博士(医学)矢野 学位論文題名
血小板凝集抑制剤による実験的術後肺転移の抑制
学位論文内容の要旨
諭
I研究目的
腫瘍の転移形成過程において,血小板を中心とした血液凝固系は腫瘍の着床および血栓形成に 重要な役割を果たしている。血中の癌細胞が血小板の凝集を促し,癌細胞―血小板凝集塊による 腫瘍塞栓の形成を容易にすることにより,標的臓器内皮細胞への着床を有利に導くと考えられて いる。このような見地から,各種血小板凝集抑制剤の転移抑制効果の検討が行われてきたが,必 ずしも良好な結果が得られてはいない。これは腫瘍細胞の種類によって血小板凝集誘導機序が異 なること,血小板凝集抑制剤の作用機序が多様であることなどに起因していると考えられる。本 研究では この点を明確にするため血小板のc―AMP phosphodiesterase阻害により血小板凝集 抑制作用を有するイミダゾキナゾリン誘導体である,DNー9693の肺転移抑制効果にっいて、ラッ ト肝癌細 胞KDH・8を用いて,投与時期 ,Cyclophosphamideとの併用効果および薬剤の作用 機序にっいて検討を加えた。
u材料と方法
1)WKAラ ッ 卜 ( 体 重 約200g) にDAB(4―dimethylaminoazobenzen)を 投 与し て誘 発した肝癌細胞KDH・8を用いた。この細胞は腹水系で維持されており,l05個の皮下移植に よって宿主ラットを50日前後で腫瘍死させる。血小板凝集抑制剤(DN―9693)は150ロgを一日 2回腹腔内投与とした。
2)KDH―8細胞 ,l05個をWKAラットの背部皮 下に移植し20日後に外科切 除を行った。切 除の20日後にラットを犠牲死させ,切除前投与(I群),切除前後投与(皿群),切除後投与(m 群 ) , 非 投 与(W群 ) の4群 に 分 け て 肺 重 量 お よ び 肺 転 移 数 を 比 較 検 討 し た 。 3)KDH‑8細胞を 尾静脈から接種することに より人工的肺転移を作成したラットに,当日 か らDN・9693を7日 間腹 腔内 投与 し ,非 投与 群と 肺重 量 ,肺 転移 数を 比較 検 討し た。
4)前 述の 実 験系 を用い,DN―9693投与と併用して,Cyclophosphamide(CY)8mg (40
mg7kg)を皮下投与し ,CY単独投与群(A群),DN・9693単独投与群(B群),CY十DN・9693 投与群(C群),非投 与群(D群)の4群において, 外科切除後の生存期間の観察 を行った。
5)正 常WKAラ ッ ト にDN−9693 300〃gを 腹 腔 内 投 与 し , 血 漿TXB2,6←keto一 PGF,。 の 経 時 的 変 化 を , 投 与1,2,4,6,12,18,24,48,72時 間 後に 測定 した 。 6) WKAラ ッ ト よ り 採 取 し た 血 液 か ら多 血小 板 浮遊 液(PRP)を4xl08/紺 に調 整し , PRP450〃1に 腫瘍 細 胞浮遊液50ロ1を添加 しアグリゴメ一夕一を用い てKDH―8細胞の血小 板凝集を測定した。
7) KDH―8細胞 の 血小板凝集に対するADP阻害剤(アピラーゼ,ク レアチンリン酸,ク レアチンリン酸キナーゼ),卜口ンビン阻害剤(ヘパリン,MD―805),およびDN−9693の抑制 効果を検討した。
8) KDH・8細胞 の 皮下 移植 に対 するDN・9693の連日投与とKDH・8細胞の培養液中での 3H―thymidineの 取 り 込 み 試 験 に よ り ,DN―9693の 直 接 作 用 を 検 討 し た 。
m結 果
H群,m群はIV群に比較し,有意に肺転移数,肺重量の減少を示した。しかしI群ではI群と の差異は認められなかった。人工的肺転移の場合にも,DN,9693投与により肺転移数の滅少が 観察された。また,C群はA群,B群と比較し,術後50日で有意の生存率の向上が認められた。
術 後 腫 瘍 死 まで の平 均生 存期 間 はB群 がD群に 比較 し て有 意の 延長 が 観察 され た。6・ keteーPGF|″はDN・9693投 与後,2時間から12時間で高 値を示し,18時間後は漸滅した。
TXB2は投与後2時間から12時間で急峻な一過性の上昇を見たが,18時間以後は漸減した。
KDH―8細胞はクエン酸加PRPに対しては解離型の血小板凝集を誘導した。カルシウムを添 加した場合には解離型凝集の後に非解離型の凝集が認められる,二相性のパ夕一ンが示された。
