• 検索結果がありません。

真宗研究6号全

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2022

シェア "真宗研究6号全"

Copied!
198
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

艘宗連合學會研究紀要

ーー第六輯―‑‑

謳 和

3 6

9

瞑 索 碑 合 學 會

(2)
(3)

宗 研

九 ク

宗 第

r, 

(4)

親鸞における四海同朋思想の形成について 聖

覚 法

印 と

親 鷺

聖 人

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

慈 伯

房 義

絶 状

に つ

い て

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ 梅

行 巻

の 称

名 に

就 い

て ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ 桐

還 相

廻 向

を 現

実 界

に 見

る 親

鸞 の

教 義

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ・

: 近

宗 祖

の 現

世 利

益 観

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

. . . . .  

真 宗

の 信

仰 調

査 を

し て

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ ⁝

⁝ 林

『歎異抄』における二つの間答………•••••••………••広

教行信証の不退位について………••藤

真 宗 研 究 第 六 輯 目

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .

. . .  

野 純 孝

︵ 九 八

︶ 谷

親鸞聖人著述刊行史序説:………•………·:佐々木

専 玄 求

藤 真

渓 順

原 隆

章(

︱‑

( 1 1 0 )

因(

︱︱

九︶

已 ( ‑ ︱

‑ ︱ ︱ ‑

︶ 立︵蛋︶

呆 精︵益︶

( ^

‑ ︱

‑ ︶

道︵

^九

野 教 信

‑︶ 

(5)

学 界 槃

三願転入と末法史観:………•………•……·………•松 尊号から尊像へ………••………•宮 教行信証延書について………•••森

ハ公開講演>

親鸞聖人の求道・…••………川

智慧⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝⁝稲

光 は 東 方 よ り

⁝ 花

の聖者………•………•藤

聞 く と こ ろ を 慶 ぶ

⁝ 大

この師この弟子………•••………•••安 黒

愚 禿 の

瑚………••••………••………

r-^こ

井 広

原 性

島達朗︵一呑︱‑︶ 山

信 葉 秀

瀕 和

親 鸞 聖 人 の 敬 譲 表 現

⁝ 常 磐 井 猷

崎 円

原 祐

( 1 0

(

麿(

‑︱

‑K

)

敬︵

一四

九︶

賢 ︵ 一 早

一 ︱ ‑ ︶

勝︵

一主

九︶

実︵

一究

度︵

一実

西州

(‑

︱︱

(6)
(7)

聖 覚 法 印 と 親 鸞 聖 人

浄土真宗の元祖と仰ぐ法然上人と親鶯聖人との間には︑

の信仰内容までが異なっているかのように考えられ︑親鸞聖人を背師自立とさえ他の諸流より非難され︑今日におい てもなおこのような論難を時折耳にするのである︒これに関しては宗学勃興以来夙に幾多の学匠等が心血を注いで︑

云うまでもなく︑親鸞聖人が法然上人の法筵に連らなった当時は︑

れるような高弟とは全く異なって︑

を開顕せられたのである︒こ

A

に︑師法然上人の教義とは一見全く異なるかのような唯信独逹の法義を打ち出して︑

法然上人の真意を蘭揚せられているのである︒

而して︑聖人の己証法義の教化に当っては︑聖覚・隆寛の二先輩にその証権を見出していられることを知るのであ る︒そこで本論においては︑聖覚法印と親鸞聖人との教義的な一面を考察し︑聖人の御己証と云われる信心正因義の

聖覚法印と親鸞聖人

後︑その教義の正統性が乱れたことを痛傷し

その化風にそれぞれの特色か多々あるので︑あたかも︑そ

上人滅後に著わされた上人の諸伝記に名を記さ いわば無名にも近き存在として過ごされたようである︒

両者の同一性を論証して来ているのである︒

問 題 の 提 起

しかしながら︑上人の滅

﹁教行信証﹂六巻を始めとして幾多の述作をものし︑その念佛往生義 この真意の闇揚こそ︑聖人の己証と云うべきものである︒

浅 野 教 信

(8)

聖覚法印と親鸞聖人

真聖全ニノ六八六貞︶

教化の面に︑法印が如何なる意義を有していたかを明らかにして︑法然ー聖覚ー親鸞の系譜を究めようとするのであ

法印と聖人の教義的な一面を考察するに先きだって︑

上人と法印と聖人の関係を概観しておこう︒法印については 法然上人及び親鸞聖人との直接面授の関係を立証する確実な資料が今のところ見出されないので︑歴史家の間には多

﹁明義進行集﹂の著者をして

上人ツネニノタマヒケルハ吾ガ後二念佛往生ノ義スグニイハムズル人ハ聖覚卜降寛トナリト云云

と言わせ︑さらに諸種の法然上人伝中に法印の名が記されているところより考えても︑

できるa

また︑親鸞聖人をして

その関係の一班を知ることが

さきにくだしまいらせさふらひし唯信抄・自力他力などのふ入にて御覧さふらふべし︑

それこそこの世にとりては よきひとびとにておわします︑すでに往生をもしておはしますひとびとにてさふらへば︑そのふ五どもにかかれて さふらふには︑なにごともなにごともすぐべくもさふらはず︑法然

K

人の御おしえをよくよく御こころえたるひと

びとにておはし主すにてさふらひき︵未燈紗十九通

とその御消息等に幾度か推挙させ︑聖人御自筆の甚写本唯信抄やその註釈書等を著わされていることは︑法印と法然 上人との間に深い関係のあったことを表わすと共に︑法印と親鸞咽人との繋がりを示すものである︒しかしながら︑

これらの資料は︑伝承の一班を示すものであって︑これの入でその全貌を知ることができない︒

また法印の著述も︑その数わずかであって︑而も﹁十六門記﹂の如きは真撰ならさる事が論証されており︑

⑧ 八願釈﹂についても疑義を投せられており︑

れに反して﹁唯信抄﹂の入が︑

﹁四

④ ﹁大原問答﹂についてもその原形云云か論じら九ている有様である

聖人の屠写本を通して真撰とせられている︒従って︑こ

4

に聖覚法印の教義を考察す

くの問題を提起せしめるのである︒しかしながら る ︒

(9)

然我大師聖人︑為釈尊之使者︑弘念佛一門︑為善導之再誕︑勧称名一行︵真聖全ニノ五九七頁︶

と述べて︑法然上人を我大師聖人と仰ぎ︑釈尊の使者・善尊の再誕とたたえているのである︒

聖覚法印と親鸞聖人 の銘文がよくこの事を示している︒即ち 「唯信抄」の記述を中心として、相承観・経典観•本願観・正因観の四項Hにわたり、

云われるものの究明を通して︑更らにその全貌に近きものが浮き出されるのであろうが︑ この論述を進

めたいと思う︒勿論﹁唯信抄﹂の叙述のみをもって法印の浄士教の全貌が尽くされると云うのではない︒他の撰述と

この点については後日機会

先ず相承観についてみると︑聖覚法印にあっては︑直接の記述を唯信抄の上に見る事はできない︒しかし古来﹁選 択集﹂の要約書と云われる﹁唯信抄﹂に見られるものは︑善導・法然を伝承していることである︒即ちその前半の法

