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:スタニスラフスキーのシンボリズム演出 はじめに

  シンボリズム演劇の方法論への疑念を、ブリューソフのみならず実はスタニスラフスキ ーも抱いていた。それも彼がモスクワ芸術座演劇スタジオにおいてメイエルホリドととも にシンボリズム演劇を目指していた時期のことである。

1.観念体系と事物の「脱臼」

  スタニスラフスキーがヴルーベリの絵画の観念性を体得しようとして、この画家の描い た人物フォルムを模倣したことはすでに言及した(第

2

部第

1

43、 44

頁)。しかし彼は この試み(発見)のすぐ後で疑念も感じたのであった。

    「こうした発見は、ただの熱中や、自己欺瞞の結果ではないのか。」私の心に疑念が浮 かんだ。「これは内部から、内面的な再体験からではなくて、ただ目や耳から、新しい形 式の外面的な模倣から出てきただけではないのか。私たちより著しく先を行っている  絵画や、音楽や、その他の芸術のうちに私たちが見るものを、舞台の上に移すべきだと 言うことは易しい。彼らはよい。画家のカンバスは、気まぐれな空想に浮かんだすべて の線と形を受けとめるから。しかし私たちの物質的な肉体はどこへやりようがあろう。」

      [下線は引用者](スタニスラフスキー、『芸術におけるわが生涯』、註

1)

  スタニスラフスキーは身体の物質性を消失させることは不可能であると悟り、メイエル ホリドの演出の限界も感じ取っていた。

    ついにメーテルリンクの『タンタジールの死』、ハウプトマンの『シュリュークとヤ  ウ』、そしてさまざまな作家による一幕物のゲネプロが決定した。すべてが明らかにな  った。若い、経験のない俳優たちは、才能ある演出家の助けによって、新しい実験を小 さな断片でのみ観客に見せることはできたが、巨大な内面的内容の戯曲を、繊細な素描 を伴って、しかも(意識的−引用者)約束事に基づいたフォルムで展開しなければなら なくなると、若者たちは子供のような頼りなさを示した。才能ある演出家は自分で俳優 たちを隠そうとした。俳優たちは演出家の手の中では、美しい群衆、ミザンセーヌを塑 像するためのただの粘土であり、これらによって演出家は自らの興味ある理念を実現し た。しかし俳優たちに技術が欠如しているために、演出家は自分の理念、原則、探究を 示すことしかできず、それらを実現する術も、人材も持たなかった。そういうわけでス タジオの興味深い構想は抽象的な理論に、科学的な公式になってしまった。私は演出家 の夢想とその実現との間には大きな距離があり、劇場は第一に俳優のためのものであっ て、俳優がいなかったら存在しないこと、新しい芸術にはまったく新しい技術を持った 新しい俳優たちが必要であることをまたしても確信したのだった。そういう俳優たちが

スタジオにいなかったので、悲しい運命は私には明らかとなった。こうした条件が整え ば演出家とその演出活動のスタジオは作れるだろう。しかし、この時までの私の演出家 に対する興味は、彼が俳優の創造を助けるからにすぎず、俳優の無力さを覆い隠すから ではなかった。その頃私は舞台での画家の仕事にも、カンバスや、顔料や、ボール紙や、

外面的な演出手段や、演出家のトリックにも魅力を感じなくなっていたことを特に考慮 すると、演出家のスタジオは、すばらしいものであっても、私の当時の夢想に応えるも のではなかった。私のすべての希望が向けられたのは俳優であり、その創造や技術のた めにしっかりした基礎を築くことであった。[下線は引用者]

(『芸術におけるわが生涯』、註

2)

  そしてこうした観念体系と事物、内面と外面、精神と肉体との乖離を「脱 臼ヴィーヴィフ」と呼んだ。

それは感じていることと表現しなければならないこととは異なるという演劇的まやかしで ある。

    あなたが赤の広場の十万という群衆を前にして大きな壇上に引っ張り出されたと    想像してみて下さい。[...]十万の心があなたの理想的な、献身的な、燃えるような恋 愛に歓喜しようと望んでいる。[...]彼らは当然、あなたの話すことを一言も漏らさず 聞こうとしている。そこであなたは日常の生活では向かい合って、ささやき声で女性に 語りかける優しい言葉を叫ばなければならなくなる。あなたは皆に見え、皆にわかるよ うにしなければならない。したがってあなたは遠くにいる人たちのために身振りや動作 をしなければならないのだ。こういった状況で恋愛のことを考えたり、ましてや恋愛の 感情を味わったりできるだろうか。あなたは無力さと課題遂行の困難さから、努力をし、

力を込め、緊張するだけである。

    [...] 

