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la期

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報6 (ページ 46-50)

買 ′

A. la期

中央部 と、一段低 い東部 に雨落溝 を伴 う礎石建物跡が存在す る。西部 は庭園 として利用 され てお り、北区か ら続 く中島 を伴 った大規模 な池が広がっていた と推定 された。

6号

建物跡】(図14、 図版5)

南区東部 において

3C層

の下か ら検出された。明治期 の井戸跡 によ り東辺の一部が失われて いる。N‑25° 一

Wの

方向をとる南北棟で、南北11間以上、東西

3間

分が確認 されている。

礎石 は全て抜 き取 られてお り、内部 に礎石 を据 えるための根固め石が詰 まった柱穴が並ぶ。

柱穴 は、上幅約1.3m、 底幅約0.5m、 深 さ約

0.6mで

、隅丸正方形 を呈す る。柱間 は約200帥 を 測 る。

20号溝 は、本建物 の雨落濤 と推定 され る。 この溝 は、本建物跡の北辺か ら

6間

目で東 に屈曲 してお り、この菩[分か らさらに東側へ建物が展開す る可能性がある。この ことか ら、本遺構 は、

い くつかの建物が廊下でつなが る分棟型建物の一部 と考 えられ る。

本建物跡の柱穴か らは、17世紀後半 に比定 され る肥前産色絵中型丸碗 (図

44‑414)や

、瓦質 土器 (図

66‑97)が

出上 している。

7号

建物跡】(図16、 図版4)

南区中央部 の米軍共同清南側で検 出された。周辺 を後世の撹乱で大 き く破壊 されてお り、建 物の中央部 と考 えられ る部分 に、東西 に

3基

並ぶ礎石跡が2列残 されているだけである。27・

28号溝 は、本建物 の東西の雨落溝 と考 えられ、 その位置関係か ら、本来 は東西

3間

の建物であ った と考 えられ る。建物 の方向は、N‑24° 一

Wで

ある。

礎石 は全て抜 き取 られてお り、内部 に礎石 を据 えるための根固め石が詰 まった柱穴が並ぶ。

柱穴 は、隅丸方形で、柱間 は約252cmと広い。耳ヒ側 に位置す る24号溝 を、本建物 に伴 う雨落溝の 一部 と仮定す る と、本建物跡 は、池 に面す る北側 に1間四方の張 り出 しを持 っていた ことにな

る。 その場合、本建物 は、張 り出 し部分 を除 き、南北 に

4間

以上の南北棟 になる。

本建物 は、池 に面 して建 て られてお り、柱間隔が通常以上 に広い点 と考 えあわせ、 日常的な 住空間 というよりもむ しろハ ンの空間であった と想定 される。

20号溝跡】(図14、 図版 5)

南区東部 において地 山面で検 出された。ピッ ト387と切 り合 っているが、両者 の新 旧関係 は捉 えられていない。北端 は削平 されている。

本溝 は石組濤であ り、上幅約1.Om、 底幅約0.6m、 深 さ約

0.5mの

掘 り方の中に、幅が40cm程 度 になるように、径20から30cm程度の自然石 を組 んでいる。溝 の深 さは20cm前後で、底面 には 比較的小 さな石が敷かれている。

溝 は、

6号

建物跡の周囲 を取 り囲むように配置 されてお り、構造の点で も、

6号

建物の雨落 溝であった可能性が高い。本溝 の南西隅に接続す る29号溝 は、20号清 に溜 る水の排水 を目的 と

した施設 と考 えられ る。なお、20号溝の南辺 は、石組の一部 に重複が認 め られる。

溝の埋土か らは、肥前磁器 の壷蓋 (図49‑493)、 京・ 信楽系の灰釉丸碗 (図52‑227)、 銅緑 釉 を施 した肥前産 の陶器小皿 (図53‑243・

244)が

出上 している。 これ らの遺物が、17世紀後 半か ら18世紀前葉 に位置づ けられ ることか ら、本濤 は、それ以前の段階に機能 していた と考 え られ る。なお、本溝 と切 り合いのあるピッ ト387からは、黒漆塗 りの櫛(図94‑069)、 柄 に蕨手 形の列点文 を もつ銅匙 (図106‑76)、 筆の部品 と考 えられ る管状金属製品 (図106‑77・ 78)、

