――大村はま実践と佐藤きむ実践
本章では、戦後の中等国語科教育実践史において佐藤きむ実践がもつ意義を論ずる。
第3章で代表的な実践を分析・考察した結果、本人が意識していないのにもかかわらず、佐藤 実践には大村はま実践に通ずる部分が多いことがわかってきた。そこで、大村実践との比較対照 によって佐藤実践の特質を把握し直し、戦後の中等国語科教育実践史上における位置を確認した い。
第1節では、大村はま実践の特質を先行研究によって把握する。そのうえで、第2節では、大 村実践と佐藤実践を比較して両者の共通点と相違点を浮かびあがらせる。第3節では、共通点に 大村はまからの継承性を、相違点に佐藤の発展性と個性をそれぞれ見出したい。
ただし、ここで言う継承性には、無意識的な継承(=現象として見られる結果的な継承)も含 む。なぜなら、佐藤自身が、大村実践を意識的に踏襲したことに否定的だからである。実践家と 活躍した「時代」も「地域」も違い、直接的なつながりのなかった両者の実践に多くの共通点が 認めらるとしたら、それらは、時代や地域の違いを超えて共通する優れた実践の特質として位置 づけることができるであろう。
第1節 先行研究にみる大村はま実践の特質
佐藤実践との比較を考えて、大村はまの授業づくりの特質に触れている論考を五つ選び、発表 年が早い順に考察する。
1 野地潤家の場合
昭和20年代から大村教室を訪れ、後には対談の相手役を務めた野地潤家は 『大村はまの国語、 教室 全3巻』の出版にも寄与している。野地は『大村はま国語教室 第4巻』の「解説」とし
、「 」 。
て寄せた論考で 読むこと の指導に関する大村実践の特徴について以下のように述べている
大村はま国語教室では、生徒たち一人ひとりを読まずにはいられない資料と出会わせ、目的 に合った読みとりをさせつつ、読み終えたことを書いてまとめさせ、発表し合って、真に役立 つようにさせられる――つねに、読むことが生かされ、読む力が確実に伸びていくように、授 業(学習指導)が準備され、運ばれ、結実していくのである。
(注1)
また、読解指導の授業改善のために心がけたいことを、大村が読むことの指導に関して述べた ことの中から3点挙げながら述べる。
1 「何が書いてありますか 「筆者はどういうことを言おうとしていますか」といった正」 面からの、類型的な問い方をしないで、考えて読む、そしてわかろうとして読む、何かを啓かひら れようとして読むということをさせていくことが、私は読解の力をつけていくと思うのです。
2 「何が書いてありますか」式なことですと、答えはわかりますが、その答えの考えられ る力は何か、あるいは考えられなかったのは自分のどこがだめなのか、そういうことがはっき りしなくて漠然としているため、そうか! そうだ! と生徒の胸に刺さるような指導がむず かしくなるのです。
3 ふだんの授業の場合にも、なんとなく読む力をつけるというのではなく、読む力のなか のどの力、と、きちっと、目標、着眼点を持っていることが力をつけるとも思います。どうい うことでも、目標を持ちましたら、それをしっかり見つめて、その他のことは不問に付すとい うのがこつのように思います (以上1・2は『総合教育技術』昭和。 57年8月号、3は同上誌
、、
9月号 「大村はまの国語教室」から)、
ここには、大村はま先生が在来からの類型的に固定しやすい読解指導に対して、読むことの 指導の真のありかたを示唆深く説かれている。大村先生の提案は、いつもみずからの実践を通 してなされる。その提案は、たちまち次の提案を新たに生みだしていく。
「読む力は、読むことによって、たくさん読むということ、そのことによってつく」とは、
実際にどうすることなのか。大村はま先生は、そのことを身をもって授業の実際を通して示し てくださった。
(注2、施線は引用者)
野地は、多くの経験主義的な授業が力をつけることに失敗してきた事実をふまえて 「読む力、 は、たくさん読むことによってつく」という指導を実現させた実践家として、大村はまを評価し ている。そして、たくさん読ませる指導、確実に力をつけさせる指導とは、何をどうすることの か、具体的な方途を大村実践に見い出している。
野地が注目した大村実践の特徴は、指導方法と指導過程に着目すると4点に分けられる。
1点目は教材の選び方である。大村は、教科書に掲載されているものにとらわれず、中学生に ふさわしい読みものを教材として使った。そうすることが、学習者を「読むこと」にいきいきと 取り組ませるために、どうしても必要なことだったからである。
