6. 株式会社ミスミグループ本社
6.3 生産財の流通革命の確立(1970 年代中盤~1990 年代中盤)
カタログによる通信販売の開始
ミスミの営業担当者は、前述の通り得意先の獲得を目指して、標準品の普及に努めユー ザーに足を運んでいた。しかし金型部品が使われる工場は各地に分散しており、営業担当 者が訪問できるのは1日せいぜい4件程度、少量受注が多かったため営業担当者1人あた りの受注額は低かった(金・嶋口, 1994)。そこで営業の業務をカタログに取り込み、営業 担当者以上の営業ツールを作ることにした。また営業担当者によるサービスのバラツキを 解消し、ユーザーに平準なサービスを提供することも目標としていた。田口は、米国のシ アーズ・ローバック社が潜在市場の大きい農村に向けた日用品の通販で成功したことを参 考に、シアーズのようなカタログを提供すれば地方の小口ユーザーにも必要なものを必要 な時に必要な量だけ買ってもらえると考えた(綾部・國領, 1994, p.8)。そして1977年、
カタログによる通信販売を開始した。「プレス金型標準部品カタログFACE」であった(綾 部・國領, 1994, p.8)。どこにでも売っているような製品をカタログに掲載してもユーザー は魅力を感じてくれないため、こんな部品が欲しかったと思ってもらえるような独自性の あるカタログを目指した(日経アドバンテージ, 2003/05)。そして顧客からの受注がカタ ログへと移行されるにつれ、1983 年には営業担当者がゼロとなり、1990 年には営業部は 廃止された。受注回収処理はサービスセンターが一括して行った。
カタログによる通信販売への移行により、受注業務は営業担当者ではなくサービスセン ターが行うようになった。受注回収処理をおこなうのは、商品に関する専門知識をもたな いオペレーターである。サービスセンター設立当初は、オペレーターは正規社員が多かっ たが、パート社員や派遣社員の比率を徐々に増やし、1995年からは一部のサービスセンタ ーで監督や教育も含めて丸ごと外注を始めていた。前述の通りミスミの通信販売用カタロ グには、製品スペックや価格、納期が記載されており、受注の際に専門知識や交渉をほと んど必要としない。そのため営業担当者ではなく、オペレーターによる受注が実現でき た。売掛金の回収も、サービスセンターの責任であった。1996年頃のミスミの機械工業系 の顧客は2万5千社以上あり、1日約2万件の発注が各地のサービスセンターに寄せられ る。当時の受注の殆どはファックス経由であったが、ニフティサーブを使った通信、電 話、伝票の郵送や、ホストコンピュータによるEDI (Electronic Data Interchange: 電 子データ交換)など様々な方法を用意していた。また、顧客からのクレームや問い合わせ も、サービスセンターのオペレーターが受けていた。商品の精度、寸法、加工不良、手配 ミスなど商品についてのクレームはクレームカード、納期遅れや未配など物流については イエローカードに記入する。そして社内やサプライヤーにファックスで連絡して、同日内 に回答を得る。オペレーターで回答できない内容については、各市場担当者から回答す
る。クレームカードは月600枚、イエローカードは月500枚程度起票されていた(竹田・
國領, 1996a)。
ミスミの流通センターは、自社所有の西日本流通センター、物流業者に外注している北 関東流通センターと川崎流通センターの3箇所である(竹田・國領, 1996a, p.5)(その後は 東 日 本 流 通 セ ン タ ー と 西 日 本 流 通 セ ン タ ー の 2 箇 所 に 集 約 ( 同 社 HP, https://ec.misumi.jp/contents/firsttime/f_send.html, 2012/12/6))。製品ごとに協力メーカ ーから送られてきたものを顧客ごとにまとめて梱包し、宅配で送り届ける。取り扱い荷量 は、1990年代後半時点で1日約5千ほどであり、ピッキングや配送のミスなどで顧客から クレームがある割合は全国で3 件/1 万件ほどと低かった。在庫品とハーフメード品の割合 は、金額ベースで3:7、受注件数ベースで6:4であった。在庫品はミスミの流通センター に在庫され、在庫が少なくなると自動的に協力メーカーにに発注される。在庫アイテム数 は、1990 年代後半時点で西日本流通センターが 15,000 点、北関東が 9,900 点、川崎が
5,000点であった。在庫回転数は3ヶ月ほどで、ハーフメード品は協力メーカーに在庫され
ており、ミスミの物流センターでは顧客への梱包のため一瞬通過するのみである。システ ム上のデータと実在庫のずれは少なく、需要予測の難しい新発売の商品などを除くと、協 力メーカーヘの発注はほとんど人手をわずらわすことはなかった。川崎流通センターの作 業員(半数以上がパート社員)は10~12人であり、季節的に変動は20%ほどであるが、配 置されている人員で賄うことができている(竹田・國領, 1996a, p.6)。