ヘ ラ状金属製品 (図

106‑79)が

出上 している (図版5)。 金属製品はいずれ も銅製で、全てに 鍍金が認 め られ る。匙やヘラ状金属製品は故意 に曲げられた状態で出土 してお り、何かの機会 に化粧道具の一部 を一括 して廃棄 された可能性が高い。

23号溝跡】(図14)

調査区の南東隅で検出された素掘 りの東西溝である。溝 の方向は、

6号

建物の雨落溝である 20号溝 の南辺 に平行す る。幅 は、上面で約0.6m、 底面では20〜 30餌である。本溝 は、西端 で29 号溝 に接続 してお り、

6号

建物 に伴 う一連の排水施設 と考 えることがで きる。

24号溝跡】(図15、 図版 6)

南区中央部 にあ り、南側 を米軍の共同溝 により、北西部 を

Ib期

5号

池 により破壊 されて いる。溝 は南 に向かって開 く「コ」字形 を呈 している。東端部が26号溝 とつなが り、一連 の溝 になる可能性が高い。

本溝 は石組溝であ り、上幅1.1〜 1.2m、 底幅0.9〜

1.Omの

掘 り方の中に、幅が

0.4m程

度 にな るように、径20から30cm程度の自然石 を組んでいる。溝 の底面 には比較的小 さな石が敷かれて いる。溝 の構造 は20号溝 に類似 してお り、本溝 も雨落溝 と考 えられ る。溝の北側 には11号池が 隣接 していることか ら、本溝 は、溝の南側 にある

7号

建物の雨落溝であった可能性が高い。

25号溝跡】(図15)

南区の中央部東側 に位置す る南北溝である。北端お よび東側 を削平 されてお り、東側の立ち 上が りが捉 えられていない。本来 は石組の雨落清であった と考 えられるが、底面に敷かれた礫 の一部が残存す るだけで、石組 はほとん ど失われている。

南端 に緩やかな立 ち上が りが確認 されているが、南 に位置す る26号溝の東辺の延長線上 にあ り、一連 の雨落清 となる可能性 もある。 また、本溝 に切 られる形で、直行する31号溝が確認 さ れている。建物 は溝の西側 に存在 していた と考 えられ、10号池の位置か らみて、南北棟 の可能 性が高い。

26号溝跡】(図15、 図版 6)

南区中央部の南東寄 りに位置する

L字

形の石組溝である。東、南の両辺 とも、片側半分 を失 ってお り、溝の幅 は確認で きない。東辺 は北側で25号溝 と、南辺 は西側で24号溝 に接続す る可 能性がある。本清 は、石組の側石 を失っているが、本来 は石組 を伴 った雨落溝であった と考 え られ る。溝の北西側 にあるピッ トが組 み合 い、 この部分 に掘立柱建物が存在 していた と推定 さ れ る。

27号溝跡】(図16、 図版 6)

南 区中央部 の西寄 りの地点で検出された。溝の南端 は調査 区の外壁 にかか る。撹乱のため、

北への延 びは確認で きない。側石の多 くは既 に抜かれてお り、側石の痕跡 と底面の石敷 きが残 されていた。溝 の掘 り方 は、上面で幅約1.4m、 底面では幅約

1.3mを

測 る。石組の幅 は、約0.5

mあ

る。方向は、N‑25° 一

Wで

ある。本溝 は、その構造 と位置か ら、

7号

建物西側 の雨落溝 と考 えられ る。

【28号溝跡】(図16、 図版 6)

南区中央部の東寄 りの地点で検出された。溝の南端 は調査 区の外壁 にかかる。撹乱のため、

北への延 びは確認で きない。石組濤であ り、側石、底面の敷石 ともに比較的良好 な状態で原位 置 を保 つていた。調査時 に溝の掘 り方が確認 されていないため、その規模 は不明である。石組 の側石 と側石 との間 は、約

0.5mあ

る。溝の方向はN‑25° 一

Wで

あ り、27号溝 に平行す る。本 溝 は、その構造 と位置か ら、

7号

建物東側 の雨落溝 と考 えられ る。

【29号溝跡】(図14)

