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中学校国語科における実践個体史研究

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(1)

中学校国語科における実践個体史研究

―佐藤きむにみる大村はまからの継承性と発展性―

弘前大学大学院教育学研究科 教科教育専攻

国語教育専修・国語科教育分野

須郷 和歌子

(2)

中学校国語科における実践個体史研究

―佐藤きむにみる大村はまからの継承性と発展性―

目 次

研究の動機および目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第1節 研究の動機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 到達度評価・絶対評価の功罪

先達の国語科学習指導―大村はまと佐藤きむ

第2節 研究の目的―〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉の統合・・・・・・・10

第1章 先行研究の検討とそこから導き出される研究の方法・・・・・・・・・・・・・・12

第1節 〈指導目標〉と〈学習目標〉を区別することに関する先行研究・・・・・12 世羅博昭の「目標の二重構造化論」

〈ねらい〉と〈めあて〉―西郷文芸研の主張

第2節 学習課題づくりに関する先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・15 佐伯正一の場合

井上敏夫の場合 野地潤家の場 白石純士の場合

先行研究から読み取れること

第3節 「実の場」に関する先行研究・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 大村はまの「実の場」と「実の場」研究

大西道雄の場合 甲斐雄一郎の場合 世羅博昭の場合 中西一弘の場合 首藤久義の場合 大内善一の場合 「実の場」研究の概要

(3)

先行研究から読み取れる「実の場」構築の諸条件

第4節 研究の方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31

第2章 個体史研究的視点からみた実践家佐藤きむ・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

第1節 略歴と主な業績・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

第2節 国語科経営の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

第3節 大村はまとの共通性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36

第4節 実践家としてのあゆみ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 模索期:昭和30 年度~昭和 39年度(23歳~32 歳 ・・・・・・・・・43

―採用から附属駒越小・中学校時代

(1)弘前市立三省小学校時代

(2)弘前大学教育学部附属駒越小・中学校時代

(3)小学校の現場を経験した意義

基本的力量の獲得期:昭和40 年度~昭和 46年度(33歳~ 39歳)

―附属中学校転任から渋谷正民転任まで・・・・・45

(1)作文指導

(2)大村はまとの出会い

(3)学習課題づくりの方法

(4)教科書教材の検討

(5 「自主的態度の育成をめざす国語学習」のスタート

(6)教科書教材検討の意義

(7 「輪読会」のスタート

指導体系・系統の形成期:昭和47年度~昭和51年度(40歳~44歳)

―作文指導を体系・系統化するまで・・・・50

(1)教科主任としての出発①

―「自主的態度の育成していく国語科目標」の継承

(2)教科主任としての出発②―作文指導の体系・系統化

①二本立ての指導―「自由作文」と「立ち止まり学習」

②「自由作文」の指導方法

③作文指導の体系・系統化の特徴

(3)教科通信「国語科だより」の発行とその意義

国語科経営確立期:昭和52年度~昭和60年度(45歳~53歳)

―『国語授業のいろは』出版まで・・・・・・・・56

(4)

(1)古典指導の体系・系統化

①「小倉百人一首」をとりあげた経緯

②「小倉百人一首」の指導計画

③「小倉百人一首」の指導方法

④教科書教材を用いた「 輪切り”学習」との関連

⑤古典指導における体系・系統化の特徴

(2)読書生活指導の体系・系統化

①研究の動機

②「読書カード」の活用

③三本立ての読書生活指導

a.国語の授業における「 輪切り”指導」 b.長期休業における読書

c 「自由読書」

④読書生活指導における体系・系統化の特徴

(3)国語科経営の確立

(4)作文指導の発展―読書感想文コンクールへの出品

(5 『大村はま国語教室』の刊行

(6)国語科授業日誌の導入

(7)三省堂国語教科書の編集

(8 『国語授業のいろは』の執筆

①執筆までの経緯

②執筆の方針

③アクロスティック方式

精錬・成熟期:昭和61年度~平成4年度(54歳~60歳)

―『国語授業のいろは』出版後から中学校退職まで・・73

(1)指導方法のさらなる工夫

(2)語彙を豊かにする指導の研究

(3)各学年1クラス

(4 「月曜会」の発足

第3章 佐藤きむ実践の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78

第1節 取りあげる実践の特徴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78

第2節 「漫画のセリフを考える」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・79 昭和52年(1977年)年度の実践

1986年『国語授業のいろは』所収の論考から

第3節 「くもの糸」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89

(5)

昭和521977)年度の実践:1981年発表の論考から

年『国語授業のいろは』所収の論考から 1986

第4節 「万葉/古今・新古今」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・104 昭和541979)年度の実践:1981年発行の研究集録所収の論考から

年発表の論考から 1982

平成2(1990)年度の実践:1991年発表の論考から

第5節 「故郷」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・130 昭和 571982)年度の実践:1986 年『国語授業のいろは』所収の論考から 昭和601985)年度の実践:1986年発表の論考から

第6節 「高名の木登り」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・142 昭和621987)年度以降の実践:1997年発表の論考から

第7節 単元「私たちの名前」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・149 平成2(1990)年度の実践:1991年発表の論考から

第8節 「蠅」の分析と考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・165 平成4(1992)年度の実践:1992年発表の論考から

第9節 佐藤実践の特質と意義・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・180 教材について

学習課題の工夫について

(1 「目標の二重構造化」の視点から

①〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉との質的差異

②二つの目的

③指導目標(=真の目的)を生徒に示さないことの功罪と意義

④〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉を統合するために

―学習課題のつくり方

(2 「学習課題の質」の視点から 前提としての「場」の活用 B-① 読み通す目的を持たせる課題 B-② 解釈・評価を求める課題 B-③ 再創造を求める課題 指導方法・指導技術の特徴について

