蒋麗芳は、汴繡(訳注:べんしゅう、伝統的な刺繍工芸)の里、縫製の拠点である河南省開封 市出身です。1988年、蒋麗芳は職業高校を卒業した後、ずっと開封で縫製業務に従事していました。
2004年、偶然のチャンスが訪れ、彼女は幸運にも、河南金城国際経済技術合作有限公司を通じて 日本への研修に送り出され、縫製を専門的に学び、訓練を積みました。日本での3年間の業務と 学習によって、彼女は日本の服飾に関する専門技術や先進的な管理技術を学び、日本の風土や国 民性、文化について理解しました。何より重要なことは、彼女が帰国後、自分が日本で学んだ知 識と経験を活かして、国内でまったく新しい仕事と生活を始められたことです。日本で鍛えた強 い意志で、起業という夢を実現したのです。
日本に研修に行く以前から、蒋麗芳は開封でずっと縫製の仕事をしていました。業務成績は素 晴らしく、熟練した技能を身につけていましたが、縫製工場の労働に懸命に励んでいるに過ぎま せんでした。毎日忙しく働いても家庭の経済状況は改善せず、毎日繰り返される流れ作業の仕事 では、彼女の技能も向上することはありませんでした。長い間、蒋麗芳は心の奥底で、自分が成 長するチャンスがくるのを待っていたのです。
2004年初頭、蒋麗芳はさまざまな面でいずれも優秀な成績を収めていたため、職場から推薦さ れて、河南金城国際経済技術合作有限公司が募集していた訪日研修生の選抜試験に参加すること になりました。彼女は技能テストや教養試験を次々にパスして、優秀な成績で訪日研修のチャン スを勝ち取りました。その後、金城公司研修生訓練センターで3か月間、日本語や日本へ行く前 に学ぶべき知識や技能、教育等の訓練を受け、同年7月、蒋麗芳ほか十数名の女性たちは、旅行バッ グを背負って祖国を旅立ち、日本の山形県米沢市に到着し、研修生活をスタートさせました。
日本の会社での研修期間中、当初は言葉がうまく通じなかったり、技術的に不慣れだったため、
事例 6
蒋 麗芳
生 年 月 日: 1970年8月20日
送出し機関: 河南金城国際経済技術合作有限公司 職 種: 繊維・衣服
帰 国 日: 2007年7月
蒋麗芳と他の女性たちは流れ作業ラインで簡単な製造作業や手作業に従事するだけでした。しか し何か分からないことに出くわすと、日本人従業員らが蒋麗芳を含む、新しい研修生を忍耐強く 指導してくれました。また、生活面でもできる限りサポートしてもらったおかげで、彼女たちは 日本での仕事と生活にすぐに馴染むことができました。蒋麗芳は努力を怠らず、語学も急激に上 達しました。彼女の日本語や技術が熟練していくにつれ、自動流れ作業ラインの設備や立式縫製 設備といった、より先進的な機器や設備に触れたり、操作したりする機会が徐々に与えられるよ うになりました。このような、中国の工場では一度も触ったことのなかった先進的な技術や設備 はとても印象的で、彼女は「中国にもこんなに素晴らしい機械があれば良いのに」と度々思うよ うになりました。蒋麗芳は自分の本業にしっかり取り組むだけでなく、日本の工場の分業フロー や管理体制を注意深く観察しました。そして彼女は、日本の工場では合理的な分業の割り振りや 効果的な品質管理によって、業務を効率化して仕事の質を高め、製品の価値を引き上げているこ とを発見したのです。また、ごく普通の従業員でさえも、日本人従業員の仕事ぶりは慎重で丁寧 であることが、彼女を深く感動させました。このような内面的なものがあるからこそ、日本は高 品質な製品を生み出すことができるのです。彼女は、これらを中国へ持ち帰れば、祖国や故郷に 貢献することができると思いました。彼女は日本の先進的な縫製技術を積極的に学ぶとともに、
日本の工場の管理モデルやフローについて真剣に勉強し、業務上の優れた習慣を養いました。ま た同時に、日本での3年間の研修が、いささかも動揺せず、勇敢に前進し、決して諦めない強い 意志を育みました。日本の会社での研修期間中、彼女は毎日、他人が遊びに出かけているときに も懸命に勉強しました。帰国したら、会社で学んだものによって中国の不十分な点を補いたい、
自分が学んだすべてを活かして、自分の新しい未来を切り開きたいと考えていました。日本での 3年間は非常に忙しかったのですが、蒋麗芳は自分の目標と夢を実現するため、絶えず自分を高 めていたので、毎日が充実し、一日一日が麗しい夢の実現に向かうための一日でした。
