奈良教育大学学術リポジトリNEAR
子どもの行動の歴史的変容[?]−高度成長期を境 とした対応関係を軸として−
著者 岡本 定男
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 42
号 1
ページ 57‑69
発行年 1993‑11‑25
その他のタイトル A Historical Change of Children's Behavior[?
]−With Special Reference to the
Corresponding Relation Observed in the Period before and after Economy's High Growth−
URL http://hdl.handle.net/10105/1698
子どもの行動の歴史的変容[Ⅱ]
一高度成長期を境とした対応関係を軸として‑
岡 本 定 男 (奈良教育大学教育学教室)
(平成5年4月30日受理)
2. 「高度成長」の功罪と経済史上の「高度成長期」
前節迄にみてきた子どもの生活・文化環境と子ども自身の歴史的変容は、何によってもたらさ れたのだろうか?
再び、正木健雄の言に耳を傾けてみよう。
「最近わが国の子どもや青年に‑ (略) ‑背筋力の低下、土ふまず形成のおくれ、直立姿勢を とったときの血圧調整機能の未発達という現象が発見されてきた。これらは人類の進化の過程に もどすと、いずれも人類が直立二足歩行ができるようになったときに獲得した機能だ。 ‑ (略)
‑こう見てくると、人類は今や進化の過程を逆方向に進んでいることがわかるだろう。人類が直 立二足歩行ができるようになってから最近まで、およそ200万年かかっているが、この‑ (略)
一過程は三〇年くらいの期間だ。」(A)
正木が、この一文を記したと思われる1985年頃からみての「三〇年くらいの期間」とは、言 うまでもなく高度経済成長期の開始に連なる期間であった。端的に言えば、まさにこの高度成長 期こそが、人類が200万年かかって築き上げ継承してきた子ども達の人間(ヒト)としての根本 的かつ本質的機能を根こそぎ剥奪して行った「魔のトンネル」であった。管理化された学校、子
ども達への自発的養育機能を秘めた地域の大人達の協同的自治的態度の衰弱、生きた生活・労 働・実体験・多様な血縁関係におかれた人たちによる子ども達への働きかけの豊かさを失った家 庭。大人や年長者たちがそこに存在することで、居ながらにして果たし得た子ども達への広義の 教育的作用は、この期間を通じて本質的に消滅の危機に瀕して行った。
「要するに子どもを大切にとか、子どもは宝といいながら、大人がやってくれたのは、参考 書や絵本や玩具や、砂糖の入った菓子や、インスタント食品や、自転車やカセットや、プラモ
デルやナナ‑ンや、子ども部屋やジーパンや、塾や入学金といったものをかったり与えたりお しつけていただけだった。」(35)
高度成長期が終駕して、それがもたらしたものが人々の目にはっきりと映り始めた時点での一 側面への指摘である。ここには、既に述べた如く、遊びや生活に於ける多様で異質な「人」や
「物」や「自然」から疎外され、子ども達が、企業や大人の功利的発想による代替物やお仕着せ の場所や関係の中に閉じこめられて行った結果の一端が示されている0
ここで改めて、高度成長が子ども達にもたらした意味のアウトラインをおさえておこう。
ものには必ず功罪のあるのは、存在そのものの必然的属性である。高度成長期が大人の生活水 準を著しく向上させ、国の産業構造の大転換による経済基盤を飛躍的に強化させたことは、多く
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58 岡 本 vL ')}
の人の認めるところであろう。これを、わけても、子どもとの関わりでみれば、
① 乳児死亡率の大幅な減少と進学率の急上昇等(36厄みる子どもの生存や教育の可能性が格段 に高まった。
② 「物」が多様かつ安価に手に入り、情報化と交通手段の普及が、子ども達にもその見聞世 界を画期的に広めた。
③ 主として経済的理由によって埋もれたままになっていた多面的才能や学習意欲を各種の校 外学習機関が引き出し、それらを満たすことが、多くの子どもや家庭に可能で普通になった。