(1)言語活動の関連

(2 「一人一人の学びを支える指導」を支えるもの

①教材や課題を自由選択制にする

②学習の手引きを作成する

(6)

③班学習を活用する

④生徒が興味・関心のあるものを教材にする

(3)二次教材の活用

(4)ワークシート

(5)誤答をいかす

(6)個々の学習成果のかけがえのなさ

(7)学習課題解決のための指導形態 指導技術の獲得に関する佐藤の変遷

(1)一貫して守り続けてきたもの

(2)授業のクオリティを高めるために深化・発展したもの

第4章 戦後の中等国語科教育実践史としての継承性と発展性・・・・・・・・・・・・196

――大村はま実践と佐藤きむ実践

第1節 先行研究にみる大村はま実践の特質・・・・・・・・・・・・・・・・196 野地潤家の場合

倉沢栄吉の場合 増淵恒吉の場合 湊吉正の場合 橋本暢夫の場合 5氏の評価のまとめ

(1)指導観に対する評価

(2 「実の場」のつくり方に対する評価

①教材の選定に関すること

②学習課題に関すること

③学習過程に関すること

(3)指導方法・指導技術に対する評価

第2節 大村はま実践と佐藤きむ実践の共通点と相違点・・・・・・・・・・・206 指導観をめぐる共通点と相違点

教材の選定をめぐる共通点と相違点 学習課題をめぐる共通点と相違点

指導方法・指導技術をめぐる共通点と相違点

(1)言語活動の関連をめぐる共通点

(2 「一人一人の学びを保障する指導」を支えるものをめぐる共通点と相違点

(3)二次教材の活用をめぐる共通点と相違点

(4)ワークシートの活用をめぐる共通点

(5)誤答をいかすことをめぐる相違点

(6)個々の学習のかけがえのなさをめぐる共通点と相違点

(7)

(7)学習課題解決のための指導形態をめぐる共通点

第3節 継承性と発展性・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・233 共通点にみる継承性

相違点にみる発展性と個性

研究の総括と結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・240 第1節 研究の総括・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・240 第2節 研究の結論・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・247 第3節 今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・249

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・251

〈資料編〉

佐藤きむ 略年表

佐藤きむ 著作一覧(発表年順)

佐藤きむ 著作一覧(ジャンル別)

引用・参考文献一覧

(8)

序章 研究の動機および目的 第1節 研究の動機

1 到達度評価・絶対評価の功罪

現行の学習指導要領(平成 10 年度版)の実施に伴い、3領域1事項をそれぞれ個別にとりあ げて指導する実践が増えている。もちろん指導要領には、各領域を相互に関連させて指導するよ う明記されている。しかし、現場の実践レベルではそうではない。

さらに、観点別評価が導入されたことによって、指導事項がむき出しのまま生徒におろされる 授業が多く見られるようになった。観点別評価とは、各領域においてすべての学習者に習得させ るべき知識・技能を明確化し、それらが確実に定着したかどうかを評価の観点とするもので、絶 対評価または到達度評価と呼ばれる。絶対評価は指導と評価の一体化におおいに貢献したが、反 面、指導事項がそのまま〈学習目標〉として生徒に下ろされるという現象を引き起こした。

従来 〈指導目標〉と〈学習目標〉は区別されてとらえられてきた 〈指導目標〉は、身につ けさせたい力や指導事項を明確化したものである。対して 〈学習目標〉は、何ができたら身に

つけさせたい力や指導事項を習得できたとみなすか 学習者の具体的な活動を示したものである しかし、到達度評価・絶対評価を行うにあたっては、指導事項をむき出しのまま学習者に与え たほうが、指導者にとっても学習者にとっても、毎時間の指導及び学習の成果を客観的に評価す るのに役立つ。また 「どんな力をつけるために、今この学習をしているのか」学習の意義が明 確になるため、学習者を目的的に学習に向かわせることができ 「活動あって学びなし」という 状況も改善された 「この授業で生徒にどんな力が身についたのですか」という文句は、 1990 代の終わりごろから授業研究会でよく耳にするお決まりのセリフであった。1時間ごとに生徒の 変容が見て取れるような授業がもてはやされるようになったのである。

ところが、到達度評価・絶対評価では、数値や現象で即評価可能な知識・技能ばかりが注目さ れ、目に見えにくい学力の育成が見落とされがちになるという落とし穴がある。この問題点につ いて 『授業研究 重要用語300の基礎知識 (恒吉宏典・深澤広明編集、明治図書、 1999)では 以下のように指摘している。

しかし、このような形成的評価を中心とした到達度評価の考え方においては、次のような 問題点に十分留意しておかなくてはならない。①到達目標が「達成ノルマ」として教師に重 くのしかかってくるため 「目標つぶし」の授業に陥りやすい。②到達の結果に気を奪われ て、到達過程での子どもたちの学力・能力の評価が欠落しやすい。

(注1)

1時間または1単元で生徒が目に見えて変容する授業を追い求めた結果、短期間で達成可能な 言語スキルを習得させることに学習が終始しがちになり、国語の授業がひどくやせたものになっ てしまった。

しかも、領域別観点評価の導入は、各領域が相互に関連して学習が深まるという構造を持った 授業を現場から遠ざけた。例えば、現行の学習指導要領のもとでは、文学的文章の読解指導にお

(9)

いて、主題を読み取るために話し合ったり筆者に宛てた手紙を書いたりすることが、すべて「読 むこと」の指導と見なされる。よって、純粋に「話すこと・聞くこと 「書くこと」を扱った授 業を新たに行う必要性が生じた結果、各領域を単独で扱う授業が増え、それらの多くが短時間で 習得可能なスキル学習へと傾倒したと思われる。また、言語技能の習得を目指すスキル学習は、

