九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
多元的無知が非合理的社会現象の普及および維持過 程において果たす機能
宮島, 健
https://doi.org/10.15017/1931680
出版情報:Kyushu University, 2017, 博士(心理学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
多元的無知が非合理的社会現象の 普及および維持過程において果たす機能
宮島 健
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目次
本研究の概要 ... 4
第1章 多元的無知と非合理的社会現象の関係性 ... 5
第1章の概要 ... 6
1.1. はじめに ... 7
1.2. 多元的無知 ... 9
1.3. これまでの多元的無知研究の流れ ... 10
1.4. 多元的無知が生み出す社会的帰結 ... 14
1.5. 本研究の目的と各章の構成 ... 18
第2章 多元的無知と集団間葛藤の関係性 -日本と中国の国家間関係を題材に- ... 26
第2章の概要 ... 27
2.1. 問題と目的 ... 28
2.2. 方法 ... 33
2.3. 結果 ... 39
2.4. 考察 ... 45
第3章 日本における男性の育児休業取得行動の不活性状況と多元的無知 ... 50
第3章の概要 ... 51
3.1. 問題と目的 ... 52
3.1.1. 日本における男性の育児休業の現状と性役割分業規範 ... 52
3.2. 研究2a ... 57
3.2.1. 方法 ... 57
3.2.2. 結果 ... 64
3.2.3. 考察 ... 70
3.3. 研究2b ... 71
3.3.1. 方法 ... 72
3
3.3.2. 結果 ... 75
3.3.3. 考察 ... 81
第 4 章 多元的無知が非合理的社会現象の維持・再生産を促進する効果 -印象管理戦 略としての偽りの実効化に着目して- ... 82
第4章の概要 ... 83
4.1. 問題と目的 ... 84
4.2. 方法 ... 93
4.3. 結果 ... 96
4.4. 考察 ... 100
第 5 章 多元的無知による非合理的社会現象の解消プロセスの検討 -心理的安全の調 整効果に注目して- ... 104
第5章の概要 ... 105
5.1. 問題と目的 ... 106
5.2. 方法 ... 110
5.3. 結果 ... 113
5.4. 考察 ... 118
第6章 総合考察 ... 120
第6章の概要 ... 121
6.1. 本研究の結果のまとめ ... 122
6.2. 集団内ダイナミックスにおける多元的無知の役割 ... 125
6.3. 多元的無知の原因 ... 128
6.4. 本研究の意義 ... 132
6.5. 本研究の限界 ... 138
6.6. 今後の展望 ... 141
引用文献 ... 144
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本研究の概要
多元的無知とは,「集団の多くの成員が,自分自身は集団規範を受け入れてい ないにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受けいれていると信じ ている状況」と定義されている (Katz & Allport, 1931; 神, 2009)。多元的無知は,
多くの成員が受け入れていない社会規範 (i.e. unpopular norm)を維持・再生産さ せるはたらきがあると示唆されている (e.g., 橋本, 2011)。しかし,これまでの研 究は,人々が多元的無知に陥ることで,具体的にどのような心理プロセスを経て,
社会的行動へと動機づけられるのかについて十分に検討をしていない。本研究 では,現在の日本において顕在化している社会現象 (i.e. 日中関係,男性の育児 休業問題)を題材に,多元的無知が人々の認知や行動意図に及ぼす影響を明らか にし,ひいては,それが生み出すマクロな社会的帰結について議論した。
第 2 章では,近年,集団間葛藤が顕在化している日本と中国との集団間関係 の文脈において,「内集団他者の相手国に対する態度」に注目し,日本人と中国 人の大学生を対象に,日中関係という文脈で多元的無知が生じているのかどう か,さらに多元的無知と意見表明意図との関連性を検証した。
第 3 章では,「日本における男性の育児休業の取得率の低迷」を題材とし,第 2 章と同様に多元的無知の生起および行動意図への影響,そして社会的望ましさ の影響も検討した。
第 4 章では,「男性の育児休業問題」を題材として,多元的無知による不支持 規範の維持・再生産プロセスをより強固なものにする社会的機能を担う「偽りの 実効化 (false enforcement)」の生起メカニズムを検討した。
第 5 章では,“集団規範に異を唱えること (dissent)”が多元的無知のプロセス を弱体化させるという視座から,組織における対人関係上の安心感に関する風 土 (i.e. 心理的安全)の知覚が多元的無知状態が行動意図へ及ぼす影響を緩衝す る効果を見出した。
第 6 章では,上記の一連の研究から得られた知見について総括し,本研究の 意義,そして今後の展望についてまとめた。本研究では,多元的無知をあるトピ ックにおける成員間の認知のズレと記述するだけではなく,それが人々の認知 や行動にどのような影響を及ぼし,結果的に集団内のダイナミックスにおいて,
どのような社会的機能を担うのかについて議論をした。
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第 1 章
多元的無知と非合理的社会現象の関係性
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第1章の概要
本章では,これまでの多元的無知研究についてレビューし,本研究の理論的枠
組みを提示する。具体的には,多元的無知という社会心理学的な概念が生み出さ
れてから,研究がどのような歴史的経緯を辿ってきたのかを紹介し,本稿におけ
る多元的無知の定義を示す。そして,今日でもなお多元的無知の実証的研究を行
うことの必要性を示しながら,本研究の目的を明確にする。
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1.1. はじめに
ヒトは社会的動物である。集団や社会を形成し,他者と協力しながら社会生活
を営んでいる。ゆえに,私たちにとって集団に所属することはきわめて基本的な
欲求として備わっている (Baumeister & Leary, 1995)。集団や社会への所属を安定 的なものにするためには,他の集団成員からの排斥の対象とならないよう,自分
たちが所属する集団の成員としての行動期待に沿うように,自身の振る舞いが
他者の目にどのように映るのかを常にモニタリングしながら,行動を調整する
ことが必要である。その証左として,社会心理学者たちは人々の信念や行動が他
者の行動や知覚された社会規範に対してきわめて感受性が高いことを繰り返し
示してきた (e.g., Asch, 1955, Sherif, 1936)。
社会的影響は,他者の公的行動 (public behavior)を観察することから生じる
