第Ⅱ章 生命倫理を視点とした公民科の授業構成と 授業実践の特質
第2節 社会問題探求的アプローチによる生命倫理主題型授業構成
―加藤公明「クローン人間はゆるされるのか」実践
この節では、生命倫理問題そのものを主題とする授業内容を社会問題の探求というアプ ローチで行った授業実践について、授業構成を分析して、その特質を検討する。取り上げ た授業実践は、千葉県立津田沼高等学校の加藤公明が、1997年、3年生の倫理において行 った「クローン人間はゆるされるのか」というテーマの授業実践である42。
第1項 「クローン人間はゆるされるのか」の概要
加藤公明は「討論に基づく歴史教育」という授業実践で高名な授業者である。尾原康光 は、加藤実践が、生徒の既に持っている認知の構造と歴史認識の橋渡しをしている点と生 徒の認識構造の変革を目ざしている点で評価し、加藤実践の「石山合戦」を「最も社会科 らしい実践」だとしている43。
この「クローン人間はゆるされるのか」の実践は、倫理の分野で高校3年生に討論授業 を実施したものである。この概要を発表資料にしたがって再現する。
加藤は、「生徒たちの社会科に対する固定的で受け身の授業観、学習観をなんとか打破し たいと考えて、この実践を作り上げた。生徒が自分で自分の社会認識を獲得し発展させら れるような授業にするためには、未熟で世俗的なものであろうと、生徒の現実存在から出 発し、それを高める授業でなければならない。」として、討論を主体とした授業を倫理でも 採用したとのべている。授業方法は、まず問題提起を教師が行い、それに対して生徒全員 が自分の意見を考える。そしてそれをもとに討論を組織し、争点となった事項を中心に各 自がより自分の意見を発展させてレポートを作成し交流する、というものである。授業内 容にクローン人間を取り上げたのは、「人間とは何か」という倫理の問いを討論とするため、
生徒が自分なりの意見を出すことができる論題であると考えたとしている。
授業の目標や内容が「クローン人間」という生命倫理を主題としており、発展的な内容 が取り入れられていないので、生命倫理主題型の実践である。また、討論という他者と論 点をすりあわせて、先端的な生命医療技術を社会全体として受け入れるか、禁止するのか が焦点となって追求がなされるという点から、社会問題探求的アプローチの実践というこ とができる。
42 加藤公明(1998)(口頭発表)広島大学1998年10月10日。
43 尾原康光(1994)pp.354-365。
第2項 「クローン人間はゆるされるのか」の構成
「クローン人間はゆるされるのか」の授業は、2学期の17時間の実践が行われている。
この17時間を一つの単元とみて、授業内容を再現すると次の表7となる。
表7 加藤実践「クローン人間はゆるされるのか」の内容構成
時間 段階 内容 方法
1 導入 NHKスペシャル「クローン動物複製」
のビデオ視聴。
ビデオ視聴による。クローンの問 題の全体像を把握させる。
2 3
クローン人間についての基礎知識の学 習。クローン人間についてアンケート
生徒がクローン人間について現在 もっている知識を調べる。
4
展 開 1
討 論 準備
アンケートによる生徒の知識の分析。
討論の論題についての解説。
論題「臓器移植のためにクローン人間を 作ることは許されるのか」
論題の確定。どんな題材ならば活 発に討論できるのかを確定。
討論授業の準備を行う。
5 6
討論 1
「臓器移植のためにクローン人間を作 ることは許されるのか」についての討論 授業
各自に自分が納得する意見を出さ せる。賛成派、反対派の意見を板 書する。討論を始める。
7 クローン技術の倫理的問題について、人 権・移植・不妊治療の三点にしぼった論 述。
論述させる。「自説に対する反対論 や批判を想定し、それへの反論を 含めて論述しなさい」と指定する。
8
討 論 の ま とめ
ドキュメント'97「二人称の死・脳死移 植を前に」を視聴。
VTR視聴、視聴後の感想を発表 させる。
9 10
レポート作成 クローン技術の倫理問題について の論述を完成させる。
11
展開 2
レポートの代表意見の読み合わせ 代表者に意見を発表させる。
12 13
討論 2
論述した3点の倫理問題についての討 論授業。
論点を明示した上で討論させる。
14 各自の最終意見作り。 いままでの討論を振り返りながら 最終意見をまとめさせる。
15
討 論 の ま
とめ 最終意見の代表的な意見の読み合わせ。 代表者に意見を発表させる。
16 生徒による単元全体についての感想・意 見
討論全体から何を学んだのかを書 かせる。
17
終結 ま と
め 授業者による全体のまとめ 学習過程や内容の分析と評価を行 う。
(加藤公明「クローン人間は許されるのか―人権・科学進歩・死の価値を考える高校生―」
1998年度社会科教育学会全国大会 広島大学1998年10月10日より作成)
加藤実践では、各生徒が自分自身の納得する意見をもって討論に望むことが重視される。
加藤は、自らの授業観についてつぎのように説明している44。「簡単に説明すれば、通常行 われているような通史的な概説を教師がほぼ一方的に講義しているといった授業ではなく、