④ 広義の学習用品や遊び道具の多種多様な製品化が、それ自体として子どもの知的・行動的 好奇心や創造力を刺激し、子どもの意欲や発達を質的に高める物的基盤を提供した。
これらは、それ自体として、高度成長が、子ども達にもたらしたプラス面であったといって良 いであろう。先の引用による指摘も、それらの「物」自体が、 「長い伝統の遊びや文化の中で、
自らの力で求め、楽しみの中で工夫してゆくという積極的で真剣な人生態度」を奪い、 「子ども 達をこんなにも歪め、無気力としてしまった」(37)訳ではむろん無い。当然なことであるが、 「物」
が豊かになり、便利になることは、文明の進歩や人間の向上心の端的な象徴であり成果である。
しかし、高度成長期が子ども達にもたらしたこの前進面は、子どもの生活・遊び・文化を成立 させる条件のうちの「物」にのみ偏在し、その「物」が、企業や大人の近視眼的功利性によって 歯止め無く、その領分を広げる結果となった。需要があるから供給があるのではなく、企業の膨 大な宣伝流通力による所有欲の絶え間ない刺激によって、子ども達の需要が止めどなく掘り起こ
され、親はやむなく財布の口を問かざるを得ない状況が70年代以降普遍化した、といえるので ある。
以下では、高度成長のもたらした罪悪の方を、 「人」 「物」 「自然」との関係でみてみよう。
① 「物」との関係において、殆どが人工物にとって替わられ、全身全感覚を駆使しなければ 出来ない遊びや道具が大幅に後退したこと。 「大人が子どもに用意した文化、テレビ、雑誌 などばかりで、子ども自身の生活文化がない‑・ (略) ‑からだと心を成熱させていく場が生 活にないo そこで、子どもが自分のからだを自由に操作できな」̀淵)くなってしまったのであ
る。
② 高度成長期以前にあった地域や家庭内での、広範かつ多様な大人や異年齢・異性を含む異 質な「人」との出会いを断たれることで、人との相互的・集団的・動的関係において自らの 発達的欲求を満たすことが困難となり、自律的で主体的な人間関係の創造力が著しく損われ たこと。
しかし、それは、根本的には、高度成長が大人達の「人」との関係を変えてしまったこと の結果であり、今、多くの大人は、失ったものの大きさにたじろいでいるのだと言えようか。
「以前のムラの生活には、人々のコミュニケ‑ションの仕掛けがたくさんあった。ところが、
経済成長以後、こういった仕掛けは全滅した、といってよい。今のムラビトは、用件がある とき以外は接触がない、といえばいい過ぎだが、それくらいコミュニケーションが少なく なった。」(39)
「野外でのキャンプ活動や、児童相談所の一時保護所の体験報告の中で、自分を発見した
り、他者を知ってゆく子どもたちを見ていると、こうした体験が日常生活にないという、決
定的な問題を考えてしまう。子どもたちの大きな異変の根底は、この子ども達の直接体験の
欠乏を思わないわけにはいかないのである。マスメディアや情報を通して、沢山のことを
知っており、言葉も知っているが、実際を知らない。人とのつながりも、ドラマや観念の中 でしかわからない。こうした問題として現れているように思われてならない。」(40)
③ 子どもの視野から「自然」のもつ神秘的な魅力が背景に押しやられ、自らが自然存在の一 部であり、それを自覚することによって生ずる自然との内的交感能力がはぼ完全に奪われて
しまったこと。
「子ども達の生き生きした目の輝きは、四季の土にはだしで直接触れた感動や、大地の優 しさ、厳しさを心の底から実感している自信からだと思う。豊かな自然から、心身をとおし て数多くのことを学びみずみずしい感性も育まれていく。自然に恵まれた地方も人工的自然 の多い都会も、 『自然』を利用して体を動かす習慣がなければ地方も都会も変わらない」(ll)
「もはやこどもはれんげ草を見ても首飾りを作ろうとしない。木を見ても登る面白さを知 らない。空カンを見てもゴミにしか映らない。自然を工夫して、タダであそぶ知恵や迫力の 伝統が、今や断ち切れつつある。」(42)
著名な経済学者宇沢弘文は、こうした事態とも関わって、かねてからこう強調している。
「経済の目的はあくまでも、人々がひとしく人間らしい生き方をすることができるようにと いうことである。すなわち、どのような環境に生まれた人も、出生時から幼児期、少年期、
