宗 心 ブ
慎宗連合學會研究紀要
—第五輯――
昭 禾n35年 10m
虞 索 道 合 學 會
異
不 心
研 究
真 宗
連 第
五
合 輯
学
ノ云
越前特に坂井郡における寺院の成立事怖に就いて 数行儒證研究序説
ー 構 造 の 問 題
I 行者宿報四旬の告命に就いて:…••………••小
親鸞聖人の浬槃経観……·:;………••…………土
初期の越前餌宗教圏:••………;
. . . . .
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: 藤
の賓賤論
ーー弘願助正説の意味するものー—
真
宗
研 究 第 五 輯 目
次
橋 秀
・ ・ : ;
: ・
・ ・
・ 佐
々 木
村串
歎異紗解讀の一
1
一
の 問
題 :
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⁝ ⁝ 瓜 生 津
智
隆
溶
︵
ヽ
^
ヽ雄(
︱‑
︶
︵ニ
︱‑
︶
夫︵ユ
0 )
高︵さ︱‑︶
︵一︶
学
会
疑蓋とその意味:••………••………•••ニ 観経下三品の
八公 開 講 演
>
念佛者の分位:·:··………••…………名
→1
••..•.•...•...•...
*
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
i
其宗の阿禰陀仏誤 和 ら げ
八 特 別 講 演
>
に 就
い て
: ・
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木
.•...•..•.•••.•...•...••..••...
4f
(1 00 )
明(
‑天
︶
. . . . . . . .
禽
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
疇
. . . . . . .
‑fP‑
女 一
桑 淳 誠
︵
畑 応 順
︵
辺 孝
村 龍
︵九
0 )
有する意味について︑考えてみたいと思う︒
浄 土 真
ー
宗
弘 願 助 正 説 の 意 味 す る も の ー
ここに謂ゆる実践論とは涅槃への道としての実践論ではなく︑信心獲得の上からの報恩行としての実践論である︒
しかるに浄土真宗における報恩行は︑単に宗教的実践︵道場内の行儀︶に限らるべきでなく︑広く道徳的実践・社会
的実践にまで拡充せらるべきであるが︑あらゆる報恩行の原型としての意義を持つものは︑何と云っても︑宗教的実
践である︒宗教的実践は︑真宗伝統の上に整備せる規定がなされていて︑天親によって創設され︑曇鸞によって進展
された五念門と︑善導によって創唱され︑法然によって拡充された五正行とがある︒この信後の宗教的実践を︑
門に
よる
か︑
直念
五正行によるかによって︑道術的実践その他に相当の影響を及ぼすことになるのであるから︑実践論の
立場における五念・五正の研究は重大である︒本稿は宗教的実践を五正行とする石泉僧叡の弘願助正説を述べ︑
浄土真宗の実践論
序
説
の 実 践 論
普 賢
大
闘
その
が如
く︑
その中間の全部を依用せるものと見る時は
の
にあることになるから
﹃論
﹄ さて親鸞聖人はこの衆生信後の行業たる
﹃論註﹄を引用する中︑﹃論﹄の第二文たる二利成就及び﹃註﹄の第二文たる偶の一二念門の釈︑更に﹃註﹄の
下巻の往相遠相の文を依用せるより見れば︑親鸞は﹃行巻﹄に五念門を説けるものであって︑衆生信後の行業は五念
の如くである︒然しまた﹃行巻﹄︵三十七丁︶に﹃選択集﹄の標挙と三選の文とを引証せるものは︑石泉や慧雲のいう 見ていのであろうかQ
( +
1一
丁︶
に
って
︑
の
この
ついて廃立・助正・の法相を設け︑この中︑助正について・異類の助業を説いている︒同類の助 凡夫相応の行業となしていることに止めておこう︒
この
中︑
つぎに五正行は﹃散善義﹄に出ているが︑これに正定業と助業とが分別され︑第四の称名をもって正定業となし︑
前三後一の四行をもって助業とされている︒これ全く凡夫相応の行法である︒法然上人の﹃選択集﹄には一一行章にお
いて︑この﹃散善義﹂の五正行の文を引用し︑更に私釈を設けて詳朋している︒而して竺菫章において︑
の
て
でな
いか
ら︑
こ
Vヽ
心
先ず五念門とは﹃浄土論﹄に明すところであって
報 恩 行 の 規 定
•乍
'
である ﹃論註﹄にはこれを広釈している︒この五念門については︑
みの行法とするものと︑凡夫相応の行業とするものとがある︒この問題は︑大い
た
・作願の順
﹃大
経﹄
の
恩行は五念に限るとする︒ ころを明らかにしてみようと思う︒ 信後の行業は五正行の如くでもある︒更にまた﹃化巻﹄︵十二丁︶に﹃散善義﹄の五正行の文を引用するより見れば︑互正行は仮の行業であって︑弘願の行業にあらざるが如くであり︑うれば︑助正は弘願に属すべきが如くでもある︒この外に﹃二巻紗﹄には五正行を分類解釈し︑門をもって法蔵所修の五念としている︒かくの如く親鸞には︑五念五正の扱いが頗る錯雑せるものがあるから︑古来
助正論の研究を生じ︑弘願助正説を立てるあり︑方便助正説を設けるあり︑従って信後の報恩行についても︑
をもって︑これに当てんとするものあり︑五正行をもって︑これに配せんとするものがあって︑ 五念門
その説は一概するこ
真宗諸学派の中︑大濠を派祖とし︑道振・道命等によって継承された防園学派等は︑信後の報恩行は五念門による
べしと説き︑石泉を鼻祖とし︑慧海・義山等によって受けつがれた石泉学派は五正行によるべしと説いている︒本論
は︑この中︑石泉一派によって主張せられる弘願助正説について︑大藻等の学説と比較対照しつつ︑その意味すると
一伯
園学
派の
﹃助
正箋
﹄
報 恩 行 の 範 囲
︵真全三六二頁︶によると︑報恩行は五念門に限り︑余他の善行に通ぜしめない︒凡そ真宗の
正意は︑安心行儀ともに廃立を先とする︒行儀の廃立とは余佛に係属し︑余乗余土に共通するものを廃する︒されば
