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雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

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(1)

ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課 題 −西ドイツ、ソ連、東ドイツ、オーストリア、

スウェーデンの場合−

著者 稲垣 正浩

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 32

号 1

ページ 129‑148

発行年 1983‑11‑25

その他のタイトル Die Richtungen und Aufgaben der Sporterziehung in Europa −BRD., RSFSR., DDR., Osterreich, Schweden−

URL http://hdl.handle.net/10105/2299

(2)

餌NAa監事蕊.㌔霊832gan*(a c.V。l.32,N。.1(c霊t.&s。c.),1983

ヨーロッパ諸国にみる「スポー.ツ教育」の動向と課題

一西ドイツ,ソ連,東ドイツ,オーストリア,スウェーデンの場合‑

稲 Il l" iK  浩 (奈良教育大学体育学教室)

(昭和58年4月30日受理)

I 本研究の目的と課題

1)本研究の目的

「スポーツ教育」ということばそのものは、イギリスのパブリック・スクールにその典型的な 例をみることができるように、ヨーロッパ各国はもとより、わが国においても長い歴史的な意味 内容を形成してきている。しかし、近年になってしばしば誌上をにぎわすようになった「スポー ツ教育」の意味内容は、これまでの伝統的な「スポーツ教育」のそれとは若干その性格を異にし ていると言わねばならない。その違いのもっとも大きな特徴は、これまでの「スポーツ教育」が 青少年教育に集中して論じられてきたのに対し、近年の「スポーツ教育」は老若男女をすべて包 括した国民教育の一環としてとらえようとしている点にある。にもかかわらず、今日、わが国で なされている「スポーツ教育」に関する論議は、主として学校体育との関連のなかで展開されて いて、巨視的な視野に立つ論議を欠いているように思われる。したがって、「スポーツ教育」その ものの理念や内容についての共通理解は深まらないばかりか、議論百出して、その主張はますま す細分化していく傾向にあると言っても過言ではないであろう。つまり、「スポーツ教育」という ことばの持つイメジは多種多様であり、その主張の力点も多方面に分散しているのが実情である。

しかし、現在必要なのは国民教育の視座に立つ「スポーツ教育」の構想であり、そのための基礎 作業であろう。つまり、より建設的な論議を今後展開していくための共通の基盤を作っていくこ とが急務であろう。

本研究では、「スポーツ教育」論議に関するこうした現状認識に立つ、その基礎作業の一環とし て、ヨ‑ロッパ諸国が「スポーツ教育」についてどのような取り組みをし、どのような試みに着 手しようとしているのかという点を整理し、分析・考察を加えながら、ヨーロッパ諸国の「スポ ーツ教育」に関する動向と課題を明らかにしたいと思う。

2)先行研究の検討

ヨーロッパ諸国の「スポーツ教育」を軸にして、それらを比較考察するという本格的な研究は 残念ながら今日までのところまだ手にすることが出来ない。しかし、問題意識や焦点を若干拡大 して、各国別の体育・スポーツの一般的動向や学校体育の課題を明らかにしようとした論文は相 当数認めることができる(1)

。けれども、多少なりとも「スポーツ教育」の問題を扱い、複数国の

比較・考察をしたものとなると、その数はごく限られてくる。ここでは本研究の意図するところ

129

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と比較的近いと思われる研究を先行研究としてとりあげ、若干の検討をしておくことにする。

まず、拙稿: 「世界におけるスポーツ教育の動向」 (「体育科教育」第2 2巻第11号、 18‑21頁、

1974年、大修館書店)。この論文は本研究の問題意識の出発点であり、重要な礎となっている。し かし、ここでとりあげられた国は、イギリス、東ドイツ、西ドイツ、オーストラリアの4カ国で、

その問題意識も国際比較というよりはむしろ各国の動向を整理して紹介することに力点が置かれ ている。また、その後、約10年を経過してスポーツ教育に関する情況も大きく変化しているので、

再度検討し直す必要が生まれてきている。

高橋健夫: 「世界の潮流にみる学校体育の改革」‑運動教育とスポーツ教育の方向(「体育科教 育」第28巻第4号、 24‑27貢、 1980年、大修館書店)。サブ・タイトルにもあるように、運動教育 についてはイギリスとアメリカを、スポーツ教育については東・西ドイツとアメリカのプレイ論 を軸にして論を展開している注目すべき論文である。しかし、残念ながら、この論文の意図する ところは学校体育の改革にあり、本研究の意図するところとは若干問題意識が違っている。

高橋健夫: 「スポーツと教育」‑‑新しいスポーツと教育の関係(‑学校体育」第34巻第13号、

133‑139頁、 1981年、日本体育社)。スポーツ教育立論の根拠を「スポーツの内在的価値」と「ス ポ‑ツ的運動の人間学的関心」の2点から論究した論文。スポーツ教育の国際比較という関心よ りは哲学的、人間学的関心の強い論文。

拙稿: 「世界における体育の潮流」 (「体育科教育」第29巻第13号、 10‑14貢、 1981年、大修館書 店)。現代社会を体育・スポーツにおける大きな転換期にあるものという認識のもとに、 「労働」

と「防衛」を前面に押し出す社会主義諸国と生涯スポーツ‑の転換をはかる自由主義諸国の2大 潮流を対比させ、中立国オーストリアと民族の伝統を求めるスウェーデンの動向の意味するとこ

ろを問うたもの。本研究は、この論文を発展させ、とくにスポーツ教育に焦点をあてたものである。

以上が本研究に近い先行研究である。すなわち、本研究の意図する「スポーツ教育」の国際比 較はまったく新しい研究領域であって、これから本格的な研究が期待される債域である。

3)本研究の課題と方法

以上の先行研究の検討からも明らかなように、「スボ‑ツ教育」を国際的な視野から比較・考察 する研究というものは、ようやくその端緒についたにすぎないと言ってよいであろう。本研究も また、この分野のこうした研究の未成熟さの制約から逃れられるものではない。しかし、ヨーロ

ッパ諸国の「スポーツ教育」に対する取り組みはきわめて熱心になされており、その研究は日進 月歩の勢いであるL,このような情況下で「スポーツ教育」の国際比較をすることは、当然のこ とながら、大変な困難を伴なうものである。その理由は、言うまでもなく、 1つには「スポーツ 教育」に関する各国別の情報もけして十分であるとは言いがたいこと、したがって、現状では比 較・考察の視点を各国共通に定めることが困難であること、さらに言語上の制約から情報の得ら れる国に限界があること、などである。したがって、 「スポーツ教育」の国際比較を意図する本研 究は今後の本格的な研究に入っていくための序説的な基礎作業にとどまらざるを得ない。そこで 本研究ではこれまで比較的情報の多かったアメリカとイギリスについては割愛することにし、い わゆる自由主義圏については最近目ざましい動きのみられる西ドイツを軸にして考察することに し、これまで比較的情報の少なかった東ドイツ、ソ連、オーストリア、スウェーデンを取り上げ、

