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研究の成果

ドキュメント内 Darryl R. J. Macer (ページ 102-106)

第Ⅲ章  生命倫理を視点とした公民科の授業開発

第1節  研究の成果

  本研究は、高等学校公民科で展開されている生命倫理教育の授業実践や授業実践のため のプロジェクトの分析を通して、どのような授業によって生命倫理の授業実践を展開する ことが生徒にとって意義のあるものとなるのかを教科教育の立場から追究した研究である。

現在の生命倫理教育に関わる問題点とは、授業実践をどのような視点から分析し、より よい授業を求める研究を進めていくべきか、明確ではないという点である。したがって、

生命倫理の授業実践の問題点や改善点が明らかにならず、効果のある授業開発ができてい ない。これに対して、本研究は、授業実践の検討を通して得られた分析視点を用いて、先 行実践を分析し、生命倫理の授業類型を求める。そして、優れた類型の典型的な実践から 抽出された授業構成を活用して、生命倫理の新しい授業開発を行う。

研究方法として、公民科における生命倫理教育の先行実践と先行研究の検討を行う。ま ず事例をあげ、次に事例の分析視点を検討し、それにしたがって授業構成の類型をつくる。

つづいて、諸類型の典型的な生命倫理教育の授業実践の特質を検討して、望ましい授業開 発の視点を得る。そして、それらの視点に基づいて、具体的な授業開発を行う。開発した 授業は、ほぼ同じ構成で神戸市立神港高等学校の3年生対象に実践を行った。実践結果を 検討して、開発視点がどのように生徒にうけとめられたかを検証する。

  先行実践の類型を求めるために、目標と内容の面から実践を分類する。それが、生命倫 理問題そのものが実践の主題となっている実践と、生命倫理問題を発展させ、環境倫理や 法律、社会学などの発展的な内容を展開する実践である。前者を生命倫理主題型、後者を 生命倫理発展型とする。つづいて、生命倫理教育を探求の原理から分類して、自己探求的 アプローチと社会問題探求的アプローチに分類する。それぞれを組み合わせると、生命倫 理の授業類型はつぎの4つのパターンに収まることになる。

        形成論 目標論

自己探求的アプローチ 社会問題探求的アプローチ

生命倫理主題型 自己探求的アプローチによる生命 倫理主題型授業構成

社会問題探求的アプローチによる 生命倫理主題型授業構成

生命倫理発展型 自己探求的アプローチによる生命 倫理発展型授業構成

社会問題探求的アプローチによる 生命倫理発展型授業構成

再掲  図1  生命倫理教育の授業構成の類型(筆者作成)

第Ⅰ章では、生命倫理教育の性格を検討したのち、上記の4つの類型の典型例になるで あろう実践を分析し、類型としての妥当性を検証する。続いて、生命倫理教育の教育内容 と方法論を検討する。まず、生命倫理の授業実践の中から、内容構成の原理が対照的だと 思われる菅澤実践と大谷実践について、内容構成の原理を比較する。その結果、菅澤康雄 は、生命倫理を主題として構成された授業であり、大谷実践は、生命倫理の問題を主題と しながらも、発展的な内容を目指して構成された授業であった。前者を生命倫理主題型、

後者を生命倫理発展型とする。生命倫理教育の方法論の比較も行い、熊田のように探求の ベクトルは自分自身に向いている場合と、石原実践のように社会に向いている場合があっ た。前者を自己探求的アプローチ、後者を社会問題探求的アプローチとする。以上の結果 から、生命倫理教育の授業実践は、つぎの4つ類型化が可能である。

  1  自己探求的アプローチによる生命倫理主題型授業構成   2  社会問題探求的アプローチによる生命倫理主題型授業構成   3  自己探求的アプローチによる生命倫理発展型授業構成   4  社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型授業構成

第Ⅱ章からは、1〜4の典型的な実践を検討する。

1  自己探求的アプローチによる生命倫理主題型授業構成

古田晴彦の「生と死の教育」と題する全9時間の授業を検討した。古田実践は、自分自 身の命と周囲の人の命とのつながりを直視させ、特に死を看取ったもの・残されたものの 悲嘆を癒すことが目指されている。「いのち」の大切さかけがえのなさが共感的に強調され、

ホスピスなどを題材にしながら、私にとっての「美しい死」が求められている。「いのち」

の哲学的心理学的な考察は、社会の中で「いのち」がわれわれの欲望によってどのように コントロールされているのかという視点を持ちにくい。社会との関わりの視点が薄いため、

