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襲景強は、撫寧県下庄管区下庄村の平凡な一農民でした。2003年、秦皇島市総工会職工対外交 流センターを通じて、日本へ2年間の農業研修に派遣されました。この2年の研修によって、彼 は今までにない経験を積み、それまで知らなかった新しい知識に触れ、日本の先進的な栽培技術 と管理経験に学び、富に至る道を歩み始めました。

襲景強は中学校を卒業して以来、ずっと事業を興したい、自己実現したいという夢を持ち続け ていました。しかし社会へ出てみると、理想と現実には大きなギャップがあることに気がつきま した。彼は中卒で、特殊技能も持っていなかったため、仕事を得ても収入はごくわずかで、自分 一人が何とか食べていかれる位のぎりぎりの生活でした。彼の実家は農村に住み、先祖代々、生 粋の農民として生きてきました。日が昇れば耕し、日が落ちれば休むという生活を繰り返し、農 作業で生計を立ててきたので蓄えもなく、起業する元手など尚更ありませんでした。

2003年5月、ある偶然のチャンスが襲景強の運命を変えました。市総工会職工対外交流センター が、日本に先進的な農業技術と管理経験を学びに行く訪日研修生の募集・採用を行っていたので す。襲景強はこれに応募して、健康診断、訓練、学習、面接等の各過程をパスし、幸運にも農業 研修生に抜擢されました。彼は訪日研修事前訓練拠点で3か月間の缶詰式強化訓練を受けました。

日本語の日常会話、日本の法律・法規、身体能力のトレーニング、訪日後の専門労働技能訓練を 受けた彼は、日本に到着後、すぐに生活や仕事にも慣れ、2年間の訪日研修がスタートしました。

襲景強は研修先では、イチゴ、葉物野菜、水菜の栽培、管理、包装及び加工等の流通プロセスに 従事しながら学習しました。日本での研修・実習期間中、彼は懸命に勉強し仕事に励み、日本の 先進的な農業技術を苦心惨憺して習得しながら、帰国した後、学んだ先進的な生産技術と管理経 験を実際の仕事に活かして、社会のためにより多くの価値を創造したいと考えていました。彼は 2006年に帰国後、仲間と一緒にビニールハウス野菜の栽培事業を興すことにしました。

事例 13

襲 景強

生 年 月 日: 1976年6月25日 送出し機関: 秦皇島職工対外交流中心 職   種: 農業

帰 国 日: 2005年7月

「創業の艱難百戦多し」というが、実に言葉通りでしょう。起業した当初は資金が逼迫してい たため、彼はまず親戚や友人から8万元を借りて、農業局の飼育場だった150ムー(訳注:1ムー は約15分の1ヘクタール)の土地を借り受けました。毎日、原材料の購入に大忙しでしたが、負 けず嫌いでへこたれない強さを発揮して、ついに2か月後、自分が学んだ専門知識を活かした、

ハイレベルな温室ビニールハウス第一号が出来上がりました。これと同時に付帯施設も配置して、

季節移行期の野菜をビニールハウス栽培しました。当時、彼はビニールハウスを我が子のように 思って、多大な労力をかけ、汗を流して栽培に取り組みました。その後も、良い野菜が育つよう、

毎日、ビニールハウスの中で刻苦奮闘し、お腹がすけば家族が運んできてくれた簡単な食事をと り、眠気を催せばビニールハウスのそばに建てた簡易小屋で寝泊まりしました。こうして、どん な辛さや疲れもいとわず、ただ、ハウス一杯に良い収穫が得られることだけを願って頑張りまし た。しかし、結果は思うようにはならないもので、思いがけない問題が発生しました。経験不足 のせいで、野菜市場では良い値がついたが生産量が上がらなかったため、収益に深刻な影響を与 えてしまったのです。失敗によって打撃を受けても、彼は気落ちすることも、弱気になることも ありませんでした。翌年、彼は謙虚な気持ちで先達に教えを乞いに行き、彼らの経験に学びながら、