青年期を通じて成長する過程で、身体的にも、精神的にも、知的にも疎外されることなく完 全な人間的発達が可能になるような、社会的、経済的条件が用意されるようにするというの が経済の第一の目的である。」し43)
しかし、 「昭和三〇年から四八年の石油危機にかけての約二〇年間にわたる高度成長期」(44) は、既に概括した如く、結果として大きな負の重荷を子ども達に背負わせてしまったと言え るであろう。
高度成長期を経済史的に捉える際、一つの拠り所とし得る著作がある。竹内宏『昭和経済 史』である。そこに、興味深い指摘がある。この300貢にも及ぶ『昭和経済史』の中で、た だの2ヶ所だけ、固有の意味での教育と関わる記述が登場する。それが、テキスト的な経済 史の叙述にあってどのように位置づくのかの判断は留保して、その2ヶ所の部分を引用して ふよ‑1,
まず、高度成長期にはいる時点での記述。
「日本経済が三〇年代から迎える高度成長を遂げるためには、このような教育水準の高い、
均質で勤勉な大量の労働力がどうしても必要であり、そういった意味で、教育ママの果たし た役割も大きかった」
後1ヶ所は、高度成長期が完全に終鳶した、 80年代に入っての記述。
「大人だけではなく、子どもの生活にも変化がみられた。受験競争がますます激しくなる 中で、登校拒否に陥る子どもが増えたり、学校内でいじめや暴力が横行するなど、暗い ニュースが流れた。一方、技術革新が、凄じい勢いで子どもの遊びにも入り込み、ファミコ
ン(ファミリー・コンピューター)のゲームに、日本中の子どもが心を奪われた。マニアッ クなパソコン少年が多数現れ、日曜日の秋葉原では、パソコンをいじりに来る彼らの姿がよ
く見かけられるようになった。」(45)
一般経済史に子どもが登場するのは、この後者の引用部分1ヶ所のみ。このことは、高度
成長期が子どもにもたらした影響が、経済史的にみても如何に大きなものであったかを極め
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岡 本 定 男
て雄弁に物語っていることにもなる。今後改めて、現代教育史の、なかんずく現代子ども (文化)史にあっての高度成長期のもたらしたものの具体的で本格的検討の必要性を我々に 求めている、と考えて良いだろう。(姻
3.子どもの知覚・認識研究と「高度成長」
上述の検討を踏まえて、ここで、これまでの諸研究や議論では全く触れられてこなかった問題 を仮説的に提起し、この期のもたらしたいわば人類史上未曾有の事態の進行に注目したい。
現代神経生理学や心理学の知見を踏まえて、人間の行動研究の到達点を評価しつつ、春木豊は、
次のように述べる。
「身体は『動くもの』 『動いている存在』である。動いている存在としての人間をそれとして理 解する人間の理解の仕方は、不思議なくらいに現在までなされていない。 ‑ (略) ‑流動し、動
く存在としての人間を動きとして理解する学問は今のところ存在していない.」(4乃 一方、認知科学者佐伯肝も、次のように述べたことがある。
「実験心理学が考えてきた知覚とか認識ということと、本当の人間の認識なり知覚というもの との間のギャップがあまりにも大きい」(ォ)
さらに、認知発達の研究者佐々木正人は、今世紀アメリカの代表的な生態学的認知研究者 ジェームズ・ジェローム・ギブソンの「知覚が対象と知覚者の相互依存的な過程によって、行為 との連動によって初めて成立する」とする「アフォーダンス」理論の理解と関わって、以下のよ
うに述べた。
「見るということは対象の見えが導くようにからだが動くことであり、そのようにからだが動 いているということが、すなわち見えているということなのである。」(ォ)
「受動と能動の両方がいきいきと活動する状態を知覚の原点」とするギブソンの説(叫を下敷と したとき、知覚や認識の形成発達過程にある子ども達が、 「人」や「物」や「自然」に対して極 めて受動的な関わりしかできなくなり、総じて対象との生き生きとした直接的かっ多面的関係を 著しく損われている現状は、子どもの知覚や認識が根本において形成困難の壁につきあたってい ることの‑証左と言えるであろう。こうした子ども達の知覚や認識、ひいては感性や創造力の根 本的な形成困難状況が、わが国のほぼ20年間に亙った高度成長期に準備され、それが終了した 70年代に一気に「子どもの心や体のおかしさ」として噴出してきた、と考えて良いであろう。
