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真宗研究6号 004桐溪順忍「行卷の称名に就いて」

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Academic year: 2021

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行 巻 の 称 名 に 就 い て

O

いて

桐 渓 順

行巻の大行とは何かという問題は、古来行信論として、真宗学の問題としては最も重要なものであり、本願寺派で は行信半学といわれてより、宗学の半分以上は行信問題にあることを意味し、多くの学轍に分かれたのも、その中心 になるものは行信論の相違によるのであることからも、此の行信論は如何に重要なものであるかが了解出来るであろ ぅ。しかも、行信論と申してもその中心は大行の問題であり、行巻の大行とは第十七願の諸伸の称名であり、私にと つては所開位にある名号であるか、衆生の称名であるかが論評の中心となっておるのである。 此の問題は、何によって救われるのかという大行の問題と、 いかにして救われて行くかの大信の問題であるから宗 教としては最も大切な、根本的な問題である。特に大行に関するものは、行巻には、大行を一不すに諸併の称名と第十七 願で一不されながらその本文に入って﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と衆生の称名とされてある Q そ の 外にも名号の立場で示された所と、称名の立場で示された所とが、 しばしば出ておるので、行巻の大行とは名号か称 名かという疑問を生じ、 しかも、それは救済の根本的な問題であるため、古来の学匠は心血をそそいで研究し、正し

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い宗祖の意志を理解しようと努力し、その主張を力説したために、深刻な論誇を展開するに至ったのである。 今の私の主張は、古来の此の重要な論評の解決の方法の一として、行巻に一不された称名の内容について、先哲の意 志によって研鎖し、その決定によって大行論の解決の一の方向を与えたいという念願からである。 行巻の取扱いについては古来種々の方法があって、そこに学説の相違も生ずるのではあるが、何んというても第十 七願の諸僻の称名が中心であり、第十七願の巻であるといってよいのではないか。標挙の諸悌称名之願。浄土真実之 行、選択本願之行︵脚註︶の文から見ても また﹁然るに斯の行は大悲の願より出たり 即ち是れそ諸悌称揚の願 と名く﹂等とある点から見ても、行巻の大行は第十七願にあることは極めて明瞭なことであり、その点は動かすこと の出来ないものだといってよいのではないだろうか。 此の意味からいえば、行巻は諸悌称名の巻であり、衆生にとっては所聞の巻であり、所信の巻であると説く先哲の 説は十分首肯出来るのである。従って次の信巻に一不された信心の対象を示されたものと見るボへきであろう。しかも、 第十七願を中心として一不されておるかぎりにおいては、その所信となるものは諸俳の称名であって、衆生の称名では ないと一往はいってよいのではないか。 此のことは極めて明瞭なことのようではあるが、その所信が衆生の称名であると所謂能行立信を主張する学者も多 くあったのではあるが、行巻の出願等から見れば第十七願の諸僻の称名と見るべきであろう。若し衆生の称名が所信 となるものであるなら、第十八の念帥往生の願が出さるべきではないか。 また、大行を所信の名号と見る説の有力な根拠とされるものの一に、行巻の六字釈が古来注意されておる。行巻の 行 巻 の 称 名 に 就 い て

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行 巻 の 称 名 に 就 い て 六 字 釈 は 、 七祖引用の途中、即ち龍樹・天親・曇驚・道縛・善導と順次に引用して、善導の引文が終って、次に支那 の諸師の文を引用される中間にほどこされた御自釈である。しかも、此の六字釈は板めて特色のあるものであって、 六字の一二義を共に伸辺で解釈されてある。即ち、帰命の字訓によって﹁帰命とは本願招喚の勅命なり﹂と示し、発願 廻向をば﹁発願廻向と言うは、如来己に発願して衆生の行を廻施したまうの心なり﹂と。 ﹁即是其行と言うは即ち選 択本願是れなり﹂と示したまう G 此れは六字全体が如来の所に成就することを示し、その悌辺成就の六字によって必 得往生であると決定されるものである。此れは明白に悌辺成就の名号が衆生往生の行体であることを示すものであっ て、行巻はそれを示すものであると主張するのである 此の六字釈は真宗教学の特異性を端的に示すものであって、特に帰命の解釈には古来種々の異説があったにしても、 いやつれも衆生が悌に帰命することであり、宗祖にも銘文をはじめ他の聖教には衆生の帰命であると釈されてあるのに、 今は本願招喚の勅命とされたのは衆生往生の全体が名号の独用によるものであることを示さんとされた試みと理解す べ き で あ ろ う 。 以上極めて簡単ではあるが行巻の全体的な立場から見れば、第十七願の諸悌の称名が大行であるということが許さ れるのではないだろうか。勿論、称名大行を主張する人々にとっては、 そのような簡単なことでは納得することは出 来ないかも知れないが、 し か し 、 それは今の主なる論証ではないから簡単に結論だけを出したにすぎないのである。 行巻を第十七願の諸抽仰の称名、所聞所信の名号だとすれば、行巻に極めて明瞭に大行とは衆生の称名であると示し たもうものをいかに理解すべきであるか。それは法体大行説を説く学匠の苦心する所であるが、今もその解決法の一

