第 1 章 序論
1.3 水素環境下における各種金属のマクロな機械的性質
1.3.2 疲労き裂進展特性に及ぼす水素の影響
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Kmaxの値とKIHとの関係性がき裂進展加速の有無を支配するクライテリアであるため,加速率や 加速を生じる下限界のK値が応力比Rに大きく依存する[134,135]ことや,負荷速度(試験周波数)
の低下にしたがって加速率の大幅な上昇が見られること[135]も特筆すべき点である.このように,
1サイクルの負荷に要する時間の増加に伴って加速が顕著になるような疲労き裂の進展は,時間 依存型破壊(Time-dependent fracture)とも呼ばれている.
時間依存型破壊の考え方は,本来応力腐食割れ(Stress corrosion cracking; SCC)環境における 疲労き裂進展と静的き裂進展とを相互に関係付けるものとして導入された概念である.Wei と
Landesは腐食環境中や水素環境中での高強度鋼の疲労き裂進展速度(da/dN)cが,従来の大気中や
不活性ガス中で測定されるサイクル依存の疲労き裂進展速度(da/dN)r(非時間依存型成分)と,
静的試験(遅れ破壊試験)中に測定される環境依存型の成分(da/dt)(時間依存型成分)の加算で 決定されるとし,以下の式を提案した(Superposition model)[133].
c r
da da da
K t dt
dN dN dt
(1.21) ここで,[K(t)]は疲労試験中の負荷波形や応力比,周波数の変動に伴って時間依存型成分の寄与 が変化することを考慮した関数である.彼らはこのモデルの妥当性を検証するため,4340 鋼を 含めた中炭素鋼,低合金鋼に関する既存の疲労き裂進展試験結果と遅れ破壊試験結果をまとめ,式(1.21)による近似と比較した.応力比が極端に大きい場合を除き,Fig. 1-61に示す彼らの結果 は実験結果を精度よくフィッティングしており,彼らのSuperposition modelの妥当性を示してい る.このモデルに対し,AustenとMcIntyreはFig. 1-62 (a)に示すように,実質的なき裂進展速度 が不活性環境におけるサイクル依存の疲労き裂進展と,水素誘起の時間依存型き裂進展のうち どちらか進展速度の速い方に律速されるという新たなモデル(Process competition model; PCM)
を提案している[134].0.1 MPaの水素ガス中で行った200˚C焼戻しの低合金マルテンサイト鋼(降
伏応力1300 MPa級)の疲労き裂進展試験結果は,彼らのPCMによる近似と非常に良い対応を
示す(Fig. 1-62 (b)).また,負荷波形中の荷重変動の影響を考慮し,1サイクルあたりにおける 時間依存型き裂進展の寄与を平均化することで,フィッティングの精度が向上すること(Fig.
1-62 (c))などが報告されている.Yamabe らは焼戻しマルテンサイト組織を有する引張強さ 1900
MPa級の軸受鋼SAE52100を高温・高圧(100 MPa, 358 K)の水素ガス中に曝露して水素を侵入 させ,その疲労き裂進展特性に及ぼす周波数や応力比の影響を調べている[135].Fig. 1-63 に示す ように周波数の低下(f = 20 → 0.2 Hz)に従ってき裂進展の加速は顕著になり,また応力比が大 きくなるとより低いΔK値でも有意な加速を示すようになる(Fig. 1-63 (a)).一方で,(da/dt) = 1/f
(da/dN)として 1 サイクルあたりのき裂進展速度を単位時間あたりのき裂進展速度へと換算し,
ΔKに代わってKmaxを横軸にとって整理し直すと,水素チャージ材の結果は1本のき裂進展曲線 へと収束する(Fig. 1-63 (b)).Yamabeらはこの結果を基に,Weiらが提案したSuperposition model を支持する考えを示している.
Yamabeらはマクロなき裂進展特性を調べることに加えて,SEMによる破面観察等を用いてき
裂進展の加速をもたらす機構についても検討を行っている.水素チャージ材の破面は粒界破壊
(Intergranular fracture)で代表され,これらの粒界に沿うき裂は旧オーステナイト粒界や,母相 と炭化物の界面等を起点として発生する.また,Troiano [29]も指摘したように粒界き裂の発生サ イトは主き裂先端からやや奥側の材料内部であり,これらの先行き裂と主き裂の連結によって き裂進展の加速が引き起こされることを明言している.類似の粒界破面の形成はマルテンサイ ト系ステンレス鋼15-5PHを用いて0.09 ~ 9 MPaの水素ガス中で実験を行ったSunらによる報告
(Fig. 1-64)[136,137]を含めて多数の例[133,134,138,139]が存在し,多くの高強度鋼の水素侵入環境中での 疲労き裂進展において普遍的なものと考えられている.また,周波数の低下によって粒界破壊が 顕在化する[136]ことも特筆すべき点である(Fig. 1-64).Fig. 1-65には,Weiらによって描かれた,
水素ガス中での疲労き裂進展プロセスの模式図を示した[140].同図中にも示されているように,
疲労き裂進展の加速は物理吸着,化学吸着,分子から原子への解離,材料内部での拡散という 様々なプロセスを経て破壊の核となるサイト(ここでは結晶粒界)に水素が集積した結果生じる.
