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:イワーノフの演劇理念とメイエルホリド はじめに

  ここでシンボリズム期のメイエルホリドに影響を与えたもう一人の詩人・思想家・古代 ギリシア研究者であるヴャチェスラフ・イワーノフについて言及しておきたい。彼は

1905

年秋、ペテルブルクに移ってきた。その住まいはアパートの最上階にあり、「塔」と呼ばれ ていた。そこで毎週水曜日、「水曜会」という名の会が開催され、ペテルブルクの名だたる 作家、芸術家が集った。哲学者ベルジャーエフが議長を務め、詩の朗読会などが行われ、

「塔劇場」での演劇上演が計画された。第一次革命後、モスクワからペテルブルクへ移っ てきたメイエルホリドもこれに積極的に関与したのである。イワーノフは宗教的共同体の ダイナミズム、動の極を復元しようとした。しかしメイエルホリドはイワーノフの影響を 受けて礼拝演劇を主張しながらもその演出は動の極とは正反対の不動劇であった。

1.共同体としての演劇

  イワーノフは、個人個人の違いを個人主義と見なす近代的個(интимное)を否定した。

個人個人の違いを超越した予言者としての個(超人、келейное)のアナーキー的な性質に、

個の原理と共同体ソ ボ ー ル ノ ス チ

の原理との融合を見出そうとした。

    道徳的規範の危機にともなって、個のなかに個を超越する意志を自由に確立すること のできると理解されている広大な神秘主義の地平が開けた。個人主義は社会的側面では、

個の統合と分化を同時に行いながらも、体験においては個を統合することを目指してき た。しかしアナーキーの公式が純粋な理念として、無条件の個人的自由と共同体的統一 の原理との綜合を呈する以上、神秘的な超個人主義は、社会的側面においてアナーキー の公式と一致させながら、個人主義から世界的共同体の原則へ橋を投げかける。

(「予感と前兆」、1906年、註

1)

       

  イワーノフにとって理想的な共同体の原理は古代ギリシアにあった。

[...]このディオニュソス祭ではすべてがダイナミックであった。礼拝の円形の 合唱隊 に参加するひとりひとりは、ディオニュソスの身体つまり宗教的共同体の祭の積 極的な分子である。生贄の恍惚的奉仕から、合唱隊によるドラマというディオニュソス 芸術が起こった。昔は本物の生贄であったものが後には見せかけの生贄となる。これは 第一の俳優プ ロ タ ゴ ニ ス ト

すなわちディオニュソス祭の神自身の分身であり、集団の中で死を運命づけ られているヒーローの苦難の運命を表す。輪舞はもともと生贄を捧げ、生贄の神秘に参 加する者たちの共同体であった。(「予感と前兆」、註

2)

  ところが時代が下るにつれ、フットライトが共同体を舞台と観客席に分けてしまい、デ

ィオニュソスの芸術(演劇)は見世物になってしまった。

    ディオニュソス芸術のさらなる運命は、古来からの構成の各部分が分化したことであ った。ディオニュソス祭は叙情詩の独立した一種として孤立する。ドラマにおいてプロ タゴニストであるヒーローの偉業や受難が特別な意味を持ち、参加する者たちの貪欲な 注意を惹きつけ、彼らを以前の聖なる劇の協働者から、儀式の遂行者から、祝日の見世 物の観客にするのである。(「予感と前兆」、註

3)

  そして生贄の仮面は本来の意味を失っていく。

    [...]ドラマが宗教的起源から遠ざかるにつれて、仮面の透明度は減少し、悲劇のキ ャラクターはますますはっきりと分化し、凝縮していく。(「新しい仮面」、註

4)

  同時にドラマはダイナミックな要素は失ない、静の極へと向かう。

もっとも世界の歴史における演劇の発展は、演劇のミューズの古来からの自己定義か ら身体的静の極へと向かう顕著な傾向を示している。(「予感と前兆」、註

5)

  ロシアにおいても、ディオニュソス祭のプロタゴニストとコロスという分けることので きない要素である芸術家と民衆が、プーシキンのヤンブによって断絶した。芸術家は俗衆 に精神的糧を与えることをやめたのである(「詩人と俗衆」、1904年、註

6)。

イワーノフはこのような状況を憂い、この断絶を埋め共同体を回復するための手だてを 演劇、ことに個と民衆がデュテュランボスのプロタゴニストとコロスという形で融合して いた古代ギリシア演劇に求めた。「演劇は最終的に自らのダイナミックな本質を開示しなけ ればならず、ゆえに『見世物』という意味に限定された『演劇』であることをやめなけれ ばならない」(「予感と前兆」、註

7)。そして「舞台はフットライトを超えて、自らの中に

共同体を入れるか、共同体が自らの中に舞台を吸収しなければならない」(「予感と前兆」、

8)のである。

  このような理念を実現するために、イワーノフ自身が創設した 塔 劇 場バーシェンヌイ・テアトル

や、弟子のチ ュルコーフが同じ場所に創設しようとした「たいまつフ ァ ー ケ ル イ

」劇場に

1906

年、メイエルホリド は演出家として参加した。彼は「たいまつ」劇場で『タンタジールの死』の上演を提案し ている(註

9)。機関誌「たいまつ」第1号(1906

年)の序文には次のようなスローガン が掲げられている。

    「このように生きてはいけない」という多くの人々の叫びが詩人たちの心に共鳴し、

この反抗心は個の魂のなかで独特の屈折をする。「たいまつ」は、私たちの計画では、現 代にこれほど特徴的となった内面的不安を開示しなければならない。

    私たちは声をひとつにすることを希求してはいない。私たちを近づける唯一のものは、

人間に外面的規範を強制する権力を受け入れない態度である。私たちは、人類による最 終的自由の探究に人生の意味を置いている。個を肯定するために、未来の変容した世界

への愛にもとづいた人々の自由な結束のために私たちのたいまつを掲げる。(註

10)