これらの血小板凝集はADP阻 害剤とト口ンビン阻害剤の両方で抑制された。またDN・9693は KDH・8細胞が誘導する解離 型,非解離型凝集を用量依存 的に抑制した。一方,DN・9693の KDH‑8細 胞 に 対 す る 直 接 作 用 はin vivoで もin vitroで も 認 め ら れ な か っ た 。
IV考 察
DN‑9693の切除後投与群では著明な肺転移抑制効果が認められたが,切除前投与群では肺転 移抑制効果は認められなかった。癌転移に関与する凝固線溶系の作用は転移の各ステップにおい て亢進は腫瘍血栓を形成する場では転移促進に働くが,原発巣ではむしろ腫瘍細胞の増殖,離脱
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を抑える。したがって切除前における血小板凝集抑制剤の投与は,原発巣における癌細胞の遊離 を促進する結果となり,これが肺転移抑制効果を示し得なかった要因と考えられた。腫瘍細胞の 静脈内接種による人工的肺転移のモデルでは,血小板凝集抑制剤の原発巣への影響を無視するこ とができる。この系での肺転移抑制効果が観察されたことは,薬剤が着床段階で働いていること を示唆していた。血小板凝集抑制剤によって着床が抑えられ,腫瘍細胞が血中に遊離した状態で あれば,CYのような 化学療法剤による殺細胞効果が期待できる。DN,9693の血小板凝集抑制 作用 がc,AMP phosphodiesterase阻 害効果によることから,本 薬剤が細胞膜のc・AMP濃 度を増加させる,という薬理学的特性によるものと考えられた。また本薬剤の肺転移抑制効果は プ口スタグランジン 代謝とは直接関係がない可能性が強い。KDH・8細胞が誘導した血小板凝 集はADP阻害 剤と ト 口ン ビン 阻害 剤の 両 方で 抑制 され た。この ことから,KDH←8細胞は ADP介在性凝集とトロ ンビン介在性凝集という2種類の血小板凝集機序を有していることかわ かり,DN・9693はそのいずれに対しても抑制効果を示した。
癌治療の主体は依然として外科手術と抗癌剤である。手術は腫瘍量の減少という利点を有する 反面,血行転移の促進という危険性も孕んでいる。本研究で行った血小板凝集抑制剤による転移 の抑制は,従来の抗癌化学療法という癌治療とは一線を異にする治療法であり,今後,癌の外科 手術への応用が期待できると考えられる。
V結 論
1)血小板凝集抑制剤,DN―9693は腫瘍切除後投与において,術後肺転移を有意に抑制した。
2)腫瘍細胞の静脈内接種による人工的肺転移においても,DN・9693投与によって肺転移数 の減少が観察された。
3)DN,9693とCyclophosphamideの併用によって,術後生存率の有意の向上が認められた。
4) DN・9693のKDH・8細胞に対する直接的な抗 腫瘍効果は認められず,その作用機序は,
KDH・8細 胞 が誘 導す るト 口 ンビ ン介 在性 凝集 お よびADP介在性 凝集の阻害によるもので あった。
学位論文審査の要旨 主 査 教 授 田 邊 達 三 副査 教授 細川真澄男 副 査 教 授 小 山 富 康
血小 板 凝 集 抑 制 によ る 肺 転 移 抑制 を 検 討 す るた め , 血小板 凝集 抑制剤DN‑9693を投与 して術 後 肺 転 移抑 制 効 果 に っい て , ラ ット肝 癌細胞KDH ‑丶8を 用い て,投 与時期 ,Cyclophosphamide との 併用効 果お よび薬 剤の作 用機序 にっ いて検 討を加 えた。
材料 及び方 法
1)WKAラ ッ ト ( 体 重 約200g) にDAB(4←dimethylaminoazobenzen)を 投 与 し て 誘 発 し た 肝癌 細胞KDH・8を用 いた 。この 細胞は 腹水系 で維持 され ており ,l05個の皮 下移植 によ っ て 宿 主 ラッ ト を50日前 後 で 腫 瘍 死さ せ る 。 血 小板 凝 集 抑 制 剤(DN・9693)は150皿gを一 日2回 腹腔 内投与 とし た。
2)KDH・8細 胞 ,10゜ 個 をWKAラ ッ ト の 背 部 皮 下 に 移 植 し20日 後 に 外 科 切 除 を 行 っ た。