これらの国の「スポーツ教育」の動向と課題を明らかにし、これまでの研究をさらに一歩進める

ことに主眼を置いてみたいと思う。

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ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題 iWI 以上のように、本研究はこれまであまり比較検討の対象とされなかったこれらの国々の「スポ ーツ教育」に関する動向と課題を比較考察するという初めての試みをとおして、今後の「比較ス ポーツ教育学」的研究への道を模索しようとするものであるo

I 諸外国にみる「スポーツ教育」の動向

1)生涯スポーツへの転換をはかる自由主義諸国‑西ドイツの場合

いわゆる自由主義諸国において、 「生涯スポーツ」とか「スポーツ教育」ということばが市民権 を得てしばしば論議の対象になりはじめるのは1960年以後のことと考えてよいであろう。すなわ ち、カナダのモントリオールで開かれた「国際成人教育会議」 (1960年)において、 「成人教育は、

いわゆる学校教育終了後の継続ではなく、生涯教育過程の一環である」̀2'ことが確認され、生涯 過程としての教育(education as a life‑long process),つまり生涯教育(life‑long education) についての合意が得られて以後のことである。この会議後に明らかにされた見解によれば、 「急 激な社会変動は、 ①教育を生涯にわたる過程として考え直す」必要を生じていること、 ㊨ 「この ような原則に立って成人教育の計画をなすべきである」̀2'という2大原則が明確に示されている。

こうした生涯教育的発想にもとづく体育・スポーツの対応が求められることになり、自由主義 諸国では一斉に生涯体育論や生涯スポーツ論が展開されることになった。しかし、それらの成果 がみのりはじめるのは1970年代に入ってからであり、その成果の1つが1975年の「ヨーロッパみ んなのスポーツ憲章」であり、 1978年の「ユネスコ体育・スポーツ国際憲章」̀3'であろう。

こうしたすう勢のなかで、学校体育のあり方についても、当然のことながら大きな反省が求め られることになり、旧態依然たる「体育」 (Physical Education, Leibeserziehung‑身体教育) から、身体教育的色合を払拭して生涯スポーツとの接点を求める「スポーツ教育」 (Sports Education, Sportunterricht, Sporterziehung)の理念や実践が誌上で論議されるようになってく

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さて、自由主義諸国のうち、イギリスとアメリカについては比較的多くの情報が紹介されてい るので割愛することにし、ここではかなり早い時点から「スポーツ教育」への転換のための内的 エネルギーを蓄積してきたと思われる西ドイツに焦点を当ててみることにしよう。・

西ドイツは、周知のように第2次世界大戦後、東西に分割を余儀なくされた国であるQ分割さ れたもう1つの国、東ドイツは社会主義国家建設のための重要な国策の1つとして体育・スポー ツ(Korperkultur‑肉体文化)ォ> に力を注ぎ、多くの成果を挙げてきている。こうした東ドイツ の存在が、つねに西ドイツを刺激し、意識させてきたことは間違いない。それは、ちょうど東ド イツに対抗するかのように、西ドイツでは民間主導型のすぐれたスポーツ政策が早くから推進さ れていることからも明らかである。その意味では、東西ドイツの競合的なスポーツ政策がさきの

「生涯教育」や「ヨーロッパみんなのスポーツ憲章」を導き出す先導的役割を果たしたと言って も過言ではないであろう。

西ドイツのスポーツ政策のなかで、まず注目しなければならないものは、日本にも広く知られ

るところとなった「ゴールデン・プラン」 (Der goldene Plan‑黄金計画‑スポーツ施設拡充計

画)であろう。(5'この計画は、すでに1960年に軌道に乗せられ、その後順調に施設づくりが進め

られ、 1968年からはゴールデン・プランの「第2の道」としてプログラム・サービスが実施され

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ている。このゴールデン・プランによれば、スポーツは「国民個々人の自由意志による、目的の 自由な活動」としてとらえられ、このようなスポーツを国民の間に普及・発展させるためのスポ ーツ施設拡充計画としてゴールデン・プランはそのスタートを切った。そして、このゴールデン

・プランを推進するための根拠としては、①健康の保持・増進の問題(医療政策とも関連)、㊨

青少年不良化防止の問題(青少年教育)、④生活の充実(個人および任意の集団)の3点を克服す るための施策であることが強調されたOさらに注目すべきことは、このゴールデン・プランの原 型がすでに1917年にC.ディーム(6'によって構想が練られ、運動が展開されていたということで あり、以後、約半世紀にわたる運動の蓄積をベースにして、1960年にようやく実現の運びとなっ たという歴史的な経過である。

こうしたドイツ・スポーツ促進運動(7)の伝統に支えられながら、古い体育(Turnen)からス ポーツ教育への転進の道が早くから模索されていたことも見逃すことができない。さきのゴール デン・プランの原型を構想したC.ディームは1920年代にすでにスポーツ教育の提言を試み、ス ポーツ教育の「教材体系」論をも公けにしている(8)

。したがって、1970年を境に、これまで用い

られていた「体育」(Leibeserziehung)という名辞に代って「スポーツ」(Sport)が用いられる ようになった背景にも、およそ50年にわたる準備期間があったことを見逃してはならない。

こうした名称変更の背景には、①学校体育の教科内容の実情に合わせてスポーツという名称を 用いる、④「体育」(Leibeserziehung)という名辞は、ドイツ語の語義そのものは文字通り「身 体教育」であるので、この前近代的な名辞を払拭したかった、⑨生涯スポーツに橋渡しのできる 教科名としては「身体教育」よりも「スポーツ教育」がふさわしい、などの事情があった。しか しさらにもう1点、④科学論もしくは学問体系論の立場からも名称変更推進のバック・アップが あったことを指摘しておかねばならない。すなわち、教育科学(Erziehungswissenschaft)の1 領域としての体育科学(Leibeserziehungswissenschaft)ではカバ‑しきれないほどのスポーツ 現実の進展があり、もはやこのスポーツ現実に対応できる科学としては新たな総合科学としての

「スポーツ科学」(Sportwissenschaft)に頼らざるを得ない、という研究方法上の現実問題が新 たに登場してきたことであるOさらに、スポーツ科学のなかの‑専門分科学として「スポ‑ツ教 育学」(Sportpadagogik)を位置づけることの方が、より現実的で、しかも将来にわたり学問的 な発展が期待できる、という判断があることである(9)

。このようにみてくると、西ドイツにおけ

る「身体教育」から「スポーツ」‑の名称変更はきわめて現実的な対応であると同時に、「体育 科教育」の長い歴史からみて、明らかに新しい段階に入ったことを如実に物語るものと言うべき であろう。

さて、1960年代の後半から今日にいたるまでの西ドイツにおける「スポーツ教育」論議は、こ れまた多岐にわたっている。それらのすべてをここで紹介することは出来ないので、こうした論 議の1つの成果としてまとめられた1981年改定のノルドライン・ヴェストファーレン州の学習指 導要綱(Richtlinie)'11'をとおして、実際の学校スポーツにどのような指針を示しているかを見て 置きたいと思う。まず、スポーツについては「健康と安寧を促進し、とくに環界や自己の身体に よる経験を開発し、達成の体験による自己確認をもたらし、社会的コンタクトを基礎づける」と 定義づけた上で、「学校スポーツの課題」として以下の9ヵ条からなる一般目標を設定している。