(e.g., Deutsch & Gerard, 1955)。人々は互いが抱いている信念を直接的に観察でき ないため,コミュニケーションに制限がある場合には互いの行動や表情,しぐさ
等を観察して信念を類推するほかない。このとき,しばしば問題が生じてしまう。
人々の公的行動は必ずしもその人物の本心 (i.e. 信念や選好)を反映していると は限らないのである。しかしながら,「個人の行動はその人物の内的状態を反映
したものだ」という素朴な判断バイアス (i.e. 基本的帰属のエラー; Ross, 1977) は,しばしば状況の正確な認識を妨げてしまう。重要なことに,誤った認識に基
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づき,人々が他者からの社会的承認を失わないよう“賢く”行動した結果,誰も
が予想しなかった社会現象が生み出されることがある。
例えば,次の寓話は多くの人々に馴染みがあるだろう。新しい服が大好きな王
様のもとに,2 人の詐欺師が仕立て屋としてやってくる。彼らは,「愚か者や自 分にふさわしくない仕事をしている者には見えない」不思議な布地を織ること
ができるという。王様は衣装が見えないと言い出せず,それを大絶賛し,その衣
装を身にまとって,お披露目のパレードを開催することを決心する。街の人々は,
誰もが王様が裸だと思っているのだけれども,見えていないのは自分だけだろ
うと考え,愚か者だと思われないために口々に衣装を賞賛する。無邪気な子供が
王様は裸だと叫び,大人たちはようやく自分以外の人々にも衣装は見えておら
ず,お互いに体裁を取り繕うために,本音ではなく建前で行動をしていたことを
知るのである。これは,アンデルセンの童話「裸の王様」である。
「裸の王様」は,人々が自分の本音に従って行動した場合の周囲からの反応を
懸念して,選択した行動が相互作用した結果,どのような社会的帰結が個人ない
しは集団にもたらされるのかについて,鋭い洞察を与えてくれる。そこで描かれ
ているのは,成員が互いの本心 (i.e. 自分には王様の洋服は見えてはいない)を誤 って推測し合った (i.e. 周りの人々には王様の洋服が見えているらしい)結果,成 員たちの本心を単純に集約したものとは正反対の社会現象 (i.e. 誰にも見えて
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いないはずの王様の衣装を,皆が揃って誉めそやす)が意図しないかたちで生み 出されている,という皮肉な結末である。
1.2. 多元的無知
多元的無知は,「集団の多くの成員が,自分自身は集団規範を受け入れていな
いにもかかわらず,他の成員のほとんどがその規範を受けいれていると信じて
いる状況」と定義されている (Katz & Allport, 1931; 神, 2009)。この用語は,Allport により生み出された造語であり,「複数の (pluralistic)人々が互いの本当の信念,
選好,意見について無知である (ignorant)」ことから由来している。先ほど紹介
した「裸の王様」が代表的な例として挙げられる多元的無知の事態を,Krech and
Crutchfield (1948)は次のように端的に表現した; 「誰も信じていないが,“自分以
外は”信じているのだろうと皆が思い込んでいる (No one believes, but everyone believes that everyone else believes.)」。次節ではこれまでの多元的無知研究の流れ について説明し,本研究における多元的無知の定義を明確にする。
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1.3. これまでの多元的無知研究の流れ
多元的無知の過去は長いが,歴史は短い (Miller & McFarland, 1987)。その概念 の誕生以降,様々な研究者の手によって研究が進められてきた。多元的無知研究
の歴史は,大きく分けて3つの時代に整理することができるだろう。
黎明期では,Allport や Katz,Schanck など社会心理学者が研究の担い手だっ た。当時,彼らが研究材料としていた題材は,シラキューズ大学の同好会 (Katz
& Allport, 1931)や“エルムホロウ”というコミュニティで生活する住民を対象と した研究 (Schanck, 1932)だった。具体的には,Katz and Allport (1931)は,大学の
社交クラブ (fraternityやsorority)のメンバーに対して,民族的マイノリティ (e.g., アジア人など)が加入することの是非について尋ねた。調査の結果,半数以上の 個人が「個人的にはそうした人々がクラブに入ることには反対ではないが,そう
した判断を下すことで,仲間からの評価が下がってしまうことを懸念」していた
ことが明らかとなった。すなわち,クラブの成員同士で民族的マイノリティの個
人に対する態度を誤って推測し合っていたことを示している。
その後,研究の担い手は社会学者へと移った。この頃の研究は,小規模な集団
やコミュニティではなく,大規模な世論研究として検討が深められていた。ここ
で主に扱われてきた題材も,当時の米国において社会的に関心の高かった問題
(i.e. 人種差別問題)だった。1960 年代後半から 1970 年代前半にかけてのアメリ
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カにおける人種隔離政策に対する態度 (e.g., Fields & Schuman, 1976)も,人種差 別と多元的無知との関連性を示す重要なトピックである。一連の研究は,当時ほ
とんどの白人アメリカ人は人種隔離政策を望んでいなかったにもかかわらず,
他の白人アメリカ人の多くはその政策を支持しているのだろうと誤って推測し
ていたことを示している (e.g., Breed & Ktsanes, 1961; O’Gorman, 1975, 1979;
O’Gorman & Garry, 1976)。
ただし,この結果は代替的な解釈も可能であるため,慎重に議論が行われる必
要があるだろう。調査は自己報告式の質問紙調査によって実施されたため,回答
者は意識的ないしは無意識的に,自分たちの回答を社会的に望ましいように歪
めた可能性は否定できない。回答者が,“自分は他者よりも望ましい人間である”
と自分自身を評価するために,個人的態度について尋ねられた項目には,「(社会 一般的に望ましい)隔離政策に反対」と回答しておいて,他者の態度を推測して 回答する項目には「他者は隔離政策を支持しているのだろう」と回答した,とい
う可能性を完全に否定することは難しいだろう。O’Gorman and Garry (1976)はこ の可能性に触れ,回答者は人種差別を容認するような自分自身の価値観を認め
たくはないために,社会的に望ましい人種差別撤廃を支持し,本来の差別を支持
するような傾向を他の白人アメリカ人へと帰属させているだけなのかもしれな
いと述べた。
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しかしながら,人種隔離政策の支持者ほど人種差別的な信念を他者に帰属さ
せ,人種差別の廃止を支持する回答者ほど他者の多くは人種隔離政策を支持し
ていると主張しない傾向にある (i.e. フォールス・コンセンサス効果; Ross, Greene, & House, 1977)という結果が得られたことから,社会的望ましさによる回 答への影響はそれほど大きくはないだろうと論じている (O’Gorman & Garry,