系統的に指導しやすく、生徒の変容も見とりやすく、客観的に評価しやすいため、急速に現場に 浸透したのである。

例えば 「話すこと・聞くこと」の指導は、従来、学習者に話す・聞く価値のある話題をもた せることがその前提にあった。これまで「読むこと」の指導と関連して行われることが多かった のは、小集団または学級で話し合うにふさわしい共通の話題をもたせるのに適していたからであ る。自分の意見を話し、友達の意見を聞いた結果、それまでの自分の考えが揺さぶられ、読みが 深まるという付加価値もあった。ただし、話し方・聞き方に関しては、ある「見込み」のもとに 指導されてきた感はまぬがれない。それは、学習者が心から話したい、聞いてもらいたいと思う ときには、自然と聞き手を意識した声量・速さ・抑揚になるであろうし、聞いてみたいと思うと きには、自然と話し手の方に意識を集中して聞くであろうという「見込み」であったため、系統 的に指導できていたとは言い難い。しかし、国語科だからこそ扱える話題について話し、聞き、

そうすることの意義を見出せるような指導がなされていた。

ところが、現行の指導要領が実施になってからは、話し方・聞き方を身につけさせることが指 導の重点となるため、何について話すのか話題が吟味されることは少なくなった 「中学生に制 服は必要か 「朝食はパンがいいか、ご飯がいいか」のように、経験や体験をもとに短時間で意 見をまとめられる話題が重宝されたが、これらが国語科の授業で扱う話題として適切かどうかは 疑問が残る。また 「読むこと」の学習から得た話題であっても 「場に応じた声量、速さで話 しているか 「結論を先に理由を後に述べているか 「メモをとりながら聞いているか 「話の内 容について質問できたか」などが絶対評価の観点となり、学習者が記入する自己評価カードにも 同様の観点が示されるようになった。学習者は、授業のはじめに評価の観点を見て、その時間に 何ができるようになればよいのかを把握し、達成へ向けて学習を進めるのである。

さらに、形成的評価によって目標を達成していない学習者を即支援するため 「a:十分満足 できると判断されるもの 「b:おおむね満足できると判断されるもの 「c:努力を要すると 判断されるもの」とに選別するための「評価基準」と 「c」に該当する学習者への「指導の手 だて」を示すことが求められた。例えば 「場に応じた声量、速さで話しているか」という観点 の評価基準としては 「a:抑揚をつけながら、聞き手に話の中心を分からせるように話してい る 「b:聞き手のワークシートに発表内容の中心が記入されている」といった具合に「a」段 階と「b」段階との違いを、また「b」段階に達しない「c」段階の生徒には 「もう一度場に

応じた声量 速さで話すよう指示する という手だてを それぞれ指導案等に明記するのである ところで 「評価基準」と「指導の手だて」を明記することについては、文部科学省が直接指 導したわけではない。このことは、平成 14 年2月に出された国立教育政策研究所の報告「評価 規準の作成、評価方法の工夫改善のための参考資料」の内容を見ても明らかである。評価規準に 照らし合わせて「a 「b 「c」を判断すると書かれてはあるが 「評価基準」や「指導の手だ て」を示すことには触れていない。しかし、教育現場に近い教育委員会は「評価基準」と「指導

の手だて の必要性をほのめかし 各学校は教材ごとの 評価基準 を作る作業に追われた

「b」を客観的に区別するためには、具体的な学習者の様子を示した基準が必要であったし、全

(10)

員を「b」に引き上げるための具体的手だてを示さなければ、指導の工夫が足りないとみなされ るからである。この現象は、国立教育政策研究所の報告で例として挙げられた規準が抽象的であ ったこと、そしてもとを正せば、学習指導要領自体が抽象的で、絶対評価に耐えうるものでなか ったことを意味している。

絶対評価が求められる授業においては、話題について考えを深めることが指導の対象、及び評 価の観点になりにくく、なったとしても「意見を裏付ける根拠や理由の数が増えた」といった表 面的な部分でしか評価されない場合が多い。

このように、スキル学習においては、話し方・聞き方・書き方・読み方といった言語技能が習 得できたかどうかが評価の観点になる。教材文の読解的機能を持たない「書くこと」の指導にお いて 例えば 事実と意見を区別して書く が 指導目標 である場合には 」 〈 学習目標 も 事〉 「 実と意見を区別して書こう」とした方が、指導および学習のポイントが絞りやすく、授業後の評 価もしやすくなる。

スキル学習自体は、国語科の学習において重要な要素である。しかし、国語科で指導すべきも のは言語スキルだけではない。学習指導要領にもあるとおり 「思考力や想像力を養い言語感覚 を豊かにし、国語に対する認識を深め国語を尊重する態度を育てる」ことも国語科が担う役割で ある。しかし、思考力や想像力、また関心・意欲・態度といった情意面の学力は、目に見えにく いため客観的に評価することは難しい。よって、到達度評価・絶対評価を重んじる教育現場にお いて、これらの学力を扱う指導がおろそかになってしまったのではないだろうか。

到達度評価・絶対評価が導入された結果、短期間で生徒が変容し、かつその変容の度合いを数 値や現象で客観的にみとることのできる知識・技能が、頻繁に授業で扱われるようになった。そ

の結果 系統的に行われるスキル学習は推進されたが 各言語活動を有機的に関連させた授業や 言語能力だけでなく思考力・想像力・情意面の学力を調和的に扱う授業は、実践されにくくなっ てしまったのである。ここに、到達度評価・絶対評価導入の功罪がある。