自分が日本で学んだ知識を効果的に組み合わせました。「努力は人を裏切らない」という言葉通り、

間もなく2007年の旧正月を迎えるという頃、出来の良い野菜が育ち、間もなく市場に出して大い に収穫を得られるだろうと期待していました。しかし好事魔多しとはよく言ったもので、彼が収 穫への期待に胸を膨らませているまさにそのとき、市場の野菜価格が急落してしまったのです。

彼の概算では、あれほど苦労したにもかかわらず、見合った報酬は得られそうにありませんでし た。村では、彼に対する悪い噂が飛び交うようになりました。しかし襲景強は挫折を経験しても まったく落胆せず、逆に大きな教訓を学び取っていました。その教訓とは、彼のビニールハウス は採光技術が不十分であること、また、市場をよく理解しなければならないことに気がついたこ とです。痛い思いを教訓として、彼は自分の市場に関する知識不足を思い知りました。そこで彼 はその後、野菜価格の市況情報を定期的に収集し、市場ニーズに応じて栽培する品種や期間を調 整しました。さらに、度々周辺地域まで市場調査に繰り出し、他の栽培農家の栽培のピーク時期 とずらすようにしました。「他人に無い製品は自分が作り、他人の製品が育ったら自分はそれに 優る製品を作る」という方法を手探りで見つけ出し、ビニールハウス栽培野菜の品質を高めてい くための実践経験を積んでいったのです。

収穫は努力に正比例すると言うように、襲景強の努力はついに報われました。野菜栽培を始め て3年目、彼のビニールハウス野菜と露地野菜が高値で買われ、2万元以上も稼ぐことができた のです。この成功は、彼にとって何よりの励ましになりました。そして彼は「鉄は熱いうちに打て」

とばかり、さらにハイレベルなビニールハウス8基を建設しました。ビニールハウスはこれで計 10基となり、彼の栽培した野菜は口当たりの良さと高い品質で、徐々に市場を席巻していきまし た。供給が需要に追い付かなくなり、付近の市街地のスーパーマーケットは、みな彼の栽培した 野菜を購入しました。こうして2年が過ぎ、大半の資金を回収しました。襲景強の両親はしわだ らけの顔に満面の笑みを浮かべて喜び、同郷の人々のとやかく言う声も聞こえなくなって、襲景 強も内心ほっとしました。今では、彼が栽培するビニールハウス1基当たりの年間平均純収入は

8,000元にもなりました。

地元の農村余剰労働力の就業問題を解消するため、襲景強は毎年、村民十数名にハウス野菜の 栽培の仕事を振り分けてやり、村民たちから高く評価され、経済的便益と社会的便益の一挙両得 を実現しています。今後は、襲景強いわく、「三位一体」の経営モデルを模索していくそうです。

つまり、「養豚・メタンガス貯蔵タンク・温室ビニールハウス」を組み合わせることによって、

野菜の品質アップを図るとともに、高品質なビニールハウス野菜を豚に食べさせて豚肉の品質も 引き上げ、糞はメタンガス貯蔵タンクに使用して、良好な循環を形成するというものだといいま す。他にも、彼はさらに大きな夢を持っています。それは将来、「集発」のような自分の野菜ブ ランドを作り出し、より多くの村民を動員して、土地出資の形で野菜生産拠点を共同で設立し、

機械化生産の度合いを引き上げ、生産効率を向上させ、野菜の品質アップを図り、ブランド化、

標準化、大規模化生産、経営、販売モデルを徐々に形成しながら、より多くの人々にヘルシーで エコロジカルで安全、安心な野菜を食べてもらうという夢です。

襲景強は訪日研修によって、自分の素養を高めて視野を広げ、考え方を一新させて、故郷の状 況を打開したいという切迫感と使命感を強めました。そして、「テクノロジーによって裕福になる」

ことへの情熱をさらに発奮させました。訪日研修は彼の運命を変え、貧困という帽子を剥ぎ取り、

豊かさへの道を切り開いたと言っても過言ではないでしょう。彼は、一生分の精力と心血を注げ ば、故郷という果てしなく広い大地の上で事業を発展させることができるだろうと語っています。

(原稿提供:秦皇島市総労働組合従業員対外交流センター)

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