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彼はかつてレイオフされ、これからどうすれば良いのかと茫然としていた一労働者でした。し かし今では、工場を所有している上、大勢のレイオフされた労働者に手を差し伸べて再就職の道 を提供しています。彼は自分の将来に対して希望に満ち溢れ、より多くの人々を導き、ともに未 来を夢見ています。その彼とは、河南洛陽市出身の帰国生、趙純革です。

千年の帝都、牡丹の都と謳われた歴史的にも文化的に名高い都市、洛陽市。早くも「第一次5 か年計画」期間において、国が重点的に建設を行う工業の中心地の一つと計画に定められていた 都市で、中堅の大中型国有工業企業が集まっています。2000年頃、大型国有企業が苦境を脱却し、

再編を行うという改革の積極的な取り組み段階のさなか、当時、趙純革が所属していた洛陽中信 重機公司でも、経済的利益が少ないために度々遅配が発生し、倒産の危機にさらされていました。

最終的に、趙純革とほとんどの従業員は、一緒にレイオフされてしまいました。突如として安定 した仕事を失い、生活に保障がなくなってしまった趙純革は、それまでに感じたことのない危機 感を覚え、呆然としていました。彼は至る所で職を探したが、収穫はありませんでした。しかし 偶然、人生を変えるチャンスに出くわしたのです。当時、中国河南国際合作集団有限公司と日本 の静岡県経友会事業協同組合は、訪日研修生プロジェクトを提携で実施しており、ちょうど洛陽 地区でも機械加工の従業員を募集していました。趙純革は、「物は試し」という気持ちでそれに 応募しました。そして、機械の基礎理論と知識及び実際の技能操作の試験を受け、中国側及び日 本側雇用主との度重なる面接を経て、大勢の応募者の中から抜擢され、優秀な成績で無事合格し たのです。面接に合格した後、出国前の訓練期間では、趙純革は訪日研修についてより理解を深め、

「これは自分の将来を変えることのできる、非常に貴重なチャンスになる」と考えました。そして、

「訪日研修ではしっかり勉強して、日本企業の先進的な技術と理念を習得し、自分の価値を引き 上げて、社会から二度と排除されないようになるぞ」と心に誓ったのです。3か月の日本語訓練 と思想、教養、身体能力及び軍隊式訓練を終え、2001年10月末、趙純革は家族の願いと期待を一

事例 8

趙 純革

生 年 月 日: 1972年12月1日

送出し機関: 中国河南国際合作集団有限公司 職   種: 機械・金属

帰 国 日: 2004年10月

身に背負い、夢を胸に抱いて日本という見知らぬ大地に足を踏み入れました。

日本に到着した後、趙純革は、その他すべての研修生と同じく、最初の辛い適応期間を過ごし ました。趙純革には自分なりの考え方と目標があり、限りある時間を浪費することを恐れていた ため、他人より大きなプレッシャーを感じていました。彼は学びたいと思っていました。学ぶべ き事柄はあまりにも多かったのです。彼はできる限り早く適応し、日本の仕事のやり方やリズム、

朝礼(日本の会社で始業前に、従業員が集合して開かれる早朝会議のこと)、職場リテラシー、「5S」

(整理・整頓・清掃・清潔・躾)管理といった会社の企業文化を身につけるだけでなく、一日も 早く日本の生活習慣に慣れて、日本の風土や国民性、礼儀作法、安全・衛生、法律・法規等につ いて熟知しようと思っていました。会社での業務が始まったばかりの頃、突き当たった最大の問 題は言葉の壁でした。とりわけ、仕事上の専門用語を使うときには、当初、日本の先生方とは目 つきや動作からしか、意思疎通を図ったり、学んだりすることができませんでした。忘れないよ うに、趙純革は常にノートを携帯して、知らない単語を見つけるとすぐに書き留め、夜退社後に 辞書で調べて、繰り返し暗唱して覚えました。他の人たちは退社後は寛いで、休んだり遊んだり していましたが、趙純革は一度も自分に対する要求を緩めることなく、退社後も一分一秒を惜し んで、言葉の壁という問題と格闘していました。約半年間のたゆみない努力と、河南国際公司の 日本駐在代表者及び日本側の受入れ組合担当者の先生方による全力のサポートのおかげで、趙純 革の日本語は目覚ましく上達しました。日本の同僚たちの言葉がほぼ聞き取れるだけでなく、自 分の意見を上手く言い表せるようになり、同僚たちとスムーズに意思疎通を図り、交流すること ができるようになったのです。

趙純革の研修先の会社は主に、日産、マツダ、三菱、トヨタ及び西欧の一部自動車メーカーに、

金属製ケーシングを供給しています。技術や設備は言うに及ばず、管理等の面においても、世界 トップレベルの会社で、総合力は日本の同業界内で第5位にランクされています。趙純革は、こ のような企業で水を得た魚のように、飢え渇くような気持ちを抱きながら、同社の先進的な技術 や管理、経営理念を学び、吸収しました。これが、彼が今後、帰国して起業する際の確固たる基 盤となりました。