2 先達の国語科学習指導―大村はまと佐藤きむ

では、各領域を単独で扱った方が言語能力は定着するのだろうか。学習者にも指導事項をその まま示さなければ、指導と評価は一体化できず、学習者を意欲的かつ目的的に学習活動に取り組 ませることは難しいのだろうか。

これまで述べてきた現状の学習指導と対極に位置するような指導実践を展開した先達に、大村 はまと佐藤きむがいる。佐藤は、地方の実践家ではあるが、大村はまと共通する理念をもつ。

大村は 「聞き、話し、読み、書く」力は 「聞き、話し、読み、書く」経験をすることで伸 びるという経験的知見をもっていた。そして、子どもが本当に自分でやる気になっているときで なければ、学習は進まないし、力もつかないのであるから、本当に追究したいという気持ちにな る場面をつくることが重要であると考えた。そこで、言語活動を行うことが切実または必然とな る「実の場」に学習者を立たせることによって、主体的に学習に取り組ませ、学習が進む過程で 言語能力が高まる授業を構築した。

一方、佐藤は、母国語としての国語の習得において、専門家が意図的・計画的に指導する〈国

語科教育 よりも 周囲の人々との会話やマスコミなどの環境から無計画に施される 国語教育 の方が、圧倒的に影響力が強いことに着目していた。そこで、指導事項を学習者の前にちらつか せて学習に駆り立てるよりも、それとは気がつかぬうちに自然習得的に学ばせる方が、学習者は

(11)

抵抗感なく意欲的に学び続けるという経験的知見のもとに授業を構築した。

佐藤の実践は 指導者が指導したい事柄を ~しなさい と命令口調で提示するのではなく 学習者にとって魅力ある学習課題を設定し、生徒が多様な学習活動を楽しんでいるうちに、自然 と指導者のねらう目標を達成できるという仕組みを基本的構造として持つ 「読めと言わずに読 ませる、書けといわずに書かせる」授業である。この場合、指導事項がそのまま学習者におろさ

れることはない 学習者に示されるのは 指導事項を習得することが必然となる学習課題である 大村は単元学習、佐藤は教科書教材を単元学習的に扱う授業と、実践の趣は異なる。が、両者 の実践は、学習課題を解決する過程で様々な言語活動を行うことが必然となり、学習者が夢中に なって活動に取り組んでいるうちに、自然と言語能力が育成されていくという共通の授業構造を もつ。また、各領域の言語活動が互いに関連し合うかたちで盛り込まれており、一つの単元また は教材の学習で複数の指導事項を扱うことが可能であるという点も共通している。

生徒の主体的な活動を重視するきわめて経験主義的な立場であるが、身につけさせたい力や指 導したい事項が先にあって、そこから授業が組み立てられているという点で 「生徒は活発に活 動しているが、力がついていない 「活動あって指導なし」という批判に十分耐えうるものであ ると考える。学習が活動に流れてしまわないよう、大村は、学習者が目的的に言語活動を行うこ とが必然となる「実の場」を設定し、佐藤は、その達成のために指導事項を習得することが必然 となる学習課題を設定した。

各領域を単独で扱わずとも言語能力を育成し、指導事項をむきだしのままおろさなくても学習 者を夢中にさせた二人の実践には、現在の国語科学習指導が抱える問題を解決する方途があると 考える。

なお、大村はまと佐藤きむを研究の対象とする理由については、第1章第4節「研究の方法」

で改めて述べる。

第2節 研究の目的―〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉の統合

大村の「実の場」の設定、佐藤の学習課題づくりは 「指導者が〈教えたいこと 」をいかに して「学習者が〈学びたいこと 」に転化するかという営みに他ならない。

『授業研究 重要用語300の基礎知識 (明治図書、 1999)の「学習課題(学習課題づくり 」 の項目では、学習課題のつくり方として 〈授与〉によるものと〈自発〉によるものとを挙げ、 両者を対極にあるものと位置づけている。

〈授与〉による学習課題づくりとは、指導者がつくった課題を学習者に与え、有無を言わさず にその解決を迫るものである。この方法では、学習者の〈学びたいこと〉や〈主体性〉はほとん ど無視される。

一方 〈自発〉による学習課題づくりとは 「学習は学習者の切実な問題意識にもとづいて行

われるべきものである という理由から 学習者の 学びたいこと がそのまま学習課題となる ただし、この方法では、学習者の〈主体性〉は重視されるが、常に適切な学習課題がつくられる 保障はない。よって、追究するに値しない学習課題が生まれたり 〈教えたいこと〉を指導する 機会が失われる可能性も高くなる。

これら両極に位置する学習課題づくりを挙げたうえで、以下のような指摘がなされている。

(12)

こうした学習課題づくりをめぐる「授与」か「自発」か 「外から」か「内から」かの二 極化の傾向を克服し 「外から」と「内から」の統一、教えることと学ぶことの統一におい て学習課題づくりを追究するところに、その今日的な課題がある。だが、そのさいの統一と は、教師がみずからの教材解釈にもとづいて「教えたいもの」を明らかにし、これを学習課 題として子どもの「学びたいもの」へと転化させるという意味での統一を直ちに意味するも のではない (中略)看過されやすいのは、常に教師があらかじめ用意していた課題に向か って子どもの意欲を引き出すことが、実は逆に教師の意図された学習課題の範囲内でしか子 どもの主体性を認めないという危険を伴うということである。したがって、そのような狭隘 さを克服する方向で、教えと学びの統一が考えられなければならないのである。

(注2)

