第3章 佐藤きむ実践の分析と考察 第1節 とりあげる実践の特徴と分析の方法
第9節 佐藤実践の特質と意義
本節では、第8節までの考察から作成した「佐藤きむ主要実践の特質 一覧表 №1・2」に 沿って、佐藤実践の特質と意義について述べる。
まず 「一覧表№1(問題意識によって分類、 )」(194ページ参照)を使い、縦軸にあげた各項 目について一覧表を横に貫くかたちで見て考察し、佐藤実践の特質を浮かびあがらせる。そのの ちに 「一覧表№2(実施年度ごとに№1を並べ替えたもの、 )」(195ページ参照)を使い、同じ く縦軸にあげた各項目について横に貫くかたちで見て、指導技術の獲得に関する佐藤の変遷につ いて考察する。
1 教材について
とりあげた七つの実践のうち五つは、当時使用していた教科書に掲載されていたものを主教材 として使用している。残る二つは、話し合いの仕方を指導する実践では佐藤の手持ちのマンガ、
辞書を引かせる実践では生徒とその親族の名前が主教材である。
補助教材には、教科書教材と同じ作者が書いた違う作品、教科書の教師用指導書からの抜粋、
教科書教材と同じジャンルの違う作品、過去の教科書教材が用いられている。
これらのことから 「~の仕方」を指導する際は、生徒の興味・関心に即し、かつ「~する」、 機会を多く設定できる教材を使用するが、それ以外は教科書教材を用いて指導していることがわ かる。
教科書会社が中学生にふさわしいと考えるものにはそれなりの価値があるはずだから、その教 材価値を十分に引き出して指導にあたろうとするのが、佐藤のスタイルであると言える。
2 学習課題の工夫について
(1 「目標の二重構造化」の視点から)
①〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉の質的差異
、 「 」 。
日常生活において 人は ことばの力 を身につけるために言語活動を行っているのではない 対象への興味、または必要に迫られて、自然発生的に言語活動へと向かうのである。
それに対して、国語科の授業における言語活動は 「ことばの力」を身につけるために行わせ、 るものである。
このように、日常生活において人が言語活動を行う目的と、国語科の授業で言語活動を行わせ る目的とには隔たりがある。井上敏夫が「生活読み」と「学習読み」とを対になる概念としたの も、ここに由来する。つまり 〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉とは、基本的に異質なもの、 であると言える。
②二つの目的
、 。
佐藤は経験的にそのことに気づき 指導目標と学習課題を同じ言葉で表さないように心がけた
これが結果的に、のちに世羅博昭によってネーミングされる「目標を二重構造化する」ことにつ ながったと言える。
授業において、学習課題は生徒と指導者によって共有されるが、指導目標は生徒に隠されたま
。 、「 」 「 」 、
まである 換言するなら 学習課題を解決する という学習目標は 表向きの目的 であって
「ことばの力を身につける」という指導目標は「隠された目的」である。生徒は 「表向きの目、 的」に向かって学習を進め、指導者も「表向きの目的」の達成に向けて支援する。しかし、指導 者にとって 「学習課題を解決すること」は生徒を学習に向かわせるための手段であって、真の、 目的ではない。指導者にとっての真の目的は「ことばの力を身につけさせること」である。つま り、「学習課題を達成すること=表向きの目的=当面の目的=生徒と指導者が共有するもの」、「こ とばの力を身につけさせること=隠された目的=真の目的=指導者だけがもつもの」という図式 が成立する(表1参照)。
表1 佐藤きむ実践における指導目標と学習目標
指導目標 学習目標
ことばの力(ことばで伝達・思考
主な内容 ・想像・評価する力)を身につけ 学習課題を解決すること ること
だれのものか 指導者だけがもつ 指導者と学習者が共有する
(学習者には示さない)
授業における位置 隠された目的、真の目的 表向きの目的、当面の目的
単元「私たちの名前」を例に具体的に説明するなら、生徒には「名前に使われている漢字につ いて調べる」という「表向きの目的」だけを持たせ 「辞書の引き方・活用の仕方を知る、辞書、
」 「 」 。 、
