1.4 視環境最適化における課題
1.4.1 視標の問題点
視環境を最適化する上でユーザの視覚特性の計測及び,視環境の評価を行うこと は必須であり,その際に用いる視標についての検討は重要である.ここでは,ディ スプレイに表示してその視認状態を評価する際に用いる視標について検討する.視 標に必要であると考えられる条件は以下のように考えられる.
1. ディスプレイに歪みなく表示できること
ユーザのディスプレイに対する分解能を計測しようとする際,分解能の最小 値は1ピクセルであるから,1ピクセルの分解能を計測する視標を歪みなく 表示できる必要がある.
2. ユーザがカーソルキーやテンキー,ジョイスティックなどを使って視認状態 を簡単に回答できること
計測は検者の介在なくユーザとコンピュータとのやりとりで行えるよう,視 認結果を「上,下,左,右」等で回答できる必要がある.
3. 速やかに判定できること
視認性の計測から視環境の最適化までの作業をできるだけ短時間に行うため には,視標の視認可否の判定はできるだけ速やかに行える必要がある.
4. 形状がコンパクトであること
視野狭窄のあるロービジョン者では,視標のサイズが大きいと視標全体が視 野に入らず,視標の切れ目方向の判別時間の遅延が発生し,正確な計測がで きない.視標は小さくまとまりのある形状,すなわち「コンパクト」である 必要がある.
これら4つの観点で,従来から使われてきた一般的な視力測定のための視標に ついて考察する.
ランドルト環についての検討
ランドルト環は,フランスの眼科医エドマンド・ランドルト(Edmund Lundolt1846-1926)によって開発された直径:円弧の幅:切れ目幅=5:1:1の黒色の円環で ある.1909年にイタリアの国際眼科学会で,国際的な標準視標として採用された.
ランドルト環についての研究として,以下のようなものがある.
「読み」の研究分野では,小田[11][12]は,有意味文字列同様,ランドルト環の 判別に関しても臨界文字サイズ,最大読書速度が存在すると述べた.コントラス
ト98%条件で,背景輝度を78〜0.09 cd/mˆ2まで変化させながら,ランドルト環の
判別速度を計測したところ,判別速度を落とさずに判別できる輝度点が存在,そ の輝度点を下回ると急激に判別速度が低下したことから,臨界文字サイズに相当 する輝度点があることを報告した.
視環境の視認性に与える影響についての研究分野では,背景輝度がランドルト 環の視認閾値に与える影響についての研究[74],霧の粒子直径の違いによる濃霧中 での視認特性への影響をランドルト環を用いて定量的に測定した研究[120],色が 細部識別閾に与える影響を明らかにした研究[159]がある.
高齢者やロービジョン者の視覚特性を明らかにしようとする研究分野では,ラ ンドルト環の大きさ・輝度対比・必要背景輝度を変化させながら高齢者の視認能 力に関する基礎資料を得ようとした研究[79],ランドルト環をPCの液晶画面の任 意の位置に提示して中心外視力を測定した研究[64]がある.
視標としてのランドルト環についての研究分野では,視標の主要点での実効輝度 を計算によって求め,視標の大きさとの関係を明らかにした研究[115],実視標及 びVDTにランドルト環を提示した際の調節刺激反応の相違についての研究[130]
等が挙げられる.
ランドルト環の切れ目方向を判別する際に用いられる空間周波数成分について の研究分野もある.小田ら[70]は,ランドルト環を視標にした時の最大視力が縞 視力表で測定した視力より2〜3倍良いことについて,視標との距離を統制したす りガラスを通してランドルト環を観察する実験により,ランドルト環の切れ目の 方向を伝える視覚情報が,切れ目や縞の幅よりも低い空間周波数で伝達されてい ることによるものであると報告した.Valeriaら[4]は,ランドルト環の切れ目方向 を判別する時に用いられる空間周波数を明らかにするために,ランドルト環の二 次元フーリエ変換スペクトラムを縦横方向から計算したところ,1.3サイクルの低
い周波数成分と2.5 サイクルの高い周波数成分を含んでいると報告した.小田の 指摘した低い空間周波数成分とは,Valeriaの指摘するところの1.3 サイクルの空 間周波数成分であると理解できる.
ランドルト環は,視力検査の視標として国際的にもスタンダードな視標である.
しかし,ランドルト環をディスプレイに提示して視認状態を評価しようとする時,
重大な問題を指摘できる.それは,曲線で構成されるランドルト環をディスプレ イで忠実に描画できないという問題である.切れ目幅が小さくなるにつれて歪み は強くなる.
スネレン視標についての検討
スネレン視標は,オランダの眼科医 ハーマン・スネレンによって1862年に発表 された.文字の縦横の幅:文字の線の幅 = 5:1である.スレネン視標の「P」「O」
「D」「C」は曲線で構成されるため,ディスプレイに歪みなく表示できない.さら にユーザが視認できたかどうかを回答する際,キーボードからこれらの文字を入 力しなければならず,簡単に回答することができないという点でディスプレイに 表示する視標としての条件を満たしていない.
E Chartについての検討
E Chartは,アルファベットの「E」を90度単位で回転させた視標で,ランド
ルト環と同様に,空いている側を切れ目としてその方向を回答する.文字高:文
字幅:線幅 = 5:5:1 である.E Chartは曲線を有さず直線のみで構成されてお り,視認できたかどうかを上下左右で回答できる点で,ディスプレイに歪なく提 示して簡単に回答を得られるという条件を満たす.ただし,ランドルト環と比較 してコンパクトではない.
Lea Testについての検討
Lea Testは,フィンランドの眼科医Lea Hyvrinen によって1976年に開発され た視標で,アルファベットの読めない幼少の子供でも回答できるように,円,四 角,家,リンゴの形をした視標である.
円形とリンゴの形は曲線成分を含んでいる.家の形は斜線を含んでいる.した がって,ディスプレイに小さいサイズで描画すると歪む.回答方法においてもカー ソルキーなどで簡単に回答することは難しい.さらに,コンパクトであるとはい えない.したがって,条件を満たしていない.
新しい視標の必要性
これらの検討から,現在のところ,ディスプレイに表示して視認状態を計測す るための視標として,前述の4つの条件をすべて満たすものは見当たらない.し たがって,新しい視標の開発が必要であると考える.