ブリューソフは第一次革命後もシンボリズムの偶像と思われていた。ところが彼自身は すでに過去の方法論を否定し始めていた。第一次革命後、メイエルホリドは「スタジオの 実験とブリューソフやイワーノフの忠告を考慮に入れてコミサルジェフスカヤ劇場で象徴 主義演劇を創造した。[...]ブリューソフがシンボリズムから離反し始めたこの時、メイ エルホリドもコミサルジェフスカヤも、疑いなくブリューソフの新しいドラマや文学や演 劇における彼の権威に頼った」(註
1)のである。
1.第一次革命後のブリューソフ
日露戦争と第一次革命を経て、ブリューソフの美学が変化する。これまで現実から芸術 を切り離していたブリューソフは、現実の状況や事物が、これまでの主体中心の内面的世 界といかに隔たっていたかを実感したのであった。メーテルリンクの教義は、流血とヨー ロッパ文明の破滅の危機に際して取るに足らない、色あせた、どうしようもないほど古び たもののようにブリューソフには思われた(註
2)。「全世界は私の内にある」というスロ
ーガンを芸術の旗に描く個人主義の時代が終わったことを認識しなければならなかった(註
3)。これは第一次革命の流血という現実の状況や事物が、他者として主体の中に割り
込んできたということである。すべての事物が私の魂(観念体系)の中にあるという時代、事物が(主体の)観念体系の限定を受けていた時代、主体中心の安定した(自動化の支配 する)世界はこうして終焉を迎えたのであった。
こうした変化は、まず論文「カール
5
世〜芸術におけるリアリズムに関する対話」(1906 年)に反映される。これは論文とはいえ、複数の登場人物(作者、詩人、編集者、批評家、神秘家)の対話形式で書かれており、シンボリズムの詩人、リアリズムの作者、神秘家な どの登場は、ブロークの戯曲『見世物小屋』を想起させる。内容は次のようになっている。
リアリズムの作者が書いた戯曲『カール
5
世』を批判して、シンボリズムの詩人が言う。「もし、詩人が外面的事件の記述だけをするなら、私たちには物足りない。」(註
4)と。
しかし「問題は第一の、外面的内容の芸術的意味に、第二のもの、つまり内面的内容を加 えるかどうかにある。シンボリックな作品は、外面的な物語の背後に何か哲学的な、形而 上学的な思想が隠れているからより重要ですばらしいというのか。」(註
5)と作者は反論
する。2
人の議論に神秘家が加わり、「一時的なものの中に永遠なるものを見ることができ る慧眼を詩人は持たなければならない。」(註6)と論文「芸術論」での主張を述べて議論
は平行線をたどる。しかし『見世物小屋』とは異なり、ブリューソフはどちらの意見が正 しいか判断を下していない。2.講演「未来の演劇」 ( 1907 年)
ブリューソフの新しい見解が定まるのは、1907年
5
月10
日、モスクワで行われた講演「未来の演劇」においてである。第一次革命以前のブリューソフにとっては、内面(魂)
を表現することが重要であり、外面は消失すべきもの(邪魔なもの)であったが、この講 演では、「演劇においては、すべてが外面的である。」(註
7)として、外面性すなわちそれ
自体としての価値を認めることを出発点とするようになる。かつて論文「無用の真実」(1902年)では、芸術の内容は芸術家の魂であるとしていたが、ここでは、「ドラマの真 の内容とは行動にある。しかしいかなる行動も、行動のいかなる積み重なりも、抽象的な 理念とは呼応し得ない。」(註
8)として、演劇がそれ自体の意味から逸脱するようなシン
ボルや他の何かの原型となることを否定している。これはシンボリズムの観念体系にとら え込まれることを目指した演劇から、演劇がシンボリズムの観念体系にとらえ込まれるこ とを否定する演劇への転換である。未来の劇作家は「自らの内部に完結した行動」に注意を集中させ、人々の行為の因果関 係を明らかにし、倫理を描いたり、抽象的な道徳や政治状況を立証することのないよう努 力するのである。そして未来の演劇の俳優は特別な訓練によって、心理的性質を打ち負か し、押さえつけなければならないと彼は書いた。「真の(意識的な−引用者)約束事ウスローヴノスチは、
ドラマの行動を明らかにするという目的だけに演劇のすべての要素を従わせなければなら ない。この約束事は、ドラマ技術のすべての側面に及ばなければならない。舞台装置だけ でなく、すべての小道具、そして殊に舞台で最も重要な俳優の演技に及ばなければならな い。もしリアリズムによる演出が理解できず無用であると認識するなら、私たちは約束事 が俳優の演技に浸透することに、まず心を砕かなければならないであろう」(註
9)。
このようにブリューソフはシンボリズムから新しい見解に移行しつつあるにもかかわら ず、ペテルブルクのシンボリストたちは文集『たいまつ』への原稿を依頼し(1905 年、
