革命直後からメイエルホリドの演出は、マヤコフスキーの「芸術軍への指令」(1918年)
に呼応するかのように事物による表現であった。
1.演劇の十月
メイエルホリドは
1918
年8
月、ボリシェヴィキ党に入党する。そして1920
年9
月16
日、教育人民委員ルナチャルスキーはメイエルホリドをテオ(ТЕО、教育人民委員会演劇 局)の主任に任命した。1920年11
月20
日付のルナチャルスキーの指令によると、ソヴ ィエト政府の演劇政策は二つに分けられる。一つは革命劇の創作、大衆劇場のレヴェルア ップ、劇場の革命による浄化であり、もう一つは過去の最良の劇場を守ることである。そしてロシアの帝室劇場を除く全劇場の指導はメイエルホリドに委ねられた(註
1)。政
治革命に続いて演劇の革命が起こると彼は固く信じていた(註2)。演劇の革命こそ、「演
劇の十月」である。メイエルホリドがテオの主任となって以来、機関誌「演劇報知」は、「演劇の十月」の理 念の代弁者となった。1921年
2
月8
日、社説の代わりに「諸芸術の十月のスローガン」が掲載された。
諸芸術の十月は、うわべだけの伝統という催眠状態に打ち勝つこと。伝統は新しいフ ォルムの拒絶や、有害な保守性や、よくあることだが共産主義建設の原則への敵意を覆 い隠す。
諸芸術の十月は、型にはまった狭隘な啓蒙的傾向との闘い。そうした傾向はプロレタ リアートを力ずくで、封建制、農奴制やブルジョア体制のイデオロギーの捕虜にする。
諸芸術の十月は、芸術への真のマルクス主義的アプローチをその生産分野で確立する。
諸芸術の十月は、現代性という噴き上げようとしている内容のためのフォルムを探究 することである。
偉大なる諸芸術の十月、万歳!(註
3)
2. 『ミステリヤ・ブッフ』
(1918年
11
月7
日、音楽ドラマ劇場;改訂版は1921
年5
月1
日、ロシア共和国第一劇 場)マヤコフスキーの集団的個による生産(第
4
部第1
章152
頁)を体現したのが戯曲『ミ ステリヤ・ブッフ』であった。戯曲の内容に則して言えば、既存の観念体系に支配された ひとりひとりの個人主義ではなく、事物たちを組織しようとする「社会的集団の個人主義」である。そこでの事物は暴動を起こすのではなく、「人間への信頼を取り戻す」(リペリー ノ、註
4)。
旧約聖書のノアの箱舟伝説を下敷きにしたこの戯曲は、革命の洪水が旧世界を滅ぼし、
新しい世界の担い手たちを箱舟が救うといった階級闘争を示すのみならず、人間は書物(既 存の観念体系)の奴隷となるのではなく、事物を奴隷とするといったテーゼとなっている。
7
組の不潔な人々のプロローグは観念ではなく、実体のあるものを求めるプロローグか ら始まる。福音書、
コーラン、
『失われた楽園と蘇った楽園』、 さらに、
さらに、
ほんとうにたくさんの書物たちが俺たちに書いた。
そのどれもが、賢明で狡猾で、死後の喜びを約束する。
ここで、
地上で俺たちは生きたい、
このエゾマツ、家々、道、馬、草より 低くないところで。
俺たちには天上の菓子なんてうんざりだ。
でかいライ麦パンを食わせろ。
紙に書かれた情欲はうんざりだ。
生きている女房といっしょにさせろ。
[...](26,27)
つまり、書物やそこに書かれている来世(観念)ではなく、実体のある地上を、天上の 菓子や紙に書かれた情欲(観念)ではなく、ライ麦パンや生きている女房(実体のある事 物)を求めているのである。そしてこれまで観念ばかり扱ってきた劇場に対して次のよう に引導を渡す。
今日、
劇場の埃の上に
俺たちの標語が燃え始めるだろう。
「すべてを一新せよ!」と。
立ち止まって、驚きなさい!
幕だ!(27)
この戯曲の中で、かつては書物(観念)に支配されてきた人間は、鍛冶工や大工等に向 かって次のように宣言する。
人間
私はだれか。
私は蔦の巻き付いた愛書家たちの、
思索の、うっそうとした森の 樵だ。
人間の魂の名工だ。
丸石の心臓の石工だ。
水の中に沈まず、
火の中で燃えない。
永遠の反抗の不屈の霊魂である。
私が
やってきたのは、
君たちの筋肉を、
身にまとうため。[下線は引用者](71,72)
ここで人間は、既存の観念体系と決別し、事物たちの支配者となるべく、事物を扱って きた鍛冶工や大工たちの筋肉を身にまとおうとする。そして戯曲の最後で事物たちは新し い時代を担う労働者に屈服する。
事物たち一同
許してください、労働者よ!
労働者よ、許してください!
ルーブルの奴隷、
奴隷所有者の奴隷 であったことを。
[...]
聖なる洗濯女である 革命が
石けんを持って
地上の顔から泥をすっかり洗い落としました。(99,100)
そして最後に一同は、事物(シャベル、ハンマー等)を使って世界を創造する事を宣言 する。
全員
私たちが地球を建築し、
惑星を飾り付けるんだ。
[...]
掘れ!
穴を穿て!
鋸で挽け!
