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「耘田器」から石刀へ : 長江下流域における石製 収穫具の使用方法

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Academic year: 2022

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(1)

著者 原田 幹

雑誌名 金沢大学考古学紀要 = ARCHAEOLOGICAL BULLETIN KANAZAWA UNIVERSITY

巻 34

ページ 1‑9

発行年 2013‑03‑31

URL http://hdl.handle.net/2297/34852

(2)

原田 幹

(金沢大学大学院人間社会環境研究科)

1. はじめに

筆者は 2000 年から 2002 年にかけて、浙江省及び 江蘇省で行われた良渚石器の調査1)に参加し、高倍 率の顕微鏡観察と実験使用痕分析の方法論を用いて、

良渚文化の石器の機能的な検討を行ってきた(原田ほ か 2003)。この研究は、使用によって生じた痕跡を もとに、使用部位、操作方法、作業対象物といった石 器の基礎的な機能を把握し、最終的には、石器の農具 としての役割を再評価することを目的としている。分 析調査の成果として、それまで除草具、耕起具、収穫 具など諸説あった「耘田器」と呼ばれる石器が、イネ 科等草本植物を対象とした収穫具であり、現在も中国 南部から東南アジアにみられる「押し切り」による操 作方法と同じように用いられたという見解を発表した

(原田 2011)。さらに、切断用の工具と考えられてき た有柄石刀のなかにも、同じように収穫具として用い られたものがあることを指摘した(原田 2013)。

耘田器の機能と使用方法を評価した際に、次のよ うな課題と見通しを述べた。一つは、長江下流域の収 穫技術(使用法)が中国北部の石刀とは異なる発展を たどってきたこと、もう一つは、良渚文化の後、耘田 器が衰退し石刀が普及することから、この地域の収穫 技術(使用法)にも何らかの変化があったのではない かということである。これらの仮説を証明するために は、良渚文化前後の石製収穫具の使用痕分析を行い、

その使用法の変化を明らかにする必要がある。

2011 年新たにこの地域の石器を調査する機会に恵 まれ、浙江省湖州市毘山遺跡において、良渚文化前段 階の崧沢文化期の耘田器と良渚文化の後の時期の石刀

の使用痕分析を行うことができた。本稿では、その分 析結果を報告し、良渚文化前後の収穫具の使用方法の 変化について、あらためて検討していきたい。

2. 「押し切り」と「穂摘み」

まず、使用痕分析によって明らかになった良渚文 化の耘田器の使用痕の特徴とその使用方法について確 認し、「押し切り」と「穂摘み」という対照的な収穫 具の使用方法について整理しておきたい。

耘田器は、横幅が 10 ~ 15 センチほどで、左右対 称で鋭い刃部をもつ薄身の石器である。除草具、耕起 具、収穫具など様々な説があったが、使用痕分析によっ て、収穫具とする説を支持することになった。

耘田器の使用痕は、第 1 図にあげたように、①か ら⑦のような特徴が見られた。このうち、①は作業対 象物に関係するもので、イネ科草本植物によって形成 される使用痕である。②⑤⑥は、作業対象物との接触 の仕方と関係しており、器面に植物を押さえつけ、刃 を平行に操作して切断したものと考えられた。なお、

④は柄(軸)の装着の可能性、⑦は刃部の研ぎ直しと 関係する痕跡である。

これらの使用痕の特徴から石器の使用方法を復元 するために、民族資料の収穫具の使用例と比較したと ころ、現在の中国南部から東南アジアにかけてみられ る「押し切り」による使用方法(石器を指と指の間に はさんで保持し、刃の上面の指で穂をつかみ、手首を 外側に反らし刃を押し出す動作で穂を切断する操作)

が想定された。復元石器を用いたイネの収穫実験の結 果からも、この使用方法が妥当であると考えられた。

(3)

さて、この耘田器とは別に、東アジアにおいて収 穫具として知られている石器には、石刀(石庖丁)が ある。石刀は、中国北部に起源をもち東アジアに広く 分布する石器である。使用痕分析と実験に基づく機能 研究によれば、石刀の使用方法は、器面に穂を指で押 さえつけ、刃を刃縁と直交方向に操作する「穂摘み」