学習課題づくりの方法は 〈授与〉と〈自発〉のどちらかに偏ってはいけない。

指導者が教材研究によって得た知見や 自身の教材解釈だけをもとにしてつくった学習課題は 学習者にとって〈外から〉の押しつけでしかない場合も多い。そのため、取り組んでみたい、解 決してみたいといった、学習者の〈内から〉湧き起こる主体的態度に支えられた学習を展開する ことは難しい。

逆に、学習者の〈内から〉沸き立つ興味・関心に依拠して学習課題をつくった場合、自発的・

主体的に活動させることは可能だが、指導すべき事柄を指導しないまま、学習が活動に流れてし まう恐れがある。

したがって、指導者が〈教えたいこと〉を明らかにすると同時に、学習者の〈内から〉の興味

・関心を観察や対話によって吸い上げたり、指導者の働きかけによって喚起したりして、学習者 が〈学びたいこと〉へと転化させる必要がある 〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉とを擦り 寄わせることで、主体的な学習を構築しようとするのである。そのためには、解決したり成し遂 げたりする過程で指導者が指導したい事柄の習得が必然となって、しかも学習者にとって取り組 んでみたい、挑戦してみたいと思える課題にしていく必要性がある。言い換えるなら、いかにし て「学習課題の質的向上を図るか」ということである。

これは、国語科だけでなく、あらゆる教科に共通する教育の課題である 〈教えたいこと〉を 指導できるだけでなく、学習者の自発的・主体的な活動を喚起する学習課題になるよう質的向上 を図るという研究の視点は、もともとは《授業研究のレベル》で生まれたものではなく、優れた

実践家によって 経験的知見として生み出されてきた授業づくりの工夫の一つであった つまり

《授業実践のレベル》において授業を活性化するための常套手段としてごく当たり前に用いられ てきた工夫が 《授業研究のレベル》においても注目されるようになってきたのである。

」 《

よって 学習課題の質的向上 を 授業研究のレベル で検討し その原理を見出すことは 授業づくりを改善する新たな視点を得ることにつながると考える。

注1 三橋謙一郎「到達度評価と形成的評価」

( 授業研究 重要用語300の基礎知識 、明治図書、 1999225頁)

注2 久田敏彦「学習課題(学習課題づくり)」(注1と同書、156頁)

(13)

第1章 先行研究の検討とそこから導き出される研究の方法 第1節 〈指導目標〉と〈学習目標〉を区別することに関する先行研究

1 世羅博昭の「目標の二重構造化」論

〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉を統合した授業を行うための一つの提案として、世羅博 昭の「目標の二重構造化」論がある。この論に関する論考が発表され始めるのは、1989 年であ る(注1 。

世羅は、国語科の目標を、言語能力(理解力・表現力)を育てることと、認識(ものの見方・

考え方・感じ方)を豊かにすることであるととらえる。そして、この目標を達成するためには、

学習者が知りたい、明らかにしたいと思うことを学習課題とすることが第一の条件であると考え た。なぜなら、日常生活においては、力を身につけたいから言語活動に取り組むということはめ ったにない。例えば、読みの力を身につけるために読むということはまれであって、大方の場合 は、文章や作品の内容に興味があるから、または知る必要性があるから読むのである。

世羅は、日常生活では興味・関心や問題意識に突き動かされて言語活動を営むことが多いとい うある種の法則性を、国語科の授業づくりにも応用しようとした。具体的には、学習者の興味・

関心や問題意識を尊重して学習課題を設定するのである。最終的な目標として言語能力の育成を 目指すのであっても、学習課題は学習者の興味・関心や問題意識に基づいて設定し、生き生きと 言語活動を行わせることをまず優先する。そして、言語活動を行う過程で、認識の深化・拡充と 言語能力の育成を図るのである。

この場合 〈学習者の目標〉は、学習課題を解決することにあり 〈指導者の目標〉は、学習 課題を解決する過程で学習者の認識を深化・拡充し、言語能力を育成することにある。このよう に 〈学習者の目標〉と〈指導者の目標〉とを区別して、二重構造を持ったものとして授業をと らえるのが 「目標の二重構造化」論である。

世羅の考える国語科授業の基本的構造は 「学習者の問題意識に基づいた学習課題を設定し、 その学習課題の解決を目指して、学習者が話す・聞く・読む・書く学習活動を展開していく過程 で、学習者の認識を深化・拡充させていくだけでなく、話す・聞く・読む・書く言語能力を身に つけさせていく (注2)というものである。

世羅が「目標の二重構造化」論を主張する背景には 「いつの時代でも、学習者一人ひとりが 本気になって、夢中になって学習に打ち込むときにしか、真の学力は育たない。学習者が夢中に なって取り組む授業をどのように創造するか、また、そのときに、教科などで身につけるべき学 力をどのように身につけさせるか。一見対立するかのように見える、この二つを同時に成立させ る授業を創造することは、時代を超えた普遍的な教育の課題である (注3)という問題意識が あった。

「学習者一人ひとりが本気になって学習に打ち込むときにしか、真の学力は育たない」という 考え方は、大村はまと共通する。実際、世羅は 「目標の二重構造化」が図られた典型として、 大村実践を考察の対象としている。また、日常生活における言語活動の営まれ方を授業に応用し ようという視点は 〈国語教育〉の自然習得的な要素を〈国語科教育〉に取り入れようとする佐 藤の考え方と共通する。

(14)

「目標の二重構造化」を図った国語科授業を構築する際の実践上の課題は、学習課題を解決す る過程で 言語能力を高める 必然の場 をいかに設定するかというところにある そして 科などで身につけるべき学力を身につけさせること」と「学習者が夢中になって取り組むこと」