1976)。すなわち,人種隔離政策を支持する割合を実際よりも過大に評価してい た回答者たちの判断は,彼らの自己奉仕バイアス (i.e. 社会的望ましさ傾向)だけ では十分に説明できず,白人アメリカ人が内集団他者の態度を不正確に推測し
たことが人種差別の維持に大きく貢献してしまったと考えられるのである。こ
のように研究を概観してみると,多元的無知で扱われてきた題材は,当時の人々
の関心を集め,議論の的となっていた重大な社会的課題が扱われてきた傾向に
あるといえるだろう。
80 年代後半から現在にかけて,再び研究の舵取りが社会心理学者たちの手に 委ねられた。ここでは,多元的無知へと向かわせる状況要因として,行動の相互
観察可能性 (mutual observability)が強調されている (Bicchieri & Fukui, 1999;
Miller & McFarland, 1991)。例えば,Latané and Darley (1968)の実験では,“通気口 から煙が部屋に流入し,充満されつつある (i.e. 建物内で火事が起きているかも しれないというシグナル)”という非日常的な状況下において,部屋に実験参加
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者が 1 名のみでいた場合よりも,複数名でいた条件の方が退避するまでに時間 を要したことが明らかになった。これは,“自分自身は人前であわてふためいた
姿を晒して恥をかきたくないために,平然を装って周りの様子をうかがってい
るだけ”にもかかわらず,“周りの人々が避難しないのは,それが避難しなけれ
ばならないほどの緊急事態ではないからだ”とお互いに誤って行動の原因帰属
をした結果,“多くの人々が緊急事態だとみなしていながらも,誰も避難をしよ
うとしない”という社会的状況が生み出されると解釈されている。この Latané and Darley (1968)による“煙で充満した部屋 (smoke-filled room)”の実験や,Miller and McFarland (1987)による教室での質問場面に関連させた実験室実験を皮切り に,社会心理学的な観点からのアプローチが増加した。このときの多元的無知は,
社会的比較 (Festinger, 1954)のプロセスの中で生じた“行動の原因帰属のエラー を複数の個人間で共有している状態”として現象を定義しているといえるだろ
う。このような多元的無知の捉え方は,その後,様々な異なる題材における研究
(異性へのアプローチ: Vorauer & Ratner, 1996; 集団間接触: Shelton & Richeson, 2005; Ramiah, Schmid, & Hewstone, 2015)にも拡張されている。
近年では,多元的無知を“個人がお互いの行動を直接的に観察可能な状況にお
いて生じる,帰属のエラーの共有”として捉える研究は少数であり,むしろ“知
覚された社会規範 (i.e. 他者の信念や選好に対する予測)と人々が抱いている信
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念や選好とのズレ (e.g., norm misperception; self-other discrepancy)”として捉える のが一般的だとみなしてよいだろう。社会心理学的なアプローチで検討された
研究のなかでも,大学生による過度な飲酒規範を扱った研究 (e.g., Perkins &
Berkowitz, 1986; Prentice & Miller, 1993)は,代表的な例だと評価できる。それら の研究では,多くの大学生は飲酒規範を好ましく感じていない一方で,周りの他
の大学生の多くはそれを受け入れているのだろうと誤って推測していたことが
報告された。
本研究において焦点を当てる多元的無知も,近年の社会心理学的なアプロー
チの定義に依拠することがふさわしいと考える。したがって,個人の認知レベル
における“「知覚された社会規範 (i.e. 他者の信念や選好に対する予測)」と「認 知者自身が抱いている信念や選好」とのズレ (e.g., norm misperception; self-other
discrepancy)”として定義する。次節では,多元的無知がひとたび生じれば,個人 や集団にどのような帰結をもたらすのかについて説明する。
1.4. 多元的無知が生み出す社会的帰結
多元的無知は個人と集団に重大な帰結をもたらすと示唆されている (e.g., Miller & Prentice, 1994)。個人レベルでは,多元的無知は逸脱感を高める可能性が
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示されている (Prentice & Miller, 1993, study 4)。また,“知覚された社会規範 (i.e.
他者態度に対する推測)と個人態度との間のズレ”の大きさと社会的な疎外感
(social marginalization)との間に正の関連性があることも示されている (Vandello, Ransom, Hettinger, & Askew, 2009, study 4)。
人々は自分たちの個人的意見とは相反する規範でさえも,それから逸脱する
と社会的な制裁を受けると知覚したときには同調してしまうと示唆されている
(Blanton & Christie, 2003)。つまり,自分たちが所属する集団や社会において,あ る信念や価値観が望ましいと他の成員に評価されていると信じたとき,その予
測の正確性にかかわらず,知覚された社会規範にフィットするように自分たち
の行動を調整するかもしれない。より具体的にいえば,自分たちの行動が他者に
公開されている公的な場においては,自分たちの選好を隠匿したり,個人的信念
とは相反する社会的行動を表出させたりする可能性があるだろう。
個人的信念ではなく,他者の抱く信念に対する予測によって調節された人々
の社会的行動が相互作用したとき,その帰結としてどのような集合的現象が生
み出されるだろうか。第 1 に考えられるのは,ある共通した行動パターンへと 雪崩を打ったように人々の行動が収斂する,カスケード現象である (cf. 限界質 量の理論; e.g., Bikhchandani, Hirshleifer, & Welch, 1992; Schelling, 2006)。これは,
ある状況下において,どのように行動するのが適切なのか (e.g., Latané and
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Darley (1968)の実験において,“すぐさま避難した方がいいのか”,“冷静を装っ
た方がいいのか”という判断)が曖昧なとき,他者の行動を参照することを通じ て適切な行動を判断し,自分自身の考えや価値観などを軽視してそれに追従す
ることによって,人々がもつ選好や情報を反映していない行動が連鎖的に生じ
ることを説明するモデルである。実際に,実験後のインタビューにおいて,実験
参加者らは内心は煙が出ていることを危険だと認識していたものの,他の実験
参加者が逃げ出さないのを見て,その状況が危険ではないのだろうと判断した
と回答している (Latané & Darley, 1968)。ここでは,他者の行動を観察して避難 しないことを選択した自分自身の行動が,他者に対しても避難させない誘因と
