ネットワーク解析および依存構造マトリックス 手法を用いた建設マネジメントに関する研究
A Study on Effective Construction Management by Network Analysis and Dependency Structure Matrix Procedure
2013 年 1 月
早稲田大学大学院 創造理工学研究科
鈴 木 信 行
Nobuyuki SUZUKI
概要
わが国は,1960年代から 1980年代までの僅か 20 年間で世界の経済大国になること ができた.その経済活動基盤整備を担ったのは建設産業である.その急速な発展を支え てきたのは,わが国特有の建設事業執行形態である.建設産業は自然環境や社会環境,
社会制度と密接に関連しながら,国民の安全と安心を確保するための生活環境や経済活動 の基盤を整備する使命を担っている.しかし,1990 年代にバブル経済が崩壊し,同じよ うな時期に国民はより安全な生活を求めるように意識改革が進んできた.その時期に談 合事件や耐震構造計算偽造等の問題も発覚し,国民の建設事業執行に対する信頼は低下 してしまった.その問題の根本的な要因は,建設事業執行の不透明性に起因すると考え る.
建設プロジェクト全体を大きく捉え,限られた事業資源で,より効果的に建設プロジェ クトを執行するためには,マネジメント技術の導入が必要である.建設プロジェクトをマ ネジメントする技術は,いくつかのマネジメント要素からなる複合技術であり,かつ,
各マネジメント要素が体系的に組み立てられ,統合可能な状態になっていなければ,機 能しないものである.こういった原理からプロジェクトマネジメントの機能向上を見出 す研究が成され始めているが,未だ確かな理論は確立されていない.原因は建設プロジ ェクトの特性にあると考えられる.建設プロジェクトは“特注、一品生産”が基本型で あり,生産形態の定型化や能動的な市場形成が難しい.そのため,プロジェクトに携わ る者の“経験と勘”に大きく依存する生産体制が基本形となってくることになる.品質,
コスト,時間といった各マネジメント要素を扱っているものの,これらを体系的に捉え,
連関性をもって統合するといったプロジェクトマネジメントの根幹部分は,個人の経験 と勘によって対応しているというのが実態といってよい.
本研究は,建設プロジェクトにおけるマネジメントの実効機能を向上させるために各要 素を体系化した形で捉え,かつ,相関性を見出し,可視化可能なものとするための方法論 を探求したものである.言い換えれば,建設事業執行経過を納税者や資金提供者等を含む ステークホルダーに理解してもらうための解説手法を開発し,建設プロジェクトにおける 説明性を確保できるプロジェクトマネジメントシステムの構築を目指したのもといって よい.
できる手法を研究した.解析手法として,マネジメント要素間の複雑な連関性を正方マト リックスで捉え,検討順序の最適化手法である依存構造マトリックス(DSM:Dependency Structure Matrix)を用いた効果的なマネジメント要素の検討順序を研究した.また,正方マ トリックスからネットワークモデルを構築し,グラフ理論の媒介性指標や最短経路解析法,
全対最短距離解析法というネットワーク解析手法を用いた重要な役割を果たすマネジメン ト要素の特定法について研究を行った.
その結果,建設プロジェクトのマネジメントにおけるネットワーク解析手法を確立する ことができ,複数のマネジメント要素を統合して評価することが可能となった.そして,
ネットワーク解析手法を適用することにより,従来のEVM(Earned Value Management:出 来高管理手法)やCPM(Critical Path Method:クリティカルパス法)というマネジメントツ ールを,建設プロジェクトの特性に合致させて,より効果的に活用することが可能となっ た.さらに,工程変更等に伴い潜在化するリスクや,そのリスク連鎖を抽出することも可 能となった.
また,ネットワーク解析手法により,旧来から建設プロジェクトにおけるマネジメント の中核要素としてマネジメント効果の評価に用いられる品質(Quality),コスト(Cost),時 間(Time)という3つのマネジメント要素と共に,スコープ(Scope),情報(Communication),
リスク(Risk)を重視してマネジメントを実施することが,工事全体に対するマネジメント 効果を向上できるという建設プロジェクトにおけるマネジメントのあり方を示すことがで きた.
本研究で確立したネットワーク解析手法は,建設プロジェクトにおけるマネジメント効 果の向上のみならず,複雑な連関性のある事象や課題の解法としても有効活用が可能であ ると考える.そして,建設事業執行経過の透明性を向上させ,納税者や資金提供者等への 説明責任を果たす一助になり,建設事業執行の信頼回復を支援するものである.
第1章 序 論
第 1 節 緒 言 ………1
第 2 節 建設事業の特性とマネジメントのあり方 ………15
第 3 節 既往研究とマネジメント要素の構成 ………19
第 4 節 本研究の目的と構成 ………22
参考文献 ………28
第2章 DSM手法を用いたマネジメント要素の検討順序に関する研究 第 1 節 はじめに ………30
第 2 節 マネジメント要素間の連関性の把握 ………31
第 3 節 DSM 手法を用いた効果的な検討順序 ………39
第 4 節 おわりに ………45
【付録】 ………46
参考文献 ………48
第 3 章 ネットワーク解析手法を用いた結合度性の強いマネジメント要素の特定法に関す る研究 第 1 節 はじめに ………49
第 2 節 マネジメント要素を統合して評価する手法 ………50
第 3 節 ネットワーク解析手法を用いた連関性の強いマネジメント要素の特定 57
第 4 節 おわりに ………66
参考文献 ………70
第 4 章 ネットワーク解析手法を用いた品質確保に影響を与えるマネジメント要素の特定 法に関する研究 第 1 節 はじめに ………71
第 2 節 品質へ影響を与えるマネジメント要素の特定法 ………72
第 3 節 品質確保のための取るべき方策の検討 ………79
第 4 節 おわりに ………86
参考文献 ………87
第 1 節 はじめに ………88
第 2 節 ネットワーク解析手法を用いた重みつき EVM ………89
第 3 節 実工事における提案 EVM の適用と効果 ………98
第 4 節 おわりに ………109
参考文献 ………110
第 6 章 ネットワーク解析手法を用いた工期順守に影響を与える作業工種の抽出法に関す る研究 第 1 節 はじめに ………112
第 2 節 ネットワーク解析手法を用いた工程順守に影響を与える作業工種の 抽出法 ………113
第 3 節 実工事における提案手法の適用と効果 ………117
第 4 節 おわりに ………132
参考文献 ………133
第7章 結 論 第 1 節 結 論 ………134
第 2 節 今後の発展的な研究テーマの考察 ………140
参考文献 ………149
謝辞 ………150
巻末資料 ………巻末資料-1:1/6~6/6 巻末資料-2:1/12~12/12