すなわち,高強度鋼におけるマクロな疲労き裂進展速度や粒界破壊の周波数への依存性は,これ らのプロセスに要する時間が 1 サイクルの負荷あたりに十分に与えられた結果引き起こされる ものであると解釈されよう.
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【低~中強度 BCC 鋼】:一方でType A型(Fig. 1-60)の挙動を示す低~中強度鋼の特徴として は,静的試験で測定されるKIHよりも遥かに低いK値において,10 ~ 100倍程度の比較的緩やか なき裂進展加速が生じることや,高強度鋼とは対照的に加速率が応力比や周波数に大きな影響 を受けないことなどが挙げられる.また一方でK値がKIHを超えるような場合においては,Fig.
1-60のType Cに示すように,Type AとType Bの加算的な挙動が見られるケースもある[141].
SureshとRitchieは降伏応力が290 ~ 770 MPaの種々の圧力容器用低合金鋼(ASTM A387,A542
およびA516)のCT試験片を用いて138 kPaの水素ガス中で疲労き裂進展試験を行い,Fig. 1-66
に示すような結果を得た[142].彼らの結果で注目すべき点は,高強度鋼と同じように低強度材料 においても,各応力比ごとにΔKがある特定の値(ΔKT)を超えた段階でき裂進展速度が急激に 増加するような 2 段階の進展挙動が見られること,また応力比の増加に伴ってその遷移点が低 ΔK側へと遷移していることである.彼らは各応力比におけるこのΔKTの値を最大応力拡大係数 に換算して整理し,それらが20 ~ 23 MPa•m1/2の一定の値に収束すること,またその値が同種の 材料の定変位試験で測定されるKIHの値(≈ 80 MPa•m1/2)よりも極めて小さいことを明らかにし た.このようにKIH以下で生じる環境由来の疲労き裂進展の加速は従来からTrue corrosion fatigue という名称で認識されており,静的破壊とは根本的に異なる脆化機構により引き起こされると 考えられている[134,142].Sureshらは高強度材でのSuperposition modelやPCMとは異なる,低強度 材でのき裂進展加速を支配する下限界値として,KTmaxという新たなパラメータを導入した(Fig.
1-67).しかし,このKTmaxが静的KIHと著しく乖離している理由については明確にされていない.
Suresh らはこの点について,多くの静的定変位試験では大気中にて疲労予き裂を導入した後に
遅れ破壊試験を開始するのに対し,疲労試験ではき裂が常に水素ガス中で進展することなどが 原因の1つではないかと記述している.また,K < KTmaxでは粒内破壊(T)が,K > KTmaxでは粒 界破壊(IG)が見られるようになり,高強度鋼と類似の破壊機構の遷移が確認されている(Fig.
1-67).さらに彼らは同論文内で,き裂進展速度が極めて小さい(< 10‒9 m/cycle)下限界近傍のき
裂進展領域についても言及している(Fig. 1-66).応力比が比較的低い(R = 0.05)場合において 水素ガス中のき裂進展速度が湿潤大気中と比較して100倍程度速いことやそれに伴うΔKthの低 下を示す一方で,高応力比(R = 0.75)ではそのような影響が見られないこと,また水蒸気を混 入させた水素ガスを用いると大気中と同じ特性を示すことなどから,下限界域では水素そのも のよりも水分に起因した酸化物誘起き裂閉口[143]が現象を支配していると結論している.
CialoneとHolbrookはフェライト・パーライト組織を有するパイプライン用炭素鋼X42(引張
強さ511 MPa)の疲労き裂進展試験と弾塑性破壊靭性(JIc)試験を6.9 MPaの水素ガス中と窒素
ガス中で行い,き裂進展加速挙動に及ぼす K 値や応力比の影響,および疲労強度と静的破壊強 度との関係性を調べている[141].X42においてもSureshらの報告と同様に,ステージIIb領域での き裂進展加速率はΔKの増加に伴って上昇し,いわゆる2 段階の挙動を示す.一方でSureshら
の報告[142]と対照的なのは,応力比の増大(R = 0.1→0.8)に従ってき裂進展の加速が見られなく
なること,ならびに破壊機構がΔKの増加と共に粒界破壊から粒内破壊(擬へき開)へと遷移し ていることである.また,彼らの報告では高応力比(R = 0.8)において,ステージIIbから逸脱 して急激にき裂進展加速率が上昇する点,すなわちステージIIIのき裂進展領域が現れる.Cialone らはJIc試験中のき裂進展開始点を電圧降下法によりモニターし,ステージIIIの開始点が静的な 破壊靭性値とよく対応することを明らかにしている.
