11
土層註記
門跡
2B支
柱 ユ6 7 8 9 10 11
7 5YR3/1 黒褐色 砂質シル ト 小礫含む
7 5GY6/1 緑灰色 粘上質シル ト 瓦・木片・木屑含む 7 5GY4/1 暗緑灰色 カロエ木・下部にかんな居含む
10GY4/1 暗緑灰色 細砂 加工木・かんな層・炭化物・磁器含む 7 5YR4/2・ 10YR4/6 灰褐色・褐色 ンル ト 円礫 。炭化物含む
5 GY4/1 暗オリープ灰色 粘土質シル ト 円礫・底部に大礫含む 7 5YR6/1 褐灰色 シル ト 用礫・角礫・ 白色腐礫・炭化物含む 10YR6 5/1 褐灰色〜灰白色 ンル ト 礫・白色腐礫・木片含む
N65/0 灰色〜灰自色 シル ト 礫・木片含む 5 BC5/1 青灰色 シル ト 円礫・角礫含む 5B6/1 青灰色 粘土質シル ト
軸 引
ミ ̲r
61111m\ ヾ宝ガ■二 責
│ザ/
00rn
Vull
ヽ∪r
土 層 註 記
図
37
Шb期検 出遺構14)Fig,37 Features of phase IHb at NW15(4)
10YR4/4・ 5 YR3/6 褐色・暗赤褐色 粘土 礫含む 10YR3/3 暗褐色 粘土
10YR5/2・ 5 YR5/8 灰黄褐色・明赤褐色 粘土 10YR6/2 灰黄褐色 粘土質シル ト 礫含む
5 GY4/1 暗オリープ灰色 粘土質シル ト 瓦・木片 円礫・角大礫・炭化物含む
0 2m
60,00rn 門跡2A支柱2
門跡2本柱 門跡2本柱2
14)Ⅳ
期 (第二師団)の
遺構(2b層
・2a層
上面)明治以降の第二師団の時期 と考 えられ るもので、遺構 の配置 は、Ⅲ期 とは大 き く変化す る。
何段階かの変遷があるが、一括 してⅣ期 とした。 また、以下では個々に記述 しないが、調査 区 各所 に丸杭 の杭列があ り、それ らの方向は、他の遺構 とほぼ同 じである。
Ⅳ期の遺構 の内、
7本
の暗渠が切 り合いか ら、Ⅳ期 のなかで最 も新 しく位置づ けられ る。暗 渠 は 2カ 所で木箱埋設遺構 を伴 っている。木箱 は便槽 と考 えられ、それに接続す る暗渠 は下水 施設であろう。 これ らの暗渠が構築 され る以前 は、南北 にはしる7号
清 とそれに伴 う1号
柱列 により、基本的な東西の区画がなされている。 この区画の西側 には便所 と考 えられ る小規模 な 建物跡 と、それに ともな う塀跡が確認で きる。東側では、調査 区の北側で礎石建物跡が柱列の 脇 に存在す る。東側 の、中央か らやや北 よ りの部分 には、 コの字型の1号
濤が検 出された。1
号溝 の東側で は、 ゴ ミ穴 と考 えられ る土坑や井戸跡が検 出されている。
1号
溝で区画 された内 側 には、柱穴 と考 えられ るピッ トが数基存在す るだけで、この部分の利用状況 は判然 としない。【1号建物跡】(図39、 図版16)
K‑18・
19区か らL‑18・19区にかけて検 出された礎石建物跡で、方向はN‑25°一Wで
ある。礎石 は残存せず、一辺70甑程の、ほぼ隅丸方形 の掘 り方に、河原石 を入れて根固め としている。
南北1間分が検 出されているが、北壁セクションに、 この建物の続 きの可能性のある柱穴が見 られることか ら、南北 はさらにのびていたのが、
1号
暗渠に壊 されている可能性がある。南北 の柱間は、約1.8mで
ある。東西 も1間であるが、柱間が約3.6mで
あ り、柱 2と 柱4の間に、別の柱が存在 した可能性が考 えられるが、 この部分 は試掘調査の際に掘 られてお り、確実では ない。柱
3が
、同様 の柱穴 を壊 してお り、またややずれた位置 にピッ ト455が存在す ること、北 壁セクションに1号