切除 の20日 後にラ ットを 犠牲死 させ ,切除前投与(I群),切除前後投与(皿群),切除後投与(m 群 ) , 非 投 与(I群 ) の4群 に 分 け て 肺 重 量 お よ び 肺 転 移 数 を 比 較 検 討 し し た 。 3) KDH−8細胞 が 尾 静 脈 から 接 種 す る こと に よ り 人 工的 肺 転 移 を 作 成し た ラ ッ ト に, 当 日 か らDN−9693を7日 間 腹 腔 投 与 し , 非 投 与 群 と 肺 重 量 , 肺 転 移 数 を 比 較 検 討 し た 。 4)2) の 実 験 系 を 用 い ,DN―9693投 与 と 併 用 し て ,Cyclophosphamide (CY)8mg (40 mg/kg)を 皮 下 投 与 し ,CY単 独 投 与 群 (A群 ) ,DNー9693単 独 投 与 群 (B群 ) ,CY十DN‑969 3投 与 群(C群 ) , 非投 与 群 (D群) の4群 に おい て , 外 科 切除 後 の 生 存 期間 の 観察を 行った 。 5) 正 常WKAラ ッ 卜 にDNー9693 300〃gを 腹 腔 内 投 与 し , 血 漿TXB: ,6−keto―PGF7。 の 経 時 的 変 化 を , 投 与1,2,4,6,12,18,24,48,72時 間 後 に 測 定 し た 。 6)WKAラ ッ ト よ り 採 取 し た 血 液 か ら 多 血 小 板 浮 遊 液(PRP) を4xio / 紺 に 調 整 し , PRP450ロ1に 腫 瘍 細 胞 浮 遊 液50〃1を 添 加 し ア グ リ ゴ メ ー タ ー を 用 い てKDH−8の 血 小 板凝 集を 測定し た。
7)KDH亠8の 血 小 板 凝 集 に 対 す るADP阻 害 剤 ( ア ピ ラ ー ゼ , ク レ ア チ ン リ ン 酸 , ク レ ア チ ン リ ン酸 キ ナ ー ゼ ), 卜 口 ン ビン阻 害剤( ヘパリ ン,MDー805), およびDN―9693の 抑制効 果 を検 討した 。
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8) KDH‑8細 胞 の 皮 下 移 植 に 対 す るDN・9693の 連 日 投 与 とKDH−8細 胞 の 培 養 液 中 で の
。Hーthymidineの 取 り 込 み 試 験 に よ り ,DN→9693の 直 接 作 用 を 検 討 し た 。 結 果
H群 ,m群 はW群 に 比 較 し, 有 意 の 肺 転移 数 , 肺 重 量の 減 少 を 示 した 。 し か しI群 で はI群と の 差異 を 認 め ら れ なか った 。人工 的肺転 移の 場合に は,DN・9693投与 によ り肺転 移数の 減少が 観 察さ れ た 。 ま た ,C群 はA群,B群 と 比 較し , 術後50日で有 意の生 存率の 向上が 認め られた 。 術 後 腫 瘍 死 ま で の 平 均 生 存 期 間 はB群 がD群 に 比 較し て 有 意 の 延長 が 観 察 さ れた 。6 ‑ ke‑
to・PGF,はDN―9693投 与 後2時間 か ら12時間 で 高 値 を 示し ,18時 間後 は 漸 減 し た。TXB:は 投 与 後2時 間 か ら12時 間 で 急 峻 な 一 過 性 を 上 昇 を 見 た が ,18時 間 以 後 は 漸 減 し た 。 KDH・8細 胞 は ク エ ン酸 加PRPに対 し て は 解 離型 の 血 小 板 凝集 を 誘 導 し た 。カ ル シ ウ ム を添 加し た場合 には解 離型凝 集の後 に非 解離型 の凝集 が認め られ る。二 相性のパ夕一ンが示された。
こ れ ら の 血 小 板 凝 集 はADP阻 害 剤 と ト 口 ン ビ ン 阻害 剤 の 両 方 で抑 制 さ れ た 。ま たDN・9693 はKDH・8細 胞が 誘 導 す る 解離 型 , 非 解 離型 凝 集 を 用 量依 存 的 に 抑 制した 。一方 ,DN・9693は KDH‑8細 胞 に 対 す る 直 接 作 用 はin vivoで もin vitroで も 認 めら れ な か っ た。 以 上 か ら 本薬 剤 の肺 転 移 抑 制 効 果はKDH―8細胞が 誘導す る血小 板凝 集を抑 制した 結果で あると 考え られた 。 口 頭 発 表 に お い て 細 川 教 授 よ りDNー9693切 除 前 投 与 群(I群 ) とCY単 独投 与 群(A群) に おけ る結果 をどの ように 解釈す るかにっいて,また小山教授より癌細胞.―血小板凝集塊の形成過 程に っいて の質問 があっ たが, 申請 者はお おむね 妥当な 回答 をなし た。また両教授には個別に審 査を 頂き合 格と判 定され た。
本 研 究 は 血 小板 凝 集 剤DN.9693の術 後肺転 移抑制 効果を 明らか にす るとと もに, その作 用機 序も 詳細に 解析し たもの であり ,学 位の授 与に値 するも のと 考える 。