巻末資料-3:1/1 巻末資料-4:1/3~3/3
《図番号》 掲載頁
図 1-1 建設事業執行における現状の課題と原因関連チャート ………5
図 1-2 米国 PMI 及び英国 APM が提唱するマネジメント要素 ………7
図 1-3 P2M マネジメントのタワー ………8
図 1-4 計画および実施段階におけるマネジメントの順序 ………11
図 1-5 プロジェクト管理基本フロー図(五艘・草柳等)とマネジメントプロセス(順序) ………12
図 1-6 マネジメント要素の階層性イメージ ………13
図 1-7 全マネジメント要素が相互に連関している場合のネットワーク表現 ………23,51 図 1-8 論文の構成 ………27
図 2-1 総合建設(国内)とコンサルタント(国内)の比較 ………35
図 2-2 総合建設(国内)と総合建設(海外)の比較 ………36
図 2-3 逆戻りを表現できる DSM ………40
図 2-4 パーティショニングの例 ………41
図 2-5 ティアリングの例 ………41
付図 2-1 パーティショニングアルゴリズム ………47
付図 2-2 プロセス(順序)のグラフ表示 ………47
図 3-1 7 つのノードで構成されるネットワークモデル ………54
図 3-2 友人関係の有無 ………55
図 3-3 1 週間に連絡を取り合う回数を考慮した友人関係 ………55
図 3-4 総合建設 M・マトリックスのネットワーク表示 ………58
図 3-5 同一追加リンク数の場合 QCT(結果)媒介性ベクトル値が最大となる組合せ ……63
図 3 - 6 建 設 プ ロ ジ ェ ク ト ( 総 合 建 設 ) に お け る 効 果 的 な マ ネ ジ メ ン ト 要 素 の 構 成 (追加 2 リンクの場合) ………64
図 3 - 7 建 設 プ ロ ジ ェ ク ト ( 総 合 建 設 ) に お け る 効 果 的 な マ ネ ジ メ ン ト 要 素 の 構 成 (追加 9 リンクの場合) ………64
図 3-8 コンサルタントにおける効果的なマネジメント要素の構成 (追加 2 リンクの場合) ………65
図 3 - 9 海 外 企 業 に お け る 効 果 的 な マ ネ ジ メ ン ト 要 素 の 構 成 ( 追 加 3 リ ン ク の 場 合 ) ………65
図 3-10 建設PM構成(高崎等による) ………66
図 3-11 組織指向統合情報化施工システム(引用図にスコープマネジメントおよび一部和訳を 追記) ………68
図 4-3 マネジメント要素間の相対距離 ………75
図 4-4 マネジメント要素間の距離の和が最小となる組合せ ………76
図 4-5 距離の和が最小と 2 番目に小さいマネジメント要素の組合せ ………76
図 4-6 発注者責任に関する懇談会(第2回)資料,「設計ミス・施工不良の原因分析」を簡略化 し,さらに媒介性指標の高いところに星印と丸印を追記している ………80
図 4-7 設計ミス・施工不良の原因分析モデル ………81
図 4-8 発注者責任に関する懇談会-中間報告(案)-の資料,「建設生産システムにお ける課題の抽出」を簡略化し,星印を追記している ………82
図 4-9 建設生産システムにおける課題の抽出モデル ………83
図 4-10 総合評価方式における評価項目と評価基準例 ………84
図 5-1 EVM の概念(「業務・システム最適化指針(ガイドライン)」より引用) ………90
図 5-2 責任割当マトリックス WBS-CA(RAM)のイメージ ………92
図 5-3 WBS-CA ネットワークモデル(作業資源連関なし) ………93
図 5-4 WBS-CA ネットワークモデル(作業資源連関あり) ………93
図 5-5 計画出来高 PV 上のクリティカルパス ………95
図 5-6 管理基準線(計画出来高 PV)の比較 ………96
図 5-7 作業工種別の出来高計画値PVの比較 ………96
図 5-8 作業資源を含めた工程 ………100
図 5-9 Bet-EVM監視表の作成方法と使用方法 ………102
図 5-10 補正前後の月毎計画出来高計画値PVの比較 ………104
図 5-11 Bet-EVM による監視結果 ………105
図 5-12 従来の EVM による監視結果 ………105
図 5-13 予測最終コスト EAC の相違 ………107
図 5-14 走行トンネルの Bet-EVM 監視結果 ………108
図 5-15 機械棟のBet-EVM 監視結果 ………108
図 6-1 3 つの作業の流れで構成された工程例 ………113
図 6-2 3 作業工種の連関と検査による手戻り発生イメージ ………115
図 6-3 モンテカルロシミュレーションの結果 ………116
図 6-4 橋梁工事の概略図(平面) ………117
図 6-5 従来工法を採用した 5 連続箱桁橋(概略側面図) ………118
図 6-6 In-Fill 工法を採用した 5連続箱桁橋(概略側面図) ………118
図 6-7 標準的な箱桁断面とコンクリート打設順序 ………119
図 6-8 In-Fill 工法による EW 橋の概略施工順序(側面) ………122
図 6-9 In-Fill 工法における各作業工種の媒介性指標算出モデル ………125
図 6-12 In-Fill 施工径間における手戻り影響シミュレーション結果 ………128 図 6-13 先行施工径間における手戻り影響シミュレーション結果 ………129 図 7-1 田中による PMBOK のマネジメント要素の構造的解釈 ………140 図 7-2 現場統制を重視した PDS サイクルと計画・評価を含めた PDCA サイクル ……141 図 7-3 著者が想定するマネジメント要素間の階層性とその連関イメージ ………142 図 7-4 PPP 事業における関連組織 ………147 図 7-5 平成 17 年度産業連関表に基づく取引ネットワーク ………148
表 2-1 M・マトリックス ………31
表 2-2 総合建設の M・マトリックス ………34
表 2-3 コンサルタントの M・マトリックス ………34
表 2-4 海外企業の M・マトリックス ………34
表 2-5 レーダーチャートの比較結果 ………38
表 2-6 総合建設 M・マトリックスのパーティショニング後 ………42,57 表 2-7 総合建設M・マトリックスのティアリング後 ………42,57 表 2-8 コンサルタント M・マトリックスのパーティショニング後 ………43,58 表 2-9 海外企業 M・マトリックスのパーティショニング後 ………43,58 付表 2-1 M・マトリックスのGP値比較表 ………47
表 3-1 7つのノードで構成されるネットワークモデルの中心性指標の相違 ………54
表 3-2 友人関係の有無(トポロジカルネットワーク)の中心性指標 ………55
表 3-3 各ノード間の距離 ………56
表 3-4 各ノード間の最短距離(全対最短距離) ………56
表 3-5 総合建設 M・ネットワークの中心性指標 ………59
表 3-6 総合建設 QCT(結果)の媒介性ベクトル値シミュレーションマトリックス ………60