2点目は、発問の仕方である。大村は 「何が書いてありますか 「筆者はどんなことを言お、 」 うとしていますか」といった類型的な発問を避ける。代わりに、学習者に読む目的を持たせる発 問をつくった。
3点目は、読んで知ったこと、わかったことを書いてまとめさせ、発表し合うという指導過程 である。大村実践では、読んで知ったことわかったことが役立てられる場を設けることで、読ん だことが無駄にならない、つまり読むことをないがしろにできない状況がつくりだされているの である。
4点目は、読む力をさらに細分化し、読む力のどの部分について指導するのかを焦点化して指
。 、「 」 、
導に臨むことである あれもこれもと欲張るのではなく この学習ではこの力を と焦点化し それ以外の力については、物足りないと感じる場面があっても不問に付す。この潔さが指導を行 き届かせるのに有効であったと、大村自身も指摘している。
このように、野地は、読解指導の授業改善の具体的方途を示すものとして、大村実践を評価し ている。
2 倉沢栄吉の場合
単元的発想による国語教育実践理論を構築し、内地留学生を連れて継続的に大村の教室へ訪れ ていた倉沢は、大村単元の特徴について以下のように述べている。
大村単元は子どもに、精一杯学習に打ち込んでもらいたい、という教師の願いから出発して
。「 」 、 。
いる どの子もかけがえのない位置 を占めて 学習生活を営んでほしいという切なる願い
、 、 。 、
普通の生活の方へ学習生活を近づける つまり 学習の生活化という発想ではない いわんや 教室という場を生活の場にしようとか、教室を家庭化し社会化し、教室の外へ出て野外的生活 を経験させようなどという(無責任になりがちな)たくらみではない。教師の責任の中に、す べての子どもたちを包み込む、教師の目や耳や口が生き生きと動いている風景。単元学習は厳 正な意味における「授業」である。
(注3、施線は引用者)
(昭和20年代から30年代にかけての生成期の単元は)今日でいえば、表現理解の関連単元、
言語事項を核とした単元などと言われそうな内容だが、むろんそのように狭く規定することは できない。それらを超えた、より総合的な一体的なものである (中略)。
単元学習の総合性は、カリキュラムに基づくというよりもむしろ、生徒一人一人が人間だか らといった方がよい。学習者を信頼し、彼らを上手・下手・出来る・出来ないの意識におかな いとき、つまり本気で勉強させたとき、どんな学習も総合一体的となって生きてくる。単元に なる。生徒の主体的な活動にゆだね、必要な指導を行うのが単元の教師である。そういう教師 のもとからは、目を見はるような成果が、生徒によってもたらされる。
(注4、括弧内と施線は引用者)
倉沢は 「実の場」の構築方法と 「一人一人の学びを保障する指導」という二つの観点で大、 、 村実践を評価している。
倉沢の言う「学習の生活化 「教室の家庭化・社会化」とは、教室の外に「実の場」を求めよ」 うとする安易な発想を指していると思われる。例えば、調査活動で校外にでかけて行って外部の 人にインタビューさせれば、確かに学習意欲は高まるかもしれない。しかし、国語科の授業とし ては、それはきわめて特別なことであって、頻繁に教室の外で授業行うことは不可能である。倉 沢は、生徒を本気にさせる「実の場」を、外部の力に頼るのではなく、指導者の工夫によって教 室の中で実現しようとした点を指摘する。事実、大村は単元の学習をスタートさせるまでにかな りの時間をかけて、授業教室であった図書室における普段の生活の中で、これから学習する内容 について学習者の興味・関心を喚起しようと試みた。生徒と一緒に資料を集めたり、学習に使う 予定の図書を目立つところに配置してさりげなく紹介したりする。学習生活を日常生活に近づけ るのではなく、日常生活の方を学習生活に近づけるのである。
ところで 「一人一人の学びを保障する指導」は 「個に応じた指導」とは分けて考えたい。、 、 なぜなら、一般的に「個に応じた指導」とは能力差に応じることを意味するのに対し、大村は、
学習者を優劣の意識から解き放ち、それぞれの持てる力を最大限に発揮させることをねらうから である。よって 「優劣のかなたに」と称される大村実践の特徴を、佐藤実践を考察した際と同、 じく「一人一人の学びを保障する」と呼びたい。