: I鷲
① Ha期 (北 区Ⅵ層上面 )
北区は、 この段階で、池 な どはほ とん ど埋 め立て られ、平坦な面が形成 され、若千の遺構が 確認 され る。 この時期 の遺構 としては、溝跡
1条
、土坑1基
、 ピッ ト1基
が あるほか、先述 の 12号溝が該 当す る可能性が高い。この内、K‑18区
で検 出された ピッ ト317からは、白木の箸が 50本ほどまとまって出上 してお り、廃棄坑の可能性がある。南区には遺構 は確認で きず、南区 の西部では、池がその ままの状態で残 されている。【12号溝】(図11、 図版 7)
G‑20・
21区か らK‑20・
21区にかけて検 出された もので、調査時 に12号溝 として認識 して いたのは基礎7区
の部分のみである。基礎5区
・6区
の断面図の検討 によって、12号溝の続 き が、よ り西側 に延 び、基礎5区
では、深い落込みになっていることが判明 した。この基礎5区
・6区
では、調査時 にこの12号溝 の遺構 は確認で きてお らず、基礎5区
において、清 の南側の壁 面近 くに敷かれた礫 のみが図化 されていた。図11において、基礎7区
の12号清か ら西 に破線で 示 したのが、断面図 と礫 の分布か ら推定 した遺構 のラインである。東側が撹乱で破壊 され、西 側 は推定 に とどまるが、17.5m分
を確認 している。 この12号溝 は、基礎5区
・6区
では調査時 に認識で きず、Ib期
の4号
池 と同 じ図面 に記録 されている。 そのため、図面 はIb期
の図面 に載せ ざるを得 なかったが、次の理由か らHa期
に属す る可能性が高い と考 えられ る。12号溝 は、
Ib期
の4号
池 を⑦層で埋 め、一部 を掘 り直 して造 られていることか ら、4号
池 より新 しい遺構である。東側が撹乱で破壊 されているが、東端でわずかに段差 にかかっている。この段差 と12号溝の切 りあい関係 は、確実な記録が残 されていないが、12号溝が段差の埋土 を 切 っている可能性が強い。 この段差 は、南区の中央部 と東部 を区切 る段差 につなが るもの と考 えられ、 これがある程度埋 められた後 に12号溝が造 られた可能性が高い。 また、17世紀末葉以 降の もの と考 えられ る、肥前産 の蛇 ノロ釉ハギの粗製の磁器皿 (図
48‑483)力
ゞ出土 している。これ らの点か ら、12号濤 は
Ib期
より後の時期 の ものであることは確実であ り、18・ 19列で確 認 されているHa期
との間にさらにもう1時
期 を想定す るよりも、18・ 19列で確認 されている 15号濤 と同様 に、Ib期
の庭園の池が埋 め られてい く過程で、排水の目的で造 られた溝 と考 え た方が理解 しやすい ことか ら、Ha期
に属す る可能性が高い と判断 した。基礎
7区
では、上幅1.6m〜 20m、
下幅40cm前後、深 さ30cm程 である。基礎5区
の東端では、上幅4.2m、 下幅1.3m、 深 さ
1.6mで
ある。基礎7区
での方向は、 E‑12° 一Nで
ある。埋土 は2層に分 けられ るが、2層中には河原石が多量 に含 まれてお り、清 中に敷かれている
国
国 巳
﹁ H H
= H H Ш
﹁ H H
=
= H 劃
0日 OH O
図
21 11a期
遺構配置図Fig.21 Distribution of features at N 15(phase IIa)
53^V54
+
K十+十 +15号溝
十十 M 十 4号土坑
‑ 60.50コn
+
十 GH 41ミ
下受 と当 妾 岳
==す全 と 050m
1 2 15号溝理十上層註記 埋上1層 5Y4/1 灰色 埋±2層 10Y5/1 灰色