表 3-7 QCT(結果)の媒介性ベクトル値を最大とする追加リンクの組合せ ………61
表 3-8 QCT(結果)の媒介性ベクトル値シミュレーション結果の抜粋 ………62
表 4-1 マネジメント要素間の相互依存性(総合建設 42票の各セルの総和:γij) …………73
表 4-2 正規化(反転)後の相対距離マトリックス:nγji ………73
表 4-3 双方向の到達時間 ………74
表 4-4 マネジメント要素間の最短距離 ………77
表 4-5 各マネジメント要素の接近性指標 ………78
表 4-6 標準型・高度技術提案型評価項目と配点例 ………85
表 4-7 簡易型の配点例(1)および(2) ………85
表 5-1 EVM で使用する略語 ………89
表 5-2 EVM 表記の相違 ………91
表 5-3 各作業項目の計画価値PVの設定重み ………94
表 5-4 最終コスト算出式の使用提案 ………97
表 5-5 工事概要 ………98
表 5-6 Bet-EVM 監視表(抜粋) ………103
表 6-1 3 作業工種の日数データ ………115
表 6-2 従来工法による工程(施工径間30m長) ………118
表 6-4 In-fill 工法による EW 橋の概略施工順序 ………121
表 6-5 In-fill 工法における作業工種の連関(媒介性指標計算用のネットワークモデル原図) ………124
表 6-6 経験的な必要作業日数,習熟度,繰返しの発生確率 ………127
表 6-7 シミュレーション結果の統計値 ………129
表 6-8 In-fill 工法を採用する場合のコスト変動要因 ………130
表 7-1 HKSAR 発注工事の契約図書 ………143
表 7-2 世界の建設企業の総売上高Top225の上位20社 ………146
第 1 章 序 論
第1節 緒 言 ………1
1. 日本の建設プロジェクトを取り巻く社会状況の急激な変化と 内在する課題
2. マネジメント要素の細分化とプロジェクトマネジメント
第2節 建設産業の特性とマネジメントのあり方 ………15
1. 建設産業の特性
2. 建設プロジェクトにおけるマネジメントのあり方
第3節 既往研究とマネジメント要素の構成 ………19
1. 建設プロジェクトにおけるマネジメントに関する既往研究の整理
第4節 本研究の目的と構成 ………22
1. 研究の目的 2. 本研究の論理 3. 論文の構成
参考文献 ………28
第 1 節 緒 言
1. 日本の建設プロジェクトを取り巻く社会状況の急激な変化と内在する課題
わが国の建設産業に従事する労働者は 500 万人を超え,建設資材の製造・供給企業や建 設機械関連企業等を含めると,建設産業は他の産業と比較すると裾野の広い産業といえる.
建設産業は,第二次世界大戦で荒廃したわが国の国土を再構築し,そして自然災害の多 い国土を経済活動基盤に造り上げてきた.わが国の一国民当たりの年間生産額は,1960 年 代中頃までは800ドル以下であり,世界銀行等が分類する低所得国LDC(Least Developed Country)に属していた.だが,1970年代初頭には3,000ドルを超え高中所得国(Upper Middle Income Country)となり,1980年代初頭には9,000ドルを超え高所得国(High Income Country)
となった.僅か20年間で,低所得国から世界の経済大国になったことになる.これは,他 の先進諸国には類を見ることができないほどの短期間内に発展を遂げたことになる.国土 の経済活動基盤整備を担った建設産業は,この目覚ましい経済発展の原動力となった.
また,わが国は地震が多発し,国土は南北に走る山岳地帯に遮られ,急峻な地形が多く,
自然災害を受けやすい.例えば,1995年1月の阪神淡路大震災,2004 年10月の新潟中越 地震,2011年3 月の東日本大震災や,2011年7 月の新潟・福島豪雨や同年9月の台風 12 号による紀伊半島大水害等の自然災害が頻発している.これらの甚大な災害発生直後にお いて,迅速に建設資機材を調整し,復旧支援を実施しているのも建設産業である.すなわ ち,建設産業は国民の安全と安心,財産の保全,経済活動の場という社会基盤を構築する 基盤産業であることについては,国民誰もが認識していることである.世界中どの国にお いても,建設産業は国民から信頼される産業と位置付けられている.
しかしながら,1990年初頭のバブル経済の崩壊と共に,1993年(平成5年)に埼玉事件 と呼ばれる談合事件が発覚しゼネコン66社が摘発され,国民の信頼を一気に低下させてし まった.さらに,2000 年代に入っても建設事業執行に関わる贈収賄事件や官製談合事件,
2005 年に発覚した鋼鉄製橋梁談合事件や耐震構造計算偽造等により,国民の信頼低下が加 速されている.
前述したように,わが国は1980年代初頭に既に高所得国の仲間入りを果たしている.経 済発展に伴い,国民はより安心,より安全な生活を求めるようになっていく.わが国でも 同様に,国民は経済発展や産業発展のためだけではなく,生活の充実を目的とした社会基 盤整備を求める方向へと変わってきた.国民の建設産業に対する期待は社会変化と共に変 化して行くことになる.これは,他の先進諸外国においても同様である.しかしながら,
他の先進諸外国においては,わが国で直面しているような建設事業執行に関する急激な信 頼低下は生じていない.急激な信頼低下の根本原因は何か.
考えられる第一の原因は,建設事業遂行における不透明性である.国民に対する説明責 任(accountability)が十分に果たせていないとすれば,国民の不信感は当然高まることにな る.わが国の建設事業遂行において不透明性が高まっていった原因は,以下の 3 つに集約 されるものと考えられる.
① 建設事業の執行システム
戦後20年間という短期間で世界の経済大国になるまで復興できた背景には,国が詳細な 建設事業執行方針を決定し,建設企業は着実に実行するという官主導の形態でプロジェク トを遂行するという効率的な仕組みがあった.この仕組みによってわが国は迅速かつ確実 に社会資本整備を進めてきた.しかし,この仕組みが充実すればするほど,建設事業の執 行と国民の意識との距離が拡大していった.
② 基盤となる法令と事業執行実態との乖離
建設プロジェクトの大半は既成物を取引対象とするのではなく,未成物(想像物)を取 引対象として成り立っている.これが建設プロジェクトの特性といってよい.だが,会計 法は完成物品の取引を前提とした法律である.この法令をそのまま適用すれば,建設プロ ジェクトは実態と乖離した法律の下で推進されることになる.建設産業は,基盤とする法 令と事業の執行実態との乖離を論理的方策で埋めることをしてこなかった.
③ 信義則の存在
建設業法第18条,いわゆる信義則に基づいた受発注者間のみの相互信頼を基盤にプロジ ェクトが遂行される特異な執行形態が構築されていた.先進諸外国の工事契約には見られ ない前渡金40%の支払いや,入札・契約時点での工程表,数量総括表(BQ;Bills of Quantities),
施工計画書の提示と合意が不在のまま工事に着手する等,受発注者間の相互信頼のもとに,
そして国民不在のまま建設事業が執行されてきた.