の方法が復元されている(第 2 図)。

「押し切り」が手首を外側に反らす動作により穂を 切断するのに対し、「穂摘み」では手首を内側にひね る動作によって穂を切断する。耘田器と石刀は、異な る身体技法によって用いられた収穫具だというのが、

筆者の提示した見解である。

第 1 図 耘田器の使用痕(S=1/2)と操作方法

0 10cm

出土資料     1 白泉遺跡    2 亭林遺跡 実験石器 ( 第 2 表 )   3 S-268    4 S-254

1

2

②左主面から中央穿孔部が発達

②右側縁の発達部分

③表裏で点対称の分布

⑥穿孔部を向く線状痕

⑦刃縁で光沢が弱い部分

耘田器の使用痕の特徴

①光沢面はBタイプ、Aタイプである。

②光沢面は主面の広い範囲に形成されている。光沢強度分布は、主 面の片側から中央の穿孔部にかけてよく発達しており、総じて器 面の左側で強い。また、右側縁に近い部分にも発達した光沢面が 認められることがある。

③光沢面は両面に分布し、同様な分布の偏りが認められる。刃縁を 挟んだ表裏面の分布は点対称の関係になる。

④穿孔部と背部の突出部の間で、帯状に光沢の空白域が認められる ものがある。

⑤刃縁の光沢面に観察される線状痕は刃部と平行する方向性をも つ。彗星状ピットは側縁の方向を向くものが多い。

⑥主面内側(特に左主面)では、光沢面に斜行する線状痕が観察さ れ、穿孔部へ向かう方向性が認められる。

⑦刃縁では、光沢面が微弱か、全く観察されない場合がある。

⑥穿孔部を向く線状痕

⑤線状痕は刃縁に平行

④光沢の空白域

  不明・観察不能

  光沢強

  光沢中

  光沢弱

×  光沢なし 凡例

線状痕の方向 光沢強度の境界

3 押し切り(柄)

4 押し切り(紐)

第1図 耘田器の使用痕(S=1/2)と操作方法

(4)

第2図 「穂摘み」による収穫

舟山群島 崇明島 太湖

新安江貯水池 巣(チャオ)湖

長江

富春江 黄山 1841

括蒼山 1382 蕪湖

合肥(ホーフェイ)

揚州 泰州

無錫 蘇州

南通 常州

南京(ナンキン)

浙江省 湖州

紹興

寧波

金華

嘉興

杭州(ハンチョウ)

上海市

上海(シャンハイ)

0 100 200 300 400 500km

毘山遺跡

3. 毘山遺跡出土石器の使用痕分析

本分析調査は、2011 年 10 月に、湖州市博物館に おいて実施した。博物館が所蔵する毘山遺跡出土石器 から耘田器、石刀など収穫具関係の資料を選び出し、

高倍率の落射照明型金属顕微鏡を用いた使用痕分析を 行ったところ、良渚文化前後の時期の収穫具の使用方 法に関わる分析結果が得られた。

(1)資料の概要

毘山遺跡は、浙江省北部、太湖南岸の湖州市に所 在する新石器時代の遺跡である(第 3 図)。2004 年 から 2005 年にかけて、浙江省文物考古研究所、湖州 市博物館によって約 2000㎡の発掘調査が行われてい る(浙江省文物考古研究所 2006、方ほか 2006)。こ の調査では、崧沢文化晩期から良渚文化早期にかけ ての墓 61 基が検出され、石器、玉器を含む副葬品が 出土している。また、報告書で高祭台類

型とされた時期は、良渚文化よりも後の 馬橋文化とそれより少し後の時期を含み、

建物跡、土坑、溝などの遺構が発掘され ている。

崧沢文化の出土遺物は、墓の副葬品と して出土したものである。副葬品のなか には、石刀、石犁、石鎌、石鉞、石 、 石鏃など石器が多くみられ、石刀、石犁 は特に出土量が多いようである。報告書 では、石刀と表記されているが、この多 くは良渚文化の「耘田器」の祖形といえ る形態的な特徴がみられる。また、高祭