①予防的トレーニングと健康な生活の営み一一一学校スポーツは、すべての生徒の健康を、と

くに循琵器系や姿勢の悪い生徒の健康を規則正しいトレ‑ニングによって増進すべきである。す

なわち、学校スポーツはスポーツ活動をとおして健康な生活が営めるよう知識や認識や習慣を身

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ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

133

につけさせるべきである。

②運動による身体の経験一一・・・学校スポーツは、すべての生徒にできるかぎり多様な身体の経 験を、とくに学校外ではほとんどできないような経験を媒介すべきである。

④スポーツ的達成と自己意識一一一学校スポーツは、すべての生徒の達成を高め、満たす可能 性を個々人の発達段階に応じて提供すべきであるOまた、学校スポーツは、スポーツの達成とし て評価される基準を理解させ、それを状況に応じて変化させるよう生徒たちを導くべきである。

④プレイ能力とルールの意識‑‑‑学校スポーツは、すべての生徒にさまざまの複雑なスポー ツ的ルールにもとづいてプレイする能力を育成すべきである。同時に、学校スポ‑ツは、全員が プレイできるという理念に支えられたルール意識を育てるべきである0

⑤スポーツ的情況の自己組織化・L一・一学校スポ‑ツをとおして、生徒は環境条件の整備や練習 や競技の運営を、徐々に自分たちの手で行ない、それに責任を持つことを学ぶべきである。

⑥スポーツのバリエーション一一一学校スポーツをとおして、生徒は、スポ‑ツに寄せる彼ら の期待をよりよく実現するために、状況によってはスポ‑ツ種目の形態や環境条件(ルール、用 具、施設など)を変化させることができるようにすべきである。

⑦学校における勉強と余暇‑‑‑‑学校スポーツは、生徒たちが学校で過す時間を年齢に応じて 有意義に分割することに寄与すべきであろう。

⑧同年齢者のスポーツとの関連‑‑‑‑・学校スポーツは、子供や青少年が学校外で行なうことの できるスポーツにも配慮すべきである。つまり、学校スポーツは学校外スポーツの要求にも対応 し、学校外スポーツを補充したり、変化させたりすることにも貢献すべきである。

@成人スポーツとの関連‑‑・・‑・学校スポーツは、とくに成人のスポーツ形態をも配慮すべきで ある。すなわち、学校スポーツは、典型的な選択制を導入することによって、成人にふさわしい スポーツ種目を習得するための不可欠の判断規準や諸前提を身につけるような経験をさせるべき である。

以上がノルトライン・ヴェストファーレン州の学習指導要綱に示された学校スポーツの一般目 標である。ここから明らかなように、健康の保持・増進と運動経験の集積は9ヵ条の一般目標の うちの2ヵ条にまとめられ、あとは専ら「スポーツ的自立」 ‑の方途が提示され、これらの学習 をとおして将来の生涯スポーツを創造することのできる能力を育成することが計られている。そ して最後に、学校外スポーツとの関連にも注意を喚起させて、学校スポーツの一般目標をしめく くっている。とくに注目しておきたいことは、スポーツによる性格形成や人格形成の問題が後退 し、自らのスポーツ・ライフを創造し、実践していくための能力を養い、 「スポーツ的に自立す る人間」が強く期待されていて、明らかに「生涯スポーツ」を強く意識した学習指導要綱になっ ていることである。

2) 「労働と防衛」から「スポーツ文化」への転換をはかる社会主義諸国‑ソ連の場合 社会主義を標傍する諸国がわれわれとは違った独自の体育・スポーツの道を歩んでいることは よく知られているところである。しかし、その違いは一体どこから来るものであろうか。

まず最初に確認しておかなければならないことは、社会主義諸国は体育やスポーツを包括する 上位概念として「肉体文化」 (fiziCejskaja kuljtura, Korperkultur, Physical Culture) I)という

ことばを用いている点である。かれらは肉体文化を「肉体にかかわる総合的な文化」の債域とし

てとらえ、その主たる内容に体育やスポーツを考えている。社会主義の考え方によれば、人間は

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「生産力」と定義づけられている(12)のであるから、肉体文化は「社会主義文化の全体系の中で、

人間を肉体的に完全なものにするという社会的課題」を担うものとして期待されており、さらに

「そのための集団過程」(12)として必要不可欠のものと考えられている。したがって、理想的な 社会主義国家建設のために有為なる人間は、肉体文化の側面でもすぐれた能力を発揮することが 必要であり、またそのための研鏡を積むことが義務づけられている。こうして、肉体文化は「労 働と防衛のための準備」という一般的スローガンのもとに集約され、たとえば、 「ゲ‑・テ〜・オ ー」コンプレックス制度として具体化され、到達記録としてのノルマとなって全国民に課せられ ることになる。

しかし、肉体文化ということばは、もともと社会主義専用の用語であったというわけではない。

1900年前後に用いられていた「身体文化」は「生活改革運動や婦人解放運動の意味における身体 の積極的な育成」を意味し、 「現代文明の中で阻害されつつある身体諸機能を、適応能力・健康・

作業能力の向上をめざして個人が責任自覚的、価値志向的に訓練すること」(13)と考えられていた。

しかし、第2次世界大戦後、ブルジョア的、資本主義的体制下の体育やスポーツと一線を画する 必要から、社会主義体制下では「肉体文化」という概念を用いるようになった歴史過程があった。

つまり、肉体文化は他のすべての文化現象と同じように下部構造によって規定される。他方では、

肉体文化は上部構造として積極的に下部構造に働きかけることができる。したがって、肉体文化 は目的の自由な、たんなる文化現象ではない。むしろそれは、ブルジョア的体制と対決するため のイデオロギー上の1つの武器と考えられる。‖4)それにしたがえば、スポーツマンはイデオロギ ー風争の最前線に立つ闘士である、ということになる。このように考えてくると、肉体文化とい うことばは社会主義体制の絶対的な優位が証明されるまでは、どうしても使われねばならない歴 史的な使命を帯びたことばであることがわかってくる。

それにもかかわらず、ソ連でも最近の傾向として肉体文化や体育ということばの代りに「スポ ーツ」が多用されるようになってきている、(15)という事実は大変興味深いことと言わねばならな いo さきの論法にしたがえば、社会主義体制の優位性がある程度証明されたということになり、

そのような現状認識のもとに、いまや「労働と防衛」もさることながら、さらに「スポーツ文 化」全体に視野を拡大しようとしている、と考えることができる。とすれば、ソ連で現在考えら れている「スポーツ文化」とはどのようなものであるのかを検討する必要が生じてくる。

ソ連のスポーツは、現在のところ、 ①チャンピオン・スポーツ、 ②大衆スポーツ、 ③長生きの ためのスポーツ、の3本柱で考えられている。

チャンピオン・スポーツは、文字どおり競技力を向上させ、スポーツ競技界における世界制減 を目指すものである。ソ連ではスポーツにおける競技力の向上は、文学や芸術と同等の文化追求 と考えられており、スポーツによる世界制覇は、とりもなおきず文化追求面での社会主義体制の 優秀さを世界に示すもの、と考えられているわけである。そのため、ソ連では有能なスポーツマ