こうして2007年7月、蒋麗芳は訪日研修を終え、学んだ技術と先進的な管理経験、そして高い 収入を携えて予定通り帰国しました。彼女には国内外の縫製業に関する豊かな経験とある程度の 資金があったので、帰国後間もなく自分の縫製工場、海芳製衣工場(住所は開封市穆家橋街88号)
を設立することができました。
工場の設立初期に、蒋麗芳は日本での研修期間で貯めた資金で、機器数十基を購入し、加工の 受注から業務を開始しました。何事も初めには困難がつきもので、起業することは気楽なアルバ イトとは違っていました。起業した当初、彼女はさまざまな困難にぶつかり、やめてしまいたい と思うことも何度かありました。しかし、やめたいと思うたびに、訪日研修のときに見た、日本 人の粘り強さが目の前に浮かんできました。そして、日本で鍛えられた負けず嫌いな性格も手伝っ て、彼女は何とか持ちこたえて頑張ったのです。試練を乗り越えて成長し続け、訪日研修で学ん だ先進的な管理経験と技術を武器に、海芳製衣工場は徐々に利益を上げるようになり、規模も次 第に大きくなっていきました。工場は初期には他の工場の委託を受けて加工・製造を行い、安い 加工賃のみを稼いでいましたが、やっとじかに注文を受けて製造できるようになりました。初期 には衣服の年間製造量は、わずか50,000~60,000着でしたが、2008年になると年間製造・加工量が
20万着余りになり、工場の利益も設立当初の若干の黒字が出る状態から、今では年間利益が数十 万元余りにもなりました。現在、海芳製衣工場はさらに規模を拡大し、縫製設備も当初の数十基 から60基余りにまで増加しました。蒋麗芳は、自分の生活水準が向上し、事業が成長していくに つれて、レイオフされた労働者や自宅待機の労働者等、地元にいる大勢の労働者の就業問題の解 決にも力を尽くしました。工場には今では30人余りの労働者がおり、一人当たりの平均賃金は1 千元に達しています。彼女の工場は、今ではデザインから包装まで、注文の全工程を取り扱う能 力を備えているだけでなく、一部の仕事は他の工場へ加工を外注して提携を行うまでになりまし た。彼女自身で言えば、出稼ぎ外国人労働者から、数十基の機器を有し、数十名の労働者を抱え るメーカーの長になりました。どれも以前には思いもよらなかったことで、本当に訪日研修によっ て、彼女の人生は変えられたのです。
蒋麗芳が今日の成功について語るとき、いつも、「金城公司から海外研修というチャンスを与 えてもらえなかったら、日本の会社での研修と業務経験がなかったら、今のような成果を上げる ことはできなかったと思います。金城公司での訓練期間中の、社長や先生、教官方のご支援と教 育を忘れません。またそれ以上に、日本滞在中の社長や主務者、その他の同僚たちの技術的な指導、
生活への心遣いやお世話して頂いたことを忘れません」と語ります。
彼女はもっとたくさんの人々に、訪日研修によって、努力で自分の生活を変えることができる ことを知って欲しいと願っています。また、より多くの人々に、日本のことをよく知って欲しい と思っています。彼女は自分が学んだ知識を活かして、日中友好事業に積極的に取り組み、日中 両国の国民の心に友情の橋を架けたいと願っています。
蒋麗芳はたゆみない努力によって、訪日研修というチャンスをつかみました。そして研修中に は、研修の本質をしっかりと把握し、日本で日本企業の従業員とともに仕事に励むことによって、
先進的な技術と管理方式を学ぶだけでなく、日本民族の前向きな積極性、絶対に諦めないという 優れた資質に学びました。彼女は今回の3年間の研修というチャンスを存分かつ合理的に活かし、
訪日研修を人生を変えるための充電期間としました。この期間中、彼女は自分の夢の実現を目標 として掲げ、さまざまな面からオールラウンドに、常に自分を磨き続け、自分の目標へとまい進 したのです。帰国後、彼女は外国で学んだ先進的な技術と管理モデルを積極的に活用して、素晴 らしい成果を上げました。起業当初は数々の困難に見舞われましたが、彼女は日本で培った強い 意志で困難を一つひとつ克服し、最終的には大きな成功を勝ち取りました。自己実現を果たした だけでなく、地元の自治体の雇用問題も改善し、地方の発展にも貢献したのです。