こういった原因によって,民意の非反映や国民への説明不足等の課題は,右肩上がりの 経済発展下において,建設事業執行形態に内在化して行った.
第二の原因は,わが国の建設事業遂行において不透明性が高まってきた時期に,建設事 業執行に加えられた様々な外的インパクトである.それらは,以下の 4 つに集約できると 考える.
① 国民自身の意識の変化
1980年代中頃からわが国のGDP(Gross Domestic Product:国内総生産)は世界のトップ クラスとなり,物質的な充足感を国民が持つようになった.そして,国民の意識は,経済 発展の基盤整備事業よりも生活環境の保全へと移っていた.
② 建設事業執行における不正行為
1990 年代初頭にバブル経済が崩壊し,1993 年の埼玉事件と呼ばれる談合事件の発覚,
2000-2004年に国土交通省地方整備局が発注した鋼製橋梁工事件数の約8割で談合が行われ
ていたという談合体質の露呈,2005 年の耐震構造計算偽造問題が発覚し,建設事業執行に は様々な不正が根深く行われているという印象を国民に与えてしまった.
③ 諸外国における経済危機
1997年のアジア通貨危機,2008年のサブプライムローン問題による世界経済危機,2010 年のギリシャ経済危機に端を発したスペインやイタリア等のユーロ経済圏の不安定化等の 諸外国における経済状況が,わが国の経済活動全般に影響を与え,必然的に建設産業へも 影響を与えている.
④ 情報伝達技術の進展
20 世紀の終わりから 21 世紀の初めにかけて,ICT(Information and Communication Technology:情報伝達技術)が急速に進展し,インターネットサービスや携帯電話等が広く 国民の生活に浸透し始めた.様々な情報を遠隔地の相手と瞬時に,大量に,そして安価に 交換することが可能となり,上記の諸外国における経済状況の変化が,即時に全世界のみ ならず,わが国の経済や建設産業へも伝搬されるようになった.ICTは,今までの時空間の 概念に変革をもたらしたといえる.
わが国の建設プロジェクトにおいては,公共発注機関がより公正で客観的な企業選定を 支援することを目的に,ICTを利用したコリンズ(CORINS)/テクリス(TECRIS)1)とい う実績情報データベースが構築され,それぞれ1994年,1995年より運用されている.近年 では,品質確保や総合評価方式による企業の選定等の目的にも利用されている.また,入 札の効率化や談合防止を目的としてICTを導入した電子入札システム2)が2001年度より導 入された.このようにICTは,様々な形で建設事業執行に密着してきた.
建設事業執行における不透明性顕在化の遠因として,1994年12月には「公共工事の建設 費の縮減に関する行動計画」3)(旧建設省),そして1997年4月には「公共工事コスト縮減 に関する行動指針」4)(政府)が策定され,コスト縮減の取組が推進されたことも挙げられ る.わが国における建設投資額は1992年度の約84.0兆円をピークに現在まで減少の一途で
ある5), 6).そして,公共工事の品質確保の促進に関する法律7)(以下,品確法という)が2005
年(平成17年)4月に施行され,価格以外の多様な要素を総合的に評価する総合評価落札 方式が導入されている.建設事業執行には,工期の短縮やコスト縮減等による生産性向上 対策と共に,品質確保のための取り組み姿勢が求められている.このため,ゼネコンと呼 ばれる総合建設会社は,リスクヘッジとして多くの協力業者へ分業化したり,専業化した りすることにより,リスクを分散するようになった.かつては,ゼネコン社員が実施して いた測量作業も協力業者へ外注することが多くなった.これに伴い,ゼネコン自体は要素 技術を保持することが難しくなってきた.例えば,施工図が理解できず施工計画の立案や 施工段取りも協力業者任せになり,また,測量ミスを発見することもできなくなった.わ が国のゼネコンは,基本的な要素技術を統合する技術が衰退してしまった.
将来的に,わが国における建設投資の改善は期待できない.反面,海外には多くの建設 プロジェクトが計画され,遂行されている.しかし,統合技術の体系化が確立されおらず,
また特定の協力業者との連帯が難しい海外の建設プロジェクトにおいて,わが国のゼネコ ンは日本国内では経験したことのない様々なリスクに直面し,それらに適切に対応するこ とが難しいケースが多い.
このようにわが国の建設事業執行において特有の課題が内在しているところへ,社会経 済環境等の大きな変化が誘因となって,建設産業は国民の信頼を失墜させてしまったとい える.このため,成果物から国民が享受できるサービスの品質,費用,時期などの便益に 関する結果(result)のみを公表するという今までの事業執行方式では,国民に対して十分 な説明責任を果たすことが困難となった.どのようにして目標の行政サービスを国民に提 供できるのかという経過(process)を国民に示し,目標に変更がある場合の理由と修正目 標の妥当性などを,国民が理解できるような形で説明することが,今日の建設事業執行に 求められている.この説明性の高い仕組みを構築することにより,わが国建設産業に内在 する課題を取り除き,国民の信頼と信用を回復し,建設産業全体の活性化を図ることが可 能と考える.
以上の現況を整理した関連チャートを図 1-1に示し,重要点を説明する.
まず,左下には主因の一つである①建設事業の執行システムとして,官主導で建設事業 が執行され,効率よく社会資本の整備を進めることができ,GDP の成長を促したことを示 している.そして,GDP の成長が国民の意識変化をもたらし,これが,内在する問題に対 する外的インパクトの一つとなった.
次に,上部中央左に主因の一つである②基盤となる法令と事業執行実態との乖離として,
建設プロジェクトの特性である未成物に対して物品の取引に適用する会計法の適用問題を 示している.この会計法や品確法の制定により入札契約制度に変化が現れ,建設事業執行 における構造改革の必要性や建設企業のリスクヘッジ促進へと影響を与えている.
そして,上部中央右には主因の一つである③信義則の存在から生じているわが国特有の 建設事業執行形態を示している.契約後,前渡金 40%の支払いがあり,そして工程表,数 量総括表,施工計画書の不在でも工事の着手ができる.工事進捗の評価基準となる工程表 等の合意が無いため,経過(process)の評価は困難となり,事業執行の不透明性が増して いる.そして,結果のみが国民に開示されることにより,建設事業執行におけるマネジメ ント技術が不在・不要となっている現状を示している.
以上のような建設事業執行に内在している主因に対して,左側に青い箱で表現した外部 インパクトが加わり,問題が顕在化した.このため,建設事業執行としては,赤い箱に示 しているように,A:建設事業執行の構造改革の必要性,B:構造改革が進まない,C:構
造の Visual 化,という信頼回復に向けての行動が必要と考える.そして最右に示したプロ
ジェクトマネジメントシステムの構築(ピンク色)が,上記A,B,Cへの改善策となるこ とを示している.