福山らは炭素鋼JIS-S35C を用いて1.1および4.0 MPaの水素ガス中とアルゴンガス中で実験 を行い,Cialoneらの結果と類似の破面形態やき裂進展特性を報告している(Fig. 1-68)[144].彼 らは破面形態に関してより詳細な検討を加え,低ΔK域での粒界破面の面積率が水素圧の増加に 伴って増加することを示すほか,粒界破面から擬へき開破面へ遷移する際のK値を明確化した.
また,1.1 MPaの水素ガス中で周波数を0.01 ~ 10 Hzの範囲で変化させた実験を行い,高強度鋼 とは対照的に低強度鋼では周波数への大きな依存性が見られない,すなわち時間依存型破壊を 示さないことを明らかにしている.
吉川らは溶接構造用炭素鋼JIS-SM490Bを用い,0.1 ~ 90 MPaの水素ガス中で周波数を0.001~10 Hzの範囲で変化させた疲労き裂進展試験(R = 0.1)を行い,低強度鋼中の非時間依存型き裂進 展に関してより詳細な検討を加えた[145].彼らの結果によれば,周波数1 Hzの場合,水素ガス中 のき裂進展加速率はCialoneら[141]や福山ら[144]が指摘したようにΔKの増大に伴って増加(遷移
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領域:Transient regime)し,一方でΔK > 20 MPa·m1/2の領域ではK値や水素ガス圧力によらずほ ぼ一定となる(定常領域:Steady state regime).また,Fig. 1-69 (a)はΔKを30 MPa·m1/2にて一定 に保持しながら種々の水素ガス圧力下で周波数を変化させた際のき裂進展加速率の変化である.
90 MPaの場合を例外とし,その他圧力45 MPa以下の水素ガス中での加速率は,周波数の低下
に従い緩やかに増加して30倍程度の上限値を示し,その後さらに周波数が遅くなると大気中の き裂進展速度へと漸近する.吉川らはジーベルツ則およびフィックの法則から算出される材料 中への水素の固溶度とき裂先端からの拡散距離に基づいて,き裂先端での水素の分布を表す独 自のパラメータ(水素濃度勾配)を考案し,これを基に水素によるき裂進展加速の有無を整理で きると述べている(Fig. 1-69 (b)).また,彼らはき裂進展の加速が擬へき開破面(Quasi-cleavage fracture)の形成を伴うとした上で,種々の水素ガス圧力および周波数における破面の観察を行 い,擬へき開破面上にマクロなき裂進展速度と等価な幅を持った脆性ストライエーションが現 れることを明らかにしている.このような脆性ストライエーションの存在はその他の炭素鋼や フェライト系ステンレス鋼などのBCC鋼でも見られ(Fig. 1-70)[141,146,147],高強度鋼で見られる 粒界破面に対し,低強度鋼の水素助長疲労き裂進展を象徴する破壊様式である.
Drexlerらはパイプライン用鋼X70およびX100について1.72 ~ 34 MPaの水素ガス中で吉川ら
と類似の挙動を確認し,上記の遷移領域と定常領域の変化を以下の式でモデリングすることを 提案している[148,149].
1 1 1
1 2
1 1 H 2 2 H
H Hth H H
Total fatigue
1 2
d d
B m Q V B m Q V
da da
P P a K P exp a K P exp
dN dN RT RT
(1.22) ここで,PHは水素ガス圧力,PHthはき裂進展の加速を生じるための下限の水素ガス圧力,δはヘ ヴィサイドのステップ関数,Qは格子間サイトへの水素固溶の活性化エネルギー,Rは気体定数,
Tは温度,Vは水素の部分モル体積,σHはHRR(Hutchinson-Rice-Rosengren)応力特異場[150,151]か ら導かれるき裂先端の静水圧応力,a1,a2,B1,B2,m1,m2,d1,d2はいずれも理論式と実験 値とのフィッティングパラメータである.また,右辺大括弧内の第1項は遷移領域におけるき裂 進展を,第2項は定常領域におけるき裂進展をそれぞれ反映している.彼女らによれば遷移領域 と定常領域の境界は,1サイクルのき裂進展量が,き裂先端静水圧応力場による最大水素濃度位 置とき裂先端間の距離と等価になる際に生じ,上述した他の先行研究と同様に遷移領域では粒 界破壊が,定常領域では擬へき開破壊が支配的となることが示されている.Fig. 1-71に示すよう に,式(1.22)による近似は低強度鋼中で見られる2 段階の疲労き裂進展挙動を非常によく再現し ており,彼女らの一連の実験結果を精度よくフィッティングできるものである.