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題があったのでなかろうか︒すなわち︑持導においては︑
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という根源的な問叫が︑そこに川われていたのでないであろう
か︒善導は単に優れた経典の注副作者ではなかったω淀川導にとって︑経内ハを託料することは︑自己の現買を表白するこ
とL川じことであった︒そこに行持汗のみが背負わなければならない︑股しい別命が感ぜられるのである︒
恐らく善導は臨終に踊れて︑そこに愛情珪順という業総の山界から一歩も離れることの出来ない人間の相を見出し
たのであり︑そこから﹁生死叫難服︑例法復難欣﹂ということが切目次る問題として感ぜられたのであろう︒抜き差
しならない業縁の世界が︑自己の求道の現買相を︑巌しく批判してくるのである︒章捉において︑阿閤世は悪子とし
て厭わるべきものではあったが︑しかもその業総を組ち切ることは出来なかったのであり︑厭うという閥係におい
て︑逆に一段いつながりを感じたに違いないのである︒善導はそのような人間存在の在り方を︑﹁自身現是罪悪生死凡
夫︑蹟劫己来前夜市流鞠︑無レ有一一出陣之縁こという買.
とh r して 日見 出し たの であ る
ο﹁無有出離之総﹂とは︑買に業
線の 世界 の紹 ち難 いこ とを 一一 首う もの に他 なら ない
︒
かくて︑理尊が﹁箆未来世一切衆生﹂と説かれた時︑意提はそこに阿閣世の救われてゆく遣を見出すと共に︑それに
よって自らの救われてゆく遣を見出したであろう︒そこに開示せられた三一耐の行は︑章提の致請に依らない悌白聞の
法で あっ た︒
しかし意提がそれを致請しなかったということにおいて︑章提が散動の根機であることが︑逆説的に表
わされいるのでなかろうか︒理尊によって閲読せられた三掘の行の順序が︑正宗分の向下的自覚削順一序︵理掛から現
買えの方向︶と足って︑向上的要求問順序︵現賢から国組えの方向︶となっていることも︑それを陪不していると
思う︒何故なら︑最初に一不された﹁孝養父母奉事師長・弦心不殺・修十善業﹂という世一晒こそは︑章提が最も直接的
善 導 数 等 序 説
一二
七
議 開 礎 物 救 蹴 事 附 市 議
一二
人
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一一
一一
一の
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は︑章彊の要求の方向に従って開設せられたものと見られるからである︒
そのように意提を業縁関係において露出してくる限り︑意提が数議の摂換であることは︑説明を要しないことであ
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ぞれによって傘提が故請し︑組持等がそれを許醸して麓説︑せられた定義離も︑戦車に蕗提附人の道ではなく︑
切 家
生の遣であることが明かになったのである︒故に標章は定益百示離韓以後定善を設設せられるに首って﹁孝提及未来世
衆生いと喚びかたのである︒額経の疋宗分は︑意提個人の問問題が︑未来位の衆生の問題であることを鴇かにす
ヅ分
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ら
ってよいであろう︒そこに
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になるのである︒
四
定警は牟提における機縁の順熟を持ってれるから︑善導は定義一ぷ毅隷の初めに
﹁此 乃回 線維 要科 盆議 謀略 横島 希レ 回出
﹂と 立輯 押し てい るの であ る
細伴
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話一 一娼 髄賊 之所 世害 者幻 話コ 詩替 業二
と説き出されているが︑内意す
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とは
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と︑党提の問いとして
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られていることである︒これ
によって︑前簡に述︑へて来たことが︑必ずしも勝手も解轄ではないことが知られると思う︒
善導は﹁矯煩悩賊之所害者﹂という経文について﹁此別下凡夫障章一安愛迷保︑不レ謂z
三一
出火
院関
在一
一人
之足
下﹁
随レ
縁起 レ行 擬レ 作一 一進 道資 糧一 何其 六賊 知聞 競来 侵奪
﹁今 既失 一一 此法 財一 何得
e 無ニ
憂苦 一也
﹂と 註揮 して いる
