12‑‑4
11‑‑1
10〜 12号柱列
10‑1 t
とその位置か ら、建物の基礎 によって破壊 されない と判断 されたため、検出のみで、掘 り上 げ ていない。側石の上 に偏平 な河原石で蓋 をした暗渠である。石の残 っていた部分の長 さ2.3m、
側石の外狽Iでの幅40cmで ある。掘 り方 と見 られ る部分の範囲が石組 に比べて非常 に大 きいが、
掘 り上 げていないため、石組 との関係が どのようになっていたのかは不明である。
【
3号
上坑】(図28、 図版12)G・
H‑18区
で検 出された。南側 を撹乱 によって破壊 され、東・ 北側 は調査区外 に伸 びる。東西
5.8m以
上、南北2.Om以
上、深 さ40〜60clnの広い落込 みである。埋土 は3層
に分 けられ、いずれに も礫・ 炭化物が含 まれ、人為的 に埋 め られた もの と考 えられ る。埋±
2層
(遺物取 り 上 げは埋±3層 )に
は、陶磁器・ 土器 な ど比較的多 くの遺物が含 まれてお り、 まとめて廃棄 さ れた もの と考 えられ る。 その他の埋±1層 。埋±3層
には、遺物 はほ とん ど含 まれていない。名
16号溝埋土土層註記
理 キ 10YR2/2 黒褐色 砂質 シル ト
0 2m
図31 111a期検 出遺e14) Fig 31 Features of phase IHa at NW15(4)
10号柱列 柱4 10号柱列 柱 ユ
■
号柱列
柱
2 6030m
10号柱列柱1埋土上層註記
埋± 1層 10YR5/6 黄褐色 シル ト 明褐色粘土質 ンル ト塊・ 礫含 む 柱痕跡 埋上2層 10YR3/4 暗褐色 砂質 シル ト
10号柱列柱4埋土上層註記
埋上 1層 25Y5/1 黄灰色 粘土質 シル ト 空洞多 柱痕跡 埋±2層 25Y5/1 黄灰色 粘土質 ンル ト 黄褐色粘土含む 11号柱列柱2埋上土層註記
埋± 10YR3/3 暗褐色 粘土質 ンル ト 灰 白色粘上含む 13号柱列 柱3
‑6070m
暑
14号柱列 柱3
追三年竃 柱
ュ鼠滝売 層
藍謡色 シル ト質粘土 空洞多 柱痕跡 423
埋±2層 10YR4/1 褐灰色 ンル ト質粘土 明褐色粘土塊含む 14号柱列柱3埋上土層註記
埋± 1層 柱痕跡
埋±2層 10YR4/4・ 5/1 褐色・褐灰色 粘土質 シル ト P■423埋土土層註記
埋±1層 10YR5/1 褐灰色 粘土 柱痕跡 埋±2層 10YR7/6 明黄掲色 粘上 ll号柱列 柱3
‑6050m
10号柱列柱6埋土土層註記
埋± 1層 25Y4/1 黄灰色 粘土 空洞多 柱痕跡 埋±2層 10YR7/6 明黄褐色 粘上質 シル ト
埋±3層 10YR7/4〜5/4 1こぶい黄橙色〜 にぶい黄褐色 粘土 14号柱列柱1埋土土層註記
埋±1層 10YR3/4 暗褐色 粘土質 シル ト 礫含む 柱痕跡 埋±2層 10YR4/4 褐色 シル ト 粗砂 。腐礫・ 小礫含 む
6120m
号柱列 2(IIIb期)
6050m
10号柱列 柱6
乳
14号柱列 柱
lPを130m
FGを
140m
7号柱列 柱3(Ⅲb期)
‑6060m
K′60 80rn
獣
̲
14号柱列│
柱4
13号柱列柱4埋上上層註記 ‐ ‐
埋± 1層 10YR3/1 黒褐色 シル ト 空洞多 柱の残存有 り 埋±2層 10YR3/3 暗褐色 シル ト 明褐色及び白色粘土沈・礫含 む Pit421埋土土層註記
埋± 10YR4/2 灰黄褐色 粘土 小礫含む 14号柱列柱4埋土土層註記
埋± 1層 10YR4/6・ 2/3 褐色・ 黒褐色 ンル ト・ 粘土質 シル ト 柱痕跡
埋上2層 10YR6/8・ 4/4 明黄褐色・ 褐色 粘土質 ンル ト・ シル ト質粘土 砂・ 小礫含 む
留 鷲
15号 柱 列柱1埋土 土 層註 記 12号柱列
柱1
■号柱列 柱2
‑6030m
11号柱列柱3埋上土層註記
埋上 10YR3/4 暗褐色 シル ト 砂 。2d層起源の黄褐色粘土塊 礫含む 12号柱列柱1埋土土層註記
埋± 1層 10YR5/6 黄褐色 ンル ト質粘土 下部 に砂含む 埋±2層 10YR4/3 1こ ぶい黄褐色 粘土