ンを発掘し、強化することに力を注ぎ、 1934年以来、スポーツ学校を設置し、大いにその成果を 挙げている〕スポーツ学校には3種類があり、 1975年現在、背少年スポーツ学校(4704校)、オ

リンピック予備学校(563校)、高等スポ‑ツ・マスター学校(71校)が全国に張りめぐらされ、

約160万人の青少年がこれらの学校に入って活動している、という。こうした考え方や制度の上 に、いわゆる「ステート・アマ」の活躍の場が保障されることになるのである。

2番目の柱、大衆スポーツは、高度なスポーツ文化追求のための大衆的な広がりとして重視さ

れており、一方ではレクリェ‑ショナル・スポーツをもとり込みながら、最終的には国民の体力

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ヨ‑ロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

135

養成にその主眼を置いている。つまり、体力は社会主義体制を維持していくための労働と防衛が 遂行できる身体準備であり、その意味でスポーツ文化の根幹はまさに「大衆スポーツ」にあると 考えられている。したがって、いかにしてスポーツを大衆化するかということは、ソ連ではきわ めて重要な課題であり、早い時期から論議されてきている。「労働と防衛のための準備」を意味す ることばの頭文字をとった「ゲー・テ〜・オー」コンプレックス制度(体力章検定制度)は、ス ポーツの大衆化を推進するためにコムソモール(青年共産同盟)が1931年に制定したものである。

1931年、1940年制定の「ゲ‑・テー・オー」体育要目と、1972年のものを比較してみると、3段 階であった「級」が5段階に細分化されていること、運動種目の数がおよそ2倍になっているこ と、新しい内容として、ガスマスク、市民防衛、行軍、手相弾投げが追加されていることが目新 しいところであるOなお、ここでは割愛せざるを得なかったが、運動種目にはそれぞれの種目ご とに年齢に応じたノルマが規定されていて、国民はすべて、年令相応の到達目標に向かって努力 することが義務づけられている。

最後は、長生きのためのスポーツである。ソ連では最近になって「長生き」の総合科学的な研 究が多角的に、しかも熱心に行なわれている、という。いわば、健康とスポーツとの接点がここ では求められており、「スポーツ文化」の3本柱の1本として健康の保持・増進にはたすスポー ツの役割が重視されていることがわかる。これまで、われわれの認識するところでは、ソ連のス ポーツと言えば、スポーツによる世界制覇を目指すチャンピオン・スポーツと「ゲ‑・テ‑・オ ー」によるノルマ克服の2つがきわ立っていたが、ここに健康のためのスポーツが加わることに よって、ソ連のスポーツに対するわれわれのイメジは大きく変ってこざるを得ない。しかも、最 近ではこれらの3領域を調和的に発展させようと努力している点に注目しておきたい。

当然のことながら、学校体育の場においても、この3億域の考え方は堅持されており、その普 及・発展に力が注がれている。ことわるまでもなく、この国の諸施策(スポーツ政策)は党中央 委員会の決定により、「‑民主的中央集権的スポーツ機構」である「スポーツ団体組織連合」(16)杏 とおして学校、企業体、コルホーズ、ソホーズといった下部組織に伝達されていく。したがって、

ソ連のスポーツ教育の大きな特徴の1つは、学校の内外を問わず、党中央委員会の方針が一律に 下部組織の末端にまで浸透していく機構を備えている点にある。かくして、ソ連のスポーツ教育 は、当初、競技力向上のためのスポーツ教育にはじまって、やがてスポーツの大衆化路線が追加 され(1960年代)、最近では「長生き」のためのスポーツが加えられて、幅広い「スポーツ文化」

の継承・発展にも力が注がれていることが明らかとなってくる。

3)国民の権利としてのスポーツを推進する東ドイツの場合

同じように社会主義国家の建設を目指す東ドイツの場合も、原則的にはソ連の動向とほぼ軌を 一にするものと考えてよいであろうこここでは、重複を避ける意味で、東ドイツ特有の注目すべ き動向についてのみ光を当てることにしたい。

東ドイツのスポーツを考える上でまず第1に注目すべきことは、人民討論と人民投票を経たの ち、1968年に発効するところとなったかれらの社会主義憲法であろう(17)

。そこには、肉体文化

(Korperkultur),スポーツ、旅行に関する権利と義務が包括的に提示され、それらが社会主義

社会における文化、労働、生活、教育の重要な要素であると同時に、健康の保持・増進に役立つ

ものであることが明確に示されている。該当する条文は、第18条、25条、35条、44条にみること

ができるが、その主なものを示すと以下のとおりである〕第18条3項には「肉体文化・スポーツ

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および旅行は社会主義文化の構成要素として、市民の肉体および精神的発達に役立つ」とあり、

第25条3項には「社会主義的人格の完全な貝現化、および文化的関心と欲求の完全な充足のため に市民の文化的生活、肉体的文化、スポーツへの参加は国家および社会によって奨励される」(18) と述べられている。さらに、第35条1項には「ドイツ民主共和国のすべての市民は健康と労働力 を守る権利を有する」とあり、2項には「この権利は労働・生活条件の計画的改善、国民健康の 保護一一一体育や学校・国民スポーツ・観光の促進によって達成される」(19)とある。これらの条 文に述べられている目標を整理すると、健康の促進、レクリェーション、防衛能力の向上、全面 的な人格陶治、スポーツの最高能力の発展、ということになろう。

こうした憲法の精神を受けて、あらゆるレベルでのスポーツを促進させるために、継続的に、

しかも国家的な指導体制をとるべき措置が閣議決定されている。その結果は、DTSB(ドイツ体 育・スポーツ連盟)を匹頭に、あらゆる国家機関、社会組織、スポーツ科学施設およびマスメデ ィァの総力をあげてスポーツ促進にまい逸することとなった。ここで具体的な内容を詳細に記述 する余裕がないのは残念であるが、たとえばDTSBとFDGB(自由ドイツ労働組合連盟)、さ

らにFDJ(自由ドイツ青少年)の作制した合同スボ‑ツプログラム(マイル運動、児童・青少 年競技会制度、トレーニング・センターの整備、スパルタキア‑ド運動など)は「児童・青少年 スポーツ、大衆スポーツ、競技スポーツの広汎、平等、継続的な発展」(20)に大きな貢献をしてい ることは注目に値しよう。

このような、新憲法にもとづく「国民総スポーツ運動」の展開をはじめる前に、すでに、1966 年にはDTSBの第3回体育・スポーツ会議で「みんなのスポーツ推進」を採択しており、さ らに1年前の1965年には学校体育の指導要領の改定がはじまっており、(21)教科名もツルネン (Turnen)からスポ‑ツに変更され、スポーツ教育への第1歩を印している点も見過ごしてはな らない。

こうした流れのなかにある東ドイツのスポーツ教育の具体例をいくつか挙げてみるとつぎのよ うである。

まず第1に、あらゆる種類の学校教育をとおして、徹底したスポーツ教育をおこなっているこ とが注目をひく。たとえば、すべての学校の教科体育を必修としていることはもちろんのこと、