真宗の報恩の行儀においては弥陀に対するもののみを取り︑更に余佛余土に通ずる諸善は報恩の行儀に摂属すべきで
はない︒而して︑弥陀一佛のみに対して︑更に余佛余士に通ぜざる行と云えば五念であるから︑真宗においては︑報
浄土真宗の実践論 とは出来ない︒
﹃一
一門
偽﹄
には
五念
﹃信巻﹄(+丁︶に正助二業の文を引用するより考
げないが
﹃和
語灯
﹄
心相によって要門行ともなれば︑弘願行ともなると思う︒ 浄土真宗の実践論
しかし︑この報恩行を単に五念に限るというは︑あまりにも偏狭な考え方である︒若し五念以外の善行は報恩行に
あらずと云えば︑歴代の善知識を始め︑一般行者が堂宇を建立し︑像を造りて安置し︑燃燈焼香するが如きは報恩行
ではないであらうか︒真宗は廃立に立脚すると云えばとて︑
心をもって修せられる善行ならば勿論廃せねばならないが︑他力報恩の心よりする善行は報恩行として弘願に属すべ
きである︒戒に大小なけれども︑受者の心期によって大小の差別を生ずる如く︑
︵五ノニ七丁︶の次の一文をあぐれば充分である︒ たとい非本願の行といえども能修の
これに反し︑石泉の弘願助正説は︑報恩行の範囲を棋出世の一切の善行に通ぜしめる︒凡そ﹃選択集﹄三輩章には
助業に同類のそれと異類のそれとを設ける︒非本願の行という点より云えば異類のみでなく同類も亦然りである︒同
類・異類ともに非本願の行であるが︑弘願の他力心より修する時は︑何れも弘願の行儀となる︒殊に異類の助業は︑
その行体より云えば︑雑行であるが︑自力心を離れ全く他力心より修するが故に︑弘願の報恩行に摂して助業と名づ
けたのである︒而してこの同類の助業とは道場内の行儀の制規であり︑異類の助業とは道場の内外に通ずる行業であ
る︒されば助業とは報恩の思いよりする道場の内外の一切の行儀︑換言すれば世出世の一切の善行を摂尽するものと
云わねばならない︒従って宗祖や中興蓮如が消息の巾に︑諸宗諸法を誹謗し︑諸佛菩薩神祗冥道を蔑視し︑非理の行
為を誡め︑王法公事を重んじ︑忠孝仁義を謹めと教えるが如き︑皆この助業の中に摂せられる︒今その一々の文をあ
現世の過ぐべき様は念佛の申されん様に過ぐべし︒念佛の妨に成りぬべくば何なりとも厭い捨て是を止むべし︒
云<聖りにて申されずば妻を儲けて申すべし︑妻を儲けて申されずば聖りで申すべし︑住所にて申されずば流行
にて申すべし︑流行して申されずば家にて申すべし︑自力の衣食にて申されずば他人に助けられて申すべし︑他 一切の善行を報恩行にあらずと廃すべきではない︒自力
四
人に助けられて申されずば自力の衣食にて申すべし︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑れずば一人籠居して申すべし︒衣食住の三つは念佛の助業なり︒
五
には助正に真あり仮ありとなし 一人にて申されずば同朋にて共に申すべし︑
によれば︑如 共行して申さ
されば信後の行儀は五正行による時は︑称名を正業となし︑世出世の一切の善根を助業となし︑もって報恩生活をい
花園学派のひとびとは︑五念門をもって報恩行とするが︑この五念門について︑聖者の行法とするものと︑凡夫相
応の行業とするものとの二つの見方の存することは︑すでに上に述べた通りである︒この中︑聖者の行法とするもの
は︑止観中心の行業であることは︑周知の通りであるから︑今ここに述べる必要はあるまい︒これに対し︑
もって凡夫相応の行業とするとは︑作願を一心願生の相続たる作得生想とし︑観察を信後味道の散心の観想とし︑廻
向を一心所具の度衆生心とするものである︒大流の一派はこの凡夫相応の五念門をもって報恩行とするのであるが︑
この場合︑信後の行業には助正の分別を見ない︒何となれば︑道命の﹃助正箋﹄
来は五念二利の行を法体において成就し︑これを衆生に廻施し︑衆生は聞信のところに五念二利の功癒を成満する︒
この信処に成満する功苺が︑衆生の三業に相発するものが報恩の五念門行である︒この五念は当体全く佛行にして︑
五行ともに真法なるが故にその間に真仮勝劣の別なく︑同じく一心所流の報恩行である︒従って︑信後の報恩行には
更に助正の別の見るべきなく︑若し助正ある時は︑それは生因門上における往因助成の義となし︑これをもって仮を
帯びたる方便の行業とするのである︒
五正行をもって報恩行とする石泉は︑その著﹃助正釈問﹄
浄土真宗の実践論
四 称 名 巾 心 の 報 恩 行
そしむことが出来るのである︒
︵真 全五
0ノ三二四頁︶
︵真 全五
0
ノ 一
1一
五一
頁︶
五念門を
なら
ない
︒ る
。
ヵ ヽ ヵ >
五 報 恩 行 の 意 義
の徳があるからだと云われてい
の
これ
切の世出世の善根を称名によって称名中心 の行儀はいよいよその遂行しうるのであるから︑行儀門においては助正がなければならないことにな
の中
︑
の称名は本願の行なるが故に︑ 四0
一頁
︶
るところによると︑
の で
のは
︑
石泉の 仮の助正とは助正をもって往生の業因と執ずるものであって︑これは要門真門に属し︑真宗の取るところではない︒真の助正とは弘願報恩の上において論ずるものであって︑これこそ真宗の助正である︒石泉は廃立安心・助正行儀を
談じ︑助正を起行門︑若しくは行儀門の上に於ける報恩行としてその位置を規定するものである︒されば石泉におい
ては︑助正は往因助成の意にあらずして︑信後の報恩行の修相助成とするものと云わねばならない︒
きものである
そして称名が報恩行となる理由については︑古来より上讃佛徳・
︵六
ノ一
この称名はまた他の所聞となって
を能<弘通する︒故に第四の称名の能弘の辺についてこれを正業となし︑前三後一はこれが扶助をなして︑益々佛法
弘通を盛んならしむるが故に︑これを助業とする︒君威は乗輿百官これに随従することによって︑益々その光輝を増
すが如く︑正業は諸行が念佛を扶助することによって︑愈々佛法を紹隆する︒正業に助業が従うことによって︑報恩
さてしからば︑助正の方式をもって︑信後の報恩行としての実践を説くことには︑いかなる意味があるのであろう
