観念体系の表現として、絵画的手法、不動性に頼ったメイエルホリドであったが、1907 年にもなると、事物と観念の差を認識しないわけにはいかなくなった。
1.物質性消失の破綻:二次元から三次元へ
素材から物質性を消失させるため、絵画の二次元的抽象性(観念)を希求しながらも、
物質性を消失させることのできない部分、二次元にできない部分が残ってしまったことに 気がついた。それが俳優の身体である。いくら抑制された動きをしても、身体の物質性は 消失できないし、しかも三次元の身体を二次元にすることなど不可能である。メイエルホ リドは『ペレアスとメリザンド』の演出(1907年
10
月10
日、コミサルジェフスカヤ劇 場)でその解決を図ろうとした。ヴォルコフは次のように書いている。[...]『ペレアスとメリザンド』は、演劇の新しい段階の始まりではなく、歴史的に 必然的な段階のはっきりとしたサイクルの締めくくりである。それはモスクワのスタジ オで自主的に始まり(『タンタジールの死』)、今、『ペレアスとメリザンド』で完結した。
これまでの段階を「(意識的な−引用者)約束事に基づいたウ ス ロ ー ヴ ヌ イ 、装 飾 的デコラティーヴヌイ演劇」と呼ぶべき である。「狭い視野のこうした方向で演劇活動を進めていけば、演劇は死に至るであろ う。」とメイエルホリドは認めている。
しかしメイエルホリドがさらに続けて言うには、彼はこれ以上装飾画の制約の中で俳 優に演技させ、それによって演劇をマリオネットに導くつもりはない。そうしたことは 演劇的珍品としか見えない。俳優の三次元の身体は、三次元の空間に囲まれることを要 求する。これは装飾画の方法から彫刻的上演方法への変更につながる。[下線は引用者]
(註
1)
メイエルホリドもまた論文「演劇の歴史と技術に寄せて」で次のように語っている。
装飾パネルは交響曲と同様、特別の課題を持っていて、絵画としての装飾パネルに人 物が必要であるとすれば、人物は描かれたものに限られるし、それが劇場の場合は、ボ ール紙のマリオネットであって、蝋や木や生身の身体ではない。二次元の装飾パネルは 二次元の人物を要求するからだ。[下線は引用者](註
2)
メイエルホリドは二次元の舞台装置と三次元の身体との不調和に対して、舞台装置を絵 画性(二次元)から彫刻性(三次元)へと転換させることで解決を図ろうとした。1907 年
10
月12
日、コミサルジェフスカヤ劇場の会議の中でメイエルホリドは絵画的手法を拒 否し彫刻的手法へ移行することを表明したが、これもマリオネット演劇への道であった(註3)ことに変わりはない。論文「演劇の歴史と技術に寄せて」でもメイエルホリドはこの
ことに触れている。人間の身体やそれを取り巻くテーブル、椅子、寝台や戸棚といった小道具は、すべて 三次元であり、それゆえ俳優が主である演劇においては、絵画ではなく造形芸術で見出 されたものに立脚しなければならない。俳優にとっての基礎は造形的彫塑性・ ・ ・ ・ ・ ・でなければ ならない。
これこそ新しい演劇の領域における探求の第一段階の結果である。(意識的な−引用 者)約束事に基づいた演出の実験をいくつかもたらし、ドラマ劇場における装飾画の新 しいあり方を考えることに至らせた歴史的に必然的なプロセスが完結した。[...]
装飾パネルを否定しながらも、新しい演劇は約束事に基づいた演出手法や、聖像画の 手法によるメーテルリンク解釈を否定するものではない。しかし表現方法はこれまでの 絵画的なものとは反して、建築的なものとならなければならない。(傍点は原文イタリッ ク)(註
4)
同論文でメイエルホリドは、「三次元の空間を作り、自然な彫塑的造形性を取り仕切るこ とによって、俳優を舞台装置から解放する」(註
5)と述べているものの、基本的には二次
元(絵画)が三次元(彫刻)になっただけである。身体は依然として抑制されたもの(不 動劇)であり続けた。前述の芸術協議会の会議で、彫刻的手法への様々な疑念がメイエル ホリドに投げかけられた。「この手法は『ドラマ』にどれほどの芸術的偽りをもたらすであ ろう[...]。」(ウンゲルン)、「ポーズは時に俳優を縛り付けた。」(ブラーヴィチュ)、「演 出家はパネル(絵画)の時と同様、俳優に圧迫を加えるのでは。」(コミサルジェフスカヤ)といった非難が飛び交った(註
6)。
シンボリズム期のメイエルホリドの方法は、事物(素材)がシンボリズムの観念体系に とらえ込まれることを希求するものであった。
論文「演劇の歴史と技術に寄せて」においてメイエルホリドは「目の前にいるのは、舞 台で演じる俳優」と語り、フォルムの魅力について強調しているものの、この時期のメイ エルホリドの演出でのフォルムや身体性プ ラ ス チ カは、ビオメハニカとは異なり身体の構造やメカニ ズムから生まれたものではなかった。身体そのものの魅力ではなく、絵画や彫刻における フォルムや身体性の魅力である。メイエルホリドは俳優の身体がシンボリズムの観念体系 にとらえ込まれるために、絵画や彫刻の約束事を押しつけてしまったのである。それによ って身体そのものの魅力も消失させざるをえなかった。
しかし観念が先行する時代は、シンボリストたちが社会変革の希望を託した
1905