教科体育の評価を重視し、一定の規準に達しない児童・生徒は各種上級学校や大学を受験する資 格を有しないと規定している。さらに大学の一般体育をみると、最初の2年間に週2時間を必修 とし、第1年次にすべての基本的スポーツ種目(Grundsportarten:ギムナスティーク、器械体 操、陸上競技、水泳、ボール・ゲーム)の実技実習と指導法ならびに体育理論の講義を履修しな ければならず、第2年次には、特別選択スポーツ種目(ボクシング、フェンシング、柔道、ボー ト、スキー、各種ボール・ゲームなど)を履修し、ともに所定の試験に合格したという証明がな ければ各種の国家試験を受験することができない。このような諸規定のほかに、スポーツ・クラ ブ活動(自由意志)を奨励し、各年齢段階に応じたスポーツ童の取得を、児童・生徒の重要な達 成目標として設定している。また、競技会も熱心に開催されており、校内選手権大会から学校対 抗競技会、地方・州単位の選手権大会を経て全国大会へと積みあげていく方式をとっている。

もう1つの大きな特色は、特殊中等学校として「スポーツ学校」(Kinder‑undJugend‑Sport‑

schule)を各地につくり、日本でいえば小学校4年生修了に相当する児童を集め、典型的なスポ ーツ才能教育をほどこし、一流スポーツ選手の養成を目指していることである。この制度の存在 は、東ドイツの最近のスポーツ界におけるめざましい進出とけして無縁ではないであろう(23)

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ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

137

このような、社会主義国家におけるエリートたるための必須要件としてスポーツが位置づけら れ、そのためのスポーツ教育が制度としてしっかりと学校教育のなかに組み込まれている一方で、

競技力向上のためのスポーツ教育が熱心に実施されていることは大いに注目すべきことであろう。

このような先鋭的なスポーツ教育の実践は各国の注目するところとなり、各種の論議を呼んでい るところであるが、本稿ではとりあえずつぎのように要約しておくことにする。すなわち、ヨー ロッパにおけるスポーツ教育‑の先鞭をつけたという意味で東ドイツのはたした役割は大きく、

その影響はストレ‑トに西ドイツに及ぶところとなり、イデオロギーの違いを越えて「スポーツ 教育」への傾斜を加速させる効果を持った、という点にとくに注目しておきたい。

以上、ソ連と東ドイツのスポーツの動向を概観してきたわけであるが、全体としては、社会主 義を志向する大前提は以前と変っていないにしても、かつてのようなイデオロギー闘争の前面に スポーツを押し立てるような傾向がやわらぎ、スポーツ文化全体の調和的な発展の方途が模索さ れ、徐々にその活動範囲が広がってきている点を最近の動向として注目しておきたい。

4)中立国オーストリアの動向

第2次世界大戦後に永世中立国となったオーストリア(1955年)は、国際政治の世界のみなら ず、体育やスポーツの世界でも数多くの国際会議を開催して東西両陣営のかけ橋として重要な役 割をはたしてきている。とりわけ、第1次世界大戦後の体育改革をとおして生み出されたK.ガ ウルホーファ‑(24).M.シュトライヒァ(25)の「自然体育」(NaturhchesTurnen)<26)の伝統に支 えられながら、体育の理論的なリーダー(H・グロルら)としてはたした役割は注目に値しよう。

一方、国内的には第2次世界大戦後の混乱期からの立ち直りに力を注ぎ、1963年を境に学校体育 の大幅な制度改革を実施し、「新指導計画」(NeueLehrplえne)を明らかにした(27

。'しかし、最

近はやや低迷気味で、全体的には文化、言語、歴史的伝統などの共通点の多い隣国西ドイツの影 響下にあると考えてよいようである。したがって、西ドイツのゴールデン・プランやスポーツ教 育‑の制度改革の影響を受けながら、オーストリア・ペース(保守的で、スロー・ペース)の転 換をはかりつつあるのが現状のようである。すなわち、現在のオーストリアは「自然体育」から

「スポーツ教育」‑の転換期にある、と見てよいであろう0

1975年のヨーロッパ・スポーツ所管大臣会議の採択した「ヨーロッパみんなのスポーツ憲章」

以来、スポーツ教育への移行はもはや動かしがたい世論を形成していることはオーストリアとい えども例外ではない。しかし、学校体育のすべてをスポーツ教育一色にぬりかえるかどうかとい うことについては若干の抵抗があるように思われる。というのは、伝統的な「自然体育」的発想 には競技スポーツに生のまま学校体育の教材として持ち込むことを是としないものがあるからで ある。つまり、学校体育と学校外のクラブ・スポーツとの間には厳然たる一線を画し、双方の役 割分担を明確にしていこうという考え方があるからである。したがって、現在は「生涯スポーツ」

にむけての「国民スポーツ促進運動」という観点から、学校体育と学校外のクラブ・スポーツと の新たな協力関係をどのように創り出していくべきかが模索されている段階ではないかと思われ る。そこで、ここでは、われわれの立場から見ても大変興味深い内容を持ち、現在もなおオース トリアの学校体育の指導書として大きな影響力を持っているH・グロルの著書(28)のなかから、

その基本的な考え方のいくつかをピックアップして提示しておきたいと思う。

オーストリアの体育は「肉体を攻撃点とした全人形成」(K.ガウルホ‑ファー)を目標にか

かげ、つぎの6つの観点から教育的な意味づけを試みている。①健康の保持・増進を目指す衛生

(11)

学的観点から、 ④日常生活ならびに一般的な職業能力の前提となる健全な身体育成を目指す生活 実践的な観点から、 ④人間の肉体とその運動の美しきを追求する美的観点から、 ④人間存在に関 する理解(心身一元論的理解、最近では「身体性」に関する理解など)を求める哲学的観点から、

⑨ヒトを人間たらしめるための教育学的観点から、そして、 ⑥キリスト教的信仰生活を支えてい くための宗教的観点から、の6つの観点である。それぞれの観点について、若干の補足説明が必 要なところではあるが、ここではとくに⑥の宗教的観点に注目しておきたい。身体の教育や身体 運動の教育の宗教的意義を真正面に掲げていること、しかも、 ①から⑨までの観点が「真の体育 の価値や必要性をいかにうまく実証しているとしても、最後の最高の意義づけは宗教的なものか らなされる」(29)という主張などについては、 1度、真剣に論議・考察の対象とすべき問題である と思う。とりわけ、宗教の問題を軽んずる風潮の強い現代のEj本の社会にあって、 「スポーツの 宗教的意味」を問い直すことはきわめて重要な課題であろうと思われる。

これら6つの観点から体育の成立根拠を理論化した上で、体育の担うべき役割を①補償とコン ディション調整、 ⑧運動形成、 ③達成教育、 ④遊戯教育、 ⑤美的教育、 ⑥生活学習(野外活動) の6つにまとめ、それらを実施していくための教授学士の一般的原則を以下のように提示してい る。 ①共同体教育(社会的体験や社会的行動の可能性を豊かにするための「互助共同体、作業共 同体、遊戯共同体、祭典共同体」をとおしての教育)、 ④生徒の個性と発達段階を考慮すること

