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Ha期 (北 区Ⅵ層上面 )

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報6 (ページ 59-63)

: I鷲

①   Ha期 (北 区Ⅵ層上面 )

北区は、 この段階で、池 な どはほ とん ど埋 め立て られ、平坦な面が形成 され、若千の遺構が 確認 され る。 この時期 の遺構 としては、溝跡

1条

、土坑

1基

、 ピッ ト

1基

が あるほか、先述 の 12号溝が該 当す る可能性が高い。この内、

K‑18区

で検 出された ピッ ト317からは、白木の箸が 50本ほどまとまって出上 してお り、廃棄坑の可能性がある。南区には遺構 は確認で きず、南区 の西部では、池がその ままの状態で残 されている。

12号溝】(図11、 図版 7)

G‑20・

21区か ら

K‑20・

21区にかけて検 出された もので、調査時 に12号溝 として認識 して いたのは基礎

7区

の部分のみである。基礎

5区

6区

の断面図の検討 によって、12号溝の続 き が、よ り西側 に延 び、基礎

5区

では、深い落込みになっていることが判明 した。この基礎

5区

6区

では、調査時 にこの12号溝 の遺構 は確認で きてお らず、基礎

5区

において、清 の南側の壁 面近 くに敷かれた礫 のみが図化 されていた。図11において、基礎

7区

の12号清か ら西 に破線で 示 したのが、断面図 と礫 の分布か ら推定 した遺構 のラインである。東側が撹乱で破壊 され、西 側 は推定 に とどまるが、

17.5m分

を確認 している。 この12号溝 は、基礎

5区

6区

では調査時 に認識で きず、

 Ib期

4号

池 と同 じ図面 に記録 されている。 そのため、図面 は

Ib期

の図面 に載せ ざるを得 なかったが、次の理由か ら

Ha期

に属す る可能性が高い と考 えられ る。

12号溝 は、

 Ib期

4号

池 を⑦層で埋 め、一部 を掘 り直 して造 られていることか ら、

4号

より新 しい遺構である。東側が撹乱で破壊 されているが、東端でわずかに段差 にかかっている。

この段差 と12号溝の切 りあい関係 は、確実な記録が残 されていないが、12号溝が段差の埋土 を 切 っている可能性が強い。 この段差 は、南区の中央部 と東部 を区切 る段差 につなが るもの と考 えられ、 これがある程度埋 められた後 に12号溝が造 られた可能性が高い。 また、17世紀末葉以 降の もの と考 えられ る、肥前産 の蛇 ノロ釉ハギの粗製の磁器皿 (図

48‑483)力

出土 している。

これ らの点か ら、12号濤 は

Ib期

より後の時期 の ものであることは確実であ り、18・ 19列で確 認 されている

Ha期

との間にさらにもう

1時

期 を想定す るよりも、18・ 19列で確認 されている 15号濤 と同様 に、

 Ib期

の庭園の池が埋 め られてい く過程で、排水の目的で造 られた溝 と考 え た方が理解 しやすい ことか ら、

Ha期

に属す る可能性が高い と判断 した。

基礎

7区

では、上幅

1.6m〜 20m、

下幅40cm前後、深 さ30cm程 である。基礎

5区

の東端では、

上幅4.2m、 下幅1.3m、 深 さ

1.6mで

ある。基礎

7区

での方向は、 E‑12° 一

Nで

ある。

埋土 は2層に分 けられ るが、2層中には河原石が多量 に含 まれてお り、清 中に敷かれている

国 巳

Ш

0日 OH                                                     O

21 11a期

遺構配置図

Fig.21 Distribution of features at N 15(phase IIa)