年の 第一次革命の挫折によって潰えてしまった。この時代の変化をレジコは次のように述べて いる。
[...]1905年までは、すくなくとも政界や社会の分野で共通の世界観を持たないこ とは軽蔑すべきものに思われた。
1905
年以後、どのようなものであれ共通の理念を持ち、それに従うのは非常に軽蔑すべきものとなった。(註
7)
ここで言う
1905
年以前の共通の世界観とはシンボリズムの世界観であり、天上世界(本 質世界)からの救済である。そして1905
年以後は、こうした共通の理念(観念)は懐疑 をもって受け止められていく。ブロークやブリューソフは1905
年を境に新しいパラダイ ムを模索し始めていく。コミサルジェフスカヤ劇場時代のメイエルホリドは、ブリューソ フやブロークの意識変革の後も、1905
年以前のパラダイムで創作活動を行っていたのであ る。2.演劇の危機
第一次革命後、共通の世界観である本質世界が崩壊し、現象世界の背後に何も感じられ ない状況が到来すると、本質世界である外在的コード(トドロフ、第
1
部第2
章28、29
頁)が連想されなくなる状況が生まれてくる。言い換えればこれまで外在的コードを暗示 していると思われていた不動劇(動きのない身体)は、ただの動きのない身体でありそれ 以外ではないと認識される状況であり、そのフォルムはマリオネットを真似たただの紋切 り型でしかないという状況である。本質世界(観念体系)が消滅し、不確定化された素材(不動の身体、マリオネットのような不確定的身体)だけが取り残された状況である(図)。
不動劇はもともとこうした危うさをはらんでいた。
[本質世界が消滅した第一次革命後の認識(モデル④)]
晩年の
1936
年3
月14
日の報告「メイエルホリド、メイエルホリド流に反対する」でメ イエルホリドは次のように述べている。[...]いわゆる人形、マリオネットが舞台に現れた。これは私の罪であった。私には コミサルジェフスカヤとともに活動した時期があり、当時、舞台における絵画的規範を 強めたために人間のことを忘れてしまったという非難が私に投げかけられたが、まった くその通りである。(註
8)
人間を忘れ、身体はシンボリズムの観念体系にとらえ込まれてしまったため、人間の身 俳優(不確定性、不動性、
マリオネット的身体)
舞台
素材・形式 内容
シンボリズムの観念体系
(本質世界、内面的対話、
外在的コード)
連想
体のメカニズムとは異なるマリオネットの原理を導入したのであり、そして第一次革命後、
シンボリズムの観念体系が脱落したことによって、身体の原理と異なるフォルムだけが取 り残されてしまったのである。
後の演出家で当時コミサルジェフスカヤ劇場の団員であったタイーロフは、次のように 語っている。
サプノーフとスジェイキンの指揮の下、舞台にやって来たのは、大きなカンバスへの 思いが断ち切れず、メイエルホリドの共同作業への呼びかけに喜んで応えた画家たちで
あった。自然主義演劇が、結果として、文学の虜であったのに対して、(意識的な−引用 者)約束事に基づいた演劇はほとんど最初から絵画の虜であった。
舞台全体、芝居全体の構成の課題は、一切が「美しさ」という視点から検討されるよ うになった。
しかし、俳優という素材の美しさではなく、画家による舞台装置全体のプランや構想 の美しさであって、俳優は必要な「色の点」としてそこに加わるだけであった。
「自然主義演劇の舞台における不格好な寄せ集めは、新しい演劇では、輪郭のリズミ カルな動きや色彩によるハーモニーに厳密に従った構成を計画に盛り込みたいという 要求に取って代わられた。」
このような構成の結果、俳優は画家にとって許容できるものとなったが、それも俳優 が自らの芸術の本質を忘れ、芝居やそれと結びついた動きを忘れて、色の点でいる間だ けであった。俳優が動こうものなら、必然的に「色の点」を動かすことになり、当然、
画家の絵を台無しにしてしまったのである。
ここから「不動性」への志向が生まれたのであり、身振りの節約ではなく、身振りの 貧弱さ、乏しさが生まれたのである。[...]
[...]最初の一瞬がすぎて、俳優が動き出すと、その魅力ある光景は消え、観客の興 味は萎えてしまった。なぜなら俳優それ自体にこうした興味を呼び起こす力がなかっ たからである。それがなければ本来、演劇は成立しないのだが、はっきり言って、なか ったのである。
私は、約束事に基づいた演劇の俳優が何に姿を変えたかを記憶している。
俳優たちが「軽蔑すべき感情」を魂からいかに入念に除いていったか、苦悩、怒り、
愛、憎悪、あるいは喜びなどを残念なことに体験するのではなく、冷ややかに静かにそ れらを表現しようしていたかを記憶している。
表現方法が彼らの舞台信念の主要なドグマとなり、舞台実践の主要なコンパスとなっ た。
したがって、初期のリハーサルに(例えば、『修道女ベアトリス』のリハーサルでもそ うだった)メイエルホリドはメムリンクやボッティチェリや、それぞれのケースに適し た他の画家たちに関する研究書を持ってきて、演技者たちがそこから身振りや、しばし ば集団の構図までも借用して、感覚だけでなく、外面的表現、形式そのものを表してい た。[下線は引用者](註
9)
第