A:建設事業の 構造改革の
必要性
B:構造改革が 進まない
C:構造の Visual化の 必要性
GDPの成長 市場開放の
外圧 入札契約制度
の変化(一般競争)
国民(納税者)の建設 事業に対する不信
建設事業執行 の不透明性
信用失墜
透明性確保 の必要性
コスト縮減 の要請 品質確保の要請
(品確法) 会計法
(未成物)
民意の非徴収
国民への 説明不足 旧建設省直営;
国:建設+行政 サービス提供
請負形式;
国:行政サービス 建:建設サービス
リスクヘッジ;
ゼネコン:統合技術 下請:施工,専業化 執行システムの構築
より人材(エキスパート)
の育成を重視
国民への説明 手法が無い そもそも構造
(システム)が無い
ゼネコン:要素技術 が無くなり,統合技術
が無い
ゼネコン:
Project Provider,
Service Providerは困難
海外展開は 困難 建設業法18条
信義則
Resultの調整 Processの不透明性
Management 技術の不在
PM手引き書 の調査 マネジメント要素
の再統合
ネットワーク 解析手法の適用
内在する問題 1990年代初め
バブル経済崩壊 1997年7月 アジア通貨危機
2005年 耐震設計偽装
2007年 リーマンショック
2010年 ギリシャ経済危機
問題の 外的インパクト 顕在化
③ 信義則の存在 相互信頼
前渡金40% 工程表,BQ 施工計画の不在
PMシステムの構築 Accountabilityの向上
① 建設事業の執行システム
【官主導】
社会資本の 迅速・確実な整備
年度会計
② 基盤となる法令と事業 執行実態との乖離
1993年 埼玉事件など
(談合事件の発覚)
情報伝達技術の社会への浸透
マネジメント要素 の細分化 Aの改善
Bの改善
Cの改善 国民の意識変化
(多様化)
2. マネジメント要素の細分化とプロジェクトマネジメント
わが国では,「より良く,より安く,より早く」を社是としている建設会社が多く,品質
(Quality),コスト(Cost),時間(Time)(工場生産等のマネジメントでは,一般的に納期
(Duration)を使い, QCDと呼ぶことが多い.本研究は建設事業執行を対象としており,
以下QCT とする)は,工事の評価項目となる結果(result)のマネジメント要素と考える.
しかしながら20世紀の終わり頃から世界の国々との連関が密接になり,複雑化・多様化し た現代社会においては,QCTへ直接的または間接的に影響を与えている要因が多くなった.
例えば,原油価格の高騰や鋼材需要の急増,大量の情報処理問題等,様々なリスクが顕在 化し,QCTの3要素以外の要素も検討することが重要となっている.すなわち,結果(result)
に影響を与える経過(process)のマネジメント要素が重要になってきた.
建設工事には有期性があり,目標があり,資源に制約があるという“プロジェクト”と 同義と考えることができ,プロジェクトマネジメント(Project Management)手法の導入が 有効といえる 8).また, 現場から得られた経験は担当者個人に帰属し,言葉や図表では表 現が難しく,組織内で代々人から人へ受け継いで行くという暗黙知となることが多い.そ こで,統合化の評価技術とともに属性情報を取得し,知識データベースとして蓄積するこ とにより,本来あるべき建設事業執行の統合化技術が形式知化され,マネジメント技術伝 承の一助となる.
米英のプロジェクトマネジメント専門協会は,19 世紀の終わり頃から世界中で先駆的に 活動を始めている.それぞれの協会では1990年代から,それぞれ独自のプロジェクトマネ ジメント指導書を発刊し,おおよそ 4 年毎に更新を続けている.一方,わが国では新しい 日本版PM知識体系として2001年にプロジェクトマネジメント手引書が作成された.ここ で,それぞれのプロジェクトマネジメント専門協会における最近の動向として,それぞれ の協会が提唱するマネジメント体系を調査し,図 1-2および図 1-3に示す.
(1) 米国プロジェクトマネジメント協会のマネジメント要素
米国では早くからマネジメント要素についての研究が行われており,1980 年代から始ま った研究成果をもとに1996年にはプロジェクトマネジメント協会(PMI)が各種のプロジ ェクトを対象にPMBOK(the project management body of knowledge)を発刊し33万人以上
(2010年12月現在)いる会員の指導書としている9), 10), 11), 12).PMBOKが提唱しているマ ネジメント要素は旧来から重視されているQCTという3つの要素を細分化して,QCTと統 合マネジメント,スコープマネジメント(「スコープ」とは,工期や作業範囲,目的など,
どのような内容の工事であるのかを規定する),人的資源マネジメント,情報コミュニケー ションマネジメント(以下,情報マネジメントという),リスクマネジメント,調達マネジ メントの9つに細分化している.これらの要素間に階層性(hierarchy)は示されておらず,
平面的に表現されている.そして,このようなマネジメント要素を用いて合理的なマネジ
メントを実施すれば,プロジェクトの全体最適化と生産性向上が可能と述べている.
(2) 英国のプロジェクトマネジメント協会におけるマネジメント要素
英国のプロジェクトマネジメント協会(APM:The Association for Project Management)で
は,PMBOKと同様の指導書を1992年以来発行しており2000年には第4版が発行されてい
る.APMの指導書では戦略的なマネジメント要素として,バリューマネジメント,品質マ ネジメント,リスクマネジメントの 3 項目で構成され,実施項目は運用・技術・取引・組 織・人材の5分野に分かれており,その下位に14のマネジメント要素が取り上げられてい る(APMホームページ:http://www.apm.org.uk/).APMはプロジェクトマネジメントを世界 中で成功裡に実行する職業人の教育も目標にしている.このようにAPM方式のほうがより 細分化されており,両者を比較して図 1-2に示す.
統合マネジメント スコープマネジメント 工程マネジメント コストマネジメント 品質マネジメント 人的資源マネジメント 情報コミュニケーション
マネジメント リスクマネジメント 調達マネジメント
戦略
バリューマネジメント 品質マネジメント リスクマネジメント
運用(コントロール) 技術 取引 組織 人材
スコープマネジメント 設計実施マネジメント 財務マネジメント LCM. 対立マネジメント タイムマネジメント 要望マネジメント
資材マネジメント 技術マネジメント 人事マネジメント
予算コストマネジメント 構成マネジメント 情報マネジメント
アーンドバリューマネジメント
PMI提唱のプロジェクトマネジメント概要 (米国)
APM提唱のプロジェクトマネジメント概要 (英国)
図 1-2 米国PMI及び英国APMが提唱するマネジメント要素
〔PMBOKとAPMの相違点〕
イ) PMBOK では,マネジメント要素の構成に階層性(hierarchy)は付けられていない.
APMでは最上位層に戦略マネジメントがあり,4つの階層で構成されている.
ロ) PMBOKでは,9つのマネジメント要素で構成されている.APMの最下位層には 14
のマネジメント要素が示されている.