とを同時に成立させようとする志向は 〈指導事項〉をいかに魅力的な〈学習課題〉に転化させ るかという営みにつながる。

世羅の研究は、優れた授業実践に共通して施されてきた工夫を「目標の二重構造化」とネーミ ングし 《授業研究のレベル》の研究対象に引き上げたという点で、先進的であると言えよう。 さらに 〈指導者の目標〉と〈学習者の目標〉を区別しながらも、指導事項を習得させるという

)」

点において表裏一体のものにするためには 学習課題の質 どのような学習課題を設定するか と「学習課題の設定方法(どのように学習課題を設定するか 」を検討する必要があることを示 唆している。

2 〈ねらい〉と〈めあて〉―西郷文芸研の主張

世羅以外に 〈指導目標〉と〈学習目標〉を区別する必要性を説いたものとしては、西郷竹彦 が率いる文芸教育研究協議会(以下、文芸研)の「 ねらい〉と〈めあて 」がある。

『文芸研・新国語教育事典 (明治図書、 2005)では 「 ねらい〉と〈めあて 」について以下、〈 のように説明している。

〈ねらい〉というのは教授課題で 〈めあて〉というのは子どもの前に直接提出される学習 目標です。この二つの違いが、今までの国語の読解指導の中ではっきりしていませんでした。

はっきりしていないというよりはむしろ 〈ねらい〉がそのまま子どもたちの前に〈めあて〉 として出てきていました。

(注4)

文芸研のいう〈ねらい〉は「指導目標」、〈めあて〉は「学習目標」にあたり、これらは明確 に区別されている。そして、現場の授業において 〈ねらい〉がそのまま〈めあて〉として子ど もにおろされていることを問題視する。これは 〈ねらい〉の文末表現を勧誘形に変えて〈めあ て〉とする状態を指すと思われる。具体的には、文学的文章の読解における〈ねらい〉が「登場 人物の気持ちを読み取る」であった場合 「登場人物の気持ちを読み取ろう」が〈めあて〉とし て板書されたりワークシートに書かれたりする状態を指す。

よって、同書では 〈ねらい〉と〈めあて〉の違いを、さらにわかりやすく説明しようと試み ている。

ねらい というのは その教材全体でどういう認識の力をつけるのかということです

略)それが全体の〈ねらい〉です。

(注5)

〈めあて〉というのは、具体的な一時間一時間の授業の中で出てくるもので、主として発問 に表れます。

(15)

(注6)

全体の〈ねらい〉に従って各一時間の〈ねらい〉というものが決められるわけです。

(注7)

教師は一時間の〈ねらい〉を定めますが、子どもたちに対しては、具体的しかも興味あるよ うな形で、そして最終的には教師のねらっているところへいくような〈めあて〉をたてなくて はいけません。子どもたちからすれば、目の前に出されるのは〈めあて〉であって〈ねらい〉

ではないのです。その〈めあて〉に基づいて子どもたちが考えていけば、教師がねらっていた 力がつくように仕組むのが授業案です 〈めあて〉というのは、発問を含んでいて 〈ねらい〉 に迫るものなのです。

(注8)

〈ねらい〉は指導者が学習者にどういった力を身につけさせたいと考えているのか、いわば指 導事項を示したもので 〈めあて〉は学習者に具体的な思考や活動を促すもの、いわば発問や学 習課題を含むものである、ととらえていることがわかる。

さらに 〈めあて〉が満たすべき条件として、以下の4点を挙げている。

①〈ねらい〉からはなれず、一貫しているもの

②子どもたちの興味・関心に訴えるもの

③やろうと思えば具体的にできるもの

④教材の特質をふまえているもの

(注9)

ここでは、①~③の三つの条件について触れる。

①で指摘しているのは 〈ねらい〉を達成することに結びつくような〈めあて〉を設定するこ との必要性である。

次に、②と③であるが、もし 「登場人物の心情を読み取ろう」が〈めあて〉として学習者に

おろされたら 学習者は具体的に何をしたらよいのか理解できないであろう つまり めあて とは、学習者に具体的な活動を示すものでなくてはならない。さらに、その活動が学習者にとっ て「おもしろそうだ 「やってみたい」と思えるものであることも求められる。よって、登場人 物の心情を読み取らせるための〈めあて〉としては 「登場人物になりきって吹き出しを埋めて みよう」などが適切であるということになる。

ところで 〈ねらい〉を達成するための指導の手だては、これまでも様々に講じられてきたは ずである。例えば 「登場人物の心情を読み取ること」を〈ねらい〉とする授業で、登場人物の 会話文を探してサイドラインを引き、そこから想像できる心情をノートに書くことは、よく行わ れる具体的な活動である。したがって 「会話文を探してサイドラインを引き、想像できる気持

」 〈

ちをノートに書こう を めあて にするなら 先に示した①と③の条件はクリアできるだろう

(16)

しかし、②の条件に照らし合わせると、学習者の興味・関心を喚起できる〈めあて〉になってい るかという点については疑問が残る。

このように 〈めあて〉には 「 ねらい〉との一貫性」および「具体性」だけでなく 「学習 、〈 意欲の喚起に対する有効性」も求められることがわかる。

文芸研の〈ねらい〉と〈めあて〉は 〈指導目標〉と〈学習目標〉の違いをわかりやすく説明 したものとして評価できるが、民間の研究サークルの概念にすぎないため、実践現場に広く浸透 しているとは言い難い。

第2節 学習課題づくりに関する先行研究

世羅博昭は 〈指導者の目標〉と〈学習者の目標〉を区別しながらも、指導事項を習得させる という点において表裏一体のものにするために 「学習課題の質(どのような学習課題を設定す るか 」と「学習課題の設定方法(どのように学習課題を設定するか 」を検討する必要がある ことを示唆している。

