• 検索結果がありません。

社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の 基本的視点

ドキュメント内 Darryl R. J. Macer (ページ 74-78)

第Ⅲ章  生命倫理を視点とした公民科の授業開発

第1節  社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の 基本的視点

第1項  社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の特質

社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の授業をメイサーのテキストの考え方 で開発する。

メイサーの授業構成の特質とは、

特質1  包括的な問題領域の設定 特質2  「原則」の活用

特質3  記述的生命倫理、規範的生命倫理、相互作用的生命倫理の視点の活用 であり、これが社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の授業構成である。

社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型とは、授業の目標を、「脳死は死か、死 でないのか」といった医療における是か非かの問題に限定せずに、脳死はなぜいま日本の 社会で議論の対象となってきたのか、なぜ日本で二十数年間中断されていたのかといった 幅広い問題領域を設定する授業構成である。メイサーの授業構成は、「特質1」の包括的な 問題領域の設定によって、この構成を実現している。また、社会問題探求的アプローチに よる生命倫理発展型の授業構成とは、授業の方法を、自分自身の死生観を深める、といっ た個人の哲学的心理学的な探求によって行うのではなく、社会問題としての生命倫理問題 を議論し合うことによって授業を行うところに特色がある。この授業方法は、メイサーの 複合的な視点の、記述的生命倫理から規範的生命倫理へ、そして、相互作用的生命倫理の 3段階を授業の方法論に組み込むことによって実現する。とりわけ、規範的生命倫理の中 には、多様な考えをもつ個人が一致できる点を模索する際に手がかりとなる「原則」が含 まれている。メイサーの「原則」には、このため、さまざまな考え方を認め合いながらも、

他者の意見と自分の意見との一致点を見いだそうとする考え方が含まれている。どちらの 意見が優れているのかといった「是か非か」論に陥らない工夫がこの方法論にある。つま り、生徒たちが他者の多様な視点を獲得しながら考え続け、話し合うことを目指す構成と なっている。こうした構成は、メイサーの授業構成の「特質2と3」の「原則」の活用と 記述的生命倫理、規範的生命倫理、相互作用的生命倫理の視点の活用によって実現が図ら れている。

社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の授業構成にしたがって、これから開

発しようとする授業全体の目標を考察する。生命倫理の問題とは、「私は今ここで何をすべ きか」という極めて個人的なかつ私的な問題であるとともに、「市民としてまた人間として 何をすべきか」という極めて公的で政治的な問題でもありうる59。問題群をメイサーのよう に、医療倫理(患者と医師との関係として)、生命科学倫理(市民と科学者との関係として)、 クローバな倫理としての生命倫理(環境倫理)(表11参照)のそれぞれを題材とするほう が、「包括的な問題設定」となるが、現在の公民科倫理・現代社会において、生命科学倫理 の動物利用の基準問題や、遺伝子工学の問題、環境科学の問題は、その事例に関する知識 を得ること自体が高校生にとってハードルが高く、その先にある主眼の生命倫理問題の考 察にいたるのが困難となるであろうと予想される。動物利用の問題や環境倫理の問題より も、高校生にとって、より身近でしかも切実さが想像されやすい、人間の生老病死の問題 を取り上げたい。問題の設定によっては、単なる医療問題に終わらずに、背後にある社会 問題を議論することも可能であるから、「包括的な問題設定」であるとも言える。

生命の問題として、想像がしやすく、しかも、その問題を追及すれば、さまざまな社会 的な問題について考えざるを得ない問題を設定する。そのためには、自分自身の直感的な 選択と市民として人間としての選択とが重なり合わず、一種のジレンマを生じさせるよう な問題設定が求められる。そして、その不一致やジレンマがどのような要因からそうなる のかを高校生に考えさせることができる問題の設定が求められる。次に、授業の題材とな る問題の設定について、具体的に検討する。

第2項  社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型の 授業計画

高校生にとって状況がわかりやすく、自分自身の意見を表明しやすいという点から、人 間の生老病死をテーマとした。ただし、問題の背景について理解が深まると、簡単に一方 的な答えが導けないことがわかる問題であることが必要である。また、相対主義的な結論 に陥らず、議論をさらに発展して継続できるようにするために、メイサーの「原則」の考 え方が問題に含まれることが望ましいであろう。メイサーの「原則」には、自主・自律の 原則、公平さの原則、利益とリスクの原則の3つがある。それぞれの原則を比較すれば、