義釈とも云うべき部分は︑全く﹁選択集﹂のそれを承けている︒冒頭の聖浄一今門判︑正雑二行の廃立︑往生行の選択

と︑内容は云うまでもなく︑その叙述の順序も﹁選択集﹂のそれと同様である︒またそこに引証された五会法事讃の

二文中一文は法印の附加せるものであるが他の一文は全く同しである︒︱︱一心釈に至っては︑法然上人がその論述の殆

んどを善導の引文で終始しているように︑法印にあっても︑その引証に善導の言説をもってしている︒これらによっ

て見るならば二祖相承が明瞭にうかゞえるであろう︒而もこのような一︳祖相承も︑詮ずるところ師資相承たる一師相

承を示すことにもなるのである︒それは﹁唯信抄﹂の論述様式が談義本的な性格を備えているために︑

承けながらも︑法印独自の風格を備えて二祖伝承的に見えている︒これについては︑

相 承 観

を改めて︑批判を仰ぐこととしたい︒ るに当つても

﹁選択集﹂を

﹁尊号真像銘文﹂所収の法印作

これは︑法印自身が法

(10)

聖覚法印と親鸞聖人 然上人を我大師聖人と云う表現をとることによって︑善導の法義を承け継いだ法然一師を相承していることを示すも

のであり︑又︑こ\に釈尊・善導を承けた法然上人を師と仰ぐことは︑親鸞聖人が銘文にわざわざ法師の銘文を加え

たことに於けると同様に特に注意すべき点である︒

の伝承もうかゞわれるのである︒即ち﹁唯信抄﹂後半四個の異解批判においては︑

されているものが二個もある︒その︱つは︑第二異解批判の業障を信じて十念による浄土往生に疑義をはさむ者に対 する批判の基底として︑﹁業ははかりのごとしおもきものまづひく﹂と示されている︒この釈義はもと﹁浄土論註﹂

に見えるが︑今は﹁安楽集﹂所引の文を通して︑依用されていると考えられるのである︒又第一孟一異解批判の十念往生

⑥ 

と宿善の関係に疑義をはさむ者に対する批判の基底も﹁安楽集﹂をうけていると考えられる︒更らに前半法義釈中に

⑦ 

於ける専修・雑修については懐惑・恵心の思想を承けている事が知られる︒これらは︑偏依善導一師を打ち出した法

然上人の上にも五祖相承の一面があり︑法印はこれをもうけついで︑もって念佛義の光聞につとめられたのである︒

さて︑親鸞聖人の相承観を窺ってみると一孟一様になる︒その一は七祖相承であり︑その二は善導・法然の二祖相承︑

その一二は法然一師相承である︒これらそ様の相承系譜の中︑七祖相承は親鸞聖人の己証ではあるが︑後の一︳系譜は全 く法印と軌を一にする︒即ちこの二様の相承において︑師資相承の一面を示すと共に更らに法印の釈諄の使者︑善導

⑧ この事は︑当時の念佛者排撃の一因とされた釈尊を軽んずると云う非難に対の再誕としての立場を打ち出している︒

する反証を示し︑浄土門の正統性を立証するものであることが窺い知られるのである︒更らに︑後にも述べようと思

うが︑この二師相承において︑軌を一にして信に重点を置く考え方へと進んでいる事は注目すべき点である︒

しかし︑このような法然一師の相承ばかりでなく︑法印にあっては

﹁安楽集﹂にその批判の基を見出 念佛往生義の蘭揚のために 四

更に他の釈義

(11)

﹁教行信証﹂行巻には と示され︑更にまた専信坊宛のものには

次に本願観については︑法然上人の一願建立の立場を承けて︑第十八願をもって生因を誓う願とし︑念佛往生願と

入ることは︑法印・聖人ともに同じである︒而も両者にあっては︑その念佛往生の論拠として︑

且しているのである︒この点︑法然上人の主著﹁選択集﹂においては言及されていないので︑法印の発揮と云っても

⑨ 

よいであろう︒然し︑このような済眼が法然上人の上になかったとは云えないが︑何と云ってもその主著の上に見出

第十七願に諸佛にわが名字を称揚せられむといふ願をおこしたまえり︑

まねく衆生をみちびかんとおぼしめすゆへに︑ この願ふかくこ4ろふべし︑名字をもてあ

かつかつ名号をほめられむとちかひたまへり

同じく第十七願に済 とある︒これは明らかに第十七願の諸佛による名号讃嘆が︑衆生の称名の導師としての役割を果している事を論証す

るものであり︑従来の十七願観である佛徳乃至佛体の称揚讃嘆とみる摂法身之願に︑大きな転換を与えたことになる︒

諸佛称名の願とまふし︑諸佛各睦の願とまふしさふらふなることは十方衆生をすすめんためときこえたり︑

方衆生の疑心をとどめん料ときこえてさふらふ︵奥聖全ニノ七︱︱頁︶

十七願にわがなをとなえられむとちかひ給て︑十八の願に信心まことならば︑もしむまれずば佛にならじとちかひ

給へり︵真聖全二の七一四頁︶

と述べられ︑

聖堂法印と親鸞聖人 同様に親鸞聖人にあっても︑慶西房宛の御消息には し得ないのは残念なことである︒即ち﹁唯信抄﹂には

本 願 観

また十

(12)

聖覚法印と親鸞聖人 諸佛称名之願

浄土真実之行 選択本願之行

と標願細註せられている︒これは︑

︵真 聖全

1

まさしく第十八願所誓の念佛往生の意趣を︑

この第十七願によって開顕しようと するものである︒このように両者にあっては同じ傾向の着眼を示しているのであるが︑法印にあっては︑念佛往生の 願たる第十八願に対する立場は乃至十念に中心がおかれているのて︑折角第十七願に乃至十念の意趣を認めながらも 乃至十念の口称義なる立証のためには﹁観経﹂下々品の叙述をもってせねばならなかったのである︒

あっては︑十七・十八の両願に行信を配し︑他力廻向義を基礎とする信心正因義を樹立し︑

至﹂の真意を発揚せられたのである︒しかしながら︑かAる親鸞聖人の御己証が︑

もって念佛往生義の﹁乃 またこA

に一言しておきたいのは来迎についてである︒これについては法印も聖人も共に第十九願の所誓と見られ る点は変りがないが︑法印にあっては︑その来迎なるものは念佛の行者にあると見ていられたようである︒即ち﹁唯 念珠をとらば弥陀の名号をとなふべし︑本尊にむかはば弥陀の形像にむかふべし︑ただちに弥陀の来迎をまつべし

と示されている︒また前述の第十七願の怠趣を証するために引かれた﹁五会法事讃﹂の﹁但有称名皆得往観音勢至自

来迎﹂の来迎も︑

るものであり︑ か4

念佛行者の如実性を示すものとしていられるのである

3

従って︑来迎は専修念佛の者にの入あ たとえそれが臨終の正念を得させるための手段であったとしても︑諸行往生者のために誓われたもの ではないことになる︒ところが聖人にあっては︑全くこれとは逆な立場を取っている︒即ち末燈紗︵第一通︶には 来迎は諸行往生にあり︑自力の行者なるがゆえに⁝⁝⁝⁝自力の行人は来迎をまたずしては辺地胎生佛慢界までも

むまるべからず︑ 信抄﹂に

このゆえに第十九の誓願にもろもろの善をして浄土に廻向して往生せんとねがふ人の臨終には︑

ることは注目すべきである︒ ﹂の﹁唯信抄﹂と軌を一にしてい 一方親鸞聖人に

(13)