④郷土化および生活化(教育内容を郷土に密着させる、生活に密着させる、換言すれば「地域社 会に立脚する」、 「環境にふさわしい」、 「現代に関連させる」ということ)、 ④教授の直観性(示 範、略図、スライド、 8ミリ映画、レコード、テ‑プレコーダ‑、テレビなどを用いて、児童・

生徒の直観に訴えること)、 ⑤生徒の自己活動(生徒たちに、かれら自身の動機から、自分たち の諸能力を用いて、かれら自身の学習方法で、計画的な学習をする機会を与える)、 ⑥教授成果 の保証、 ⑦陶冶の集中化(ある目標、たとえば、一定の達成課題、大競技会、運動特性などにむ けて陶冶を集中させる場合、あるいは、それらの課題のなかのさらに小さな一定の課題を取り出 して「重点陶冶」する場合、他教科との連けいによる陶冶の集中、たとえば「健康教育」など)、

④方法の自由と方法の妥当性(教授方法の選択や通用は原則として教師の自由にまかされる)、

⑨教授学の特殊原則(学校差、教材選択、運動欲求などの特殊事情、運動達成の指定、野外での 運動、自主的な活動、学校行事など特殊なケースでの原則)、である。

以上のような、体育の教育的意味づけや教授学の一般原則は「自然体育」を経て蓄積されてき たオーストリア体育の貴重な遺産である。これらをさらに細かく分析していってみると、自然体 育的発想からスポーツ教育‑乗り移るには余程の発想の転換が必要であることが明らかになって くる。言うまでもなく、オーストリアでも他のヨーロッパ諸国と同じように、教科体育を「スポ ーツ教育」として論ずることに熱心ではあるが、実際には看板をかけかえただけで内容について は今1つ見るべきものを欠いているように思われる。場合によっては、 「スポーツ教育」の名のも とに自然体育を再編する程度に収め、さきに指摘したような伝統的な遺産を十分に継承しながら、

西ドイツとも東ドイツとも一線を画するような独白の「スポーツ教育」を形成していくのではな いか、という期待もないわけではない。すなわち、 「自然体育的スポーツ教育」像への期待である。

もう少し具体的に言えば、できるだけ人間をトータルにとらえていこうとする立場を貫きながら、

スポーツと教育の接点を求めようとするものである。その意味で、スポーツと宗教の問題も自然

体育的スポーツ教育の独自性を示す重要なテーマとなってくるであろうO

(12)

ヨ‑ロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

139

5)民族の伝統と生活を重視するスウェーデンの場合(30)

中立国という点ではオーストリアよりも先輩格にあたるスウェーデンの動向はどのようなもの であろうか。かつては、ヨーロッパはもとより、日本をも含めた全世界に多大な影響を及ぼした スウェーデン体育の動向は、その独自の伝統と実績からみてもわれわれの大いなる関心を呼ぶと ころである。

一般に、わが国におけるスウェーデン関係の情報はけして多いとは言えず、わずかにスウェー デン体操、性教育、高福祉制度、それにオンブズマン(行政監察官)制度が広く知られている程 度であろう。しかし、スウェーデンは1814年以来、非同盟政策を貫き、第1次、第2次両大戦に

も中立を守って参戦せず、もっぱら国内の諸制度を整備することに力を注ぎ、すぐれた社会・政 治制度を持つ先進国であることをまず念頭におく必要があろう。当然のことながら、教育制度に 関しても、世界に先き駆ける新しい試みを繰り返してきており、教育の面でも先進国であること を初めに確認しておきたい。

さて、このような伝統と実績を持つスウェーデンが最近になって体育・スポーツ界に新しい波 紋を投げかける試みをしていることに注目したいと思う。それは、 10年ぶりに行なわれた義務教 育段階での大幅な制度改革にともない、体育の教科名が変更されたことである。具体的に言えば、

約160年にわたって用いられてきた「ジムナスティ‑ク」 (gymnastik med lek och ldrott:ゲー ム及びスポーツを含む体操)ということばを廃止し、丁ィードゥロット」 (ldrott)が新たに用い られることになった(1982年秋より)。このイードゥロットということばは、今日のスウェーデ ンではスポ‑ツとはぼ同義に用いられており、欧米のスポーツに相当するスウェーデン語固有の 言葉である。それゆえ、この教科名の名称変更は、広義の「体育」(gymnastik)から「スポーツ」

(idrott) ‑の変更と見なせないこともない。しかし、この名称変更を「スポーツ教育」 ‑の移行 という世界的なすう勢の1つとして処理してしまうにはいささか事情は単純ではないようである。

スウェ‑デンにおいても、外来語としての「スポーツ」ということばは19世紀末以来、広く国 民の問に普及しており、このことばを教科名に使用しても何の違和感もない状況が一方には出来 上っているという。しかも興味深いことに、自国語のイードゥロットは外来語のスポーツに押さ れ気味で、これまでもジムナスティークやスポーツよりも狭義に使用される傾向が強かったとい う。(31)にもかかわらず、今回の教科名変更に際して、あえて「イードゥロット」が起用されたと いう事実をどのように受けとめるべきであろうか。

その前に新しく教科名として登場したイードゥロットの内容について若干の検討をしておきた いと思う。 1982年秋から施行された新教育課程のなかに示されたイードゥロットの10億域は以下 のとおりである。 ①体操(Gymnastik)、 ⑧健康・衛生・人間工学に関する知識(HえIsa, Hygien och Ergonomi), ③ラケット競技等も含む各種球技(Bollspel och Lekar), ④ダンス(Dans),

⑤陸上競技(Fri idrott), ⑥オリエンテーリングと戸外生活(Orientering och Friluftstiv)、

⑦ゲーム(Lek)、 ⑧水泳と救助法(Simning och Livr云ddning)、 ⑨スキ (Skidえkning)、

⑲スケートおよび氷に対する知識と救助法(Skridskoえkning, Iskunskap och Livrえddning)

これまでの教科名であった「ジムナスティーク」 (体操)は、こんどは新教科「イードゥロッ

ト」の10億域のなかの1領域として位置づけられることになり、狭義の、あるいは実情に見合っ

た取り扱いがされることになった。このことは、かつてのわが国にも教科名が「体操」から「体

育」に変った時に、体操は新教科「体育」の1値域として取り扱われることになり、以後、今日

(13)

にいたるまで同様に取り扱われていることを考えれば、容易に理解することができよう。イード ゥロットの10億域のうち、ここでとくに注目しておきたい点は、 ⑥、 ④、 ⑨、 ⑩の4領域である。

これらに共通している点は、北欧スウェーデン人の生活に密着した一種の実用術である、という 点である。森や湖にかこまれた原野を自由に歩きまわるためにはオリエンテ‑リングと戸外生活 に関する技術や知識が必要であろうし、一年の大半を雪や氷のなかで生活する人びとにとって、