か︒思うに報恩行の意義が︑もっとも完全に︑且つ明確に示されているものは︑何と云っても正業たる称名である︒
⇔ .Iヽ
︵真 全五
0ノ
することが出来るのである︒ これをすなはち名づけてぞ 染香人のその身には香気あるが如くなり
七
と云い はまことに︑もっともなる解明と云わねばならない︒上讃佛癒とは称名が佛癒讃膜をすることになるという意味で︑このことは︑称名が讃嘆門中の略讃であるに徴しても︑無理なく理解せられる︒感極まって言語を絶し︑ただその名を呼ぶことが︑讃嘆の究極であることは︑常にわれわれの経験するところである︒親鸞聖人が﹃尊号真像銘文﹄にというている通りである︒下化衆生とは現生十益中に説かれる常行大悲に相当するのであって︑これは佛名を称することが︑佛の大悲を十方に伝えることになるという意味である︒真実に佛恩を感戴し︑称名もろともの生活をする人の行為を見聞するとき︑自から他のひとびとをして佛の大悲に目ざめしむることになることは︑疑うことは出来ぬ︒
弥陀廻向の御名なれば
と歌うていられるのは︑この風光であると考えられる︒而して佛癒讃嘆と常行大悲とは︑相即の関係にあるものであ
って︑佛癒を讚嘆することによって︑大悲を行ずることが出来るのであり︑大悲を行ずることによって︑佛徳を讃嘆
かくて報恩行としての称名には︑佛癒讃嘆と常行大悲との二つの意味があるが︑この称名が中心となって︑信後の
浄土真宗の実践論 功徳は十方にみちたまふ 無衛無愧のこの身にてまことのこころはなけれども
香光荘厳とまふすなる 聖人が﹃和讃﹄に は︑ほめたてまつることになるなり︒ 称佛六字といふは︑南無阿弥陀佛の六字をとなえるなり︑即嘆佛といふは︑すなはち南無阿弥陀佛をとなふる
ない
︒
真宗における信後の行業のかかる特別の性格を示すものと云い得るであろ は人間に於ける理性は有即無である︒従って
六
浄土真宗の実践論
報恩行為一切を統摂して行くものとするのが︑弘願助王説の主張である︒換言すれば︑報恩行としての称名のもっと
ころの二つの意味によって︑念佛者の生活一切は意義づけられることになる︒即ち念佛者の生活に︑若し人の非難を
招くが如きことある場合は︑宛も暗夜に明玉を投ずるが如く︑念佛そのものに誹疑を受け︑佛法弘通に大害あること
になる︒これに反して︑世出世の助業をかつて行為をつつしみ︑生活をたしなむときは︑それが自から念佛を荘厳す
ることになり︑佛法弘通は期せずして成ることになる︒念佛者が世出世にわたり︑その生活をつつしむことは︑
恩行の意義は称名のもっところの佛徳讃膜と常行大悲につきているというべきである︒
自然法爾の行為
それ
がそのまま︑上は佛徳を讃嘆し︑下は衆生に大悲を伝えることになる︒されば助正を報恩行とすることは︑世出世の
善を称名もろともにいそしむことであって︑その目的は偏えに念佛一法を十方に流布し︑大悲伝化に励むにある︒報
道徳的実践は人間理性の力を認め︑それによって行為するものである︒しかるに真宗信仰の立場は︑人間は逆謗の
死骸であり︑智慧の目盲い行業の足なえたる曽無一善の凡夫であるから︑理性の力は全く認める余地はない︒そこで
取るも何れも御恩なり﹂
とあ
るの
は︑
﹁自
らな
すま
まが
︑
おのずからなさしめられている﹂と云わねばなら
﹃御一代聞書﹄に﹁万事に付てよきことを思い付るは御恩なり︑悪きことだに思い捨たるは御恩なり︑捨るも
う︒それでは大流及び石泉はこの問題について︑如何に考えているであろうか︒
今この問題を︑五念・直正の問題と関聯せしめて考えると︑若し大流の如く︑信後の報恩行として五念門をとる時
は︑名号相発説となり︑これ反し石泉の如く互正行をとる時は非相発説となる︒それは何故なりやというに︑凡そ衆
I
、
真宗報恩行の特殊性が︑
業行をすべて名号相発とするのであるから︑ よく示されていると思われる︒
そこには全く自力の計度をいれる余地はな ﹁自らなしつつ
九
なさしめられている﹂という︑ 生の身口意三業の中︑佛廻向の名号が相発せるものとして何人にも異論のないものは信心と称名とであって︑その他の行業については︑名号の相発せるものなりや否やは学者によって大いに異議がある︒何となれば名号は衆生の信心となり︑称名となるように︑法蔵菩薩によってすでに選択摂取されたものであるから︑信心と称名とが名号の相発なることは疑うべくもないが︑て五正行となし︑佛廻向法たる名号の相発せるものは︑正定業たる称名のみにして︑他の行業はすべて名号の相発にあらずとなし︑これに対し︑大濠は報恩行を五念門となし︑信後の行業はすべて名号の相発せるものであり︑三業行はすべて一心顕現のものとするのである︒古来︑前者を五念非相発説と呼び︑後者を五念相発説とよばれている︒
以上の相発・非相発説によると︑大藻の立場は報恩行のすべてを﹁みずからなしつつ︑なさしめられている﹂とい
う真宗独自の特殊性をよく示しているようであるが︑石泉の立場は称名以外の三業行を非相発とするのであるから︑
それが充分に顕されていないように見うけられる︒この点は︑石泉一派の学者は如何に考えていたのであろうか︒石
泉学派に属する義山の如きは︑この点につき︑
あたかも酒を飲めば歌い且つ舞うけれども︑この歌舞は酒に催されて行われるものであって︑酒そのものが出るので
はない︒五念行も亦然りであって︑名号そのものが相発するにあらずして︑信心に催されて行われるものであると説
明している︒されば石泉においても︑大藻と意味は異るけれども︑
さて大藻の相発説は︑
い︒これは同師が一二業帰命説を説破する立場より︑当然の結果として︑導き出された用意周到なる学説であるという
こと
が出
来る
︒
しかしながら︑不惜身命でなさねばならぬ報恩行を︑兎角︑名号の相発にさしまかせて︑報恩行の積
浄土真宗の実践論 その他の三業はこの問題に対して確固たる論理を欠くからである︒石泉は報恩行をもっ
五念は相発でないが︑信心に催されてなされるものと説明している︒
持っている課題に︑何等かの解答を与えたいと思うのが︑筆者の念願である︒
て
でいるこ
こと
こ
︑ .