副葬品として出土したものである。形態的に良渚文化 の耘田器と共通する点が多いが、若干異なる特徴もみ られる。刃部の平面形は、明瞭なV字形を呈するもの はなく、刃が直線的または側縁部でわずかに外湾する ものが主である(1 ~ 7)。なかには刃が大きく外湾 するもの(8 ~ 11)もあるが、中央に明瞭な屈曲部 をもつものはみられない。背部には、管状工具または 錐状工具による穿孔が施されており、背部の突出部が リング状を呈するもの(1・3・4・9)が特徴的である。

断面が比較的薄身である点、刃部断面が両刃である点 などは、良渚文化の耘田器と同じである。

石刀(第 4 図 12 ~ 14)

石刀は、高祭台類型の時期の溝から出土したもの である。内湾する刃部をもつ石刀(12・13)と背部 が直線的で刃部が外湾する石刀(14)がある。内湾 刃の石刀の刃部は片刃で、背部には 2 孔穿孔が施さ れている。外湾刃の石刀は、両刃で、背部に 2 孔穿 孔がある。いずれも、刃部に明瞭な刃面が付けられて いる。

第 2 図 「穂摘み」による収穫

(5)

0 10cm

1

2

3

4

5

6

7

8

9

10

11

12

13

14

1:M2 2:M14 3:M10 4:M13 5:M50 6:M37 7:M42 8:M49 9:M21 10:M19 11:M50 12:G1 第 3 段階 13・14:G1 第 5 段階

第 4 図 毘山遺跡出土の耘田器と石刀

(6)

(2)分析の方法

使用痕分析は、使用という人間行動の結果と使用 によって石器に生じた物理的・化学的な痕跡との関係 を理解し、道具としての機能や使われた環境など使用 に関する情報を得ようとする分析手法である。本分析 は、実験資料に基づいて使用痕を観察・解釈する実 験使用痕分析に立脚したものである(阿子島 1989・

1999、御堂島 2005、山田 2007 など)。高倍率の落 射照明型顕微鏡を使用し、主に微小光沢面(以下、光 沢面)や微細な線状痕を観察する高倍率法による分析 を実施した。

観察の進め方は、石器を方眼紙の上に設置し、1cm を目安に検鏡を行い、光沢面の有無、発達の程度等を 実測図上に記録した。観察には 10・20・50 倍の対 物レンズを使用し、接眼レンズを用いた場合の総合倍 率は 100 ~ 500 倍である。

本分析では、光沢面の発達程度を平面図上に光沢 強度分布図として記録した。光沢面の発達程度は、

10.倍対物レンズの観察視野(約 800.ミクロン)中に 占める光沢面の広がり方を目安とし、次のような基準 で、強・中・弱・微弱に区分している2)

強:光沢が平面的に発達し広範囲を占める(パッ チが単独で大きく発達したものを含む)。

中:小光沢が連接し面的に広がりつつある。または、

パッチが比較的密集している。

弱:小光沢が単独で散在する。

微弱:非常に小さな光沢がかろうじて認められる。

主要な使用痕については、適宜写真を撮影した。顕 微鏡写真は、ピントをずらしながら撮影した複数の画 像をパソコン上で合成処理した多焦点画像である。合 成処理には、焦点合成ソフトHelicon.Focus.を使用した。

されている。以下、耘田器と石刀の使用痕及び推定さ れる石器の機能についてみていく。

① 耘田器の使用痕と機能

1 分析番号:S-11035(第 5・6 図)

平面形は長方形に近く、背部中央にリング状の突出 部がつく。刃部は両刃で、平面形は若干湾曲している。

光沢面はA面の刃部中央付近からやや左寄りにか けてもっとも発達しており、Aタイプの特徴がよく表 れている(第 6 図写真 1・2)。この部分は全体を覆 うように広く平面的に形成されている。光沢部と非光 沢部の境界は明瞭で、光沢の断面は丸みをもつ。表面 は非常になめらかで明るい。光沢面上の微細な線状痕 は刃縁と平行する。刃縁ほど発達していないが、器面 の中央付近に微弱な点状の光沢面が分布している。B 面では、刃縁で明確な光沢が認められず、刃部から少 し内側に入ったところで、弱・微弱の光沢面が分布し ている(第 6 図写真 3・4)。