埋± 1層 7 5YR6/8 橙色 粘土質 シル ト 礫含む 埋上2層 7 5YR7/8 黄橙色 粘土質 ンル ト 礫・ 炭化物含 む 埋±3層 7 5YR6/4 にぶい橙色 粘上質 シル ト 15号柱列柱2埋土土層註記
埋± 1層 10YR4/6 褐色 シル ト 砂・ 小礫・灰褐色粘土含 む 柱痕跡 埋上2層 10YR5/6 黄褐色 シル ト 灰色 。黄褐色粘土含 む 埋±3層 10YR5/2・ 5/6 灰黄褐色・黄褐色 ンル ト
3号建物跡 柱9
Ti洋
0 1m
― FLを
110m
‑60 50rn
3号建物跡 柱2
轍
3:il:│:
18号柱列柱4埋土土層註記
埋± 1層 10YR4/4 褐色 砂質・ 粘土質 ンル ト 小礫 。炭化物含む 柱痕跡
埋上2層 10Y R6/6 明黄褐色 粘土質 ンル ト 浅黄色及び明褐色粘土・ 砂・ 小礫・ 炭化物含む 埋±3層 10Y R4/4 褐色 砂 黄褐色粘土質 シル ト塊・礫含む
3号建物務柱2埋土土層註記 埋±1層 柱痕跡
埋±2層 10YR4/6 褐色 砂質 ンル ト 円礫・ 炭化物含 む
埋±3層 10YR3/4 暗褐色 シル ト にぶい黄褐色土塊・礫・ 炭化物含 む 3号建物跡柱9埋上土層註記
埋± 10YR5/4 1こ ぶい黄褐色 シル ト質粘土 礫含む 2d層に等 しい
図
32 ma期
検 出遺構断面図Fig 32 Cross sections of features at NM5(phase IHa)
P421
15号柱列 柱2
18号柱列
柱4
②
IIIb期
(北区III層上面 。南区2C層
上面)南区では、北寄 りの24・25列に遺構が集中 している (図35)。 この部分 にはШ
a期
にも建造物 が存在 していたが、本期 には、 その上 を盛上 によ り整地 し (整地層③・④)、 建物が構築 されて いる。北 に開 く門が存在 し、 この問 を起点 として、西側 に南北の、東側 に東西方向の区画が認 め られ る。建物群 は門跡 の南東方向に存在 していた と考 えられ、その部分で非常 に多 くの柱穴 が検 出されている。門跡 は、同 じ位置で新 旧2段
階の変遷が追 え、新 しい段階の門 は、 よ り簡 素 な構造 に作 り替 えられている。門に接続す る東西の区画施設 としては、
5号
溝 と2号
溝があ り、 これ らの清 の南側 には7号
柱列 と8号
柱列が伴 っている。 これ ら溝 と塀か らなる2組
の区画施設 は直接の切 り合いを持 っ ていない。 しか し5号
清がⅢa期
の区画溝 の位置 をほば踏襲 しているのに対 して、2号
溝の位 置 は南 に大 き くずれ ることか ら、5号
溝か ら2号
溝への変遷が推定で きる。門跡同様、区画溝 も簡素化 された と仮定 した場合、縁石 を伴 う5号
溝か ら素掘 りの2号
溝への変化 は、 この仮定 に合致す る。 また、5号
溝 に伴 う7号
柱列 は6号
柱列 に接続 し、 さらに西側で は門跡2の東側 の控柱 につなが ることが推定 される。門 につなが る東西 の区画施設の北側 には部分的 に多量の 円礫 を含 んだ整地層 (整地層⑥)が
認 め られることか ら、 この部分 はШa期
同様、道路 として 利用 されていた と考 えられ る。 これ らをまとめると、Шb期
の遺構変遷 は、門跡2(古
段階)→門跡
1(新
段階)、5号
溝 (古段階)→ 2号
濤 (新段階)、7号
柱列 (古段階)→ 8号
柱列 (新 段階)と
なる。【門跡1】 (図35・ 37、 図版13)
地中に埋 め られた梁の両端 にほぞ穴 をあけ、そ こに本柱 を据 えた簡素な構造 の門である。地 中の梁 は、長方形の掘 り方の両端 に礎板 の代わ りに据 えられた角材 の上 に渡 されている。西側 の本柱 に当た る部分 を撹乱 により破壊 されているが、東側 の本柱 は門跡2の東側本柱 とほぼ同 じ位置 にあ り、その位置 は踏襲 されていた可能性が高い。門の長軸方向はE‑25° 一
Nで
ある。【門跡2】 (図35・ 37、 図版13)