ハ) 階層性を別にすれば,スコープ,コスト,タイム,品質,情報,リスクという 6 つ のマネジメント要素はPMBOKとAPMに含まれている.PMBOKの人的資源がAPM の組織と人材に相当し,PMBOKの調達がAPMの取引と資材に相当する.
時間マネジメント
ニ) 大きな相違点は,PMBOKの統合とAPMの戦略である.PMBOKはプロジェクトの 実践を対象とした手引書であるのに対し,APMはプロジェクトマネージャーの教育 をも包含していることが,双方のマネジメント要素構成の相違になって表れている ものと考える.
(3) 日本版プロジェクトマネジメント知識体系におけるマネジメント要素
わが国では新しい日本版プロジェクトマネジメント知識体系の確立と資格制度について 経済産業省の委託を受けてプロジェクトマネジメント導入開発調査委員会で研究がなされ,
2001年にP2M(Project & Program Management)が作成された13).これは,プロジェクトと プログラムの両方に理解をもち,複雑な社会環境にも耐えてプロジェクトを実施しうる職 業人を育成することを目的としている.P2Mのマネジメント体系を図 1-3に示す.
P2Mのマネジメント体系は,米国PMIや英国APMと比較して,さらに多くのマネジメ ント要素に細分化されていることがわかる.
I. エントリー II. プロジェクト マネジメント
III. プログラム マネジメント
IV. 個別 マネジメント
プロジェクトマネジメント
⑦プログラムライフサイクルマネジメント
①定義,基礎属性,枠組み
②プロジェクトマネジメント共通観
③複合マネジメント
④個別マネジメント
⑤複合マネジメントスキル
コミュニケーションマネジメント 個別マネジメントフレーム
プログラムマネジメント
①定義,基本属性,枠組み
②プログラム基盤
③プロファイリングマネジメント
④プログラム戦略マネジメント
⑤アーキテクチャーマネジメント
⑥プラットフォームマネジメント
⑧価値指標マネジメント
リスクマネジメント 関係性マネジメント
プロジェクト組織マネジメント プロジェクト資源マネジメント
情報マネジメント バリューマネジメント プロジェクト戦略マネジメント プロジェクトファイナンスマネジメント プロジェクトシステムズマネジメント
プロジェクト目標マネジメント
エントリー
図 1-3 P2Mマネジメントのタワー
PMBOKやAPMとP2Mの根本的な相違は,PMBOKとAPMは与えられた仕様に基づい て,どのようにプロジェクトを遂行すべきかという目標が明確になっている場合を想定し ているのに対し,P2M は顧客への価値提案などを含めて“何を”どのように遂行すべきか という目標そのものがマネジメントの対象になっている場合を想定した指導書となってい る点である.
それぞれのプロジェクトマネジメント専門協会が提唱するマネジメント体系およびマネ ジメント要素は異なる.後発の指導書になるほどマネジメント要素は細分化の傾向がみら れる.特に,わが国のP2Mは非常に細かく分割されている.それは何故だろうか?
この相違の主因は,前項で考察したように,わが国には特異な事業執行形態が構築され ていることに起因していると考える.すなわち,信義則に基づいた受発注者間の信頼関係 を維持して様々なリスク対応を実施するためには,より細かなマネジメント要素を用いた 事業執行経過の明確化が必要である.また,PMBOKやAPMと比較して後発であるために,
社会状況や経済環境がより複雑化しているため,マネジメント要素の細分化が必要になっ ていると考えられる.
QCTは,旧来からプロジェクトの評価を結論(result)付けるマネジメント要素という位 置付けと,他の細分化されたマネジメント要素と共に経過(process)をコントロールする マネジメント要素という二面性があると考えられる.すなわち,QCT という結果を評価す る階層と,QCT を含めて,QCT(結果)に影響を与える経過(process)の階層で構成され ている.しかし,PMBOK,APMやP2M等の手引書では,マネジメント要素の階層性につ いて明示されていない.本研究では,結果の階層であるQCTについては,QCT(結果)と 表記して論じる.
(4)実務経験にもとづいたマネジメントの流れ
著者は,海外において,入札から施工,最終精算までの一連の業務を,プロジェクトマ ネージャーとして 1984年から 15 年間の実務経験の機会を得た.著者が勤務した建設会社 は,原則的に,入札内容を検討した技術者が,プロジェクトを担当することになっていた.
それは,労務費等の安価な海外企業と競争して工事を受注するためには,入札時点から戦 略的な管理方策や施工方法,特に,仮設備工事計画を詳細に検討する必要があったからで ある.工事担当者と入札担当者が異なると,入札時の思想や意思が十分に伝わらない可能 性が高いという考え方に基づいていた.
わが国の公共工事においては,参考と称して仮設備工事の内容や数量も表示されている ことが多い.すなわち,工事の与条件が与えられており,着工後は与条件にしたがって確 実に実施することが施工業者に求められる.言い換えると施工段階のみのマネジメント
(Construction Phase Management)である.これに対し,海外では,発注者が求める完成形 を示した施工図のみが発給される.仮設備工事等の与条件は与えられていない.仮設備工 事数量等を示した数量総括表(海外ではBills of Quantityに相当する)も原則的に与えられ ない.品質確保のための詳細に記載された検査仕様書が発給され,段階検査の頻度が高い.
すなわち,与条件が与えられていないため,施工段階以前の段階から経過(process)を検 討する必要がある.したがって,施工段階のマネジメントのみならず,建設プロジェクト 全般に対してのプロジェクトマネジメント手法の適用が重要になると考える.
著者はプロジェクトマネージャーの職以外も含めると20余年のプロジェクトマネジメン ト経験がある.その実務経験に基づいて一般的な検討の流れを以下に示す.
まず,入札図書に記載されている工期や要求仕様,作業範囲,施工図の内容を精査する.
特に,施工図に記載されているNoteには,当該工事に関する設計者および発注者の考え方 が記載されている場合が多いので注意が必要である.これはプロジェクトマネジメント体 系ではスコープマネジメントに相当する.この段階から,工事が開始されてから遭遇する と推測できるリスクについて,その確率(provability)や影響度合い(impact)を検討して いることになる.
次に,関連部署や協力会社,資材供給会社等の情報を収集し,組織計画や資材や人材等 の調達計画に基づいて施工計画を作成する.この際には想定される工事着手の時期と工事 内容により,工程やコストの設定を詳細に検討する必要がある.例えば,掘削や盛土等の 土工事の多い場合,雨季の始まる時期に留意して,工程を検討しなければならない.また,
コンクリートの打設が夏季になる場合は,コンクリートに冷水(chilled water)を使用する 必要があり,温度調整の追加費用を含めることを検討する.これらも入札時に検討しなけ ればならないリスク要因である.そして,入札・契約して施工の開始に伴い,天候等の不 確定要素というリスク要因に留意しながら品質,コスト,時間,いわゆるQCTのマネジメ ントを実施する.
