第 2 章 都市部における就業者年金制度の形成
第 4 節 実体化試行と現状
4.2 試行錯誤の限界
前述したように、個人口座における膨大な空洞化問題を是正する目的から、遼寧省を始 め、その後黒竜江省等においても個人口座の実体化試行に取り組み、年金財政の持続可能性 について改善する方向へ向かおうとした。しかしながら、下記のように依然として限界が見 られるため、更なる検討が必要とされる。
第一に、個人口座において再空洞化現象が起きた。
91 中央政府による補助の詳細に関しては、当該省の資金状況を総合的に考慮した上で設定され る。例えば、湖南、湖北、山西、河南、新疆等においては、1%を実体化するたびに中央から0.75%
(最高3.75%)、地方から0.25%を負担する仕組みで、上海市に対しては中央補助金がない。
92 劉(2017)59頁。
93 全国社会保障基金理事会は、国務院直属の事業単位であり、将来高齢化による年金支給を備 える準備金である「全国社会保障基金」を管理する独立法人であるが、投資運営がより柔軟化 していることが特徴である。
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というのは、個人口座が段階的に積み立てられるどころか、逆に目標に達せず減少する傾 向がみられる。まず、高度成長期と相まって、2000年代における都市就業者の賃金上昇率 は二桁で素早く引き上げられた。遼寧省を例にすると、2000年の都市被用者平均賃金が毎 月733元であったが、2007年は1,934元、2014年には4,361元へ急増した94。それと同時 に、社会保険の普及率も拡大されたため、個人口座に計上される年金基金規模は毎年6%以 上のスピードで動学的に増加している。
しかし、「動態的実体化と半動態的補助原則(动态做实、半动态补助)」に従って、個人口 座の実体化規模は毎年の賃金上昇率と相まって動態的に変動するのに対して、既存中央補 助部分(ストック)は定額(定額包幹制)のままで、賃金上昇率の変化によって調整しなか ったため、硬直的な財政補助政策が問題視された。例えば、遼寧省の場合は2002年から毎 年14.4億元、黒竜江省は2004年を基準に10.5億元の定額で行われたため、実際の実体化 率は年々減少する傾向にあり、関(2015)の現地調査によると、黒竜江省における2013年 一年の実質積立率は 4.73%に留まっており、フローの累計積立金基金に対して計算すると
2.46%に過ぎないと指摘した。すなわち、現実では、当初 5%の実体化改革から徐々に 8%
までへ引き上げるという目標から大きく離れていることになる。
また、遼寧省社会保険事業管理局によると、2007年から国務院の許可のもとで、個人口 座基金の8分の3を超えない範囲で社会プールへの借り入れが認められるようになった。
すなわち、当該年度の年金給付を賄うために再び個人口座から借り入れを実施するように なっているが、2010 年においてすでに 63.5 億元に達し、なおかつ年々増加する傾向にあ る。しかし、借入部分に関して、いつ、どのように返還するのか等について明確に規定され ておらず、個人口座の実体化が実質上失敗したと評価される。したがって、黒竜江省におい ても、遼寧省においても個人口座の実体化改革は進んでいないと言わざるを得ない。
第二に、積立金の投資運営の欠陥により積立方式の効率性が問われる。
確定拠出型の積立方式を採用しようとする以上、制度の内部収益率(internal rate of
return)95の問題が提起されるが、そこで積立金の投資運営が中核的な役割を果たすことに
なる。年金の管理運営における地域別断片化と、安定的な金融市場の整備が遅れている現状 で、省別に分散化された個人口座の積立基金は限られた保守的な投資先にしか運用されて
94 中華人民共和国国家統計局(2016)『中国統計年鑑2016』より。
95 将来に得られる(年金給付の)現在価値と(年金)保険料負担総額の現在価値が等しくなる 変数のことである。
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いない。
また、政府補助の投資先に関しても、主体別で中央政府補助と地方政府補助の 2 つに分 けて分析することができるが、遼寧ケースでは、中央と地方の全補助額を国有銀行に預ける のに対して、黒竜江ケースでは地方補助のみ銀行を通じて国債に投資される。ここでは、積 立金の安全性を第一にする保守的な選択によって、年率 3%未満の収益率しか達成されず、
1995年から2012年の平均賃金上昇率の13.5%と人口増加率の和である14.8%を上回るこ とは極めて困難である。なお、インフレ率を加味すると安定化した最低老後保障を賄えない 可能性も考えられる。実際、遼寧省における1999年から2003年までの賃金上昇率は9.2%