して機能している,というダイナミックスが生じている。多くの成員が望まない
はずの行動が集団や社会全体に普及していく背景には,こうした集団内過程が
存在しているのかもしれない。
第 2 に,本稿において特に注目する,多元的無知が生み出す集団レベルの帰 結は,「非合理的な社会現象の維持・再生産」である。集団に存在する規範は,
多くの場合,集団成員がそれを内面化することにより維持・再生産されていく
(e.g., Axelrod, 1986)。しかしながら,ある集団やコミュニティに存在する社会規 範や文化が,集団成員の個人的な意見や価値観を単純に集約した全体的な特性
と一致するとは限らない (e.g., 名誉の文化; Vandello & Cohen, 2004)。集団や社会
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で広く根付いている暗黙の規範や慣習は,しばしば成員の個人的選好よりも,む
しろ“他の集団成員の選好に対する予測”に基づく行動選択により強く規定され
ているという知見が,近年,提出されている (Zou, Tam, Morris, Lee, Lau, & Chiu,
2009)1。すなわち,ある集団規範は成員からあまり支持されていなかったとして
も,“その集団規範は他の成員には受け入れられている”と人々が予測すること
で,彼らの行動は暗黙の規範や慣習へと縛り続けられると示唆されているので
ある。では,多くの個人に受け入れられていない社会規範 (不支持規範; unpopular
norm)の維持・再生産を支えるメカニズムはどのようなものだろうか。
橋本 (2011)は,多元的無知によって現実的に維持・再生産されている可能性の ある文化的価値観を特定し,その維持メカニズムを先駆的に提唱している点で
評価できる研究である。具体的には,“人々は実際には相互協調的な生き方より もむしろ相互独立的な生き方を望んでいるにもかかわらず,相互独立的な行動
をとるとまわりの人たちから嫌われてしまうだろうと予想するために,相互協
調的な振る舞いを採用している”というプロセスの存在を指摘した (橋本, 2011;
2014)。このように,人々がある価値観を内面化しておらずとも,他者の信念を 誤って思い込んだがゆえに誘発された行動が相互作用することで,予言の自己
1 近年では,個人レベルで内在化された文化的信念 (i.e. 個人主義,集団主義)と“同じ文化に所属してい る他者の間で共有されていると予測される当該文化に特有の文化的信念”との間に乖離が存在し,文化差 はむしろ他者に共有されていると知覚された文化的信念 (i.e. perceived consensus)が規定すると指摘され ている(cf. intersubjective approach; 橋本, 2011, Shteynberg, Gelfand, & Kim, 2009, Zou et al., 2009)。
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成就的に不支持規範が維持・再生産されうるという指摘は,その他の多元的無知
研究においても論じられている (e.g., Vandello & Cohen, 2004)。ただし,先行研 究に共通していえるのは,不支持規範の維持・再生産の基盤となると論じられて
いる多元的無知状態に人々が陥ることで,具体的にどのような心理プロセスを
経て社会的行動へと動機づけられ,ひいては,非合理的社会現象を作り出すのか,
について直接的な検討が十分に行われてきたわけではない,という点である。こ
の点について実証的研究の十分な蓄積がなされなければ,多元的無知の理論は
進展せず,ひいては非合理的社会現象の予測や制御は困難なままだろう。
1.5. 本研究の目的と各章の構成
これまでみてきたように,多元的無知現象は個人内過程と集団内過程の両側
面にまたがる集団・社会レベルの現象である。したがって,多元的無知に関する
研究は個人内過程と集団内過程の両側面から検討されねばならない (Shamir &
Shamir, 1997)。KatzやAllportらは多元的無知をあくまで個々の集団成員による
“社会規範 (i.e. 意見分布)の不正確な知覚”だとみなしており,それにより生み出
された社会的行動の相互作用が集団にもたらすマクロな帰結については,詳細
な検討対象には含まれていなかった (O’Gorman, 1986)。さらに,多元的無知の実
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証研究は,とある集団の多数派の立場にいる人々が“自分たちの意見は多数派の
立場にある”と正確に知覚できているかどうかの検討に終始しているものが多
いとも指摘されている (Taylor, 1982)。
そうした議論と合致して,これまでの多元的無知研究は大きく 2 つに分類す ることができる (Halbesleben & Buckley, 2004)。ひとつは多元的無知を適用可能 な新たなトピックを探索し,そのなかで多元的無知が個人と社会に及ぼす影響
について検討する方向である (e.g., 大野・多賀, 2009)。もうひとつは,多元的無 知の理論的基盤について研究する方向 (e.g., Miller & Nelson, 2002)である。個人 的態度と知覚された社会規範との乖離が個人の心理や行動にどのように影響を
及ぼし,また,個人はそれに対してどのように反応するのかについて考察した研
究は十分に蓄積されてきたとは言い難い (Prentice & Miller, 1993; Moy, 2008)。す なわち,人々が多元的無知に陥ったときに,個人的には拒絶している社会規範に
沿った行動が実際に誘発されるのか,また,そこにはどのような心理プロセスが
介在しているのかは十分に検討されていない。
前節の最後で述べた点に関連して,橋本 (2014)は,過去数十年にわたって扱 われてきた,単なる“信念の自他差”としての多元的無知ではなく,それが引き
起こす社会的帰結をも射程に含めた多元的無知現象の全体像を理解する重要性
を論じている。具体的には,成員間の認知のズレを記述する段階に留まらず,そ
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うした推測から派生して他者からの反応を予測する段階,ひいてはその予測に
基づいて実際に規範を遵守する (i.e. 規範の内在化はせずに表面的に同調する) 段階をも含めた,ダイナミックなプロセスの検討の必要性を主張している。この
ダイナミックな集団内過程を深く理解するためには,それぞれの段階における
個人の認知や行動を検討するアプローチが有用だが,それはまだ研究の端緒に
ついたばかりである (e.g., 岩谷・村本, 2015)。そこで本研究では,この残された 問題に焦点を当てることで,多元的無知が非合理的社会現象の普及および維持
過程において果たす機能の一端を解明することを目指す。
多元的無知研究において扱われてきた,人々に受け入れられていない社会規
範は,大学生による過度な飲酒 (Prentice & Miller, 1993)や黒人アメリカ人に対す る人種差別 (O’Gorman, 1975),いじめ (子供たちはクラスメイトのいじめに対す る是認を実際よりも過大に評価していた; Sandstrom, Makover, & Bartini, 2013),