以上をマネジメントの流れとして表現したのが図 1-4である.時間の流れは図 1-4にお いて,左から右に流れると表現している.左側半分のスコープから情報までが計画の段階
(planning phase)であり,情報から品質とリスクまでの右半分が実施の段階(excuting phase)
である.この図は,著者が平成17年度(2005)技術士CPD・技術士研究・業績発表年次大 会論文集14)に発表したものであり,矢印は,工事の担当者約30名に対してマネジメント要 素間の連関性についてヒアリングを実施して得られたものである.スコープマネジメント から始まり,情報が計画の段階と施工の段階を連携する重要な役割を果たし,QCT+リス クマネジメントに引き継がれることを示している.設計変更等の当初のスコープと異なる 状況に遭遇することは,建設プロジェクトでは多い.その場合は,スコープに戻って,検 討を繰り返す必要がある.図 1-4は,計画の段階から実施の段階までを包括しており,プ ロジェクトマネジメントの検討フロー全体を示しているといえる.
ここで,表記しているマネジメント要素の名称は,米国PMIが1996年に発刊したPMBOK が提唱するものである.その中で統合(integration)は,8 つのマネジメント要素のバラン スを図る存在として位置付けられている.言い換えると,統合(integration)は8つのマネ ジメント要素の共通プラットフォームのような存在である.
スコープ
人的 資源
情報
調達 時間
コスト
品質
リスク
計画の段階
実施の段階
図 1-4 計画および実施段階におけるマネジメントの順序
ここで,五艘隆志・草柳俊二等が発表した研究論文「我が国の公共工事における品質管 理システムの問題点と改善策策定に関する研究 15)」の中で構築されたマネジメント・フロ ーと比較する.五艘・草柳等は,公共工事の品質確保のためには,品質・安全・時間・コ ストの総合管理を機能させる必要があるとし,あるべきマネジメント構造である“プロジ ェクト管理基本フロー”を構築している(図 1-5).ここで構築されたマネジメント・フロ ーは,筆者の観点とは別の観点(品質確保)で構築されているが,著者の実務経験から得 られた一般的な工事のマネジメントの順序(図 1-4)と整合している.
図 1-5 においても,工事仕様書や契約条件書等の工事の“スコープ”に相当するマネジ メントの検討が始まり,施工計画書そしてWBS(詳細作業書:Work Breakdown Structure)
を作成する.それを“情報”として伝達され,“人材の確保”や“資機材の調達”を検討す るとしている.そして,“プロジェクト管理基本フロー”の下段の「契約管理基準」で実施
されるQCT+安全管理は,プロジェクトのリスクをコントロールする経過(process)の段
階であり,図 1-4に示した著者の経験から得られたプロジェクトマネジメントの検討フロ ー“QCT+リスク”と合致している.さらに,五艘・草柳等は,国内建設関係者にヒアリン グした結果では,統合は“プロジェクトマネージャーの頭の中”で行われているのが実態 であり,わが国の建設プロジェクトにおいて構造的欠陥が見られたと述べている.著者の
経験から得られた検討順序と同様に,図 1-5 においても統合は独立してマネジメント・フ ローに存在するのではなく,全マネジメント要素を包含した存在と考えられている.
建設プロジェクトには様々なケースが存在し,それぞれのケース毎に適切なマネジメン トを実施するためには,個別マネジメント要素の共通プラットフォームである統合
(integration)のあり方が重要と考える.すなわち,統合(integration)のあり方を論理的に 示すことが本研究の目的であるといえる.
プロジェクト遂行管理基準
契約管理基準
現場施工 Cost
Quality 自組織管理標準
入札案件
プロジェクトマネジメント構造設計
Time
入札 施工計画書
安全管理標準 品質管理標準
時間管理標準 コスト管理標準
法令・法規 各種工業規格
契約条件書 設計図面集 現場条件調査 工事仕様書
スケジュール 管理項目設定 WBS構築
コスト 管理項目設定
工事資源設定 工事積算 施工計画書
工事費内訳書 スケジュール表
契約交渉 契約
施工(実施)計画書 スケジュール表 工事費内訳書
プロジェクトの 安全品質の確保 時間管理
安全管理
コスト管理
品質管理
スコープ の検討
情報伝達,
コミュニケーション
人的資源 の検討
調達の 検討
QCTの 管理
リスクの 管理 経験から得られた
建設事業の マネジメントプロセス
図 1-5 プロジェクト管理基本フロー図(五艘・草柳等)15)とマネジメントプロセス(順序)
(最右列のマネジメントプロセスは著者が加筆)
(5) QCT(結果)に影響を与えるマネジメント要素
前述したように PMBOK には,マネジメント要素の階層性は示されていない.前項で述 べたように,プロジェクトマネジメントはスコープから検討が開始され,QCT+リスクマ ネジメントという実施の段階へ引き継がれる.すなわち,スコープや情報等の細分化され たマネジメント要素は,プロジェクトマネジメントの中核となる QCT(結果)を支える目 的で存在するといえる.
QCT(結果)は永遠の三角形(eternal triangle)とも呼ばれ16),マネジメントの中心的な 位置付けとして重視されてきた.これは,プロジェクトの結果として QCT(結果)に集約 して評価されてきたことに起因する.QCT は結果を示す上位の階層であるとすると,QCT の結果を支える経過(process)のマネジメント要素が,下位の階層として存在する.今日 までは,上位のQCT(結果)の階層に集約されて,下位の階層が重要視されてこなかった.
しかしながら,建設プロジェクトを取り巻く環境の変化により,前述したように,マネジ メント要素の細分化の必要性が示されてきた.これが,今日まで十分に認識されてこなか
った QCT(結果)の階層を支え,QCT(結果)の最大化を図る経過(process)の階層であ
る.
また,QCTは図 1-4の“実施の段階”に存在し,他のマネジメント要素と共に経過(process)
も担っている.すなわち,QCTは経過(process)の階層のマネジメント要素ともいえる.
この QCT(結果)とそれ以外の経過(process)のマネジメント要素の連関性イメージを
図 1-6に示す.前述したように,QCTにはマネジメント効果を集約して評価する機能とマ ネジメント経過をコントロールする機能の二面性があり,本研究では,結果(result)の階 層におけるQCTについて論じる場合は,“QCT(結果)”と表記する.
品質 時間
人的 資源
調達
リスク 情報
スコー プ
コスト コスト;
Cost
品質;
Quality 時間;
Time 結果(Result)の階層
経過(Process)の階層
図 1-6 マネジメント要素の階層性イメージ 統合;Integration
(6) 研究対象とするマネジメント要素
PMBOK が規定するマネジメント要素の中に統合(integration)がある.統合は,他の 8
つのマネジメント要素を統合する要素として位置付けられ,1996年の初版PMBOKの出版 に合わせて追加されたマネジメント要素であり,プロジェクトマネージャーが全要素の調 和を図ることに相当する.統合は,図 1-6において全体を包括している要素といえる.