を読む楽しみを知る といった 真の目的 は指導者の胸の内にとどめておくのである 生徒は 学習課題が〈やってみたいこと 〈おもしろそうなこと 〈やりがいのありそうなこと〉であれ〉 〉 ば、いきいきと活動を始める。それは、決して「辞書の引き方・活用の仕方を知る、辞書を読む 楽しみを知る」ことを目的とする行為ではない。名前に使われている漢字について調べてみたい という知的好奇心によるものである。しかし、名前に使われている漢字について知るためには、
辞書を引くこと、それまで注意深く読んでいなかった箇所にも注目する必要がある。学習課題を 達成するためには 〈教えたいこと〉に関わらざるをえないのである。ここで 〈教えたいこと〉、 、 が 〈知る必要のあること 〈そうする必要のあること〉になる 「 教えたいこと〉を学ぶ必然、 〉 。〈
性」が生じるのである。この必然性こそが、佐藤の実践を支える大きな柱である。一覧表の「学
」 「 」 、 。
習課題の工夫 の欄に ~する必然性↑ という記入が多くなった事実が それを物語っている 佐藤の学習課題は、それを達成するために「身につけさせたいことばの力」が必要になるとい う点に特徴がある。必然的にそうせざるを得ない状況をつくりだすことによって、実際に活動さ
せながら体験的にことばの力を習得させていくのである。これは、大村はまのスタイルにも共通 する。
③指導目標(=真の目的)を生徒に示さないことの功罪と意義
ただし 「~する力を身につける」という「真の目的」が生徒に示されない場合 「何のため、 、 に今この活動をしているのか」を疑問に感じる生徒が出る可能性は高くなる 「この力を身につ。 けるためにこれをするのだ」と生徒に知らせることによって、目的的かつ意欲的に学習に取り組 ませようとする昨今の動向は、このような生徒の実態に端を発しているのではないだろうか。
、「 」 、 「 」
しかし 役に立つから~する という考え方は 裏を返せば 役に立たないことはやらない という考え方にも陥りやすい。また、日常の言語活動は「役に立つ、立たない」という意識外で 行われることが多いのにもかかわらず、日常生活を営むのに困らない程度のことばの力は自然習 得的に身についているのもまた事実である 「~の力を身につけたいから勉強する」という動機。 づけも確かに有効だろうが、佐藤は 「おもしろそだから 「やってみたいから 「やりがいがあ、 」 」 りそうだから」といった教材自体のおもしろさ、活動自体のおもしろさによって言語活動へと誘 い、自然習得的に身につけさせようとする。その方が、人は抵抗なく学び続け、結果的にことば の力が定着しやすくなるのではないかというのが佐藤の理念である。また、佐藤が「真の目的」
を生徒に示さなかったのは、生徒の知的好奇心を刺激するのに足る学習課題をつくることを、実 践家としての使命として自らに課していたからではないだろか。
経験主義的な授業は、生徒を活発に活動させることに目を奪われ、課題を解決するためにどん な力が必要になるのかが吟味されぬまま実践されがちなところに弱点があった。活発に活動させ ることができれば「実の場」の構築に成功したと早合点し 〈教えたいこと〉に触れる必然性が、 薄い実践、または〈教えたいこと〉自体が明確でない実践があったのも事実である。
「実の場」とは、学習者をいきいきと学習に向かわせるだけでなく 〈教えたいこと〉を学ぶ、 必然性があること、これら両輪の上に初めて成立するものである。つまり、生徒にとって〈学び たいこと 〈やってみたいこと〉であり、指導者にとって〈教えたいこと〉を学ばせる必然性の〉 あるものが、優れた学習課題であると言える。
④〈教えたいこと〉と〈学びたいこと〉を統合するために――学習課題のつくり方
では、生徒にとって〈学びたいこと〉であり 〈教えたいこと〉を学ぶ必然性のある学習課題、 は、いかにして生みだされるのであろうか。
佐藤の学習課題は 〈授与〉によるものが多い。これは、限られた時間の中でできるだけ多く、 の〈教えたいこと〉を指導するためであったと思われる。
ただし 〈学びたいこと〉とかけ離れた学習課題であっては、生徒を意欲的かつ主体的に学習、 に向かわせることは難しい。そこで、一次感想を活用し、生徒が知りたいと思うことを吸い上げ て、学習課題に反映させる。
佐藤の授業は「生活読み→感想発表→学習読み」というごく一般的な指導過程に則るが、一次 感想の求め方に特徴がある 「感想を書きなさい」といった指示ではなく 「登場人物に会って、。 、 一つだけ質問できるとしたら、何を質問したいか 「自分が音読を担当した文段の“明るさ “」 ” 暗さ”を記号で表しなさい」など具体的に指示する。学習課題は、出された一次感想が妥当であ るかどうかを検討することが基本となるのだが、一次感想の求め方がその時々で異なるため、マ