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として、行巻の称名に関して論究しようとするものである。従って今は一往行巻の大行は法体大行であるという立場 に立つての論攻であることも許されたいのである 大行を衆生の称名とする最も大切な文は、行巻初めの﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と示された文 である。称名大行を主張する人々は、此の文こそ宗祖自身が大行を指示し、決定された文であるから、他に如何なる 文があっても、此の文だけは動かすことの出来ないものであり、大行を決定づけるものであるというのである Q 此 れ は確かに正当な論理であるというやへきであろう。その外、称名破満の文、行一念釈の女、念悌諸善比校対論の文など によれば大行は衆生の称名であると見るべきである。 更にまた重要な問題は相承の問題である。即丸、道稗禅師以来、浄土教の相承に於いては念悌往生、 しかもその念 悌とは称名の義に取られ、称名往生と主張されて来たものであり、 それが善導法然の教学の中心を形成しておったこ とは否定することが出来ない。また、宗祖晩年の御撰述にも常に念僻往生の主張が示されてある。 かくの如く、相承の意味から見ても、行巻の文からも、更に他の撰述から見ても称名大行の主張には十分な論理性 と論拠とを是認せなければならないものが存在するのである。そこに古来の行信論解決の困難さと、学匠によって論 誇された所以もあるのである。 しかも、それ等の理由を承認しながらも、前述の如く、標挙、出願、信巻との関係、 全体の意味などから見て、 やはり法体大行論を主張せなければならないものもあるのであるがその法体大行を主張す る 場 合 、 二の問題が考えられるようである 一には称名大行の如く見る文をいかに理解すべきか。二には何故に宗祖 は大行を衆生の称名の上に談ぜられたのか。その点が十分考察されなければならないのである。

行巻の称名に就いて

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行巻の称名に就いて 二 四 行巻の大行を法体大行と見る場合、先づ問題になるのは、第十七願名として示された諸悌称名之願の称名の意味で ある。六要妙には﹁称名と−一一同うは此れ称念に非ず、今は彼の名号を称揚するなり﹂と示されてある文によって此の称 名は称揚の義で広讃の意味だとする義はあるが、此れは古来の学者が注意しておるように外に称揚と杏底の願名が挙 げられており、更に大行釈には衆生の称名と示された点から見て略讃の称名と見るべきではないだろうか。そのこと は次の結論に大きな影響を与えるものではあるが 一往諸併の称名は略讃の称名と見ることにしたいのである。 では諸併の称名たるべきものを衆生の称名として﹁大行とは則ち無碍光如来の名を称するなり﹂と示された意味を いかに理解すべきか G 法体大行を主張する人の最も苦心する所ではあるがそこには能所不二の論理を用いて法体大行 なることを論証せんとするものである。即ち称即名、称名即名号の論理を用い、称名のまま名号に即するのであると い う 論 理 で あ る 。 その称名即名号の論理に二のいい方が用いらられており、 一は能称の称名はそのまま所称の名号の全体の功徳を具 しておるから称名のまま名号であるという主張であり、即ち称名を大行というのはその所称の名号の全徳を具するか らであるというのである。第二には衆生の称名がそのまま諸併の称名と同位になるという説である。此の第一説は広 く用いられており、現在多く用いられておる学説は此の立場をとっておるようであり、それは理解し易き説であるとい う こ と が 出 来 よ う 。 しかも此の説はあまり説明せなくても理解出来ることと思う。しかし、私が今主張しようとする 説は第二の説で、自己の称名のまま、諸仰の称名と同位になるという思想に非常に深い学問的興味をもつものである。 此れは或る意味では、行巻の大行を衆生の称名を以て示された組意をうかがう鍵となるように思われるのである。 衆生の称名は、行巻の場合には如来の称名と同位になるという思想は空華学轍では早くから主張されたものではあ るが、その内容に関しては十分な説明がほどこされていなかったようである。文類区東紗聞書にも所行を一亦すべき行巻

