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第 2 章 都市部における就業者年金制度の形成

第 2 節 改革をめぐる論争

都市部における就業者年金の部分的積立方式に焦点をしぼって議論する際は、おおむね

①1980年代から2000年前後までの制度導入段階と、②そこから現在までの制度改善を図 る再検討段階に大別する58

第一段階では、主に中国における積立方式の個人口座を導入する根拠や個人口座規模に 関する制度設計が主として行われた。一方、個人口座を導入した部分的積立方式が確定さ れ、積立方式の個人口座と賦課方式の社会プールを組み合わせる枠組みが形成されたが、賦 課方式から部分的積立方式へ移行する際に必ず移行コストを伴うため、言い換えれば、賦課 方式のもとですでに約束した年金給付に対して追加的な負担が求められ、移行世代に対し て「二重の負担(the double burden on the transition generation)」問題として広く認識さ れるようになった59。中国の場合は、新たに導入された個人口座の積立金を用いて顕在化し た年金債務の償還を行っていたが、そこから個人口座の空洞化問題60が浮上し、年金財政方 式に関して再検討するようになった。

2.1 第一段階(1980

年代から

2000

年前後まで)

まず、年金財政方式に対する国際的な議論において、World Bank (1994)によるAverting

the Old Age Crisis(以下、世銀レポート)における確定拠出型積立方式の提案とそれに対

する批判が挙げられる。Atkinson(2015)によれば、第一次大戦前のグローバル化時代か ら現代の社会保障制度が起源されているが、その導入当時は経済目標の実現を補うものと 位置づけられた。特に、第二次世界大戦後に出版された「ベヴァリッジ報告(beveridge

report)」の影響を受けて、世界的に「ゆりかごから墓場まで」といわれる福祉国家への建

58 第1章で述べたように、建国当初の計画経済期から80年代までの都市部における年金制度 は実質上財政負担によって運営されたが、そこでは個人負担がなく、それに伴う積立方式の個 人口座(積立金)も存在しなかった、あるいは存在する必要がなかった。

59 賦課方式から積立方式への移行に関しては八田・小口(1999)と大塩(2013)が詳しく、

中国における移行コストについては何(2008)で具体的に議論されている。

60 「空口座問題(空账问题)」と呼ばれる現象は、個人口座の積立金を、従来の実質上財政負 担から部分的積立方式へ移行する際に生じた移行コストの償還に流用したため、個人口座の積 立金が空洞化していることである。吉田(2014)では、個人口座として計上されている資産の 残高に対して、実際には不十分な積立金しか積み立てられていないことであると指摘した。

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設が広まった61。すなわち、1940年代から70年代までが世界的な福祉国家の成長期で、う ち、50 年代、60 年代において「福祉国家の黄金時代」を経験したが、80 年代のポスト工 業化時代に入ってから調整と抑制の時期に入った62。1980 年代後半から従来の支配的な見 方が変化し、賦課方式が貯蓄率を引き下げ、経済的パフォーマンスを阻害するという批判的 な見解が展開された。当時、世界主要国における経済の低迷と人口高齢化が進展する中で、

イギリスを代表とする新自由主義に基づいた民営化(privatization)が盛んになり、同時に 既存賦課方式による年金制度に対する批判も行われるようになった。

その中、1980年代からチリをはじめとするラテンアメリカで行われた社会試行を踏まえ、

基本的に新古典派経済学に基づいた1994年の世銀レポートが発表され63、世界的に大きな 反響を呼ぶようになった。そこでは、貯蓄、再分配及び保険の三つから分析し、「三つの柱

(three-multi pillar)」に分散化した年金制度を提唱した。すなわち、①貧困克服あるいは 所得再分配を目的とする確定給付型の賦課方式(第1柱)、②民間に委ねる強制加入の確定 拠出型積立方式(第2柱)及び、③私的年金としての個人貯蓄(第3柱)からなる改革が 有効であると主張した64。ここでは、公的年金制度の役割を最低限の生活保障に限定するの に対して、それを超える部分に対しては民間に委ねた上で、積立方式を採用すべきであると 強く提案したところが特徴である。しかし、これは各国の国内事情を配慮せず、あらゆる国 に対して一つの制度を当てはめようとするものであったことから「危険な戦略(a high-risk strategy)」と批判され65、その強引で単一的なやり方に対して、ILO やISSA 等の国際機

61 ベヴァリッジ報告は、戦後のイギリスのみならず、日本を含む世界各国の福祉政策の形成に 絶大な影響力があり、福祉世界におけるバイブルと呼ばれるほど価値の高い報告書であると評 価される(橘木、2018、123ページ)。

62 岩田・武川・神野(2006)117ページ。

63 新古典派経済学に基づいた社会保障制度の分析として有名なのは、①ライフサイクル仮説に

基づいたFeldstein(1974)で述べられた貯蓄率に対する社会保障制度の負の作用や、②

Gruber & Wise(1999)において検証された労働市場に対する歪み、③世代間公平問題を念頭 において、世代重複モデルの社会保障分野への応用に寄与したAuerbach &Kotlikoff(1987)

と世代会計概念を導入したKotlikoff(1992)等が挙げられる(山本、2001、24-25ページ)。

64 「年金給付と保険料の拠出の結びつき方に着目すると『確定給付型(defined benefit、

DB)』と『確定拠出型(defined contribution、DC)』という二つに分けられるが、そのうち 確定給付とは賃金報酬や加入期間等の基準に従って給付額をあらかじめ決定し、その給付額に 合わせて収支が均衡するように現役世代の保険料を調整する方法である。一方で、確定拠出型 とは、最初に保険料の水準を確定し、その運用実績に基づいて給付額を決める方法である」

