時代 の建物 をその まま利用 した ものか、新た に建 て られた ものかは明確ではない。 四代藩主伊達綱村 の元禄年間 に、二の丸 はもとの西屋敷の敷地 を取 り込 んで、北狽1に拡張 さ れ、 もとの西屋敷の敷地 には中奥が置かれ る。当地点 は、 この拡大後 の中奥の もっ とも北 より の部分か ら、中奥 の北側 に置かれた「中奥馬場」 にか けての地点 にあた ると考 えられる。 中奥の建物群 はたびたび建 て替 えられ、 また文化元年 (1804年
)の
雷火 による二の丸の全焼 な ど、い くたびかの災害で被害 を被 り、その度 に再建 されている。絵図 において も、中奥の建 物群 は細部では複雑 な変遷 を示 している。 しか し、今回の調査地点 にあた ると考 えられ る中奥 の北辺部分 は、 その外郭 の位置 はほ とん ど変化がない ことが、各時期 の絵図か ら見て取れ る。 明治2年
(1869年)の
版籍奉還 に伴い、藩務 と家務が区分 され、元 の藩主伊達慶邦 の家族 は 中奥 に移 され、二の丸の表の建物 は勤政庁 となった。 さらに明治4年
(1871年)の
廃藩置県 に よって、仙台城が明治政府の管轄下 に移 り、二の丸 には東北鎮台が置かれ、同15年 (1882年) の火災 による焼失 に至 るのである。 この版籍奉還以降の当地点の変遷 については、明確で はな いが、廃藩置県以降、軍隊が利用するようになってか らは、土地利用が大 き く変わった もの と 推定 され る。 (31 調査方法 と経過 附属図書館の新館 を増築す ることにな り、まず1985年度 に試掘調査 を実施す ることとなった。 調査 は、既存の附属図書館の建物の西側 に合わせて基準線 を設定 し、4mの
グ リッ ドを組 んで 行 った。以後、4次
にいた る調査 は、すべて このグ リッドに基づいて調査 を行 っている。 グ リ ッド設定の際の基準点の国土座標値 は下記の とお りで、基準線 は北か ら18° 10'50″ 西偏 してい る (図4)。 原点NM5-①
X=-193612.285
原点NM5-②
X=-193610.729
Y〓1876.546 Y=1881.283
当初の建物計画 は、既存 の図書館の西側全面 に予定 されていたため、1985年度の1次調査で は、予定地 にあわせて1∼ 7区
の調査区を設定 した。 その結果、1・ 2・ 5・7区
で仙台城 に 関わ る遺構・ 遺物が確認 された。1区
では二の丸 に伴 う東西方向の清、石組列、礎石な どが検 出され、東西方向溝 は、5区
に続 いていた。2区
では、1区
か ら連続す る面が遺存 しているこ とが確認 された。7区
で は、礎石建物跡 と推定 され る礎石の一部が検 出された。残 る3・ 4・6区
では、後 に誤認 と判明す るのだが、撹乱 によって江戸時代 の遺構 は破壊 されているもの と 判断 した。く
罫
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″ 多 多 畠 露 彦 多 μ オ 彎 低 ( 文 ・ 教 育 学 部 図4二
の丸 跡 第 5次 調 査 地点 調 査 区 の位 置 Fig.5 Location of NW15 NM 5ie.Location 5 of\ 杭 ο %珍 α 2 (SecOndary Citadel) 1次 (1985年 度 )設 査区 は ほ「 隠 2次 硼 昨 同 調 査 区 ∞ 域 祭 次 硼 眸 励 誰 区 置 饉 麗 覇 4次 帥 卜隣 働 誰 区 ・ 江 戸 時 代 か ら残 る 杉この
1次
調査の結果 を受 けて、建物 は既存図書館西側の南 よりの位置 に建設 され ることにな り、1987年度 にこの区域 の調査 を実施す ることとなった。 この1987年度 の2次
調査では、1次 調査の所見 を受 けて、予定地の南側 (23列以南)は
部分的な調査 とし、北側 (22列以北)は