使用痕からみた石器の機能は次のようなものであ る。まず、光沢面の特徴から作業対象物はイネ科等の 草本植物と推定できる。使用部位は刃の中央付近で、

A面の中央付近に植物を押さえつけて使用したと考え られる。線状痕の方向は、刃を平行に操作して切断し たことを示している。

このような使用方法は、先にみた良渚文化の耘田 器で想定した使用法と基本的には同じものと考えてよ いだろう。ただし、この石器では、光沢が発達してい る範囲が石器中央部にあり、典型的な耘田器の使用痕 分布のように、器面の片側に分布が偏っているように はみえない。刃が直線的で平面形がV字状をなしてい ないという形態的な特徴と関係しているかもしれない が、これはもう少し分析資料を蓄積して検討する必要 がある。

(7)

1(S-11035)

第 5 図 耘田器の光沢強度分布図

第 6 図 耘田器の使用痕顕微鏡写真

100μm 100μm

100μm

写真 1 刃縁の光沢面 (対物 10 倍)

写真 3 器面の光沢面 (対物 20 倍)

A面 B面

写真 2 刃縁の光沢面の立体画像

写真 4 器面の光沢面 (対物 10 倍)

0 10cm

写真 1・2 写真 3・4

光沢強 光沢中 光沢弱

光沢微弱 光沢なし 線状痕の方向

② 石刀の使用痕と機能

2 分析番号:S-11031(第 7 図 2・第 8 図写真 5 ~ 8)

刃部が内湾する片刃の石刀で、背部に 2 孔の穿孔 がある。刃が付けられている面をB面、平坦な面をA 面として記述する。

光沢面は丸みをおび、点状に発達している(第 8 図写真 7・8)。非光沢部との境界は明瞭で、断面は丸 く水滴状の外観を呈す。表面は非常に明るくなめらか で、わずかにピット、微細な線状痕がみられる。光沢 面は、A面、B面とも広い範囲に分布している。もっ 第 5 図 耘田器の光沢強度分布図

第 6 図 耘田器の使用顕微鏡写真

(8)

とも発達しているのは、A面の刃部中央から穿孔の左 側にかけての部分で、この面では中央から左側にかけ ての範囲の光沢面が発達している。B面は、A面ほど 発達していないが、ほぼ全体に弱または微弱な光沢面 が分布している。刃縁の発達した光沢面では、線状痕 は刃縁と直交する方向性がみられる(第 8 図写真 5・

6)。

3 分析番号:S-11032(第 7 図 3・第 8 図写真 9 ~ 12)

刃部がやや内湾する片刃の石刀で、背部に 2 孔の 穿孔がある。両面に擦切分割のための溝がみられる。

刃が付けられている面をB面、平坦な面をA面として 記述する。

光沢面は丸みをおび、点状に発達している(第 8 図写真 9 ~ 12)。非光沢部との境界は明瞭で、断面 は丸く水滴状の外観を呈す。表面は非常に明るくなめ らかで、わずかにピット、微細な線状痕がみられる。

光沢面はA面の刃部中央付近から穿孔の下側でもっと も発達し、この面の左側にかけて光沢面が分布してい る。B面では器面中央から右側にかけてやや弱い光沢 が広がり、右側縁部が比較的発達している。A面刃縁 の線状痕は、いずれも直交方向に形成されている。

以上の観察所見から、これら 2 点の石刀の機能は、

次のように推定される。まず、光沢面の特徴から作業 対象物はイネ科等の草本植物が想定される。使用部位 は刃の中央付近で、A面の穿孔部の左または下側に植 物を押さえつけて使用した。線状痕の方向により、刃 を直交方向に操作して切断したことが推定できる。こ の使用方法は、先に「押し切り」との比較でとりあげ た「穂摘み」による使用痕の典型的な例である。

4. まとめ

最後に本分析によって得られた成果と課題につい てまとめておきたい。

①「押し切り」による収穫技術の出現

良渚文化に先行する崧沢文化には、耘田器の祖形 的な形態の石器があり、使用痕分析の結果、その使用 方法は良渚文化の耘田器と同様に「押し切り」による ものと推定できる。つまり、良渚文化につながる「押 し切り」による収穫方法と石製収穫具としての耘田器 の成立は、少なくとも崧沢文化にまでさかのぼると考 えられる。

この時期には、耘田器だけでなく、石犁、石鎌な 2(S-11031)