ー
のを発展せしめて︑の
して
いないと
とが
出来
る︒
われわれ 相発説は報恩行の積極性を充分に発揮しているということが出来る︒て︑称名正因説に堕することを排すると共に︑その他の三業行については︑それを非相発とすることによって︑報恩行としての積極性を明らかに︑またそれを信心によって催されてなされるものとすることによって︑真宗報恩行とし 即ち称名をもって名号相発とすることによっ 浄土真宗の実践論 極性を見失うという欠点がなきにしもあらずと批評することは︑強ち無理でないであろうeこれに対すると石泉の非
゜
面の如くこころうる﹂とは︑
歎異紗解読の二問題 方に於ける宗義の指南であろう︒ 法則のままに心得るととであり﹁師伝口業﹂とは︑その句面の心得 師伝口業はあるべきなり 聖教は句面の如く心得べし︑その上にて 聖教の理解の上に心得べき要点は︑
と点が大切である︒ に蓮如上人が﹃御一代聞暑﹄に 解を謬る傾向がある︒そこでいまを取りあげて
︑ ︒
じ `
正しき理
歎異紗解読の一 二の問題
真宗学は組織神学の形式をもっところしての使命があると愚考している︒然しその使命を果す上に従来の宗
学を無視してはならぬと思う︒従来の宗学は大体に於て註釈学としてその大部分の使命が果されて来たと思う︒然し
近時︑親鸞聖人の思想を究明して行く上に︑従来の註釈学としての︑
と︑申された如く︑日﹁旬面の如く心得る﹂ということと口 の問題を考え
瓜
生
律
隆
雄
歎異紗解読のご一問題
一
︑ 句 面 と
句面の如く心得るということに就て︑私は真宗聖教︑特に宗祖の撰述及び列祖の撰述は漠和の聖教の全体が何れも
その時代の国語による和語の聖教と私は心得ているのである︒ただ漠語を多く用いられているか和語による延書であ
るかの相違あるのみである︒従って和語の聖教は言う迄もなく︑
撰述の時代に用いられた国語の約束の下に撰述せられてある︒従って宗祖及び列祖の撰述を心得る為には近古の国語
に対する基礎知識をもたねばならぬと思う︒国字聖教であるから誰にでも文意は知られると軽く扱って基礎的な国語
の知識を欠くときは思わざる誤読をする結果を将来すると思う︒
例えば真宗本願寺派の宗学史の上に於て三業帰命の異安心が唱えられて︑三業惑乱の名に於て当時の治安の上の法
律問題となって︑江戸に於て社寺奉行の裁きをうけたことはあまりにも有名な出来事である︒此の三業帰命の異安心
にしても︑その問題を集約して窺うと蓮師の御文章に於ける﹁たすけたまへとたのむ﹂の用語に対する理解の誤謬に
起因すると言える︒
一体﹁たすけたまへ﹂という用語は蓮如上人の当時に於ては一般に﹁どうぞお助け下さいませ﹂という請求を意味
する言葉としても用いられていたことは︑鎖西派の宗義の要諦を﹁心に助け給えと思うて口に南無阿弥陀佛と称うる
所謂﹁心存助給口称南無﹂の旗色のもとに︑宗義を顕彰し︑西山派に於ても﹁助け給へと思うて本願をたのむ﹂こと
をもって宗義としていたのである︒此の場合の﹁たすけ給へ﹂の用語法は請求を意味する言葉であった︒この他派に
用いられていた﹁助け給へ﹂の用語を転用して﹁助け給へ﹂とは﹁たすけまします﹂或は﹁御助け候へ﹂という意味
と転用して浄土真宗の安心の信相を示すものとして門徒に教化せられたのが蓮如上人である︒故に﹁たすけたまへと
口 伝
一般に漢字聖教と言われているものまで全て︑その
き息吹きを施して︑ が蓮師である︒此処に蓮如上人の転用の妙手があるのであって︑言いかえると﹁たすけたまへ﹂の一般用語に新らし
︑︑
︑
﹁たのむということは代々あ
そばしおかれ候へとも委く何とたのめということを知らざりき然れば前々住上人の御代に︵蓮如上人のこと︶御文を御
作り候て雑行をすてて後生たすけたまへと一心に弥陀をたのめと明らかに知らせられ候しかれば御再興の上人にてま
しますものなり﹂
﹃紗﹄の文面から見ると﹁他力の願行をひさしく身に 真宗安心を宣布せられた処に蓮如上人の中興の功績がある︒︵﹃聞書﹄一八八条︶と上人の勲功を讃えられてある︒
然るに此の﹁たすけ給へ﹂は本来請求の義なりとのみ心得えて蓮如上人の転用の妙手︑
りし所に三業帰命の異安心を主張するにいたったのである︒されば﹁たすけたまへ﹂の宗学的研究に於ても︑此の言
葉には
H
請求口命令曰許可の三義ありとして蓮師の宝章八十通の﹁たすけたまへ﹂は﹁許可の義﹂である︒義﹂にあらずと論証されて来たのが︑江戸時代以来の宗学である︒然しかかる宗学的研究が今日に於ても一般国語学
界に是認せらるるかということに就ては更に再吟味せらるべき問題があると思う︒
かかる例は蓮師の﹃安心決定紗﹄依用の態度の上にも窺われると思う︒
師はこれを依用し﹃聞害﹄二四九条には﹁四十余年の間御覧じ候へども御覧じあかぬ﹂と云ひ﹃同﹄二五
0
条 に は
﹁当流の義は安心決定紗の義いよいよ肝要なり﹂と述べ﹃帖外宝章﹄には﹁当流安心のおもむき安心決定紗よくよく
拝見すべし﹂と讃美せられてあるが︑更に﹃聞書﹄第九条には﹃紗﹄に﹁他力の願行をひさしく身にたもち乍らよし
なき自力の執心にほだされてむなしく流転の故郷にかえらんこと云々﹂
心得べき旨を﹃帖外宝章﹄第九十︱︱一条に指示せられてある︒
歎異紗解読のご一問題
とある文を﹁ききわけてえ信ぜぬもののこと
なり﹂と︑心得うべき旨を指示せられ︑又﹁正覚の一念﹂とある﹃紗﹄の言葉を﹁如来のおたすけを信ずる一念﹂と 一体﹃安心決定紗﹄は謎の聖教であるが蓮
︵註
一︶
﹁請
求の
故に
いわゆる師伝口業を心得ざ 弥陀をたのむ﹂ということは﹁たすけましませとたのむ﹂﹁御助け候へとたのむ﹂と同意語として︑依用せられたの
江戸時代の真宗宗学者の巾に於て此の点に深い関心を払うて﹃真宗聖教和語説﹄︵﹃真宗聖教の国語学的研究﹄︶を著わ
されたのは︑小浜の妙源寺の東条義門師である︒