全 面的 に調査 を行 うこととした。ただ し、調査 区内の西側 をガス管 。高圧 ケーブル等の埋設管が 南北 に走 っていたため、 これ らの迂回工事が済んでか ら西側地区を調査す ることとしたため、 調査 を実施 した区域 はさらに限定 された もの となって しまった。 ところが、調査が進行するに したがって、南側 は破壊 を受 けていない ことが明 らかにな り、 また、建物位置が当初計画 より 西側 に移動 した ことか ら、調査計画 は全面的 に見直 さざるを得 な くなって しまった。 そのため 12月に、工事 区域全面 を対象 として、大学 と米軍 によると考 えられ る盛上 を重機 によって排除 し、調査計画 をたて直す こととした。 この重機 による盛土排除の際 にも、調査 区南東部分で、 二の丸期の整地層 を近年の整地 と誤認 し、排除 して しまうこととなった。 重機 による盛土排除の結果、既存図書館 に附属す るサ ンク・ ガーデン部分 を除いた建設予定 地のほば全域で調査が必要 となった。 そのため1988年度 に再度本調査 を行 うこととな り、 3月 14日よ り3次
調査 を開始 した。3次
調査 は年度前半 を調査期間 として開始 したが、二の丸中奥 に関連す る遺構 の密集度が きわめて高かつた ことな どか ら調査 は難航 し、大幅な期間延長が必 要 となって しまった。 さらに、下層か らも良好 に保存 された遺構 の検出が相次 ぎ、建築費 の予 算執行上の期限 との関連で、調査期間の確保が不可能 な事態 にたち至 った。 そのため、下層遺 構 に関 しては、北側では柱の基礎 によって破壊 され る部分のみを調査す ることとし、建物基礎 の掘削深度 よ り深 く破壊 を免れ る部分 については、調査 を断念せ ざるを得 な くなった。調査 は、 翌1989年 2月13日に終了 した。 調査の進展 に伴い、二の丸 中奥 に相 当す る建物群 の遺存が明 らかにな り、 さらに下層か ら二 の丸拡張以前の五郎八姫 の西屋敷の遺構が存在す ることが明 らかになった。いずれ も、 これ ま での二の丸跡の調査で検出 された遺構 としては、保存 も良好 な重要な遺構であ り、特 に西屋敷 の遺構群 は、絵図 もな くまった く不明であった ものが初 めて明 らかになった点で、特 に重要な 発見であった。 そのため、10月 3日 と11月 26日には、宮城県教育庁文化財保護課 および仙台市 教育委員会文化財課 の担当係員が来跡 し、保存対策 についての協議が もたれた。 これ らの検討 を踏 まえて、建物建設時 には、門跡 な どの重要遺構 を保存す るために建物位置 を北へ1.2m、 西 に1.Om移
動 させ る措置 をとったほか、掘削深度 より深 く破壊 を免れ る部分 については、山砂 を 40cmの厚 さで敷 き、遺構面 を保護す ることとした。 整理作業 は翌年度か ら開始 したが、それ以前の調査 に関わ る作業が多 く残 ってお りそち らを 優先せ ざるを得なかった こと、発掘調査 のため整理作業がたびたび中断を余儀 な くされた こと か ら、充分な期間が確保で きなかった。 このため、1990年度 までは水洗 。注記 な どの基礎的な作業 を終 えたに留 まり、本格的な整理作業 は1991年度か らであった。 この間に、調査員 の移動 があ り、本格的な作業 を開始 した時点では、調査 を担当 した調査員は退任 した後で、調査 に携 わっていない者で整理作業 。原稿執筆 を担当 しなければな らなかった。 しか も、調査 の際 に期 間が限定 された こともあ り、図面・ 写真 による記録が必ず しも充分でない部分がある。暗渠や 石組 の溝 について、平面図に掘 り方が記載 していない ものは、 この記録が残 されていないか ら である。 また、遺構が複雑であった こともあ り、調査記録 に混乱・ 不整合が多 く、整理作業は 難航 を極 めた。遺構 の変遷 については、整合的に理解で きるように整理 に努 めたが、確定 しき れない部分 を多 く残 している。 このような状況 に加 えて、遺物 の保管場所が何度 も移動 した こ とも重 な り、出上場所が不明 となって しまった もの、混入 と考 えざるを得ない遺物が多 く出る 結果 となって しまった。 今回の調査では、東北大学埋蔵文化財調査委員会が実施 した調査では初 めて、大量 の本製品 が出上 した。 その内の本簡 については、真空凍結乾燥法 による保存処理 を、1991年度 に東北歴 史資料館 において実施 していただいた。 そのほかの木製品については、本学理学部の工場 にお いて製作 していただいた恒温水槽 を利用 して、
