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黎(1924)と王(1943)の分析

第 2 章 先行研究および研究課題

2.2 中国語アスペクトの体系

2.2.1 黎(1924)と王(1943)の分析

黎(1924:122-127)は、助動詞として「可能」を表す「得(de)」、「完成(perfect)」を表 す「了」、「持续(continuous)」を表す「着」、「来着(láizhe)」、「来(lái)」、「起来(qǐlái)」、

「去(qù)」、「下去(xiàqù)」と「重叠法(iterative)」を挙げている29。(2.1)のように、「可

能」 を 表 す 「得」 は 一 般 に 「可 能 补 语( 可 能 補 語 )30」 と し て 扱 わ れ て い る た め (刘他 2001:581-596)、ここでは詳しく論じない。

(2.1)你 说 一遍 我 听听, 说不定 我 听 得 懂。

nǐ shuō yībiàn wǒ tīngtīng shuōbúdìng wǒ tīng dé dǒng 貴方 話す 一回 私 聞いてみる かもしれない 私 理解できる

(一回話してみてください。もしかすると私は理解できるかもしれません。)

(刘他2001:583)

29来/起来」と「去/下去」はそれぞれ日本語の「~始める、~出す、~てくる」、「~つづける、~ て いく」の意味に当たる。また、「重叠法」とは、動作 を表す動詞を重ねて用いる「動詞の重ね型」を指 す。

30 可能補語は、結果補語と方向補語に関連しており、主観的条件或いは客観的条件から、補語の表す 結果又は方向が実現可能かどうかを表す。

28

黎(1924)は「了」が「完成(perfect)」を表し、必ずしも過去を表すとは限らないと述 べている。文(2.2)、(2.3)、(2.4)はそれぞれ「現在パーフェクト(present perfect)」、「過 去パーフェクト(past perfect)」、「未来パーフェクト(future perfect)」を表している。

(2.2)他们 来了 一会儿 了。

tāmen lái-le yīhuìr le 彼ら 来る-LE しばらく LE

(彼らはしばらく前から来ている。)

(2.3)那时候 我 多 喝了 几杯 酒。

nàshíhòu wǒ duō hē-le jǐbēi jiǔ あの時 私 多く 飲む-LE 何杯か お酒

(あの時、私はお酒を少し飲みすぎた。)

(2.4)我 总 不会 忘记了 你。

wǒ zǒng bùhuì wàngjì-le nǐ 私 いつも 否定 忘れる-LE 貴方

(私はいかなる場合でも貴方を忘れない。)

(黎1924:124)

そして、文(2.5)、(2.6)のように、「着」は「正在进行的持续(進行中の持続)」を表 すと述べられているが、「結果の継続」の意味については言及されていない。

(2.5)他 在 那儿 坐着。

tā zài nàr zuò-zhe 彼 あそこに 座る-ZHE

(彼はあそこに座っている。)

(2.6)武松 敲着 桌子。

wǔsōng qiāo-zhe zhuōzi 人名 叩く-ZHE テーブル

(武松はテーブルを叩いている。)

(黎1924:125)

29

また、「来着」は「已完成的持续(既然の継続)」を表すと述べられている。つまり、過 去のある事態または状態の効力が存在しているという意味が表され、「パーフェクト」の用 法とされている。陈(2005)も「来着」を「パーフェクト」と考えている。

(2.7)我 刚才 说 什么 来着?

wǒ gāngcái shuō shénme láizhe 私 さっき 言う 何 LAIZHE

(さっき、私はなんて言いましたか?)

(作例)

これに対し、多くの研究者は「来着」を語気助詞31と考えている(吕 1999:348-349;朱

1999:235-237;熊2003、2009;刘 2013など)。本研究も「来着」を語気助詞と考える。「来

着」は文末の「了」に相当し、いつも文末に位置し、文レベル上のものである。動作の姿 を表すアスペクトとは異なる。 例えば、(2.8)と(2.9)とがほぼ同じ意味を表している。

そして、(2.10)に対し、「来着」を削除しても意味はほぼ変わらない。

(2.8)昨天 下 雨 了。

zuótiān xià yǔ le 昨日 降る 雨 LE

(昨日、雨が降った。)

(2.9)昨天 下 雨 来着。

zuótiān xià yǔ láizhe 昨日 降る 雨 LAIZHE

(昨日、雨が降った。)

(作例)

(2.10)“故宫 的 房子 有 多少 间 来着?”

gùgōng de fángzǐ yǒu duōshǎo jiān láizhe 故宮 の 部屋 ある 何室 LAIZHE

31 中国語学では、文末に置かれて話し手の態度や気持を表す助詞を語気助詞と呼んでいる。

30

(故宮には部屋が何室ありますか?)