建物跡 とずれ る柱穴が見 られることか ら、 この場所で立て替 えが行われて いる可能性が考 えられ る。柱穴1・2が
、1号
柱列 の柱1・ 2と 、ほぼ対応す る位置 にあることか ら、同時 に存在 した可能性があ り、両者 の間隔 は、 ほぼ
1.8mで
ある。【
2号
建物跡】(図40、 図版16)M・
L‑25区
で検 出された掘立柱建物跡である。南北2間
分、東西1間分が確認で きる。柱 穴 は直径70cm程度 の円形 を呈 し、柱1〜 3は布掘 り状 の濤のなかで見つかっている。柱1〜 3の方向はN‑24° 一
Wで
ある。柱間 は約121cmであ り、他の通常の建物 に比べ極端 に短い。位置 か らいって便槽状 の構造 を持 った1号
木箱埋設遺構 を伴 う可能性が高い ことか ら、本建物跡 は 便所 の覆屋 と考 えられ る。柱 1と 柱3の埋土か ら寛永通宝 (図104‑36・37)が
各1点出上 して いる。【1号柱列】(図39・ 40・ 41、 図版14・ 16)
L‑18区
からK‑29区
にかけて検出された、7号
溝の東側 に平行 して並ぶ掘立柱列である。南北 とも調査 区外 にのびるもの と推定 され る。 また、調査 区内で最 も北側の柱 は、
1号
暗渠に 破壊 されているもの と考 えられ る。柱穴19個を検出 したが、撹乱で途中壊 されている部分 もあ るので、23間以上 にな り、42m分
を確認 した ことになる。7号
溝 と同様 に、22〜 24区で若干東 にぶ くらむが、全体 の方向はN‑24°一Wで
ある。柱間は182cmで、交互 に大小の柱穴が並ぶ。大 きい柱穴 には本柱 の他 に控柱が伴 い、河ヽさい ものには本柱1本のみが入 る。平均的な柱穴 の大 きさは、大 きい ものが、東西60cm前後、南北40〜60cm、 深 さ100cm前後で、長方形 の ものは東西 に長 くなっている。小 さい ものは、東西30〜40cm、 南北50硼前後、深 さ100cm前後で、長方形の ものは南北 に長 くなっている。 ほ とん どに柱根が残 り、全て角柱で、太 さは一辺20cm前後であ る。本柱 は、柱穴 の中程 の深 さの所で、柱列の方向に沿って、溝状のほぞを切 り、そこに細い 角材 をはめこんでいる。7号
溝か らの距離 は、溝の東側の縁か ら計 って、本柱が70cm、 控柱で 100cmである。7号
濤 に伴 い、東西 に区切 る塀跡であると考 えられ る。【
2号
柱列】(図40)2号
建物跡の南側、M・L‑25・
26区で検出された東西の柱列である。東側 は塀 を伴 う7号
溝 に直交す ると考 えられ る。柱間 は約192cm、 方向はE‑24° 一Nで
ある。柱穴の断面 には柱の 痕跡 はな く内部 に根石が詰 まっていることか ら、本来 は礎石 を伴 っていた可能性がある。便所 建物 と考 えられ る2号
建物 の南側 を囲む目隠 し塀的な性格 を想定で きる。【
3号
柱列】(図 40)1号
柱列の東側、K‑26区
で検出された東西の掘立柱列である。柱穴 は長方形 を呈 し内部 に は角柱が残存 していた。柱間 は約180cm、 方向はE‑24° 一Nで
ある。西端 にあた る柱1は1号
柱列の柱14と柱15の真ん中に位置 している。 この ことか ら、3号
柱列 は当初か ら1号
柱列 に間 尺 を合わせ、それ と直交す る形で作 られた と推定 され、1号
柱列同様、塀跡 と考 えられる。【1号溝】(図40・ 41、 図版15)
F〜 I‑24〜
27区で検 出 された南側 に開 くコの字型の溝である。北辺 は約13mあ
り、南北の 長 さが東西幅 よりも長い。東辺の溝では、両側 に石組みの一部が残 ってお り、本来石組溝であ つた と考 えられる。北辺 と西辺では、溝の外側 に石敷が伴 っている。北辺 には溝の内側 に沿っ て数基の ピッ トが存在 してお り、 この部分 に塀のような施設が伴っていた可能性 もある。【