    「たいまつ」誌第1号(1906年)

  しかし「たいまつ」劇場の構想は結局実現されずに終わってしまった。

2.メイエルホリドの礼拝演劇への傾倒

 

1906

年、「内的精神世界を示す方法を探究する」(註

11)という課題を遂行するため、

ネメッティー劇場を古代風に作り直し(註

12)、バクストによって極楽浄土が描かれた緞

帳(註

13)

を取り付けたコミサルジェフスカヤは、自らの劇団に演出家としてメイエル ホリドを招聘した。またメイエルホリドは塔劇場にも積極的に関与した(註

14)。しかし

メイエルホリド自身はこれ以前からイワーノフの礼拝演劇テ ア ト ル ・ フ ラ ム

を目指していた。

  以下の引用はシンボリズムの詩人レーミゾフがブリューソフの要請に応えて(註

15)、

ヘルソーンで活動していたメイエルホリドの様子を書き記した「ヘルソーンからの手紙」

である。これはブリューソフの主宰する「天秤座ヴ ェ ス ィ ー」誌の

1904

年第

4

号に掲載された。 

    新しいドラマが自らの課題とするのは次のような演劇を創設することである。それは 哲学や芸術の分野を湧き立たせた一連の動きの中で、永遠の神秘や我々の存在意味を表 現する、そして十字架の苦しみ、不幸や天上の歓喜に向かって人間を育んだ地上の意味 を表現する新しいフォルムを探究する中で、滲み出る欲求にとらえられて共に歩む劇場 である。[...]

    このような使命を遂行しながら劇団は最高の高みに上昇し、偉大なる彼方が人間の目 を見つめ、足元には暗い深淵が広がり、聖なる神秘劇が演じられるだろう。俳優も観客 も一人の人間のように、法悦に抱かれて一つの行為、一つの感情にふけるだろう。魂の 声はよくわからず奇妙で、恐ろしい瞬間にはじめて聞き取れ、得体の知れないイメージ の炎のような言語で燃えはじめるだろう。そして地上は美しき女殉教者の微笑みで照ら されるだろう。演劇は慰みや気晴らしではなく、人間のみすぼらしさを模倣するもので はなく、信仰であり、その神秘の中におそらく贖罪が秘められている礼拝である。この ような演劇を新しいドラマは夢見ているのである。(註

16)

 

  またバルトゥルシャイチスのメイエルホリドへの手紙(1905年

7

11

日)にも次のよ うに書かれている。

    [...]あなたの劇場に入るとき、わたしは実際に神殿 に入るのだということを、そし てわたしの目の前で動いているのは慰みの神殿の仮装した司祭 ではなく、本物の司祭で あり、新しい司祭 であることを知るでしょう。(傍点は原文イタリック)(註

17)

  またレジコによれば、「コミサルジェフスカヤ劇場は一種の教会となった。そこでは演出 家や俳優は伝統的な教会の僧侶とまったく同じように、世界を導く全能の力の名において 儀式を行った」(註

18)。そしてメイエルホリド自身、作曲家イリヤ・サーツへの手紙(1905

7

月)でメーテルリンクの演劇は神秘劇であり、魂の顕現と浄化であると書いたことは 前章

57

頁で触れた。     

  まさにこうした礼拝演劇やメイエルホリドのメーテルリンク解釈にイワーノフの影響が 見て取れるが、このような新しい試みをうながしたのは、新ドラマ協会の文芸部長をして いた詩人のレーミゾフである。メイエルホリドは、「レーミゾフのエネルギー、理念は私に インスピレーションを与える」(註

19)、「彼は私を生まれ変わらせてくれた」(註 20)と

語っている。

  メイエルホリドの演劇論「演劇の歴史と技術に寄せて」(1908年)の第

5

章は、イワー ノフの演劇論を引用し、その主張に沿った形でできている。例えばイワーノフの「予感と 前兆」の次の箇所を見ておこう。

新しい演劇は再びダイナミックな原理に引きつけられる。イプセンの演劇がそうでは ないか?  そこではうんざりするほどの熱気の中で蓄積したエネルギーの電気が凝縮 し、悪魔のような壮麗さの中で、浄化の打撃が浴びせられ、威嚇するような緊張から雰 囲気を解き放つことはない。もしくは閉じた鉄扉の前で棄てるために、私たちを秘密の 迷宮に連れ去るメーテルリンクの演劇がそうではないか?[...](「予感と前兆」、註

21)

メイエルホリドはこのような箇所を念頭に置いて次のように述べている。

    新しい演劇は再びダイナミックな原理に引きつけられる。イプセン、メーテルリンク、

ヴェルハーレン、ワーグナーの演劇はそのようなものだ。最新の探求は古代の遺訓に遭 遇している。かつて悲劇という神聖なドラマは、ディオニュソス祭の「浄化」の一形態 であったように、今のわれわれが芸術家に求めているのは治癒と浄化である。

(メイエルホリド、「演劇の歴史と技術に寄せて」、註

22)

 

そしてメイエルホリドもイワーノフ同様、見世物ではなく集団による創造行為を主張す る。

    新しいドラマにおける外面的行為や性格の開示は無用となる。「われわれは仮面の裏、 行動の裏の、知でとらえられる人物の性格の中に入り込み、その『内面的仮面』を見る ことを望んでいる」。

    [...]