PEG含
浸法 による保存処理 を、1992年度か ら 開始 してお り、今後、順次処理 を進 めてい く予定である。2.層
序 と時 期 区分 今回の調査 区は、22列か ら23列にかけて米軍 による共同溝 によって南北 に分断 されている。 おおむね これを境 にして、基本層序の様相が変化す ることもあ り、1987年度の2次
調査以来、 後述する2b層
より下層では、別個 に層名 を付 けている。 したがって、 この共同溝 を境 に22アU 以北 を北区、23列以南 を南区 と大別 して記述 を進めることとする。 さらに、元禄年間の二の丸 拡張 に伴 う整地層 より下層では、それ以前の西屋敷時代 の地表面の様相の違いに対応 して、各 所で層序が異 なっている。下層遺構 については、北区では柱の基礎が入 る部分のみを調査 した こと、南 区で も下層遺構 にまでお よぶ撹乱が多 く存在 した ことか ら、これ らの層序に関 しては、 厳密 には対比で きていない。そ こで、北区で は18・ 19列と20∼ 22列にさらに分 けて記述 す る。 南 区では、H列
か らK列
にかけての地 山の標高の高い部分 を南区中央部 とし、それ よ り東 を南 区東部、西 を南 区西部 として区分 して記述す ることとす る。 調査 区の北 区 。南区 ともに、遺構の様相 とそれ らの分布 を検討す ると、大 きく下層遺構群 と 上層遺構群、それ らにはさまれ る整地層 とに区分す ることがで きる。 この整地層には、北区の Ⅳ・ V・ Ⅵ・ ⅥI・ ⑥・ ⑦層、南区の2d・
3a層
が認 め られ、場所 によっては多量の廃棄物 を 含 んでいる。 その内、北区18・ 19列のVII層とⅥ層か らは、元禄年間の年号の書かれた木簡が出 上 してお り、 これ らの層が、文献 に記録のある元禄年間の二の丸拡張に伴 う整地層であ る と考区20∼22列 南区中央部 II b期 HI a
Hb期
Ha期
元禄年間 -58rn =北区・南区共通=
1層米軍・ 大学 による盛土。
2a層
10YR3/2黒褐色 シル ト。場所により礫の多い部分や粘土質 シル トの部分がある。炭化物多 く含む。黄褐 色 シル トなどが不均質に混 ざる部分があ り、細分 される。2b層
10YR4/6にぶい黄褐色砂。10YR5/2灰 黄褐色シル トが縞状に入る。 地山 7.5YR5/1緑灰色 シル ト質粘土。一部砂礫が混ざる部分有 り。 =北区=
m層 10YR5/1褐灰色 シル ト砂。上面に鉄分沈着、炭化物多 く含む。Ⅳ層 10YR5/3に ぶい黄褐色砂。2 5YR5/2暗 灰責色粘土質シル ト・2 5YR5/3黄褐色シル トが不均質に混 じる。 小礫含む (下部 に多い)。 炭化物含む。
V層 7 5GY4/1暗緑灰色砂質 シル ト。上面に鉄分沈着。炭化物多 く含む。褐灰色・黒褐色を呈する部分があり
細分 される。 三北区18。 19列
=
Ⅵ層 10YR7/6明黄褐色 シル ト・5GY6/1オ リーブ灰色シル ト・10YR6/4に ぶい黄橙色粘上質シル トが不均質に 混 じる。上面に鉄分沈着。小礫 を多 く含む。 VⅡ層
細か く細分 されるが、7 5GY4/1暗 緑灰色粘土質シル トを主体 とし黒褐色粘土質シル トが不均質に混ざる 層 と、有機物層が互層になる。人頭大の礫が多 く含 まれる部分や、黄褐色シル トを含む部分 もある。 ⅥⅢ層 10GY6/1緑灰色 シル ト質粘土 と5GY4/1暗 オ リーブ灰色 シル ト質粘上が不均質に混 じる。 =北区20∼ 22列
=
⑥層細か く細分 される。図12参照。炭化物・ 礫・ 瓦 。木片 を多量 に含む。 ⑦層
細か く細分 される。図12参照。礫・ 炭化物などを含む。 ③層
細か く細分 される。図12参照。部分的に櫨物の堆積層が入る。 =南区
=
2C層
10YR4/3にぶい黄褐色 シル ト 炭化物・ 小礫多 く混 じる。2d層