が︑国語学に対する知識は皆無とも言うべき状態であったeそれは当時に於ては一般国語学がなかったからである︒ ことは出来ない た
もつ
云々
﹂
の句は﹁衆生は生れ乍らにしてすでに他力の願行を具有している存在である﹂という意味の表現とうけ
とられ︑生佛一如の理をあらわす言葉の様であり︑更にまた﹁正覚の一念﹂という言葉も﹁往生正覚同時倶時成就の
初一の念時﹂を意味する様である︒かくの如く﹃紗﹄を理解する場合には﹁当流安心の趣﹂を的示せられた聖教とい
うことは出来ないので︑このお言葉は︑前者は﹁聞きわけて信ぜぬ﹂分際を示すもの後者は﹁信一念﹂を示す文と心
得る時﹃紗﹄が初めて浄土真宗の他力安心の旨趣を示す聖教となる旨を指示せられたものであろう︒これ蓮師の指南
であり口業による師伝である︒此の師伝口業を省察せずして︑
の異安心となる︒されば蓮師も︑﹁十劫の昔に我等の往生をすでに成じ給ひしことをしりたりとも他力安心をかと決定
なくば往生は不定である﹂と誡められてある︒ ただ﹃紗﹄の句面の表面のみを心得る時には十劫安心
真宗聖教撰述の時代は国語史の時代区分に従うと近古の国語に属する︒近古とは院政時代から織田︑豊臣の時代に
いたる間である︒近古の国語は大体に於て文語体より口語体え転換する過渡期であって︑日本文法史の上に於ても中
古︵平安朝時代︶の国語文法が乱れて近代に遷って行く時代である︒平安朝時代即ち中古の国語の風から近代︵癒川
時代︶の国語に変遷する中間期に属する︒従って近古の国語に対する知識を欠く時は真宗聖教を旬面の如く理解する
二
︑ 真 宗 聖 教 と 国 語
歎異紗解読の一︱︱問題
しかし義門師以前に於ける宗学者の多くは漢文には堪能でおられた
一四
以上のことは江戸中期に於ては国語学は成立し の﹁しか﹂であって の﹁しか﹂でなくして喜撰法師の歌にある
︑ ︑
わが庵はみやこのたつみしかぞすむ
﹁然
り﹂
の 歎異紗解読のご一問題
であ
て
1J
ある
ウ
一五
よをうぢ山と人はいふなり あったのであるが漠文には堪能であられた
この和讃の﹁しか﹂は﹁係り﹂
於け
は当時の である︒然しその内容を見ると今日では問題にている︒鳳渾.・法謀等は何れも当時に という六冊の著述が著わされたほど 南無阿弥陀佛をとのうれば他化天の大魔王釈
迦 牟 尼 佛 の へ に て
︑
︑
︑
︑
まもらんとこそちかひしか
︑
︑
︑
﹁こそ﹂の係りと﹁し
宗学も同様であっそこでこれは
いう
の
この﹁しか﹂の問題をとり のであるC実はこれは間違いでも何でもないのである鳳渾は﹁こそ﹂の係りは
ことのみを心得て居って﹁こそ﹂に﹁しか﹂の結びのあることをしらなかったのである︒この無知は鳳渾のみでなく真
あげて論難して之が為に﹃仙字篇﹄﹃然字義﹄﹃然字義補欠﹄﹃胎糠篇﹄
かったので﹁こそ﹂の係りに﹁しか﹂の結びを存知せられなかった︒そこ 般常識の範囲を出な
一般知識を所有することの出来な と結ぶものであるという
の
の結び そのことは﹁係り結び﹂の問題に就い
いて問題をもち︑この係り結びいであると謗難の唇を聖人に与えた の鳳濯が︑親鶯聖人の現世利益和讃第十首を採りあげて
は﹂の問題を論じて見たい︒ い
と思
う︒ 歎異紗解読のご一問題
かった時代であることを物語るものである。ここに、義門師が聖教の語意をくわしく弁ぜん為には本居宜長•本居春
延等により当時勃興した国語学の知識の必要なることを力説せられたのである︒而して自ら此の道の啓拓者となられ
た︒義門師逝いて今日まですでに百二十余年をすぎたのであるが真宗学にたづさわるものが︑今日も尚義門師の学功
に深く耳を傾けようとしないことは深く反省すべきであろうと思う︒そこでいま﹃歎異紗﹄の解読に就て一︑一一の問
題を提起して真宗聖教の解読の上に問題のあることを述べて見たいと思う︒
三
︑ 歎 異 紗 を 題 材 と し て
聖教の理解の上に曰句面の如く
□
口伝の如くという両者が相備わることによって初めて真宗聖教の解読が充全するのであることは︑すでにのべた通りである︒然るに日句面の問題もロロ伝の問題に就いても︑両者に対する考慮が払
われていない為に親鸞聖人の思想信仰が誤つて紹介せられている一︑二の例を特に歎異紗に求めて明らかにして見た
︵この問題は真宗聖教全般に及ぶ問題であるが︑紙面と発表の時間の制約があるので﹃歎異紗﹄第一章︑第二章のみを
題材としたのである︶
︑︑
︑︑
︑
先づ第一に﹃歎異紗﹄第一章の結語の﹁しかれば︑本願を信ぜんには他の善も要にあらず⁝⁝﹂とある﹁信ぜんに
︑︑︑︑︑︑︑︑まず多屋頼俊師の﹃歎異紗新註﹄を幡とくとき︑この文を﹁それゆえ︑阿弥陀佛の本願を信じまするならば︑他の
如何なる﹁善﹂も必要でありませぬ⁝⁝﹂と意訳せられている︒また﹁倍ぜんには﹂の語釈に就いても﹁信ずるであ
ろうに於ては﹂﹁信ずるならば﹂と施こされている︒次に本願寺派﹃意訳聖教﹄には﹁弥陀の本願を信ずる以外には﹂
となってある︒この意訳は果して正しいのであろうか︒この事に就ては牲て私は疑問を持っていたので︑印度学佛教
一六
歎異紗解読の一閻題 とすれば第十章が総句前九章は別旬であると見るの
思う
︒
一七
機一縁の法話とすれば其処に 私はの師訓十章中︑前九章は全て たもの 蓮如上人が 仕方は本文を句面の如く心得た仕方ではないで此処に本文のいう結果が出て来るように思うも
に
の法を高く掲げられた一機 すべきで﹁信ずる
従って第一 たる文章と今の歎異紗第一
う︒従って従来此の第一 ろうかという疑問を提出しておいたのである︒︵註二︶夫に対し
﹁念佛者︵は︶無碍の一道なり⁝⁝罪悪も業報を感ずるこ と今日も尚確信して
﹁信じまするならば﹂或は﹁信ずるならば﹂信じたならばと意訳するこ
諸善も及ぶことな
﹁本願を信ぜんには他の善も要にあらず・:
. .
.