第Ⅲ章 子どもの無意識的習慣的行動の歴史的変容 1.静態的な体の歪みや意識的運動能力低下指摘の一面性
70年代以降の子ども達の生活や文化環境が著しく変化し、やがて、子どもの心やからだ自体 のおかしさや歪みとして急速に顕在化したことの指摘は、これまでに、多くの論者や研究者に よってなされてきた。ここで、筆者が注目したいのは、先のギブソンの「アフォーダンス」理論 とも関わる、環境に対する子どものからだの動き、即ち、子どもの行動の歴史的変容についてで ある。より立ち入って言えば、子どもの対物対他認識と関わる無意識的習慣的行動の歴史的変容 についてである。
以下、子ども達が、社会や文化の綱の昌の中で長期に亙って形成してきたと恩われるこうした
無意識的習慣的行動(筆者は、これを、 「文化的条件反射」と名づけたい。)が、高度成長期を境
として如何に変化したかを、限定的ではあるが、独自の調査をもとに仮説的に提示することにす る。
子どもの対物対他認識が、高度成長を境に人類史上稀にみる劇的変化を被ったことの実証的な 検証は今後に待っとして、筆者の着眼は、その無意識下のより深層レベルにおける変容について である。
ところで、こうした着眼は、従来の指摘に対して、どのように位置づくのであろうか?
子どものからだのおかしさや広義の運動能力の低下が、専門家の指摘によって注目を浴び、日 常にあってもその気になって観察すれば、その歪みに気づくことが可能になった。しかし、こう
した指摘には、
① それを可能にした専門家の領域が、体育学や医学であり、その指摘の手法は、主として、
例えば、子どもの背筋力の低下や肥満・高血圧症の増大等といった測定的手法によっていた、
② それらを実感的に追認した専門家が、主として子どもを相手とし、学校という限られた場 にあって、子どもと集団的指導的に関わる教師であり、その追認の手法は、例えば、りんご の皮剥きや靴の紐結びなどといった意図し設定された作業・課題の遂行能力の観察的手法に よっていた、
という2点において、一定の限界性・一面性を含んできたと言わねばならない。即ち、子ども のからだの静態や運動能力を観察測定するという手法によって確かめられた、その限りにおける 変化への指摘に限られてきた。さらに言えば、そこでは、課題や作業を忍耐をもって迅速・正 確・巧轍に仕上げる機能的能力低下‑の危悦が強調され過ぎた嫌いもある。
その結果、わけても学校において、 1970年代後半以降、主として保健・体育的側面からの子 どもの体力・持久力・抵抗力の回復・強化への関心や取り組みが、学校ぐるみで一様に盛んに
蝣^sa
しかし、高度成長期を境として子どもの日常的生活環境から、 「人」 「物」 「自然」との生き生 きとした冒険的緊張関係が急速に失われていった結果は、単に子どもの静態的な体の歪みや意識 的運動能力の顕著なる低下として表れただけではなかった。確かに、これら静態的なからだの歪 みや意識的運動能力の低下は重大であり、今後一層継続的な回復への手だてを要する。ただ、体 育学や医学の視点からの、或いは学校教師の教育活動の局面からの測定観察によってなされたこ うした指摘は、子どもの体や運動能力に限ってみた「おかしさ」の指摘であり、その限りにおい て克服の手だても探りやすい、と言うことができるかも知れない。
より根本的かつ重大な変化は、こうしたからだや運動能力をも規定する、子どもの無意識的か つ条件反射的な行動の変化である。
むろん、この点も、これまで、それが結果としての行動に表れた限りにおいては、観察記述も なされてきた。例えば、先にも引用した、 「もはやこどもはれんげ草を見ても首飾りを作ろうと しない。木を見ても登る面白さを知らない。空カンをみてもゴミにしか映らない。」(5日 といった 指摘や、もっと一般的に、 「原っぱが無くなり、子供たちが遊び回らなくなった」(52)といった観 察である。高度成長期を境として、子どもの目前から、それ以前にあっては、集団的冒険的遊び の素材であり場でもあった「れんげそう」や「原っぱ」が、ただそこに存在しているだけの物で あり場になってしまった、という様相の激変。それこそが、子どもの心とからだの「おかしさ」
の遠因となっているのではないか?