南区東部 において、調査 区の南壁 にかか る形で検 出された。素掘 りの南北溝で、上幅約0.7m、

底幅約

0.5mで

ある。北端 は

6号

建物の雨落溝である20号溝 につながってお り、溝 の途中には、

23号溝が接続 している。本溝 は、20号溝や23号清 に溜 る雨水 を、 よ り南へ流すための排水施設 と考 えられ る。

【30号溝跡】(図14)

南区の中央部 と東部 を区切 る段差 の西側際にあ り、段差 に平行す る。上幅0.5〜 0.6m、 底幅 0.3〜 0.4m、 深 さ30cm程度の素掘 りの濤で、残存状況 は良 くない。

溝の東側、一段低 い部分 には

6号

建物跡が存在 してお り、本溝 は

6号

建物 の南北軸 に平行す る。本溝 は、屋敷地内部の空間利用 に関わ る、何 らかの区画溝 と考 えられ る。

【31号溝跡】(図15)

南区中央部東寄 りの地点で検 出された。東西方向に側石の痕跡が

2列

確認 されてお り、本来 は石組 の雨落溝であった と考 えられ る。側石の痕跡列の間隔 は、約

0.8mあ

る。調査時 に、25号 溝 に切 られているとの所見が得 られてお り、 この所見 に従 えば、

 Ia期

が細分 され る可能性 も ある。 しか し、31号溝 は、25号溝 の南端付近 に近 く、両者が直行することか ら、 これ らを一連

の雨落溝 と捉 え、両者の切 り合いは単 に作業工程上の手順 を示す に過 ぎない と考 えることもで きよう。

2号

石列遺構】(図 14)

南区東部の北端で検 出された。人頭大の自然石が南北方向に並ぶ。周辺が削平 されてお り、

これが本来的な姿なのか どうか判 らない。本石列遺構 は、20号溝西辺の西側狽1石列の延長線上 にある。20号溝の西辺 自体 は、

2号

石列遺構 の南側で東 に折れてお り、本石列 には直接つなが らない。

3号

石列遺構】(図14)

南区東部の東端で検出された。人頭大の自然石 を積 み重ねている。調査 区の東壁 にかかって お り、遺構の全体像が捉 えられていない。位置的には、

6号

建物 とその東 に存在 したであろう 建物 との接続部 にあた る。

【1号配石遺構】(図14、 図版 5)

南 区東部 において、

6号

建物跡 とその雨落溝である20号溝 との間の狭い空間に位置 してお り、

両者 と深 く結 び付 いた施設であった と考 えられる。残存状況 は良好である。握 り拳大の河原石 が、長辺約40cm、 短辺約20cmの南北 に長い長方形 に組 まれてい る。河原石 は偏平な ものが選 ば れ、平 らな面が側面 に くるように地面 に突 き刺 している。本遺構 には、17世紀後半 に位置づ け

られ る染付小皿 (図

46‑463)や

、内外面黒地の漆碗 (図

102‑058)が

伴 う。

10号池】(図15。 16、 図版4)

南区西部北側か ら中央部西寄 りの部分 に広が る。北西部で北 区の

9号

池 とつながっていると 考 えられる。

9号

池 との間には、東側か ら半島状 に陸部分がのび、途 中か ら南 に向かつて張 り 出す と考 えられ る。南 にのびた洲浜の突端 には、飛島状 の高 まりが認 め られ る。池 は地山の一 部 を削って造 られてお り、その際 にでた上 を用いて半島状 の高 まりが造成 されている。池の東 岸や洲浜周辺 には河原石が多 く配置 されてお り、この部分 に石浜が造 られていた と考 えられ る。

さらに半島東の淵の部分 には、半島に接続す る形で半円状 に石が積 まれている。

埋上の

2層

中か ら、煙管の雁首が1点出土 している (図105‑72)。

【11号池】(図15)

南区中央部 の西 よ りの地点で検出された、長軸1.7m、 短軸

1.3mの

小 さな窪みである。池 は

3C層

を掘 り込 んでお り、

3a‑1層

に覆われている。

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報6 (ページ 46-50)

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