3(S-11032)

第 7 図 石刀の光沢強度分布図

光沢強 光沢中 光沢弱

光沢微弱 光沢なし 線状痕の方向

0 10cm

写真 5・6 写真 8 写真 7

写真 9・10

写真 11 写真 12

A面 B面

第 7 図 石刀の光沢強度分布図

(9)

第 8 図 石刀の使用痕顕微鏡写真

写真 5 刃縁の光沢面 (対物20 倍)

写真 7 刃縁の光沢面 (対物 20 倍)

写真 6 刃縁の光沢面の立体画像

写真8 刃縁の光沢面 (対物 50 倍)

写真 9 刃縁の光沢面 (対物 20 倍)

写真 11 刃縁の光沢面 (対物 50 倍)

写真 10 刃縁の光沢面の立体画像

写真 12 器面の光沢面 (対物 20 倍)

100μm 100μm 100μm

100μm 100μm

100μm

第 8 図 石刀の使用痕顕微鏡写真

(10)

付ける事象の一つだと評価したい。

②「押し切り」から「穂摘み」へ

良渚文化の後、それまで主要な収穫具であった耘 田器はみられなくなり、半月形の石刀が主要な収穫具 にかわる。この時期の石刀は、「穂摘み」による使用 法が想定され、石器の形態だけでなく、収穫具の使用 方法も、それ以前の耘田器とは断絶したものであるこ とが確認された。「耘田器」から「石刀」への移行は、

「押し切り」から「穂摘み」へという収穫技術の転換だっ たと考えられる。この点において、良渚文化とそれ以 後では、稲作に関わる農耕技術がストレートに継承さ れていないことを考慮する必要があるかもしれない。

謝辞

 本分析は、科学研究費基盤研究(A)「中国における都市 の生成-良渚遺跡群の学際的総合研究-」(研究課題番号:

22251010、研究代表者:中村慎一)の研究成果の一部である。

調査分析にあたっては、研究代表者の中村慎一をはじめ、湖 州市博物館、浙江省文物考古研究所、方向明、小柳美樹の協 力を得た。記して感謝申し上げる。

1).科学研究費補助金基盤研究 (B)「良渚文化における石器の 生産と流通に関する研究」(研究課題番号:12571030、

研究代表者:中村慎一)の調査の一環として実施した(中 村 2002a、中村 2004)。

2).第 1 図では光沢の発達程度を強・中・弱の 3 段階に区分 したが、今回の分析では「微弱」を加え 4 段階で表記し ている。これは以前の分析の弱を弱・微弱に細分したた めである。

頁 .

浙江省文物考古研究所・湖州市博物館 2006 『毘山』 文 物出版社 .

中村慎一 1986 「長江下流域新石器文化の研究-栽培シ ステムの進化を中心に-」『東京大学文学部考古学研究 室研究紀要』第 5 号 東京大学文学部考古学研究室  125-194 頁 .

中村慎一 2002a 「良渚文化石器に関する日中共同調査」『中 国考古学』第 2 号 日本中国考古学会 134-135 頁 . 中村慎一 2002b.『世界の考古学 20.稲の考古学』同成社 

145-163 頁 .

中村慎一 2004 「良渚文化石器の分類」(『金沢大学考古学 研究紀要』金沢大学文学部考古学講座 131-137 頁 . 原田幹 2011 「「耘田器」の使用痕分析-良渚文化におけ

る石製農具の機能-」『古代文化』第 63 巻第 1 号  65-85 頁 .

原田幹 2013 「有柄石刀の使用痕分析-良渚文化における 石製農具の機能(2)-」『人間社会環境研究』第 25 号

(掲載予定).

原田幹・中村慎一・小柳美樹 2003 「良渚文化石器の使 用痕分析」『中国考古学』第 3 号 日本中国考古学会  121 - 123 頁 .

方向明・閔泉・陳興吾・費勝成 2006 「浙江湖州市毘山 遺址的新石器時代墓葬」『南方文物』2006 年 2 期  22-36 頁 .

御堂島正 2005 『石器使用痕の研究』 同成社 .

山田しょう 2007 「第一部第 2 章.石器の機能」佐藤宏之 編『ゼミナール旧石器考古学』 同成社 32-49 頁 .

参照

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