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に能行称名を示された五義の中、第二の諸悌同等を顕わさんが為の故にの下でも、念梯者は末灯紗の文等によって諸 悌等同の義があるから諸併の称名を示すべき所に衆生の称名が示されてあると説れてある。 此れでは善海師の主張 ︵雲山和上の語︶の衆生の称名は所聞位にまきあがり、忠作︵ 9 ・︶の称名のようなものだという説とは少し意味を異 に す る も の が あ る 。 称名即名号に関しての説として私の注意する所は、衆生の称名が諸悌の称名と同位になり、所開位にまき上がると いういい方の理解のし方である。その点で注意すべきは雲山和上から聞いた善海師の説明である。雲山和上の説明に よると、善海師に称即名のいい方のうちで所聞位にまき上がるとはどう意味ですかと聞いた時、善海師は、それは仲 仲いいあらわしにくいので、忠作の称名のようなものでしょうと答えられたということである。その忠作の称名とい うことがまた問題にはなるのだが、能称のまま所聞位にまき上がるという思想は十分理解出来るのである。 能称のまま所聞位にまき上がるから称即名であるという説は、衆生の称名がそのまま諸悌の称名と同位になるとい う思想であるが、その場合の称名は単に衆生が称えておる辺ではなく、自分の口から出て下さる南無阿弥陀伸を自分 で聴聞することである。諸悌の称名は私にとっては常に所聞の立場であって、大経の第十七願成就と第十八願成就と の関係の如くであるコ此の両成就の関係は、今更ら説くまでのことのないもので、第十七願成就で十方恒沙の諸悌如 来が皆ともに、無量寿悌の威神功徳不可思議を讃嘆したまうのを、第十八願成就では、その諸僻の讃嘆したまう名号 を聞いて信心歓喜して往生を得ると示されてあるものである。勿論、第十七願成就文の当分は十方諸悌の広讃嘆では あるが、その諸悌讃嘆の名号を聞いて行者は信心歓喜するのである。今の行巻では諸僻の称名︵一往略讃と見る︶を 衆生が聞いて信心するのであるから、行巻の諸悌の称名は所聞であり所信であり、信巻の信心は能聞であり能信であ るということが出来よう。その諸悌の称名を説くべき行巻に衆生の称名を説いてあるのは、自己の称名がそのまま如 行巻の称名に就いて 二 五

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行巻の称名に就いて 一 一 六 来の称名と同位になり、自己の称名がそのまま称えものではなく聞きものとまき上がっておると見るのが此の説の主 張である。従って此の説では、行巻での私の称名は称名でありながら称える辺ではなく、私の口業に発露する名号炉﹂ 聴聞するという立場であると説くものである 此の説はあまり広く説かれていないように思われるのと、此の思想は行巻の称名の解釈だけではなく、親驚教学の 理解にも特異な立場を与えるもののように思われる ι 即ち、念悌は称名のまま所開位になるとい’つ思想はただに行巻 の称名の問題の解決ばかりでなく、親驚聖人の念僻往生の真意が明かになり、晩年に盛んに主張された念悌往生の義も、 善導法然の主張されたものとは思想内容から見て大きな展開があったことそ知ることが出来るのではないだろうか。 称名しながら自己の称名を聴聞するという思想は真宗教学を示すのに極めて意義深いものがあるのではないか。此 の具体的なものは大巌の﹁喜びに堪えたり吾れ称え五口れ聞くと難も、此れは是れ大悲招喚の声﹂という詩、此れを短 歌にした針水の﹁我れ称え我れ聞くなれど此れはこれ つれて行くぞの弥陀の呼び声﹂にも明瞭にあらわれておるも のであって、諸悌の称名を聞いて﹁あの名号で往生﹂と信ずるのと、自分の口から出て下さる名号を聞いて﹁この名 号で往生﹂と喜ぶのとでは全く同じことではないか。行巻に諸悌の称名と示しながら衆生の称名を示すのは、衆生の 称名も称えながら聞きものとなる諸僻の称名と同伎なる立場での教一不であると見るのが最も穏当な理解であると見る ベきではないか かくの如く行巻の称名そ衆生の称名のまを諸併の称名、所聞の名号位で理解する時は﹁大行とは則ち無碍光如来の 名を称するなり﹂との教示と、諸悌の称名を示されるものとの聞にいささかの矛盾もなくなるのである。

