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研修によって開かれた豊かさへの道 帰国して起業、本領発揮

外に、イチゴ栽培の技術と管理及び温室の建築構造や土壌改良等について、たくさんの見識を得 て、多くの知識を蓄えました。2001年8月、研修期間を終えて帰国した彼のポケットには、日本 円で105万円が入っていました。彼にとって、このお金の使い道は山ほどありました。結婚して5、

6年になっていましたが、未だに家にはきちんとした家具や電気製品は一つもありませんでした。

家は1976年の唐山大地震の後に建てたレンガと土と木でできた、今にも崩れそうな古い家でした。

お金が入ったら、真っ先に住環境を改善したいと思っていました。しかし彼は、「新しく家を建 てたら、新しい家具も必要になる。お金を使い果たしたら、実質的には昔のような生活を繰り返 さなければならなくなる」と考えました。そしてあれこれと考えあぐねた末、彼は家を建てても 札束は生えてこないのだから、家を建て家具を買うのは後回しにすることにしたのです。そして 15,000元を投じて、日本のビニールハウス野菜栽培モデルを真似た、日本式の鉄骨製ビニールハ ウス2基を建て、野菜の試作栽培を行いました。しかし、気温、土壌、環境、付帯施設といった さまざまな原因が重なり、日本式ビニールハウス栽培は成功しませんでした。当時、彼の周りには、

彼が日本くんだりまで行って、学ぶべきことは学ばずに、無駄に苦労することを学んで帰ってき たと噂する人もいました。20年以上、村の幹部公務員として働いていた彼の老父も、分をわきま えて農業に勤しみなさいと彼を諭しました。日本式ビニールハウスが失敗に終わると、彼はとて も腹を立てましたが、諦めはしませんでした。彼は、経験とは一つの財産だと思っていました。

さらに失敗という教訓を総括して、日本のビニールハウスをただ真似るのではなく、日本の先端 技術を駆使しながら地元の実情を踏まえたやり方をするという結論に達しました。そこで、近隣 でビニールハウスで野菜栽培をしている農家や昌黎、楽亭、灤南等のイチゴ栽培地域をかけずり 回ったり、市の総労働組合従業員対外交流センター訪日研修生事前訓練拠点を訪れたりして、イ チゴ栽培技術について専門的に学びました。2年間の努力の結果、彼は栽培の奥義を習得し、さ らに4万元以上を投じて日光温室3基を設置して、日本のイチゴ「とちおとめ」だけを栽培しま した。彼は栽培を行うに当たって、地元の日光温室技術や栽植間隔を狭めてニンニクを一緒に植 えて病気を予防するといった技術のほか、日本の高畝栽培や完全密封式マルチフィルム、地下滴 灌、ミツバチ授粉、日光消毒といった先進的技術も活用しました。このような基礎の上に、地元 の土壌の特徴に合わせて、日本の技術を参考にしながら土壌の有機肥料と有機物を調整しました。

こうして化学肥料や農薬を使わずに、イチゴ栽培を成功させたのです。「とちおとめ」イチゴは 毎年11月15日に市場販売されていますが、甘くて口当たりが良く、高品質な上に、クリーンな農 作物であるため、キロ当たりの市場小売価格が50元以上にもなります。当時の4万元以上のコス トを回収できただけでなく、1万元以上の純利も計上しました。2005年秋、彼はさらに資金を投 じてイチゴハウス5基を設置しました。供給が需要に追いつかない状態で、すべてのイチゴは、

唐山市、秦皇島、天津市のスーパーマーケットへ販売され、イチゴ栽培による年収は10万元以上 になりました。これ以来、この地元で生まれ育った田舎の若者が、一躍、村の有名人になったの です。唐山市や秦皇島、天津市から、栽培専門農家や農業科学技術員らが、農業用車両やワゴン車、

高級乗用車で彼の村や自宅に乗り付けて、学習や視察に度々訪れるようになりました。さらに彼 らは、張建東に講義を依頼したり、顧問を頼んだり、提携を結んだりもしました。どれもこれも、

彼が予想だにしなかったことです。それ以上に予想外だったのは、この辺鄙な田舎の人々が彼に 影響されて、作付面積の大きい作物ばかりを栽培していた高齢の同郷人らが、彼から指導や支援

