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多角化と海外進出(2000 年前半頃~現在)

ドキュメント内 組織能力の独自性 -成長企業3社の事例- (ページ 83-86)

5. 株式会社ファーストリテイリング

5.6 多角化と海外進出(2000 年前半頃~現在)

アパレルのブランド展開と靴事業への参入

FRの最大の目標は、世界一のアパレル製造小売業になることである(石倉, 2004; 柳井, 2011)。達成に向けてユニクロ以外のアパレルのブランド展開や、アパレルと関連がある 靴事業やランジェリーにも参入を果たしている。まず M&A の対象となったのが、米セオ リー・グループである。2004年1月には、セオリーを展開するリンク・インターナショナ ル(現リンク・セオリー・ジャパン)へ出資した。そしてその後リンク・インターナショ ナルと共同で出資し、経営権を取得した。2009年3月には、リンク・セオリー・ジャパン を公開買付けにより子会社化した(同社HP, www.fastretailing.com/jp/about/history/

2009.html, 2012/11/4)。

同時並行して、日本、フランス、イタリアのアパレル企業 M&A や新ブランドの立ち上 げを矢継ぎ早に行っている。ベーシックなカジュアルウェア中心のユニクロは、低価格に 固執することを止め、機能性素材などで付加価値を付けて高品質を最重視することにし た。その空いたエリアに、本格的に低価格を売り物にする企業として、ユニクロより低価 格のカジュアルを販売する株式会社ジーユー(以下、ジーユー)を2006年3月に設立した

(柳井, 2009)。そのエリアには強い競合相手はいないとの判断だった。しかし全く売れ ず、ローコスト体質を考慮して設定した相当低い目標にも届かなかった(柳井, 2009)。そ して2008年9月に、ジーユー、靴小売専門店を展開するワンゾーン、婦人靴婦人靴小売専 門店を展開するビューカンパニーの子会社3社を経営統合し、GOVリテイリング(以下、

GOV)を設立した(柳井, 2009)。(シューズ事業は、その後2010年4月ユニクロへ移管

(同社HP, www.fastretailing.com/jp/about/history/2008.html, 2012/11/4)、2011年9月 株式会社ジーユーへと社名変更(2012年8月期同社有価証券報告書))。該当3社は営業 損益がでており、柳井は 3 社の事業を統合して運営することが最善と判断した。営業、商

品、マーケティングや管理部門など各社が共通に持つ機能を一本化し、より効率的な経営 を目指していた(柳井, 2009)。ジーユーは、2009年3月に990円ジーンズを発売し話題 を呼んだ(同社HP, www.fastretailing.com/jp/about/history/2009.html, 2012/11/4)。ユ ニクロのジーンズは日本製デニムを中国で縫製するが、ジーユーは中国製の安価なデニム をカンボジアの工場で縫製すれば、990円は十分に実現可能と見ている。GOVは、990円 ジーンズの好調から売上が大幅に拡大し、採算も改善した。これらのブランド展開を鑑み ると、FR が行ったアパレル商品のブランド展開は、価格のポジション戦略であると言え る。ユニクロは多くの人がその季節で欲しいと思う、ファッション性をやや意識したベー シック・カジュアルであり、ファッション性の観点で言うと中程度と言える。ユニクロに は高機能という付加価値が付きブランド価値が高まったため、低価格に固執することを止 めたことから、ファッション性が同じ中程度の低価格エリアにはジーユー、高価格エリア にはセオリーをもって進出した。価格の垂直的な展開を行ったのである。FR の理念は、

ベーシックなアパレル商品を部品と捉え、組み合わせることでファッションを楽しもうと いうものである。

アパレル以外の多角化

アパレル業界で日本として初めてSPA体制を構築したFRは、他業界でも「生産まで踏 み込む」ビジネススタイルが通用することを立証するために、多角化に着手した。農産物 の生産研究で実績のある永田農業研究所などと提携し、2002年秋から高品質な野菜や果物 の小売り開始を同年1月に発表した(石倉, 2004)。この新規事業は、FRの社運をかける という規模ではなく、経営資源の10%を投資して10年かけて収益を上げる体制に育ててい く構想であった(石倉, 2004)。2002年9月には子会社として株式会社エフアール・フー ズを設立し、SKIP というブランド名で野菜などの食料品の販売を開始した。しかし売上 は低迷し、初年度8ヶ月の売上は目標の半分程度である 6億円だった。会員数の増加は順 調だったが、単価と購入頻度が予想を下回った。原因は、セット商品の高さと、使い勝手 の悪さだった。そして2004年3月、設立からわずか1年半でエフアール・フーズは解散し た。

初めての海外進出(英国)と失敗、そして2回目の進出(中国)

柳井は従来から、海外進出を考えていた。カジュアル産業は世界共通であるため、世界 統一市場で競争するしかないと認識しており、逆に世界に出ないと日本で存続できなくな るという危機感を抱いていた。世界中の主要市場には全て出店する方針であり、まずは英 国、そして中国へと進出した。イギリスへの出店は、まず2001年9月ロンドンに4店舗で あった。英国のアパレル市場規模は約277億ポンド(1999年時点で約4兆円)だが、上位 5社が3割以上のシェアを保持していた(石倉, 2004)。M&S(マークス・アンド・スペ ンサー)やネクスト発祥の地であり、競合SPAのギャップ、ザラ、H&Mなども参入し、