悪をもおそるべからず﹂と
縁の法語と頂戴することが本文に対する忠実な理解であろ
の総論的役割をするもの︑或は本典に於ける総序にも相当するものという評価の
の如く心得べし﹂と言われた意味は和語の聖教の和語を正しく理解することを意味せ
縁の法話集と心得ているのである︒もし十章全体に科段を施す についのたすけさ様に思う機
l<
たところに問題があるので
き﹂
に﹃歎異紗﹄ ることは聖教を改訂することになるので許さるべ
ない
︒
とが可能であれば︑こにもどしてえても意味を伝える上に支障がな いるのであるe何者
んに
は﹂
て今日まで反対的意見を聞いていないのであるがの上から私はかく見るの じは﹂という意味に理解すべ ﹁信じた時に以外には﹂と理解すべきでなく﹁信じ に於て︑国文法の上から︑こ﹁本願を信ぜん信には﹂
きで
んため
なる
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こま
﹂ 5_9~’
よう信には﹂
ヽAカ
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Vow 因に近時発行の英訳を見るとアメリカ佛教会の英成歎異紗には
゜
ニ つ を来し なかろうか︒かくの如く 思うに﹃歎異紗﹄の研究に一生の心血を限いで後世にその影響を与えたのは︑三河の了祥師の﹃歎異紗間記﹄であろう︒師が此の第一章の﹁本願を伯ぜんには﹂の問題を如何に説示せられているかを参考の為に幡くと﹁善もほしくない︑悪もおそろしくない唯念佛して暮す無疑無慮のすがた﹂を示すものと釈されてある︒此の釈は︑を信じた念佛者は善もほしくない悪もおそろしくない無碍道を歩む﹂ことを示す文と見られているのである︒この了祥師の見方が今日まで伝承されて意訳の上に於ても﹁信ずるならば﹂右の了祥師の説が権輿となって︑そのまま今日にいたるまで依用せられていることは︑国語学の研究が長足の進歩
国語に対する一般常識の水準が江戸時代と比較にならない今日に於ては潔く訂正せらるべきであろうと思
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⁝
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となって従来の意訳の誤りがそのまま英訳の形をとっている︒更に山本晃紹師の英訳本を見ると
となって嘗て私の提起したように英訳せられている︒此の両者の英訳本によって歎異紗第一章の理解が問題となって の背後に能請の相が初彿として理解せらるるのである︒
歎異紗解読のご一問題
ころ︑卿かこれを註︵しる︶す﹂とある歎異紗の師訓十章等であろう︒
﹁信ずる以外には﹂という意訳がなされたので 者という対機が予想せらるる︑能請に対する所答を編輯せられたのが﹁故親鸞聖人の御物語の趣︑耳の底に留まると
かくて師訓十章を眺むる時︑能請と所答との
全相が明らかに綴られているのは第二章と第九章のみであるが︑その他の八章に於ても仔細に点検する時所答の文章
一八
つまり﹁本願
る ︒
直後に
一九
従って﹃意訳﹄も﹃現代語 また地獄におつべき業にてやはんべ 日本原典に対して問題の解答を求められた時︑私共はその答案に対する答えを豫め用意しておくべきでなかろうか︒
次に第二の問題を第二章に就て考えて見たい︒第二章の上に閻題となるのは﹁念佛の信心﹂の内容を聖人が﹁親鸞
におきてはただ念佛して弥陀にたすけられまいらすべしとよき人のおほせをかぶりて信ずるほかに別の仔細なし﹂と
表明し乍ら︑﹁念佛はまことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん︑
らん︑総じてもて存知せざるなり﹂と串されてある矛盾せる言葉についてである︒此の矛盾を解く鍵は﹁総じてもて
存知せざるなり﹂とある言葉にある︒この言葉を多屋頼俊師は﹁全く知らないのであります﹂と意訳せられ梅原真隆
師は﹁そんな穿盤はすこしも必要がないのである﹂と現代語訳せられている︒
一体﹁総じてもて存知せざるなり﹂という用語は﹃歎異紗﹄には二箇処に出ている︒もう︱つは後述の文に出てい
る﹁善悪の二つ総じてもて存知せざるなり﹂である︒此の後述の文の多屋師の﹃意訳﹄を見ると﹁どちらも全く知り
ません﹂と訳し梅原師の﹃現代語訳﹄を見ると﹁二つながら本当のことはわからない愚かものである﹂と訳されてい
一体﹁総じてもて存知せざるなり﹂とは﹁総じて﹂とは﹁全く﹂とか﹁すべて﹂という意味であり﹁もて﹂とは意
味を強める﹁助字﹂であり﹁存知せざるなり﹂
歎異紗解説のご一問題
とは﹁知りません﹂という意味である︒
訳﹄も共に﹁全く知りません﹂という風に訳されている︒その訳し方は当を得たものである︒然し﹁念佛して助けら
るると信ずる﹂ということと﹁念佛が浄土の因か地獄の業か全く知りません﹂ということとは矛盾せる表現の如くで
ある︒そこで︑増谷博士も﹃道元・親鸞・日蓮﹄の上にも此の矛盾こそ着目すべき点であって親鸞聖人の﹁念佛の信
心﹂なるものはケルゴケールのいう﹁賭け事﹂の如き信心であり或は一一者選一の如き信仰であるという風に理解せら
れている︒林田茂雄氏も﹁念佛を信じられんと信じた﹂矛盾の統一の形式をもつ信心こそ聖人の﹁たくましい﹂信仰
此の点に関して き信でもない︒法を受領し此処
アメリカ佛教会発行では
こと
が出
来る
︒
の鮮明に於ける﹁師伝口業﹂の釈度が如何に大切であるかを知る ものというにある︒つまり如来によって選定せられた念佛をば機のよしあしの沙汰の局内で論ずべきものでない︒機
のする善悪の沙汰の限りでな従って機の沙汰に掛けて論定することはしない︒また念佛は我等の計度出来るとこ
ろでないという自信を適切に表明せられたものに外ならぬとするのである︒
蓋し聖人の信心は本願の信知の外ない︑本願の法の領納の信である︒従って賭け事の如き信でもなく二者選一の如 あるからその念佛を機の計いの上に降して地獄浄士の因と沙汰し論定すべきものでない旨を示された
の﹃
執持
紗﹄
然し此の言葉に表示せられた聖人の意故は果して以上の如きものであった
の生所わたくしの定むるところ
ねば
なら