伝承しているのである︒親鸞聖人にあっては

四 正 因 観

われ現じてむかへんとちかひたまへり︵真聖全ニノ六五七頁︶

と述べられて︑来迎は諸行往生の者のために必要なのであって︑専修念佛の者は来迎をたのむ必要はないと云うのて

⑲ ある︒こAにおいてこそ平生業成の義も完全なることを得るのであり︑聖人己証の来迎釈も首肯されるのであって︑

この点大いに両者の間に義を異にするのである︒

次に正因観については︑先きにもふれたように︑

﹁易行道というは

( I )

先ず著作名たる﹁唯信抄﹂がそれである︒

両者ともに正因を誓える願は︑念佛往生の願たる第十八願とする ことには異存はない︒その正因については︑法印は乃至十念の称名念佛にありとして︑善導・法然の立場をそのまま

こ\に唯信独達の御己証を展開し︑至心信楽欲生の三心に︑その正因 義を見出されているのである︒云うまでもなく親鸞聖人の御己証と讃えられる信心往牛義は法然上人の念佛往生義を 承けたものであって︑背師自立の説ではさらさらないのである︒今こ\では法然上人の念佛往生義と親鸞聖人の信心 往生義については詳しく論述するいとまがない︒主たこの点については諸先輩がすでに詳論されているのである︒と もあれ法然上人の念佛往生義は所謂無信但行︑即ち単なる口称義のみの生因説ではなくして︑信を摂した立場におい

ての生因説である︒今親鸞聖人の信心往生義は︑

たる専修念佛の法義と異ならないのである︒

聖覚法印と親鸞聖人 かAる行中摂信の信を表顕とする立場に立っての法義なのであって︑

往因決定の時剋の極促においての所談なのである︒従って口称にのぼった所よりすれば︑全く法然上人の念佛往生義

ところが今︑法然上人の専修念佛義をうけられた法印にあっては︑更ら

に唯信義とおぼしき主張・表現が多く見られるのである︒例すれば︑

⑪ 

( 1 1 )

次に﹁十住毘婆沙論﹂︵実は往生論註︶の難易二道判をうけて︑たゞ佛を信ずる因縁のゆヘ

(14)

は︑臨終念佛と尋常念佛に対する異解を批判して それ故に﹁唯信抄﹂後半異解批判の第四に

︑ ︑

( V )

また︑三心一心の関係をのべて ち三心を具せざるによりてなり﹂とといい に浄士に往生するなりといへり﹂といい

聖覚法印と親鸞聖人

ふることは︑

これらの叙述は︑前後を通じて見 ﹁たゞ名号をとな

たれの人か一念十念の功をそなえざる︑しかはあれども往生するものはきわめてまれなり︑これすなわ

廻向のおもひあり︑

( W )

また︑三心中の深心を釈して二種深信を挙げ︑それを結んで﹁佛

力をうたがい︑願力をたのまさる人は菩提の岸にのぼることかたし︑たゞ信心の手をのべて誓願のつなをとるべし﹂

﹁信心を要とす︑そのほかをばかへりみさるなり︑信心決定しぬれ

は三心おのづからそなわる︑本願を信ずることまことなれば︑虚仮のこ4ろなし︑浄土をまつことうたがいなければ

このゆえに一一︳心ことなるににたれどもみな信心にそなわるなり﹂といってあって︑

るならば︑全く信心正因義を主伽しているように見えるのである︒

信の信の説明なのである︒従って︑ しかしながら︑ これのみを見

ると︑何れも称名念佛の如実性を示すための前提要件としての信心であることか知られる︒換言するならば︑行中摂

一巻の精要を示す著名の﹁唯信抄﹂も︑か\る愈味に於いての唯信抄なのである︒

念佛を信ずる人の異解をあげて﹁信心決定しぬるにはあながちに称

念を要とせす︑経にすでに乃至一念ととけり︑このゆえに一念にてたれりとす︑遍数をかさねむとするは︑かえりて

佛の願を信せざるなり︑念佛を信せざる人としておほきにあざけり︑ふかくそしる﹂と述べているしこの異解者の立︑︑︑︑︑︑場は信一念往生を強くうち出しているように見えるが︑これを批判して﹁一念すくなしとおもひて偏数をかさねず

は﹂と云うよりすると︑この一念は信の一念ではなく︑称名の一念にとっていられるのである︒また第一異解批判に

最後の刹那にいたらずとも信心決定しなば一称一念の功徳みな臨終の念佛にひとしかるへし

と述べていることによっても︑その間の事情を知ることかてきる︒とは云え︑か4る唯信的な叙述の強調は大いに注

( m )

また﹁観経﹂の具一二心者必生彼国の意を述べて

I¥ 

(15)

目すべきものであり︑殊にミ心と信心との関係を明示していることは特筆すべきものであろう︒

最後に︑両者の経典観について見ることにしたい︒勿論法印の上には直接に法然上人のような三経一論の正明浄土

の経論と云った設定は見えない︒たゞ上述の論究を通してのみ結論づけられるのである︒即ち︑法印にあっては称名

念佛往生を本願の中心とし︑而もそれは観経下々品の叙述をもって論成しうるとするのである︒

そ︑念佛往生義か為凡のための︑否︑普益の宗教たる地位を確立するのである︒こAに善導・法然の所謂観経中心の

﹁大経﹂に根拠を見ようとする考え方が承け継がれている︒かAる考え方の顕著なものが︑

な考え︑即ち第十七願に乃至十念の論拠を見出したのであろう︒ 上述の本願観に見たよう

この立場は﹁大経﹂を釈するに﹁大経﹂をもってす

るということであり︑本願を釈するに本願をもってするという﹁大経﹂据りの釈相である︒このような釈相は︑親鸞

聖人が本願の論証に︑

あくまでも﹁大経﹂そのものに据してなされているものと照合して︑教義展開の一視点を示す ものである︒これはあくまで展開過程に於ける一視点であって︑聖人のように徹底して﹁大経﹂そのものに依って解 明しようとする態度︑即ち﹁大無量寿経﹂を中心に︑異訳の﹁大経﹂を依用することによって︑その義理の闇揚に努

めてはいない︒

かような聖人の立場においてこそ唯信独達の道が開示されるに至るのである︒

以上︑詳しく論究することはできなかったが︑

聖覚法印と親鸞聖人 経典観を承けていることを窺知することができる︒しかし

ほゞ聖覚法印と親鸞聖人との教義面における四点こついて窺った︒ 一面︑法然上人の上に既に見られるような立場︑即ち

五 経 典 観

か:る立証をへてこ

(16)