53^V54

+

K+ +15号

M 4号

‑ 60.50コn

+

GH 41ミ

下受 と当 妾 岳

==す

全 と 050m

1     2 15号 1層 5Y4/1  ±2層 10Y5/1 

18          瑾雪 冤静

,記

昆講 醜 色

4号 ± 10YR2/3   

22 Ha期

検出遺構 Fig.22 Features of phase IIa at NA/15

      0       5m 1

く上P317 Pit 317

ヨ 抄

佑償 5m

よ うな状態 を呈 してい る。基礎

5区

の落込 みの部 分 で も、南側 の壁沿 いの埋土最下層 には河原 石 が多量 に含 まれ、壁 の斜面 に積 み重ね るように敷 かれ てお り、一連 の敷石 の可能性 が あ る。

基礎

7区

の部分 の埋土 (12号 溝埋上

)か

らは、陶磁器・ 瓦 が少量 出土 してい る。基礎

5区

6

区の部分の埋土は⑥層が相当し、瓦が大量に出上しており、本製品も比較的多いが、陶磁器は

含 まれず、土器 も少ない。

15号溝】(図22、 図版10)

I‑18・

19区か ら

M‑18区

にかけて検 出された、東西方向の素掘の溝である。東側 は撹乱で 破壊 されてお り、 また建物基礎 によって破壊 されない部分 は掘 り上げていないが、

18m分

を検 出 した。方向はE‑16° 一

Nで

、東端付近で南 に曲が るか と思われ るが、撹乱のため確実で はな い。残 りのよい部分で、上幅1.2〜 1.5m、 下幅40〜50cm、 深 さ20〜 30cmである。底面 の レベル は、J・

K列

の部分が最 も低 くなっているが、全体的には東狽」がわずかに低 くなっている。埋 土か らは、陶磁器・ 瓦が出土 しているほか、加工木・ 木羽が比較的多 く出上 している。

4号

上坑】(図22、 図版10)

G・

H‑18区

で検出された もので、北側 は調査 区外 にのびる。東西3.Om、 南北

1.6m以

上、

深 さ30cm前後の不整形な土坑である。埋土 は1層で、礫・ 炭化物・ 焼上 を多量 に含み、人為的 に埋 め られた もの と考 えられる。遺物 も土師質土器の皿な ど、多量に含 まれてお り、 まとめて 廃棄 された もの と考 えられる。

 Hb期

(北

V層

上面・ 南区

3a層

上面)

【畑跡】(図24・ 25・ 26、 図版10)

北 区では

V層

がほぼ全面 に分布 し、そのほ とん どの部分で、畝状の遺構が確認 された。南 区 では、東部のみに

3a層

が分布 し、 その上面で畝状 の遺構が確認 されている。南区の中央部で は、

3a層

、あるいはそれに対比で きる層 は分布 していないが、

 Ib期

の面 において、

G‑26

区でほぼ平行す る

1〜 4号

小濤状遺構が検 出されてお り、耕作土 は残存 していないが、畑跡の 痕跡の可能性がある。南区の西部では、

Ha期

と同様 に、

 I期

の池跡が残 っている。

北区の内、

G〜 J列

では畝状遺構 は南北方向で、やや不整形な部分 もあるが、50〜60cm間 隔 で並んでいる。

K〜 M列

では東西方向に畝状遺構が並んでお り、その間隔は80〜 100cmとやや広 くなっている。畝状遺構 の高 さは、残 りの良い部分で も

5甑

程度である。撹乱や調査 しなかっ た部分で分断され、遺存状況 も良 くない部分 も多 く、畑跡の一区画全体の大 きさが判明する部 分 はない。

K‑20・

21区に畝状遺構 と直交す る南北方向の溝が存在 し、 これに相対する調査区 の西端 にも南北方向の溝があ り、畑 を区画する溝 と考 えられる。 この清が畑一区画の東西の端 であるとす るな らば、東西の幅 は、溝の中心で測 って

8.5mで

ある。

南 区東部では、

 Ia期

6号

建物跡、

 Ib期

5号

建物跡が存在 した高 まりの部分 に畝状 の

同 く 瑠

ドキュメント内 東北大学埋蔵文化財調査年報6 (ページ 59-63)

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