若者の非行 (若者は友人の方が自分よりも非行を承認しているだろうと推測し ていた; Young & Weerman, 2013),裁量労働制 (flexible work)に対する否定的評価
(人々は裁量労働で働く従業員に対して他者の方が否定的な反応を示すだろうと 推測していた; Munsch, Ridgeway, & Williams, 2014)など,社会的に望ましくない とされる規範や問題が多くを占める。
人々が多元的無知に陥れば,「裸の王様」で描かれているように,ときとして
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個人的信念とは正反対の行動が集団レベルでは生み出されると論じられている。
お互いの信念を誤って推測し合った結果として,個人の総意 (i.e. 人々の信念の 単純集計)とは矛盾した行動が集団や社会において支配的となり,ひいては規範 や文化が維持・再生産されることは,当該集団の人々が“本来,望まない事態”
である。「裸の王様」で描かれているのは,そうした他者信念の誤った思い込み
(i.e. 自分以外には王様の洋服が見えているらしい)から,“自分の体裁を守るため
に本音を隠して建前で行動したばかりに,それが周囲にも影響を与え,再帰的に
自分自身の行動にも大きな影響を与えてしまう”という非合理性であった。人々
がお互いの見解を正確に共有できていないがために,望んでいなかったはずの
種々の問題行動へと駆り立てられてしまうとすれば,その精緻なメカニズムを
明らかにすることは重要な課題であるといえよう。
本研究では,先行研究が十分に踏み込んでこなかった多元的無知が人々の認
知や行動意図に及ぼす影響を明らかにし,ひいては,それが生み出すマクロな社
会的帰結について議論する。この取り組みによって,従来は社会現象や社会問題
などをうまく説明するための理論的枠組みに過ぎなかった,多元的無知のプロ
セスを支える心理的基盤や集団内過程の一端を理解することが可能になるだろ
う。そのメカニズムが深く理解されれば,非合理的社会現象の効果的な介入方略
や予防策の策定につながると期待できる。
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社会の複雑化や時代の変化に伴って,これまで多元的無知の題材として扱わ
れてこなかった様々なトピックや特殊な事例が出現している可能性があるかも
しれない。多元的無知状態が個人の認知や行動に及ぼす影響を検討した研究は
一部存在するものの,それらは実験室という人工的な環境で実施されたものに
とどまり,現実的な文脈を考慮した詳細な検討は十分にはなされてはいない
(e.g., 岩谷・村本, 2015)。また,多元的無知という理論的枠組みで説明できるト
ピックを新たに指摘することは,その社会問題の解決の糸口を提供するのみな
らず,ひいては多元的無知の理論的発展に寄与するかもしれない。そこで,本研
究では多元的無知との関連性がほとんど議論されてこなかった,現在の日本に
おいて顕在化している社会現象 (i.e. 日本と中国の国家間関係における対立,日 本における男性の育児休業取得行動の不活性状況)を題材にして検討を進める。
そして,以下に提示された一連の仮説について検討を行う。本研究で明らかにす
る仮説モデルおよび各章の構成をFigure 1にまとめた。
第2章では,研究1として,近年,集団間葛藤が顕在化している日本と中国と の集団間関係の文脈において,内集団他者の相手国に対する態度 (i.e. 日本人で あれば“他の日本人の中国人に対する態度”,中国人であれば“他の中国人の日
本人に対する態度”)を実際よりも過剰に否定的に推測している可能性について 検討した。さらに,衆目下における相手国に対する肯定的意見 (好意)の表明意
23
図に,個人的態度ならびに他者態度推測が及ぼす影響について検討した。
第3章では,研究2として,「日本における男性の育児休業の低迷」と多元的 無知との関連性について実証的検証を行った。具体的には,一人ひとりの男性従
業員は育児休業の取得を望んでいるにもかかわらず,他者はそれを好ましく評
価しないだろうという予測が,個人的選好に沿った行動意図 (i.e. 子供が生まれ たときに育児休業を取得しようとする意図)を抑制するだろうという仮説を検討 した。
第 4 章では,研究 3 として,多元的無知状態が引き起こす社会的行動のひと つである「偽りの実効化 (false enforcement)」が,非合理的社会現象が安定的に 維持されるメカニズムを強化する機能を有している,という視座から,そのメカ
ニズムについて検討した。具体的には,偽りの実効化は印象管理戦略として生起 するという仮説を検討した。偽りの実効化の定義や非合理的社会現象の普及・維
持メカニズムにおける機能については,第3章において詳しく説明する。
第 5 章では,研究 4 として,多元的無知による非合理的社会現象の解消プロ セスを検討する,という視座から,“集団規範に異を唱えた (i.e. 個人的選好の表 明)としても,対人関係上の軋轢が生じにくい”という対人関係上の安心感 (i.e.
心理的安全)を強く知覚すれば,多元的無知から生み出された規範的影響が行動 意図に及ぼす負の影響を緩衝される,という仮説を検討した。
24
最後に,第6章では,上記の一連の研究から得られた知見について総括し,個 人内過程に注目しながら多元的無知による集団内ダイナミックスのメカニズム
についての議論と本研究の意義,そして,今後の展望について考察を行ってまと
めた。
25
Figure 1. 本研究において検討する仮説モデルおよび各章の構成
26
第 2 章
多元的無知と集団間葛藤の関係性
-日本と中国の国家間関係を題材に-
27
第2章の概要
本章では,多元的無知が関与している社会現象として,「近年の日本と中国の
国家間関係」に注目した。領土問題等に起因して両国間の緊張状態が高まってい
るなか,外集団に対する偏見や差別は人々の内的信念を反映したものではなく,
内集団他者の信念を誤って推測した結果として生み出されている可能性に注目
した。中国の大学に通う中国人大学生 (N = 182)と日本の大学に通う日本人大学 生 (N = 251)を対象に仮説を検討したところ,両国において,相手国に対する内 集団他者の否定的態度を過大に推測していたことが明らかになった。さらに,中
国人が中国社会全体に伝わる可能性のある状況下で意見表明をする意図は,個
人的態度のみならず他者態度の推測からも同程度に影響を受けるものの,友人
の前での意見表明意図と日本人のデータにおいては,個人の意見表明意図は個
人的態度に強く規定されることが示された。
28
2.1. 問題と目的
2010年代初頭,主に領土問題を巡って日中関係は緊張状態にあった。2012年 9月 15日には,日中国交正常化以降,最大規模となる反日デモが中国各地で発 生し,日系企業の工場や日系自動車会社の販売店などは徹底的に破壊された。日
系スーパーやコンビニエンスストアは大規模な破壊と略奪行為にさらされるな
ど,日本企業への大規模な襲撃が引き起こされる事態に至った。そのような反日
感情の高まりを受け,同年 9 月の中国市場における日本車販売台数は前年の同 時期にと比較して3~6割減と,大きく低迷している (朝日新聞, 2012)。2012年に 日中が共同で行った世論調査によれば,中国に対してよくない印象を持つ日本
人の割合が,調査を始めてから最悪の 84%となる一方,日本によくない印象を 持つ中国人の割合も 65%に上ることが明らかになり,日中双方の国民感情の悪 化が浮き彫りとなっていた (言論NPO, 2012)。