聖覚法印と親鸞聖人 こ

\ に 至 っ て

︑ 聖 人 が

﹁ 唯 信 抄

﹂ を 幾 度 も 門 弟 に 推 挙 し

︑ も っ て そ の 教 化 に 証 権 と し て い ら れ た こ と を 知 る と 共 に

︑ そ の 間 に 介 在 す る 意 義 が 明 瞭 に な る と 思 う

︒ 即 ち 2︑聖覚法印が親鸞聖人の四法門︵五願開示・唯信正因義︶に近い考えを持っていて︑三法門︵一願建立・念仏往生義︶

3

︑ 聖 覚 法 印 の 一 般 佛 教 界 並 に 一 般 社 会 に お け る 地 位

・ 名 声 等 か

︑ 法 印 を 証 権 と す る こ と に よ っ て

︑ 等

の 三 点 に ま と め る こ と が で き よ う

︒ こ

A

に 法 然 ー 聖 覚 ー 親 鶯 の 一 系 譜 を 窺 う こ と か で き る で あ る

e

﹁御消息集﹂第六通︵真聖全ニノ六九五頁︶︑第八通︵同六九八頁︶︑第十一通︵同七

0五頁︶︑第十二通︵同七0

七頁

︶︑

﹁血

脈文集﹂第二通︵同七一七頁︶︑﹁葬号真像銘文﹂︵同五六一頁︶等︑

R大屋徳城著﹁日本仏教史の研究﹂第三巻一一四五ーニ五七頁︑藤枝昌道著﹁聖覚法印の研究﹂五一︱]参照

R④藤枝昌道著﹁聖覚法印の研究﹂五四ー五七頁参照

⑤﹁安楽集﹂上巻︵真聖全一ノ四

00

頁︶参照

@﹁安楽集﹂上巻︵真聖全一ノ三九八頁︶参照

⑦松野純孝氏﹁鎌倉仏教の諸問題﹂︵﹁印度学仏教学研究﹂第九巻第一ー号一.四九頁︶参照

⑤興福寺奏状﹁第三軽釈尊失﹂︵大屋徳城著﹁日本仏教史の研究﹂第三巻一七八頁︶参照

⑨﹁和語燈録﹂巻一︑三経釈︵真聖全四ノ五五三頁︶参照

⑩﹁唯信紗文意﹂︵真聖全ニノ六二四頁︶参照

⑪﹁十住毘婆沙論﹂第五﹁易行品﹂第九︵真聖令.ノニ五四頁︶︑

頁︶︑﹁選択集﹂巻上︵同九三二頁︶参照 註① に役立った︒ よ

り 四 法 門 へ の か け 橋 の 役 割 を 果 た し て い た

1

︑ 聖 覚 法 印 が 法 然 上 人 の 法 義 を 充 分 よ く 承 け 継 い て い た

﹁往生論註﹂巻上︵同二七九頁︶﹁安楽集﹂巻上︵同四〇 1

一層その教化

(17)

慈信房義絶状について

れていることを主張する意図があるとしてよい︒ したものと考えられる︒

一般に﹁慈信房義絶状﹂とよはれているものが現存している︒

親鸞聖人の御消息類の編集の根底に︑横曾根門徒︑高田門徒︑本願寺などの面接直弟の正統性を主張する権威づけ

①﹁親鸞聖人御消息集﹂は常陸または下野の門弟に与えられたものが多く︑恐らく常陸︵又は下野︶の門弟か集成

@﹁親鸞聖人血脈文集﹂は︑性信系の横曾根門徒の手になったものである

Cそして︑源空ー親駕ー性信の三代伝持

R﹁末灯紗﹂は︑本願寺第一︱一世覚如上人の次男である︑従覚上人の編集であって︑内題のはじめに︑

大師御己証等井辺州所々御消息等類緊紗﹂とあることは︑他の文献と同様︑親鸞聖人の正統血脈は本願寺にうけつが

④﹁慈信房義絶状﹂は高田専修寺にあるもので︑顕智の書写は︑高田の正統をほこる意味か背景にあるとも考えら を主張する意図を持っていたと考えられる︒ の材料として︑尊重し︑編集伝持されたことが推察される

高田専修寺蔵の︑顕智書写にかかるもので

慈 信 房 義 絶 状 に つ い て

原隆

﹁本願寺親鸞 章

(18)

①  が顕智真筆本として存在し︑家庭の中の問題や 以上の各種編集消息を通観すると︑血脈の正統性を主張するために︑本願寺系以外は︑特に慈信房の義絶をとりあ

げることに重点を置いている理由が︑感知されるのである︒

ここに問題となるのは︑顕智書写の﹁義絶状﹂は︑善鶯義絶の経緯を詳しくうけ︐

9

る唯一の典拠となるものである

が︑その文態が一一種のスタイルを混じている点︑宛名が慈信房であって︑これが﹁顕智﹂経由で慈信房に送られたも

のか︑あるいは慈信房に送られたものを入手した顕智が︑それを嚇写したものか︑あるいは︑顕智がこれを創作した

右のレヂメを真宗連合学会に送ったのは二月十日のことであったが︑それから発表までの問︑

リテイーク︵史料批判︶を行っているうちに︑ 色々とテキスト・ク

色々の疑問がわいてきた︒それで研究大会当日は︑右のレヂメより更

慈信房義絶について直接これを取扱っている根本史料は︑次の一一種が重要なものであるとされ︑現在までこの両史

料は疑問をさしはさむ余地のないものとして︑そのまA依用されてきた︒特に高田専修寺蔵の顕智甚写本は現在それ

﹁第十八の本願をば︑

しているために︑何等の批判もなく︑そのま4採用されて︑慈信房義絶に関する論争にまで︑発展する際の典拠とさ

れてきた︒二史料とは︑

けつみやくもんじう親鸞聖人血脈文集第二通︒

高田派専修寺蔵﹁慈信房義絶状﹂顕智書写︒ に発展した史料解釈を行った

︵昭

和 3 6 年

月4

日︑大会レヂメ︶1 5 かの疑問が生ずるのである︒ れる 慈信房義絶状について

しぼめるはなにたとえ﹂たことを具体的に記

(19)

慈信房義絶状について である3

前者にも問題があるか︑最も詳細に事情を記している顕智書写のものを︑親鶯聖人全集︑書簡篇より左に引 おほせられたる事くはしくきAてさふらうJなによりは︑あいみむばうとかやと︑

をえたるとかやとまふされさふらうなる︑返々ふしぎにさふらう︒

さふらはず︑これよりもまふすこともなきに︑京よりふみをえたるとまふすなる︑あさましきことなり︒又︑慈信

房のほふもんのやう︑

ぶの女房の︑

うたてきなり︑ みやうもくをだにもきかず︑

これえきたりてまふすこと︑

あさましきそらごとなり︒又︑

この

世に

みのあること︑こ4ろもおよばぬほどのそらごと︑

にそらごとをいひつけたること︑ いまだかたらおもみず︑ふみ︑

しらぬことを慈信一人に︑

慈信房まふされてさふらうとて︑これにも常陸・下野の人々は︑みなしむらむが︑そらごとをまふしたるよしをま

ふしあはれてさふらえば︑今ば父子のぎはあるべからずさふらう

o l

又︑母のあまにもふしぎのそらごとをいひつげられたること︑まふすかぎりなきこと︑あさましうさふらう︒

とかAれたること︑ことにあさましきことなり︒よにありけるを︑ よる親鸞がおしえたるなりと︑人に

いかにしてありけりともしらぬことを︑ まふすなる人の︑京よりふみ

こ\ろうきことなりとなげきさふらう︒

まことにかAるそらごとどもをいひて︑六波羅のへむ︑

ことなり︒これらほどのそらごとはこのよのことなれば︑ かまくらなむどに︑ 一度もたまはり

ひろうせられたること︑

じしむばうがたうたるふみとて︑もちてきたれるふみこれにおきてさふ

@ らうめり︒慈信房がふみとてこれにあり︑そのふみつや/\いろはぬことゆえに︑まAはAにいゐまどわされたる

ま4は4のあまのいゐまどわせりといふこと︑

みぶのによばうのもとえも︑ふ

こAろうき

いかでもあるべし︒それだにも︑そらごとをいうこと︑

いかにいはむや︑往生極楽の大事をいひまどわして︑ひたち・しもづけの念佛者をまどわし︑おや

191,—ー1'、1こ4ろうきことなり︒第十八の本願をば︑しぼめるはなにたとえて︑人ごとに︑ 用する︒記号は私が付したものである

(20)