熾烈な競争を繰り広げていた。2002年にはリバプール、バーミンガム、リースなどロンド ン以外にも出店し、3年間で 50店の出店を計画した。2年後には本部経費を含めて黒字化 し、3年後には売上300億円、利益率10%を目標とした(石倉, 2004)。第1フェーズで はまず利益性を重視するが、将来的にはユニクロの企業理念を前面に打ち出し、確固たる ポジションを確立して衣料チェーン1位になることをゴールとした。しかし21店舗まで展 開したところで、様々な問題が露出していた。2003年6月には、ロンドン市内と郊外の5 店舗を残し、16 店舗を閉鎖した。その原因は次の通りである。まず、速い展開スピードを 可能にできるインフラが整えられていなかった。3年間で英国に50店舗を展開するという 目標が独り歩きし、内装工事、情報システムや教育研修といった面でも効率的な判断がな されないまま、次々と出店していった。次に、経営チームと本社との連携が希薄であり、

FR の考えが浸透していなかった。社長及び経営チームは、英国人の大手小売店経験者を 採用したが、FR のローコスト経営や皆で一緒に検討して進める企業風土を理解しようと しなかった(石倉, 2004)。そのため、店舗運営で問題が生じた。

次に進出した中国では、英国での失敗から学んだ教訓が生かされていた。2002年9月に

2店舗同時に出店した上海の店舗は、繁華街と住宅街に近いショッピングセンターの2タイ

プであり、商品構成や価格は日本と同様だった。ターゲット顧客は、「『生活を楽しむ 30

~40代のファミリーを中心としてノンエージ』としていた」(石倉, 2004, p.142)。経営チ ームは、FR の理念を理解していることが優先された。日本で店長の経験があり、ユニク ロの経営哲学を熟知している中国人の林を社長として、中国人と日本人の混合チームであ った。まず中国で基盤を構築することを優先し、1 店舗ずつ確実に利益をあげることに注 力した。現地スタッフへの教育にも力を入れており、ユニクロの基準や考え方を浸透さ せ、日本と同様に高いレベルのサービス提供を目指した。店舗運営も、日本の経営スタイ ルと同様に、地域性を考慮し顧客の動向に合わせて柔軟に対応していた。展開スピードは 英国時代と比べて遅く、上海出店から1年を過ぎた時点で、店舗数は8店舗であった。

そしてその後もFRは、海外に日本の経営哲学を基本としたユニクロ店舗の展開を加速さ せている。2003 年8月時点では海外での出店数は26店舗、売上はFR連結売上309,789

百万円の 10%にも満たなかったが、2008 年には海外店舗合計として黒字を達成し、2012

年8月時点では出店数298店舗、売上はFR連結売上928,669百万円の16.5%にまで成長 した。特に好調なのは、中国、台湾、韓国の東アジアである。2012年8月時点で中国は161 店舗、台湾は17 店舗、韓国は80 店舗と店舗数を急激に伸ばしており、かつ業績も好調で ある。シンガポール、マレーシア、タイ、フィリピン、インドネシアの東南アジアは、2009 年頃から出店を始め、16 店舗となった。欧米(英国、仏国、露国、米国)は合計では 17 店舗となり、ニューヨークやパリにグローバル旗艦店を出店し知名度は向上したが、同年8 月の決算では米国と英国の業績は赤字であった(2003年8月期, 2008年8月期, 2012年8 月期同社有価証券報告書)。

また、販売だけでなく生産の海外進出にも取り組んでいる。当初から提携してきた中国

の工場だけでなく、ベトナムやバングラデッシュの生産工場との提携を開始した。2009年 時点で中国パートナー企業での生産は全体の 90%であるが将来的には 2/3 とし、残りはベ トナムとバングラデッシュで生産することを目指している(日経ビジネス, 2009/06)。

今後の挑戦的な成長戦略

こうして、日本で優秀な成績を上げている店長を海外店舗の立ち上げに指名し、FR の 理念、経営スタイルや企業文化を海外新店舗にも展開していった。柳井は世界中のグルー プ会社で、国籍を問わない人材の最適配置を目指している。業務基幹システムを統一し、

業務を標準化したことで、異動してもすぐ業務に着手できるようインフラを整えた。FR は世界一のアパレル製造小売業になることを目指し、10年後に日本1兆円、中国1兆円、

アジア1兆円、米国1兆円、欧州1兆円の売上目標を掲げた(柳井, 2011)。成長率は、年

率20%の成長と、経常利益率20%の達成を目標とした(柳井, 2011)。FRは日本発のグロ

ーバル イノベーション カンパニーになる必要があると認識しており、合言葉は「グロ ーバルワン」(全員経営)である(柳井, 2011, p.19)。これらの目標を達成するために、FR は、上海、シンガポール、ニューヨーク、パリに経営拠点を設置する予定である。そし て、ユニクロだけでなくセオリー、コントワー・デ・コトニエ、プリンセス タム・タ ム、ジーユー事業の経営を行っていく(柳井, 2011)。柳井曰く、「我々の目指すところは、

我々全社員が世界中で、世界最高水準の経営をする、世界最高水準の商品をお届けする、

世界最高水準の店舗経営をするところにあります」(柳井, 2011, p.20)。

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