中国は日本にとって地理的に極めて隣接しており,歴史的にも深く交流をし
てきた隣国である。過去には対立や侵略といった,両国の関係に暗い影を落とす
出来事も生じたものの,両国の持続的な発展のためには積極的な協力関係の維
持が必要不可欠である。日本の平成24年版の防衛白書では,中国との間で対話 や交流を促進し,相互理解と信頼関係を一層強化していくことが重要な課題と
して挙げられている (防衛省, 2012)。したがって,相手国に対する否定的態度が
29
形成され,維持される心理過程を解明することは日中関係の改善へとつながる
重要な課題だといえよう。
多元的無知に関する先行研究でみてきたように,外集団に対する偏見や差別
は必ずしも個人の信念に規定されているわけではなく,知覚された社会規範へ
の 表 面 的 な 同 調 と い う か た ち で 形 成 ・ 維 持 さ れ て い る 側 面 も あ る (e.g., O’Gorman, 1986)。李・趙・横田 (2011)は今日の日中関係と多元的無知との関連 性を先駆的に検討した研究である。彼女らによれば,中国人たちは日本人に対す
る内集団他者の嫌悪感情を実際よりも過大に評価していた, つまり,多元的無 知の生起が確認されたものの,日本人の中国人に対する嫌悪感情では多元的無
知はみられなかったことが明らかとなった。
近隣諸国との関係において,目指すべきは平穏な協同的関係であることは疑
いの余地がないだろう。それでもなお,資源を巡っての利害関係の衝突を契機と
して,外集団に対する攻撃的差別や偏見へと発展してしまうことは,現実的葛藤
理論 (Sherif, 1966)で論じられている。この理論では,外集団が内集団の利害を 脅かす脅威だと知覚することで,敵対的感情が高まり,ひいては集団間葛藤が引
き起こされることを指摘している (e.g., Esses, Jackson, & Armstrong, 1998)。
本章において特に注目して議論を行うのは,実際のところはそれほど相手国
に対して悪意や敵対心を持っていない人までが,その正直な意見を表明しづら
30
い状況へと追い込まれ,沈黙してしまうために,多元的無知状態として集団間対
立が生じている側面も看過できないという点である。中国人の若者の間では日
本文化が流行しており (中島, 2010; 山口, 2009),祝 (2011)は,中国人の少なく とも若者たちは,日本に対してポジティブな態度を抱いている一方で,日本を嫌
いにならなければならないというアンビバレントな状況に置かれていると指摘
している。
中国人の若者が反日的な社会規範を過大に知覚している一因として,「反日教
育」が挙げられるかもしれない。中国では,今日でもなお「日本による侵略の残
虐性」を強調した歴史教育が行われている (徐, 2009)。こうした教育は,“日本 に対して敵対意識を抱くことが望ましいことである”とか,“そうすることが中
国社会では期待されている”という社会規範を若い世代へ伝達する役割を果た
しうるだろう。それゆえ,中国人が公的な場で日本に対する好ましい意見を表明
する際には,個人的態度のみならず,知覚された社会規範 (i.e. 他者態度の推測) にも強く影響を受けると考えられる。対して,日本にはそうした中国に対して敵
対意識を抱くような教育は行われてはおらず,中国に対して嫌悪感情を抱くよ
うな社会的期待も存在しない。それを踏まえれば,日本人の間では中国人に対す
る態度において多元的無知は生じておらず,ひいては,意見表明意図は他者態度
の推測よりもむしろ個人的態度に強く規定されると予測できるだろう。
31
本研究では,先行研究と同様に今日の日本人・中国人大学生を対象に日中関係
という文脈で多元的無知が確認されるのかどうかを検証する。さらに,李他
(2011)では未検討だった,個人的態度と他者態度推測が公の場における意見表明 意図に及ぼす影響も検証する。
仮説1-1
中国人大学生は他の中国人たちの日本に対する否定的態度を実際よりも過大に
評価しているだろう。
仮説1-2
日本人大学生は他の日本人たちの中国に対する否定的態度を自分たちと同程度
だと推測しているだろう。
仮説1-3
中国人では,意見表明意図に及ぼす個人的態度と他者態度の推測の影響の強さ
に差はみられないだろう。
仮説1-4
32
日本人では,意見表明意図は個人的態度の影響を強く受け,他者態度の推測の影
響はあまり強くないだろう。
33
2.2. 方法
2.2.1. 調査対象(中国)
2013年6月に,中国の四川省の大学に通う大学生219 人に対し,質問紙調査 を実施した。質問紙は予め研究者らにより日本語で作成され,それを中国語が母
国語である研究者の一人が中国語に翻訳したものを,日本語を流暢に扱える本
研究とは関わりのない第三者の中国人によって日本語に翻訳し直してもらい,
それがオリジナル (日本語) の質問項目と比較して質問内容のニュアンスが変 化していないかを研究者全員で確認・修正した (i.e. バックトランスレーション)。
その作業を通じて,質問内容が中国語に翻訳される過程においてニュアンスが
変容する恐れを可能な限り取り除くことができた。
なお,倫理的配慮として,質問紙の表紙に回答は任意であり,調査では匿名性
が保たれることが明記されていた。さらに,調査は社会心理学的な関心に基づい
て純粋に学術的な目的で行われ,政治的な意図は全くないことを説明した。
質問紙回収後,国籍が中国以外あるいは無回答,そして回答に不備のあった回
答者を除外し,最終的に182名を分析対象とした (男性 = 55名, 女性 = 124名, 不明 = 3名, Mage = 20.31, SD = 1.24)。
2.2.2. 質問項目(中国)
34
2.2.2.1. 日本に対する態度
中国人回答者の日本に対する個人態度を測定するため,「私は,日本が好きだ」
という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求めた (1. まったくそう思 わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,日本に対する態度がポジティブで あることを示す。
2.2.2.2. 中国人の友人の日本に対する態度の推測
中国人の友人の日本に対する態度の推測を測定するため,「私の周りの友人は,
『日本が好き』だろう」という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求 めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,友人の日 本に対する態度がポジティブだと推測していることを示す。
2.2.2.3. 中国人の友人の前での日本に対する意見表明意図
中国人の友人の前での日本に対する意見表明意図を測定するため,「私の周り
の友人の前では,私は『日本が好きだ』と述べるだろう」という文章にどの程度
同意するかを 7 件法で回答を求めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思 う)。値が大きいほど,友人の前で日本に対するポジティブな意見 (i.e. 好意)を 表明しようとする意図が強いことを示す。
35
2.2.2.4. 中国社会全体の日本に対する態度の推測
中国社会全体の日本に対する態度の推測を測定するため,「中国社会は,『日本
が好き』だろう」という文章にどの程度同意するかを7件法で回答を求めた (1.
まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,中国社会全体の日 本に対する態度がポジティブだと推測していることを示す。
2.2.2.5. 中国社会の前での日本に対する意見表明意図
中国社会の前での日本に対する意見表明意図を測定するため,「もしも中国社
会全体に放送されるニュースのインタビューに答えるときには,私は『日本が好
きだ』と述べるだろう」という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求 めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,中国社会 に伝わるような状況で,日本に対するポジティブな意見を表明しようとする意
図が強いことを示す。
2.2.3. 調査対象(日本)
2013年6月に,福岡県の大学に通う大学生258 人に対し,質問紙調査を実施 した。質問項目は先ほどの中国語に翻訳する前のものであり,日本と中国の表記
を逆転させた。倫理的配慮として,質問紙の表紙に回答は任意であり,調査では
36
匿名性が保たれることが明記されていた。さらに,調査は社会心理学的な関心に
基づいて純粋に学術的な目的で行われ,政治的な意図は全くないことを説明し
た。そして,質問紙回収後,国籍が日本以外あるいは無回答,または回答に不備
があった回答者を除外し,最終的に251名を分析対象とした (男性 = 113名, 女 性 = 137名, 不明 = 1名, Mage = 19.17, SD = 1.40)。
2.2.4. 質問項目(日本)
2.2.4.1. 中国に対する態度
日本人回答者の中国に対する個人態度を測定するため,「私は,中国が好きだ」
という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求めた (1. まったくそう思 わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,中国に対する態度がポジティブで あることを示す。
2.2.4.2. 日本人の友人の中国に対する態度の推測
日本人の友人の中国に対する態度の推測を測定するため,「私の周りの友人は,
『中国が好き』だろう」という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求 めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,友人の中 国に対する態度がポジティブだと推測していることを示す。
37
2.2.4.3. 日本人の友人の前での中国に対する意見表明意図
日本人の友人の前での中国に対する意見表明意図を測定するため,「私の周り
の友人の前では,私は『中国が好きだ』と述べるだろう」という文章にどの程度
同意するかを 7 件法で回答を求めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思 う)。値が大きいほど,友人の前で中国に対するポジティブな意見を表明しよう とする意図が強いことを示す。
2.2.4.4. 日本社会全体の中国に対する態度の推測
日本社会全体の中国に対する態度の推測を測定するため,「日本社会は,『中国
が好き』だろう」という文章にどの程度同意するかを7件法で回答を求めた (1.
まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,日本社会全体の中 国に対する態度がポジティブだと推測していることを示す。
2.2.4.5. 日本社会の前での中国に対する意見表明意図
日本社会の前での中国に対する意見表明意図を測定するため,「もしも日本社
会全体に放送されるニュースのインタビューに答えるときには,私は『中国が好
きだ』と述べるだろう」という文章にどの程度同意するかを 7 件法で回答を求 めた (1. まったくそう思わない~7. 強くそう思う)。値が大きいほど,日本社会
38
に伝わるような状況で,中国に対するポジティブな意見を表明しようとする意
図が強いことを示す。
39
2.3. 結果
研究1で測定した変数の平均値,標準偏差および相関表をTable 1および2にま とめた。
2.3.1. 多元的無知の生起
相手国 (i.e. 中国人にとっての日本,あるいは日本人にとっての中国)に対する 個人態度と他者態度推測との間にズレが存在するのかどうかを検討するため,1
要因3水準 (個人態度 vs. 友人の態度推測 vs. 社会全体の態度推測)分散分析を 中国人データと日本人データとで独立的に実施した。個人態度と他者態度推測
の平均値を比較するこの手法は,多元的無知研究における一般的な手法であり,
個人態度と他者態度推測との間の有意差が,多元的無知の特徴としてみなされ
る (Miller & McFarland, 1987; Perkins & Berkowitz, 1986; Prentice & Miller, 1993)。
まず,中国人データの分析結果から報告する。分析の結果,「日本に対する態
度の主体」の効果は有意だった (F[2, 362] = 39.96, p < .001, ηp2 = .18)。ボンフェ ローニ法を用いた多重比較の結果,日本に対する個人態度 (M = 2.99, SD = 1.65) と比較して,友人の日本に対する態度推測 (M = 2.58, SD = 1.40)の方が有意に低 く (t[181] = 3.76, p < .001, d = .27),中国社会全体の日本に対する態度推測 (M = 2.02, SD = 1.28)も個人態度よりも有意に低いことが明らかとなった (t[181] = 8.00,
40
p < .001, d = .65)。さらに,中国社会全体の態度推測得点は友人の態度推測得点よ りも有意に低いことが示された (t[181] = 5.95, p < .001, d = .41)。効果量の指標で
あるηp2の効果の大きさには明確なものがない (水本・竹内, 2008)ため,η2を算 出して,水本・竹内(2008)の効果量の大きさの目安を参照したところ,「日本に対
する態度の主体」の主効果の効果量の大きさは中程度 (η2 = .07)であることが示 された。
次に,日本人データの分析結果を報告する。中国人データと同様に,「中国に
対する態度の主体」の効果は有意だった (F[2, 500] = 54.17, p < .001, ηp2 = .18)。
ボンフェローニ法を用いた多重比較の結果,中国に対する個人態度 (M = 3.41, SD = 1.36)と比較して,友人の中国に対する態度推測 (M = 3.09, SD = 1.27)の方が 有意に低く (t[250] = 4.43, p < .001, d = .24),日本社会全体の中国に対する態度推 測 (M = 2.55, SD = 1.23)も個人態度よりも有意に低いことが明らかとなった
(t[250] = 9.58, p < .001, d = .66)。さらに,日本社会全体の態度推測得点は友人の 態度推測得点よりも有意に低いことが示された (t[250] = 6.15, p < .001, d = .43)。
「中国に対する態度の主体」の効果も,水本・竹内(2008)の効果量の大きさの目 安を参照したところ,中国人データと同様に中程度 (η2 = .07)だったことが示さ れた。以上より,仮説の1-1は支持されたものの,1-2は支持されなかった。
41
2.3.2. 個人的態度と他者態度の推測が意見表明意図に及ぼす影響
「相手国が好きだ」という意見表明意図に個人的態度と他者態度の推測が及
ぼす影響の強さについて検討するため,意見表明意図を目的変数,個人的態度と
他者態度推測を説明変数とする重回帰分析 (強制投入法)を,中国人データと日
本人データで独立的に実施した2 (Figure 2)。
まず,中国人データの分析結果から報告する。分析の結果,友人の前での意見