ぬ︒
に就いて口訣を承けて︑その口伝の趣を﹃執持紗﹄﹃口伝紗﹄に載せている︒即ち
れたものであるとし
は﹁機のよしあしきに目をかけて往生の得不を定むべからず﹂という旨を明らかに
の指南に従うとき﹁総じてもて存知せざるなり﹂ということは如来の選択 のと釈されている︒此
こよ
f
>
とい
第四章の条下に 覚如上人は善悪 て
もっ
なり﹂の聖人の用語に就ての作者といわるる唯円房に親しく謁した本願寺派三代目の 義の理解には﹁師伝口業﹂を侯たねばならぬことのあるこ一章や後述の文にある﹁総じ
゜
ニ つ て存知せざるなり﹂とい
﹁総
て
という風に理解すれば 歎異紗解説のーニ問題
であると見ている︒然しかかる理解の仕方が第一一章の文章を正しく理解し
此処に前にも提示し 以上の如き考え方も出て来るであろ であろうか︒思うに﹁総しても 二0
( 1 )
I
do
no
t k
no
w a
nd
am
unconcered•
…•
と訳し︑山本師は
( 2 )
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ot
kn
ow
⁝
⁝
と訳し︑何れも直訳されている︒が了祥師は﹁一文不知の義なり⁝⁝等覚已下のはからわれぬ佛智の本願⁝⁝佛に比
べて我身を一文不知とするなり﹂と釈されてある︒つまり矛盾せる表現と見ず︑一文不知の愚鈍の身の唯信念佛の信
以上︑第一章と第二章の中から文意解読に就いて問題とすべき二の点を摘出して︑蓮師が﹁聖教は旬面の如く心得
べし︑そのうえにて師伝口業はあるべきなり﹂と示された指南と釈度とに照して再吟味すべきことを提起したのであ
るが︑真宗学が一面正しい親鸞聖人の意故を明らかにする学問である限り︑註釈学としての建築工作には国語学の基
礎知識が必要であり︑真宗聖教の全般に亙つて︑句面と口伝の問題を更に考慮し再吟味すべきでないかと思うのであ
る︒その考えの一端を歎異紗第一章︑第二章に於て述べたのである︒
註
一
二三
四
拙論﹃蓮如上人の研究﹄の﹁蓮如上人の用語について﹂を参照せられたい︒
﹃印度学佛教学第二巻﹄﹁歎異紗に於ける一疑門﹂の拙稿参照︒
此の考え方は了祥師﹃聞記﹄に出張している︒
﹁総じてもて存知せざるなり﹂の語を﹁沙汰するべき限りでない﹂と見るか﹁全く知らざる愚かものである﹂という意味に 見るかに就いては﹁口伝﹂の釈度を何れに求むるかによって左右を生ずるのであるが今は執持紗と口伝紗第四章に求めたの であ る︒ 歎異紗解読のご一問題
を示されたものとせられている︒図当な見方である︒︵註四︶
( 1 )
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( 2 )
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に
力っ
この行者四句
いて
も︑
カ身
トシ
テ︑
にせられなかったかも知れ ハ︑カリアレハマフシイタスニヲヨハス﹂云云とあって宗祖自身の事であるから︑恵信尼にも明白 原本親鸞夢記が存在すれば︑宗祖内室恵信尼は恐らく之を承知してい
︵第二疑問︶勿論宗祖の観音化身の夢想に就いて︑ の時の大子示現の事と宗祖の観音の化身の事のみを記して︑この行者四句の文の告命に就いて少しも触れていない︒
口伝抄中定=一に﹁鸞聖人ノ御本地ノ様ハ御ヌシニマフサンコト︑ワ あるが︑恵信尼消息には宗祖の吉水入室 そ
か︒
︵第
一疑
問︶
つ
の
る
つ
こにしているに反しは年時 伝絵の行者宿報の四句の文は既に古くより種々問題として論争せられて来たものであるが︑高田専修寺蔵の真佛害
写の経釈文聞書の中にこの四旬文の親鸞夢記のある事が紹介せられ︑伝絵の四句文を持つ彼記とは全く聞害にいう親
ま し
," >
が
き
行者宿報四旬の告命に就いて
行者宿報四句の告命に就いて小
串
侍
行者
宿報
四句
の告
命に
就い
て
の筆でないかと想像せられる︒ ない︒然し乍ら此の偶文が妻帯の根拠となる偽文とすれば︑恵信尼にとっても︑宗祖自身にしても重要なる偽文であるべきものであるから︑口伝抄流に簡単に片附けらるべきものでない︑等と云う問題が生ずる︒然るに最近高田専修
寺に宗祖真筆の行者宿報の四句の偏文が発見せられ︑又紹介せられることとなり︑
云う説は如何様に理解すべきであろうかと云
A 9 疑問が残るのである︒
尉行者宿報四句の偽文は﹁高田学報﹂四六号の写真版に依れば二行であり︑ かかる疑門も単なる疑閻に終る恰
好となったが︑然しながら真筆の低文があるにしても︑猶且つ理解し雖き点︑即ち︑宗祖の妻帯がこの偶文に基くと
よってこの四旬の文並に親鸞夢記を載せたる伝
絵の意趣に就いて愚見を陳べて見たいと思う︒但し私考は僅か二三の史料に基いてなされたものであるから︑誤謬も
又経釈文聞書の親鸞夢記のこの偶文
は昭和三十二年四月真佛上人七百回紀念として出されたる親鸞夢記云の写真版によれば四行に記されている︒叩釦偽
文に附せられたる片仮名文字は偽文の本文と墨色の浪淡が同一であるから︑同一人の筆であると考えられる︒之に対
して所謂聞書の夢記の偽文に附せられたる片仮名文字は濃き墨のものと︑淡き墨の文字とが見え︑殊に偶文左側に附
したる片仮名文字は本偶文の右側の淡墜の文字と同一のものと考えられ︑然もそれは音読の片仮名文字である︒この
音読の片仮名は偶文を音読する様になってから附せられたものであり︑紹介せられるところに依れば︑享保十四年に
この親鸞夢記が聞書から抜出されて別幅として表装せられ一般の拝観に供せられたと云うから︑この頃︵円猷上人時代︶ 一︑鱈鱈四句偏文と経釈文聞書
本
願 あるやも知れず︑切に高湖の教示を仰ぐ次第である︒
ノと一を継づけている︒ 築 築 と 明 に か く
能 ヒヒの横線が何れも上か
ら下におさえる
臨
品を明にする
成
\がおさえるか上にはねる 文がおさえもはねもしなヽ
¥v
宿オは一とイとが切離れる 者
行
行者宿報四句の告命に就いてオが一筆にて続く この鱈五偏文並に聞書親鸞夢記の偶文を坂東本御本書並に一念多念文意︵疇亨:
□
戸□
這刊︶に記されたる宗祖の筆跡筆法に対比すれば︑左の如き異同を見るのである︒
,
.