12
月23
日)、またブリューソフの戯曲『大地』を読んだメイエルホリドは、1907年3
月2
日付の手紙で「思い返すにつれて寂しく思います。あなたが演劇界にいないからです。少しだけでも演劇に貢献しなければなりません。舵取りのいないロシア演劇にとってこれ はたいへん重要なことになるでしょう。」(註
10)と書いている。スタニスラフスキーも 1907
年2
月5
日付の手紙で、『人生のドラマ』について意見を求め、ゲネプロへの立ち会 いをブリューソフに依頼している(註11)。
1907
年10
月10
日、プレミエの当日、ブリューソフはコミサルジェフスカヤから個人 的に招待されてペテルブルクに到着した。芝居の後、彼は劇団の幹部会議で講演した。ブリューソフとコミサルジェフスカヤが接近したのは、ブリューソフ自身が翻訳したメ ーテルリンクの戯曲『ペレアスとメリザンド』の上演の時である。しかしメイエルホリド による舞台はここでも不動劇であり、俳優をマリオネットのように生気のないものにして いた。コミサルジェフスカヤのメリザンドはまさに悲劇的運命に握られた人形となった。
3. 「舞台におけるリアリズムとウスローヴノスチ」 ( 1908 年)
こうしたブリューソフが自らの転向を自分の演劇論に反映させたのが論文「舞台におけ るリアリズムとウスローヴノスチ」である。この論文は文集「新しい演劇についての書」
(1908年)に掲載された。ここにはいまだシンボリズムの手法から脱皮できないでいた時
期のメイエルホリドの論文「演劇の歴史と技術に寄せて」も掲載されている。
ブリューソフはここでまず、論文「無用の真実」で自身が語ったリアリズム批判を繰り 返しつつ、さらにリアリズムの反動として起こった、メイエルホリドによる不確定性とい う(意識的な)約束事ウスローヴノスチに基づいた演劇にも批判を加えている。観念(魂)を表現すること を目指したメイエルホリドの演劇は、リアルなディテール(外面的なもの)を否定しなが らも、実際にはそれを完全に払拭することはできなかった。
[...](意識的な約束事に基づく演劇では−引用者)俳優たちのすべての造形的な動 きや彼らの集団性を全体の構想、ひとつの選定されたテンポに従わせ、舞台装飾のスタ イルに一致させなければならない。
しかし、指摘しておかなければならないが、これらの約束事に基づくと思えるような 演出でも、実際大部分が半ばリアリスティックである。約束事に基づく演劇の演出家た ちは無用なリアリスティックな細部から自由になろうとして、舞台装置全体ではなく、
その一部を示しながらも、それはたいていリアリズムに満ちたまま仕上げられている。
以前の演劇は、部屋を完全な形で表したが、新しい演劇は壁をひとつ表しただけである。
以前の演劇は森を表した時、幹の間にこぼれる陽の光や鳥たちの歌声が伴ったが、新し い演劇はそのかわりに前舞台に
3
本の若木を置く。この半リアリズムは、以前の演劇の リアリズム以上に重い鎖を観客の想像力にはめる。部屋の一部、天井のない壁一つ、ベ ッドのそばの窓一つを前にした観客の目に映るのは、この壁でしかなく・ ・ ・ ・、ベッドのそば のこの窓でしかなく・ ・ ・ ・、観客が部屋を想像するのは、部屋全体が表現されているか、まっ たく表現されていないのに比べてはるかに困難である。エリザベス朝時代の観客は、「森」という銘を読めば、舞台となっているうっそうとした見通すことのできない森を想像す ることができた。「約束事に基づく」演劇の観客は、舞台に
3
本の木が置いてあるのを 前にしても3
本の木だけしか目に映らない。(傍点は原文イタリック)[下線は引用者](註
12)
そしてブリューソフは、(意識的な)約束事に基づく演劇の俳優たちは、ふだんは日常と 同じしぐさで演技しているのに、緊張が高まると急にマネキンになってしまうことを指摘 し、意図的に現実のフォルムから遠ざかろうとするこのような演劇は、壁や木や雲そのも のを表現しているのではなく、これらの図式を表現しているのだと述べる。
[...]それでも至るところで(意識的な−引用者)約束事ウスローヴノスチがリアリズムに割り込ん だ。例えば空は約束事に基づき、縞模様からなっているのに、巨岩はリアルに作られて いる。壁は約束事に基づいているのに階段は本物である。緞帳は約束事に基づいている のに俳優の衣裳は本物である。しまいには俳優たち自身、一瞬一瞬のトーンを間違え、
「約束事に基づいた」身振りで床を掃いた後でいきなり日常的な動きを始めたりしたの である。
[...]舞台の空に浮かぶ雲や作り物の木の葉などの不動性に合わせた動きに俳優たち を慣らすことができると仮定しよう。全体の約束事に必要な調和は作られるだろうか。
否である。その後で、まったく除くことのできないひとつの矛盾が残るであろう。俳優