    したがって俳優の自然な通常の自己感覚、それは内心で感じていないものを外面的に  示さなければならないという、舞台上の人間の感情なのである。これが俳優の脱臼であ  って、精神は日常の、毎日の、平凡な出来事に駆られ、家族のこと、日々の糧、取るに  足らない腹立たしさ、成功、不成功に気を使っていながら、身体の方は、英雄的感情や 情熱、意識を超越した精神の最大限の昂揚を表現しなければならないのだ。

[...]この脱臼をはっきりと意識してから、「どうあるべきか」という問題が、恐ろ しい幻のように私の前に立ち続けた。[下線は引用者]

(『芸術におけるわが生涯』、註

3)

  このような疑問をかかえたまま、スタニスラフスキーは第一次革命後も精神と肉体の乖 離(脱臼)を減じようとシンボリズム演劇の手法を模索し続けることになる。

2.スタニスラフスキーによる不動劇

  スタニスラフスキーは、第一次革命で演劇スタジオが閉鎖された後、演劇スタジオの経 験をもとに物質性の消失を希求し続けた。彼自身もメイエルホリドと同様、不動性を追求

したのである。スタニスラフスキーは『芸術におけるわが生涯』で次のように語っている。

    [...]私は戯曲の内面にすべての注意を向けた。そしてそこから何も注意をそらせる ことがないように、俳優たちから具象化の外面的な手段をすべて取りあげてしまった。

身振りも、動きも、移動も、行動もである。当時の私には、それらはあまりにも肉体的 で、リアリスティックで、物質的であると思えたからであり、私の必要としたのは俳優 の魂から自然に生まれ、じかに発してくる、純粋でむき出しの非肉体的情熱だったから である。当時、私に思われたように、俳優がそれを伝えるためには、目、顔、表情(ミ ミック)があれば充分だった。したがって伝えなければならない情熱を、感情と気質の 助けをかりて、不動のままで俳優に再体験させればよい。[下線は引用者](註

4)

       

  メイエルホリドと同様の不動劇による演出を第一次革命後のスタニスラフスキーも行う。

ハムスンの『人生のドラマ』(1907年)では、彼はノルウェーで静養していたモスクワ芸 術座の女優クニッペルに、ハムスンに会って、チェーホフのようにリアルに演じるべきか、

他のやり方で、メーテルリンク風に演じるべきか尋ねるよう依頼した。しかし、クニッペ ルはハムスンに会うことができなかったので、スタニスラフスキーは自分でこの問題を解 決しなければならなかった。この時、スタニスラフスキーの取った演出方法は次のような ものであった。

  [...]静的ミザンセーヌ、静的ポーズ、ゆっくりとして強調された動き、引き延ばさ れた荘重な間、こうしたすべてのものは強烈なまでにメーテルリンクやメイエルホリド の「不動劇」を想起させた。(註

5)

  スタニスラフスキーはポヴァルスカヤ・スタジオのエゴーロフ、ウリヤーノフにデザイ ンをゆだねた。第

3

幕全体は黒と白のコントラストで、「容姿のかわりに線や平面、顔全 体のかわりに横顔」が描かれた(註

6)。

『人生のドラマ』第1幕、エゴーロフによるスケッチ

3.黒ビロード

   

  また舞台模型 から絵画(二次元性)に切り換えたこの時期のスタニスラフスキーも、メ イエルホリドと同様、舞台の三次元性や物質性の消失に苦心している。

    [...]エスキースを舞台に移す際には、画家の絵画に第三の次元、つまり奥行きを押 しつけなければならなくなる。[...]

   [...]舞台の袖は、エスキースからもがれて舞台装置の独立した一部となったことで、

ボール紙もしくは木材のはっきりとした明確な輪郭を帯びている。木でできた葉の輪郭 の荒々しさは、舞台袖の忌まわしくも典型的な特徴である。画家の輪郭の魅惑的な繊細 さが舞台上で歪められるのは避けられない。

    しかし、さらに大きな害悪がある。第三の次元、つまり舞台と装置に奥行きがあると、

画家は恐ろしい劇場の床に出くわす。[...]

[...]どのみち画家は劇場の舞台装置の素材性、物質性、粗暴さを舞台上で打ち負か すことはけっしてできないであろう。(『芸術におけるわが生涯』、註

7)

  そして三次元性や物質性との格闘の結果が、黒ビロードの使用であった。

    そうか。新しい原則が発見されたのだ。舞台の奥行きを隠し、三次元ではなく二次元  の黒一色の平面を舞台のポルタールのなかにつくり出すことのできる舞台の背景が発見 されたのだ。黒ビロードの敷きつめられた床、同じ素材でつくられた袖や飾り幕は、黒  ビロードの背景と融合し、舞台の奥行きがなくなり、ポルタールの枠が縦横いっぱいに 黒い闇で満たされるから。黒い紙と同様、こうした背景の上に、白やカラーの線、斑点、

絵を描くことができ、それらだけが独立して、それ自体として、舞台の枠の巨大な空間 のなかに存在することができる。[...]

    [...]衣裳の両脇に黒ビロードを縫い込むことによって、余分に見えるところを切り 取るようにして、太った人からやせた人をつくりだせるであろう。

      (『芸術におけるわが生涯』、註

8)

『人間の一生』、舞踏会の場面および音楽家たち、エゴーロフによるエスキース(1907年)

  黒ビロードとは、いわゆる物質性と三次元性を消失させ、絵画的抽象性をもたらす方法、

スタニスラフスキーの言葉では「パースペクティヴと第三の次元を同一平面に融合する」

(『芸術におけるわが生涯』、註

9)方法であったのだ。この時のスタニスラフスキーの目

論みは、ある種の神秘的「静寂」を伴うような背景でシンボリックなドラマを行うことで あった。画家のエゴーロフは黒ビロードの背景でこの戯曲をすべて演じる提案をし、この