事実をもって生徒の歴史についての通念や常識を否定ないしは動揺させ、「それじゃ、ほう とうはどうだったんだ」とか、「いったい、なぜそうなんだ」といった疑問を生徒に持たせ る問題提起の授業を各単元のはじめに行い、それを受けて生徒が各自の問題関心や歴史意 識に沿って調査・研究活動をして、各自が自分(たち)の答えを作る。そして、その結果 をクラスでの相互批判を中心とした討論によって鍛えあい、それぞれの答をより科学的で 総合的な歴史認識へと発展させようという授業である」これは日本史での討論授業につい ての説明であるが、倫理の「クローン人間は許されるのか」についてもあてはまる。「①問 題提起―②調査・研究活動で自分の考えを作る―③討論―④科学的で総合的な歴史認識へ」
という流れはこの実践にも活用されている。
第1時間目 NHKスペシャル「クローン動物複製」のビデオ視聴。これは、生徒が全 体的に問題を把握するのに役立っただろうと考えられる。また、興味を持ってやってみよ うという意欲を高めるのに役立っただろう。これが、「①問題提起」の段階である。
第2、3時間目のアンケートで、生徒のクローン人間についての事実認識の確認をして いる。クローン人間についての調査・研究活動は容易ではないので、基礎的な知識は授業 者から講義を受けたが、あくまでも生徒自身が納得する意見を形成できるように支援をし ている。アンケートの結果から、生徒が討論できる論題をつくりあげ、次時に提示してい る。論題は、生徒から多様な意見がでるもの、どの生徒も自分の意見を作りやすいものが 選ばれている。この単元では、「臓器移植のためにクローン人間を作ることは許されるのか」
を論題としている。
第4時間目は、討論のための準備の時間である。論題が提示され、それについて解説が 行われている。アンケートによって生徒がどんな点で引っかかっているのかを確認しなが ら解説がおこなわれている。第2〜4時間目が、「②調査・研究活動で自分の考えを作る」
段階である。
第5時間目と6時間目が「③討論」の段階である。
この討論授業はどのように組織したのかについては、次のようにのべられている。
「討論授業の1時間目は時間を十分とって、各自に自分の意見を考えさせる必要がある。
その後、アットランダムに指名し、意見を表明させる。そして、その論旨を否定派と賛成 派に分けて板書する。
板書は、以下の通りである。
否定派
「おれと同じ顔がもう一人できるなんて、やだ」
「科学や技術の進歩は必ずしも人類にとって良いことばかりじゃない。たとえばフロ ンガスが地球のオゾン層を破壊した。動物のクローンもだめ」
肯定派
「いつ現れるかもしれないドナーを待つことなく、ただちに拒否反応もない臓器が得 られる」
44 加藤公明(1991)pp.50-59。
「捨ててしまう、髪の毛や皮膚から作られるから、クローン人間は人間じゃない」
「作りたて(赤ん坊)のクローン人間は意識がない、だから人格もないから、人間で はない」
第7時間目以降は、「④科学的で総合的な(歴史)認識へ」にあたる部分である。前時の討 論で明らかになった論点をクローズアップして、それぞれの生徒に自説を明確にするため に論述をさせている。このとき示された論述の問題は次の通りである。
1 クローン人間は人間か。(クローン人間に人権はあるのか)
2 臓器移植用にクローン人間を作ることの是非をどう考えるのか。
3 子どものできない夫婦が自分(たち)の細胞や卵子を使ってクローン人間を作り、
自分たちの子どもとして育てることは認められるか。
これは、生徒の認識が、討論を通してどの程度深まったかを確認するためと、討論には 参加できなかったが、沈黙の中で考え続けていた生徒の考えを引き出すための授業である。
また、この論述は、「それぞれの点について自説に対する反対論や批判を想定し、それへの 反論を含めて論述しなさい」と指定されており、反対論、批判の中から論理的に自らの考 え方を作り出すことを求めている。生徒は、論述を通じて、批判論や自分の意見の客観化 を行うであろう。
第8時間目、ドキュメント'97「二人称の死・脳死移植を前に」を視聴して、感想の発表。
第9時間目と10時間目のレポート作成、第11時間目、レポートの代表意見の読み合わせ、
第12 時間目と13時間目の代表意見をめぐる討論。この討論は、第5、6時間目の討論と は性格が異なり、「④科学的で総合的な(歴史)認識へ」の段階として、これまで学んでき た内容を整理するための討論であり、最終意見を作るための討論であると考えられる。第 14時間目、各自の最終意見作り。第15時間目、最終意見の代表的な作品の読み合わせ。第 16時間目、この単元についての感想や意見を書く。第17時間目、教師による学習過程や内 容の分析と評価。という過程を経る。最終的には、各自が、「クローン人間は許されるのか」
について、単なる感情論や人ごとの抽象論ではなく、科学的な認識のもとで自分自身の言 葉を用いて、生命についての自力で考えることを求めている。その作業は、クローン人間 とは別の視点からのVTRの視聴や友人の代表的な意見の読み合わせを通じてねりあげら れていく、という単元の構成のなかで行われている。
加藤実践の構成は、生徒の心にとどく認識の獲得を目指し、そのために討論授業を行う ところにある。討論授業を成立させるための手だてや、討論後のふりかえり活動からより 普遍的な問題意識を獲得させるための授業構成に特徴がある。