第一の「自主・自立の原則」は、生命倫理学全体の原則の基底部にあたるものである。生 命に関わる医療技術が精緻化してくると、それを人間に応用する際に、患者自身の自己決 定が必要になる。これがあって初めて、医療行為がその人に始まるのであるから、生命倫 理の中心概念である。医療などの科学技術を人間に対して応用する際の「行為の進め方」

に関わる原則でもある。第二の「利益とリスクの原則」とは、医療などの科学技術を人間 に応用する際に、他者の利益を目標として設定をする原則である。いわば「行為の目的」

に関わる原則である。ただし、科学技術の応用(たとえば、手術、投薬、検査など)には リスクが伴うので利益とのバランスが求められる。その医療行為の公平さの原則は、医療 などの科学技術を人間に応用する際に、社会的な視点から不公平、不公正とならないよう に配慮するという「行為の評価」に関わる原則である。この原則は特に、医療サービス、

59 CALLAHAN(1995)

病院のベッドや治療の器具、医薬品といった医療資源の配分が不公平な場合に特に用いら れる。このような原則が3つとも満遍なく学習できる問題を次のように設定した。

1「自主・自律の原則(Autonomy)」の活用:オレゴン州の自殺幇助法の問題 2「利益とリスクの原則(Benefits versus risks)」の活用:出生前診断の問題 3「公平さの原則(Justice)」の活用:国際的な臓器売買の問題

設定の理由は、生命の終わり(=オレゴン州の自殺幇助法)、生命の始まり(=出生前診 断)、病気からの回復を目指す(=国際的な臓器売買)という、人間の生老病死に関わる3 つの場面を選んだ。これは、高校生にとって比較的理解が容易で、意見を言いやすいから である。

死と老の問題として、「オレゴン州の自殺幇助法」を題材とした。この法律は、世界では じめて医師が末期の患者に対して、自殺薬を処方することを可能にした法律である。処方 された自殺薬を飲むのか飲まないのかは、患者の自己決定に任せられている。この題材で は、高校生に対しては、「自分の死を自分の決定で行うことは許されるのか」と問うことに なる。多くの高校生は耐え難い苦しみよりも自分の意思による死を選ぶと答えるであろう。

そこで、本当に「自分の意思で死ぬ」ことは可能か、「死は自分自身のものか」といった問 題を追求することによって、社会の中での死や家族の中での死といった別の死の意味が立 ち現れることになり、一方的な是非の判定は難しいこと、この法律の成立の背景がわかっ てくる。この問題では、「自主・自律」の原則が用いられる。

生の問題として、「出生前診断」を題材とした。出生前診断は、胎児の状態で、赤ちゃん の先天的な異常が検査によって判明する診断である。胎児に染色体異常が見つかり、ダウ ン症の子どもが生まれることが前もってわかる場合がある。こうしたことが、検査によっ てそれがわかるという「利益」に対して、わかれば選択的中絶のコースに乗ってしまうと いう「リスク」がある。高校生に対しては、「出生前診断を行うことは許されるのか」と問 うことになる。多くの高校生は障害を持つ赤ちゃんを産むことよりも、産まないようにす るため出生前診断を受ける選択を行うであろう。そこで、この診断が持つ意味について、「生 命の質」という概念を用いて説明すると、生命の質の低い命は廃棄されるという意味を持 つことがわかる。この問題では、「利益とリスク」の原則が用いられる。

病の問題として、「国際的な臓器売買」を題材とした。ここでは、二つある腎臓の一つを 売って、3年分の収入を獲得し、家族のためにあたらしい商売を始めることができた人物 を取り上げた。腎臓の透析に苦しむ患者にとって、腎臓移植は透析から解放される治療で ある。しかし、日本では腎臓の提供者が少なく、移植は容易ではない。高校生に対しては、

「臓器売買は許されるのか」と問うことになる。多くの高校生は腎臓提供者も移植を受け た人も移植によって両方が希望を実現させたのであるから、許されると答えるであろう。

そこで、なぜ各国の法律は臓器売買を厳しく禁止しているのか、また、なぜ貧しい人たち から豊かな人たちへ臓器が移動しているのかを説明することによって、臓器の商品化の危 険性がわかる。この問題では、「公平さ」の原則が用いられる。

以上のように、これらの問題の内容は高校生にとって理解しやすく、すぐに意見が言え るという特徴がある。しかし、その問題が置かれている社会的な事情や状況を知ることに よって、最初の意見と違う内容の見解をもつことができる。

設定された問題を手がかりとして、授業全体の目標をメイサーの記述的生命倫理、規範

ドキュメント内 Darryl R. J. Macer (ページ 74-78)