第8章 総合考察
第2節 本研究の意義
122
123
も目標の促進,誘惑の回避に関連する方略の有効性が数多く示されてきたといえる。特に 興味深い点としては,“目標と誘惑のバランスをとる”ときに誘惑を先に行い,目標はあと で行うという方法は“自己制御の失敗”として扱われてきたことである。例えば,Fishbach
& Converse(2010)は,目標と誘惑のバランスをとることには2つの選択パターンがある と述べている( a. 目標項目をはじめに選択し,あとで誘惑項目を選択する場合,b. 誘惑 項目をはじめに選択し,あとで目標項目を選択する)。Fishbach らによると,a. について は目標を優先させているため自己制御の成功を導くといえるが,b. に関しては自己制御の 失敗を意味することになる。なぜならば,誘惑を優先させることを繰り返すことで,目標 に対する動機づけの強度よりも誘惑を追求するための動機づけの強度が増すからである。
確かに誘惑を優先させることは,自己制御の失敗を生じさせる可能性もあるだろう。ただ し,本研究の知見はb.の選択が全てにおいて自己制御の失敗を導くとはいえないことを示 唆している。例えば,次の機会に目標項目を選択する意図をもって誘惑項目を優先させる のであれば利益を最大化することが可能である。これは古典的な自己統制の目標と誘惑の 捉え方(目標が“遅れて得られる大きな利益”,誘惑が“即時的に得られるが小さな利益”) とも一致する。さらに,一時的に誘惑を楽しむことにより,誘惑に対する厳しい我慢によ るリバウンド効果を防ぐことも可能かもしれない(e.g., Papies, Stroebe, & Aarts, 2008)。
これらの提案を支持する知見として,認知感情処理システム(Metcalfe & Michel, 1999)
では,日常においては方略的なCoolシステムを用いる自己制御が必要な状況だけでなく,
ときには動機づけやコミットメントを維持するために“Hot(熱くさせる)”プロセスも求 められることが主張されている(Kross & Mischel, 2010)。また,それらの相互システムの バランスに影響を及ぼす要因の1つであるストレスについても,ストレス対処の方略の1 つとして気晴らし方略が存在することからも気分転換方略が自己制御に有効である可能性 は高いだろう(及川, 2002)。実際に村山・及川(2005)は,自己制御場面において,気晴 らしが必ずしも非適応的な方略とはいえず,むしろ場合によっては適応的な方略になりう ることを論じている。また,及川(2002)では,気晴らしに集中しているほど目標が明確 になり,ネガティブ気分は緩和されることが示されている。さらに,気晴らしに集中する ことは,気分だけでなく問題解決そのものに対しても有効に働くことが示されている。
また,目標システム理論においては,多重結果追求の考えが提唱されているが,この考 えに従うと目標と誘惑の二者間の葛藤時にどちらか一方を犠牲にするのではなく,両者を 一度に満足させる方法もあると考えられている(Kruglanski & Köpetz, 2010)。このように,
124
“目標と誘惑の両立”という観点から気分転換方略を捉えることは,“目標と誘惑のバラン スを適度にとる方略”を自己制御方略として考えていくことへの道を新たに開くものとい える。多数の目標追求の視点で捉えた場合,誘惑と目標をバランスよく追求することは長 期目標への動機づけをより高めることが考えられる。ただし,誘惑と目標のバランスをと る方略が有効な場合はいくつかの条件に限られるだろう。例えば,自己制御の失敗の原因 にもあったとおり,誘惑ばかりを優先させているときや,資源が枯渇しているときに気分 転換を行えば,誘惑に対して無節制となり自己制御の失敗を導くかもしれない。
上記の観点から考えると,本研究で人々が日常生活の中で“気分転換方略”を使用して いたことが見出されたことは非常に興味深い。“気分転換方略”には,方略そのものに誘惑 的な内容(例:音楽を聴く)が含まれることが懸念されるが,一方で,行為者にとっては 一時的な気分転換がより目標追求に対する動機づけを高めることも考えられる。つまり気 分転換は,上手な使い方をすれば特定の“誘惑”でさえも自己制御方略として利用可能で あることを意味するものといえる。実際に,第5章の研究1では,人々が経験する自己統 制葛藤において,誘惑への対処方法として“目標と誘惑の両立”があがっている。これら の気分転換方略のもつ可能性は,従来の“目標か誘惑か”といった二者択一的な視点をこ えた新たな枠組みを提供するものといえるかもしれない。
第3の意義としては,誘惑対処方略の使用について縦断的に検討した点である。具体的 には,モバイル調査や日誌法を用いたことで,目標達成にむけて誘惑対処方略の使用がど のように時間的に変化するかについて貴重なデータを得ることができたと考えられる。先 行研究では,自己制御方略を実験場面で状況的に操作することや,介入を行うことで,一 時点における自己制御方略の有効性を検証してきた。そのため,人々が実際に一連の目標 追求プロセスの中で自己制御方略をどのように使用しているかについては,ほとんど検討 されてこなかった。本研究では,実際の誘惑対処方略の使用度合に関する時系列変化や,
目標に対する動機づけや目標関連行動との関連をみることで,人々が自己制御方略をどの ように使用しているのかについて明らかにした。その結果,誘惑対処方略の使用は,目標 勾配仮説のように,目標達成に最も近づくときに最も使用が高まることや,どの時点にお いても誘惑対処方略と達成見込み間に正の相関がみられることが示された。これらの結果 は,誘惑対処方略が目標達成に密接に関係しており,人々の目標に対する動機づけを高め ることを示している。
第4の意義は,様々な誘惑対処方略が用いられているということだけでなく,実際の目
125
標追求に対しての有効性についても検証したことである。第6章の研究5で示されたよう に,本研究で確認された誘惑対処方略は,現実の学業場面において有効な自己制御方略で あるといえるだろう。しかしながら,次節の今後の課題において述べているように,気分 転換方略に関する更なる検討など,今後も引き続きこうした有効性についての検討は様々 なアプローチによって多角的に行う必要がある。その点もふまえたうえで,自己制御研究 において,誘惑対処方略の検討は今後の自己制御方略に関する研究をより活性化するうえ で有益であると考えられる。
126