スキー、スケートおよび氷に対する知識と救助法は、もはやスポ‑ツというよりは生活技術と呼 ぶにふさわしい。恐らく、新教育課程の改訂にあたり、新しい新教科体育の課題には、それまで の「ジムナステイ‑ク」、すなわち「ゲーム及びスポーツを含む体操」だけでなく、スウェーデン のきびしい自然環境のなかで生きのびていくための実用術や生活技術をも取り込むべきだという 議論があったのではないかと思われる。とすれば、新教科名に「スポーツ」ということばをあて

るのは適切ではない、ということになる。そこで、一躍脚光を浴びることになったのがスウェー デン語固有のことば「イードゥロット」ではなかっただろうか。イードゥロットの語源と考えら れているアイスランド語の「イースロット」は、現代アイスランド語では「スポーツ」の意味で あるそうだが、その昔は「作詩、乗馬、水泳、かんじきでの滑走、猟、船をこぐこと、 ‑ープを 奏でること、作詩法」の8つの意味を包括していた、ということである。つまり、イードゥロッ トということばはもともと「仕事や日常生活に関連した能力や技術」と深いつながりのあった言 葉であるということがわかる。すなわち、新しい教科創ま、 「スポーツ」であってはならないので あって、民族固有の伝統と生活を重視し、新しい教科体育を実現していくためにはどうあっても

「イードゥロット」でなくてはならなかった、ということが明らかになってくる。民族固有の生 活文化に原点を求めたスウェーデンの「イードゥロット」が今後どのような成果をあげていくか 大いに注目したいところである。

Ⅱ ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の課題

以上、西ドイツ、ソ連、東ドイツ、オーストリア、スウェーデンの5カ国をとりあげ、今後の わが国の「スポーツ教育」を考えていく上で重要と思われる各国の最近の動向について概観して みた。その結果、各国が各様のやり方で「スポーツ教育」の問題に真剣に取り組んでいる様子が 浮かび上がってきたと思う。しかし、それぞれの国が進もうとしている「スポーツ教育」の道は、

必ずしも安穏であるとは言いがたい。むしろ、それぞれの国がそれぞれに大きな障害や課題を持 っており、それらをどのように克服していくべきかという重大な時期を迎えている、というのが 実情である。わが国における「スポーツ教育」論議がまだその緒についたばかりであるという現 実をふまえながら、ここでは、ヨーロッパ諸国が当面している「スポ‑ツ教育」の諸課題につい て、できるだけ普遍性のある課題に焦点をあてながら、克服すべき「スポーツ教育」の基本的な 課題を明確にしたいと思う。

1) 「体育」から「スポーツ教育」への移行とその課題

いまや繰り返すまでもなく、世界的な動向として「体育」 (「身体教育」)から「スポーツ教育」

への移行が各国各様のやり方で進行中であることをまずもって明確に認識しておく必要があろうO

それは単なる教科名の名称変更ではなく、教育の根幹にかかわる根本問題を内包する体育科教育

史上の大転換を意味するもの、と考える必要があるということである。つまり、体育科教育史の

(14)

ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

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これまでの経過をふり返ってみると、まずは「からだの教育」 (身体教育)にはじまった体育科教 育は、次第に「運動の教育」へと移行し、現在は「運動教育」から「スポーツ教育」への転換が はかられつつあるというのが大きな時間的経過である。しかし、現在、転換をはかりつつある

「スポーツ教育」も「スポーツ文化の継承・発展」という大きなくくり方はできるとしても、で は「スポーツ文化」とは一体なにかということになると、これはまだこれからの議論と言わざる を得ない。したがって、残念ながら、現段階では「スポーツ教育」の理念や内容や方法をどのよ

うに構築していくかという点に関しては共通の理解が得られているわけではない。ソ連や東ドイ ツはマルキシズムの理論にもとづく「スポーツ教育」を、西ドイツは新しい哲学上の成果をとり 入れた「スポーツ教育」を構築しようとし、あるいはまた、スウェーデンはスポーツ教育とはや やニュアンスの異なる独自の路線を打ち出そうとしている。しかし、いずれにしても、 「体育」

から「スポーツ教育」 ‑の脱皮をはかろうとしている点においては共通であるが、その求めつつ ある方向性となるとこれは多種多様といわねばならない。それは、つきつめていけば、 「スポー ツ」とは何か、と問われたときの解答に普遍性が見られないことに原因があり、それほとりもな おさず、スポーツ研究の歴史の浅さとスポーツ情況の激変に起田するものと言うことができよう。

したがって、 「スポーツ教育」を迎え入れる情況は十分に熟しつつも、 「スポーツ教育」立論の根拠 がきわめて薄い、というのが現段階での最大の問題であり、今後の緊急の課題であろう。

2) 「スポーツ」の新しい概念形成の必要性

ソ連や東ドイツのような社会主義を標模する国々では、肉体文化や、その中核を形成するスポ ーツについての概念はきわめて明確に規定されていて、全国民の共通理解のもとにスポ‑ツに関 する政策の展開や制度の整備や教育が推進されている。その意味では、全国民が一団となって一 糸乱れず、じつに見事な「スポーツ教育」が展開されていると言ってよいであろう。しかし、そ れが特定のイデオロギーのもとでの共通理解であり、スローガンの展開であることを忘れてはな らない,, 1つのイデオロギーのもとでの団結による驚異的な「力」の発揮と同時に、そのことの ために生ずる多くの制約や限界もあることを念頭に置くべきであろう。しかし、こうした社会主 義を目指す国々もまた長生きのためのスポーツ(ソ連)やスポーツの娯楽性(東ドイツ)にも眼 を向けるようになり、スポーツ文化の調和的な発展の方向に力を注ぎはじめた最近の動向は大い に注目すべき点であろう。最終的には、イデオロギーと人間性のはざまをいかに埋め合わせてい

くのか、換言すれば、国家と個人の問題を「スポーツ」の債域でいかに克服していくのか、とい う大きな課題がそこに見えてくる。

一方、中立国や自由主義諸国は、 「スポーツ」の概念についての共通理解を得るにはきわめて遠 い位置にいると言わねばなるまい。少なくとも、 「みんなのスポーツ」や「生涯スポーツ」を推進 するにあたり、 「スポーツ」とは何かといった基本問題の議論がもっと必要であると思われる。と りわけ、スポーツの哲学的研究や、スポーツと人間とのかかわりを文化史や社会史的な視座から とらえなおす研究や、さらには、スポーツと民族、国家、階級、宗教などとの関係にわけ入って いくような社会科学的な研究が必要であるように思われる。さもなければ、どこまでいっても

「対症療法」的なスポーツ教育の域からの脱出は不可能であり、 「スポーツ」のイメジに関するジ

ェネレーション・ギャップを埋めていくことはできないであろう。その点で、西ドイツのノルト

ライン・ヴェストファーレン州の指導要綱(1981年)は思い切った「スポーツ教育」路線を打ち出

したものとして注目に値するが、その背景には、早くから展開されたH.レンク(Hans Lenk)、

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0.グルーペ(OmmoGrupe)らの哲学的な基本問題(とくに「身体性」の理論の体育への導入) についての議論があったことを忘れてはならない(34)