宗祖筆跡 東 本 御 本 書 一念多念文意 甲
︑ ,
̀ `
イのー線の終りがしっかりおさえる
土のI線が横線の下までのびている
, ノ
偶
宗祖 真筆
乙︵
文
イのー線がおさえずはねる
士のー線が横線下までのびない
品を取とする
ヒヒの横線が横から上にはねる
楽とあって筆跡に見えな
し
この宗祖の筆跡に就いてはその典拠する場所を一々明記すべきであるが︑煩雑をおそれてこれを略したeこの対照
︶
︶ 宗 祖 比較に当つて特に注意を引くのは築の文字である︒乙と丙即ち偽文並に聞害偽文が何れも楽と記すことで︑これ
︵
︵ 真 筆
は宗祖筆跡中には見えない連筆の文字であって︑宗祖にあっては明白に築とし︑極<略されたる文字で楽である︒猶又
生の文字も宗祖筆跡にてはノと一とを離すか︑さもなければ筆を真上より下してノと一を継づけている︵之は又法雲寺
入出二門偏等に多く見られる︒この二門偶そのものに就いては問題がある︶に対して叩
m
偏文は横領めから筆を運び
楽は乙に同じ ヒヒは甲に同じ 品は甲に同じ 文は甲に同じ オは甲に同じ 土のー線が甲と同じ イのI線は甲と同じ 、~丙
聞 害 偶 文
︵
ニ四
行者
宿報
四句
の告
命に
就い
て
シヌレハ9乗1一
弥陀 願力
観世音菩薩往生浄士本縁経言
で シ ア テ オ モ キ コ ク シ ャ ウ
若有
二重
業部
︱
ニィン土
E
管タネ 往生浄土本縁経の二文が次の如く
れて
いる
︒
いる
︒
であるとすれば︑写真
筆 法
︵ 認 謬 以
如︶を模倣して害直したるものでなかろうか︒これは勿論僅か一9 0
のであって︑単なる想像に過ぎない︒然し乍らこれは前述の如くこの夢記の偶文の片仮名の文字等も考案しての事で
ある
3 }
︶
以前宗祖を京都 聞杏を拝覧していないから殊に教示を仰ぎたいのである︒
二︑経釈文聞書と親鸞夢記
親鸞夢記を記せる経釈文聞吾は真佛の書写せるもの真佛が正涵二年三月八日︵繹立瓢︶入寂であるから︑その手許にあった記録を書写せるものにて︑順序次第もなく書写せるものであると云わ
然乍ら高田学報九号真佛上人研究に附録として載せられたる経釈文間替によれば︑親鸞夢記の後に観世音菩薩 葉の夢記は聞替から抜出したるもの
二五
それ 枚の然も写真を中心にして考えた が︑或は此の時別人が宗祖の れるが︑﹁高田学報﹂九号に掲げられたる経釈文間書最初の
を比較する時︑同一は考えられない感を抱くのである︒従って蓮華面経言の写真
一策
同号に の筆跡と運筆が同様であると云うことである︒聞書の親鸞夢記そのものは宗祖の筆法とも異る様に見受けられ︑又夢 この比較によっる事は先づ叩印偶文は宗祖筆跡と異るものであると云うことであり︑又聞害偽文は宗祖
高田の如来堂もその時代の影瘍を受けて であろう︒若し然りとすれば︑
の佛教は末法到来と云う事を契機として新佛教は佛意に順応し︑
I E l
佛教は釈尊教団の本来の姿に復帰せんと
る︒宗祖も太子御紀を筆写し︑
の意のあっ の如き次第順序に害写せ
る聖徳太子を再認識する
の太子和讃を作り︑太子尊崇の
云うまでもない︒されば真佛が太子の本地である観音救世菩薩の偶文で
光三尊の如来を得て笈の中に入れ︑自ら負うて帰り之を高田に
したであろている高田如来堂
て
之を討田専修寺の草創との中に鎌倉時代には善光寺如来の模 で︑﹁専修寺史要﹂一六頁に宗祖信濃善光寺に詣し︑ ある親鸞夢記を書写するのは何の不思議もなかったのである︒て又高田の如来堂は善光寺の如来を勧招せるもの 宗祖の門弟の のべている一般の風潮と する機運に向い︑両者共に和国の教主していたのであ 那辺にあったであろうか︒ 名を称し︑極楽に往生せし を明かにせる経文を記し︑以て夢記の趣旨を明かにせん
であ
るか
ら︑
んがためいて経名の 聞書の記載順序からすれば︑慢然と手当り次第︵たとえ宗祖 又言
モシック〗若人造ュ
9
ス 打 ニ ギ ケ ハ ノ
2しナヲ
繍聞
一一
弥陀
名︱
ので
なく
︑ 行
者宿
報四
句の
告命
に就
いて
ス ス
必生
元女
楽国
︱
あったもの
観音の誓願とも云うべき弥陀の願力に乗ずれば安楽国に生ずとか︑弥陀の名を聞けば地獄変じて極楽となると
あったと見られるのである︒即ち観音の誓願は佛
ったのであり︑従って夢記の偶文の意も之を明かるものであったと云える に
しろ
︶
二六
七 六 行者宿報四句の告命に就いて
五 四
85 84 70 33 31 29
塁 麿
蓮位夢想
和讃﹁弥陀の本願信ずべし﹂
四句の夢告
と善光寺の関係が判る︒又宗祖に善光寺和讃のある事から︑宗祖が太子と共に善光寺如来を尊崇し︑宗祖が関東に移 行せられし時善光寺に参詣せられたであろうと云われている︒されば高田如来堂が善光寺本尊を安置せる事から真佛 が夢記を害写せる意趣も略ぼ想像せられるであろう︒即ち如来堂と関係深き観音救世菩薩の告命であるからである︒
三︑伝絵と親鸞夢記
宗祖の伝記に於て注意を引くのは夢想の多い事である︒夢想は信仰を描写するものであるから︑それがたとえ史実 と一致せなくても差支えなく︑又却って多いのが当然の事であろう︑今宗祖に関する夢想を便宜上記せば左の如くで太子示現︵吉水入室︶
行者宿報四句文 善信改名夢告 宗祖観音の化身夢想 入西房の鑑察 此等の夢想の内︑宗祖が直接感得せられたるものは一︑二︑三︑
び内室の夢想である︒伝絵は宗祖感得の夢想の内僅かに行者宿報の偶文の夢想を記しその他を略し︑之に反して第三
夢
ある
︒
これ強ち牽強附会の説であろうか︒
想
御本害後序 恵信尼消息
口伝抄巻中
伝 絵 伝 絵
ロ伝抄巻中
正像末和讃 経釈文聞書︑伝絵 恵信尼消息
典
拠
二七
建仁三年四月五日︵伝絵︶
元久二年四月より
同年問七月 建仁元年
仁治三年九月二十日 建長八年二月九日 康元二年二月九日 七の四夢想にして︑その他は何れも第三者の門弟及
日
時
者の宗祖の高徳を称揚する蓮位夢想と入西房鑑察の夢想を記している︒されば伝絵の夢想を記す意趣は祖飯讃仰にあ
れを如何なる意趣を以て記載せられたのであろうか︒既に
間書にある親鸞夢記を指すものであると云うから︑伝絵は何の意によってこの夢記による偽文を記したであろうか︒
経釈文聞書親鸞夢記 今伝絵と経釈文聞書とに記されたる親鸞夢記を比較してその間の差異を示せば左の如くである︒
東本願寺蔵一伝絵ー聖人全集
︵昭和三十二年四月真佛七百回紀念写真版︶
一十
四字
なし
0仝
0 0
親鸞就記云
ノ
0 0 0
六角堂救世大菩薩
・ ︒
シケンシテケンコウタンシャウノソウキョウ
示1一現顔容端政之僧形1 0 0 0 0 0 フ タ チ ヤ ク
↓
eンロキJ
ウ ノ ヤ サ
令 レ 服 着 白 納 御 袈 裟
︱
ク ン サ シ テ ノ
0 0
ニ端座広大臼蓮︱ り︑又伝絵製作の趣旨に基くもの
行者
宿報
四句
の告
命に
就い
て
一生之間能荘厳 我成玉女身被犯 行者宿報設女犯 今行者四句の夢告は祖癒讃仰よりは宗祖自身に関する夢告であり︑そ
の四句の文を持てる彼記とは経釈文
建仁三年匹四月五日寅時聖人夢想の告まし/\き
0 0 0 0
彼記にいはく
0 0
六角堂の救世菩薩
゜
顔容端厳の聖僧の形を示現して0 0 0 0
白柄の袈裟を着服せしめ
ロ
0 0
広大の白蓮華に端座して
て
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つ
るが如く 1
一 八