学習課題づくりに関する先行研究については、以下のようなものがある。

1 佐伯正一の場合

佐伯正一の 1983年の論考(注 10)によると、課題解決学習は、教師主導で知識を順序正しく 教授していく系統学習と、子どもの主体的な活動を軸とする問題解決学習とを折衷・止揚する学 習方法として、昭和 30 年代に導入され始めた。系統学習は学習者の主体性を無視する点に問題 があるし、問題解決学習では知識を整理されたかたちで習得させない点に問題があるという指摘 が、それぞれ声高に叫ばれるようになったからである。

よって、子どもの主体性を重んずる問題解決学習の形式をとりながら、その問題は系統的な教 材の中から作りだす(見出す)という考え方のもとに、課題解決学習という新たな学習形態が生 み出されたのである。

佐伯は、授業を活性化するためには、子どもが積極的に学習に取り組みやすい課題を設定する ことが重要であると考えた。そこで、同じ教材を扱った二つの授業実践を比較し、それぞれの学 習課題を検討した。一方は、教師主導の一問一答によって進む読解授業、もう一方は、比較的ま とまった大きな課題を与えて、その解答を子どもに予想させ、その予想が本当に正しいかどうか を教師と子どもが共に検討する読解授業である。そして、後者の方が授業が活性化したことをふ まえて、比較的まとまった大きな課題を与えることが有効であると説く。

また 「~とはどういうことか」という発問と「~はAかBか」という発問とでは、後者の方 が子どもは積極的に話し合う。よって、何をしたらよいのかが具体的である課題(今の場合は、

AかBかを選択し、選択した理由を述べる)を設定することが、授業を活性化するのに有効であ ると述べる。

佐伯の研究は 「学習課題の質」に関するものであると言える。

2 井上敏夫の場合

(17)

井上敏夫は、昭和40年代に「生活読み」を提唱した(注11)研究者として知られる。

「生活読み」とは、われわれが日常生活において営む主体的な読解活動のことであり、主に自 由読書を指す。学習であるという意識にもとづいて他律的義務的行われる「学習読み(=反省的 研究的な読み 」と対になる術語でもある。人間がいきいきと意欲に燃えて書物に取り組み、読 み浸ったり深い感銘を受けたりしながら、読み手を人間的にも向上させる読みの活動は 「生活 読み」以外に求め得ないと考えた井上は、国語科の授業の中に「生活読み」を再現し 「学習読 み」と調和的に扱うことを提案した。

よって、学習課題づくりに関する井上の主張も、主体的ないきいきとした活動を行わせること を大きな目的として展開される。

年の論考において 「子どもたちが、自ら選択した課題に対して、相互に協力しながら、

1984

すべての子どもがもてる力をすべて発揮して、課題の解決に向かって邁進する。その過程を通し

て さまざまな学力を身につけ 最後に課題を達成した満足感を味わう 12 という形態が 教育の理想的な姿であると主張する。そして、国語教科書中心の学習指導であっても、指導の方 法は、学習者の具体的な学習意欲に基づいて行われる単元学習的なものであることが理想的だと 述べる。

よって、この指導方法を現実の国語科の「読むこと」の指導にあてはめ、教科書に掲載された 教材を一つずつ丹念に指導する現状の方法から、学習課題による単元的学習指導へと転換を図る ことを提案する。

ここで重要になるのは、どのような学習課題を設定したら、学習者に生き生きとした学習活動 を行わせることができるかということである。

井上は、多くの指導事項を包括しうるような学習課題を理想とし、学習課題設定の三つの方法 を提案する。まず、初発の感想の中に、全編を読み通させる意欲を燃えたたせるような、統括的 しかも核心的なものあるが場合は、それをもとに課題をつくる。子どもの感想の中に適切なもの がない場合は、子どもの感想に対立するような意見や、子どもから出るであろうと予想していた 感想を教師が提案し、話し合いの材料として課題化する。その方法もうまくいきそうにない場合 は、それまでに出された子どもの感想や意見が果たして適切かどうかを検討することを学習課題 とする。

さらに国語科独自の学習として、文章表現の特徴に学習者の関心を向けさせるため、文体論的

・文章研究的観点に基づく指導事項を取り入れることを提案している。

井上の研究は 「学習課題の質」と「学習課題の設定方法」の両面からアプローチを加えたも のである。

3 野地潤家の場合

野地の 1982 年の論考(注 13)では 「実の場」の構築と学習課題との関わりについて述べら れている。

野地のいう国語科授業への導入とは、学習者を「実の場」に立たせることである 「実の場」 は 「一人ひとりを意欲的に学習活動へと燃え立たせ、進んで学習活動にうちこんでいくように させること」と定義されている。

教科書に採録されている教材だけを念頭においた授業では、とかく学習者が受動的に傾きやす い。よって、導入段階において、指導者は学習者一人ひとりが「生きた切実な学習課題」を見い

(18)

だすことができるよう工夫することが必要であると述べる 「生きた切実な学習課題」は、学習 者に訴えかけもの、迫るものを持っており、学習者を引きつけて離さない。学習課題そのものが 学習者を迎い入れ、学習者一人ひとりを本気になって国語学習へうちこんでいくようにさせ、学 習意欲をそそるという特徴をもつ。

そのような学習課題を設定するために、教材研究によって、指導目標や指導事項、学習目標、

学習活動への見通しを持ちつつ、事前あるいは初めての時間に、学習者の感想・気づき・疑問な

どを記入させることで 学習者の反応・理解を確かめながら学習課題を設定する方法を提案する 野地の研究は、優れた学習課題の特徴を指摘し 「学習課題の設定方法」について述べると同 時に 「実の場」の構築に学習課題が重要な役割を果たしていることを示唆するものである。