門跡1の下か ら検 出された。本柱の外側 に支柱 を置 き、 さらに支柱の内側 に控柱 を配置 した 北 に開 く門である。断面方形の柱が一部残存 してお り、本柱の間隔は約315cm、 本柱 と支柱 の間
隔 は約105cm、 支柱 と控柱 の間隔は約150cmである。両方の支柱 に同 じ位置で重複が認 め られ る
ことか ら、門 は部分的な修復 を受 けた ことがわか る(F]跡
2B→
門跡2A)。 柱 は全て上面平坦 な地中礎石の上 に据 えられている。本柱 の掘 り方の底面 には礎石 を取 り囲んで根固め石が隙間 な く詰 め られている。門跡2Aの
支柱掘 り方 は、細 かな砂 と粘土質 シル トを交互 に突 き固めて 埋 め戻 されてお り、埋 め上 には多量 の木片、かんな居が含 まれている。柱 の掘 り方か らは多量 の瓦が出上 してお り、門や それに続 く塀 に瓦が用い られていた と考 えられ る。本柱の左右 に支柱 を持 ち支柱の背後 に控柱 を配置する点 は、18世紀前葉 の創建 と考 えられて いる仙台市茂 ケ崎の大年寺惣門 と共通す る。大年寺 の惣門は修復工事の際 に仙台市教育委員会 により調査 され、柱穴 の配置、構造な どが明 らか にされている (結城・渡辺1986)。 門跡 2と 大 年寺惣門 は、控柱や支柱の形態・ 規模な どに共通点が多 く、上屋の構造 も類似す る可能性があ
る。
【
4号
柱列】(図35。 36)K‑25〜
29区で、約256cm間隔でN‑25° 一Wの
方向に並ぶ6基
の柱穴が検出された。柱の掘 り込みは浅 く、塀 な どの施設 と考 えられ る。柱1の北側ではこれに続 く柱穴 は検出されていな いが、本柱列の西側ではШb期
の遺構が検出されていない ことか ら、本来 は柱1の北で東 に折 れて門に接続す る区画施設であった可能性が高い。【
5号
柱列】(図35。 36)4号
柱列の東側 に隣接 し、平行す る柱列である。柱穴 は3基
確認 されてお り約216cm間隔で並 ぶ。本柱列 は位置的 にみて4号
柱列同様、中奥建物群の西側 を区画す る南北塀であった と考 えられ、
4号
柱列 とは新旧関係 にあった と推測 され る。【
6号
柱列】(図35・ 36、 図版11)門跡の東側、
H‑24・
25区に比較的大 きな四角い掘 り方の ピッ トが3基
南北 に並ぶ。柱 の痕 跡 は柱3で
検出 されただけであるが、形態や規模が類似 していることか ら柱列 と判断 した。柱 の間隔は約216cmで あ り、方向はN‑25° 一Wで
ある。北端 の柱1は門跡2の控柱 を結んだ延長 線上 にあ り、東側 の控柱2か
らは約320cm離れている。規格性か ら判断 して本柱列 は門跡 2と 同 時期 に存在 していた可能性が高いが、その性格 は不明である。なお柱1の埋土か らは19世紀代に入 る鉄釉播鉢 (図
56‑285)が
出上 している。【
7号
柱列】(図35・ 36、 図版11)門跡の東側、
2号
溝 と5号
溝の間で検出された東西柱列である。約168cm間隔で並ぶ5基
の柱 穴 は、直径約30cm、 検出面か らの深 さ約40cmでほぼ一定 している。柱列の方向はE‑25° 一N
で、本柱列の延長線上 には門跡2の控柱や、
6号
柱列の柱1が
存在す る。本柱列 は門の東側 に 続 く東西の塀 と考 えられる。北側 に平行す る5号
溝 は、本柱アUに伴 う区画溝であろう。【
8号
柱列】(図35・ 36、 図版11)2号
溝の南側 に接 して柱穴が4基
東西 に並ぶ。柱間 は約120cmで、方向はE‑25° 一Nで
ある。柱 は
1辺
約50cmの角柱で長方形の掘 り方のなかに残存 してお り、底面付近 には根固め石が認 め られた。本柱列 は、掘 り方の規模 も大 き く、太い柱が比較的密 に並ぶ ことか ら相当重量のある 上屋建物であった可能性が高い。【
9号
柱列】(図35・ 36、 図版11)台 [勤 留訂 国□ Δ 瞑
P
貯
匡コロ コキ E正 里
呼
茅霞
図
33 mb期
遺構配置図Fig.33 Distribution of features at NV15(phase IHb)