を受けながら、300基以上の農業栽培用ビニールハウスを建てたことでしょう。村共産党支部は 彼を熱心な党員として認め、重点的な育成を行いました。昌黎県新集鎮の農民も、訪日農業研修 を豊かになるための最良の選択と考えるようになり、新集鎮は秦皇島市派遣研修生の輩出率ナン バーワンの鎮となりました。300名以上の農民青年が相次いで訪日研修へと旅立ち、先進的な農 業技術を取り入れ、吸収するための潜在的な富を蓄えました。2年以上にわたる市場マーケティ ングの結果、「とちおとめ」イチゴは、今では昌黎の新しいブランドとなり、唐山市や秦皇島の 従来型のイチゴに取って替わる新品種となって、天津市や唐山市でも徐々に市場を開拓しつつあ ることが認められました。

2008年、張建東とその他6農家の農民らが14万元を共同出資して、昌黎県新集三東果物野菜専 業合作社の会社登記を行いました。研修時に学んだ先進的な組織モデルや栽培モデルを参考とし て、社員に科学的な方法で財を成す方向を示しながら、良質な白菜やニンジン、季節移行期の果 物や野菜を栽培して、果物や野菜の高付加価値加工等を実施しました。また、研修セミナーを開 催して資料を配布し、新品種を導入し、先進的かつ高効果な栽培技術を普及させるなどして、社 員に良質で高効果なサービスを提供しています。合作社の専任者は、インターネットを介して随 時市況を把握し、情報を速やかに野菜農家にフィードバックしています。農作物卸売市場の「グ リーンゲート」を存分に活用して、供給量を増大させ、果物と野菜栽培の大規模発展を後押しし ながら、農民の収入増加を助けています。

2008年、合作社は省の農業庁に、農作物クリーン拠点、グリーン農作物拠点の認証を申請し、

取得しました。これによって果物と野菜の栽培規模が拡大したと同時に、知名度も次第に向上し てきたため、地元や地方の顧客がこぞって買い付けや仕入れに訪れるようになり、これまでの「果 物・野菜が売れない」という問題や仲買人の買付価格や等級の引き下げによる農民いじめの問題 が解消されました。張建東の新しいアイディア一つひとつが、合作社の社員に豊かな報酬をもた らしたのです。現在、合作社社員は既に230戸に増加しており、各種の果物・野菜の生産拠点は2,800 ムー、合作社の資産は1,375万元となり、周辺の六つの郷鎮内の自然村20箇所にも放射線状に影響 を与えています。

張建東にとって、この数年間、自分が歩んできた道を振り返ったとき、何よりも感慨深いのは、

訪日研修を足がかりとして、日本の農業の先進的な技術や成果をじかに学び、思想や考え方が飛 躍的に進歩し、人生の価値を再構築したことだといいます。まさに彼の言葉通り、「我々農民は 政府のやることを待つばかり、依存するばかり、要求するばかりではいけない」のであり、すべ てのチャンスをつかまえて、「チャンスをつかむべきときはつかみ」、「思うこと、実行すること、

良いことをすること」なのです。「思う」とは、旧来型の農業栽培におけるさまざまな考え方の 壁を取り払うことです。悠然とした態度で故郷や祖国を離れて海外に赴き、自信を持って近代的 な農業技術や成果について学び、吸収し、農業を発展させる新技術を恐れることなく模索して、

市場経済の大きな流れの中に思い切って飛び込み、自分の苦労やたゆみない努力によって財を成 す方法を見つけ出し、豊かさへの道を歩んでいくことです。「実行する」とは、ハイテクノロジー

農業という時代の理念を確立することです。個人的な損得や名誉、恥にこだわるのではなく、困 難に立ち向かい、失敗を恐れずにチャレンジし、学習やイノベーションを続けることによって、

市場や消費者に認めてもらうことです。「良いことをする」とは、習得した新しい技術を、自己 実現するための新たなターニングポイントとすることです。海外へ出る目的とは、私腹を肥やす ため、帰国後に財を成すためではなく、故郷の人々を豊かにし、良い暮らしをさせてあげるため なのです。故郷のために何かさせて頂けることが、最も意義深いことなのです。

(原稿提供:河北省商務庁)