掘削せよ!(102,103)
メイエルホリド演出の『ミステリヤ・ブッフ』初演の舞台装置はマレーヴィチが制作を 担当した。
[...]第
2
幕の舞台装置を表すト書き(箱舟のデッキ)から、キュビスムの抽象的 なフォルムの混沌の中で主に具現化したのは「四方からの波の中に崩壊する陸地のパノ ラマ」という指示である。気ままな比率による立体は互いに積み上げられた。構 造 物コンストルクツィヤの 全体の輪郭の中に、舳先を観客席に向けた船の大雑把な輪郭をとらえることができた。[...]地獄の場面はサーカスや曲芸の場として解釈された。(註
5)
地獄は「鍾乳洞に似た赤と緑のゴシック様式の広間の様相を呈していた」。[...]天国 に灰色の色調、「ネーステロフの色彩」をマレーヴィチは選んだ。[...]雲はアニリンレ ッド、ブルー、パープルの「菓子」で表現された。それはマレーヴィチによれば、色が 混ざって「吐き気をもよおす」ような表現であった。(註
6)
「私たちに刺激や喜びを与えたのは、前代未聞の、日常的な言葉の非日常的結合として は『とてつもない』、深い、次のような韻律であった。『成長したよ。一級の商人たちが藻 を食っているのだから(До чего доросли:Первой гильдии−и жрут водоросли...)。』」
(註
7)とゴルベンツェフは述べている。
メイエルホリドは
3
年後の1921
年、『ミステリヤ・ブッフ』の改訂版をロシア共和国第 一劇場で上演している。舞台装置はキセリョーフ、ラヴィンスキー、フラコフスキーによ って制作された。軽快な建築構造物は、木の素材感を露わにした。この構造物から労働者 たちは箱舟やガラクタの堆積を形作った。舞台装置には文字通りの一義的な意味を否定す る物は何もなかった。つまり舞台の装飾は描写ではなく表現という課題に従っていた(註8)。
[...]「清潔な人々の」衣裳のために画家の В.П.キセリョーフは日常の衣服をデ フォルメし、エキセントリックな要素を持ち込み、素材に新聞紙の断片や表題の書かれ たボール紙の断片をくっつけた。尻尾のある「悪魔たち」は軍服の胸当てのようなもの や、鍋やシャツの胸飾りをつけていた。[下線は引用者](註
9)
「И.В.エリスの点灯夫は芝居の後半で、2階席の仕切り壁に通じる階段を登って、こ の劇場の非常に高い仕切り壁の端に沿って、恐れることなく走りながら、独白を発した」
(ガーリン、註
10)。
「このような方法は舞台に約束の地を表現するという必要性から演出 を解放した。描写はそもそもメイエルホリドの創作方法とは無縁であった」(ゾロトニツキ ー、註11)。
この時のマヤコフスキーとメイエルホリドによる演劇の共同マニフェストによると、「演 劇は行為、建設、生産である。演劇は見世物であり、演技である。演技の中に観客は加え
られ、現在についてともに意見を述べる。演劇は政治集会であり、そこでは革命の英雄た ちが讃えられ、敵たちはののしられ、そして演説者たちと観客が一つになる。情熱的な政 治集会。心をとらえる演技。きわめて風変わりな見世物だ」(註
12)
。『ミステリヤ・ブッフ』(改訂版)の舞台模型
このマニフェストに沿った形で、『ミステリヤ・ブッフ』改訂版の上演(ロシア共和国第 一劇場、
1921
年)には、政治集会と見世物の二つの要素が盛り込まれていた。第一版では、革命は洪水伝説のモチーフを借りて寓意的に語られるだけであったが、改訂版ではクレマ ンソーやロイド・ジョージが定期市の見世物小屋のグロテスクな仮面として、清潔な人々 の中に登場した(註
13)。そしてラザレンコによるサーカスの演目が取り入れられ(註 14)、
メンシェビキはイリインスキーによってサーカスの 道 化コヴョールヌイの方法で演じられ(註
15)、清
潔な人々と不潔な人々との間を妥協主義者として歩き回り、「親愛なる赤い人たちよ! 親 愛なる白い人たちよ! 私にはできないのです!」と泣きながら歌ったのである(註16)。
マヤコフスキーの詩の押韻を、伝統的な押韻の叙情的主観主義へのアンチテーゼとして
「ラッパの声」と命名したのはトィニャーノフであるが(第
4
部第1
章154
頁)、この戯 曲における同様のアンチテーゼをベスキンは次のように語っている。プロレタリアートの演劇は、演劇の形式という宝石で輝く織物を、人体の動きの生き 生きとしたリズム体系を、その造形性プ ラ ス チ カと音を解放し、演劇にその一体性を、その見世物 的要素を取り戻させ、うれしい時は陽気に笑い、悲しい時は涙を流すコメディアン、観 客と一体となり、「祈祷を行う」のではなく、「神官としてふるまう」のではなく、新し い生命をうち立て、孤立してではなく、「閉じられた緞帳」の奥でではなく、共通の昂 揚の中で、広く、自由に、壮大に新しい感覚を組織するコメディアンを取り戻させなけ ればならない。[...]
詩の古い韻律と断絶することで作者は自由な韻律の、そしてまったく思いがけなく輝 き溢れる音韻の中に文字通り浸っている。ある種の言葉のカスケードであり、しかも芝 居の形式そのものとしての新鮮さをもたらし、手形のように退屈な韻律を刻み、冷やや かで几帳面なシチェープキナ−クペールニク等のスタイルの詩のアカデミックな「秩序」
と断絶する。観客は古典的美学のあらゆる障壁を越えて大胆にこぼれ出た才能ある作者 の巨大なテンペラメントに、思いがけず感染する。これはもはや瀕死の職業演劇の静か なささやきから、叙情的主観主義の机上的なドラマから、真に演劇的な彫刻のように表