大規模な盛土層。 =南区東部=
3a層
10YR2/3黒褐色 シル ト 炭化物・ 小礫少量混 じる。3b層
10YR3/2黒褐色 シル ト 2 5YR4/3オ リーブ褐色土ブロックが不均質に混 じる。炭化物少量含む。上面に は廃棄物層が堆積。3C層
7 5YR3/1黒褐色 シル ト 比較的均質な層。小礫少量含む。 =南区中央部・西部=
3層 10YR2/2黒褐色粘土質 シル ト 植物の腐食土層。池の底部ではグライ化 している。 図6
基本層序模 式図Fig.5 schematic prOfiles Of NN1 5
b a
えられ る。 その上 に堆積す る北区の
V層
の上面では、畑跡 と考 えられ る畝状 の遺構が検出され ている。南 区では、同様 の遺構が、東部 にのみ分布す る3a層
の上面で確認 されてお り、 この3a層
が、北 区V層
に対応す る と考 えられ る。 この畑跡 と考 えられ る遺構 は、二の丸拡張以後 の土地利用のあ り方 とは考 え難 いため、 これ も二の丸拡張以前の時期 と推定 した。 さらに、 こ の畑跡 を覆 う北 区のⅣ層 と南 区の2d層
は、特 に2d層
が大規模 な整地層であるため、 これ ら について も、元禄年間の二の丸拡張 に伴 うもの と考 える他ない。二の丸の大改造 は、元禄元年 (1688年)か
ら元禄13年 (1700年)に
かけて行われてお り、 この ご く短 い間に次々 と整地がな されていった もの と考 えられ、 これ らをまとめてH期
とした。 このH期
では、北区Ⅳ層上面で 溝が検 出されてお り、 これをHa期
とした。 また先述の ように、北 区V層
上面 と南 区東部3a
層上面では畑跡が検 出されてお り、 これ をHb期
とした。 この元禄年間 と推定 され るH期
の整地層以前の遺構群 は、二の丸拡張以前 にこの場所 に置か れていた西屋敷の遺構 と考 えられ る。下層遺構群 は、北 区の調査が限 られた範囲であったため、 相互の対比 は行 えな くなっている。 そのため場所 によっては不明確 な部分 を残 してはいるもの の、大 き く捉 えると、全体 に新古の2段
階に区分す ることが可能である。直接的な対比ではな い ものの、この各区部 の新古の2段
階が、それぞれ対応す る可能性が強い もの と考 え、Ia期
、Ib期
と細分 した。 II期の整地層以後の遺構群 は、二の丸が この場所 まで拡張 された後の遺構群 と考 えられ る。 その内、北 区Ⅳ層 。南区2d層
上面 と、北 区Ⅲ層・ 南区2C層
上面の遺構が、遺構 の配置や出 土遺物 な どか ら二の丸期 の遺構であると考 えられ、それぞれШa期
とⅢb期
と細分 した。2b
層・2a層
は、 さらに細分 され るが、出土遺物か らこれ らの層 は、明治以降の第二師団による 盛土層 と考 えられ ることか ら、2b。
2a層
上面の遺構 は、明治以降の もの として一括 してIV 期 とした。遺構の掘 り込 み面が不明な もので も、出土遺物か ら明治以降 と考 えられ るものは、 この時期 に含 めてある。 以上の点か ら、調査 区の各 区部での層序の対応関係 は、確実ではない部分 を残 しているが、 図5に示 した ように整理す ることがで きる。63rn 62rn 60rn 61m
21 1 20 1
19 VII― 2 VI一 下 63m 62rn 61rn 60rn 62rn 61rn 60rn 63m 62rn 61rn 60rn 59m lll 1 2 a層 llllllllll1 2 b層 踵 雲 北 区Ⅲ層・ 南 区2C層
圏 北区Ⅳ層・ 南区2d層
Ⅷ 北 区V層 。南区3a層
に 地山 コンク リー ト建造物0 5m
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VII-4` VII――VII-5 VII-7 VII-8
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図
6
調査 区外周壁断面図 Fig.6 Cross sections of excavation at NW15I