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劉和智、男性、1980年10月生まれ、新県新集鎮董店村出身。彼は先祖代々、日が昇れば耕し、

日が落ちれば休み、黄色い大地に向かい太陽を背にする原始的な農業生活を送ってきました。そ の生活の過酷さが、勤勉で苦労もいとわない彼の性格を育んだのです。2002年6月、彼は新県海 外労務派遣センターで訓練を受けた後、無事、日本での研修へと旅立ちました。

農村出身の田舎者だった劉和智にとって、このチャンスは非常に得難いものでした。日本に来 たばかりの頃には、言葉の壁や食生活等、馴染めないことが多かったといいます。日本での3年 間は、ビニールハウスで野菜の栽培に従事しました。彼の所属会社の社長はちょっと偏屈で変わっ ていて、研修生には厳しく、きつく当たることさえありました。しかし彼には、「言葉が通じな くても、人の心に国境はない」という信念がありました。誠実に勤勉に働き、自発的に仕事を探 して、社長に面倒をかけず、自分のことを考えるように社長のことも考えれば、言葉というマイ ナス点は補えると思っていました。研修期間中、劉和智は、新県海外労務派遣センターの掲げる「誠 実さを持って、満足を知り、自発的に行い、礼儀を尽くす」という訓練の理念を常に心に刻み、

仕事では苦労をいとわず、疲れをものともせず、普段の生活では誠意を持って人に接し、仕事先 の仲間たちと団結し、新県研修生のイメージアップを目指しました。

彼は日本に来たばかりの頃、機械の操作やビニールハウス栽培についてはまったく知りません でした。そのため、当初は社長を満足させるような仕事ができない上、朝晩残業しなければならず、

勉強する時間はまったく取れませんでした。彼はできる限り早く仕事に慣れて操作技能を習得し ようと、休みのときにはノートとペンを取り出して機械の操作を復習したり、簡単な図を描いた りしました。聞き取れなかった日本語は書き留めておき、夜、もう一度考えました。社長は、彼 の謙虚で勤勉な態度と旺盛な知識欲に気がついてからは、進んで彼と打ち解けて話すようになり、

彼を認め、褒めてくれるようになりました。同時に社長との交流によって彼の日本語もどんどん

事例 5

劉 和智

生 年 月 日: 1980年10月13日 送出し機関: 中国国際技術智力合作公司 職   種: 農業

帰 国 日: 2005年11月

上達し、技術も急速に向上しました。

劉和智の勤勉さは、仕事で発揮されるだけでなく、自分の勉強にも生かされました。仕事の合 間には、社長から農業栽培や企業管理に関する本をたくさん借りてきて、毎日読書し、その感想 を書き留めました。勤務時には注意深い観察を行い、間もなく社長から認められ、信頼されるよ うになりました。そして彼は、研修生や日本の他の同僚たちに野菜の収穫作業を配分する等の業 務を任されるようになり、ビニールハウス内の除草、施肥、耕地、種播、散水、温度管理といった、

高い技術が求められる各種業務までも、安心して任せてもらえるようになったのです。

劉和智はいつも、自分のことを考えるように社長のことも考えて、自分の最大限の情熱を持っ て、仕事に取り組みました。台風に見舞われたことがありました。ビニールハウスの中には古い せいで台風に耐えられないものもあったのですが、劉和智は社長の経済的損失を減らそうと、嵐 の中を飛び出していき、修理を行ったのです。荒れ狂う暴風雨をものともせず、彼はいつものよ うに全力を尽くしました。しかしちょっとした油断で、ワイヤで右足を傷つけてしまい、左手に も深い擦り傷を負ってしまいました。傷口は深く、血がどくどくと流れ、耐え難い痛みを感じた といいます。社長はそんな彼を見て作業をやめさせようとしましたが、彼は頑固にやり遂げるこ とにこだわりました。しかしその後、失血が多く、顔面蒼白になってしまったので、社長は急い で彼を病院へ運びました。左手を5針も縫うことになり、医師は一週間の休養が必要だと言いま した。しかし彼は休まずに、退院した翌日から仕事を続けようとしました。社長も休んで傷を治 すように彼を諭しましたが、彼は、「ビニールハウスの野菜はもうすぐ収穫期です。雨風にさら されてしまえば、会社は大きな損失を被ることになります。今は人手が少ないから、こんな小さ な傷で休んでなんかいられません」と言いました。これを聞いた社長は、大変感動したといいます。

しかし、これ以上に高く評価されるべきは、彼の寛容さです。あるとき、同僚の一人が、不注 意で仕事中にミスを犯してしまいました。社長は始め、それが劉和智がしたことだと勘違いして、

彼を叱りました。しかし劉和智は弁解することなく、その責任を自ら負ったのです。その後、社 長は真相を知りましたが、劉和智を褒めて、ミスを犯した当事者を探し出して責任を取らせるこ とはしなかったといいます。劉和智の勤勉さ、一生懸命さ、寛容さは、同僚全員の尊敬を集めた だけでなく、社長からは一層信頼されるようになりました。3年間で彼はかなりの収入を得られ ただけでなく、社長から直々に自動車の運転技術を教えてもらいました。

帰国後、劉和智は父親の木材加工店を継ぎ、60万元を投じて工場建屋を建設し、設備を購入し て規模を拡大しました。3年間で、木材加工場の敷地は2,000平方メートル以上、固定資産は260 万元以上、年収は約120万元となり、82名の従業員を抱え、素晴らしい利益を計上する、地元の 成長著しい民間企業の一つにまで成長しました。

劉和智は、「木材加工は『森林破壊』だと言われています。昨今、誰もが環境をいたわり、保 護することを呼びかけています。だから私は、『植林』をしようと思っています」と語っています。

2008年、彼は自分の村で、3,000ムー(訳注:1ムーは約15分の1ヘクタール)以上の荒れた山を 借り受けました。請負経営期間は30年間で、今では32万株が植樹され、前段階で35万元を投資し ています。15年ごとに森林を木材にすれば、第一期の収入は1,000万元が見込まれます。また、国 の「退耕還林」政策(訳注:条件の悪い農地等に植林を実施する政策)に対する補助金政策があり、

樹木の苗の費用と普段の維持費は、ほぼ自腹を切らなくてもよくなりました。2009年2月、劉和 智はさらに100万元余りを投じて、県人民政府所在地の繁華街地域に300平方メートル余りの店舗 を購入し、自社が製造したソリッドウッド製品を専門に販売して、商売は大いに繁盛しています。

木材加工、荒れた山の請負経営、店舗の購入によって、劉和智の木材ビジネスは、栽培・加工 から販売に至るまでのワンストップサービスを実現しました。彼個人の事業がますます拡大して いるとともに、彼の事業によって県内の150人余りの雇用を創出できるまでに発展し、年間納税 額も約100万元にも上っています。村民たちは、「劉和智の加工場によって、私たちの収入も増え てうれしいですが、何より喜ばしいことは、彼が数千ムーもの荒れた山を1年で緑の森にして、

村の姿をすっかり変えてくれたことです。これは、現代に貢献し、未来をも益する素晴らしいこ とでしょう」と語っています。

(原稿提供:業界海外労務派遣基地・新県基地)

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