(刘2013:73-76)

(2.11)“故宫 的 房子 有 多少 间?”

gùgōng de fángzǐ yǒu duōshǎo jiān 故宮 の 部屋 ある 何室

(故宮には部屋が何室ありますか?)

また、黎(1924)は、(2.12)、(2.13)、(2.14)に示されている「来/起来」、「去/下去」が

「方开始的持续(開始直後の継続)」を、「重叠法」が「动作方开始与继续的进行(動作開 始直後の継続)」と「快完成之趋势(もうすぐ完成する傾向)」を表すと述べている。

(2.12)张三 的 病情 渐渐 好起来 了。

zhāngsān de bìngqíng jiànjiàn hǎo-qǐlái le 人名 の 病状 少しずつ よくなる-QILAI LE

(張三の病状は少しずつ良くなってきた。)

(2.13)小红 擦干 眼泪,又 继续 说下去。

xiǎohóng cāgàn yǎnlèi yòu jìxù shuō-xiàqù 人名 拭く 涙 また 続ける 話す-XIAQU

(小紅は涙を拭いて、話し続けていった。)

(2.14)小王 点点 头, 表示 赞成。

xiǎowàng diǎndiǎn tóu biǎoshì zànchéng 名前 頷くの重ね型 頭 示す 賛成

(小王はちょっと頷いて賛成を示した。)

(作例)

しかしながら、「来/起来」と「去/下去」は一般にアスペクト形式ではなく、「趋向补语

(方向補語)32」であると考えられる(朱1999:146-148;刘他2001:546-581;张編2010:308-310 など)。また、「動詞の重ね型」は動作がほとんど進行しない性格を有することから、動詞

32 方向補語とは、動詞の後ろに付く、動詞の表す動作の移動方向を表す補語を指す。

31

のアスペクト形式とは考えにくい(俞1954)。例えば、文(2.14)においては、「点点头(動 詞「頷く」の重ね型)」は瞬間動詞に近く、継続の意味は読み取れない。Яхонтов(1957)

も、「動詞の重ね型」は「結果アスペクトや一般アスペクトと統一された体系をなすもので はない。(略)動作がほとんど進行しない性格を有すること、弱化された性格を有すること を示す点」(p.166)であるため、アスペクト形式と見做すことができないと指摘している。

このように、黎(1924)の中国語助動詞に対する考察は中国語アスペクト研究の第一歩 であると考えられる。ただし、黎自身はアスペクトという概念に対して明確な定義を出し ていない。

黎(1924)を受け継いで、王(1943:151-160)はアスペクトを「情貌(情貌)」と呼び、

アスペクト形式が用いられない動詞の基本形を初めて「普通貌(中立相)」と名付けて、時 間軸に位置づけられていない時間外の表現としている。基本形の他に、以下の 6つのアス ペクト形式を挙げている。

「进行貌(進行相)」である「着」は事態が進行中の状態にあることを表す。王(1943)

は、黎(1924)とは異なり、結果の継続を表すにも「着」を用いることができると指摘し ている。

(2.15)票上 开着 数目。

piàoshàng kāi-zhe shùmù 領収書の上 書く-ZHE 数字

(領収書には数字が書かれている。)

(王1943:153)

「完成貌(完成相)」である「了」は出来事の完成を表す。黎(1924)と同様に、「了」

は過去だけではなく、現在や未来の事態をさしだすこともできると指摘され ている。

「近过去貌(近過去相)」の「来着」は文末に置かれて出来事が過ぎて間もないこと を 表す。「近過去相」にある「近」の時間程度は話し手の捉え方よって異なる 。発話時直前に 行われた出来事でなくても、「来着」を用いることができる。例えば、文(2.16)では、話 し手が「先日のこと」を指している。

32

(2.16)我 前儿 听见 秋纹 说, 妹妹 背地里 说 我 来着。

wǒ qiánr tīngjiàn qiūwén shuō mèimei bèidìli shuō wǒ láizhe 私 先日 聞こえる 人名 言う 妹 裏で 言う 私 LAIZHE

(先日秋紋から聞いたが、妹は裏で私のことを言っていたそうだ。)

(王1943:156)

「开始貌(始動相)」である「起来」は動作が始まりつつあることを表す。これに対し、

「继续貌(継続相)33」の「下去」は出来事が引き続き継続していくことを表す。そして、

王(1943)は黎(1924)と違って、「動詞の重ね型」を「短时貌(暫時相)」と呼び、出来 事が極めて短い時間内で行われることを表すと指摘している 。