新商品の開発は、基本的には 3 年に一度カタログ更新時に行われた。カタログ更新は、
金型部品、FA部品等の商品分野別の各市場チームが担当する。顧客ニーズは、様々な方法 で収集された。通信販売用カタログに添付したコミュニケーションカードや、サービスセ ンターに寄せられたカタログにない規格の製品や引き合いに関する情報を記録したアンフ ィットカードを活用した。コミュニケーションカードは年間 1,000 枚ほど寄せられ、アン フィットカードは月に 2,500 枚程度起票される。しかしコミュニケーションカードには商 品化に結びつくような提案は少なく、問題がありそうな顧客を把握することに主に活用さ れた。各市場チームはこれらの情報とあわせて、顧客を訪問して「売れない理由」などを ヒアリングした。そうして開発した製品は、モニター顧客から定期的に意見を聴衆した。
作成できたカタログ案を顧客に送り、アンケート調査も行っている。カタログ発行当時 は、新商品の掲載目標は1年間に 5 件であったが、金型部品のような成熟した市場では新 商品の開発は難しく、目標は3年間に3件になった。営業担当者が居た1970年代後半まで に、大口の顧客はほとんど開拓されていた。カタログ通信販売を開始してからは、新規顧 客の開拓は消極的である(竹田・國領, 1996a)。
「顧客が欲しい商品が載っているカタログ」を作るということは、「市場の声をよく聞い て、その時々のニーズに直結した製品を提供できるようにする」ということである(日経 アドバンテージ, 2003/05, p.129)。そのような柔軟性の高い企業体質を築くことはたやす いことではなく、実現するために会社として余計なものは持たないことが重要だと考え
た。情報システムについても、一時期自社で保有していたが、1994年ごろ大和総研にアウ トソーシングした(綾部・國領, 1994)。商社にとって基幹業務である受発注を、外部に委 託してしまったのである。基幹業務システムをアウトソースすることを決意したきっかけ は、1992年2月の新受発注・物流管理システム「エコール」への移行の失敗である(田口,
1997)。移行の段階でシステム自体が全面停止し、出庫・在庫確認が不可能になり、1 ヵ
月間人海戦術で何とか苦境を乗り切るという苦い経験があった。
急成長の秘訣
これまでは、「購買代理」や「持たざる経営」を理念とした会社運営をしてきたミスミだ が、築き上げてきた企業理念を実現し成長させるためには、別の取り組みが必要であった。
それがオープン経営である。ミスミは、カタログ販売により、急成長を遂げるが、単にカ タログ販売を行ったのではない。田口は顧客に対して、オープンに価格や納期に関する情 報を公開したのである。カタログでは、製品の注文本数や納期に応じた価格を明記してお り、どの顧客に対しても同じ条件で取引を行うことを保証した(綾部・國領, 1994)。これ は、顧客や部品の発注量、納期などにより単価が異なることが一般的であった金型部品業 界では、異例の取り組みであった。価格をオープンにしたことにより、価格による差別化 が行えないことから、「納期保証」「供給保証」「開発保証」「価格保証」という新たな付加 価値を提供することで、競争力を得た(日経アドバンテージ, 2003/5, p.129)。「納期保証」
とは、納期の遵守率を限りなく100%に近づけること。「供給保証」とは、ピン1本でも必 ずカタログに掲載された製品を届けること。「開発保証」とは、カタログに顧客の欲しい 製品が載っていない場合でも、ニーズが一定量に達したものは必ず開発すること。そして
「価格保証」とは、今までの業界慣行となっていた曖昧な取引を廃止し、カタログに掲載さ れた定価を守ることである。オイルショック後の自動車や家電メーカーの立ち直りによっ て、この頃のミスミの受注は大幅に拡大し、協力メーカーも増えていった。オイルショッ クの経験から、割高な特注品ではなく低価格の標準品を使用しようという風潮が広まり、
標準品の浸透が加速したのである。創業から10年ほど経った1975年の売上は10億円にも 満たなかったが、83年には5倍になった(綾部・國領, 1994)。
協力メーカーとの関係性の抜本的見直し
ミスミの規模が拡大するにつれ、協力メーカーの数は増加し、メーカーとの関係も変化 していった。ミスミは1985年に協力メーカーによる競争入札制度を導入し、最も低い見積 を提示した企業から製品を購入する仕組みを構築していた。その仕組みを更に進化させ、
1997年5月には、オープンコンペティション(競争入札)方式を導入した。オープンコン ペティションでは、「ミスミの方から売値、仕入れ値、ミスミの流通マージンや取引金 額・数量などの購買条件を洗いざらい皆さんの前に公開」する(田口, 1997, p.11)。導入 した目的は、協力メーカーとのしがらみを無くし、「ドライ」な関係を継続することであ