ここで,安全と環境もマネジメント要素とする考え方もある.安全は工事の根幹である.
環境は近年の意識改革がすすみ,重視されはじめてきた.建設プロジェクトでは,成果物 としての品質のみならず,施工過程における品質の確保も重要である.2005年(平成17年)
4月に「公共工事の品質確保の促進に関する法律」17)が施行された.この法律の第3条3項 に「工事の効率性,安全性,環境への影響等も公共工事の品質とする」としている.安全 確保の取組みは,現場の作業員のみならず,周辺住民や通行者等の第三者にも影響を与え る重要な要素である.同様に,環境保全の取組みも作業員や周辺住民の衛生や健康管理,
そして大きな視点では,自然環境へ影響を与える要素であり,施工過程における品質と考 える.拠って本研究では,安全と環境は広義の品質として考える.
統合(integration)は,前述したように,全てのマネジメント要素のバランスを図る目的 で存在し,本研究の目的に相当する.そこで,本研究で対象とするマネジメント要素は,
著者の実務経験をもとに,PMBOKの提唱する9つのマネジメント要素から統合(integration)
を除いた,品質(Quality),コスト(Cost),時間(Time),情報(Communication),調達
(Procurement),人的資源(Human Resource),スコープ(Scope),リスク(Risk)の8つと する.
第 2 節 建設産業の特性とマネジメントのあり方
「マネジメント」という言葉は,様々な言葉と造語を形成している.例えば,ナレッジ マネジメント,人事マネジメント,環境マネジメント等である.建設プロジェクト関連に おいてもリスクマネジメントや品質マネジメント,コストマネジメント等の言葉が一般的 に使用されている.そこで,まず建設産業における“マネジメントとは何か”を明確にす るために,建設産業の特性を明らかにし,マネジメントのあり方を示す.
1. 建設産業の特性
建設産業は,他の製造業と同様に第二次産業に分類される 18).ところが以下に述べるよ うに,一般的な製造業とは様々な点で異なる.したがって一般的な製造業と同等の考え方 では,マネジメントが適切に機能しないことが多い.そこで,まず建設産業の特性を整理 し,マネジメントの考え方やとり組み方の考察を行う.以下に建設産業の特性を整理する.
① 受注生産であり,個別性が強い
建設産業は,自ら製造した製品を販売することではなく,必要な人材,資材,機械 等を適時に調達し,発注者の要求目的を達成することで成り立っている.国土交通省 が発注する直轄工事は毎年1万件を超える.ところが,類似の工事は存在するが,全 く同一の施工環境・施工条件・施工手順や目的物は無い.それは,公共工事は,施工 場所の土質や周辺の社会環境等に基づいて,無理無駄を省いた最適な公共サービスの 提供を目的とした計画や設計が行われるために,唯一無二のものとなっているからで ある.したがって,目的物の標準化や規格化,施工手順の均一化等は困難である.す なわち,工事は画一化された流れ作業になることは少なく,天候や地質の変化,周囲 からの様々な要求等を適切に判断し,柔軟に対応する必要がある.
② 自然環境,社会環境に直接的に接点を持った活動であり,地域性が強い
プレキャスト製品のように,施工部材を工場で生産することは可能であるが,組立 は現地で実施されなければならない.生コンクリートやアスファルト合材のような一 部の建設材料は,生産から一定の時間内に使用しなければ目的の品質を確保すること ができない.また,砕石のように素材単価が安価であり,比較的入手は容易であるが,
遠隔地からの輸送費用をかけることは経済的ではない.このような理由から,建設工 事は地域や周辺住民との関連性の強い地場産業と考えられることが多い19).
また,型鋼や棒鋼のような鋼材は製造工場の所在地が限られ,製造に時間がかかり,
流通経路も定常的には構築されていないような場所への配送,例えば僻地の点在する 工事現場へのヘリコプターによる資材搬入等の,計画工程を踏まえた特別な調達・配 送の必要な場合もある.合わせて,泥水等の産業廃棄物の処分場検討等の工事から発 生する副産物への対処等も,自然環境や社会環境に基づいて検討する必要がある.す なわち,建設プロジェクトは工事毎にそれぞれの地域における材料生産能力や工程に 影響を与えやすい材料等の投入資機材と処分が必要な搬出資材等の両方向に関する 交通網・輸送網等の既存社会インフラストラクチャ整備状況も検討対象としなければ ならない.建設プロジェクトは,流通網検討等の広い視野と,工事現場周辺の安全確 保等の部分的な詳細を含めて,総合的に検討する必要がある.
③ 自然現象や作業環境を踏まえたリスクの多い資源の調達
難関工事を施工したり,工程を短縮したり,大規模な工事を施工する目的で施工機 械は大型化している.また,コンピュータ制御によるシールドトンネル施工技術等の 開発も進められている.しかしながら,科学技術の発展した現代においても多くの職 能工・技能工を建設プロジェクトは必要としている.そして,労働条件が降雨や荒天 のような自然現象という不確定要素に左右されるため,リスクが高く,生産性の改善 が難しい.建設産業が“労働集約型の産業”といわれる所以である.
作業空間等の問題により生コンクリートを十分に締め固めることが困難な場合が ある.そのような作業空間においても使用可能な高流動コンクリートや,逆にブルド ーザーや振動ローラーを用いてコンクリートのダム堤体を施工する RCD(Roller Compacted Dam-Concrete)工法では硬練りのコンクリート,また径間の長い橋梁や高 層建築等の施工を可能とする圧縮強度100MPaを超える高強度コンクリート等,常に 新しい建設資材の研究開発が進められている.また,自然環境保全のためにコンクリ ートやアスファルト合材用の骨材や,シールドトンネル掘削土の埋め戻し利用等の再 生利用も促進されている.すなわち,建設プロジェクトにおいては,気象や地象等の 自然現象や作業環境に起因するリスクを事前に抽出し,工事の要求仕様に基づいて必 要な資機材調達計画を検討しなければならない.そして,工事の着手後も常に天候や 周辺環境の変動を適切に感知し,作業資源の過不足や効率的な稼動状況等の監視と対 応が重要である.
④ プロジェクト規模が大きく,長時間を必要とし,リスクが高い
ダムや長大橋等のような大型工事では,着手から完成まで数年から 10 年以上の時 間を必要とするものもある.工程を短縮する目的等により,幾つかの工区に分割して 工事を施工することも多いが,それでも1工事当たりの規模は大きい.初期の計画か ら詳細設計までの時間を含めると,その時間はさらに長くなる.その間に,自然保護 の考え方や社会情勢等が変化し,事業自体の進め方を変えねばならないこともある.