なる

慈信房御返事

R 嘉尤︱︱一年七月廿七日書写了 c 

みなすてまいらせたりときこゆること︑まことにはうぼふのとが︑叉五逆のつみをこのみて︑人をそむじまどわさ

⑮ 4

こと︑かなしきことなり︒ことに破僧の罪とまふすつみは︑万逆のその一なり︒親鸞にそらごとをまふしつけ たるは︑ち

Aをころすなり︑五逆のその一なり︒このことゞもったえきくこと︑あさましさまふすかぎりなければ︑

いまはおやといふことあるべからず︑ことおもふことおもいきりたり

C

三宝・神明にまふしきりおわりぬ︒かなし

きことなり︒わがほうもんににずとて︑

ふら

え︒

しむらむがおしえにて︑

こえむこと︑あさまし/\︒

五月廿九日

同六月廿七日到来 R 建長八年六月廿七日註之 この義絶状は︑建長八年六月廿七

H

に慈信房善鸞大徳がうけとり︑到来日と年号とを註記したものとせねばならぬ︒

建長八年は西暦︱二五六年で︑顕智が書写した時は嘉元一‑]年七月廿七日であるから︑

五十年の時間の経過があることをまず注

H

せねばならない

Cまた︑慈信房御返事とあるから︑

善鸞大徳に書かれた文甚であると理解されるか︑どうしてこれか百向田の顕智上人の手に入ったかということが疑間と

慈信房義絶状について

在判

ひたちの念佛者みなまどわさむと︑

この消息は親鸞聖人が

︱ ︱ ︱

: o

五年であってこの間実に

このまる\ときくこそ︑

ひたわの企佛主ふす人々を︑そむぜよと慈信房におしえたると︑

一四

こ\ろうくさ

かまくらにてき

(21)

慈信房義絶状について 定した人が ことは︑まことに親鸞聖人らしくない論法である︒ 親鸞聖人の血族系と直弟子系との抗争対立というものがあって︑その犠牲として善鷲義絶という事件が起ったと考えられるが︑当時の敵対関係にあるものに︑どうしてこのような義絶状か入手されたかということは︑

﹁慈信房義絶状﹂というものの内容を検討しても︑色々の問題がある︒

第一に一一種のスタイルの文章が組合わされているということは︑心を空しくして読了するときに︑誰しも容易に感

ぜられることと思う︒即ちRと⑪は﹁候文﹂でありc以下は︑

や註釈の場合によく用いられる形の文態である︒血脈文集の性信房宛の義絶通告状と比べても︑同一人の同日付の消

息としては︑何か問題とする必要があるように考えられる︒

次に︑文中で二箇所にわたって義絶のことを述べている︒④と

0

の二箇所であるCこれは重複に過ぎ︑何等かの技

巧が入っておらぬかという疑問を持つ第二点である︒

第一

一一

に︑

親鸞

聖人

が︑

さて

なげかけている︒

実子を義絶する論理に五逆の罪を採用する ︱つの問題を

わが子をさばくに五逆の罪をもってするという点が︑どうも親鸞聖人の思想体系から考えて

不思議であることである︒◎と⑮の二箇所であるが︑勿論︑親鸞聖人は末燈紗第二十通に﹁すでに謗法のひとなり︒

五逆のひとなり︑なれむつぶべからず︒﹂という記述はしておられるが︑

わかるが破僧の罪というのは︑ ﹁非僧非俗﹂は聖人のモゾトーである︒すでに僧というものを否

﹁破僧の罪﹂というのはどうしても自己撞着である︒念佛者たちの平和を入だすというのならば︑まだ

ふさわしくないeまた教行信証の信巻に︑阿闇世王が五逆の罪をおかして﹁王舎城の

悲劇﹂とよばれる事件によって逆謗闇提が如来の大悲によって救われる正所被であることを発見したことを述べてい

る︒もっと突込んで言えば親鸞聖人自身が︑阿闇世王と同様に五逆の罪人であると考えて︑その上で他力の信仰を発 ﹁云々なり﹂という文章てあって︑宗祖か法文の解釈

(22)

﹁まづ慈信がまうしさふらふ法文の様︑名目をもきかず︑いはんやならひたることもさふらはねば︑慈信にひそか 然則︑浄邦縁熟︑調達闇世興逆害︑浄業機彰︑釈迦粘提選安養︑斯乃︑権化仁斉救済苦悩群朋︑世雄悲正欲恵逆謗右のように見てくると︑義絶について五逆罪をか\げて処府の論拠とすることは︑全く親鸞聖人の思想体系の眼目第四に︑⑤のところで﹃三宝・神明にまふしきりおわりぬ﹄という起請文の形は︑親鸞聖人のあり方としてふさわしくない︒しかも同日に書かれた︑性信宛の﹁義絶通告状﹂には︑次のような起請文の形を用いている︒

にをしふべき様もさふらはず︒またよるもひるも慈信一人に︑人にはかくして法文をしへたることさふらはず︒もし

このこと慈信にまうしながら︑そらごとをもまうしかくして︑人にもしらせずしてをしへたることさふらはゞ︑一二宝

を本として︑三界の諸天・善神︑

人と

して

は︑

四海の龍神八部︑閻魔王界の神祇冥道の府を親鸞が身にこと人\くかふりさふらふ

べし︒自今已後は慈信にをきては子の儀おもひぎりてさふらふなり︒﹂

と血脈文集第二通には記してある︒この場合に﹁三宝を本として︑一二界の諸天・善神︑四海の龍神八部︑閻魔王界

の神祇冥道の府﹂を親鸞自らの身にことごとく受けるということであって︑先の義絶状とは文言も異り︑義絶状では

親子の縁を切ったことを﹁三宝・神明にまふしきりおわりぬ﹂としている︒起請文の形式を採用することも︑親鸞聖

ふさわしくないような気がするが︑誓約の対象そのものが両者では異つており︑その文言内容も両者は

同様でない︒このようなことが同じ五月廿九日付の両方の消息に起っていることは︑問題を残しているものであると に矛盾することになると判断されるのである︒ とあることからも︑このことは言えるであろう︒

闇提

見したのであるとも解釈できるのである︒教行信証総序の文に 慈信房義絶状について

(23)