4 白石純士の場合

白石純士は、1983年の論考(注14)において 「学習課題の質」を高めるために、学習者がつ くった課題を学習者の手によって選別させることの必要性を説くと同時に、その選別の仕方を具 体的に述べている。

白石は、学習者の興味・関心や問題意識から生まれる課題の中には取り上げるのにふさわしく ないものもあると指摘する。教材に書かれた事実の裏返しになっているもの、課題としては手応 えがあるが、教材から逸脱しすぎているものなどは、授業で追究するのに適していない。

よって、学習者がつくる学習課題を構造化して、授業で追究するのにふさわしいものを選択す る必要性を提案する。学習課題の構造化とは、順序性だけでなく、質的な系列性によって学習課

題を位置づけることである 具体的には 単元課題 を頂点とするピラミッド型の構造になる

」、

単元のはじめからおわりまで持ち続けるのが可能で 単元の終わりに解決するのが 単元課題 教材を読んだだけではすぐに解決せず、深い思考を必要とするのが「深層課題 、教材を読めば

」、

解決できるのが 読解課題 教材の一部分が直接答となるのが 即決課題 である この他に 知っておいた方が教材を読み取るうえで効果的であると考えられるものが「発展課題」であり、

ピラミッドの一番下に位置する。また 「単元課題」を解決するために「深層課題」があり 「深 層課題」を解決するために「読解課題」があるという構造になっている。そして、授業で追究す るのに最も適した課題は「単元課題」であると説く。

基本的には、井上敏夫が提唱する「生活読み→感想発表→学習読み」という指導過程に則り、

通読後の感想発表の段階で学習者に課題をつくらせる。つくった課題は 「単元課題 「深層課 題 「読解課題 「即決課題 「発展課題」に分類させる。この分類作業を繰り返し行わせること で、どのような課題が授業で追究するのにふさわしいのかを、学習者自身がしだいに判別できる ようになると同時に 「単元課題」をつくることができるようになると主張する。

つまり、教材の本質に迫るにはよい学習課題を設定する必要があり、よい学習課題を設定でき る力を身につけさせることも授業で指導すべきことである、と白石は考えている。そのため、学 習課題の選別は、指導者が単独で行うのではなく、学習者と共に行い、課題の善し悪しを判断で きる力を育てていくことが重要であると主張する。

5 先行研究から読み取れること

学習課題づくりの先行研究を検討した結果、以下のことが導き出された。

「学習課題の質」に関しては、一問一答でクリアできるような小刻みなものでなく、比較的ま

(19)

とまった大きなものであること、何をすればよいのかが具体的に示されていること、一つの課題 で多くの指導事項を包括できることが重要であるとされてきた。

また、白石純士は 〈学びたいこと〉を最優先させて学習課題をつくるが、課題の善し悪しを 学習者に選別させることによって、教材の本質に迫ることのできる学習課題をつくる力を育てよ うとする 〈学びたいこと〉を〈追究する価値のあること〉に引き上げるという点で 「学習課 題の質」の向上を図る一つの方法であると言えよう。

「学習課題の設定方法」に関しては、まず指導者が教材研究等によって〈教えたいこと〉を明 確にすることが第一であり、事前調査や初発の感想によって学習者の〈学びたいこと〉を吸い上 げ、両者を照らし合わせて一致する部分を学習課題とするのが一般的である。ただし〈学びたい こと〉と一致しなかった〈教えたいこと〉をどう扱うのかということについては記述がみられな い。同様に 〈教えたいこと〉と一致しなかった〈学びたいこと〉はどう扱うのかということに ついても、目立った記述はなかった。

研究を進めるにあたっては、学習者を夢中にした学習課題にはどのような共通点があるのかと いうことと 〈学びたいこと〉と〈教えたいこと〉を統合させる方法として、事前調査や初発の 感想をどのように用いていたか、またそれらを活用して統合する以外にどのような方法が試みら れていたかという点に注目して考察していく必要があると考える。

また、野地潤家が示唆するように、学習課題づくりは「実の場」構築の要因の一つであって、

すべてではない。学習者を言語活動へと奮い立たせる授業は、学習課題づくり以外の工夫によっ ても支えられていると推測できる。よって、学習課題以外のどのような工夫で〈教えたいこと〉

と〈学びたいこと〉を統合しているのか探る必要もあるだろう 「実の場」を構築する他の要因 について検討したい。

第3節 「実の場」に関する先行研究

1 大村はまの「実の場」と「実の場」研究

「実の場」とは、大村はまの国語教室で生まれた概念である。大村は『大村はま国語教室』を 初めとする著書の中で、繰り返し「実の場」とは何かについて説明を加えている。以下に、いく つか引用する(括弧内と施線は引用者 。

(昭和2312月「クラーク先生 )

この学習は、単元という言葉をつけるとしても、せいぜい教材単元であり、一まとまりの言 語生活というのも、一まとまりの学習生活とでもいう程度のものであったと思う。しかし、そ れでも、子どもたちの学習ぶりは変わった。ことに小さな発表会の準備段階に入ってからの、

「クラーク先生」を読む、読み返す、くわしく読む、読んで考える、その意気込みは盛んで、

学習からそれていたずらに走る子どもをおさえこんだ (中略)

私はこの学習で、主体的に、積極的に読ませることを一つ覚えた。読みなさいと言ったり、

細かい問いのたたみかけではできないような熱心な読み手にさせることを覚えた。さらに言語 活動のつながりということ、一まとまりということを知った (中略)

参照

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