こうした子どもの行動の種々相を摘出し、その奥にあるより本質的な歴史的変容に着目するこ
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と、今必要なのはこうした研究であるだろう。
しかし、筆者のみる限り、子どもの心とからだの「おかしさ」への体育学や医学の見地から、
主として測定観察によって指摘されてきた「おかしさ」と、こうした子どもの生活文化環境の変 化との関連についての本格的かっ実証的研究は、これまで存在していない。従って、逆に、子ど もの生活文化環境の激変が、本当に、 70年代半ば以降顕在化した子どものからだと心の「おか
しさ」の原因なのかどうかも正確には分からない、ということになる0
以下の調査・分析は、これまで等閑に付されてきた子どもの対物対他行動の無意識的習慣的行 動レベルでの変容に着E]し、従来の静態的な体の歪みや運動能力低下への指摘に対して、より根 本的で新たな視点を提供するとともに、生活文化環境の変化と子どものからだ・行動の変容との 関連追求への足がかりを得ようとするものである。
2.高度成長期を境とした無意識的習慣的行動の変容
子どもというものは、 「れんげ草」を見れば首飾りを作るものであり、 「原っぱ」では遊び回る ものといった類の大人の「思い」は、つい10数年前まではごく普通の「思い」であった、と 言って良いだろう。しかし、恐らく、こうした大人の「思い」は、歴史的には、ごく短期間に形 成された「思い込み」に近いもの、と言えよう。大雑把に言って、こうした「思い」は、子ども が子どもとしての固有な成長発達の権利と必要性を社会的に容認され、民衆が、奴隷的労働から 自らを解放するだけの経済的余裕と必要に目覚め始めた近代以降に腫胎し、わが国にあっては、
漸く大正期以降に一般化した「思い」である、(53)と言って良いであろう。 「れんげ草」や「原っ ぱ」といった自然環境(叫に接触すれば、子どもは、先ず殆ど無条件にそれに直接的積極的に関わ るもの、という今日の大人の「恩い」は、従って、大方は100年にも満たない問に形成され、そ れがいっの間にか、 「子どもというものは〜するもの」という「思い込み」となった、とみる方 が妥当ではある。
こうした大人の「思い」に、根本的修正を迫ったのが、 50年代後半に始まり70年代前半に終 蔦する高度経済成長期であった。以下は、こうした「れんげ草」や「原っぱ」といった(人工 的) 「自然」や「人」や「物」に対する子どもの無意識的習慣的行動が、高度成長期を境にどう 変容したかを調査し、その特徴的比較を試みようとするものである。
(1)調査概要
(1)調査時期: 1988年12月 1989年1月
(2)対象者: ① 奈良教育大学2年生の両親 110名
② 奈良教育大学2年生 142名 (3)対象者の平均年令
① 親 49歳1ケ月
② 学生 20歳1ケ月 (4)対象者の子どもの頃の住所
① 親:近畿地方 60%
(奈良:24%、大阪:15%、兵庫: 6%、その他:15%)
中国地方 8 % 九州地方 8 %
北陸地方 5% そ の他 19%
② 学生:近畿地方 72%
(奈良:35%、大阪:23%、兵康: 6%、その他: 8%) 中部地方 6 % 中国地方 5 % 関東地方 4% そ の他 13%
(5)対象者の子どもの頃の家族数(%)
3 人 4 人 5 人 6 人 7 人 8 人 以 上
親 1 9 18 蝣 20 2 1 27
H ^ fe 4 丁車 l 30
(6)対象者の子どもの頃の親の職業(%)
磨 . 漁 . 林 業 商 業 会 社 員 公 務 員 その 他