18 瑾雪 冤静
,記昆講 醜 色
4号■坑埋上土層註記 埋± 10YR2/3 黒褐色 シルト 礫・多量の炭化物・焼土。多量の遺物含む 図22 Ha期
検出遺構 Fig.22 Features of phase IIa at NA/15粘土質シルト 礫・砂ブロック含む シルト 礫・粘上ブロック含む シルト質粘土 暗緑灰色シルトプロツク・炭化物・植物含む 0 5m 1
く上P317 Pit 317
ヨ 抄
佑償 5m
よ うな状態 を呈 してい る。基礎
5区
の落込 みの部 分 で も、南側 の壁沿 いの埋土最下層 には河原 石 が多量 に含 まれ、壁 の斜面 に積 み重ね るように敷 かれ てお り、一連 の敷石 の可能性 が あ る。基礎
7区
の部分 の埋土 (12号 溝埋上)か
らは、陶磁器・ 瓦 が少量 出土 してい る。基礎5区
・ 6区の部分の埋土は⑥層が相当し、瓦が大量に出上しており、本製品も比較的多いが、陶磁器は
含 まれず、土器 も少ない。【15号溝】(図22、 図版10)
I‑18・
19区か らM‑18区
にかけて検 出された、東西方向の素掘の溝である。東側 は撹乱で 破壊 されてお り、 また建物基礎 によって破壊 されない部分 は掘 り上げていないが、18m分
を検 出 した。方向はE‑16° 一Nで
、東端付近で南 に曲が るか と思われ るが、撹乱のため確実で はな い。残 りのよい部分で、上幅1.2〜 1.5m、 下幅40〜50cm、 深 さ20〜 30cmである。底面 の レベル は、J・K列
の部分が最 も低 くなっているが、全体的には東狽」がわずかに低 くなっている。埋 土か らは、陶磁器・ 瓦が出土 しているほか、加工木・ 木羽が比較的多 く出上 している。【
4号
上坑】(図22、 図版10)G・
H‑18区
で検出された もので、北側 は調査 区外 にのびる。東西3.Om、 南北1.6m以
上、深 さ30cm前後の不整形な土坑である。埋土 は1層で、礫・ 炭化物・ 焼上 を多量 に含み、人為的 に埋 め られた もの と考 えられる。遺物 も土師質土器の皿な ど、多量に含 まれてお り、 まとめて 廃棄 された もの と考 えられる。
③
Hb期
(北区V層
上面・ 南区3a層
上面)【畑跡】(図24・ 25・ 26、 図版10)
北 区では
V層
がほぼ全面 に分布 し、そのほ とん どの部分で、畝状の遺構が確認 された。南 区 では、東部のみに3a層
が分布 し、 その上面で畝状 の遺構が確認 されている。南区の中央部で は、3a層
、あるいはそれに対比で きる層 は分布 していないが、Ib期
の面 において、G‑26
区でほぼ平行す る
1〜 4号
小濤状遺構が検 出されてお り、耕作土 は残存 していないが、畑跡の 痕跡の可能性がある。南区の西部では、Ha期
と同様 に、I期
の池跡が残 っている。北区の内、
G〜 J列
では畝状遺構 は南北方向で、やや不整形な部分 もあるが、50〜60cm間 隔 で並んでいる。K〜 M列
では東西方向に畝状遺構が並んでお り、その間隔は80〜 100cmとやや広 くなっている。畝状遺構 の高 さは、残 りの良い部分で も5甑
程度である。撹乱や調査 しなかっ た部分で分断され、遺存状況 も良 くない部分 も多 く、畑跡の一区画全体の大 きさが判明する部 分 はない。K‑20・
21区に畝状遺構 と直交す る南北方向の溝が存在 し、 これに相対する調査区 の西端 にも南北方向の溝があ り、畑 を区画する溝 と考 えられる。 この清が畑一区画の東西の端 であるとす るな らば、東西の幅 は、溝の中心で測 って8.5mで
ある。南 区東部では、