(大塩、2013、98ページ)。

65 Beattie & McGillivray (1995).

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関をはじめ、世界銀行内部からも激しく批判する声が現れた。

それまで年金制度の設計や運営を主導してきたILOやISSAは、積立方式への移行は、

言い換えれば、老後所得を投資リスクにさらし、不確実な給付を導くことになると指摘し た。さらに、強制貯蓄年金を導入するからといって、それが必ずしも貯蓄率の増加に寄与す るとはいえず、発展途上国においては国内資本市場の整備がより重要であると述べた。ま た、移行による「二重負担」の問題やハンドリング費用の発生、人口変動に対する中立性の 検証等政治的リスクを考慮に入れながら、慎重に扱うべきであると議論を加えた66。また、

一つのモデルがあらゆる国に当てはまることは不可能であり、それに対する慎重な思考が 必要であるとの意見もみられる。例えば、Orszag & Stiglitz(1999)は世銀レポートの理 論根拠を「10の神話(ten myths)」と表現した上で、立論方法に問題があると指摘し、よ り詳しい分類を必要とするだけでなく、移行コストの過小評価も懸念すべきであると注意 を与えた。

中国国内でも、こうした国際レベルで展開された年金制度に関する議論の流れに影響さ れ、二つの選択肢が現れた(張・郭、2016)。体制改革の設計者である国家経済体制改革委 員会(以下、体改委)は積極的な改革派として、世界銀行の影響から積立方式の個人口座の 導入を強く主張した67。それに対して、社会保障の管理部門である労働部(日本の厚生労働 省に相当する)はILO及びISSAが主張する確定給付型の賦課方式を維持しようとした68。 後者は、長い歴史を持つ伝統的な「世代間扶養方式」によって、あくまでも高齢者の基礎生 活と社会公平を維持することを目標にしていた。一方で、賦課方式は高齢化のような人口変 動に対応できないと批判した前者は、経済成長を第一目標にしていたため、両者の政策対立 は避けて通れないといっても過言ではない。

その結果、1995年からは「確定給付型賦課方式の社会プール」に「確定拠出型積立方式 の個人口座」を組み合わせる混合方式(ハイブリット型)の検討、言い換えれば「部分的積 立方式」に切り替える試行錯誤がパイロット地域で展開され、公的年金制度における基本的 な枠組みとして今日まで維持され、その後公的医療保険制度へ適用されるようになった。

本論文では、上記のような国内外における理論展開を踏まえて、中国における公的年金制 度が整備された政策プロセスに注目する。中でも、世界銀行によって提唱された改革案が採

66 横山(2015)50-55ページ。

67 劉(1995)や宋(1997)。

68 王(1995)、沈(1999)。

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用され、さらに、現在に至るまで影響を与えていることを検証する。

2.2 第二段階(2000

年前後から現在まで)

2000年に入ってから、年金制度に関する国際的なレベルでの議論では、世界銀行におけ る1994年レポートに対する反省をもとに、新たな年金方針がHolzman & Hinz(2005)

及びHolzmann & Palmer(2006)によって提起された。そこでは、全体的に幅広い可能性 を提示した点が1994年の強引な提案に比べて大きな意味を持つ。すなわち、年金改革にお いては経路依存性が存在するため、各国独自の歴史に合わせるべきであると述べた。また、

リスクの分散を多方面になおかつ確実に対処するため、正規雇用者のみ注目した既存の 3 本柱に限らず、非正規雇用者や貧困者等も考慮に入れ、拠出を伴わない普遍的な「第0柱」

と家族サービス等の非経済的要素の「第4柱」を取り入れた「5本柱」の年金制度改革を提 唱した。

さらに、新たな年金財政方式として確定拠出型積立方式の形式をとる賦課方式、換言すれ ば、「みなし確定拠出方式(nontional-defined contribution、以下NDC方式)」69が最良の 年金財政方法になる可能性が高いと積極的に評価した。ここでは、スウェーデンが1999年 に新たに導入した公的年金制度を参考に、高齢期の所得保障という公的年金制度の役割を 再確認したことが特徴である。しかし、データ等の技術的要素や政治的な理由によって実行 が容易でない点や、実行されて10年も経たない短い期間も考慮すれば、単独に改革するの ではなく、あくまで多柱型改革の一部として組み入れるべきであることも認めた。

その後、China Economic Research and Advisory Programme(CERAP)の一環として Asher, Barr, Diamond, Lim& Mirrlees(2005)やBarr & Diamond(2008、2010)等で 中国における「積立方式の個人口座を実体化する(做实个人账户)」70矛盾を明らかにし、

69 新たに議論されているNDC方式は、簡単に言うと、年金の財源調達では、その時々の年金 給付に必要とされる金額だけを保険料の拠出で賄うという賦課方式を採用するが、給付する際 は、あらかじめ決められた保険料とその運用実績に基づいて給付を「事後に」定める確定拠出 型で運営する。すなわち、既存の年金財政方式に対する新たな組み合わせとして、DC+DBの 混合型であるが、実際に拠出金が積み立てられていないため、あくまでも拠出を「みなす」制 度である。NDC方式については本章の第4節でより具体的に議論したい。

70 個人口座の実体化は、個人口座における積立金が移行コストの支払いに流用され、空洞化し ている現状を見直すことを目的とし、①社会プールと個人口座を分立して管理することと、② 個人口座部分において事実上の積立方式で運営されるように財政負担を明確化することを特徴 とする(韓、2015)。さらに③全国一律ではなく、一部地域において試行錯誤を行っている が、具体的には本章の第3節で議論を展開している。