第 1 章 序論
1.3 水素環境下における各種金属のマクロな機械的性質
1.3.1 引張特性と破壊靭性値に及ぼす水素の影響
アメリカ航空宇宙局(National Aeronautics and Space Administration; NASA)は,スペースシャ トル開発の一環として評価した広範な構造用金属材料の水素脆化感受性をデータベースとして まとめている[126].同データベースでは平滑試験片,または環状切欠き付き試験片の引張試験を
69 MPaのヘリウムガス中と水素ガス中で行い,ヘリウムガス中と水素ガス中の相対切欠き強度
や相対絞り値によって,材料を 4 段階の水素脆化感受性(Extremely-,Severely-,Slightly-,
Negligibly-embrittled)に分類している(Table 1-3).松岡らはこのNASAの結果を基に,平滑試
験片における相対引張強さと相対絞りの値をヘリウム中における引張強さを横軸にとって Fig.
1-57に示すようにグラフに整理した[127].これらのデータから読み取れる最も重要な傾向は,ヘ リウムガス中での強度が高い材料ほど,水素ガス中での強度低下や延性低下量が顕著になって いることである.特に引張強さ1200 MPaを超える材料に関しては,強度の増加に伴って水素ガ ス中での強度低下が飛躍的に顕著になる(Fig. 1-57 (a)).また,引張強さ1200 MPa以下の材料 では引張強さの低下は見られないものの,水素の影響は絞り値,すなわち延性の低下という形で 現れてくる(Fig. 1-57 (b)).さらに,同程度の強度レベルを有する材料であっても,母相となる 金属の種類や結晶構造によって水素脆化特性が大きく変化していることにも注目されたい.例 えば低炭素鋼(AISI 1020,1042)やマルテンサイト鋼(4140,440C)などのBCC結晶構造を持 つ材料と,FCC結晶であるオーステナイト系ステンレス鋼(304,310)とを比較すると,同じ鉄 基の合金であっても水素による延性の低下量はBCC鋼の方が圧倒的に大きい.また,Fe,Ni基
(Inconel 718,Nickel 270)の材料ではどの強度レベルにおいても水素による延性低下量が比較 的大きいのに対し,アルミニウム,銅をベースとする材料(7075-T3,Be-Cu Alloy 25)では水素 の影響をほとんど受けていないことが分かる.ここまで述べた,引張試験で見られる水素脆化感 受性の母相金属,結晶構造,強度レベルへの依存性は,次節で説明する水素環境下での疲労き裂 進展特性に対してもダイレクトに反映されるものであり,幅広い金属材料の水素脆化特性を包 括的に理解する上で極めて重要な事項である.また,NASAだけでなく,日本国内においては産 業技術総合研究所(National Institute of Advanced Industrial Science and Technology; AIST)が20 ~
105 MPa水素ガス中での引張試験結果を基に類似のデータベースを作成しており,マクロな特性
に加えて微視的な破壊様式(ディンプル破面(D),擬へき開破面(QC),粒界破面(GB)など)
によっても水素脆化特性の分類を行っている[128].
一方で破壊靭性値に及ぼす水素の影響の評価は,主にフェライト系やマルテンサイト系の鉄 鋼材料を中心に実施されてきた.ここでも引張特性と同様に,強度レベルの違いが水素環境下で 測定される破壊靭性値に対して著しい影響を与える.一例としてFig. 1-58は,米国SANDIA国 立研究所のNiburらによって測定された,種々の強度を持つマルテンサイト鋼の 103 MPa 水素 ガス中における破壊靭性値 KIHを整理したものである[129].このグラフ上にはボルトロード型の CT試験片を用いた定変位試験(図中,中空プロット)と,通常のCT試験片を用いた変位上昇 試験(図中,中実プロット)の2種の試験法による結果が示されている.KIHの値は,前者にお いては変位負荷後水素ガス中に試験片を曝露した後にき裂が進展を停止する点(水素助長割れ
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下限界応力拡大係数),後者では水素ガス中でモードI 負荷を与えた際にき裂が進展を開始する 点として定義されている.いずれの試験法での測定においても,水素ガス中の破壊靭性値は大気 中における同種の材料の一般的な破壊靭性値(100 ~ 200 MPa∙m1/2)に比べて大きく低下し,ま た降伏応力の高い材料ほど水素ガス中で低い破壊靭性値を示す.また,詳細は割愛するが,上昇 変位試験の方が定変位試験よりも顕著に水素の影響が現れていることも興味深い点である.
水素脆化感受性の強度レベルへの依存性は,上述のような水素ガス環境中の実験においてだ けではなく,水素を予めチャージした試験片の場合や,腐食環境もしくは酸性溶液との表面反応 で水素が材料中に侵入する場合においても同様に成り立つ.福井は種々の化学組成を有する焼 入れ焼戻し低合金鋼の表面に 0.1%HCl水溶液を滴下しながら曲げ試験を行い,大気中の曲げ強 度に対する遅れ破壊強度の比(遅れ破壊限度比)を材料の硬さを横軸にとって整理している[130]. また,Gangloffは400以上の遅れ破壊試験(定変位試験)の結果を基に,高圧水素ガス中やH2S ガス中,またはNaCl溶液中などにおける水素助長割れ下限界応力拡大係数と材料強度の関係を
Fig. 1-59のようにまとめている[131].試験環境や実験方法,あるいは取り扱う材料によって差は
あるものの,ここまで述べた結果と彼らの結果が同一の傾向を示していることに変わりはない.
Table 1-3 Susceptibility of various materials to embrittlement in 69 MPa hydrogen gas (NASA) [126].
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Fig. 1-57 (a) Relative tensile strength and (b) relative reduction in area of smooth tensile specimens in gaseous hydrogen and helium at 69 MPa as a function of tensile strength in helium gas (Matsuoka et al.) [127].
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Fig. 1-58 Crack propagation thresholds of various martensitic steels in 103 MPa hydrogen gas measured via constant-displacement tests and rising-displacement tests (Nibur et al.) [129].
Fig. 1-59 Relationship between threshold stress intensity factor for hydrogen-assisted cracking and yield strength in C-Mn and low alloy martensitic steels under various hydrogenating conditions (Gangloff) [131].
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