市民として医療や生命科学問題にどのように関与し、意見をもつのかを教えにくい授業構 成となっている。

2  社会問題探求的アプローチによる生命倫理主題型授業構成

加藤公明の「クローン人間はゆるされるのか」というテーマの討論授業の実践である。

加藤実践の特質は、子どもが自分の言葉で討論授業に参加して、生命倫理に関わる認識を 深めていくことを保障する実践であるという点である。討論は柔軟な考え方で行われ、生 徒は自分の考えを自由に発言することが保障されている。討論授業は、不確定な要素が多 い、経験的な実践であるという批判がある。また、あくまでも生徒の認識をベースにして いるため、賛成論・反対論の感情的なレベルから内容が普遍化しない。社会問題追求のア プローチをとりながら、どの点で社会的な合意を目指すのかは不明である。討論の内容を 見る限りでは、「私はこう思う」「あなたはこう思う」という一種の相対的主義的な結論に 陥っているように見られる。

3  自己探求的アプローチによる生命倫理発展型授業構成

大谷いづみの「生命科学と生命倫理ⅠベビーM事件」の13時間の実践を検討した。

人間の心理に着目して、心の中に深く入っていき、いったい親とは何か、子どもとはなに か、家族とはなにかを追求しようとするが大谷実践の特色である。実践内容の基礎にある 生徒との対話的な関係性によって成り立っている。したがって、加藤実践のように、「経験 的な実践であり、再現できない」とする批判もある。大谷の側から見れば、むしろ批判は 当然であり、逆に誰もが実践できる生命倫理教育の授業実践の可能性を否定する。大谷は、

授業者自身が価値中立的な立場を批判し、たとえ自ら傷つく可能性があろうとも、「倫理」

を問うことをはじめなければならないとする。「問い続ける」ことが実践のメインテーマで あり、その問いは、最終的に「私」とは何か、という問いになる。授業者がこのように問 い続けることは可能だろうか、という批判がある。

4  社会問題探求的アプローチによる生命倫理発展型授業構成

ニュージーランドの生物学者・生命倫理学者  Darryl R. J. Macerが「生命倫理教育プロ ジェクト」を推進するために、世界の高校生に向けてメイサーが制作したテキスト:

『Bioethics for Informed Citizens across Cultures』の内容を分析した。テキストの序文で は、全体の目的を、①生命に対する尊敬の念を増すこと、②科学と技術の利益とリスクの バランスを保つこと、③別人の見解の多様性をよりよく理解することであるとしている。

こうした力を身につけた「見識ある」市民の育成がめざされる。

  テキスト全体の第一の特徴として、生命倫理学の問題が及ぶ領域を医療のみに限定せず に、生命に関わる科学研究・環境倫理学へと広く包括的な領域に設定している。第二の特 徴として、生命倫理の議論の根底となる「原則(principle)」が取り上げられている。

「原則」とは、つぎの3つである。

1  「自主・自律の原則(Autonomy)」:人間が等しく持つ個人の選択の権利を認めること。

2  「公平さの原則(Justice)」:社会のすべてのメンバーにたいして、平等と公正な機会 を与えるべきであること。(メンバーには未来世代も含まれる)

3  「利益とリスクの原則(Benefits versus risks)」:科学技術の利益とリスクを明確にし て、そのバランスをとること。(特に、文化の異なった人々に対して)

  「原則」を意識すれば、生命倫理問題の議論の中で、どこで問題は錯綜しているのか、

自分や相手は何を価値としているのかを反省的に見直すことが可能となる。議論を明確に し、自己の受け入れている考え方を批判的に見直すことが可能であれば、見識ある市民と して、他者とのより望ましいコミュニケーションを図ることができる。

  「原則」の他に、生命倫理を考察するための「3つの視点」も単元構成原理である。3 つの視点とは、つぎの視点である。

1.   記述的生命倫理:生命、生涯、他の生命体との倫理的相互関係や責任を人々が考察す る視点である。

2.  規範的生命倫理:何が倫理的に良かったり悪かったりするのか、どのような原則がそ ういった決断をくだす際に最も重要なのかを他の人々に告げることである。それはまた 何かや誰かが権利を持ち、他の人はその人達に対して義務を負うということでもある。

3.   相互作用的生命倫理:人々や社会の中のグループや共同体が、上記の1と2について 話し合い議論することである。

上記「1、2,3」で検討していた3タイプの生命倫理教育の授業構成で求められること は、つぎの3点であると言える。

1  生命倫理教育を哲学的心理的な問題にのみ押し込めずに、社会的な関与を保障する。

2  生命倫理教育が是非の二元論に陥り、相対主義的な結論に陥らないようにする。

3  生命倫理教育のために、実践可能な授業構成を提案する。

これに対して、メイサーのテキストの特質は、つぎの3点であった。

特質1  包括的な問題領域の設定 特質2  「原則」の活用

特質3  記述的生命倫理、規範的生命倫理、相互作用的生命倫理の視点の活用

このようにメイサーのテキストによって、現代の生命倫理教育の諸課題に答え、改善する 視点を与えることできるとわかった。

第Ⅲ章では、生命倫理を視点とした公民科の授業開発を行った。

ドキュメント内 Darryl R. J. Macer (ページ 102-106)