言語能力や技術レベルの向上につれて、日本人との接触も徐々に増えていきました。わずか3 年という生活の間、趙純革にとって最も印象深かったのは、日本人の職業倫理でした。この点に ついて、彼はかつて感慨深げに、「日本人は仕事をするとき、『命知らずの三男坊』(訳注:水滸 伝の登場人物「石秀」のあだ名。人の苦難を見ると命がけで助けるような人間を例える)と言え るほど、非常に几帳面で手抜かりは一切ありません」と語ったことがあります。趙純革は、勤務 態度だけでなく、仕事の効率においても、日本の同僚たちに負けたくないと思っていました。彼は、

普段の仕事から真面目で勤勉で努力を惜しまない上、よく知恵が働き、自分の総合的な技能レベ ルを引き上げることに力を尽くすだけでなく、仕事のやり方を絶えず改善して、業務の効率化を 図りました。彼は、会社の先進的な数値制御加工センターで働いていました。毎日、退社前には 旋盤のプログラムを作成して、退社後夜間も旋盤が自動加工を行い、翌日朝の出勤時にも回転し

ているようにセットしていました。もうすぐ退社時間であっても、部品加工が終了したときには、

時間を無駄にしないよう、他の加工部品と交換しました。退社が少し遅くなっても、プログラム を作成し終えてから退社することで、旋盤が夜間も正常に自動加工するようにしたのです。やが て彼は会社の責任者から認められるようになり、会社から何度も顕彰され、従業員たちから尊敬 されるようになりました。仕事上で会社から認められると同時に、趙純革はもっと厳しい要求を 自分に課していました。彼は度々、会社の先輩方に謙虚に教えを乞い、さまざまな技能を学びな がら、業務革新の能力も高め続けました。とりわけ、3年目には、趙純革は会社の技術開発グルー プに参加して、多くの技術上の難問解決に取り組みました。これは、会社により多くの利益をも たらしただけでなく、会社にいる中国籍の全研修生にとっても光栄なことでした。

忙しない仕事とともに時間はあっという間に過ぎ去り、2004年10月、趙純革は無事、3年間の 研修・実習を終えて祖国に帰りました。短い休暇の後、趙純革は日本で貯めた資金と、自分の勤 勉さと豊富な業務経験を糧に、とりわけ、日本で学んだ先進的な技術を武器にして、地元の実情 を踏まえて自分の機械加工工場を設立し、大企業からレイオフされた労働者たちを雇用しました。

数年間、趙純革は会社の管理に地道に励みながら、自ら課題の研究開発を行ったり、技術的な難 問にも取り組みました。彼が3年間かけて日本で学んだことが、事業の発展に存分に活かされた のです。会社は以前、長江三峽の水利枢軸工事における二号シップゲートの重要部品であるボブ の加工を請け負ったことがありました。この部品の加工は非常に難しく、高い平滑度が要求され ました。彼は、工場の技術者たちによる難関攻略グループを結成し、自らが陣頭指揮して、連夜、

日本で学んだ先進的な技術を駆使し、ごく短時間で技術的な難問を解決するとともに、非常に短 い間に要件に適合する製品も作り出しました。新製品の各技術指標を検査した結果、ドイツ製の 輸入一号シップゲートさえも上回ることが判明したのです。ドイツ製の輸入品価格は、一個当た り人民元77万元だが、趙純革の工場の製品価格は、わずかにその4分の1であり、国内水力発電 業界の専門家や顧客から高く称賛されています。

趙純革は訪日期間中、規則をしっかり守る人でしたが、帰国してからは企業の経営管理におい て、「品質第一、誠実・信用、契約の厳格な履行」という経営理念を守り続けています。彼が製 品品質と行き届いたサービス、適時納品(工場の設立当初から、彼は請け負った仕事は規模の大 小にかかわらず、一度の納期遅延もありません)を重視した結果、同社は高い評価と信頼を勝ち 取り、顧客は引きも切らない状態になりました。趙純革のリーダーシップのもと、会社の全従業 員がたゆみなく努力した結果、小さかった工場は次第に大きくなり、登録資本金も当初の数十万 元から現在の100万元まで増加し、年間売上高は3,000万元を超えました。工場の従業員も当初の 数十人から今では150人以上に増えています。中には再就職の道を提供した、大勢のレイオフさ れた労働者もいます。現在、中国船舶総公司725研究所、中信重工、海螺セメント、四川鉄鉱、

浙江セメント工場等、国内の多くの大型重工業企業は、どこでも趙純革の会社をサプライヤーに 指定している上、海外へ輸出している部品もあります。今でも工場は日増しに発展しており、加 工の注文は半年先まで埋まっています。趙純革は今、企業の生産規模を一層拡大させる方法や、

製品のアップデート、産業の高度化等の問題に集中しています。