慈信房義絶状について 一念もうたがひあるべからず﹂

﹃しぼめるはな﹄とたとえたという記述は慈信房義絶状たけに存する言葉である

C

もし

考えねはならないe

参考とすべきものに︑歎異紗第一一条に﹁詮ずるところ︑愚身の信心におきてはかくのごとし︑

のうへは念佛をとりて信じたてまつらんとも︑

度と比べて︑義絶状の表現はあまりにも弱々しく︑

うことが最も親鸞聖人の思想体系にふさわしいのではあるまいかC

以上︑大約四箇条に指摘したような内容的な問題を検討するときに︑

筆書写本があるからといって︑無条件にそのまま採用することには︑

e従来︑これをそのま4

採用して親鸞聖人伝研究において問題となっている主なるものは︑左の二点である︒

﹁ ま

AAにいゐまどわされたる﹂という個所であって︑親鸞聖人の凄が︑

人であったかという問題を投げかけている︒継母という言葉はこの義絶状にのみ︑具体的に書かれているものであっ

て︑この消息が問題であるというときは︑根抵から立論がゆらぐのである︒

﹁第十八の本願をば︑

﹁第十八の本願をすてまいらせあふてさふらふ人々﹂あるいは文中にも︑

は問題があるということになれば︑異安心についての研究に於ても︑慎重な再検討が必要となってくるのである︒

またすてんとも︑面々の御はからひな

﹂と言い切った親鸞聖人の態r J

また一一^宝・神明をわざわさ煩わさなくても︑弥陀如来の照覧を願

いささか躊躇せざるを得ないことになるのであ

しぼめるはなにたとえ﹂たという記述は︑他の文献には無いのであっ

と述べられてあるだけで︑

これをそのままうけとるに

私は︑義絶という事件を︑直弟子系の門弟が特に過大に評価した面があると考えている︒それは親鶯聖人自身が思 っていたよりはもっと大きくクローズアップして︑直弟子系の立場を有利にしようとした面が幾分かはあったであろ

うと思うe

また︑その直弟子系の門弟の間でも︑その相互間の対抗意識があったということも併せて考えねばならな

をしへ弥陀の本願はひがごとなりとおほせらるとも て︑血脈文集第二通の追由にも

﹁釈

迦の

②︑◎に述べられた ①︑@に書かれた一人であったか いわゆる﹁慈信房義絶状﹂は︑顕智上人の自

(24)

という想定も成立する い︒つまり自分が親鸞聖人から特別な優遇をうけているという地位を誇ホできる材料を持ちたいという傾向があったことは考えられるであろう︒

善鸞は︑横曾根︵常陸︶の性信︑下野の真佛︵顕智につゞく︶の二系統の有力門弟の地盤をさわがしたのである︒

そのために︑義絶という結果が生じたとき︑①慈信房にその旨を由し送った義絶状がありうる︒②性信に対しては右 の旨を通告した︒④真佛にも同様の通知を行った3

佛に送られたり︑性信に送られる筈はない︒もし性信宛の通告状に信がおけるとすれば︑

のが高田の真佛にも送られたことであろう︒

ねばならない︒

ということは可能性のあることである︒慈信房義絶状が高田の真

しかし真佛がこれを焼却したか︑あるいは他見を許さなかったと判断せ

三河念佛相承日記を見ても︑高田の真佛︑顕智︑専信︑下人の随念が義絶の年に上京したことが見ら れ︑義絶についての善後処置に関連があるようである︒そして現存する親鸞聖人の自筆の名号本尊五幅のうち︑西本

願寺にある一幅を除けば︑他の四幅は高田専修寺系に現存し︑

日︑廿八日のものであることは︑義絶についての何等かの消息をうけとった後の高田門徒の動向を語っている︒

しかるに︑顕智上人の自筆の慈信房義絶状が建長八年の五十年後に甚写されたということについては︑

が成立するが︑

房に義絶状を渡すように依頼され︑通告状に同封して送られたもので︑性信系統よりは︑ ほぼこれと同様の趣旨のも

色々の解釈

もし高田門徒による創作であるとすれば︑自派が親鸞聖人に特別の信頼が厚く︑i蒻田をとおして慈信

はるかに優位に立つていた

ということを示すために︑慈信房宛のものを写したと称して︑真佛宛のものを材料として創作したのではあるまいか しかし︑高田の真佛上人︑顕智上人はともに親鶯聖人の高弟であり︑本願寺や親鸞聖人の血族の人々の護持のため

に心魂を煩けた念佛者である︒高田本の教行信証の奥書によっても︑親鸞刑人の御入滅の折に︑専信と顕智は上洛し

慈信房義絶状について

しかも義絶年の秋︑康元元年(‑︱一五六年︶

十月廿五

(25)

慈信房義絶状について

一九

︵昭和三十六年四月三十日︶

て臨終に侍っている︒親鸞聖人なきあとの真宗教団

0長老として︑念佛者の和合のために︑最大の努力をした人物で あることが明白である︒このような見地より解釈すれば︑嘉元三年の頃に︑真宗の念佛者集団の中に︑善鸞の義絶に 関してデマとしてではあるが﹁慈信房義絶状﹂という創作文書が流通していて︑

たまたまそれを入手した顕智は︑自 分はその内容を全面的には信用しないとしても︑親鸞聖人に関係のある事件でもあるから︑参考のためのメモとして 書写しておいたのではなかろうか︒教団の長老としての顕智上人の当然の配慮であったと思う︒この書写消息が発見 されたのは大正十年のことであって︑高田正統伝にもこれが収載されていないことは︑顕智上人が自ら信用しておら 要するに︑慈信房を親鸞の子であると思うことを思い切ったという程度の表現はあるが︑これが世俗にいう義絶︑

勘当という程の深いものであったかどうかは問題である︒また︑

く無かったと断言する釈極的な意図も現在の私は持っていない︒これに類したような事情はやはり存在したであろう︒

しかしながら︑これを第一級の正確な史料として使用することは︑私のテキストクリティークによって︑やや問題を 残しているということを理解していたゞければよいのである︒そして︑この消息だけに存在している文言を以て論議 を進める場合には︑特に慎重な配慮を必要とすると考える︒この提案を縁として︑更に慈信房義絶についての研究が 一層深められることを念願して︑真宗連合学会の研究発表の要旨をとりまとめた次第である︒諸賢の御教示を願って

筆を置く︒

れなかった文書であったからではあるまいか︒

﹁慈信房義絶状﹂にふくまれているような事件が全

(26)

行巻の大行とは何かという問題は︑古来行信論として︑真宗学の問題としては最も重要なものであり︑本願寺派で は行信半学といわれてより︑宗学の半分以上は行信問題にあることを意味し︑多くの学轍に分かれたのも︑その中心 になるものは行信論の相違によるのであることからも︑此の行信論は如何に重要なものであるかが了解出来るであろ う︒しかも︑行信論と申してもその中心は大行の問題であり︑行巻の大行とは第十七願の諸佛の称名であり︑私にと っては所聞位にある名号であるか︑衆生の称名であるかが論詳の中心となっておるのである︒

此の問題は︑何によって救われるのかという大行の問題と︑

教としては最も大切な︑根本的な問題である︒特に大行に関するものは︑行巻には︑大行を示すに諸佛の称名と第十七 願で示されながらその本文に入って﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と衆生の称名とされてある

eその

外にも名号の立場で示された所と︑称名の立場で示された所とが︑

名かという疑問を生じ︑

しかも︑それは救済の根本的な問題であるため︑古来の学匠は心血をそそいで研究し︑正し

行 巻 の 称 名 に 就 い て

行巻の称名に就いて

しばしば出ておるので︑行巻の大行とは名号か称 いかにして救われて行くかの大信の問題であるから宗

0

(27)