親 24 29 20 16 ll
学 生 3 15 5 1 28 3
(7)解答方法:記憶再生による自由記述 (2)子どもの無意識的条件反射的行動の比較
子どもが「れんげ草」を見て首飾りを作るか何もしないか、はそのときの個々の子どもの条件 に依存することは言うまでもない。何か用事があったり、他のことに気を奪われていたりすれば、
作りたくても作れないだろう。しかし、以下の調査では、当時(1988年12月〜89年1月)辛 均49歳の大人と平均20歳の青年が、自らの子ども時代をそれぞれ振り返っての記憶再生による 記述という方法をとっており、その時々の特殊な事情による差は、回答者によって捨象されてい ると考えて良い。また、 「調査概要」にみるように、近畿圏を中心とした1950年前後の子ども逮 と1980年前後の子ども達の無意識的習慣的行動をみることで、この間約30年の問に起こった高 度成長期の影響を捉えることの妥当性を失うことはない、と考える。
図1以下は、 「以下のものを見たり、出合ったりしたとき、主としてとった行動・動作を一つ または二つだけ記して下さい」という問いに対する自由記述の答を内容によって%で示したもの である。各々において主にとった行動・動作のグラフ上段(白抜き)は、 1950年前後に子ども 時代を送った世代の、グラフ下段(線入り)は、高度成長期が完全に終駕した1970年代後半か ら80年前後にかけて子ども時代を送った世代のそれを示している。また、グラフの数値は、男 女あわせた平均として算出し、その後の括弧に、前項を男、後項を女の数値として示している。
事項の下にアンダーラインのあるのは、グラフ上段の数値がグラフ下段の数値の2倍を上回って
いることを示しており、事項の下に点線のあるのは、逆にグラフ下段の数値がグラフ上段の数値
の2倍を上回っている場合を示している。また、 「何もしない」というのは、回答が無記入ない
し「覚えていない」ものも含んでいる。
64
見上げる
i^<L. ̲ゆす邑 折るなど 何もしない.
岡 本 定 男
図1 木をみたとき
図2 小さな穴をみたとき
50
図3 はら穴をみたとき
さて、子どもは、目の前に「木をみたと き」、どのような習慣的条件反射的行動を とったのであろうか?それは、 1950年前 後の子どもと、 80年前後の子どもとで、
違いが認められるだろうか? それを示し たのが図1である。
一見して、両者の行動の顕著な違いに改 めて驚かされるだろう。 1950年前後の子 どもは、 「木をみたとき」、 2人に1人が、
「木登りをする」と答えているのに対して、
高度成長期を経た1980年前後の子どもは、
5人に1人しか木登りをする子どもはいな くなったのである。替わりに、最も多い習 慣的行動は、ただ木を「見上げる」だけに 変わってしまった。登るのでなく、木を
「叩く、ゆする、折る」などの消極的ない し攻撃的行動も、 80年前後の子どもに顕 著になっている点も注目に値する。
図2は、子どもの目にとまる「小さな穴 をみたとき」の無意識的な主要行動である。
一見して、両者を比較しての顕著な差はな いようにみえる。どちらも、 2人に1人の 子どもが、 「木切れをいれる、掘る、ふさ ぐ」といった好奇心に満ちた積極行動を とっており、 「のぞく」という行動を含め ると、双方とも約8割が、何らかの貝体的 な反射行動をしていたことが分かる。ただ、
50年前後の子どもと80年前後の子どもと の顕著な質的行動の違いは、前者に「虫さ がし」をした子どもが1割いたのに対し、
後者では全くいなかった点である。ただ、