︒
弦に二河警に
おいて描き出された︑一栄作の涯に追い詰められた限界扶況における貫存の相を︑見出すのであるが︑そこにあるもの
れたものであり︑それ故に善導は﹁清開業﹂について︑
除一 塁党 永令
L清 部開
︒又 雪山 一一 清昭 一者 依一 下観 門一 専心 念併
︒注 一一 組西 方﹁ 念念 罪除 故清 原也
﹂と 註暫 した ので ある
︒そ れ
は﹁生死甚難服︑備法復難欣﹂という間以である︒章提の﹁求哀機悔︑教我観於清都業堤﹂という致請はそこから生
﹁此 明了 如来 以レ 見ニ 衆生 耕一 故局 説一 一機 悔之 法﹁ 欲両 令ユ 相績 断
は︑日組観における業障識知と光明識知との上にも見出されるものであり︑観経の根本基調を形遣っているものであ
ると言ってよいであろう︒
厭わるべき生死の世界にあって︑悌法こそ願い求められるべきであるにも拘らず︑そこに要求せられる至誠心の問
題に突き首る時︑吾々は異買ならざる自己の現買に引戻されるのである︒その紹望の世界にあって︑興えられる遣は︑
昨自己の業障を慨悔することより他にはない︒しかもその業障は︑悌法に踊れ念悌に遍い得た所に見出されたもので
ある︒念僻こそは後悔をして機悔に止揚せしめるものであり︑個人の世界から杢人の世界に出潜せしめるものであ
る︒そこに人生における流轄の方向が︑西方静土えの方向に轄廻せしめられ︑決定附けられるのである︒それは此の
身の上に選揮せられたものであるが︑その選揮は﹁致レ使下如来密遣ニ夫人日別選上也﹂
と示 され た如 く︑
如来によって
選揮せられ廻向せられたものである︒故に揮土えの方向が花漠たる人生の底に見出されたというそのことの上に︑五口
々の 救い は既 に成 就さ れて いる ので ある
︒善 導が 誼讃 に﹁ 悌勧 一一 坐観 瞳念 等一 皆先 須下 面向 一一 西方 一者 最勝 上︑ 如↓ 一樹 先傾 倒
必随P曲
︑故 必有 一一 事醗
−不 レ及 レ向 一一 西方
﹁但 作ニ 向レ 西想 一一 亦得
﹂と 註稗 せら れた 意味 も︑ そこ に窺 える ので なか ろう か
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善 導 数 撃 序 説
一二
九
善 導 数 皐 序 説
一 三
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かくて理隼は﹁観於西方極集世界﹂と誰かれ︑その観成就の遣は如来の側にあることを示して︑﹁汝珪凡夫心想問劣
未レ
得コ
天眼
一不
レ能
ニ遺
観﹁
諸梯
如来
有一
一異
方便
一令
J一汝得世一兄﹂と説かれたのである蕊に言う﹁見方便﹂が︑正宗分に
教読せられた定善十三観を指すことは︑説明を要しないが︑その異方便によって浮土を見ること︑その凡てが悌力に
依るものである︒しかも︑︑雑想観の教説においては﹁然彼如来宿願力故︑有一一憶想一者必得ニ戒就一しと一不されている
のである︒故に定者観は︑稗曾の﹁異方便Lと︑調陀の﹁宿願力﹂とによって衆生の上に成就せられる︑他力の廻向
による観であることは明かである︒
既に定善観がそのように決定せられた以上︑それを賞践し戒就することが吾々に出来得るか否かという可能性の問
題は︑そこに存在しないであろう︒そこに興えられた唯一つの根源問な問題は︑理舎の教説に信順して如来の本願に
相臆するという︑そのことだけであるコ善導が﹁依ニ下観門一一専心念伸注一一組西方念念罪除故清部也﹂と証理せられた
意味も︑その透にあるのではなかろうか︒そこに立って見れば︑議け導にとって翻仰と念怖との問題は︑鹿立の闘係に
許されはしないだろうか︒華陪観における
婆婆 化主 矯レ 物故 作二 組両 方寸 安幾 慈骨 骨知 レ情 故則 影中 臨一 県域
h斯乃二⑨許臨無レ具︑白以隠顕有レ殊﹂という稗文︑及︑ひ
﹁正 別ニ 功呈 不レ 失観 益得 ヒ凶
︒一 山一 一凶 レ観 得世 日比 一一 十万 詰仰
﹁二 山下 以レ 見一 羽川 伸一 故結 中成
﹁正
明下
あるものではなくて︑寧ろ相印閥係にあったものと見ることも︑
念。異
例。身三。観
昧。に
色c 主ゴ
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一
という副作文等は︑よくそれを一衣わしていらものと思う︒その限りにおいて
議同 導の 念観 雨宗 論を 道
悼のそれに封し殊更峻別することには︑充分に納得出来ないものを感ずるのである︒恐らく道悼においても︑観帥叩二
昧侍宗と打ち立てながら︑そこに念併二一昧を別かにしたのは︑型遁諸耐の経宗稗に一躍従ってん川糠したと解醐持される
丈︑った作意性に依るものではなくて︑観経はそのような態でもってしか願わし得ないものであること在︑山かにしよ
うとされたのであると思う︒そこに考えられねばならないことは︑五日々の宗教的要求が衆警でもって部土が顕わされ