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此の諸悌の称名を特に衆生の称名の上で談じたまうた祖意には、幾つかの意図があったように思われる。その第一 に考えられることは、善導法然によって主張された念悌往生の真意は称即名と、称名が称えられておるまま所聞位に まき上がっておる所にあるのであって、称名そのもので往生を談ずるのではなく、称名となって顕現しておる名号の 所に往生の因となるものが存在すると主張しようとされたものではないか。その真意を発揮せんがために、諸悌の称 名と示しながら 一一向では衆生の称名で表現されたものと見るへきではないだろうか c 第二に考えられることは、名号とは単に概念的な存在ではなく、常に称名となって衆生の口業に現れるものである ことを一不さんとされたものでないか。聞其名号とは何にも諸併の称名そ聞くだけではなく、私の口業に顕れて下さる 名号を聞くことであり、名号は諸併の称名となって具現するだけではなく、私の口業の上に具体的に現れることを明 かさんがためであると見るべきではないか。親驚聖人の思想には、自分を通じて如来の意志が顕われ、自分の口業を とおして名号が具現するという考え方が強く流れておるのである。 ﹁親驚は弟子一人ももたずさふらふしとか﹁念悌 は行者のためには非行非善なり﹂と一不されるものは、弟子を育てることも、念併の大行大善も自己を通じて具現する 大悲の法、名号の法にあるものであって、自己にとっては何等の意味もないことを一不されるものであり、自己を通じ て法が具現することを示されるものである 蕊に他力廻向の真意があらわれるともいうことが出来るのではないでしょうか。信心を如来廻向の信心と称せられ るのも、信じておりながら、 その信心は全く如来廻向の名号の具現であるという思想に立ちたまうたから信心の如来 廻向説が主張されたのであろう

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J、、 行巻の称名に就いて 七

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行巻の称名に就いて 二 八 行巻の称名をかくの如く、自己の口業に具現した名号を聞くという意味での称名であって、報恩の称名といわれる ものと一往の区別を見て、名号正定業の立場で見る時に、親驚聖人の念傍観に、在来の解釈と異なるものが生ずるの ではないか。それは宗祖の和語聖教にあらわれる念悌往生の理解に、行巻の称名の如く、念悌ではあるが、それは常 に所聞位にまき上がっておる念伸、聞きものとなっておる念悌であると理解すれば、念悌といっても名号の独用で往 生と説きたまうものと見ることが出来るのではないか。 親驚聖人の念梯往生は、行巻の諸悌の称名を大行とされる思想を通じて見る時、善導法然の念悌往生とは趣を異に するものがあると見るべきではないか。勿論、宗祖その人に問えば、自分の主張は全く法然上人のとおりであると答 え ら れ る で あ ろ う 。 しかし、終吉の念悌往生はあくまでも念備することで往生するのであり、それが悌願に順ずるか らであると主張されるもので、念悌は名号を聴聞することであり、称名そのものは私の口業を通じて出て下さる如来 招喚の勅命であるという思想は、少なくとも文の当分からは出て来ないのではないだろうか。 親驚聖人が法然上人のもとで念悌往生の教を聞き、その後法然門下の厳しい思想論評の結果、信心往生を説き、更 に晩年には念悌往生を力説されたのは、勿論偏信の徒のために説かれたものではあるが、思想はある一の展開を通つ た 後 に は 、 たとえ言葉は同一であっても内容的に発展しておる場合が多いのであるから、同じ念悌往生の語が用いら れでも、法然膝下時代のものと晩年とでは異なるものがあると見るべきではないか。特に信心正因説が主張され、 ま た一念に非ず多念に非ずという思想を通過した上での念伸往生には、初期の念倒往生とは異なるものがあると見るべ き で は な い か 。 此の問題の解決の一方法として、行巻の称名の如く、称名即名号、称えながら所聞位にまきあがる念悌が考えられ てよいのではないだろうか。念悌には報思行の面と正定業の面とがあるが、その正定業の面は所開位の立場であると 理解することが行巻の称名の解決ともなり、親驚聖人の御晩年の念悌往生の意味を正しく理解するものではないか。

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