第 2 章 Hi-Fi 触覚ディスプレイ
2.3 本論文で目指す触覚ディスプレイ
2.3.1 感性触覚コンテンツの提示に適する触覚ディスプレイの条件
現在のコンテンツ産業における主流は,映像や音楽等に代表されるように視覚・聴覚を 用いた感性的コンテンツであることは明白である.視覚・聴覚では古くから情報伝達技術 とそれを応用したコンテンツ技術が相互に発展し,我々の生活に深く根ざしてきた.特に ディスプレイ技術に関しては完成の域に達しつつあり,日常生活における風景や音の卖な る再現を超え,独自の感性表現を可能としている.
一方触覚では,2.2にて述べたように様々な提示装置が開発されているものの,触覚の再 現を超えた独自の表現が可能なレベルにまで至っていない.また,触覚を用いて提示する コンテンツに関する技術は未成熟な部分が多く,本格的な研究が始まったばかりである.
特に,視覚・聴覚コンテンツの普及に大きく影響したであろう独自の表現は,触覚コンテ ンツを視覚・聴覚に次ぐ第三の柱とする上で欠かせないにもかかわらず研究事例は尐ない.
ここで,触覚による感性的情報の伝達に必要な条件を身近な生活の中から考えてみる.
まず,触覚における最も感性的な体験の 1 つとして,頭を撫でる,抱きしめる等のスキン シップが挙げられる.スキンシップの際に生じる知覚を空間分解能,周波数帯域に分解し て考えると,殆どのスキンシップが手全体や腕全体などの広い面積を用いて行っているこ とから,空間分解能はそれほど必要とせず,むしろ低い方が良いとすら言える.一方で,
微妙な刺激周波数の変化が印象に直接結びつくため,幅広い周波数帯に対応する必要があ ると思われる.その他,一般的に心地よいとされる触覚刺激であるマッサージや服の着心 地など,スキンシップと同じような時空間特性を持つ事例が数多く存在する.
次に,独特の触感を主役とした製品を見てみる.古くから存在するものとしては,スラ イム[74]があり,その独特の触感は多くのユーザに親しまれている.カオマル[75]は,握っ た際の触感を追求した顔型のボールで,触感はもちろん,握り方によるボールの表情の変 化から疑似的なスキンシップが体験できる製品である.バンダイは,実体験として心地よ い触感を無限に楽しむことをコンセプトとして,気泡緩衝材をつぶす触感を再現した∞プ チプチ[76]をはじめとした感性触覚コンテンツの先駆けとも言える製品群を発売している.
研究の分野では,小島らが鉛筆削りの心地よさを再現する試みを行っている[77].また,大 島らが腹部に振動刺激を行い,刀にバッサリ切られたかのような線状の刺激を提示する装 置を開発している[78].これらの時空間特性を見てみると,ほぼすべての動作に体幹部,手 全体,指全体が用いられており,やはり空間分解能は低い事例が多い.また,素材やイン タラクションの方法によって必要な周波数帯域が大きく異なることから,触知覚領域全て の周波数帯に対応可能であることが求められる.
時空間特性とは別に考慮すべきポイントとして,提示面積と階調性が挙げられる.全て の例において指先以上の比較的大きな面積が刺激対象であることから,提示可能な面積は 大きい方が望ましいと考えられる.また,マッサージ等の例にみられるように力の微妙な
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変化を滑らかに提示する必要があることから,高い階調性が求められると思われる.階調 の重要性は,視覚・聴覚において階調が高いほど豊かな表現が可能であることからも確か められる.
図18 独特の触感を主役とした製品例 左:スライム[74] 右:∞プチプチ[76]
図19 Eternal Sharpener[77]
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以上から,感性触覚コンテンツに必要な触覚ディスプレイの基本条件として,空間分解 能は必ずしも高い必要はなく,十分に広い周波数帯域が必要であることを確認した.また,
上記の例から比較的大面積への提示及び微妙な力の変化を出力可能な階調性が効果的であ ることも分かった.
その他,触覚ディスプレイで実際に触覚提示を行う際に問題となる要素として,外乱を 挙げる.ここで言う外乱とは本来提示したい触覚とは別の触覚情報のことを指し,具体的 には皮膚に直接接触する刺激子の素材感や形状情報,駆動部から発生する不要な振動等で ある.外乱は触知覚に悪影響を及ぼすことから,当然ながら無い方が望ましい.
これらをまとめると,以下の項目が感性的触覚コンテンツに対する主な必要条件である と考えられる.
・周波数帯域=広(1kHz以上)
・提示面積=中~大(指先以上)
・階調性=高
・外乱=無
2.3.2 触覚ディスプレイの設計
2.3.1 で導き出した感性的触覚ディスプレイの条件に対する従来型触覚ディスプレイの現
状と本論文が目標とする触覚ディスプレイの目標を表1 に示す.
表1 感性的触覚ディスプレイの条件に対する各ディスプレイの性能
従来の触覚ディスプレイと感性触覚提示の必要条件を比較した場合,空間分解能の高い 触覚ディスプレイは時間応筓性が不足しており,階調性も乏しい.一方,周波数帯域の高 いディスプレイを見た場合,必要条件に近い性能を有していることが分かる.よって,本 論文でも周波数帯域に特化することを目指す.
しかしながら,現行装置にはキーポイントである周波数帯域が未だ不足しているという 問題がある.既に2.2.2で述べたように,制御に関しては10kHzの制御周期を実現している ことから,この問題が制御側に起因することは考え難い.よってこの問題は触覚提示側の ハードウェアが大きな障壁となっている可能性が高い.ハードウェアは,大きく分けて使 必要条件(目標) 空間分解能の高い装置 広い周波数帯域を持つ装置 周波数帯域 広(1kHz以上) 狭(数十Hz) 中(数百Hz)
提示面積 中~大 小~大 小~中
階調性 高 低 高
外乱 無 有 有
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用するアクチュエータと機構によって性能が大きく左右される.特にアクチュエータの性 能はハードウェア性能の根幹に関わる重要な要素である.
これまでの触覚提示装置に用いられてきた素子としては主に,ソレノイド,圧電素子,
空気圧,水流,小型電極,小型モータ,超音波がある.各素子の特徴をまとめて表 2 に示 す.表より,従来の刺激素子ではその周波数帯域と階調性が両立しているものは電極によ る刺激以外に存在しない.しかしながらこの電極に関しても,刺激子を皮膚に接触させる 必要があることから外乱の発生は免れない.また,電極による電気刺激は人工的な感覚を 生じさせてしまう.
表2 素子とその特性
以上の現状を踏まえた上で,本論文では目標とする条件に対するハードウェアの問題を 解決し,広帯域性,大面積,高階調性を備え,外乱の影響を大幅に低減可能な触覚提示手 法を考案する.以後,提案する周波数帯域に特化した高品位触覚提示のことを,オーディ オ業界における高品位再生の名称であるHi-Fiオーディオに例えてHi-Fi触覚提示と呼ぶこ ととする.