行巻

の称

名に

就い

ないと一往はいってよいのではないか︒ と名く﹂等とある点から見ても︑行巻の大行は第十七願にあることは極めて明瞭なことであり︑その点は動かすこと

此の意味からいえば︑行巻は諸佛称名の巻であり︑衆生にとっては所聞の巻であり︑所信の巻であると説く先哲の

説は十分首肯出来るのである︒従って次の信巻に示された信心の対象を示されたものと見るべきであろう︒しかも︑

第十七願を中心として示されておるかきりにおいては︑その所信となるものは諸佛の称名であって︑衆生の称名では

此のことは極めて明瞭なことのようではあるが︑その所信が衆生の称名であると所謂能行立信を主張する学者も多

くあったのではあるが︑行巻の出願等から見れば第十七願の諸佛の称名と見るべきであろう︒若し衆生の称名が所信

となるものであるなら︑第十八の念佛往生の願が出さるべきではないか︒

また︑大行を所信の名号と見る説の有力な根拠とされるものの一に︑行巻の六字釈が古来注意されておる︒行巻の の出来ないものだといってよいのではないだろうか︒ 行︑選択本願之行︵脚註︶の文から見ても︑また﹁然るに斯の行は大悲の願より出たり︑即ち是れを諸佛称揚の願 い宗祖の意志を理解しようと努力し︑その主張を力説したために︑深刻な論評を展開するに至ったのである︒

今の私の主張は︑古来の此の重要な論辞の解決の方法の一として︑行巻に示された称名の内容について︑先哲の意

志によって研鑽し︑その決定によって大行論の解決の一の方向を与えたいという念願からである︒

行巻の取扱いについては古来種々の方法があって︑そこに学説の相違も生ずるのではあるが︑何んというても第十

七願の諸佛の称名が中心であり︑第十七願の巻であるといってよいのではないか︒標挙の諸佛称名之願︒浄土真実之

(28)

此の六字釈は真宗敦学の特異性を端的に示すものであって︑特に帰命の解釈には古来種々の異説があったにしても︑

いづれも衆生が佛に帰命することであり︑宗祖にも銘文をはじめ他の聖教には衆生の帰命であると釈されてあるのに︑

今は本願招喚の勅命とされたのは衆生往生の全体が名号の独用によるものであることを示さんとされた試みと理解す

べきであろう︒

以上極めて簡単ではあるが行巻の全体的な立場から見れば︑第十七願の諸佛の称名が大行であるということが許さ

れるのではないだろうか︒勿論︑称名大行を主張する人々にとっては︑

来ないかも知れないが︑

しか

し︑

それは今の主なる論証ではないから簡単に結論だけを出したにすぎないのである︒

行巻を第十七願の諸佛の称名︑所聞所信の名号だとすれは︑行巻に極めて明瞭に大行とは衆生の称名であると示し

たもうものをいかに理解すべきであるか︒それは法体大行説を説く学匠の苦心する所であるが︑今もその解決法の一 て︑行巻はそれを示すものであると主張するのである 六

字釈

は︑

七祖引用の途中︑即ち龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導と順次に引用して︑善導の引文が終って︑次に支那

の諸師の文を引用される中間にほどこされた御自釈である︒しかも︑此の六字釈は極めて特色のあるものであって︑

六字の一一一義を共に佛辺で解釈されてある︒即ち︑帰命の字訓によって﹁帰命とは本願招喚の勅命なり﹂と示し︑発願

廻向をば﹁発願廻向と言うは︑如来已に発願して衆生の行を廻施したまうの心なり﹂と︒

択本願是れなり﹂と示したまうQ此れは六字全体が如来の所に成就することを示し︑その佛辺成就の六字によって必

得往生であると決定されるものである︒此れは明白に佛辺成就の名号が衆生往生の行体であることを示すものであっ 行巻の称名に就いて

そのような簡単なことでは納得することは出 ﹁即是其行と言うは即ち選

(29)

は大行を衆生の称名の上に談ぜられたのか︒その点が十分考察されなければならないのである︒ る

場合

行巻の称名に就いて

二の問題が考えられるようである 大行を衆生の称名とする最も大切な文は︑行巻初めの﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と示された文である︒称名大行を主張する人々は︑此の文こそ宗祖自身が大行を指示し︑決定された文であるから︑他に如何なる文があっても︑此の文だけは動かすことの出来ないものであり︑大行を決定づけるものであるというのである︒此れは確かに正当な論理であるというべきであろう︒その外︑称名破満の文︑行一念釈の文︑念佛諸善比校対論の文など

更にまた重要な問題は相承の問題である︒即ち︑道綽禅師以来︑浄土教の相承に於いては念佛往生︑

佛とは称名の義に取られ︑称名往生と主張されて来たものであり︑

とは否定することが出来ない︒また︑宗祖晩年の御撰述にも常に念佛往生の主張が示されてある︒

かくの如く︑相承の意味から見ても︑行巻の文からも︑更に他の撰述から見ても称名大行の主張には十分な論理性

と論拠とを是認せなければならないものが存在するのである︒そこに古来の行信論解決の困難さと︑学匠によって論

諄された所以もあるのである︒

全体の意味などから見て︑ しかも︑それ等の理由を承認しながらも︑前述の如く︑標挙︑出願︑信巻との関係︑

やはり法体大行論を主張せなければならないものもあるのであるがその法体大行を主張す

一には称名大行の如く見る文をいかに理解すへきか︒一一には何故に宗祖 によれば大行は衆生の称名であると見るべきである︒ に立っての論攻であることも許されたいのである として︑行巻の称名に関して論究しようとするものである︒従って今は一往行巻の大行は法体大行であるという立場

しかもその念

それが善導法然の教学の中心を形成しておったこ

(30)

では諸佛の称名たるべきものを衆生の称名として﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と示された意味を いかに理解すべきかS

法体大行を主張する人の最も苦心する所ではあるがそこには能所不二の論理を用いて法体大行 なることを論証せんとするものである︒即ち称即名︑称名即名号の論理を用い︑称名のまま名号に即するのであると

その称名即名号の論理に二のいい方が用いらられており︑

しておるから称名のまま名号であるという主張であり︑即ち称名を大行というのはその所称の名号の全徳を具するか

らであるというのである︒第一一には衆生の称名がそのまま諸佛の称名と同位になるという説である︒此の第一説は広

く用いられており︑現在多く用いられておる学説は此の立場をとっておるようであり︑それは理解し易き説であるとい

うことが出来よう︒

説は第二の説で︑自己の称名のまま︑諸佛の称名と同位になるという思想に非常に深い学問的興味をもつものである︒

此れは或る意味では︑行巻の大行を衆生の称名を以て示された祖意をうかがう鍵となるように思われるのである︒

衆生の称名は︑行巻の場合には如来の称名と同位になるという思想は空華学轍では早くから主張されたものではあ

るか︑その内容に関しては十分な説明がほどこされていなかったようである︒文類緊紗聞書にも所行を示すべき行巻 いう論理である︒

しかも此の説はあまり説明せなくても理解出来ることと思う︒しかし︑私が今主張しようとする

は次の結論に大きな影響を与えるものではあるが

一は能称の称名はそのまま所称の名号の全体の功徳を具 一往諸佛の称名は略讃の称名と見ることにしたいのである︒

行巻の大行を法体大行と見る場合︑先づ問題になるのは︑第十七願名として示された諸佛称名之願の称名の意味で ある︒六要紗には﹁称名と言うは此れ称念に非ず︑今は彼の名号を称揚するなり﹂と示されてある文によって此の称 名は称揚の義で広讃の意味だとする義はあるが︑此れは古来の学者が注意しておるように外に称揚と吝睦の願名が挙 げられており︑更に大行釈には衆生の称名と示された点から見て略讃の称名と見るへきではないだろうか︒そのこと