前者に「何もしない」と答えた子どもが2 倍以上多いが、これには、先に断ったよう に、無記入や主にとった行動を覚えていな い、という者が含まれている点を考慮すべ きだろう。
次に同じ穴でも、自分が中に入れる「ほ
ら穴をみたとき」の両者の行動には、違い
があるのだろうか? これを尋ねた結果が
図3である。これも「木をみたとき」ほど
100% の一見しての顕著な違いはないが、子細に
図4 狭い溝をみたとき
50
足・竹・木などで 割る
足でふむ
手にとる,つつく さわる
上にのる,歩く すべる
何もしない
上を歩くi すべる
つま先・物でつつ く,石を投げる
見たことがない
図5‑1 水たまりの氷をみたとき
50
図5‑2 田んぼの氷をみたとき
みると、やはりその質的変容を指摘できる。
その一つは、 50年前後の子どもの最頻行 動が、 「ほら穴をみたとき」、まず中に「入 る」という者が2人に1人の割でいたのに 対し、 80年前後の子どもの最頻行動は、
「のぞく」へと変化してしまった点である。
80年前後の子どもは、ほら穴の中に入る という冒険的行動よりも、こわごわ中を覗 いたり、遠くからただ「みる」 「ヤッホー と言う」、或いは気味悪がって「にげる」
という子が合わせて49%もいるように なった。この点は、暗がりや闇を恐れる傾 向の増大(55という、より大きな時代の心性 の変化という問題につながる‑例証として
も示唆的かも知れない。
図4は、 「狭い溝をみたとき」の行動の 変化をみたものである。 50年前後の子ど もの3人に1人は、 「とびこえる、またぐ」
という反射的行動にでたのに対し、 80年 前後の子どもは、 「とびこえる、またぐ」
「のぞく」「手・足・ものをいれる」という 行動が、どれも同率の約15%という結果
を示した。これは、後者が、 「狭い溝」に 対して突出した‑行動でなく、やや多様な 反応をするようになったことを示すが、ど れも低率であり、最頻行動が、 「何もしな い」である点にこそ、その顕著な行動変容 を読みとるべきであろう。また、極めて少 数ではあるが、 50年前後の子どもには全 く見られなかった行動として、 80年代の 子どもが、狭い溝に対して「さける」とい う反応をしている点は、前項の「にげる」
という習慣的行動の新たな出現とも合わせ、
高度成長期後の極めて興味深い行動変化と して注目してよい。
今度は、 「水たまりの氷をみたとき」で
ある。図5‑1にみるように、ここで両者
の行動を比較してめだっ点は、 80年前後
の行動での「足・竹・木などで割る」とい
66
石などを投げる
さわる.つつく, 叩く,物をのせる
こ‥ こ一
旦̲た三とかぎり
何もしない
ける・こわす
中をみる
岡 本 定 男
OO'yi
‑ 5 5
‑ 伯
‑ 1
AI
15% (8,22)
12% (10,13)
20% (18,23)
図5‑3 池・湖の氷をみたとき
50
う積極行動が、 50年前後に比し顕著な 点であろう。今までの項では、行動の積 極性・全身性・冒険性などで、殆ど全て
に於いて、 50年前後の行動より80年前 後のそれが低率であったことをみれば、
この結果はやや意外と言える。ただ、こ の「水たまりの氷」対し「足・竹・木な どで割る」という行動は、図1における、
「木をみたとき」の「叩く、ゆする、折 る」といった行動が、 50年前後に比し て同様顕著であったことと合わせ考える 必要があるかもしれない。この点につい ては後に改めて触れるが、それ以外では、
両者の行動は、殆ど同型である点に特徴 100% がある、と言って良い。
図6 放置されたダンボールや大きな空箱をみたとき
0 50 100%