表明意図には,個人的態度は有意な影響 (β = .64, p < .001)を及ぼしていたもの
の,友人の態度推測の効果は有意傾向 (β = .12, p = .056; adj. R2 = .51, p < .001) だった。相対的な影響力の強さを検討するため,回帰係数の差の検定を実施した
ところ,個人態度の方が友人の態度推測よりも有意に大きな影響を及ぼすこと
が示された (z = 5.23, p < .001)。一方で,社会全体の前での意見表明意図には個 人的態度 (β = .45, p < .001)と中国社会全体の態度推測 (β = .38, p < .001)はど
ちらも有意に影響を与えていた (adj. R2 = .48, p < .001)だった。予測と一致して,
回帰係数の差の検定の結果,個人態度と社会全体の態度推測が及ぼす影響の強
さに有意な差はみられなかった (z = 0.43, p = .669)。
次に,日本人データの分析結果を報告する。友人の前での意見表明意図には,
2 重回帰分析のモデルの重相関係数は総じて高く,個人的態度と他者態度推測を説明変数 とし,意見表明意図を目的変数としたモデルの説明率は十分に高いことが示された。
42
個人的態度 (β = .50, p < .001)と友人の態度推測 (β = .29, p < .001)がともに有
意な影響を与えていた (adj. R2 = .51, p < .001)。回帰係数の差の検定の結果,個人 態度の方が友人の態度推測よりも有意に大きな影響を及ぼすことが示された (z
= 2.21, p = .027)。さらに,社会全体の前での意見表明意図には個人的態度 (β
= .54, p < .001)と中国社会全体の態度推測 (β = .19, p < .001)はどちらも有意に 影響を与えていた (adj. R2 = .40, p < .001)。回帰係数の差の検定の結果,個人態度 の方が社会全体の態度推測よりも有意に大きな影響を及ぼすことが示された (z
= 4.14, p <.001)。したがって,仮説1-3の一部と仮説1-4が支持された。
43
Table 1. 研究1における記述統計量と相関係数(中国人データ)
M SD 1 2 3 4 5
1. 個人態度 2.99 1.65 -
2. 友人の態度推測 2.58 1.40 .54 ** -
3. 友人の前での意見表明意図 2.44 1.61 .71 ** .47 ** -
4. 社会全体の態度推測 2.02 1.28 .40 ** .56 ** .50 ** -
5. 社会全体の前での意見表明意図 2.29 1.53 .60 ** .41 ** .78 ** .56 ** - Note: N = 182, ** p < .01, * p < .05
Table 2. 研究1における記述統計量と相関係数(日本人データ)
M SD 1 2 3 4 5
1. 個人態度 3.41 1.36 -
2. 友人の態度推測 3.09 1.27 .63 ** -
3. 友人の前での意見表明意図 2.80 1.56 .68 ** .61 ** -
4. 社会全体の態度推測 2.55 1.23 .40 ** .38 ** .34 ** -
5. 社会全体の前での意見表明意図 2.64 1.46 .61 ** .51 ** .61 ** .40 ** - Note: N = 251, ** p < .01, * p < .05
44
Notes: **p < .001, +p = .056
Figure 2. 意見表明意図に個人的態度と他者態度推測が及ぼす影響 (左側が中国人データ,右側が日本人データを示す)
45
2.4. 考察
中国の大学に通う中国人大学生と日本の大学に通う日本人大学生の両方にお
いて,相手国に対する態度には有意な自他差 (i.e. 個人的態度と他者態度推測と の間の乖離)が生じていた。すなわち,この結果は相手国に対する内集団他者の 態度を,人々が実際よりも過度に否定的に推測していたことを示している。これ
は相手国に対する態度を成員同士が互いに不正確に認知し合っている状況だと
みなせるため,多元的無知が生じていると判断できるだろう。ただし,一部のデ
ータの解釈は慎重な議論が必要だと認識すべきかもしれない。
中国人データにおける態度の自他差は予測と合致しており,先行研究と同様
に反日感情において多元的無知が生じていると考えられる。意見表明意図に個
人的態度と中国社会全体の態度推測が及ぼす影響の相対的な強さを検討したと
ころ,両者に有意な差は見られなかった。全体として,回答者たちは「中国社会
は自分よりも日本に対して否定的な態度を抱いているのだろう」と推測してい
ることを踏まえると,個人的態度では日本は好ましいと思っていたとしても,
「日本が好きだ」という意見の公的な場における表明は抑制されてしまう可能
性を示している。ただし,友人の態度推測は個人的態度よりも有意に低いという
結果が得られたにもかかわらず,友人の前における意見表明意図に対しては個
人的態度に比べて弱い影響しか与えていなかった。これは,友人の前では「日本
46
が好きだ」という意見の表明は抑制されないことを示唆している。したがって,
この結果は他者の日本に対する否定的態度を過大評価しているというよりむし
ろ,回答者の社会的望ましさを反映したものという解釈を完全に否定すること
は難しいだろう。この結果は,若い中国人の間では,日本に対する反日感情にお
ける多元的無知が解消されつつあることを示唆しているのかもしれない。
予測に反して,日本人データにおいても態度に自他差が見られた。つまり,日
本人の間でも“他の日本人による中国人に対する態度”を実際よりも過度に否定
的に推測していると示された。この結果が得られた理由には,調査を実施した時
期が関連しているかもしれない。
2012 年には大規模な反日デモが数度にわたって行われ,その様子が日本国内 でも報道された。その結果,中国との対立関係が顕在化したことで,“日本にお
いても中国に対する否定的感情が人々の間で支配的な感情となっている”と日
本人回答者は知覚していたのかもしれない。しかしながら,意見表明意図に及ぼ
す他者の態度推測は,個人的態度に比較して弱く,友人の前やニュースのインタ
ビューに応えるときでも,「中国が好きだ」という意見の表明は抑制されないこ
とを示唆している。したがって,この結果は他者の中国に対する否定的態度を過
大評価しているというよりむしろ,回答者の社会的望ましさを反映したもので
あるという可能性が残るといえるだろう。
47
中国人データにおける「個人的態度と社会全体の態度推測」に関する結果は,
見知らぬ内集団他者の前では,「日本が好きだ」と思っていたとしてもそれが表
明されにくいことを示している。そうすれば,反日的な意見ばかりが社会全体に
普及し,それがまるで支配的な意見かのように映ってしまうだろう。これは,集
団成員の多くが望まないかたちで外集団に対する差別や偏見という社会現象が
生み出され,維持され続けている可能性を示唆するものである。
先行研究は,社会的に承認されるという知覚と外集団に対する偏見の表明と
の間に正の相関がみられることが示しており (Crandall, Eshleman, & O'brien,
2002),さらに,白人アメリカ人を対象にした研究では,“他の白人アメリカ人が
抱いている黒人アメリカ人に対するステレオタイプ的認知は,自分が抱いてい
るものよりも強い”という情報を与えられると,黒人に対するステレオタイプの
支持が強まることが見出された (Stangor, Sechrist, & Jost, 2001)。これらの研究は,
外集団に対する偏見や差別の表出を,社会的影響が促進することを示唆してい
る。
自分たちの意見は集団や社会において少数派なのだと誤って思い込むことで,
本来は多数派だったはずの意見が表明されず,少数派意見ばかりが顕在化して
しまう現象は,沈黙の螺旋現象として知られている (Noelle-Neumann, 1993)。中 国社会全体の反日感情を実際よりも過大に推測してしまうことで,「日本が好き