行巻の称名に就いて

ニ四

(31)

行巻の称名に就いて

に能行称名を示された五義の中︑第二の諸佛同等を顕わさんが為の故にの下でも︑念佛者は末灯紗の文等によって諸

佛等同の義があるから諸佛の称名を示すべき所に衆生の称名が示されてあると説れてある︒

︵雲山和上の語︶の衆生の称名は所聞位にまきあがり︑忠作

(9

・︶の称名のようなものだという説とは少し意味を異

称名即名号に関しての説として私の注意する所は︑衆生の称名が諸佛の称名と同位になり︑所聞位にまき上がると

いういい方の理解のし方である︒その点で注意すべきは雲山和上から聞いた善海師の説明である︒雲山和上の説明に

よると︑善海師に称即名のいい方のうちで所聞位にまき上がるとはどう意味ですかと聞いた時︑善海師は︑それは仲

仲いいあらわしにくいので︑忠作の称名のようなものでしようと答えられたということである︒その忠作の称名とい

うことがまた問題にはなるのだが︑能称のまま所聞位にまき上がるという思想は十分理解出来るのである︒

能称のまま所聞位にまき上がるから称即名であるという説は︑衆生の称名がそのまま諸佛の称名と同位になるとい

う思想であるが︑その場合の称名は単に衆生が称えておる辺ではなく︑自分の口から出て下さる南無阿弥陀佛を自分

で聴聞することてある︒諸佛の称名は私

[ 1とっては常に所聞の立場であって︑大経の第十七願成就と第十八願成就と

の関係の如くである︐此の両成就の関係は︑今更ら説くまでのことのないもので︑第十七願成就で十方個沙の諸佛如

来が皆ともに︑無量寿佛の威神功徳不可思議を讃嘆したまうのを︑第十八願成就では︑その諸佛の讃嘆したまう名号

を聞いて信心歓喜して往生を得ると示されてあるものである︒勿論︑第十七願成就文の当分は十方諸佛の広讃嘆では

あるが︑その諸佛讃嘆の名号を聞いて行者は信心歓喜するのである︒今の行巻では諸佛の称名︵一往略讃と見る︶を

衆生が聞いて信心するのであるから︑行巻の諸佛の称名は所聞であり所信であり︑信巻の信心は能聞であり能信であ

るということが出来よう︒その諸佛の称名を説くべき行巻に衆生の称名を説いてあるのは︑自己の称名がそのまま如 にするものがある︒

此れでは善海師の主張

(32)

かくの如く行巻の称名を衆生の称名のま市諸佛の称名︑所聞の名号位て理解する時は﹁大行とは則ち無碍光如来の

名を称するなり﹂との教示と︑諸佛の称名を示されるものとの間にいささかの矛盾もなくなるのである︒ べきではないか

歌にした針水の﹁我れ称え我れ聞くなれど此れはこれ

つれて行くぞの弥陀の呼び声﹂にも明瞭にあらわれておるも

来の称名と同位になり︑自己の称名がそのまま称えものてはなく聞きものとまき上がっておると見るのが此の説の主 張である︒従って此の説では︑行巻での私の称名は称名でありながら称える辺ではなく︑私の口業に発露する名号を 此の説はあまり広く説かれていないように思われるのと︑此の思想は行巻の称名の解釈だけてはなく︑親鸞教学の

理解にも特異な立場を与えるもののように思われるC

即ち︑念佛は称名のまま所聞位になるという思想はただに行巻 の称名の問題の解決はかりでなく︑親鸞聖人の念佛往生の真意か明かになり︑晩年に盛んに主張された念佛往生の義も︑

善導法然の主張されたものとは思想内容から見て大きな展開があったことを知ることが出来るのではないだろうか︒

称名しながら自己の称名を聴聞するという思想は真宗教学を示すのに極めて意義深いものがあるのではないか

e

の具体的なものは大巌の﹁喜びに堪えたり吾れ称え吾れ聞くと雖も︑此れは是れ大悲招喚の声﹂という詩︑此れを短 のであって︑諸佛の称名を聞いて﹁あの名号で往生﹂と信ずるのと︑自分の口から出て下さる名号を聞いて﹁この名

号で往生﹂と喜ふのとでは全く同じことではないかC

行巻に諸佛の称名と示しなから衆生の称名を示すのは︑衆生の

称名も称えながら聞きものとなる諸佛の称名と同位なる立場ての教示であると見るのが最も穏当な理解であると見る 聴聞するという立場であると説くものである 1行巻の称名に就いて

一 六

(33)

行巻の称名に就いて

廻向説が主張されたのであろう て法が具現することを示されるものである 名と示しながら

1一 七

﹁親鸞は弟子一人ももたずさふらふ﹂とか﹁念佛

此の諸佛の称名を特に衆生の称名の上で談じたまうた祖意には︑幾つかの意図があったように思われる︒その第一 に考えられることは︑善導法然によって主張された念佛往生の真意は称即名と︑称名が称えられておるまま所聞位に まき上がっておる所にあるのであ↓て︑称名そのもので往生を談ずるのではなく︑称名となって顕現しておる名号の 所に往生の因となるものが存在すると主伽しようとされたものではないか︒その真意を発揮せんがために︑諸佛の称

一面ては衆生の称名で表現されたものと見るへきではないだろうか

C

第二に考えられることは︑名号とは単に概念的な存在ではなく︑常に称名となって衆生の口業に現れるものである ことを示さんとされたものでないか︒聞其名号とは何にも諸佛の称名を聞くだけではなく︑私の口業に顕れて下さる 名号を聞くことであり︑名号は諸佛の称名となって具現するだけではなく︑私の口業の上に具体的に現れることを明 かさんがためであると見るべきではないか︒親鸞聖人の思想には︑自分を通して如来の意志が顕われ︑自分の口業を とおして名号が具現するという考え方が強く流れておるのてある︒

は行者のためには非行非善なり﹂と示されるものは︑弟子を育てることも︑念佛の大行大善も自己を通じて具現する 大悲の法︑名号の法にあるものであって︑自己にとっては何等の意味もないことを示されるものであり︑自己を通じ 弦に他力廻向の真意があらわれるともいうことが出来るのではないでしようか︒信心を如来廻向の信心と称せられ

るのも︑信じておりながら︑

その信心は全く如来廻向の名号の具現であるという思想に立ちたまうたから信心の如来

参照

関連したドキュメント

親鸞咆人腐頭 正像末法和讃(国宝) 翡田屈専修寺絨...

信に於ける願の問題 生の上にその真姿を顕わすことはないであろう︒ では真宗学の近代的在り方とは如何!

勿論, Kohler 氏も指摘する如く,パーリ・ニカーヤでは,布施をする喜び としての saddha (信)の用例は少な<,三宝を信ずるという信頼の意味での saddha の用例が多い。 ⑬ .

我が国においてこの精神療法に当るものとしては森田正馬によって提唱され

かくて後世の行信論は主としてこの覚存二師の行信思想に根拠をおいて、これを継承発展したものと考えられる。

信(品 raddha/

人生には科学や理性で割りきれな円不可知なものがあり、その点 4 宗教の必要性はわかるが、実際に自分がそう B5 した場面に直面しないと

に親驚が﹁覚禅紗﹄所載の文に接したとするのはどうも問題があるのではないかと思われるが、これとはまったく