3号
溝】(図41、 図版14)J‑28・
29区で検出された南北の石組清である。石組のなかには部分的に木樋が残存 してい る。木樋 自体 は石組 よ りさらに北側 に張 り出している。木樋の北端部 には桝状の木箱が確認 さ れている。北側 に張 り出 した木樋部分 には同 じく木樋を埋設 した10号溝が直交 している。石組 と木樋 は一連の施設ではな く、時期差があると考 えられ、元来石組溝であった ものを木樋 に改 修 した可能性が高い。本溝 の埋±2層か ら19世紀前葉〜 中葉 に位置づ けられ る瀬戸産 の色絵同心円文小碗 (図
49‑492)力
ゞ出上 している。【
7号
溝】(図39・ 40。 41、 図版14)L・
M‑18区
か らK・L‑29区
にかけて検出された南北方向の石組溝で、1・6号
暗渠に切 られる。東側 に1号柱列が平行 して並ぶ。方向はN‑24°一Wで
あるが、23・24列で は若干東 に 膨 らむ。南北 とも調査 区外 に伸 び、途中撹乱で破壊 されている部分があるが、46mを
検出 した。内幅50cm、 深 さ50〜60cm、 底面 レベルは北側が低い。幅
1.5mほ
どの掘 り方に、石 を2〜 3段
積 んで構築 しているが、21列以北 は西側 の石が取 り去 られている。2b層
途中か ら掘 り込 まれて いる。埋土 は、下半が堆積後、2b層
上部、2a層
が入 り埋 め られている。埋土か らは、多量 の板材、ガラス瓶、釘 な どが出上 してお り、瓦 も比較的多い。廃材などが捨て られた ものであ ろう。陶磁器・ 土器類 も比較的多 く出上 しているが、他の遺物ほどではな く、各時期の ものが 混在 している。【10号溝】(図41)
I・
J‑28区
で検 出された東西の本樋 を配 した溝である。掘 り込みは浅 く、東側 は失われて しまっている。西端 は3号
清の木樋 に直交 し、それ と接続 している。【1〜
6号
暗渠】(図39・ 40・ 41、 図版15)この1〜
6号
暗渠 と次の7号
暗渠は、Ⅳ期の遺構群 の中で、最 も新 しい もので、他の遺構 を 切 って構築 されている。掘 り込み面が確認で きる3号
暗渠 は、2b層
上面か ら掘 り込 まれてお り、2a層
に覆われている。7号
暗渠のみが、他 と様相が異 なるが、1〜 6号
暗渠 は、規模・構造が共通 し、方向 も
2号
がN‑23°一Wで
、他がE‑24° 一Nと
ほぼ同 じである。撹乱 によって 破壊 された り、調査区外 に伸びるもの もあ り、全体の様相が判 るものはないが、3号
暗渠は西 端で南 に折れている。5号
暗渠 は、西端が検出されている。1号
暗渠 と2号
暗渠が接す る部分 は、境乱 によって破壊 されてお り、両者の関係は不明である。 また、3号
暗渠 には、中ほ どで3号
木箱埋設遺構が取 り付 き、伴 うもの と考 えられる。いずれ も上幅40〜70cm、 下幅30〜60cm、深 さ80cm〜
1.Omの
溝中に、河原石な どの礫 を詰 めている。【
7号
暗渠】(図41、 図版15)G・
H‑29区
で検出された、溝 に礫 を詰 めた東西方向の暗渠で、方向はE‑22° 一Nで
ある。東西 とも撹乱で破壊 されている。途 中で北側 に分岐 して伸びるが、
6号
暗渠 との前後関係 はと らえられていない。 この分岐す る所の北東側 に4号
木箱埋設遺構があ り、伴 うもの と考 えられ る。上幅2.Om、 下幅1.9m、 深 さ1.Omで
、他の暗渠 と比べて幅広で、中に入れ られている礫 も 大 きい。【1号土坑】(図40、 図版16)
E・