であったが、実体化された個人口座積立金(76.2億元)の運用利回りは2.5%に留まってい た(鄭、2003)。
一方、黒竜江ケースでは中央政府による補助額を全国社会保障基金理事会に委託する形 で、複数で柔軟な投資先により実質9%前後の比較的に高い投資収益率をあげたと報告され た。しかし、個人口座に記録される利回りは銀行預金という最低限の収益率とほぼ変わら ず、運用収益が反映されない設計となっている。そのため、個人口座による長期加入インセ ンティブも機能しなくなるおそれがある。すなわち、内部収益率の概念から賃金上昇率や人 口増加率等を念頭に置きながら、インフレ率や株価の変動リスク、資本市場や銀行制度の整 備等、積立金の効率的な投資運営は決して容易ではない。
最後に、地方政府及び企業負担が大きく、持続的に機能しないと思われる。
もっとも、2000 年前半の年金改革におけるポイントは移行コストへの対応になるが、
2001から3年にわたる世界銀行と中国財務部の共同研究のシミュレーション結果から、基 本的なシナリオに想定した場合、中国の潜在的な年金債務対GDPは141%であり(Sin、
2005)、このような膨大な年金債務に対する一部の政府責任は明記されたものの、具体的な
政府間役割分担および財源確保は不明瞭であった。例えば、中央政府による補助額には上限 が定められているため、地方政府の財政負担が大幅に拡大すると思われる。すでに述べたよ うに、旧国有企業を多く抱える東北地方では、近年その被用者の退職ピークを迎え、現役者 対退職者比率が全国平均より甚だ低い水準に留まる。年金財政に関しても、両省においては 収支バランスがとれていなく、年々拡大する年金給付に対して地方政府の負担力に限界が 見られる。そのため、もともと余裕のない地方財政から新たに個人口座実体化のために財源 を確保しなければならず、地方政府側の積極性が低下しつつあることが懸念される。
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図 2-3 政府移転額の年度別推移(億元)
(資料)『中国財政年鑑2014』及び『中国養老金発展報告2015』より筆者作成
図2-3は、全国レベルの就業者年金給付に対する中央政府と地方政府の移転額及びその 合計に占める中央移転額の割合を表したものであるが、中央政府は地方政府ともに金額的 には急速な増加傾向にある。中央対地方比は、5.6:1と中央政府負担が依然として多いが、
中央政府が90%前後から80%前後まで全体的に引き下げられた半面、地方負担が徐々に引 き上げられていることが近年の傾向である。
一方、「入口(徴収側)」から年金財源を拡充するため、各省では適用対象の拡大に積極的 に取り組んできており、その対象として主に非正規労働者や中小企業が当てはまる。しかし ながら、制度的に高く設計された企業と被用者保険料率に加え、標準報酬月額の設定も当該 地域の平均賃金に左右されるため96、加入意欲を抑制するおそれがある。
実際、2008年以来、実体化へ参加しようとする省は現れなくなり、一時的なブームであ ったとしかいえないだろう。東北地方に対して、2010年まで中央財政補助額が101.2億元、
地方財政から 47.9 億元が導入されたにもかかわらず、2013 年まで個人口座からの「借入 金」が700億元超を記録した97。13省の実体化合計額は予定された名目積立金の21.22%に 過ぎず、漸進的に100%まで引き上げる目標とはるかに離れた結果となり、実体化の実現可 能性に対して再検討が行われるようになった。人力資源と社会保障部の唐霽松氏も2014年
96 標準報酬月額の算定においては、原則的に本人賃金と当該地域における平均賃金の平均値に よって計算されるが、実施段階では低めに抑える現象もみられる。
97 李(2014)。 100%
82%
0%
10%
20%
30%
40%
50%
60%
70%
80%
90%
100%
0 500 1000 1500 2000 2500
1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 中央
地方 中央割合
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12月28日の社会科学院報告発表会で、個人口座を実体化させる最適時期は1997年であっ たと思われるが、現在として、すでにその時期を過ぎてしまったと認めた(馮、2015)。
以上を踏まえて、個人口座の実体化を実施するにあたり、移行コストの財源確保はどうし ても避けられない課題となる。すなわち、年金改革においてその財源調達に関する厳密な取 り組みが求められる。しかし、実体化試行では、移行コストの規模に対する曖昧な見積もり と不明確な予算編成等、具体的な目標や実施段階を示さなかったため、地方政府の負担増へ 繋がり、再空洞化の発生が回避できなかった。