。また、スウェーデンの打ち出した独自の新

しい「イードゥロット」路線も大変興味深いところである。北欧の気候・風土、そしてそこに住 む人と生活、民族固有の歴史的伝統をふまえた新しい「体育」(スポーツ教育、イードゥロット) の形成は、「スポーツ的自立」を目指す西ドイツや、「社会主義的スポーツ教育」を目指すソ連・

東ドイツとも一線を画しており、むしろ、1920年代に展開されたオーストリア体育改革の「自然 体育」(NatiirlichesTurnen)を妨郷とさせるものである。現在、低迷しているかに見受けられ るオーストリアの「スポーツ教育」もスウェーデンの「イードゥロット」に啓発されて、大いな る発展を遂げるのではないかと思われる。

いずれにしても、スポーツの競技力向上のための科学的研究はこれまでもきわめて熱心に行な われてきたけれども、これから生きてゆく人間のためのスポーツをどのように形成していったら よいのか、ということを考えるための理論的根拠を欠いているという事実も否定することはでき ない。そのためには「スポーツ」の新しい概念形成に貢献するような人文・社会科学的研究の成 果が待たれるところである。そして、これから日進月歩の進歩をとげるであろうこれらの成果を つぎつぎに吸みあげられるようなシステムを「スポーツ教育」の理論のなかに持つことが必要で あろう。

3)「スポーツ的自立」への道

さきに指摘した西ドイツの指導要綱の骨子は、ひとことで言えば「スポーツ的自立」を目指す

「スポーツ教育」路線である、と言うことができよう。この「スボ‑ツ的自立」についての考え 方は、すでに日本体育学会の課題研究(35)や雑誌論文(36)をとおして、筆者ら数人のグループに よって西ドイツよりも早く、1977年に提唱していたということをここで指摘しておきたい。そし て、「スポーツ的自立」のための条件として、筆者は当時つぎの5点を指摘している。(37)すなわ ち、①自らのスポーツ・ライフを創意・工夫し、実践できること、⑧スポーツ活動の場における 意志決定にさいし、主体的な判断と責任ある言動がとれること。④スポーツ活動をとおして、任 意の集団を形成する能力、および任意の集団のなかにとけ込む能力を持っていること、④新しい スポーツ文化の創造に意欲を持っていること、⑤スポーツについての基本的な能力を身につけて いること、の5点である。今、ここで、これらの条件の適否を論ずるいとまはないが、さきに指 摘した西ドイツの学習指導要綱の「学校スポーツ」9つの課題と比較してみると、じつに多くの 共通点を持っていることがわかる。現代人にとって、スポーツはもはや「ぜいたくなもの」から

「必要なもの」へと変質し、「与えられるスポーツ」から自ら「創り出すスポーツ」の時代に突 入したという認識が、こうした「スポーツ的日立」‑の発想を可能ならしめている、といってよ いであろう。

「スポーツ的自立」の問題は、見方をかえれば東ドイツのスポーツ教育にも該当するし、スウ ェーデンの「イードゥロット」も同様であろう。「生涯スポーツ」の問題も含めて、いかなる「ス ポーツ」を実現していくのか、という近未来や遠い未来を見すえた理論構築が必要であり、まさ に、スポーツの総合科学的な研究が必要となってきている。

現代社会をきびしく見つめ直し、過去の文化的遺産(スポーツ文化)をどのように継承・発展

させながら、未来に向かって生きていくべきか‑今日のわれわれに課された課題はあまりに大

きく、かつ深刻である。スポーツはもはや単なる「遊び」ではなくなってしまったのである。

(16)

ヨーロッパ諸国にみる「スポーツ教育」の動向と課題

143

4)スポーツの総合科学的研究の必要性

すでに述べてきたように、スポーツ競技力向上のための科学だけでなく、スポ‑ツの持つ「文 化的総合性」に対する科学的研究が今日の必旭の課題として新しく登場してきている、という事 実を重視する必要があるであろう。西ドイツでは、このような情況に対応して「スポーツ科学」

(Sportwissenschaft)の整備、体系化を推進し、「スポーツ教育学」をスポーツ科学の‑専門分 科学として位置づけようとしている(38)

。こうした新しいスポーツ情況に対応する科学的研究の試

みは、既存の諸科学の側からもはじめられており、今後、いろいろの科学がそれぞれの立場と関 心からスポーツ研究をはじめることが十分に予測される。(39)また、そうすることによって、スポ ーツを研究するための学問の体系がより明確になってくるであろうと期待することができよう。

アメリカやイギリスにみられる「ムーブメント」(movement)をキー概念にした科学的研究の 動向も、(40)人間の身体運動を科学的に研究するための試みの1つとして登場したものと理解す ることができるoそまり、教育学の一領域としての体育学ではさばききれない諸現象に対応する ための「科学化」の1つの試みである。「運動教育」(movementeducation)という考え方も、こ うした「科学化」の動きに支えられて1つの勢力を形成しているとみることができよう。唯、「ム ーブメント」を要素化する方向と統合化する方向の問題を、科学的研究の方法論とも関連しなが ら、どのように克服し、教育の問題につなげていくかという課題が残されているように思われる。

スポーツの科学的研究‑の先鞭をつけたのは、言うまでもなくソ連、東ドイツといった社会主 義諸国であり、しかも競技スポーツによる世界制覇のための科学的研究がその出発点であった。

しかし、最近では、大衆スポーツや長生きのためのスポーツにも科学の眼を向けるようになり、

「スポーツ科学」の研究領域は徐々に拡大しつつある。

スポーツ科学の発展の方向性については、いまだ確たるものを得ているわけではないが、スポ

‑ツ科学に寄せる期待は絶大である。しかも、スポーツ教育の国際的な発展のためにも、スポー ツ科学の整備・拡充とその成果が大きな鍵を握っていると言ってよいであろう。

Ⅳ結語‑まとめと今後の課題

「スポーツ教育」がこれまでの青少年教育から国民教育の重要な課題の1つとして登場してき た今日、「スポーツ教育」の抜本的な再検討が必要となってきた。そこで、本研究では今後の「ス ポーツ教育」のあり方を模索する基礎作業の1つとして、ヨーロッパ諸国(西ドイツ、ソ連、東 ドイツ、オーストリア、スウェーデン)の「スポーツ教育」の動向とその課題を明らかにしよう とした。

ヨーロッパでは、カナダのモントリオールで開かれた「国際成人教育会議」(1960)を契機にし て、生涯スポーツにつながる「スポーツ教育」の論議がさかんになった。それらの成果は「ヨー ロッパみんなのスポーツ憲章」(1975)や「ユネスコ体育・スポーツ国際憲章」(1978)として、

国際的なレベルで結実するところとなった。こうした国際的な動向を背景にしなから、各国が各 様の「スポーツ教育」を模索しており、その成果が少しずつ明らかになってきた。

西ドイツでは、すでに1960年に「ゴールデン・プラン」を軌道にのせ、国民のためのスポーツ

施設拡充計画に着手し、早くから「国民総スポーツ運動」が展開された。しかも、この「ゴール

デン・プラン」の原型はすでに1917年に構想が練られ、発表されていたという。こうした伝統に

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